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  • 茶の心

    或日岡田さんといふ婦人が私の道場に来られてこんな話をされたことがある。ーー「近頃は忙しくて一月に一遍位しか此の道場に来られませんが、何時来ましても、先生は壇上にお上りになると『お早うございます』と言っ

  • 世界中に通用する人間のかく有るべき理想なのであります。

    「さあ、どうだか知らんぞよでは、無責任ぢゃありませんか。そんなら何故先刻ハッキリ明白裏に在らずなどと答へたのですか」と一本やり込めるつもりで其の僧は食ってかかった。そのやうな師の語を捉へて一本やり込め

  • 夢を描け、

    ARATAMA(あらたま:掘り出したままで、まだ磨いていない。その真価や完成された姿をまだ発揮していないが、素質のある人。)今年もあとわずかです。前向きの年と致しましょう。https://azusawa.sakura.ne.jp 青年よ、

  • 日常が大切なのでは

    何も「道」は難しいことはない。「斯うだ。ああだ」と揀ぶ心、腐っていても食べなければ勿体無いーーなどと、妙に執する心も揀擇の心であるーー斯ういふ心さへも無くなったときこそ、それは明白の心である。ところが

  • 亡き父の思い出

    亡き父の思い出私は「あんた、何で駄目と決めつけるの。駄目と皆で思ったり、言ったりするから、治るのも治らんので、谷口先生は、人間は皆神の子で、病気は無いんだと教えられて居る。無いと云う信念を持てば必ず消

  • 何も難しいことはない。

    ここに於いて何が「至道」であるかといふと、「放つ心」さへも「放ち」去って、平常心に立ち復るといふことである。「貝の新鮮さを批判しないで、何でもその儘素直に受けよう」といふ心さへも、それは「素直」に執し

  • 世界から感謝される日本

    こんな會話が交わされた。別に誰もとがめなかったし、貝の匂ひが生臭いのも、 海から上がる産物に生臭いのは當然であるといふので、気にかける者もなかった。女中は両方から購められた貝の剥肉を一緒に混合して、そ

  • ところがその日

    もう数年前の夏の終の頃であるが私の宅ではお晝前に魚屋が御用聴きに来て居たのである。ところがその日一寸魚屋が来る時間がおくれたのである。女中は魚屋の顔を見ないで野菜のみを買ふことを命ぜられて市場へ出掛け

  • 今後も留意致したい所存です。

    あずさわ日記の掲載記事で生命の實相哲学に関しまして光明思想生命の實相哲学の創始者 谷口雅春先生のみ教えを其の儘お伝えする事にあります。勿論、導入部分や、尊師のお話の引用後に幾許かの説明や、紹介リンクが

  • 思い知る事と成りました。

    このやうに私は一應其の揀擇の心を捨てなければならないと言ったが。その「揀擇の心を捨てる」ことさへも捨てなければ本當に自由自在の境地に達する事が出来ないのである。禅宗では「無」をも放下せよ、「無」をも擔

  • 冬きたりなば 春遠からじ

    さて本則に移るのであるが、趙州和尚は嘗て参究の諸士(衆)に対して説示して斯う言はれたことがあるーー「至道無難、唯揀擇を嫌ふ。纔に、語言あれば、是れ揀擇、是れ明白」と。これは三祖僧璨大師の『信心銘』に「

  • 構へる心

    第二則 趙州至道無難【解釈】垂示に、「乾抻窄く、日月星辰一時に黒し」などといふことを何のために最初に持って来たかと、「向上宗乗中の事」の廣大無邊、光明遍照の素晴らしさを形容するためである。「向上宗乗中

  • たとひ棒は雨點の如く

    第二則 趙州至道無難【垂示】垂示に云く。乾坤笮く、日月星辰一時に黒し。たとひ棒は雨點の如く、喝は雷奔に似たるも、也た未だ向上宗乗の事に當得せず、設使三世の諸佛も、只自知す可く、歴代の祖師も全堤不起、一

  • 日に日に生くる

    さて最後の頌であるが、これは雪寶が本則の要点を提げて「頌」といふ詩形にしたものである。大體本則と同一の語が使ってある。「聖諦廓然」だ、本當の悟といふものはカラリと晴れた蒼空のやうに、鳥の飛んだあとも雲

  • 皆自分の心の影

    観音三十三応身図  武帝には観世音菩薩は観自在原理であるから、到る處に現れている、意地悪の舅姑も、親不孝の息子も、病気も、貧乏も、達磨のやうな高徳の僧に見捨てられるのも、皆自分の心の影ーーー換言すれば

  • 観世音菩薩とは

    また絶対的存在は、相対界の語では説明の仕様がない。そこで其の答えも「識らず」である。どちらにしても「識らず」と答へるしか仕方がない。絶対實在は絶対的に直接把握しなければならないのである。「識らず」こそ

  • 「織らず」

    「廓然」とは蒼空のやうにからりと晴れ渡ったやうに、一點の雲もない形容である。その一點の雲もないやうに「聖もないのだ」と言ったのである。聖だとか、悟だとか、善だとか、悪だとか、何とか引っかかりが蒼空にあ

  • 自己実現欲求

    其の時、達磨大師は「上智圓明にして體自ら空寂、是の如の功徳は世を以って求むべからず」と應他へたといふことである。上智は神智である。わたくしの智慧はからひでは無い、自分の「欲しい」とか「たい」とかがない

  • 光輝いて

    昨今は世界中が○○株と、活況な相場の様に喧しいものであります。考えますに、その原因の大元はウイルス云々だとか、陰謀説だとか、色々騒がれていますが、人類に巡って回る宿業で有ると思います。しかし、この疫病も

  • むくいとして得られる果報

    それと同じく梁の武帝も、天華亂墜、地上一變黄金の奇瑞を伴ふ様になつてからは、眞理第一が功徳第一といふやうになり、「現象的功徳」に瞞着せられることになつていたものらしい。その頃達磨大師が天竺から支那へ渡

  • 順序が逆転

    さて本則に入るのであるが、本則といふのは普通禅宗の「公案」と稱せられているもので、古人の言行のうちで、その規範法則となるやうな重要なものを書き抜いたものであるが、碧巖録には百則の公案を雪寶和尚が書き

  • 縦横自在の働き

    人間の「肉體」を視て、「人間は肉體なり」と観ているのは、火事の煙を視て「火事とは煙なり」と観るのと同じで、不しつ瑠漢(不怜悧者よ)と圜悟禅師に叱られようぞ。煙の成分を分析している間に火事は燃えてしまふ

  • 毎日練成会サイト

    携帯で毎日、毎時、雅春先生のご講話を拝聴戴けます。[毎日練成会サイト]『龍樹庵の鐘』甘露の法雨連続講義https://ryujuan.sakura.ne.jp 『祖師の魂を継ぐ』http://dainihon.sakura.ne.jp/koufuku/sp/『徳久克己

  • 全的把握

    【解釈】垂示といふのは、垂語ともいふ。従容録などには示衆と書いてある。本問題を提示するに當ってあらかじめ、門下の大衆に、本問題の要点とか着眼点とかいふものを示されたのである。垂示には圜悟禅師が書き加へ

  • 遂に江を渡って魏に至る

    禅宗の意味(禅宗とは)禅宗とは、臨済宗・曹洞宗・黄檗宗に代表される座禅を用いた修行を行う仏教の宗派です。全ての人には、内面に仏性があり、それを再発見するためには座禅の修行を行い、仏教における真理を体験を

  • または入手困難

    生長の家のみ教えと云えば根本眞理を説く“生命の實相”ですが、長年に渡り尊師雅春先生がご著書にしたためられたみ教え、一言『眞理は一つ人間は神の子である』に尽きるのであります。最晩年に纏められたご著書があり

  • 『鋼の人』

    『鋼の人』遥かな西から一人の僧がやって来た。み佛の弟子と云っても、印度人では無く更に西国から印度に至り、み教えを伝えるべく決意を心に秘めて、海路伝いに遠く極東の国を目指して何をお考えでいらっしゃたのか

  • 言霊学、霊的直感により

    生長の家の眞理の根幹を成す“生命の實相”哲学は、其の儘生命の行方 生命とは何処から来たりて何処へ至るのか それはあらゆる宗教 哲学の究極の目指すものなのではないでしょうか。確かに『眞理は一つ 人間は神の

  • 多々ございますでしょうが

    豊雲野神についてそれから「豊雲野神(トヨクモヌノカミ)」というのは、「豊」は「ゆたか」で、「雲」というのは「組み合わされる」という「組み」というのと語源が同じであります。水蒸気の分子が組み合わされて、い

  • 感嘆いたしました。

    愛子さま成年行事 “ティアラ”正装でお出ましにhttps://www.youtube.com/watch?v=3wtVphEVAOsさすがはご皇室の花 ティアラは新調はご遠慮なさられた。その深いご配慮に、感嘆いたしました。

  • 良き想念

    「四百万年程前の公案」ネットに宇宙の存在、人間の生まれた意味等、我々一人一人の『存在』の果てしない根源的な問いが有った。未熟者の小生が明快に此の公案に答え得るかは判りませんが、引用させて頂きます。「な

  • 一切の物の生み出しの元で有る処の神

    神と云うのは一体何かと云う問題で有ります。一番最初創造の神は五感を超越している、六感も超越している、と、斯う書かれて居ります。生長の家で神というのは 創造の神で有ります。創造と云うのは 造り主の神さま

  • 表現の世界であります

    最近復興ブームで古事記も諸方に於いて取り扱われて居るのでありますが、私の古事記の解釈は普通一般の人の解釈と多少異なるのでありまして、古事記を単なる神話と、神話と云うものの本質を判れば、単なると云う形容

  • 生きる事の喜び、

    山々は、登ったことのない者にとっては地球の絶望の姿だと映ずることだろう。タゴール信仰と云うものはその感動に触れた者でなければ、詰まらぬものに映ずることだろう。信仰は生活の中に入った時、その輝きを増す。

  • 霊妙不可思議な作用

    神は物理学的法則を超えるそれは兎も角、ガスは拡散するのがその物理的法則で、ゴム風船みたいにちゃんと口を括っておいてすらもゴムの分子の間から散って行くのですから、それなのにゴム風船の如きゴムの袋も、ガス

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