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  • 今でもそんな人がある。

    「株を守りて兎を待つ」といふのは、韓非子にある話から引用したのだといふ。その話といふのは、昔、宋の國に百姓があった。或る日田へ出て耕さうと思っていると、偶々一匹の兔が樹の切株に頭を打突けたと見えて、切

  • 其れを生きる事が大事。

    上下水が発明されなかった昔の時分には、共同井戸に井戸端会議といふものが開かれたことがあったが、まことに談論風發とも謂ふべき有様であったが、何を話題に喋っているかと言ふと、世諦流布だ。世の中のつまらない

  • 理念の人間です。

    【解釈】「會する」といふのは眞理を會得することである。佛教なら佛道を會得することであるが、眞理に二つはないから別に佛道でなくとも好い、惟神の大道を會得すると言っても、唯頭脳で知るといふことではない。自

  • 開催されます。

    幸福で豊かな人生を『若人のための78章』の本の49ページにこう云う事が書かれて居ります。自然が神の創作し給へる直接芸術で有るに対して、人生は人間の自由意志によって創造する芸術であると云う事が出来るので

  • 日々祈りましょう。

    東洋の使命、その代表者としての日本國の使命は「霊の使命」であり、霊は分割し得べかざるものである。分割されたる世界を一つにまとめるのが日本の使命であります。西洋の分割精神に基づく科学文明によって個々別々

  • 何か思い出しませんか?

    第八則 翠巖眉毛【垂示】垂示に云く、會するときは途中受用、龍の水を得るが如く、虎の山によるに似たり。會せざるときは世諦流布、羝羊藩に觸れ、株(くひぜ)を守って兎を待つ。有る時の一句はこ地獅子の如く、有

  • そのままの實相を知らしてやりたい

    嘗って近視左右五度と六度の眼鏡を掛けていた川村よし子と言はれる双葉高女の生徒が心が轉じてその近眼の治ったときに、眼鏡を外して見た蒼空は實に冴えた紺青であって、今まで近眼鏡で見た空はつねに白っぽく曇った

  • ご紹介させていただきます

    大日本史復刻版http://dainihon.sakura.ne.jp/sp/ このサイトは小生が青年期に掲載させていただいて居ります。その掲載後ネットで知り合った友人 浦木氏の大作、を知る事になり、長い交流を続けることとなりました

  • 迷いの無い世界に超入

    實相を承認すれば、此處はこのまゝ久遠常樂江南の春だといふことが判るのである。江南といふのは支那の揚子江の南のところであるが、何も揚子江の南のところを指したのではない。景色のすぐれたる世界の象徴として「

  • 其の儘の心

    慧超は慧超である。法眼は法眼である。これに理屈はない。證明も不要である。生命そのものが知る事實である。それを知らない人は狂人に過ぎない。人間は佛であり神の子であるといふのも、如何なる理由といふことはな

  • 見るもの全て有り難く

    さて公案の本則に移るのであるが、或時、僧が法眼和尚に問うたといふのである。「それがし慧超、和尚におたずね申したいことがございまする。如何なるか是れ佛でございまするか」と問うた。すると法眼和尚は「君はそ

  • 誰が救済に行くのか?

    ご存知 ロシアによるウクライナ侵攻が激化する中、超音速ミサイルを使用。しかも、ロシア軍の武器が使い尽くされて来つつあるとの、情報も有る様だ。此処で多くの識者の心配は、いよいよの時、最終兵器が使用される

  • 参究して頂きたいのである

    問答を横合から聴いていると、「佛とは何ぞや」「佛とは何々ぞや」と如何にも容易な事のやうに思っている人が多いが、そんな容易なことではござらぬ。「従前の汗馬人の識る無し」だ。前々から馬が重荷を負はされ、さ

  • 掴み現実生活に生かす事

    併し、ひとたび、無時間、無空間の一點ーーー目無堅間の小舟の一毫に乗って、實相の世界に透得し、その中心帰一、一君萬民の蓮華蔵世界の風光を見て来たならば、もう、どんな返事をしようとも、對機説法自由自在、そ

  • 久遠の昔から

    お釈迦さんが八十何才でとうとういよいよ死期が近づいて来たと云っても、お死にに成るのでは無いので有りますけれども、どうも体が弱って、其れでふらふらして寝て居られる。そうすると迦葉菩薩と云われるのが、其の

  • 目無勝間之小船

    併しながら問ふべからず、また答ふべからざる甚深微妙の問題であるが、「其れ或は未だ然らずんば」と一轉して、その問ふべからざる問題なのに、それを破って問ふ者があったればどうするか。それは、虚空も容るること

  • 神があらわるれば

    「人見て法説け」と正直と出鱈目とを色々交互に使ふ。それで「佛」かと言ふと、そんなアヤフヤなものが「佛」ではあり得ない。さあ佛といふものは正體が知れぬ「これが佛ぢゃ」と言はれたらもう佛ではない。三角で、

  • 見出すのかも知れません。

    だから無佛である。聲を出して説明したいけれども説明する譯には行かぬ。無佛にして、しかも無佛でない、無佛にして「茲に天上天下唯我獨尊あり」と自覚しなければならぬ。こんなものが佛だといふ説明に堕するやうな

  • 声にならない声

    「聲前の一句」はさういう相對を超へたる絶對である。これを「隻手の聲」とも言ひ、「暗の夜に啼かぬ烏の聲」とも言ふ。さういふ絶對のものであるから、天の如く大なるものも蓋ふことが出来ないし、地の大なるを以て

  • 持ちつ持たれつ!

    過去の投稿が見つかりました。日航の粋な計らい。感動しました。親日国台湾には東日本大震災の義援金、今度の武漢ウイルスではマスクを送ってくれたりといろいろ助けて貰っているからね。少しでもお返しできて、うれ

  • 万教帰一ならでは

    【解釈】聖書のヨハネ傳に「太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき」とある。一切のものの本源は言であるが、言は聲として現れ、更に文字として表現される。然るに、爰には「聲前の一句千聖不傳」と来たので

  • 法眼答慧超

    第七則 法眼答慧超【垂示】垂示に云く。聲前の一句、千聖不傳。未だ曾て親ごんせざれば、大千を隔つるが如し。設使(たとひ)聲前に向って辨得して、天下人の舌頭を截断するも、亦未だ是れ性懆の漢にあらず。所以に

  • もう一つの半面

    もう一つの半面現象界のありとしあらゆるものはすべて無常であり、完全なものは無いのがあたりまえであると悟るのが、悟りの半面であって、その無常な現象は本来無いのであって、生き通しの完全な実相の自分は、水面

  • 一番大事な神示

    『大調和の神示』 汝ら天地一切のものと和解せよ 天地一切のものとの和解が成立するとき 天地一切のものは汝の味方である 天地一切のものが汝の味方となるとき 天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ 汝が何

  • 無為に時を過ごす

    寧ろその偏空は「弾指して悲しむに耐へたる舜若多」の迷であると言ふべきである。舜若多と言ふのは虚空が身體であって、虚空の他に身體のない目も鼻も手も足もないズンベラ棒な「空」の神であるさうだが、「實相は空

  • 声に成らない声

    昔、香厳と云う和尚が居た。修業時代に師に呼び出され、一つの公案を出されたと云う。「お前は甚だ聡明であるが、お前の両親が未だ生まれぬ先、お前はどうして居たか、書物に頼らずに答えて見よ。」香厳は答えんとし

  • 現象に捉へられない

    飛ぶ禽一つ一つの足跡、職域天分を一味平等の水面の中にハッキリ写し出さねばならぬ。と言って足下の現象に捉へられて心がみだれ現象が乱れるのでは「草茸茸(くさじょうじょう)」である。茸々は雑然と雑草が生ひ繁

  • 謙虚に只管

    谷口雅春尊師の説く光明思想は深淵かつ広大な真理であります。真理の法話は一人の為に非ず、万人の財産であり、此処に謹んで掲載させて戴きます。(龍樹庵の鐘より)https://ryujuan.sakura.ne.jp さて、このサイトを

  • 生きる道

    實相は一味平等であるーーと考へるのは「一」に執着したのである。「人類愛々々々」と抽象的人間に愛著し、日本人であることを忘れている人も「一」に執著したのである。吾々は日本人であることを先づ知らねばならな

  • 人生を彩ります

    因果を踏断する生命の緊張の極の極のギリギリのところへ到達することが出来るならば、自動車に轢かれても負傷せず、日本刀で鐡条網が切れ、戦車位は眞二つに胴切りが出来るべきであらう。併し、その實相の「一」に執

  • 無限に生き通し

    自動車に轢かれた筈の足が不思議に何の傷もない事実ーーが起こっても不思議はないのである。大東亜戦争中には随分この種の奇跡が報じられた。常時では到底そんな事が出来難いと思はれるやうな、自動車のボディが地面

  • 本当の生命の智慧に其の儘従え

    自分の握って居る物は何にも無いので有ると、nothing に何にも無い境に、無に叩き付けてしまう。儂の物は何にも無いとして、そして無に迄施して、何にも無いと離してしまって、そして十字架を負う。十字架を負うと云

  • おそろしい情報です

    人生はなんの為に有るのか。時代を通して様々な先人が 死にもの狂いで、駆け抜けたその足跡を、 稀代の好奇心と想像力でしたためました。

  • 生命を発見し、内観自覚する

    21世紀を迎え、世の中は世紀末は無事?通り過ぎた様ですが、正しく末法の世の姿で有る事は何処の方々もご同感の事と存じます。テロあり、度重なる災害あり、街には様々な犯罪や、政治、宗教、教育の世界も廃退してい

  • 内在する天国

    ご承知の様にロシアの突然のウクライナ介入によって、戦端が始まりました。世界中の人々からロシア国内に於いても其れを批難する声が噴出して居ります。処が、ウクライナはNATOに加盟して居ないのでNATOは動かない状

  • ハワイ日系二世部隊の奇蹟

    生長の家の出現當時、自動車に轢かれても一向傷つかない人が数名、あちらの誌友会、こちらの誌友会で體験談を話したことがある。これは『生命の實相』のどこかにその氏名までも載っている。ところが、そんなことは偶

  • 私には夢がある

    原因がないのに結果が生じることはないというたとえ。大航海時代の名の元に始った西洋列強の植民地支配に呻吟するアジア、アフリカその中でも日本の歴史に最も影響の大きかったアヘン戦争その物語に東奔西走する主人

  • パフォーマンス

    絶對の「今」の中には、最早空間もなく時間もない、鐡条網は必ずしも刀劔よりも堅くはない。もう物質もなく、精神もない。「今」の一瞬に「切る」が現成しているのである。そこで「鐡条網を切る」ことが實現したので

  • それでキリストは何処に居るか。

    昨日、スター・デイリーが僕にこう云う事を聞いて居った。heavenヘブンと云うと天ですね。神の國とバイブルで訳して居る処の天國とか神の國heaven kingdom heaven.天の王國ですね。其のヘブンと云うのは何処に有るか

  • 奇跡と言わずして…

    前後際断「今」の一瞬に、その一瞬も無い「今」、一切が圓成しているのが生命である。生命がギリギリの絶對境に入るとき、そのまゝで圓成している「今」の中に突入するのである。もう前後際断である。因縁も超越され

  • 信仰の軸足を真理にあわせる

    真理とは何で有りましょうか。生長の家の祖師谷口雅春先生は、「真理は一つ、人間は神の子で有る。」とお教え下さいました。是が真理です。日時計主義も、環境問題も、真理では有りません。大事な事ではありますが、

  • 信仰の軸足を真理にあわせる

    真理とは何で有りましょうか。生長の家の祖師谷口雅春先生は、「真理は一つ、人間は神の子で有る。」とお教え下さいました。是が真理です。日時計主義も、環境問題も、真理では有りません。大事な事ではありますが、

  • すべてが「久遠の今」である

    それでは今立てる生命は十五日巳前の生命の継続ではないことは解るが、十五日巳後の生命はどうなるのであるか。それが雲門禅師の垂示である。「今」立てる生命は「今」立てる生命であって、「久遠」が今このまま立っ

  • 私は憂えます。

    あなたは気づいているだろうか。それとも歯牙にもかけないかも知れない。[ロサンゼルス 9日 ロイター] - 実業家イーロン・マスク氏率いる宇宙企業・スペースXは、太陽表面の爆発現象「太陽フレア」で発生した

  • 昔流行りました。

    雲門はかういふやうに「今、今の生命を今生きる」といふ悟りを教へられたのは、あの睦州の陳尊宿に「秦のたくらくさん」と言って三度も門外へ閉め出されてからのことである。といふのは雲門が陳尊宿を三度目にたづね

  • 生命の続く限り、

    宋の時代479年頃に達磨大師は極東の國へ、み佛の教えを伝えるべく旅立ちました。「孫悟空(西遊記)」で有名な玄奘三蔵法師は、貞観3年(629年)、唐王朝に出国の許可を求めた。しかし、許されなかったため、国禁を犯

  • 忘却しているのかも

    【解釈】さて、雲門和尚といふのは、無門關第十五則「洞三頓」の項や、その第二十一則「雲門屎橛(うんもんしけつ)」の項に出て来る雲門文偃(ぶんえん)禅師である。碧巖の第五則にある雪峰義存禅師の法嗣である。

  • 経典を読んでも一度で理解

    第六則 雲門十五日~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~【本則】學す。雲門垂語して云ふ、十五日巳前は儞に問はず、十五日巳後一句を道ひ来れ。自ら代って云く、日々是好日。

  • 誰が為にか

    「肉體無し」といふことが判らねば大楠公の七生報国といふことも分からぬ。乃木大将の、一死ただ陛下に帰投せしところの眞實生命の荘厳さは判らぬ。曹渓山の慧能大師のやうに「菩提は本樹無し、明鏡は亦䑓に非ず、本

  • 生命の永遠を

    「身は是れ菩提樹、心は明鏡の臺の如し時々に勤めて拂拭して塵埃を惹かしむること莫れ」と書いたのに對して、「菩提は本樹無し、明鏡は亦䑓に非ず、本来無一物、何の處にか塵埃を惹かん」と落首して、遂に衣鉢を傳へ

  • 「神とは」

    某掲示板「神とは」の中でスレッド主の方のコメントがあり、稚拙ながらお答えさせて頂きました内容が面白かったので、ご紹介いたしましす。Q: 哲学者デカルト(1596~1650)は、「神の存在証明」を行った。人間は有限

  • 三百六十度轉回

    此處に人生観の三百六十度轉回がある。三百六十度は一回轉であるが、一回轉した後には同一の世界が其處にありながら内容がちがふのである。「物質はない」と言って「物質なる飯」とみとめて「飯」を排斥する如き人間

  • 生命に非ず 眞理に非らず

    何だか難しい公案のやうだけれども、何のことはない、これは「物質無」を説いたものである、「盡大地」を以って最も大きな「物質」の凝塊を象徴せしめた。併し「これは物質」として其處に撮みだして見たが、物質とい

  • 自己啓発サイト

    混迷せる時代スマートホンでも愉しめる自己啓発サイトー独り練成会ー のご紹介⭐️龍樹庵の鐘https://ryujuan.sakura.ne.jp ⭐️君は祖師の魂に触れたか祖師の魂を継ぐhttp://dainihon.sakura.ne.jp/koufuku/sp/ ⭐️ARAT

  • 具体的な顕れが自分で有る

    或る時雪峰義存禅師が「盡大地撮し来るに粟米粒の大いさの如し。面前に抛向す、漆桶不會、鼓を打って普請して看よ」と言はれたといふのである。随分大きなことを言ったものである。「盡大地」とはこの地上全體、地球

  • 良き知恵を授かっています

    それは第一義諦ではないから、嘘である。嘘の効用もないことはないけれども、兎も角、本物を眩ましているのであるから罪過が天に彌って一杯だと述懐せられたのである。併しこの方便の嘘と雖も、明眼ん智慧の眼明かな

  • 日常が大切であると

    説破…作麼生 云々と碧巖録だ、無門關だと尊師のみ名を振りかざし……さて、お前はお解って居るのか?と 問われ 甚だ 肌寒い処でございます。伝家の宝刀とばかりに振り回すと、思わぬ 落とし穴に嵌ります。雅春先

  • 根本眞理とは

    「南無阿彌陀仏佛と稱へたらどんなに罪悪深重の凡夫も救はれる」といふやうな説き方は「罪本来無し」と第一義諦を説いても解らない人達には、第二義諦に於いて「罪あり」といふ假程を其のまま肯定して置いて、さてそ

  • 肉体が有る間には判り難い

    あまりに正直で外國のスパイにでも、日本の機密を打ち明けたりする者がある。病人を診て「もうこれは結核の三期ですよ」といってその容態を正直に話し、病人の心気を萎縮せしめて自然良能力を衰退せしめ、その結果治

  • こちらの信念が変わったら

    「把住」と「放行」と兼ね備はるところに萬物は運行する。太陽系統が秩序整然と運行するのもこれは「遠心力」といふ「放つ力」と「求心力」といふ中心に引きつける力とが巻舒同時に調和して保っているからである。家

  • 人を佛身であると知ったならば

    斯く一切の人の實相を照見し「五蘊皆空」(色法も心法もすべて空である)と照見し、一切の人々が悉く佛心であると正見するも、「照見」だけでは力がない。「照用同時」でなければならぬ。照らすと同時にそれが「用(

  • 往き 往きて

    さて斯くの如く人の佛性を扶豎し開顕するには「照用同時、巻舒斉しく唱へ、理事不二、権實竝べ行ふ」べきであって、一つのものに凝り固まったら駄目だといふのが「一著を放過して」である。第一義諦、第一義門だなど

  • 實相を照らし見る

    さて斯くの如く人の佛性を扶豎し開顕するには「照用同時、巻舒斉しく唱へ、理事不二、権實竝べ行ふ」べきであって、一つのものに凝り固まったら駄目だといふのが「一著を放過して」である。第一義諦、第一義門だなど

  • 『今に生きる!』

    白隠禅師は、「若い衆や死ぬがいやなら今死にやれ一たび死ねばもう死なぬぞや」と歌ったさうであるが、白隠のやうに「今死にやれ」と言ひ、明極禅師のやうに「両頭ともに截断す」と言ひ、キリストのやうに「生命を捨

  • 「お上は何処。」

    傳へられることによると、大楠公は湊川戦死の前日、兵庫の廣嚴寺に明極楚俊禅師を訪れられたといふことである。大楠公は既に死を覺悟しておられたのでその死のときの心構えが聴きたいのであったのである。「生死交謝

  • 武道と相通じるもの

    【解釈】宗教といふものはReligionを明治初年に譯した語であると言はれているが、爰にそれよりずっと以前に「宗教」の文字があるのである。宗は宇宙の示教を言ふのである。「宗」のウ冠は宇宙の意味であり、その宇宙

  • しっかりと認識

    聖経『甘露の法雨』この聖経の“実在”の一節をご紹介させていただきます。天使また続いて説き給わく実在はこれ永遠、実在はこれ病まず、実在はこれ老いず、実在はこれ死せず、この真理を知ることを道を知ると云う。実

  • 瘦身失命を免れず

    第五則 雪峰盡大地【垂示】垂示に云く、大凡宗教を扶豎(ふじゅ)するは、須く是れ英靈底の漢なるべし、人を殺すに眼さつせざる底の手脚あって、方に立地に成佛すべし、所以に照用同時、巻舒(けんじょ)齊しく唱へ

  • 今、ここ

    かういふ名人の前に来て、三度も勘破された徳山のことだから、もう飛将軍が捕虜を入れて仕置にする庭へ引出したやうなものだ。「再び完全を得る能く幾箇ぞ」ーー再び身を完うして歸って来得る者が何人あらうか。「喝

  • 肝心ですね

    「愛」は神であり、神は「いのち」であるから、「愛」を感じないやうな者は智慧で「肉體」だの「物質無」だのと悟っても、それは「いのち」がないのであるから喪心失命である。孤峯山上で佛を罵り、祖師を罵り、教へ

  • 大人たる所以

    これは「果然」(待ってました)であるが、何のことぢゃ、もう融けた!霙もない、「點々、」滴々だ、だから圜悟の著語は「錯、果然、點」と重ねて書いてある。(著語の本文は混雑を防ぐために引用してない)頌の「一

  • 「喝!」

    そこで潙山は「此子は後になって孤峯頂上に向って草庵を結んで、佛を呵し、祖を罵りひとり有頂天になることだろう。悟っても弧峯の嶮しい者になったのでは人は救えぬ」と言はれたのである。雪竇はこれに著語して「雪

  • 魂の叫び!

    今日は朝から遅かりしが、明治神宮の初詣と、板橋区の氷川神社詣でを行わさせて戴きました。そして、帰宅後、SNSのキャッチボールをして居る内に。思わぬ事から、二つの貴重な情報を得てしまいました。神威、神意顕

  • ご参考にされて下さい

    さきほどフェイスブックのお仲間より、 下記の動画サイトのご紹介があり、 光明を見出した事を心より感謝申します。 https://nico.ms/so39919841?ref=line_cap_off

  • 理屈を言う前に

    徳山は「法堂を背脚して草鞋を著けて便ち行く」とあるから、法堂を背に振返りもせずに、草鞋をつけてトットと出て行った。もう勝った気持ちでいるらしいのである。無邪気といへば無邪気である。ここの處を圜悟は評し

  • 相見える

    禅宗で師に見(まみ)えることを「会見す」と言ふのださうである。師に見えるには師に見える道がある。禮儀作法の通りに則(のり)そのまま行はなければならない。禮儀作法の通り袈裟衣をととのへるのが「威儀を具し

  • 幸せな充実した人生を送るため

    さういふならば、お前は『生命の實相』のなかで「肉體無」「物質無」と旺んに説いているが、本當にその「無」がわかったならば何のために「無々」と言って一千三百萬部もその『生命の實相』を賣ったりするのか。さあ

  • 無に捉われ過ぎると

    併しながら肉體にも物質にも執著しながら理論だけで「無々」と言っているのによく似て居る。併しながら肉體にも物質にも執著しながら、理論だけで「無々」と言っているのでは駄目である。「これは無い」と認めるとき

  • 奥に変わらない本質が有る

    エジプトの有名なナセル大統領が、産業の発展の為にナイル河の上流にアスワンダムを建設しました。 するとナイル河流域には沢山の遺跡がありまして中でもアブシンベル神殿と云う貴重な遺跡が水没すると云うので、世

  • 背負ったままに

    本来東西なし、況や南北をやでである。日本は東洋だと言ふけれども、その日本よりも東にアメリカがある。それだのに、そのアメリカを東洋と言はずに、西洋だと言ふ。東より西へ西より東へ、地球上を廻ってみても、そ

  • 災厄除けの言葉

    災厄除けの言葉神は吾が光であり給い、吾が救いでありたまう。されば吾れ誰をか恐れんや。神は吾が護りであり給う。されば吾れ誰をか恐れんや。吾れは吾が経験する一切の事物のうちに吾れを導き給う神を感ずる。神が

  • 信仰は生き方を問われる

    さて本則の解釋であるが、徳山が龍潭に會って教へを受ける経緯は「無門關解釈」の第二十八則久響龍潭の項で説明して置いたから、同書の二百十四頁から二百二十三頁までを参照して頂きたい。ここでは同書と重複するか

  • 西方に十万億

    【解釈】晴天白日といふのは一點の雲も懸っていない實相のことである。青空には東西南北を劃する何物もない。それと同じやうに實相は無相にして無限相である。ここが阿彌陀佛の西方極楽浄土だと思へば、其處が既に西

  • 難解ですね

    第四則 徳山挟複子【垂示】垂示に云く、青天白日、更に東を指し、西を劃るべからず。時節因縁、亦須く病に應じて薬を與ふべし。且く道へ、放行するが好きか、把定するが好きか、試みに擧す看よ。【本則】擧す。徳山

  • 本能的にあがこうと

    カラリとして一つも引っかかりのない心境でる。病気が治りたいなどといふやうなケチな心で生長の家に来る人もあるが、さういふ人が治る過程は、どうして治るかといふと病気に於いて病気を見ず、馬大師のやうに其處に

  • 慢心していたら

    感謝の心境は最も調和した平和の心境であるから、血液の循環も順調になり、ホルモンの分布も適正になり、従って壽命のあるものなら病気が治るのである。生長の家に来て一切の感謝の道が分かれば、死ぬとか死なぬとか

  • 神を認識する

    さて、本則に移るのであるが、本則は甚だ簡単である。馬大師が不安であったとき、不安といふのは病気のことである。英語でも病気のことをdisease と云う。馬大師のこの時の病気は死病であって「我が朽質、来月に至っ

  • 此処にしたためられて

    「理」と云うものはひと筋のものであって、そんなにいく通りもの指導精神があるものではない。師の悟れる理念は弟子の悟れる理念に一致しなければならない。これが伝法である。禅宗に於いて伝法されたものは、師の體

  • お前どうして其れが判る。

    ところが、生長の家では、それを悟の側から観て、これは生命力の自療力だと言ふ。下痢が出てくれるので體中の不要物が流し出されて健康になるのである。熱が出てくれるので、侵入して来た病源體が死滅し易くなり、體

  • 質素で控えめで

    中峯和尚の信心銘義解に曰く、「吾祖は之を目けて至道そ曰ひ、唯佛は之を證して菩提と曰ひ、衆生は之を昧して無明と曰ひ、教中には之を彰はして本覺と為す」とある。悟った心で見れば、此のまま此處に極楽浄土現前で

  • 無相三昧

    佛教が概ね「否定の論理」を説いていて、「さうではない、かうではない、ああでもない」「無、無、無……」そして、「無も無い」と言っているのは、吾々は五官を通して視て、それをありのままと考えたり、「五官を外せ

  • 広大な宇宙

    【解釈】この垂示はなかなか面白い。蓋天蓋地いたる處に満ちている大用の現前に着目せよという意味である。ある人が私に揮毫して呉れと言ふから、「大用縦横」と書いて差上げたところが、大用は小用に對するもので大

  • 其れは無いものなんだ。

    あずさわ日記の掲載記事で生命の實相哲学に関しまして光明思想生命の實相哲学の創始者 谷口雅春先生のみ教えを其の儘お伝えする事にあります。勿論、導入部分や、尊師のお話の引用後に幾許かの説明や、紹介リンクが

  • 最近はお元気ですか?

    第三則 馬大師不安【垂示】垂示に云く、一機一境、一言一句。且く箇の入處有らんことを圖るも、好肉上に瘡を剜り、窠を成し窟を成す。大用現前軌則を存せず、且く向上の事有ることを知らしめんと圖る。蓋天蓋地、又

  • 自分らしく生きる事です

    さて、その時、その場に應じて「お早うございます」だの「往ってらっしゃい」だの、色々多種多様の挨拶があって、それを一々憶えていなければ可かぬかというと、決してそのやうなものではない。「一に多種あり」で、

  • 新しい日本の再生を

    新年あけましておめでとうございます新しい年を迎えて 新しい日本の再生を いにしえ の歴史から学びたいと思います。「大日本史」は明暦三年の修史局開館より、明治三九年迄二五○年もの間、光圀公の志を継承して

  • 茶の心

    或日岡田さんといふ婦人が私の道場に来られてこんな話をされたことがある。ーー「近頃は忙しくて一月に一遍位しか此の道場に来られませんが、何時来ましても、先生は壇上にお上りになると『お早うございます』と言っ

  • 世界中に通用する人間のかく有るべき理想なのであります。

    「さあ、どうだか知らんぞよでは、無責任ぢゃありませんか。そんなら何故先刻ハッキリ明白裏に在らずなどと答へたのですか」と一本やり込めるつもりで其の僧は食ってかかった。そのやうな師の語を捉へて一本やり込め

  • 夢を描け、

    ARATAMA(あらたま:掘り出したままで、まだ磨いていない。その真価や完成された姿をまだ発揮していないが、素質のある人。)今年もあとわずかです。前向きの年と致しましょう。https://azusawa.sakura.ne.jp 青年よ、

  • 日常が大切なのでは

    何も「道」は難しいことはない。「斯うだ。ああだ」と揀ぶ心、腐っていても食べなければ勿体無いーーなどと、妙に執する心も揀擇の心であるーー斯ういふ心さへも無くなったときこそ、それは明白の心である。ところが

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