与謝野晶子春はただ盃にこそ注ぐべけれ智慧あり顔の木蓮の花昨日は木曜稽古椿はほぼ終了代わりに庭の野草が芽をだし始めた葉を広げ蕾を抱く芍薬その足元に小さな地エビネ紫蘭それにシャガ(射干)別名は胡蝶花あとフタリシズカ鳴子百合宝鐸草窓の外には黄エビネ見上げると木蓮も蕾がある木戸のもみじは葉柄を長々と伸ばし始めいま丁度花を咲かせてる一部はプロペラの種を持っているこのところは庭に降りるのが楽しみだ写真はイノさんが送ってくれた某有名庭園の藤見事智慧あり顔の木蓮の花
定家風わたる池のはちすのゆふづく夜ひとにぞあたるかげも匂も今日は茶道具屋さんの茶会へ前回の茶会で傘を忘れたのをわざわざ送ってくださった感謝床は泉福寺焼経六十巻ある華厳経を書いたものチラチラ金箔が散る青緑色の料紙界は金泥平安の装飾経は焼けた様子もただただ美しい文化資産オンラインの説明は料紙は三層(表・中・裏)になっている。表と裏の層は藍染めした紙を混ぜて漉き直した紙であり、藍色の短い繊維が確認できる。さらに経巻の前半の料紙には金箔がまかれ後半には金箔と銀箔が散らされている。以前に古筆の授業で習った事だがすっかり忘れてたそのあと東美アートフェアーへ行ったがそこでも今度は三行の泉福寺焼経が額装で売っていた今見てきたばかりだから目に入ったのだろうがそれはまあまあ買える値段でも表具し直さないと使えないまくりをたくさ...池のはちすのゆふづく夜
ひなげしや夜ごと夜ごとのあけやすき龍之介写真はいつものパン屋さんのパンたくさん今日でお店を閉めるとのこと四時頃お疲れ様の缶ビールを持参重たかった頼んだパンを取りに行ったちょっと話すと泪が出ちゃうからそごうの横長の大きな紙袋をエイっと差し出したずっと続くとは限らないことを知ってはいるがお気に入りが一つなくなるのは残念好きなものが食べられなくなるのは残念でも良くあること次の美味しいパン屋さんを探そう今日は朝日カルチャー講義が終わった御手洗で同じ講義を受けた生徒さんから話しかけられた書道の先生かな私よりちょっと若いかな漢字を書いてるとのこと上手なんだろうなと思いながら暫しお喋りけっこう話が弾んで気持ち良いエレベーターを一緒に下りて私はそごう彼女は高島屋またの授業で会いましょう夜ごと夜ごとの
学びする机のうへの蚊遣かな蕪村変わらないんだ昔と今日もお茶のお稽古お稽古も楽しいけれどお顔ぶれがいつもと違うとお喋りも盛り上がる新しい情報が入ってまたまた楽しい今日の掛物は玉舟宗璠ギョクシュウソウバンちょっと参考の為と自分のブログを見てみると玉舟宗璠筆を間違えて天室宗竺テンシツソウジク筆と書いてあるではないか間違い、間違ったあわてて書き直す玉舟宗璠は185世天室宗竺テンシツソウジクは190世名前も似てるような似てないような玉舟宗璠ギョクシュウソウバンは表千家四代逢源斎江岑宗左に江岑の号を与え、玉舟宗璠の推薦により紀州徳川家の茶頭となったという。片桐石州は玉舟宗璠から宗閑という居士号を与えられている。とか。玉舟宗璠ギョクシュウソウバン1600-166869歳。江戸時代前期の僧。山城(京都府)...机の上の蚊遣カヤリ
凉風の曲りくねつて来たりけり一茶今日は木曜稽古外は暑いのなんの窓を開けとサウナ状態だ涼風が欲しいね朝、切った庭の木槿だが水があがらないので桔梗を入れることにしたミエ桔梗という変わった花花びらが三重になっているネットで探すとあった桔梗は、秋の七草として万葉集にも詠われている(朝貌の花)日本人に馴染みの深い花です。こちらは星型の花が三重に重なるユニークな咲き方をします。八重ではなく三重でミエ桔梗という凉風の曲りくねつて
弘法大師忘れても汲みやしつらむ旅人の高野のおくの玉川のみづ六玉川ムタマガワのひとつ高野タカノの玉川のうた今日は水曜稽古久しぶりに島ちゃんがベイビイを連れてやってきた歳はみっつハーフなので大きくて可愛いい男の子だ抱っこをしようと持ち上げたが重いのなんの20キロとてびくともせず膝の上にさえ乗らなかった抱っこしたかったのに残念掛物は大谷尊由の滝の画賛大谷尊由おおたに-そんゆ1886-1939明治-昭和時代前期の僧,政治家。明治19年8月19日生まれ。大谷光尊の4男。大谷光瑞の弟。浄土真宗本願寺派。日露戦争では清にわたり,従軍布教にあたる。明治43年同派執行長,大正9年管長事務取扱となる。昭和3年貴族院議員。第1次近衛内閣の拓務相。のち内閣参議,北支開発総裁をつとめた。昭和14年8月1日死去。54歳。京都出身。...高野のおくの玉川のみづ
命なりわずかの笠の下涼ミ芭蕉写真はサントリー美術館の小倉山蒔絵硯箱写真は禁止だがこの硯箱だけ撮っていいとのことで。作者は五十嵐派寸法(単位cm)幅22.8奥行25.5高4.2制作年代は室町時代15世紀総体黒漆塗とし高蒔絵と研出蒔絵によって、山並とその麓の景を描く。一部に青金を使用し、精粗の金粉を蒔き分け、さらに岩には金銀の切金を散らすことで陰影や暈を表す。蓋裏は各種金貝を用いながら住吉神社の社頭を表し、水滴は同社に縁の深い兎をかたどっている。見込は楓と筏の流れる川を描く。それぞれ小倉山、住吉神社、竜田川という和歌に詠まれる景を、この頃発達した技法を駆使して物さびた趣をもって叙情的に表現した中世の硯箱の名品。とにかく綺麗室町時代の蒔絵は最高だ笠の下涼ミ
小倉百人一首51番藤原実方朝臣かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひをかく→このようにだに→~すら、~さええやは~いふ→言うことができない「いふ」→「伊吹」掛詞「伊吹山」は、美濃国と近江国の国境にある山。さしも草はヨモギもぐさの原料で伊吹山の名物。伊吹のさしも草→「さしも」に掛かる序詞。今日は日本橋でお道具屋さんの茶会祇園祭がテーマとか華やかで雅びなること誠に結構そのあとお昼満腹でサントリー美術館へ歌枕あなたの知らない心の風景2022年6月29日(水)~8月28日(日)歌枕と聞くとすぐ一条天皇から「歌枕を見てまいれ」と言われて左遷されたという藤原実方の話を思い出す藤原実方フジワラノサネカタは平安時代中期の貴族・歌人。左大臣・藤原師尹の孫、侍従・藤原定時の子。官位は正四位下・左近衛中将。...かくとだにえやはいぶきのさしも草
若山牧水一枝に五つのトマトすずなりになりてとりどりに色づかむとす今日はサカチカさんの茶事水屋と半東を担当する朝9時到着殆ど亭主のサカチカさんが済ませてあるのでちょっとだけ準備して集中する種火の三炭と火入の小さな炭をおこしす御客様は三名様くみ出し碗を冷蔵庫で冷やして冷やし水を入れたのを亭主が待合へ持出す茶事が始まり一日はあっという間に過ぎる達成感のある一日気分良く家に帰り何でもかんでもムシャムシャ食べる爽快感これで太らないと良いけど御客様から手作り夏野菜を頂戴しトマトもたくさんあって私もたくさんお裾分け写真は今日のサカチカさんの花花入は唐物業体先生のお花の本に良く似てるのがのっていたっけねトマトすずなり
今日は招かれてお弟子様の秋さんちへわが家で一緒に行く森金さんと紅ちゃんと待ち合わせタクシーを呼んですぐ出掛けた迎車料金を含めて900円だから近いとても近い秋さんちは露地も茶室も工夫してありびっくりした楽しい時間だ軽いつもりで行ったが四つ椀での懐石完全に茶事だ着物で行ってよかった懐石は中国の四川出身ならで初めての料理が次々と出る菓子も四川のを取り寄せたとのことびっくり秋さんならではの茶事よかった秋さんちの茶事びっくり
うつくしや雲一つなき土用空一茶今日は土用の丑の日めっぽう暑かったお寿司屋さんが店の前で蒲焼弁当を売っていたが私めは食べられず全く興味なし安上がりのお弁当で満足土用の食い養生とかで春の土用の丑には「い」、夏の土用の丑には「う」、秋の土用の丑には「た」、冬の土用の丑には「ひ」の付く食べ物をとると良い特に夏の土用の丑の日には鰻を食べる風習が江戸時代からみられるとネットでみたその暑い中銀行と郵便局下ろして振込しなければと近くのATMへ行くが7月中頃閉鎖したと貼紙あり困った歩いて七分の駅近くのATMへそれから郵便局の振込したゆうちょ口座を持って行かなかったので振込手数料がかかるとか出直すのも嫌だし手数料仕方ないか帰りにいつものパン屋に行くと7月末で閉店すると挨拶された驚きクリスマスのシュトレンが食べられない悲し日陰...雲一つなき土用空
常夏の花をだに見ばことなしに過す月日も短かかりなむ(後撰和歌集・夏)今日は木曜稽古届いた練りきりの主菓子銘は「常夏」とあるお弟子様が常夏と葉なんですかと聞くが常夏とはなでしこの事よ辞書には常夏とは→ナデシコの古名。《夏から秋にかけて咲くところから》源氏物語にも常夏とは→源氏物語第26巻の巻名。光源氏、36歳。常夏とはなでしこの事写真は「ふくもと」のお料理南京餅とアスパラと牛肉が入ってる南京餅の中身はカボチャ常夏の花をだに見ば
今日は水曜稽古掛けものは妙心寺の一行遠山無限碧層層エンザンカギリナシヘキソウソウ『碧巌録』第二十則堪對暮雲歸未合、遠山無限碧層層。タイスルニタエタリボウンノカエッテイマダカッセザルニエンザンカギリナシヘキソウソウ『新版禅学大辞典』には、「山また山と限りなく重なり、青また青と限りなく続くこと。悟りの上にさらに悟りがあり、向上の道の無限を示したもの」とある。柴山全慶編『禅林句集』には、「句のまま。本地の風光。言外無限の悟りの妙趣」とある。『禅語字彙』には、「山また山と、遠近次第に相重なり、青また青と、限りなく続いてゐる。禪旨あり、參じて知るべし」とある深い深く読めばより深いが単純に山が連なる風景を思い自然の雄大さを感じられればそれで良しとしよう写真は土曜日に行ったふくもとのお料理遠山無限碧層層エンザンカギリナシヘキソウソウ
学びする机のうへの蚊遣かな蕪村今日は書道部十時から午後四時までお習字のお稽古だ臨書は高野切の一の手だ高野切は、『古今和歌集』の現存する最古の写本。仮名書道の最高峰とされ『古今和歌集』の勅撰より約150年後の11世紀中期に書写されたもの。はじめは二十巻あった。料紙は、上質の麻紙。表面に雲母砂子を散らす。全20巻を3人で分担書写したいわゆる寄合書である。第一種の書風は、秀麗温雅。字形は直筆を主とし。くせがない。連綿は控えめである。この書風は今日に至るまで仮名書道の手本として尊重されている。書き始めるまでまずはお湯を沸かし珈琲とお菓子とでほっとするお習字に関係のないちょっとした片付けにいそしみ次はお習字道具をあれこれ広げているとお昼の時間お昼を食べてひと休みそろそろ墨を磨りはじめ規定の仮名を書く思うように掛けず...机のうへの蚊遣かな
すずしさや水に柳の影法師宗鑑今日はお弟子様の森金さんのお茶事朝八時半到着私は水屋と半東役寝坊しないように頑張って起きてタクシーを呼んで出掛けたお菓子は虎屋の金魚の入ってる錦玉名前は忘れた干菓子は太市の朝顔と葉それと北海道の干琥珀いずれも涼しそう写真を取れば良かったが忘れた写真は苧環オダマキの葉ばかり水に柳の影法師
祇園會や真葛原の風かほる蕪村今朝、BSで祇園祭の生放送があったいいな京都今日は朝日カルチャーの茶の世界という講座へ今回は先生が二文字の灰型を実際に押して見せて下さりそのあとにはお菓子とお薄を頂戴したたまたま吸い寄せられるように座った席挨拶をすると、お隣さまは知りあいだった私の四十代の時によく御一緒したAさんだったお話しをするのも懐かしく嬉しまた、講義と実技を拝見してお茶のお勉強をしましたという感じ良かった灰型の作り方は私が習ったのとは違っていたが次はこれでやってみようお話では月によって灰の量も変える暑いときは炭の火を見せないように灰を多くし秋になり涼しくなった頃は灰を低くして火を見せる炉もはじめは平釜それから深い釜を使いながら二月は一番大きくそれから小さくなるとのお話し炉の灰は炉開きの頃は灰も少ないが炭の...祇園會や
西行おのづから月やどるべきひまもなく池に蓮の花咲きにけり今日はふくもとで食事会幸せなときだ食事がすむとお店の森林さんから写真のチョコレートを頂いた末富の包装紙に似たパッケージだ嬉しいお稽古の時にみんなで食べようそのあと今日が初日の根津美術館へ企画展「よめないけど、いいね!根津美術館の書の名品」開催期間:2022年7月16日~8月21日月やどるべきひまもなく
与謝野晶子紫の睡蓮の花ほのかなる息して歎く水の上かな今日は朝日カルチャーへ志野焼のお勉強室町時代の茶人・志野宗信が美濃の陶工に命じて作らせたのが始まりか資料がなく不明とのこと土砂降りの中お盆なのでお坊様が棚経をあげに見えた写真は高畠式部の朝顔の短冊一部読めない紫の睡蓮の花
今日は木曜稽古朝の九時から稽古が始まる夜の部がなかったので夜はゆっくり久しぶりに広島の凛様から懐かしい電話それから九十四歳のエムイー先生からのお電話一時間位お話しをした私めが淡交歌壇に何度か短歌が載ったことがありそれを今も楽しみに淡交を見てると仰ってらっしゃるがこのところ全く投稿していないから載るはずもないのです先生ご免なさい次からは頑張ります今日の掛軸は瀧直下三千丈の一行それと香川景樹の詠草内容は2020/07/08に自分で細かく書いてた夏瀧ナツタキ香川景樹裁タち縫ヌはぬこや山姫ヤマヒメの白重シラカサね涼しく見ゆる瀧の色かな夏瀧ナツタキ
藤原定家菅の根や日かげもながくなるままにむすぶばかりに茂る夏草今日はお彼岸の入り水曜稽古お菓子屋さんから届いたお菓子は朝顔の生菓子とおはぎ秋のお彼岸に食べるのがお萩、春のお彼岸に食べるのが牡丹餅。と言うがでも、最近は季節にかかわらず、通年「おはぎ」夏と冬夏は夜船、、冬は北窓と言うらしい理由は、ご飯をつぶして作るおはぎは、お餅のようにペッタンペッタンと音がしないので、いつ作っているのかわからない夏は搗(つ)き知らず→着き知らずとなり、夜の船はいつ岸についたのかわからないから。冬は搗(つ)き知らず→月知らずとなり、月が見えない北の部屋の窓と言うことで北窓となった。とネットにあると御弟子に聞いたが知らなかった茂る夏草
写真は浪の図箱裏に古筆の極めが直に書かれてある落款は法眼古川叟筆と小さな小さな文字で書いてある狩野常信カノウツネノブ寛永13(1633)~正徳3(1713)江戸時代前期の江戸幕府に仕えた御用絵師。木挽町狩野家。父は狩野尚信。幼名は三位、右近と称。養朴・朴斎・耕寛斎・紫薇翁・古川叟・青白斎・寒雲子・潜屋・弄毫軒、篁渚山人など号す。京都出身。1650年(慶安3年)4月父の尚信が没した後、15歳で狩野派(木挽町狩野家)を継いだ。同年12月剃髪、養朴と号し家光にお目見え、後に家綱の御用を勤めた。父没後は狩野探幽に画を学んだとされる。古来より狩野元信・狩野永徳・狩野探幽とともに四大家の一人とされ高く評価されてきたが、狩野派内での地位が上がるのは遅かった。これは叔父で妻の父でもある狩野安信に疎んじられたからだと言わ...狩野常信カノウツネノブ
写真は浜離宮の青の竜舌蘭リュウゼツラン数十年に一度だけ花を咲かすとか写真は6月の時なのでもはや咲いただろうか・葉の形を竜の舌に見立てた名前。・地面近くの”葉”はすごく固く、巨大なトゲがたくさんある。・葉のしぼり汁を醸造してテキーラを作る。・花はめったに咲かないそうで、ニューッと5m以上の花柱が伸びてくると、「70年に一度しか咲かない花が咲く!」ということでマスコミにとりあげられ、話題になる。花が咲くとそのあとで枯死してしまう。でも枯死する寸前に子株を根元のところに作っておき、しっかりと子孫を残すそうだ。(季節の花300ヨリ)青の竜舌蘭リュウゼツラン
「粘葉本和漢朗詠集」デッチョウボン ワカンロウエイシュウ
和漢朗詠集はもともとは藤原道長の娘の威子イシ入内ジュダイの際の引き出物の屏風絵に添える歌として撰集され、のちに公任の娘が藤原教通(道長五男)と婚姻を結ぶ際の引き出物として、朗詠に適した和漢の詩文を達筆で知られる藤原行成が清書し、それを冊子として装幀されたものといわれている。「粘葉本和漢朗詠集」デッチョウボンワカンロウエイシュウ「権跡朗詠ゴンセキロウエイ」ともいわれる。料紙は中国渡来の装飾紙・唐紙上下2冊明治11年(1878)近衛家献上。文字は楷書・行書・草書をまぜ,仮名を加える。料紙は布目,綾目の茶,赤,藍,黄などの各色に唐草,雲鶴,亀甲,唐花,野菊,鳳凰丸の文様を雲母摺キラズリした唐紙を用い,華美を尽している。古筆の典型とされている。写真は定家像「粘葉本和漢朗詠集」デッチョウボンワカンロウエイシュウ
風姿花伝フウシカデンに「まづ、この道に至らんと思はん者は、非道を行ずべからず」とある非道とは→専門外の道とのこと能では能学以外の事はするなと言う事以前お茶の先生から言われたことがある私が長唄をやってみたいというと「お茶以外の稽古事はしないように」と言われたが同じことだろういにしえの頃から稽古ごとを極めんとすれば非道は行わない方がお勧め又この後に「ただし歌道は風月延年のかぎりなれば最もこれを用ふべし」とあって歌道は必ずやりなさいとうのだ写真は,熱海のMOAのお茶室の裏風姿花伝フウシカデン
紀貫之ひととせにひとよとおもへどたなばたのあひ見む秋の限なきかな今日は七夕五節句の一つだ。中国の乞巧奠キコウデンと日本の「たなばたつめ」をあわせて奈良時代から行われていたようだ江戸時代には民間にも広がった。書道や裁縫の上達を祈るもの。昨日の木槿はしぼんでしまい今日の花がない花を切りに花鋏とおおきな紙袋を持って朝6時家を出るがはたから見ると怪しい人物だろう花の枝をいくつか切るその宗旦木槿と庭の水引を篭に入れたのだが午前中に庭の木槿が咲きましたねとお弟子様に言われて驚いたなんだ咲いてたの灯台もと暗し取りに行くことなかったのに観察力注意力不足無駄な事してしまった写真は今日のお菓子朝顔別名は牽牛花ケンギュウカ「朝顔や客が好みの立ち話」水原秋桜子ひとよとおもへどたなばたの
柿本人麻呂一年に七日の夜のみ逢ふ人の恋も過ぎねば夜は更けゆくも今日は水曜日花がないので表通りに咲いている木槿を取りに行った大きな紙袋を持って鋏も持参確信犯だからお縄になるかもうちの木槿よ早く咲いて写真は巻物古今和歌集素性法師の七夕の和歌を開いてある今宵こむ人にはあはじ七夕のひさしきほどに待ちもこそすれ今宵こん
今日は読売カルチャー茶話指月集チャワシゲツシュウ『茶話指月集』は利休の孫千宗旦から聞いた利休に関する茶話を、高弟藤村庸軒が書き綴り、久須見疎安が編集して、江戸中期の元禄十四年に刊行した板本。そのはじめの方に正親町天皇の禁中茶会のとき秀吉から「綱位」を下される機会があったが利休はこれを受けず居士号を称することを請うた。とその【綱位コウイ】の解説僧綱 ソウゴウの位。古くは僧正・僧都 ソウズ・律師。のちに法印ホウイン・法眼ホウゲン・法橋ホッキョウ が加えられた。(日本国語大辞典ヨリ)今度は【僧綱ソウゴウ】がわからない僧綱ソウゴウとは日本における仏教の僧尼を管理するためにおかれた僧官の職である864年(貞観6年)には僧綱ソウゴウに対応する僧位として僧正に法印大和尚位、僧都に法眼和上位、律師に法橋上人...法印ホウイン・法眼ホウゲン・法橋ホッキョウとは
水うてや蝉も雀もぬるる程其角今日は雨が降ったり止んだり遠くには台風が出来て九州地方に上陸するかもどおりで体が重いし具合が悪いサカチカさんが道具の出し入れを手伝いにきてくれた私はちょっと動くと疲れてしまいごろり横になっているお天気病とか気象病という症状写真は知らないおうちの背の高い百合の花一本がまもなく開花するところ蝉も雀もぬるる程
ぬけがけの浅瀬わたるや夏の月蕪村今日は久しぶりに美術倶楽部の正札会へ昨日は混んでいたようだが今日はすいている買いたい人は初日午前中に行くもの私はゆっくりだかつて私は某所で毎月ひらかれる色々な種類の茶事に参加していたそこで使われるお道具は古いものが多く大層勉強になったものだがある薄器は「堺庄サカショウ」という作家だった聞いたこともなかったしいったいどのような人物か色々調べてみたが不明ずっとモヤモヤのまま今日の正札会の並べられた品の中にその名前の薄器があったお値段は二十二万円ほどの高価なものそれを見つけて一緒に行ったサカチカさんとそれについてあれやこれや話しをしているとその持ち主の道具屋さんが親切に作家の事を教えてくれたずっと何年もわからなかったのに暑いけど今日出かけたおかげで解決納得ちょっと爽快感それ買えな...ぬけがけの
かたまりし暑さの果や雲の峰千代女今日も暑かった香の_崩し字の読み方伊勢物語絵巻の詞書コトバガキを読む筆者は愛宕通福オタギミチトミ、、あぅ愛宕通福オタギミチトミは寛永11(1635)~元禄12(1699)66没江戸時代の公卿愛宕家オタギケの祖であり中院通純ナカノインミチスミの猶子ユウシ権大納言従二位詞書コトバガキはむかし、男ありけり。いかがありけむ、その男すまずなりにけり。のちに男ありけれど、子ある仲なりければ、こまかにこそあらねど、時々ものいひおこせけり。伊勢物語94段の途中まで読んだかたまりし暑さの果
与謝野晶子七月やうすおしろいをしたる風歩み来りぬ木の下行けば今日から七月カレンダーをめくる今日は金曜日暑いので外へは出ない冷房をかけて前から干してある茶碗をかたずける茶碗や水指を箱に入れもとの場所に戻す七月のお茶の用意をするたいした運動量でもないのに疲れる休んでばかりではかどらない写真は火曜に出かけたMOAの庭七月やうすおしろいをしたる風
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与謝野晶子春はただ盃にこそ注ぐべけれ智慧あり顔の木蓮の花昨日は木曜稽古椿はほぼ終了代わりに庭の野草が芽をだし始めた葉を広げ蕾を抱く芍薬その足元に小さな地エビネ紫蘭それにシャガ(射干)別名は胡蝶花あとフタリシズカ鳴子百合宝鐸草窓の外には黄エビネ見上げると木蓮も蕾がある木戸のもみじは葉柄を長々と伸ばし始めいま丁度花を咲かせてる一部はプロペラの種を持っているこのところは庭に降りるのが楽しみだ写真はイノさんが送ってくれた某有名庭園の藤見事智慧あり顔の木蓮の花
海棠の花のうつつや朧月其角今日は水曜稽古雨が降ったり止んだり暑かったり寒かったり春の気候は疲れるね稽古の花をまずは切り取りしばし流し水にしておくとよく水が上がる鳴子百合が可愛らしい炭手前は自在に手取釜もうひとつの炉は裏鏊釜ウラゴウガマの透木の扱い炭手前は初炭手前後炭手前に盆香合初炭所望後炭所望などそれに大炉吊り釜透木釜茶飯釜など色々炭手前は楽しい朧月
藤原定家春のおる花のにしきのたてぬきにみだれてあそぶ空のいとゆふいとゆふとは①春の晴れた日に、蜘蛛の子が糸に乗じて空を浮遊する現象。蜘蛛の糸が光を受けて流れ乱れるさまは、薄い絹織物にたとえられる。また、蜘蛛の糸が光の加減で見えたり見えなかったりするところから、あるかなきかのものにもたとえられる。遊糸(ゆうし)。《季・春》②春あるいは夏の晴れた日に、地面から立ちのぼる気。陽炎(かげろう)。③「いとゆうむすび(糸遊結)」の略。(コトバンクより)写真はうちの猫ミーちゃん写真を撮られるのが嫌い寝てるかと思ったら薄目あいてる空のいとゆふ
大伴四綱ヨツナ藤浪の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君大伴四綱オオトモノヨツナ奈良時代の官吏。天平(729-749)初年のころに大宰府防人司佑(さきもりのつかさのじょう)をつとめた。17年雅楽助(ががくのすけ)となり,正六位上をさずかった。「万葉集」に歌5首がおさめられている。名は四縄ともかく。今日は東京美術倶楽部の「和美の会」4月の今日13日と14日にひらかれる全国の有名茶道具商が集まっての展示即売会拝見するだけでとても勉強になるのだお道具屋さんがカタログを送ってくれたけど何も買わないのでいや買えないので手土産にお菓子を持っていった三階のお店の場所を確認し早足で行くがそのブースの椅子に年配の男性が座ってる確かに見たことある人だ「駄菓子ですが」と手渡したところが一軒店を間違えていた目指すは隣の店だっ...藤浪の
大伴家持うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば今日は木曜稽古蛭釘に自在を吊り手取釜を掛けるもう一つの炉には裏鏊釜(うらごうがま)で透木の扱いのお稽古炉の茶の湯もあとわずか裏鏊釜ウラゴウガマは天命作の鏊ヤキナベの底が見事であるところから考案されたと。鏊ヤキナベをさかさまにし、底に穴をあけ釜の口とし、これに別に作った底を後から取付け釜に仕立てたもの。とか宗旦好みは、釜の胴と底の部分に段があり、裏に左右に二つづつ計四つの賽の目の鐶付が付き、そこに鉄の舌のような形をした端立を差し込んで透木に掛けて使用。今使ってるこの裏鏊釜ウラゴウガマは黒豆さんから頂いたもの上記と同じようなのでどうやら宗旦好みらしい写真は我が家の紅葉先週からの雨で物凄いスピードで成長してる葉が伸びてきたなと思ったら紅...うらうらに照れる春日
源具親ミナモトノトモチカ難波潟かすまぬ波も霞みけりうつるもくもる朧月夜に源具親ミナモトノトモチカは鎌倉時代初期の公家・歌人。村上源氏俊房流、右京権大夫・源師光の次男。官位は従四位下・左近衛少将。小野宮少将と号す。新三十六歌仙の1人。今日は水曜稽古和歌色紙を掛ける筆者は中園季定ナカゾノノスエサダ1627-1686公卿。中園家の祖。高倉嗣良の末子。小倉実起の弟。従二位参議。貞享3年(1686)歿、60才。朧月夜に
潅仏や蔦の若葉もあゆみそめ千代女灌仏カンブツとは1仏像に香水(こうずい)を注ぎかけること。また、その仏像。浴仏。2「灌仏会(かんぶつえ)」の略。今日は灌仏会、花まつり月に一度、古筆の勉強会伊予切。大正13年に分割されるまで伊予松平家に伝わった為。『和漢朗詠集』を書写した粘葉装冊子本。伝称筆者を藤原行成(972〜1027)とするが、「高野切」第三種表に藍と紫の飛雲を漉き込み、表裏に雲母砂子を撒いた白鳥の子の料紙上下二帖の筆跡は三種に分かれて①伊予切の第一種上巻の前半(高野切第三の古筆と同筆)②伊予切の第二種「秋夜」の後半以降と下巻のはじめ十二頁まで③伊予切の第三種その他は後世の補写か難しいね写真は今日のランチ蔦の若葉もあゆみそめ
土岐二三火宅ともしらで火宅にふくめしは直に自在の鑵子なりけり土肥二三どひ・じさん生年:寛永16(1639)没年:享保17.1.6(1732.2.1)江戸前期の茶人。土岐二三とも。名は豊隆,通称孫兵衛。生没年には異説もある。三河吉田の牧野成貞に仕え,物頭役200石。茶,琵琶,香にすぐれ,伽羅の名香や銘「杜鵑」の琵琶を所持した。茶の湯は織田貞置に有楽流を学ぶ。元禄3(1690)年致仕して京都岡崎に隠棲。自在軒と号。近衛家煕,鷹司輔信らと交流,数寄者として知られた。(朝日日本歴史人物事典)今日は土曜日着物を着て銀座谷庄の茶会へそのあとは綱島のふくもとで食事会平和で満点の一日写真はお花見のような口取り火宅ともしらで
写真は加藤義清春花の乱れ心に似ぬものや梢ににほふ春の夜の月加藤義清カトウヨシキヨ元治元年(1864)~昭和16年(1941)享年78歳歌人・御歌所寄人。名古屋生。号は蕉陰・鏡迺舎。菊間平八郎の五男、加藤安彦孫娘婿。従五位・勲五等に叙せられる。著書に『火筒のひびき』『渡るに安き安城の』等がある。以前にアップしたものコピーしたもの昨日は木曜稽古今日は半年に一度のガンの検査異常は無しです手術してから十年経ちましたね今までのように検査は半年でなくてもという先生いえいえ私目心配性なので今後もお願いいたしますはいではそうしましょう春の夜の月
江戸人は上野をさして春の山子規今日は月に一度の小熊の花月廻り炭と濃茶付花月午前と午後の斑それぞれ一回ずつ《廻り炭之式》無学宗衍ムガクソウエン江戸後期の臨済宗の僧。大徳寺三百七十八世。無学は字、宗衍は諱、把不住軒と号する。玉林院の龍門宗禹の法を嗣ぎ、のち明和4年大徳寺に出世。後桜町天皇より至聖大妙禅師の勅号を賜る。寛政3年(1791)寂、71才。その無学の廻り炭の偈頌ゲジュは端的底看聻タンテキテイニミヨニイ炭をつぐことの極意どうやって炭を置けば最も火がおこりやすく無駄がないか湯の沸く時間みかたや置き方を修練する一人一人の炭のつぎ方を拝見してその風情や変化を学ぶもの無理なはさみかたをして炉壇を傷つけたり次の人が炭をあげるのに困るような置き方をしては極意とは言えない炉の時のみの廻り炭思ったより時間がかから...江戸人は上野をさして
春水や四条五条の橋の下蕪村今日は読売カルチャー高山右近タカヤマウコン安土桃山時代の武将。キリシタン大名。名は長房、重友、友祥(ともなが)。右近は呼び名。洗礼名ジュスト。織田信長、豊臣秀吉の臣として戦功があり、高槻・明石に封じられた。禁教後マニラに追放され客死。茶人としてもすぐれ、利休門下七哲の一人。天文二一~元和元年(1552~1615)キリシタン大名とは室町から江戸にかけ、当時のカトリックの教徒となった大名。九州の大友宗麟、大村純忠、有馬晴信、近畿の高山右近、小西行長等がいる利休七哲と前田利長(加賀の肥前)、蒲生氏郷、細川忠興(三斎)、古田織部、牧村兵部、高山南坊(右近)、芝山監物の七人これは千宗旦(利休の孫)が話したもの。その後、七人のうち前田利長を外し、瀬田掃部に入替えられている。写真の椿は羽衣四条五条の橋の下
大江千里照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき照り渡るというのでもなく、完全に曇ってしまうというのでもない春の夜の、ほのかなおぼろ月夜の風情に及ぶものはない。今日は五島美術館お友達の茶会だ濃茶に薄茶点心は三友居三月晦日晴天心地よい風が茶室に入ってくるお茶会日和だ五島美術館の建物は、吉田五十八ヨシダイソヤ1894-1974の設計寝殿造の意匠を随所に取り入れた建物だ古経楼にて濃茶薄茶富士見亭で点心若返り饅頭のお土産を頂戴したこの2つの茶室は本館と共に国の登録有形文化財(建造物)になった写真は五島美術館茶室の横あたり朧月夜にしくものぞなき
鷺烏雀の水もぬるみけり一茶さぎカラスすずめの水も…大自然の水辺の風景今日は一気に春めいてきた庭の椿も満開写真はおともだちから玄関ドアに掛けてありますとメールのあった銀閣寺のお菓子水もぬるみけり
斎藤茂吉鳴り傳ふ春いかづちの音さへや心燃えたたむおとにあらずも今日は食事会いつもの綱島ふくもと出かけるときは暴風雨途中からバスに乗り込んで来た森金さんはすっかり濡れ鼠傘をさしても濡れたらしいお花見の食事会今日は六名食事お酒ともに美味しい最年長88歳を筆頭に83歳80歳のお顔ぶれ一番若手は48歳皆明るく賑やかにほろ酔いの中でお開きした空は晴れ午前中とは大違い写真は焼き筍と桜鱒の木の芽味噌蕗の薹の天ぷらとはじかみはじかみとは金時生姜の一種を茎や根が柔らかくなるよう温室で軟化栽培したもの。見た目が矢にそっくりなので「矢生姜」とも。焼き魚に添えられ紅白の彩りと口直しピリッとした辛さと甘酸っぱさが魚の臭みを消してくれて、脂っぽくなった舌をさっぱりさせる。春いかづちの音さへや
九条良経葛城の峰の白雲かをるなり高間の山の花盛りかも九条良経クジョウヨシツネ平安末期から鎌倉初期の公卿・歌人関白・九条兼実の次男官位は従一位・摂政、太政大臣九条家2代当主後京極殿と号した通称は後京極摂政ゴキョウゴクセッショウ中御門摂政ナカミカドセッショウ昨日は水曜稽古だったが疲れてしまい早い時間に寝てしまった今日は木曜稽古朝はまだ寒し雨が降ってる暑さ寒さも彼岸までとは言うがまだ寒い峰の白雲
春寒や道ほそぼそと阿弥陀堂青畝青畝今日は天気が悪いお弟子様達は根津美術館での茶会へ朝から雨だ着物で出かけるのは大変だろう根津美術館の茶室は庭に点在している飛び石や石の階段草履での異動は足元が不安定私のような足弱は危険でもある転んで怪我でもしたら大変元気なときに行くべきだろう昨日の夜のことスマホに充電をしようと口金をセットすると画面に緊急メッセージ水気があるからダメですダメです乾いてからにしてくださいというようなのが出たそういえばスマホに珈琲を掛けてしまったよく拭いたつもりだが取りきれてなかったのだろう自然乾燥とのことでしばし触れない壊れてしまうかも電池もゼロだしもうこのスマホを使えないかも調べたいこともあったし友人に連絡も取りたかった寝るときの睡眠導入のユーチューブは見れないから寝付きが悪かったストレスで...春寒や道ほそぼそと
ゆき暮て雨もる宿やいとざくら蕪村外は小雨今日はお茶碗研究会唐津茶碗のお勉強唐津は種類が多い無地唐津黒唐津斑唐津彫唐津瀬戸唐津三島唐津献上唐津奥高麗茶人の好む茶碗に一楽二萩三唐津と言うまた一井戸二萩三唐津とも言う彫唐津は織部好み岸岳飯洞甕下窯キシダケハンドウガメシタカマ口辺は不規則な五角形高台低く二重高台のもあるとのこと長く勉強していたのに記憶してなかった焼物の勉強もお茶と同じで卒業がない写真はこぶし姫こぶしかも小雨のなか花が咲いているゆき暮て雨もる宿や
藤原定家鏡山みがきそへたる玉椿かげもくもらぬ春の空かな今日は根津美術館へその後サントリー美術館根津美術館は二回目なのでゆっくり確認しつつ回る奥高麗も二度め瀬戸唐津や皮クジラも奥高麗に含まれるらしい展示室5では雛人形と百椿図百椿図とは江戸時代に植物への興味が募り園芸趣味が流行った頃椿の絵は狩野山楽数多くの異なる種類の椿を集め椿のあらゆる姿を濃厚な彩色と的確な筆致で狩野山楽が描いている。賛は江戸時代前期を代表する禅僧、茶人、公卿や武士、連歌師、国学など文化人たちが、漢詩や和歌などの賛を寄せており、椿愛好の高尚をうかがわせる写真はお昼東京ミッドタウンにてこの後グラスワインを頼んだかげもくもらぬ春の空かな
大江廣海かたおかの毛山のひごもりうち霞いがきをもるる春の初風昨日は木曜稽古掛けものは懐紙春懐紙というように春にふさわしいといわれる掛けものだ筆者は大江廣海オオエヒロミ明和6-天保51769-1834江戸時代後期の国学者だ。字は景迹。号は檉園、健斎。村田春海に学び、京都で活躍した。とのこと詠社頭初春ひごもりとは農作業の安全と豊作を祈願し氏神様や天神様の境内でお酒やごちそうを楽しむ。日中に境内に籠もることから日籠りというようだいがきとは「斎垣」と書くようだ(みだりに人の入ることを許さない)神社のまわりの垣。玉垣。瑞垣(みずがき)。七十四歳になったがまだまだ知らない言葉がたくさんあるはるのはつかぜ
くれなゐの梅ちるなべに故郷(ふるさと)につくしつみにし春し思ほゆ正岡子規今日は水曜稽古午前中は昨日よりあたたかかったが午後から急に天候が変わり嵐のような風が吹き激しい雨にあられひどい天気だった私は午後から重たかった身体がいつの間にか軽くなり昨日からの不快感は消えていたおとといくらいから何だが具合が悪く朝は起きれない起きたくないのだやっとのこと立ち上がると足元がフラフラしてる捕まりながら動くなどこの二,三日はなんとなく身体が重く具合が悪い感じだったそれはお天気のせいだったようだ私はお天気病ネットを見ると天気の影響を受けて発症したり、症状が悪化したりするものは「気象病」と呼ばれており、原因は気圧変化、気温変化、湿度変化と言われている。写真は「つくし」を五本貰った土筆(つくし)「付子」とも書くつくしは木賊(とく...つくしつみにし春し思ほゆ
西行ませにさく花にむつれて飛ぶ蝶の羨しきもはかなかりけり〈ませ〉とは竹・柴を荒く編んでつくった垣。まがき。 今日は木曜稽古透木釜ともうひとつの炉には自在と手取釜手取釜の名称は室町時代末以後の茶会記に数多く見受けられ、この頃、天命(現在の栃木県佐野市)で盛んに鋳造されていた。とネットに見つけた写真は庭の二人静千両科。センリョウ属・2本の花穂の先に米粒のような白い花をつける。花穂は1本や3本、4本のときもある。・静御前とその亡霊の舞姿にたとえた。<静御前>源義経の側室で、吉野山で源頼朝に捕らえられ、鎌倉の鶴岡八幡宮で義経を慕う歌を歌いながら一人で舞を舞った。似ている植物に一人静があるこれも千両科。センリョウ属花にむつれて飛ぶ蝶の
紀貫之池水に咲きたる藤を風吹けば波の上に立つ波かとぞ見る今日の掛けものは大徳寺510世の上田義山「無」「無」と言えば趙州ジョウシュウ和尚、因チナみに僧問う、「狗子クシに還って仏性有りや無しや」。州云く、「無」。これは無門関の第一則「趙州無字」犬にも仏のいのちがありますか、または無いのでしょうか。趙州答えていわく、「無」。この無とはあるなしの無を超越した無だというがさてさて難しい池水に咲きたる藤
春の川橋を渡れば柳哉漱石今日は食事会薫風自南来の軸がかかる難しいことは何も考えずお喋りをしながらお料理を食べるしあわせ写真はその内の一品信楽の長皿に桜鱒の木の芽味噌海老のあられ揚げ蕗の薹の天麩羅白魚シソ巻き天麩羅海老の頭空揚げ渡れば柳
行く春や鳥啼トリナキ魚の目は泪芭蕉今日はお招きを受けてお友達の華甲の茶事へ想窓庵様とわがお弟子様三名と私目寄付は蟹の画賛蓋置は笹蟹干菓子に和三盆の蟹これで蟹が三つ。そして菊の意匠や赤色のものが登場す華甲なればこそ目出度いめでたいお肴にと私目が謡を謡う鶴亀お恥ずかし後座の床の花は紫蘭と椿ともうひとつ何だろうと写真を撮った白糸草かなシライトソウ・百合科シライトソウ属・ブラシのような白い花穂が特徴。・西日本地方に多く分布する。行く春や
線香の灰やこぼれて松の花蕪村【松の花】は春の季語松はマツ科・マツ属。開花期4~5月。別名:(千代木)チヨキ(時見草)トキミグサ(常磐草)トキワグサ花言葉:「不老長寿」「同情」「哀れみ」「慈悲」「勇敢」「向上心」「かわいそう」「永遠の若さ」色々ある今日は日曜日しなければならない片付けがあるのだがお天気病がきつい午前中はやる気が皆無二時頃少しずつ回復あとはのんびり明日のしたくをしよう写真は雨ごとに枝葉を伸ばす木戸のいろは紅葉松の花
藤原俊成草も木もあまねく芽ぐむ春雨に袖は濡れてもかひなかりけり朝から雨が降っている全く止む気配はない低気圧で体が重いいや食べ過ぎで重いのか昨日も寝落ちブログを書けなかった寝落ちは糖のとりすぎと広告ひびく写真は庭の黄エビネエビネは・開花時期は4/15~5/15頃。・日本原産。・名の由来は、地下に連なっている茎と、そこから生えている根の様子が、まるでエビの頭を指でつまんで持ち上げたように見えるところから。1600年代の書物にはすでに海老根の名が出ているほど、昔からよく知られた花。・黄色の「黄海老根」(きえびね)もある。また、エビネの仲間はほとんどが春に咲くのに対して、真夏に咲く「夏海老根」という種類もある。と(季節の花300ヨリ)あまねく芽ぐむ春雨に
吉野山かすみの奥わ知らねども見ゆるかぎりはさくらなりけり知紀画も今日は木曜稽古掛けものは八田知紀八田知紀ハッタトモノリ1799-1873江戸後期-明治時代の歌人。寛政11年9月15日生まれ。薩摩鹿児島藩士。京都詰めの間に香川景樹にまなび,桂園派の有力者となる。維新後,宮内省にはいり,歌道御用掛をつとめた。明治6年9月2日死去。75歳。通称は喜左衛門。号は桃岡(とうこう)。家集に「志能布久佐(しのぶぐさ)」,歌論に「しらべの直路タタジ」など。(日本人名大辞典ヨリ)吉野山
大伴家持うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へばうらうらに→○春の日光が美しくのどかなさま。うららか。○蒸気がのどかにのぼるさま。今日は水曜稽古木戸を開けると外の紅葉の若い枝葉が驚くほどに伸び垂れ下がってるわが家の狭い狭い庭だが足元には日陰を好む春の野草が群れてる葉はまだ柔らかく黄緑とうす緑天気はまあまあだが風が強めだその風が揺らす鳴子百合と宝鐸草スミレも見える奥には二人静いい気分まだ虫も蚊も出てこない通り抜ける風も気持ちが良いうらうらに
流れ来て清水も春の水に入蕪村今日は火曜日お習字の日だでもでも今日はお片付けせねば明日のお稽古に間に合わないお習字はまたにしてひたすら道具をしまう準備そこへタクシーから降りてきたサカチカさんちょうど良いところ片付けを手伝ってもらった明日はお稽古透木釜と竹自在に手取釜もう釣り釜の鎖はしまってもいいかな椿の花はもう終り何か探そう清水も春の水に入
西行ませにさく花にむつれて飛ぶ蝶の羨しきもはかなかりけりませ→間狭(ませ)、籬垣(ませがき)今日は勉強会駅で待ち合わせお昼をまだ食べてないので近くのモスバーガーへ入った注文をするのに言葉で直接言えず今どきは画面に打ち込むのか店内かお持ち帰りか店内を選ぶ品物を選んで決定支払方法を選び決定次に番号を打ち込む画面そこでハタと止まった戻るを押してやり直しそれを何度かするのだがわからない一緒のA子さんが教えてくれた右横に置いてある番号札を手に取りその番号を打ち込むのだとなるほどすると最後まで進み注文が通ったようだ写真はその品物内容はわからずじまいで適当なセットを押した結果のハンバーガーセット焦って食べたので美味しいがなんの味かわからず味覚も衰え始めたかしらん羨ウラヤマしきもはかなかりけり
紀貫之さくら花ちりぬる風のなごりには水なきそらに浪ぞたちけるもう桜もおしまい写真は狩野勝川院雅信カノウショウセンインタダノブ狩野雅信かのうただのぶ、文政6年(1823)~明治12年(1879)狩野養信オサノブの子。木挽町狩野家10代目で最後の当主にあたる。名は雅信タダノブ。号を勝川、素尚斎、尚古など。弘化元(1844)年に法眼に叙され、万延元(1860)年に法印となる。橋本芳崖の師として知られる。水なきそらに浪ぞたちける
中務ナカツカサさけばちるさかねばこひし山桜思ひたえせぬ花のうへかな今日は友人のお茶事へ雨が降ると言う曇り空一応傘を持って行くが雨コートは持たず出掛けた予定より早めにしたくができたすぐに出掛ければよいのにお湯を沸かし珈琲をいれた猫舌なのですぐには飲めず飲みごろを計ってのろのろしてたらどんどん時間が経っていく乗るべき電車が決まっていたので、駅まで早足駆け足で向かうどうにか目的の電車に間に合った反省余らした時間は自宅で消化しないとりあえず出かけるべきだ駆け足で向かった茶事は美味しい懐石とお菓子お道具も素晴らしく席中は盛り上がり話題につきない茶事が一番楽しい写真はうちの庭の宝鐸草若々しいね咲けば散る
藤原定家をちかたや花にいばえて行く駒のこゑも春なるながき日ぐらしをちかた(彼方・遠方)→遠くの方。向こうの方。あちら。いばえて→馬が鳴く。いななく。春の季語日永ヒナガとは春になり、昼の時間が伸びて来ることをいう。実際は夏のほうが春より日が長いが、心理的には冬に比べて、春は日が長く感じられる。似ている言葉に【日がな一日】ひがな‐いちにち→朝から晩までずっと。一日じゅう。終日。今日は何もない日雨が降ったり止んだり庭の草木の成長に目を見張る朝ドラは牧野富太郎先生のお話し朝ドラはあまりみないが今回は見ることにしている好きな植物を研究する何もかも忘れて没頭できる好きなものあるといいね花にいばえて行く駒の
烏丸光広手折りつるこの一枝に袖触れてゆくとも風に花をまかせし写真は烏丸光広の和歌短冊烏丸光広カラスマミツヒロだと思っていたがウィキペディアやコトバンクなどではからすまるみつひろからすまでなくカラスマルらしい天正7(1579)~寛永15没(1638)安土桃山時代~江戸時代初期の歌人,書家。号,烏有子(うゆうし)。従一位光宣の子。宮廷人としての官職を歴任,晩年は権大納言正二位まで昇進。和歌は細川幽斎に師事,古今伝授を受けた。狂歌,俳諧,書画を好み,特に書にすぐれる。書は初め青蓮院流を習い,のち30代から40代なかば頃定家流を,40代後半より光悦流を学び,晩年に独自の書風を完成した。俵屋宗達と交友し,宗達の『蔦細道図屏風』などに賛や奥書を記す。著書は歌文集『黄葉和歌集』(1636),歌論書『耳底記』(02?),...風に花をまかせし
煮て食ふかはた焼いてくふか春の魚夏目漱石今日は読売カルチャーの講座へ場所は横浜そごうの9階横浜駅改札口を出ると人がいっぱいで今までで一番多い感じ平日なのに春休みだからかも今日も茶話指月集を勉強したなんとか上巻をの「修了した一人では必ず挫折するだろう来月は下巻から始まるガンバろう煮て食ふか
志貴皇子石走る垂水の上の早蕨の萌え出づる春になりのけるかも昨日の先生のお話しにあった「茶筅の清め方」お茶のお点前が終わったら、すぐに茶筅を清めて整えよう。茶筅の外側は竹の表なのでつるつるしているが、裏はざらざら。そこに特にお抹茶が残ってしまう。指で挟んで、静かに元の形になるように一周。付いてるお茶をしごいて取る。水をかけて、もう一度静かに一周させて、お茶を取る。それを竹釘にかける。と。自分の稽古場では、ブラシがあるのでそれで清めて、茶筅立てに戻すようにしているが。指で清める方が綺麗になるかも、次から早速やってみようではないか。今日は月曜日お習字をする日森金先生が見えてお習字をするお習字をする日なのだがお昼だからとりあえずお湯を沸かしカップラーメンを食べてお喋りをして食後の珈琲を飲み森金先生のお持たせの豪華...早蕨の萌え出づる春になりのけるかも
佐川田昌俊サカワダマサトシ吉野山はな待つ頃の朝な朝な心にかかる夢の白雲今日は朝日カルチャーへ先生の講義を拝聴する四規七則のお話し四規は和敬清寂七則は茶は服ふくのよきように、炭すみは湯の沸わくように、夏は涼すずしく冬は暖あたたかに、花は野にあるように、刻限は早めに、降ふらずとも雨の用意、相客あいきゃくに心せよやさしく説明をしてくださるおっしゃることは至極尤もその通りなるべくそのように励みましょう写真は近所のチューリップ満開だ心にかかる夢の白雲
春雨や蓬をのばす艸の道芭蕉昨日はブログを書きはじめた途中で寝てしまったんー歳だね今日は土曜日お弟子様の秋さんちで茶事の教室懐石の準備ができたら御客様亭主半東水屋と別れる御客様は待合に見立てたソファーでお休み汲み出しでベランダに設定した腰掛へ亭主の迎付席入挨拶のあとはすぐ懐石折敷を運び「お箸のおとりあげを」燗鍋を運び一献飯器で汁替煮物椀で一献焼物預鉢進肴小吸物八寸香の物と湯桶箸を落として膳を引き菓子を出す写真はその菓子とらや製だ懐石の協力して準備してから役に別れるのだが亭主をすると懐石のしたくより点前は慣れているこんなときに無心で力の抜けた良い点前になるのだ懐石が大変なほどそのギャップで点前すれば気分がよくなる春雨や
文屋康秀春の日の光にあたる我なれど頭カシラの雪となるぞわびしき写真は文屋康秀フンヤノヤスヒテ生没年未詳。平安前期の歌人。六歌仙、三十六歌仙の1人。860年(貞観2)刑部中判事に任ぜられ、877年(元慶1)山城大掾(だいじょう)、879年縫殿介ヌイドノスケに任ぜられた。『古今集』に参河掾ミカワノジョウになったときの小野小町との贈答歌があり、また仁明天皇の御国忌ミコキ(851)の歌や「惟貞コレサダ親王家歌合」の歌などがある。今日は木曜稽古花冷えか朝からうすら寒いお菓子屋さんが届けてくれた二種のお菓子は浮島製でさくら色と黄色と羊羮色桜と菜の花と土の三色それと桜餅花はお弟子様丹精の牡丹春の日の光にあたる
在原業平世の中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし覚えておきたい今日は水曜稽古午後は雨近くに住むお弟子様は自転車で稽古に来る雨だと濡れるので少し待って小やみになってからのお帰り夜が更けるほど雨が降るという予報だしいつ帰るか決めないとね日常は常に決断が必要だ写真は六歌仙の在原業平筆者は不明絶えて桜のなかりせば