洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載
ご注意!空腹時に来ると辛い記事もあります。上生菓子の写真がおすすめ。
大将軍八神社がきっかけで「大将軍」というのを実際に行っております。なにかのご縁なんでしょうね。本日は、西賀茂方面にある大将軍社。市バスのバス亭でいうと神光院前。田中長生療院の近くということになります。以前に来たのですが、改めて行ってみました。場所もかなり忘れていた。行くと住宅の中にある小山状態でした。昔は、畑の真ん中にある小山だったんだろうな。でもこのりもすっかり住宅地になってきました。この大将軍社は、北の大将軍社ということになる。でも近くの今宮神社がある。紫野今宮神社というのが正式な名前なんだろうか・・・。小さな時から縁がある。おそらく私のお宮参りなんかも、我が家の子供達もこの神社に行ったと思う。あぶり餅が食べたい・・・というのもある。今宮神社の疫社がある。素戔嗚尊ということで大将軍社と言える。大将軍という存...西賀茂大将軍神社
京女と二人でランチを食べに行った。このタイプの焼肉屋さんに二人で行くのはとても珍しい。最近「大将軍」という名前を追いかけております。すべて大将軍繋がりなんです。まだまだ続きます。↑大将軍「ピビンパ冷麺セット」このお店は、京女にとり初めてのだと思う。初めてというのは、いい刺激になる。食事をする場所の選択肢を広げたいと思っています。ただ、焼肉そのものはそれほど好きないので頻繁に行かないかも。肉ならステーキの方がいい。しかも国産の肉でない方がいいかも。どうも国産の高級和牛は脂が多すぎるのであまり好きないかも。↑ピビンパ、京女と半分こにした。焼肉の記事は過去に出てくるけど、私はそれほど食べてない。上ミノの歯ごたえが好きだったり、レバーが好きだったり、タンなんかも少々食べるぐらいかな・・・。焼肉というのは、モミダレと付け...大将軍でランチ
父親から連絡が電話があった。用件がいろいろあった。その中で「背中が痒くて寝られない」というのがあった。実家の時に「孫の手ブラシ」を渡していたのです。それが欲しいと言う。確かに、高齢施設に入所する時、持っていかなかった。実家から救い出してきたのですが、必要とする人にあげたのです。もちろん、こんな優秀なものは、私も使っている。ないと困ります。仕方ないので、新しいのを購入した。その紹介が本日の記事。私が2011年夏に家の中で痙攣を起こし、意識がなくなり、舌を噛み、顎関節が折れ、骨盤に右脚がめり込み。救急搬送。その後、長期の病院、リハビリ生活が2年ぐらい続いた。そんな経験があるので、背中が痒くてけど背中を掻けない苦しさはよく分かる。お風呂に入る時のブラシが必要だった。背中を掻くのに最適なのが、本日の紹介の「孫の手ブラシ...孫の手ブラシ
最近、ランチを食べる店が少なくなってきた。コロナの影響なんだろうか・・・私が行く小さなお店がなくなり、チャーン店系が多くなってきた。ランチの条件は1.ランチ予算は1000円以内2.予約や行列は不可3.テーブルの面積が広い4.外光が見える↑焼肉北山「豚カルビ丼セット」1は、必須ではないけど、目安としてあります。2は、必須です。ランチで並ぶのはだめです。レジで行列という酷い店も時々ありますね。3は出来ればないですが、荷物が置けないのは不可。透明な衝立もない方がいい。4も必ずではない。地下だと不安になる。もちろん、味というのは当たり前の条件。サービスの人と日本語会話ができるというのもある。外国人のアルバイトというより日本人で丼の名前が読めないということがあった。レジでの声が小さすぎる。音量というより滑舌が悪い?コロナ...ランチ&ディナー
↑藤森神社本殿↑拝殿↑神功皇后御旗塚昨日の続き。藤森神社は、私にとってあまり縁のない神社かも。広い境内なので感心しておりました。主祭神は、素盞嗚命、別雷命、日本武命、応神天皇、神功皇后、武内宿禰、仁徳天皇などだそうです。創建年代が神功皇后摂政3年(203年)らしい。びっくりですよね。平安京の創建が延暦13年(794年)と比べるとすごくないですか。↑藤森七福神というらしい。なんであるのかな?↑ここのお水は美味しいらしい↑このように汲みにこられていました神様も元人間が多いですね。軍事関係が多い。駈馬神事とか菖蒲=尚武とか・・・勇ましい。元気だった頃の日本という感じの神社。↑大将軍社さて大将軍社です。ここが南の大将軍ということになるようです。御祭神が「磐長姫命(いわながひめ)」というのが不思議です。もちろん藤森神社の...藤森神社2・・・大将軍
↑藤森神社(ふじのもりじんじゃ)の参道↑人・馬と車という表示が妙に面白い。自転車に乗った狸みたいなおばさんは向こう側を走るのかな?本日は、京都市の伏見区にある藤森神社に行きました。境内に南の大将軍があるからです。藤森神社は、5月5日に駈馬神事が行われるのと菖蒲の節句発祥地として有名。6月の紫陽花宛が有名かな?紫陽花は、一度見に行ったことがある。花の背が高すぎるのと蚊がけっこういた印象がありますね。駈馬神事と菖蒲(しょうぶ)=尚武・勝負で、武神ということで、明治から軍隊関係や競馬ファンの信仰を集めていたそうです。いまでも駈馬神事は、ニュースで映像が流れますよね。この神社へは京阪電車で行きました。京阪電車の場合、降りる駅が「藤森」じゃなく「墨染」なんです。久しぶりなので間違いそうになった。JRなら奈良線の「藤森」な...藤森神社
↑三条大橋千年〜五百年ぐらい前の鴨川は、新京極商店街のあたりが河原だったそうです。昔、鴨川ってよく氾濫しららしい。白河法皇は、自らの意のままにならない「天下三不如意」に挙げたそうだ。誰もがかしずく権力者にも、武装した僧兵やサイコロは言うことをならないと嘆いたらしい。それほど、鴨川は氾濫していた。散髪屋の話しによると五条大橋近辺でも、よく水が浸かったらしい。確かに大雨になると鴨川の表情が変わります。だから、流れの場所が変化しても不思議でない。↑そろそろ立て替え工事の時期です↑いまの防腐加工した木材ならこんなにならないだろうなこの三条大橋は、1950年に完成しらそうです。なんや結構新しいのね。でもそろそろ掛け替えだけど、大変だろうな。赤字財政の京都市。工事する時は、御池の橋が三条大橋のかわりになるのだろうか?橋のた...三条河原
↑荒熊稲荷社昨日の大将軍神社東三條社の続き。「た」なのか「だ」なのかの問題は、京都の古くからある地名由来との関係で決まっているのかもという結論ではないでしょうか?大将軍・・・という神も、もともとは陰陽道的なものから出発し、時間が経つにつれ、その時代時代の神様の流行?みたいなものがあるようです。本日の写真は、大将軍神社東三條社のその他というと失礼ですが、荒熊稲荷社、天満宮(東三條社)、白龍弁財天です。大将軍神社東三條社の主祭神が素戔鳴尊(すさのおのみこと)で無病息災.厄除け.災難除けのご利益を願っている。でも本来の大将軍神とはちょっと違うように思います。主祭神の御利益だけでは、人気が出ないから、他のご利益がありそうな神様を連れて来たということなんだろうか?各社の神様について、くわしくわからないのですが、想像してみ...大将軍神社東三條社2
本日は、東にある大将軍です。京都の東には、岡崎神社と大将軍神社東三條社があります。大将軍をしらべていくとダンダンややこしくなってきますね。読み方も「だいしょうぐん」と「たいしょうぐん」の二種類ありますね。京都の古くからの地名で「大将軍」とあります。これは「たいしょうぐん」と読みます。この関係で「たいしょうぐんじんじや」となっている神社があります。焼肉の大将軍という場合は、「だいしょうぐん」となります。京都地名風なら「だ」でなく「た」となります。どうも使い分けがよく分からない。それと主祭神が素戔嗚尊でない場合がある。違う神様が入る場合があります。もともと素戔嗚尊でない場合があるようです。明治時代以後に変化した。いろいろな事情があるのだろう。由来をウィキペディアから引用させていただいます。素戔嗚尊を主祭神とし、藤原...大将軍神社東三條社
大将軍の記事シリーズです。本日は、焼肉です。「京都大将軍」で検索すると「焼肉」がでます。「京都南大門」で検索しても「焼肉」です。東寺とはでません。でも意外なんですが「大将軍」は、行ったことがない。なんでだろう?焼肉屋さんにあまり行かないからかな。ステーキ屋さんの方が好きなのかも。焼肉は、専門の肉屋さんに行き、家で食べておりました。家にお店用のコンロもありました。子供が4人だとそうなります。お客様も来られる場合もありましたからね。我が両親は「天壇」が好きだった。でも親とか家庭で焼肉に行くのは辛いかも。自分のペースで食べられなくなるし・・・。食べることに関しては孤独がいいかも。牛肉なら、焼肉よりステーキがいいなぁ・・・。キチンとしたローストビーフも食べたい。フォースラディッシュのソースでね。昔の神戸のキングス・アー...大将軍といえば・・・
先日、大将軍神社東三條社に行ってきた。京都市内の大将軍神社が四社あるのをまわっています。だから大将軍関係の記事は続きます。個人的な記事なのであまり面白くないかもしれませんね。私にとってはとても面白いのですけど・・・・。今回は、三条大橋の東側。ちょうどランチタイムだったので、篠田屋に行っただけといえばそうですけど。三条大橋ってかなりボロボロになっていますね。大幅なメンテナンスが必要。やるなら今年だと思うけど。鴨川も綺麗になってきました。歩道もあるしね。ちょっと風情がないけど、しかたないか。高山彦九郎の現在の銅像は1961年にこの場所に移動されたようです。物心がついた時には、この場所にあったということか。ここで待ち合わせをする人が多かったそうです。私はそういうのはなかった。サラリーマン時代は徒歩で通っていたので、こ...昭和の残像
↑麻布かりんと「渦巻きかりんと」先日、デパ地下で見かけ買ったのが「渦巻きかりんと」。形状と味が懐かしい。なぜか渦巻きに反応する。エネルギーを感じるからかな?これは、関東の会社みたいですね。小さい時、こんなの食べたのかな?駄菓子屋にあった?私は、駄菓子屋でものを買って食べては行けないと母親にいわれて育った。もちろん紙芝居屋も禁止でした。ピン菓子の実演も興味あったけど、禁止だった。こんなを書くといいとこの子みたいだけど、そんなことはないです。母親は、和菓子屋の娘なので、甘いものを食べさされ育った。実家では、一人羊羹なら一本食べていた。祖父は、御飯に砂糖をかけて食べていた・・・。だから嫌いだったようです。↑「かれいんと」みょうに懐かしい味がする。小さい時は食べたおぼえはないけど・・・。私が小さい時に家にあったお菓子は...うずまきが気になる
昨日の岡崎神社の続きです。この神社、うさぎのキャラがいっぱいあるのですが、うさぎが主役ではない。本日紹介の「雨社」や「宮繁稲荷神社」が働きとして大切だったのでしょうね。↑雨社この社は、天候の安定と五穀豊穣を願う役割があったようですね。別名の「安目社」というのは、目の病気対応。昔は、眼病が多かったようですね。◎大山祇命(おおやまつみのみこと)/神産みにおいて、イザナギ・イザナミの間に産まれた神◎句々廼馳命(くくのちのみこと)/神産みにおいて、イザナギ・イザナミの間に産まれた神◎国挟槌尊(くにさつちのみこと)/主に『日本書紀』の天地開闢の段に登場。神代七代のうちの一柱◎豊宇気媛命(とようけひめのみこと)/伊勢神宮の外宮の祭神◎闇象女命(みづはのめのみこと)/日本における代表的な水の神元は如意々岳(大文字山)の山中の...雨乞いの神?
↑うさぎが神さんのお使いという感じでもないみたい。若い女性向きのキャラクター展開なのかも。ここは、岡崎神社。この神社は、久しぶりに行ったかも。今回は、東の大将軍をもとめて行きました。ここは、うさぎがお使いの神社なんです。「大将軍」の「だ」の字も無かった。「なんでうさぎやねん!」大国主命が主祭神なの?そうではありません。岡崎神社の主祭神は、大国主命でなく、速素盞鳴尊(すさのをのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、三女五男八柱御子神(やはしらのみこがみ)なんです。奇稲田姫命は、速素盞鳴尊が八岐大蛇を退治した時、生け贄だった女性。三女五男八柱御子神は、二人が夫婦になり、出来た子供らしい。それをお祀りしている神社。大国主命と速素盞鳴尊は?古事記と日本書紀で関係が違う。大国主命は、速素盞鳴尊の息子という説と六...来年の干支は「卯(うさぎ)」
神戸在住の方と話していて、急に神戸に行くことになった。京都駅からJRの新快速でいけば、それほど時間はかからない。ただし、連休明けだったので人身事故が多いようです。この日も一時間近く遅れた。この時期、電車での人身事故が多いようです。だだ昔と違ってスマホやLINEで連絡を取りあったりできるからダメージは最小限にできる。↑トアロードプレミアム(本日のハム・ソーセージ・サーモン・チーズ盛り合わせ」神戸は久しぶりだったかも。最近、私が行くレストランが極めて少ないのが辛い。この日は、トアロードデリカデッセンの2階のレストランが営業していた。久しぶりなので食べにはいった。ここも古くからあるお店。↑ミックスグリル昔は、年末にハムやスモークサーモンを買いに来たものです。このクラスのお店がものすごく少なくなってきた。で食べたのが本...久しぶりの神戸
ランチの写真がたくさん残っています。本日の写真は、同じ日に京女と食べたもの。この写真が一番綺麗と感じました。なんだろう?↑鐘園亭泉涌寺店「肉団子甘酢+ライスとスープ」食事のお店は、鐘園亭泉涌寺店の中華料理でした。散歩がてら徒歩で行くのです。松葉杖で病院に通った道。↑「Bランチセット」私も京女と同じように甘酸っぱいものが欲しくなっています。最近、酢豚を食べるのが多い。そういう季節なのかな?↑梅香堂「ぜんざい(餅1個)」お餅が2つに見えるけど、半分に切ってあるだけです。食事が終わり、東福寺散策。帰りにデザートで梅香堂に行く。私は、おぜんざいを注文。京女は、クリームみつ豆。他のテーブルの人は、派手なメニューが多い。いま流行のホットケーキやパフェを食べる人が多い。↑「クリームみつ豆」クリームがソフトクリームだった。おっ...普段のランチ
本日も大将軍八神社。書いて置かないといけないので書いて置きます。本殿の側に大金神神社と歳徳神社があります。さすが方位除けの神社、吉方の神である『歳徳神』と凶方の神である『大金神』が祀られています。大将軍八神社の大切な方位の神となります。歳徳神(としとくじん、とんどさん)をご存知ですか?節分の時「恵方巻」といういい加減な風習があるでしょ。あの恵方から来る女神さんのことです。また、大晦日から各家庭に来られる女神さんなんです。その女神さんをお迎えするため、年末に大掃除をし、アンテナである門松をたて、ここに定着してくださいと鏡餅を置くのです。そして三が日をバタバタしないように、お節料理を用意する。おそらく、そういうことを理解していない方の家には、来られないと思います。恵方巻なんて、歳徳神に対してはなんの効果もないですね...大将軍3・・・近所風景
↑モニュメントがどーんと立っている。清明神社の五芒星と違ってこちらは「六芒星」。陰陽道での「六芒星(籠目)」は、陰と陽の調和を表す、「五芒星」とは違う力を持つものとして扱われていました。↑下の八角形には、乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤という文字が刻印されている。この文字の並びを「八卦」と喚ばれている。本日も大将軍八神社です。はじまりは、平安京遷都からでしょう。その時、神社ができたということではない。平安京を造るのに、神経を使ったのは、当時最新の考え方である陰陽道的な考え方です。京都が794年(延暦13年)から1869年(明治2年)までの日本の首都としてあったのは、陰陽道にそって造られたからかも。首都が東京に替わってもいまだに大きい顔をしている。先の戦争(応仁の乱ではない)の時でも爆撃をされていない。だから道が狭...大将軍2
↑大将軍八神社↑本日の写真は、この特別公開に行った時のもの。京都で「大将軍」といえば、焼肉屋さん?「ニュー大将軍」というのもある。それはサウナ。京都市在住以外の人には、わからないかもね。「大将軍」というアメリカ映画であったな。チャールトン・ヘストンが主演で・・・確か観た憶えがある。「大将軍」というバス亭がありますね。北野白梅町の近くだったと思う。これは、本日紹介する大将軍八神社と関係あるのだろうか?方位を守るのが大将軍神社の役割。だから4方向で4社の大将軍がある。西大将軍八神社北西賀茂大将軍神社→過去に記事有、2012年07月31日東東山の大将軍神社→過去に記事有、2016年08月28日左京区の岡崎神社にもある南藤森神社の摂社↑大将軍神のお前立ち?やっぱり本物の方が良かったです。大魔神のレプリカでもよかったかも...大将軍
さて、庭からその他の箇所を紹介。我々の家と違い、何も無い空間というのは清々しい。昔は、庶民の生活もシンプルだったのでしょう。電気製品も無いしね。我々の生活は、そんなに豊かでないのに、モノに溢れている。電気製品も多すぎる。物質的に豊かになってように見えます。それなのになんか物足りない。それだけでなく不安が増したように思います。昔は、西洋医学などなく、病になれば悪くすると死ぬ。寿命も短かった。今は、些細なことで死んだりしない。でも風邪一つシャキッと治せない。なぜなんだろう?みんな知識がいっぱいなのに、智慧は足りない状態。モノがあぶれると智慧は働かなくなるものなのか?病気になったら神仏におすがりするしかない。最近は、神仏もあまり当てにならないことになってきたかも。環境が豊かになった影響で、自分の生きるための知恵や智慧...薫風香る庭3
昨日の続きです。本日は、智積院の庭。智積院は、いつも境内を歩いている場所なんです。子供が高校に通学する時も通ったと思います。歩いて10分ぐらいにある社寺。いつでも行けます。ここの庭は、庭園(国の名勝)なんだそうです。池泉鑑賞式庭園。庭園は千利休好みといわれ、国の名勝に指定されている。中国の廬山を模して造られていて、石橋より奥は禅寺・祥雲寺の時代に、滝の落ちる正面は江戸時代に修築されたものとされる。山は「廬山」を、池は「長江」をモデルにしている。東山随一の庭と呼ばれている。こんなに素晴しい庭だけど、観光する人が案外少ない。だから快適なんです。この庭、静かなのがいい。時々、鯉が跳ねる音がする程度。もちろん、時々庭の説明のアナウンスが流れますが・・・。庭をボーッと眺めて、いろいろな構想を頭に描くのが好きなんですよ。清...薫風香る庭2
↑いつもの智積院風景。この日は、この中に入りました。この記事が出る頃には、連休も終わっている。いつもなら、端午の行事関係の記事になるはずですが、今年はどうもその気にならない。新型コロナも3年続くとそうなるのかな。いい季節なのに、祭がない。大きな祭も小さな祭も。さすがに今年は、ちょっとだけ祭を解除したかも。いつもなら粽や柏餅だったり、菖蒲湯や軒菖蒲というのもあります。それより最近では、こどもの日という風になってきた。本来の端午とは、違う日になってきたようですね。それより「母の日」というのが出て来た。最近に日本は、外国の習慣や風習を習合する傾向にある。まあ、昔からといえばそうですが。↑ここは、智積院の展示スペース。厳つい入り口です。近づくと自動ドアになっていて開く。連休の楽しみといえばバーベキューや○○フェスティバ...薫風香る庭
このランチは、京女と二人で父親が入所している施設に、スマホと時計を受け取りに行った帰りに山科駅で食べたランチ。↑はたごや「豆乳粥御膳」連休初日のことだった。あまり天気は良くなかったかも。山科駅をあまり知らない京女に食べ物屋が色々あり、京都駅や四条河原町より便利と言っていた。せっかく、父親の施設に行ったのだから、ランチぐらい食べて帰ろうとなった。↑豆乳粥で、初めてのお店に入った。席がゆったりしていて快適だった。メニューもコストパフォーマンスがいい。いつもなら上等カレーとなるところだったけど、二日前に店に行き、カレーを食べ、ルーさけ持って帰り家で食べたから食べたくない。結局、あの日、昼も夜もカレーだった・・・。まあ、カレーだから問題ない。高3だった時、妹入院、母親が尽きっきり状態になった。母方の祖母が来てくれて、家...いつもと違うランチ
↑書院↑方丈この日撮影した新緑は、これで最後です。5月2日にも東福寺に行った。その間の二日間の雨の影響か、新緑でなくなっていた。今年は、植物が成長するのが凄く早い。↑本堂(仏殿)、よく考えたら本堂の全体を撮ってない・・・。↑天井画5月2日に近所を京女と散歩しました。智積院や東福寺は案外観光の人は少なかった。皆さんどこに行くのだろう?↑三門↑経蔵この記事が出る時は、連休も終わってるだろうな。休み疲れが出ていませんか?私は、休んでいないから元気です。(笑)そういえば、私は観光旅行というのはあまりしません。京都市内で生まれ育つと他府県の観光地に行こうと思わない。家族旅行というのもあまりしない。両親と我々家族で旅行したことがあるけど、あれは疲れます。両親と我々と好みが違うからかも。「早く家に帰りたい」とすぐに思ってしま...新緑の東福寺7
↑東福寺愛染堂開山堂からもとに戻り、愛染堂のところに来ました。愛染堂は、丹塗りの杮葺き八角円堂。南北朝時代の建築。このお堂は、昭和12年、万寿寺※より移されたものです。※万(萬)寿寺/昔は、「京都五山」の寺だった。京都五山とは、臨済宗の寺院の格付け。南禅寺(別格)、天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺。その万寿寺ですが衰退し、明治19年(1886年)東福寺の塔頭になってしまったのです。いまでもあるのですが、非公開となっています。お寺の建物って分解して引っ越すことが出来るのが凄いと思う。いまの建築物ではそんなことできないものね。ちょっとは見習った方がいいかも。中には愛染明王がまつっています。愛染明王は、愛欲などの迷いがそのまま悟りにつながることを示し、外見は忿怒暴悪の形をとるが、内面は愛をもって衆生を解脱させる...新緑の東福寺6
本日も東福寺の新緑。本日は、開山堂です。方丈から通天橋を渡った境内の北、最も高い場所に建つ。1階の礼堂最奥の祠堂に、開山である円爾弁円(聖一国師)の尊像が安置されている(建物内は非公開)。いま、工事をしているようなので、ゆっくり座って庭を眺めるのが好きです。とても静かな空間です。工事がおわったら、一度ゆっくり座ってみたいものです。そういえば、近くの智積院の庭も新緑がいいだろうなぁ・・・。近すぎると案外行かないものなんです。清水寺もそうです。和菓子クリエーター情報なし河出書房新社↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)000(色のかわっている部分をクリックすると表...新緑の東福寺5
本日は、通天橋から臥雲橋の景色。ということは有料の所に入ったということ。連休中は、観光客が多いかな?本日は、4月下旬の写真なので人は少ない。通天橋は、結婚式のような人がたくさん居られました。結婚式用の写真を撮っているのだろうな。見ているとスタッフの動きが実に素人。今は、プロがいなくなりましたね。ライティングはPCでなんとでもなると思っているのかレフ板ももっと使えばいいのに・・・。画像処理をPCでやると不自然になっていきますからね。モデルじゃない素人を撮る時は、余計ヘンテコな絵になる。↑向こうに見えるのが臥雲橋京男Jr.1の撮影の時、立ち会ったけど、スタッフの動きがもの凄く素人だった。案の定、後でクレームになっていた。結局、道具はそろってもセンスの問題はどうしようもない。スマホやPCで原稿を素人でもある程度それら...新緑の東福寺4
写真は、東福寺の続き。本日は「臥雲橋」です。↑臥雲橋、ここは無料なんです。お急ぎの方はここから通天橋を観ればいいのです。この橋は、通学路だったりします。ちょっと信じられないでしょ。我が家の双子も高校の時は、この近くまで来ていました。彼らにとって、なんでもない風景なんでしょう。私も高校の時は、南禅寺はいつもスクールバスで通っていた。当時は、山科にグラウンドがあった。いまでもかな?永観堂は、教室から見えたしね。哲学の道だって高校の時はよく歩いた。同級生の家が銀閣寺門前で茶店をしていたから。黒谷(金戒光明寺)や浄土院だって遊び場所だったしね。日本史に登場する地名だってあった。いま、住んでマンションだって平重盛の別邸跡だし。平重盛は、平清盛の長男。日本史に出てくる事件が起こった場所ですからね。古いだけの街です。そんな所...新緑の東福寺3
差しよの二枚の写真の木が私の好みの新緑です。光線の具合もよかったので綺麗でした。↑栗棘庵↑明暗寺これから臥雲橋に向かって歩きます。↑同聚院奥に土万不動明王があります。ちょっと近づきます。↑「五大龍王白龍辨財天」と書いてあります。辨財天さんなんだ。お寺の中なのに鳥居があるのが面白いですね。和菓子クリエーター情報なし河出書房新社↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)000(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)Twitter→@kyo_otoko新緑の東福寺2
↑退耕庵さて新緑の東福寺をご紹介。いまの時期が一番素晴しいと京男は思っている。紅葉のシーズンもいいけど、最近紅葉が弱っている?ように感じる。しかもライトアップなんかをやり出したからだめになって来ている。お寺の運用費用が必要なんだろうなぁ・・・。悲しいですね。東福寺って桜がない。なぜだからおわかりになりますか?昔(1400年ごろ)、このお寺に、仏様のお掃除やさまざまな仏具などの調達をする殿司(でんず)という職にいた明兆(みんちょう)という僧がいました。彼は、とても絵が上手だったので、お寺の法要などに使われる絵画の製作をよく任されていたのです。さまざまな作品のなかでも、「大涅槃図」という大作を描いたときに、将軍足利義持が、「これは見事・・」と感激して、「褒美をとらす・・・」と言った。↑霊源院普通の人なら、ご褒美に地...新緑の東福寺1
これは、二日分のランチ。私が外で食べる餃子は、みんみん(珉珉)が多いかも。王将の餃子は、食べません。皮の厚みがいやなのかも。そういえば王将で食べたことはない。↑みんみん(漢字が文字化けする!)餃子。中学2年に餃子をはじめて食べたのです。だからこの味に慣れているのかも。みんみんの餃子なら十人前ぐらい食べられました。みんみんに行くとライスのかわりに餃子なんです。昔は、3〜4人前が標準だったかも。スーパーで売っているセミ餃子は、食べません。味が違う。↑酢豚、みんみんのがいいように思う。黒酢あんはちょっとくどくて好きになれない。子供が増え、家で食べる時は、皮だけ買って、あんは作るようになった。家族全員で餃子を包む。150〜200個ぐらい作っていましたからね。豚まんも作っていた時期があります。その時は、皮から作りました。...餃子・酢豚・カレー
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