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2009/04/07

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  • 東武野田線「藤の牛島駅」~伊勢崎線「東武動物公園駅」。その3。中島用悪水路。玉子橋。権現堂川用水路。ハグロトンボ。(「中川」を遡る。第6回目。)

    右岸を進みます。中島用悪水路が中川に合流。架かる橋は「古葛西橋」。幸手市西関宿で江戸川より分水し、主として江戸川より西側の水田地域を灌漑する。中川に合流・終点となる。合流直前に中島排水機場が設置されている。民家の前に、台座から離れ、朽ちた「馬頭観音」石塔。それでも大事に保存しているのですね。前方に古びた橋が。「玉子橋」。昭和24年に架橋された。上流を望む。権現堂川用水路の上流方向。上流の葛西用水路から分かれた北側用水路と合流して南下し、流域の水田地帯の灌漑に利用。土手が川から離れ、林の中に。右手は河川敷。この林の中を抜けるとき、真っ黒な羽をしたトンボが無数に飛んでいます。動きが速く、茅の上に止まっているのを何とか。全身真っ黒なトンボ。初めて見ました。何というトンボか?帰宅後、調べたら、「ハグロトンボ」とい...東武野田線「藤の牛島駅」~伊勢崎線「東武動物公園駅」。その3。中島用悪水路。玉子橋。権現堂川用水路。ハグロトンボ。(「中川」を遡る。第6回目。)

  • 東武野田線「藤の牛島駅」~伊勢崎線「東武動物公園駅」。その2。打田落悪水路(うったおとしあくすいろ)。万年橋。バラ園。神扇落(かみおうぎおとし)。船渡橋。(「中川」を遡る。第6回目。)

    「打田落悪水路(うったおとしあくすいろ)」解説板(左が北)。「庄内領用悪水路土地改良区」と標示されている。土手が行き止まりなので、右折して公道に出ます。周囲は田んぼと住宅。時折左に流れる「中川」を眺めますが、土手道はなさそう。そのうち、道路脇の遊歩道に四阿があるので、小休止。そこが、暗渠になった「打田落悪水路」でした。打田落悪水路は農林水産省補助事業として、埼玉県(春日部土地改良事務所)が事業主体となり、1986年度(昭和61年)から1997年度(平成9年)にかけて総事業費1,112,00万円を投じ、庄和北部打田地区の農地を排水するために整備された農業用排水路である。受益区域は北は春日部市と北葛飾郡杉戸町の境界、東は埼玉県道42号松伏春日部関宿線、南は打田排水機場(立野ポンプ場)、西は中川(庄内古川)まで...東武野田線「藤の牛島駅」~伊勢崎線「東武動物公園駅」。その2。打田落悪水路(うったおとしあくすいろ)。万年橋。バラ園。神扇落(かみおうぎおとし)。船渡橋。(「中川」を遡る。第6回目。)

  • 東武野田線「藤の牛島駅」~伊勢崎線「東武動物公園駅」。その1。倉松川。首都圏外郭放水路第3立坑。庄内橋。松富橋。流路跡。(「中川」を遡る。第6回目。)

    中川人道橋から上流を望む。左手は、「倉松川水門」。(※前回の写真)5月に雨がけっこう降ったかと思うと、「梅雨入り」宣言のあとは、今度は一転、あまり雨なしの暑い日が続き、・・・。そして、27日には、もう「梅雨明け」宣言。気象庁も予想できなかった、とか。昔から気象予報は当たらない、って評判ですが。それにしても、この暑さは!ずっと以前は、学校が夏休みになるかならないか位の頃が、梅雨明け。「梅雨明け10日」といって、晴天が続く、この時期。若い頃は、梅雨明けを待ちかねたように、北アルプス、南アルプス、八ヶ岳などの縦走に出かけたものでした。今は、・・・、冷房の効いた部屋で読書しつつ、船を漕いでいます。さて、「藤の牛島」駅から土手に出て、右岸を歩き始めます。この日は、曇り空で少し風もあり。少し前に(それこそ、梅雨時に)...東武野田線「藤の牛島駅」~伊勢崎線「東武動物公園駅」。その1。倉松川。首都圏外郭放水路第3立坑。庄内橋。松富橋。流路跡。(「中川」を遡る。第6回目。)

  • JR武蔵野線「吉川駅」~東武野田線「藤の牛島駅」。その3。庄内古川橋。「五ヶ門樋(ごかもんひ)」。東武野田線。藤の牛島。(「中川」を遡る。第5回目。)

    「春日部市環境センター」。水田地帯を歩き、「新4号国道・春日部越谷バイパス」の「庄内古川橋」手前で土手に上がります。前方に新4号国道バイパス「庄内古川橋」。国道下を抜けて上流へ。対岸は「豊野工業団地」。右は田園風景が広がる。その先に、「五ヶ門樋(ごかもんひ)」。解説板。埼玉県指定有形文化財(建造物)五ヶ門樋付中庄内樋管一基、排水機場跡一基平成27年3月13日指定五ヶ門樋は、現存する煉瓦造りの樋門としては、県内で4番目に古いものです。煉瓦を四重に並べアーチを形造り、その上には「五ヶ門樋」のプレートが設置され、最上部には煉瓦で凹凸を表現した装飾が施されていることが特徴となっています。現在では庄内古川からの逆流防止のため扉は外され、自然排水の樋門として使用されています。古くから庄内古川の流域では、大雨の際の増水...JR武蔵野線「吉川駅」~東武野田線「藤の牛島駅」。その3。庄内古川橋。「五ヶ門樋(ごかもんひ)」。東武野田線。藤の牛島。(「中川」を遡る。第5回目。)

  • JR武蔵野線「吉川駅」~東武野田線「藤の牛島駅」。その2。田島橋。オオヨシキリ。まつぶし緑の丘公園。左岸・右岸行ったり来たり。(「中川」を遡る。第5回目。)

    先に古そうな橋があります。「幅1.8m、重量制限1.5t」との標示が。「田島橋」。「赤岩橋」と同様、軽自動車以下が通行可。橋の上から上流を望む。橋を渡って右岸を歩きます。すぐ左脇を流れる「八間堀悪水路」の向こうは、水田が広がります。※悪水路=農業排水路大量の水が流れ込んでいます。「豊橋」。道路橋と歩道橋が並んでいます。流入口。こうした排水路から流れてくる中川も水量が多い印象。田植え後の水量調整が行われている様子です。左の水田にはシラサギが。しきりに甲高い声で啼く鳥たちがいます(姿は見えませんが)。「オオヨシキリ」のようで、田んぼのそばのヨシ原から聞こえてきます。(「Wikipedia」より)夏の季語「行々子(ギョギョシ)」は、オオヨシキリの鳴き声から。「行々子口から先に生まれたか」by小林一茶全長18.5...JR武蔵野線「吉川駅」~東武野田線「藤の牛島駅」。その2。田島橋。オオヨシキリ。まつぶし緑の丘公園。左岸・右岸行ったり来たり。(「中川」を遡る。第5回目。)

  • JR武蔵野線「吉川駅」~東武野田線「藤の牛島駅」。その1。起点まで約50㎞。二郷半領用水路。穀倉地帯。田園ホール・エローラ。(「中川」を遡る。第5回目。)

    今回から、「中川」が「大落古利根川」と「弥生橋」で分岐し北上する川筋を遡った報告。ここから羽生市にある起点まで、約50㎞。出かけたのは、梅雨入り間近の6月12日(日)晴れ。その後、曇りが続いた日に歩きました。それから2週間。今日、6月25日。東京・埼玉は猛烈な暑さです。こういう猛暑日の川歩きには命の危険が。木陰など遮るものはなし!近くに休憩できるようなお店もなし!草いきれの中を歩く!マダニでもいたら、オオゴト!・・・適度な水分補給と休息を、などいうのんきなことは言ってられません。というわけで、涼しい部屋でブログを編集しています。さて、「弥生橋」から「中川」下流を望む。ここで、「大落古利根川」と分かれ、上流へ向かいます。「中川」上流を望む。一直線。昭和初期に開削された水路。遠くに筑波山(↓)。「赤岩橋」。橋...JR武蔵野線「吉川駅」~東武野田線「藤の牛島駅」。その1。起点まで約50㎞。二郷半領用水路。穀倉地帯。田園ホール・エローラ。(「中川」を遡る。第5回目。)

  • 東武伊勢崎線「一ノ割駅」~「久喜駅」。その7。和戸橋。日光御成街道。大落古利根川起点。葛西用水路。(「中川」を遡る。第4回目。)

    満願寺橋方向を振り返る。「備前堀川」が合流。さらに「備前前堀川」が合流。合流地点に架かる橋が左「和戸小橋」、右「和戸橋」。橋を渡る道は旧「日光御成街道」。※1東大赤門先の本郷追分で中山道と分岐した「日光御成街道」は、この先、幸手宿で「日光道中(街道)」と合流します。※2地図の上部に「日光御廻(り)街道」が記されています。この街道は、幸手宿と栗橋宿の間にある権現堂川の洪水被害を避けるため、西回りする迂回路でした。約10キロメートル。現在、ほとんどその道筋は不明になっているようですが。この道はすでに歩きました。和戸橋。右手に大きな「大落古利根川治水碑」。ここで、この付近のあれこれ。①日光御成街道と一里塚江戸時代に整備された日光街道の脇街道であり、将軍が日光東照宮へ社参する際に利用されました。下高野一里塚は、下...東武伊勢崎線「一ノ割駅」~「久喜駅」。その7。和戸橋。日光御成街道。大落古利根川起点。葛西用水路。(「中川」を遡る。第4回目。)

  • 東武伊勢崎線「一ノ割駅」~「久喜駅」。その6。髙橋屋。杉戸宿。特急スペーシア。鎌倉橋。満願寺橋。西行。(「中川」を遡る。第4回目。)

    橋を渡り、左岸を歩くことにします。右手に、「うなぎ割烹髙橋屋」。古利根川の流れとともに「伝統の味と心を」伝えて百五十年私共は、川のほとりで、室町三井家の流れを汲んでおります。かつて多くの旅籠で賑わった宿場町「杉戸宿」。その川沿いで明治より続く、百五十年の歴史を持つのが当店「うなぎ割烹・髙橋屋」です。古き良き荘厳な佇まいの暖簾をくぐると、庭園を含めた五百坪の広大な敷地がお出迎えいたします。各界の著名人も足繁く通う、髙橋屋ならではの絶品のお料理とおもてなしをご堪能ください。(「髙橋屋」HPより)八九間空で雨ふる柳哉はせ越(松尾芭蕉)※季語は柳で春。元禄7年春。51歳。『続猿蓑』中の句。8、9間の柳には春雨が降っている。※8、9間は柳の高さなのか、幅なのか?1間は約1.8㍍。春雨は、降ったり止んだり、しっとりと...東武伊勢崎線「一ノ割駅」~「久喜駅」。その6。髙橋屋。杉戸宿。特急スペーシア。鎌倉橋。満願寺橋。西行。(「中川」を遡る。第4回目。)

  • 東武伊勢崎線「一ノ割駅」~「久喜駅」。その5。宮東橋・清地橋・古川橋。杉戸宿。古利根川流灯まつり。(「中川」を遡る。第4回目。)

    再び川沿いの道になります。遠くに見える橋は、「宮東橋」。水管橋と道路橋が並んでいます。「起点(中川合流点)から18.98㎞」。橋を渡って右岸に。下流を望む。橋の先、左手に休憩スポットがあります。木陰もたっぷりで、小休止。「「みやしろ健康マッ歩案内図」。対岸を望む。左手は田畑。「起点(中川合流点)から20㎞」。川幅が狭くなっています。「清地橋」。対岸(左岸)は、杉戸宿の街並みになります。川沿いには、「流灯ふれあい館・杉戸町観光案内所」、「杉戸町流灯工房」が並んでいます。夏には「古利根川流灯まつり」が行われるそうです。古利根川流灯まつり幻想的な流灯を見にきませんか古利根川流灯祭は、昭和初期頃に始まり、杉戸町と隣の宮代町との境を流れる古利根川を利用して、杉戸町・宮代町の商店会が協力し、「流燈曾」として、それぞれ...東武伊勢崎線「一ノ割駅」~「久喜駅」。その5。宮東橋・清地橋・古川橋。杉戸宿。古利根川流灯まつり。(「中川」を遡る。第4回目。)

  • 向島百花園。ネムノキ。寺島ナス。ウツボグサ。ハナシノブ。ナデシコ。常夏。ハギ。秋の七草。梅の実。

    池の畔にネムノキが2本。夜になると葉が合わさって閉じて(「就眠運動」)眠るように見えることに由来。漢字名の「合歓木」は、中国においてネムノキが夫婦円満の象徴とされていることから付けられた。小枝の先に、淡紅色の花が10-20個集まって皿状などに広がり、多数密生する(「頭状花序」。普通は、夕方に開き、翌日にはしぼむ花ですが、ここでは昼間も咲いています。かつて、家の小さな庭に植えてありましたので、懐かしく、まずお目当てに。相変わらず素敵な花です。京成押上線「曳舟駅」近くにある墨田区の「曳舟図書館」に行ったついでに、「向島百花園」に立ち寄ってみました。しばらく来ないうちに、いろいろな花が咲き乱れています。門前の梅の実が鈴なり。さて、入り口には、「寺島なす」の鉢植え。葉の陰に小ぶりのナス。かつて、白鬚神社の周辺は寺...向島百花園。ネムノキ。寺島ナス。ウツボグサ。ハナシノブ。ナデシコ。常夏。ハギ。秋の七草。梅の実。

  • 堀切菖蒲園。2022・6・17。江戸菖蒲の競演。人気菖蒲の番付。句碑。堀切水辺公園。葛飾菖蒲まつり。

    1年ぶりの堀切菖蒲園。池には、カルガモの姿が。先日の水元公園とは趣を異なり、色とりどりの花菖蒲。投票による番付表と人気の菖蒲。横綱の「水の光」など。「堀切三兄弟(姉妹)」。ネーミングが素晴らしい。漢詩や日本の古典から。職人さんが丹誠込めた育てた花菖蒲が咲きそろう。四阿からの眺め。句碑などもいくつか。松野自得天日に菖蒲の花の白まぶし中村汀女花菖蒲かがやく雨の走るなり数年前、再整備され、かつての情趣が失われた?荒川河川敷にある「堀切水辺公園」にも花菖蒲が。遠くに「スカイツリー」。江戸川区の「小岩菖蒲園」の花菖蒲は時ならぬ雹によって痛めつけられたとか。さて、その後は?こうして今年の「葛飾菖蒲まつり」、6月19日で終わりになります。堀切菖蒲園。2022・6・17。江戸菖蒲の競演。人気菖蒲の番付。句碑。堀切水辺公園。葛飾菖蒲まつり。

  • 東武伊勢崎線「一ノ割駅」~「久喜駅」。その4。国道16号線。首都圏外郭放水路「第5立坑」・(地下神殿)。富士山。(「中川」を遡る。第4回目。)

    「春日部大橋」。「国道16号線」。この国道は東京エリアを一周しているので(「環状道路」)、街道歩きや川歩きでは必ず出会います。両側は、静かな住宅地に。「起点(中川合流点)から16㎞」。右手に大きな施設。施設名に「国土交通省首都圏外郭放水路(彩龍の川)大落古利根川流入施設」。ここは、「第5立坑」と名づけられた施設。首都圏外郭放水路は、洪水を防ぐために建設された世界最大級の地下放水路です。中川、倉松川、大落古利根川、18号水路、幸松川といった中小河川が洪水となった時、洪水の一部をゆとりのある江戸川へと流すことができます。中川・綾瀬川の流域は、利根川や江戸川、荒川といった大きな川に囲まれています。この地域は、土地が低く水がたまりやすいお皿のような地形となっているため、これまで何度も洪水被害を受けてきました。また...東武伊勢崎線「一ノ割駅」~「久喜駅」。その4。国道16号線。首都圏外郭放水路「第5立坑」・(地下神殿)。富士山。(「中川」を遡る。第4回目。)

  • 東武伊勢崎線「一ノ割駅」~「久喜駅」。その3。見世蔵・土蔵。新町橋。上喜蔵河岸。粕壁宿。古隅田川。(「中川」を遡る。第4回目。)

    蔵造りの家並み。一本、春日部駅寄りの道が「旧日光道中(街道)」公衆トイレの壁面。前回紹介した「碇山のイヌグス」にちなみ、河岸のようすが描かれています。その先には「新町橋」。「中川合流点から15㎞」。「日光道中粕壁宿新町橋上喜蔵河岸跡」碑。新町橋は、江戸時代には大橋と呼ばれ、古利根川に架かる唯一の橋であった。長さ16間(約29㍍)、横幅3間(約5㍍)の板橋で、高覧が付いていた。架け替えにあたっては、幕府が費用を負担し、往来を妨げないように仮橋が架けられた。新町橋の上流には、上喜蔵河岸と呼ばれる船着き場があり、石垣の一部が現存している。江戸時代、粕壁宿では共同で河岸を利用し、古利根川の水量が多い6月中旬~8月中旬(旧暦)には、小型の高瀬船などで米や生活物資を運搬した。日光道中粕壁宿日光道中は、東海道・中山道・...東武伊勢崎線「一ノ割駅」~「久喜駅」。その3。見世蔵・土蔵。新町橋。上喜蔵河岸。粕壁宿。古隅田川。(「中川」を遡る。第4回目。)

  • 東武伊勢崎線「一ノ割駅」~「久喜駅」。その2。風のテラス。イヌグス・タブノキ。芭蕉・曾良。千住馬車鉄道・テト馬車。(「中川」を遡る。第4回目。)

    緑道に沿って、様々な草花が咲いています。小さなアジサイもいくつか。地元の方が管理運営しているようです。「大落古利根川風のテラス」。下流方向へ続く。他の場所でも花壇など、環境整備に努めているようす。散歩しながらゴミなどを拾い集めている人たちにも出会いました。「八幡橋」。賑やかな市街地になってきます。「中川合流点から14㎞」。「埼葛橋」。「国道4号線(現日光街道)」の橋梁。整備された遊歩道。左手の森に「イヌグス」の解説板があります。古くからまちを見守り続けるイヌグス江戸時代の粕壁宿は、米や麦の集散地として栄え、古利根川を利用した舟運が行われていました。この看板のある付近には、下喜蔵河岸(荷の積み卸し場)があったと伝えられています。舟の停泊に便利で、その岸辺が小高い丘であったことから、地域の人々はこの辺りを「碇...東武伊勢崎線「一ノ割駅」~「久喜駅」。その2。風のテラス。イヌグス・タブノキ。芭蕉・曾良。千住馬車鉄道・テト馬車。(「中川」を遡る。第4回目。)

  • 東武伊勢崎線「一ノ割駅」~「久喜駅」。その1。鳰(にお)・かいつぶり。古利根きらめき通り。ゆりのき橋。川久保公園。葛飾。(「中川」を遡る。第4回目。)

    今回、「大落古利根川」の起点まで歩くことに。橋がけっこうあり、左岸、右岸の歩きやすい土手道を探りながら歩くことにします。「藤塚橋」からしばらく右岸(西側)を。「古利根きらめき通り」・「古利根川緑道」。左岸(東側)は桜並木が続く道。右岸は日差したっぷりで暑い!古利根の水なめらかに鳰進む(高野素十)※鳰(にお)=かいつぶり。冬の季語。鳰の海=琵琶湖の古名。「万葉集」には、鳰鳥の潜(かづ)く池水心あらば君に我(あ)が恋ふる情(こころ)示さね《大伴坂上郎女》※「鳰鳥の」は「葛飾」の枕詞。鳰鳥(にほどり)の葛飾早稲(わせ)を饗(にへ)すともその愛(かな)しきを外(と)に立てめやも《作者不明・東歌》鳰。(「Wikipedia」より)カモの子?もしくはカモの仲間?いえいえ、まったく関係ないです全長26cm。夏羽では首は...東武伊勢崎線「一ノ割駅」~「久喜駅」。その1。鳰(にお)・かいつぶり。古利根きらめき通り。ゆりのき橋。川久保公園。葛飾。(「中川」を遡る。第4回目。)

  • JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「一ノ割駅」。その4。古利根橋。起点から10㎞。旧日光街道。川の駅ふじつか。藤塚橋。(「中川」を遡る。第3回目。)

    水管橋と並んで「古利根橋」。対岸は、越谷市。下流を振り返る。「始点(中川合流点)から8.13㎞」。先に見える橋が「古利根川橋」。国道4号線バイパス。古利根橋を振り返る。古利根川橋をくぐります。橋のたもとにうどんのお店が。土手沿いに幟がはためく。水原秋桜子の句。青葭のそよぎて禽は水に入りぬ※「青葭」夏の季語釣り人一人。植え終えたばかりの田んぼ。ここにも小舟。うち捨てられたまま。「起点(中川合流点)から10㎞」。東武線「一ノ割駅」まであとわずか。「川の駅ふじつか」案内図。①大落古利根川周辺には、流作場と呼ばれる田んぼがありました。流作場とは、河川堤防内の田んぼのことで、洪水のときは収穫がありません。ハンノキは、かさがけ(木の間にロープを張り稲を干すこと)に利用されました。②むかしは川でカラスガイ取りが行われて...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「一ノ割駅」。その4。古利根橋。起点から10㎞。旧日光街道。川の駅ふじつか。藤塚橋。(「中川」を遡る。第3回目。)

  • JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「一ノ割駅」。その3。桜並木。かがり火公園。堂面橋・渡し。(「中川」を遡る。第3回目。)

    土手沿いに桜並木が続きます。解説板。地元の方の環境整備の熱意を感じます。亀が悠々と。「大落古利根川リバーウォーキング」。距離が示され、目安になって助かります。「堂面橋」。その先に、「かがり火公園」。遊歩道から下流を望む。上流方向。釣りをする人がテラスに腰掛けて。解説板。高浜虚子の句藻刈り舟つなぎ上りし昼餉かな※「藻刈り舟」=藻を刈るために用いる小舟。季語は夏。同じく泳ぎ児や河童のごとく藻をかぶるさらに、この付近にあった「堂面の渡し」の解説が。『武蔵国郡村誌』の埼玉郡向畑村の項には「耕作渡村道に属し村の東方古利根川の下流にあり渡船一艘私渡」とあります。昭和30年(1955)の初代堂面橋架橋まで営業していました。また、堂面橋周辺は、大落古利根川沿いの桜並木と富士山、川面に映る夕焼けといった良好な景観が望めるポ...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「一ノ割駅」。その3。桜並木。かがり火公園。堂面橋・渡し。(「中川」を遡る。第3回目。)

  • 水元公園。花菖蒲。「芝木好子『葛飾の女』」碑。

    菖蒲の咲く頃の葛飾は美しい田園は青葉に霞んで雲雀が鳴く堤の桜も花見のころは人が出盛ったがそれも過ぎると水に柳の眺めのよい季節になる沼地の多い土地柄で田の畦にも菖蒲が咲いた『葛飾の女』より芝木好子師である日本画家への思慕を絶つため、葛飾に嫁していった女弟子の懊悩を、水郷の景物を背景に描いた作品。6月10日(金)。水元公園の花菖蒲を見に出かけました。水元公園の「花菖蒲田圃」。「みずもと桜堤」と「小合溜」の間に大きく広がっています。○一帯。小合溜の対岸は、埼玉県三郷市。睡蓮。1880年代のようす。「小合溜井」(現在の「水元公園」)への流れの一部が、現在の「大場川」となっている。2010年代のようす。かつての流れが現在も市区の境になっている(足立区、葛飾区、八潮市、三郷市)。けっこうな人出。1年目のものから3,4...水元公園。花菖蒲。「芝木好子『葛飾の女』」碑。

  • JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「一ノ割駅」。その2。松伏町。ウォーキングロード。古利根堰。(「中川」を遡る。第3回目。)

    「水と緑のネットワーク」案内板。左岸も右岸もウォーキングコースとして整備されています。中川との合流点を振り返る。左岸は、松伏(まつぶし)町。対岸は、越谷市。ところで、「松伏町」とは?松伏町は、埼玉県の東南部、北葛飾郡のやや南に位置し、都心から30km内の首都圏近郊整備地帯に属しており、東は江戸川を隔てて千葉県野田市、南は吉川市、西は大落古利根川を境に越谷市、また、北は春日部市に接しています。町域は、東西約4km、南北約7.5kmと南北に長い形をなしていて、行政区域面積は、16.20平方kmです。地形は、一部北部の台地を除いて標高4mから6mの氾濫平野自然堤防で形成された、ほぼ平坦地です。(地名の由来は、)松伏町の名の由来「まつぶし」という地名の由来には2説あります。ひとつは、巷説に、中世末期に松伏に移住し...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「一ノ割駅」。その2。松伏町。ウォーキングロード。古利根堰。(「中川」を遡る。第3回目。)

  • JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「一ノ割駅」。その1。大落古利根川(おおおとしふるとねがわ。サギコロニー。合流点。(「中川」を遡る。第3回目。)

    「月の公園」。ネーミングの根拠が今ひとつ。今回は、「中川」を歩き、分岐点から「大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)」へ向かいます。大落古利根川埼玉県を流れる一級河川。利根川水系中川の支流で、流路延長は26.7キロメートル。江戸時代以前は利根川本流がこの河道を流れ東京湾へ注いでいた。起点の碑(久喜市内)現在の起点は久喜市と杉戸町の境界にある葛西橋である。杉戸町・宮代町・春日部市・越谷市・松伏町の境界付近を流れ、中川に合流する。おおむね北葛飾郡市と南埼玉郡市の境界に沿っている。起点には上流から葛西用水路が流れ込んでいる。名の「大落」とは農業排水を落とす幹線排水路の意味である。大河の頃の名残で流域には発達した河畔砂丘や自然堤防が見られる。古利根川と上流の葛西用水路の一部は江戸時代以前の利根川本流であり、利根川...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「一ノ割駅」。その1。大落古利根川(おおおとしふるとねがわ。サギコロニー。合流点。(「中川」を遡る。第3回目。)

  • 権現堂川調整池(行幸湖)~権現堂堤~中川。アジサイ。(「中川」を遡る。番外編)

    6月7日。曇り、時々雨。6年前の夏。「日光道中(日光街道)」歩きのとき、幸手から栗橋の途中、「権現堂堤」を歩きました。そのときに、権現堂堤は桜の名所ですが、アジサイも植えられていて、咲く時期にはさぞすばらしいだろうな、と思いました。前日、東京地方も梅雨入り。その権現堂堤へ行ってみました。「あじさい祭り」も開催され、梅雨空の下、けっこう人も出ていました。満開まではもう少し日にちがかかりそうですが、しっとりと雨に濡れたアジサイがすてきでした。さて、歩くならと、東武日光線「南栗橋駅」で下車。「権現堂(川)調整池(行幸湖―みゆきこ)」から歩き始め、「権現堂堤」へ。そして、中川を少し下流まで歩きました。・・・権現堂川は暴れ河川としても恐れられ、宝永元年(1704年)に、はじめて権現堂堤が切れてより、幾度も決壊をして...権現堂川調整池(行幸湖)~権現堂堤~中川。アジサイ。(「中川」を遡る。番外編)

  • 京成線「青砥駅」~JR武蔵野線「吉川駅」。その5。共和橋。海から24.0㎞。八条橋。新中川水道橋。武蔵野線・吉川駅。(「中川」を遡る。第2回目。)

    疾走するボート。対岸は、「中川やしおフラワーパーク」、「中川やしお水辺の楽校」。人工のワンドも。その隣は、「フラワーパーク・マリーナ」。すぐ「共和橋」が。首都高6号線と県道が併走する橋。橋の下から上流を望む。「(海から)24.0㎞」という立て札。振り返る。共和橋。八潮排水機場。猛スピードで旋回するボート。東京ガス管橋。「潮郷橋」。「東京外環道」と「国道298号線」が通過する橋。※橋の名は「八潮市」と「三郷市」結ぶところから。橋の下から下流を望む。樋門。水鳥の姿(↓)。「八条橋」。対岸は、八潮市。橋の名前の由来は、かつてここに八条の渡しがあったことから。八条は八潮市の前身の八条村からである。1961年(昭和36年)架設の現行の橋は、橋長は139.3メートル、総幅員は6.6メートル、有効幅員6メートルの8径間...京成線「青砥駅」~JR武蔵野線「吉川駅」。その5。共和橋。海から24.0㎞。八条橋。新中川水道橋。武蔵野線・吉川駅。(「中川」を遡る。第2回目。)

  • 京成線「青砥駅」~JR武蔵野線「吉川駅」。その4。コクボマリーナ。新中川橋。つくばエクスプレス。三郷放水路。(「中川」を遡る。第2回目。)

    右手にマリーナが見えてきます。「コクボマリーナ」。コクボマリーナは、中川沿いにある陸置きのマリーナ。個人でも団体でも利用でき、会員同士でのイベントなども開催している、アットホームで気軽な雰囲気が特長。広く取られたボートヤードは、遠隔操作カメラによる24時間管理体制を敷いており、防犯対策がしっかり取られている。東京湾へのクルージングポイントとして知られ、マリーナからは荒川や江戸川のいずれかを選んで東京湾へ向かう。(「」HPより)この地域は、かつては右岸側が大きく西に広がって、ヨシが茂る水辺になっていました。現在の流れに改修した際に、陸地として造成されました。1880年代のようす。右岸が大きくカーブしている。川の名も「古利根川」となっている。2010年代のようす。道路はかつての土手。この先に「修徳高校八潮修徳...京成線「青砥駅」~JR武蔵野線「吉川駅」。その4。コクボマリーナ。新中川橋。つくばエクスプレス。三郷放水路。(「中川」を遡る。第2回目。)

  • 京成線「青砥駅」~JR武蔵野線「吉川駅」。その3。垳(がけ)川。東京オイルターミナル。塩止橋。(「中川」を遡る。第2回目。)

    左手に「垳(がけ)川」沿いの遊歩道があります。足立区と埼玉県との県境にあたります。足立区側は西に綾瀬川、花畑川(花畑運河・綾瀬川と中川を結ぶ)や垳(がけ)川、東には中川。葛飾区側は大場川と、このあたりは、川に囲まれた地域。水害防止、水質改善などのための水門(樋門)が目立ちます。「六ツ木水門」「稲荷下樋管」、「新大場川水門」等。昭和30年代後半まで、このあたりは水田地帯。さらには、水運も盛んでした。その後は、宅地開発。このあたりの川も生活排水、工場排水のために濁って悪臭までも。下水道の完備などで、再び川の流れを取り戻していく。そんな水と人々との関わり合いの歴史もあります。垳(がけ)川の東端、中川との接続点に昭和54(1979)年に完成したのが埼玉県の垳川排水機場。垳川は綾瀬川本流で、江戸初期に綾瀬川から切り...京成線「青砥駅」~JR武蔵野線「吉川駅」。その3。垳(がけ)川。東京オイルターミナル。塩止橋。(「中川」を遡る。第2回目。)

  • 京成線「青砥駅」~JR武蔵野線「吉川駅」。その2。古隅田川跡。佐野いこいの森。六ツ木水門。新大場川水門。(「中川」を遡る。第2回目。)

    「中川橋」(上流から)。「足立区長門排水機場跡」。「古隅田川」の起点となっています。また、葛飾区と足立区との区界になっています。現在の足立区と葛飾区の境界線は、亀有駅東南・常磐線鉄橋下流の中川橋(旧水戸街道)付近から綾瀬駅の西南・小菅東京拘置所脇まで、くねくねと曲がって続いている。これが「古隅田川」跡。その昔、大化元年(645)の頃、国、郡、里が制定され、住田河(隅田川、古隅田川)の現・足立区側が武蔵国足立郡、現・葛飾区側が下総国葛飾郡として両国の境界が設定されました。以後、今に至るまで、足立区と葛飾区との境界線として引き継がれています。※「古隅田川」は埼玉県にもあります。なお、この「隅田川」跡の散策はかつてブログに掲載しました。振り返る。JR常磐線鉄橋。対岸(金町方向)のようす。かつては、「三菱製紙」の...京成線「青砥駅」~JR武蔵野線「吉川駅」。その2。古隅田川跡。佐野いこいの森。六ツ木水門。新大場川水門。(「中川」を遡る。第2回目。)

  • 京成線「青砥駅」~JR武蔵野線「吉川駅」。その1。青砥橋・高砂橋。新中川。護岸工事。再開発。(「中川」を遡る。第2回目。)

    青砥橋。今回は、ここからスタート。上流に向かい、「新中川水道橋」へ。けっこうな距離の歩きです。日ざしも強く、暑くなってきました。青砥橋付近の護岸工事。この先も、工事区間があって迂回せざるをえないところもあるようです。2年前、こんな事故がありました。東京葛飾区の環7・青砥橋でクレーン倒れ1人けが(19/10/09)https://www.youtube.com›watch青砥橋の上に、川で作業中のクレーンが倒れてオートバイが下敷きになりました。橋の上り下りが急なので、歩くのも自転車も大変。エレベータを敷設する要望が多いようです。正面は「新中川」。右手に「新中川通水記念公園」。葛飾区・高砂橋下流で「中川」と分岐して南に下り、江戸川・瑞江付近で「旧江戸川」と合流します。以前、自転車で往復したことがあります。往復...京成線「青砥駅」~JR武蔵野線「吉川駅」。その1。青砥橋・高砂橋。新中川。護岸工事。再開発。(「中川」を遡る。第2回目。)

  • 都営新宿線「東大島駅」~京成線「青砥駅」。その6。上平井橋。外谷汐入庭園。平和橋・本奥戸橋・奥戸橋。(「中川」を遡る。第1回目。)

    いよいよ現中川を遡ることに。中川に架かる上平井橋。頭上は首都高環状線「かつしかハープ橋」。荒川の対岸に旧中川。上平井水門。中川が荒川放水路によって分断される前、この付近には渡船場がありました。1880年代のようす。↓が渡船場。2010年代のようす。上が上平井橋。左に見えるのが綾瀬川。隅田川に流れていた綾瀬川も分断されています。「外谷汐入庭園」(上平井橋の右手)。ここは、訪問したことがあります。中川の流れを引き入れて潮の満ち干に合わせる趣向を凝らした庭園。昭和の初めにできた、中川の左岸・上平井橋付近にあるあまり目立たない庭園。しかし、木立に囲まれ、池も緑もよく整えられています。庭石などは自然石を用いている。中川からの引き込み口跡。・・・葛飾区に入っても、旧中川と同じように曲がりくねっています。1880年代のようす...都営新宿線「東大島駅」~京成線「青砥駅」。その6。上平井橋。外谷汐入庭園。平和橋・本奥戸橋・奥戸橋。(「中川」を遡る。第1回目。)

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