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地下官人 原田氏 http://makafu.at.webry.info/

江戸時代に地下官人の院雑色 及び 御典医として出仕していた先祖とその周辺の人々を遡っていくサイトです。

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大山崎町
出身
大阪府
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2009/03/29

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  • 42. 大草 松平氏

    ■ 松平 光重 ? - 1508(永正5)年 岡崎市南部や大草(愛知県…

  • 41. 太田氏

    ★ 源経綱の子資国が丹波国太田庄に住み太田氏と称する。資国は同国上杉郷の地頭上杉重房につかえる。1252年宗尊天皇の鎌倉下向に上杉重房とともに従う。丹波太田氏は、関東移住後、武蔵太田庄の一部地頭職に補せられてから、太田氏を称したのではないかという説もある。 ■ 太田 資清 1411(永享4)年~1488・92年?(長享2)年。正室は長尾景仲の娘。資清は(扇谷)上杉持朝の家宰職で相模守護代も務めた。永享の乱、江ノ…

  • 40. 下鴨神社 (3)

    ★ 社殿はいずれも、平安時代の様式を史実に伝え、本殿二棟は国宝、五十三棟が重要文化財に指定されています。 国宝の東西本殿はいずれも「流造(ながれづくり)」という様式です。この流造は全国の神社で最も多い様式ですが、そのはじまりの形をそのまま伝えている。楼門、回廊を除き、すべて桧皮葺、素木造である。 ほとんどの社殿を21年ごと社を造り替える式年遷宮の制度がが定められていたが、現在はすべての社殿が国…

  • 39. 下鴨神社 (2)

    ■ 西本殿には、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、東本殿には、玉依媛命(たまよりひめのみこと)が祀られています。建物は流造の代表例と言われ、屋根は檜皮葺になっている。現存の本殿は文久3年(1863年)に建造(造替)されたものであるとされ国宝に指定されている。 ■ 一言社(ひとことしゃ) 東社…大国魂神(おおくにたまのかみ)巳、未歳生まれの人の守護神。 西社…顕国魂神(うつしくにたまのかみ)…

  • 38. 下鴨神社 (1)

    ★ 正式社名は賀茂御祖神社(かもみおや)で、上賀茂神社の祭神(賀茂別雷神命)の祖父神(賀茂建角身命)と母神(玉依姫命)を祭神としていることから御祖(みおや)とされた。もともと賀茂神社は一つの神社で、平安遷都以前からこの地を支配していた賀茂氏が祀った賀茂の社が起こりとされる。奈良時代に朝廷の後押しを受け分離独立したという。 創祀の年代を特定することは出来ないが、『日本書紀』神武天皇2年(BC58)2月の条に、当…

  • 37. 水野氏

    ■ 水野 忠政 徳川家康の生母・於大の方(伝通院)の父である…

  • 36. 酒井氏

    酒井氏は三河国碧海郡酒井村あるいは同国幡豆郡坂井郷の在地領主で…

  • 35. 鷹司家諸大夫 小林良典 (3)

    京都の霊山護国神社にも小林良典のお墓があるというので行ってみた。

  • 34. 鷹司家諸大夫 小林良典 (2)

    ■ 小林良典の安政の大獄で捕縛される前後の動き。 ○ 安政5年9月8日(1858) 在京の彦根藩士長野主膳、書を同藩側役宇津木六之丞に致し、浪士梅田源次郎を捕縛せしを報じ、更に水戸藩京都留守居鵜飼吉左衛門・其子幸吉「和明」及鷹司家諸大夫小林良典「民部権大輔」・同家士兼田伊織「義和」・同三国大学「直準」を速に逮捕すべきを告ぐ。 ○ 安政5年9月9日 水戸藩士鵜飼幸吉、鷹司家諸大夫小林良典を訪ひ、…

  • 33. 鷹司家諸大夫 小林良典 (1)

    長徳寺 ■ 幕末維新京都史跡辞典 石田孝喜 新人物往来社…

  • 32. 形原 松平氏

    松平氏信━━

  • 31. 角倉氏

    ★ 宇多源氏佐々木氏という。佐々木定綱の弟厳秀が、近江国犬上郡吉田村(豊郷町吉田)に住して吉田を称したことに始まる(出雲吉田村との説も)。厳秀の四男、吉田四…

  • 30. 安芸藩士 寺西氏 (2)

    ★ 尾張国の寺西氏は清和源氏と、桓武平氏からの二つの系統があるようです。安芸国寺西氏は平姓千葉氏の庶流とされているが、久保郷土文化館ではそのなかでも藤左衛門の系列と推定されている。この家を調べてみると、尾張藩士寺西氏となっている。

  • 29. 安芸藩士 寺西氏 (1)

    ★ 寺西氏 寺西をネットで検索してみると久保文化郷土舘、千葉一族というサイトに紹介されている。それによると、寺西氏は千葉氏の末流といわれる。尾張国荒子村に移り、浅野家の家臣として紀伊国を経て、安芸国に移るとある。しかし寺西の一族としても勝佐の記載がない。…

  • 28. 施薬院氏

    ★ 施薬院は代々丹波氏が世襲。戦国の世には機能していなかったが秀吉が復興を決め、施薬院全宗を院使に命じた。全宗没後も代々幕府の信任を受けた。全宗は宗忠の子で叡山の僧侶であったが、元亀二年の信長による比叡山焼き討ち以後還俗、曲直瀬道三に師事して医術を習得し、豊臣秀吉の侍医となって「施薬院」と改姓。1599(慶長4)年に74歳で没、一説には1596(慶長元)年に69歳で没したともいう。

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