『JustSurfただ波に乗る〜サーフィンのエスノグラフィー〜』という本がある。その著者は、水野英莉さんという女性サーファー。彼女は、特にプロサーファーでも何でもない一般サーファーだが、一方で、社会学、ジェンダー・スタディーズを専攻する京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得認定退学なさっている博士だ。そして現在は、流通科学大学人間社会学部准教授だそうである。本書は、そんな彼女自身のサーフィン体験およびサーファー仲間との体験を通じて、主にジェンダーの問題に焦点を当てて書かれている。いや、単に性差別の問題というよりも、サーファーたちの中で起きる仲間意識や差別意識、或いは上下関係や優劣など様々な側面からサーファーたちの実態を浮き彫りにし、問題提起する。初版は2020年3月30日発行で、僕は、出版前から予約をして、出...JustSurf〜ローカル問題・ドロップイン問題
さて、前回紹介した文の①~⑦部分について、筆者なりの言及、または確認を加えたい。まず①。『老子』が『荘子』とは異なり、政治への関心を持ちつづけていたように思われる点については、既に以前に紹介したので今は繰り返さない。ただ、「政治への関心」に限らず、人が、あるテーマに対して関心を寄せるということは、思考や行動を一定方向に向けるということであり、それは、完全なる自由とはほど遠い制約された限定的活動にほかならない。先に見た『荘子』が天に従うのも同様で、「天への関心」を抱く時点で一定方向を向いていることになる。それを足かせと言うのであれば、『老子』・『荘子』に限らず、人間的営みには、常に大なり小なりの足かせが伴うということにもなる。もっとも、完全なる自由に生きることなどは全く不可能であり、制約された条件下でのみ生きるこ...禅ネタ本46ー⑥『金剛般若波羅密経』ー
今回は、海でサーフィン中に、ちょっと気になった事を3つ〜4つ挙げてみたい。さっそく以下に示そう。①【パドリングよりバタ足の人】乗ろうとする波がやって来て、その波に乗るためにパドリングを開始する。その時、パドリングよりも激しいバタ足をする人を時々見かける。ここは、基本、両手のパドリングでテイクオフするところだ。勿論、そのパドリングを補うために多少バタ足をする人は少なくない。僕も、場合によって2〜3回ほど足で水を蹴る事もある。だが、基本は両手のパドリングだ。ところが、何を勘違いなさっているのか?両手のパドリングよりも何倍もの力で、大きな音を立てて「バチャバチャバチャバチャ〜!」とバタ足でテイクオフしようとしてる人が、たまにいらっしゃる。まあ、そーゆー人がいても、僕は特に何も言わないけど、本当は次のように言ってあげた...サーファーあるあるw
老子は、無の哲学の先駆者として、無の世界に足をふみいれたが、一方で、(①)老子は政治への関心を持ちつづけていた。その政治の重い足かせが、より自由な飛躍をさまたげる結果となった可能性があるという。「無の哲学の真の完成は、次の荘子を待たなければならなかった」として、森氏は、『老子』・『荘子』それぞれの説く「無」の違いに切り込む。まず、(②)『老子』は固定した「無」を万有の始めに置いているが、それは誤りであると指摘する。万有の始めとなるものは、「無」ではなく、有を限りなく包み込む「無限」でなければならないという。この点『荘子』は、有無の両者を包み込む無限者の性質を鏡に譬えて説明しているとして、『荘子』応帝王篇の次の箇所を引く。「至人(しじん)の心を用(もち)いるは、鏡の若(ごと)く、將(おく)らず逆(むか)えず、應(...禅ネタ本45ー“無”と“無限”ー
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