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かしょうの絵と雑記 https://blog.goo.ne.jp/kashou11

70歳になって始めたブログ。絵は若いころから時々描いていたが、現在、趣味のトップ。

スケッチは自宅の周りはじめ、ちょっとした旅先などで気ままに描いている。かっての職場・生協関係者を中心に月1回の絵の会をもっており、最近は朝日カルチャーセンターの野外スケッチ企画にも参加。

かしょう
フォロー
住所
小平市
出身
佐渡市
ブログ村参加

2009/02/05

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  • 故郷・佐渡の早春

    東京はすっかり春気分の今日、能登半島も佐渡も雪のようです。この絵は10年ほど前の写真から描いた故郷・佐渡の実家の近くから見た島の名山・金北山の早春。雪解けが進んでいます。実家の甥は「幸いなことに今年は雪が少なかった、大雪で震度5強だと危なかったと」いう。今年はこんなに雪は残っていないようです。ただ、自分が幼いころはこれが普通でした。この絵は生協の絵グループ”虹遊会”で報告するため、ダーマ―トのスケッチから、彩色の過程を写真に撮ったものです。過程ごとに彩色の仕方などをアレコレ評論し合います。故郷・佐渡の早春

  • 北フランスの木組みの家並

    前回に続き、北フランスはストラスブールの木組みの家。寒くて野外スケッチが出来ないので写真から。始めたばかりのペンと水彩です。2枚目はダーマ―トと水彩です。近くのボート、中ほどの橋、後ろの建物、遠近感がなく、ちぐはぐなのは写真から描いたためもあるが、まずい。北フランスの木組みの家並

  • 北フランスの木組建築のある風景

    フランスはかってパリからピレネー山麓と南仏と、慌しい旅であったが、スケッチを楽しんだことがある。そのころから北仏・アルザス地方の木組みの家が並ぶ風景を描いてみたいと思っていた。幸いのことに風景水彩画の指導を受けている加藤正三郎先生からスケッチ旅行で撮った写真の使用許可をいただいた。寒くてスケッチに出かけられないので、習い始めたペン画で描いてみた。コルマールにこのような建物が多いので「コルマール様式」というようであるが、この2枚はコルマールに近いストラスプールの写真からの風景。北フランスの木組建築のある風景

  • スケッチ・新春

    旧作ですが、新春の絵ー山梨・笛吹市の桃の里の白梅と桃と南アルプスです。ブログにのせて新春の挨拶を準備したところで、能登半島で震度7の震災発生と大津波情報。故郷・佐渡のことなどが心配で中断。故郷の皆さんの無事を確認して再開しようとしたら羽田の日航機の事故と火災。もっと心配なガザやウクライナの戦争。ー平和を祈り、明るい春が早く来ることを期待します。昨年の最後のスケッチはグループMの皆さんと行った目黒の家庭庭園での1枚でした。今年も遠方に出かけるのは無理でも、野外スケッチは続けたいと思っています。スケッチ・新春

  • 秋のスケッチー秩父と横浜

    秩父での虹遊会スケッチ合宿の2枚目の絵は、ミューズパークの梅園の近くにある紅葉の峠。紅葉のトンネルと宣伝されているが、トンネルは絵にしにくいので外から見た風景。あとの2枚は10月末の日本生協連友の会の横浜散策企画でのスケッチ。皆さんが氷川丸見学をしている間に山下公園で描いた。この後の昼食懇親会で友の会の皆さんに虹遊会への加入を誘った。「年金生活者にとって金がかからなく康的で楽しい会」と訴えて、少し反応があったようです。秩父ミューズパークの紅葉横浜・山下公園と氷川丸のある港(下)秋のスケッチー秩父と横浜

  • スケッチー秋の棚田と武甲山

    秋のスケッチ合宿、虹遊会の皆さんと秩父へ行った。西武秩父駅から横瀬町の寺坂棚田へ。武甲山と向き合う棚田は夏はかがり火、秋は彼岸花で有名だそうですが、20年前に武甲山スケッチに来たときはそんなイベントはなく、棚田のことも知らなかった。休耕田を復活させ、今は250枚の稲田になっているという。この日の武甲山は雲がかかっていたが、翌朝、宿の武甲温泉から見た武甲山は写真のように、20年前に比べるとセメント用の石灰岩の掘り出しが進み、山腹が削られた痛々しい姿になっていた。標高も30メートル低くなり1304メートルになったというが、私にはもっと低くなったように感じた。雲のたなびく武甲山の方が良かった。スケッチー秋の棚田と武甲山

  • スケッチ佐渡・夕陽の尖嶽湾

    10月初めの3連休に佐渡に帰省した。母の13回忌の法事のためだったが、もう佐渡には帰れないかも知れないと孫たちと佐渡の北海岸の”外海府”を回り、尖嶽湾などで遊んだ。スケッチ帳は持ち歩いたが現地ではほとんど描けず、この絵も帰宅してから11月の「風景水彩スケッチ会」作品展に出展するために描き上げた。スケッチは無理でもとカメラをもってあちこち歩いているあいだ、孫たちは岩場を回る水中透視船で泳ぐ黒鯛などに会って喜んでいた。尖嶽湾は岸恵子と佐田啓二の「君の名は」で有名になった観光名所だが、孫たちの「君の名は。」は全く別のもの。佐渡には生協の仲間を案内するときは、必ず”朱鷺の森”の朱鷺センターで自然の姿の朱鷺を見てもらっているので、孫たちも案内した。かって大学生協のJUON(樹恩)の活動に参加していたころ、朱鷺の自然...スケッチ佐渡・夕陽の尖嶽湾

  • 風景水彩スケッチ会作品展

    ダーマ―トと水彩による風景画を教える加藤正三郎先生のグループとは地元ということで10年ほどお世話になった。今回を最後に先生のスケッチ会と作品展は終了ということで、3点出展する。グループM展とおなじ国分寺駅北口の司画廊。私は2,4と最終日6日の午後会場にいます。都合が良ければ覗いてください。ブログに掲載を忘れていた6月の作品。立川グリーンスプリングスは昭和記念公園につながるショッピングと食事の憩いの場。人物を入れた楽しい絵が描けるところだ。風景水彩スケッチ会作品展

  • スケッチー入間川・豊水橋上流

    ブログを長く休んでしまい、病気かと心配したとお叱りをうけた。申し訳ありません。暑さに負けてスケッチを休み、絵は描いたが静物画のため掲載に気が進まなかった。先週、土曜スケッチのメンバーで、昨秋も行った入間川へ。昨年より下流の豊水橋のちかく。「ここは釣り専用の場所なので網やヤスは禁止」と掲示版がある岸辺で一枚。秋はまだの感じだった。スケッチー入間川・豊水橋上流

  • 川遊びー落合川

    先週の土曜日、グループMの皆さんと東久留米市の落合川へスケッチに行った。東久留米には小平霊園の林の沼を水源とする黒目川があり、東久留米に入るとその湧き水は「昭和の名水百選」に選ばれている。黒目川の東を流れる落合川は地図で見ると市内の滝山団地のはずれから始まり、いくつかの湧水が一気に川になっており、広い範囲が「落合川と南沢湧水群」として「平成の名水百選」に選ばれている。黒目川は自宅から歩いて行けるところで、落合川も自転車なら近いので、これまで何回かスケッチしているが、コロナ禍以来久しぶりだった。湧水の清流なので子供の水遊びには最高。描いたのは「いこいの水辺」で、反対側の散策路から。梅雨明けの土曜日ということで草原も水辺も親子連れで賑やかだったが、絵にはそんなに人物は描けなかった。子供たちに聞くとエビは取れる...川遊びー落合川

  • スケッチー新宿御苑で

    風景水彩スケッチの会で新宿御苑に行った。これまで描いたことのない散策路の奥にある池で、黄緑の紅葉の木と咲き始めたばかりのアジサイに魅かれて描いた。この日本庭園風の散策路をふくめ新宿御苑は、靖国神社の森の中同様に外国人の散策姿が多かった。緑のなかから一歩でると新宿3丁目から歌舞伎町へと賑やかな繁華街である。この人たちにはどう映るのだろうと思いつつ描いた。ーーーーーーーーーー----6月7日から「グループM作品展」が高円寺駅近くの司画廊で開かれます。今回は例年より多く4点出展しています。お立ちより頂ければ幸いです。(上記の作品は関係ありません。)スケッチー新宿御苑で

  • スケッチ・北の丸公園

    ブログに載せるのが遅れたが、先月、土曜スケッチの皆さんと行った皇居隣接の北の丸公園のスケッチ。日本武道館があるので多くの人に知られる公園だが、私にとっては特別な思い出の場所である。江戸城の北の丸であったこの地には明治7年に日本陸軍最初の歩兵連隊である近衛連隊が設立され、西南の役から日清・日露戦争,太平洋戦争での敗戦まで、最も天皇に忠実な軍隊の駐屯地であった。戦後、その近衛連隊の旧兵舎に文部省が学生などの支援ため学徒援護会をつくり、東京学生会館を開設し、住とアルバイト等の支援をした。戦後の困難期に設立された全国大学生協連も学徒援護会の事務所がある旧近衛第1連隊兵舎の2階に入っており、私は1958年に大学生協連の常任理事になってから2年ほどそこに通っていた。まだ、大学生協の数も少なく、出身の早大生協をふくめほ...スケッチ・北の丸公園

  • スケッチ―新緑の八国山ー2

    八国山緑地公園に上る傾斜地にはしゃれた住宅が並んでいる。この絵はその一画。散策には八国山の森があり、子どもには西武遊園地があり、暇があれば西武球場が、金があれば西武園ゴルフが目のまえに見える近さである。小平からも近いが、球場もゴルフ場も1度行っただけで、何度も訪ねているのはスケッチのための多摩湖周辺である。秋の狭山丘陵も素敵なので紅葉のころまた行きたい。スケッチ―新緑の八国山ー2

  • スケッチ新緑の八国山

    「風景水彩スケッチの会」の皆さんと八国山緑地公園にスケッチに行った。西武新宿線東村山駅から乗り換え1駅の西武園駅で降りるとすぐ。西武遊園地やこの公園で楽しむための駅で、すぐ近くの多摩湖駅にはスケッチで何回も来ているがここの駅は初めて。八国山のふもとにある北山公園は菖蒲で有名で、スケッチでこの北山の林を描いたこともある。多摩湖・狭山湖のある狭山丘陵は古くからの都民のハイキングコースであり、私も学生時代から何度も来ており、小平市で育った子供や孫は自分の庭のように自転車やバイクで遊びにきている。しかし、この林の中で新緑を描くのは初めて。八国山のすぐ西にトトロの森37号地があり、北にはトトロの森2号地がある。ともに埼玉県所沢市であるが、有志の方たちのカンパと労力で緑の森が確保され残っている。かってはそれらの小さな...スケッチ新緑の八国山

  • 桃とコブシのある農家の畑

    ”風景・水彩スケッチの会”の皆さんと清瀬市の金山公園にスケッチにいった。小平からわりに近い場所なのに初めてで、綾瀬川に隣接する公園は桜はまだつぼみだったので、ちかくの農家の畑でこんな絵を描いた。手前の枯れ草はコスモスで、農家が無料で花畑をサービスしているのだという。今はコブシと桃や梅の花があり、わずかだが訪ねる人もあった。桃の木畑の先には観音像の姿もあったが、そのことを訊ねるにも周りに人の姿はなかった。金山公園は遊水地につながり、綾瀬川ともつながっていて広い。私の好きなコブシだけでなく黄色い花の木(サンシュユ)もあった。木陰で読書する女性の姿もあり、久しぶりに桜のしたで騒ぐ風景とのちがう春を見た。東京にもいいところはたくさんある。桃とコブシのある農家の畑

  • コブシ咲くー春がきた

    幼いころ、春が来たと感じたのは桜の前のコブシの白い花からだった。音痴なので歌は歌えないが北島三郎が歌う”コブシ咲く”の歌詞と一緒に雪解けあとの北国の山里風景が浮かんでくる。幸い東京の田舎・小平の我が家の近くには立派なコブシの木があり、毎年楽しんでいる。その一つ、徒歩で20分の泉蔵院に行った。小平村は玉川上水が出来て、そこからの用水がひかれ開拓が進んだと言われるが、わが集落の大沼田村が開拓された18世紀半ばに青梅村の寺院から分社して設立されたのが泉蔵院。鐘撞き堂があり、私も転居してしばらくは大晦日には除夜の鐘と甘酒を楽しんだが、最近は月1くらいの散策先になっている。コブシに負けず、白いツバキの花も私のお気に入りだ。泉蔵院の隣の旧家の屋敷のコブシも、少し離れたところの大十一小学校のコブシものびのびと空に広がっ...コブシ咲くー春がきた

  • スケッチ・桃の花と梅林

    先月末の虹遊会の例会で、皆さんは桃の節句にちなんで桃の花やひな人形などを描いた。私は都合で人形を描く時間がなく、桃の花だけになった。今日は現物の桃の花を見ようと自転車で近くの滝山団地のはずれにある桃の木畑に行った。まだ開花した木は少なかった。そこで満開の梅をと見ようと新小金井街道を西武新宿線の路線近くまで戻った。この小平6中の通学路にある梅林は広く、校舎の近くは大木が花盛り。校舎から離れると梅の実を収穫する背の低い梅林になっているが、生徒がいない通学路には休息して花を楽しんでいるタクシーなどが止まっていた。スケッチ・桃の花と梅林

  • 現在を「戦前」にしないために

    日本生協連の役員OB/OG組織の「久友会だより」の表紙に私の絵を使っていただいています。12月号には寄稿文「「ロシアのウクライナ侵略戦争と日本の『戦前』」も載せていただきました。現在の日本を「戦前」にしたくないとの思いからの一文です。<投稿>ロシアのウクライナ侵略戦争と日本の「戦前」斎藤嘉璋はじめに私はロシアによるウクライナ侵略戦争が起きてから、これまで生協の歴史と戦争について語り、書いてきた立場からいくつかの原稿や講演を依頼され、書いたり話したりしてきました。ここでは、協同組合連帯機構・JCAの研究誌「にじ」秋季号「特集・戦争と協同組合」に載せた「戦争と平和と生協」とオウエン協会で10月に報告した「生協の平和活動の歴史と教訓」(同協会の年報に載る予定)の内容の一端を紹介させていただきます。ウクライナ戦争...現在を「戦前」にしないために

  • サンタとメタセコイアーー今年最後の2枚

    虹遊会の12月例会でサンタの絵を描いた。メンバーは東京都生協連の会議室でクリスマスの飾りつけを楽しみ、童心に帰って作画。例年だとクリスマスに便乗して一杯やるのだが、コロナが活発化したのでパーティーはなし。サンタの絵はラインで孫たちに送ったが、プレゼントを持たないサンタには何も反応なし。(上は大学生だからーー下はラインはまだか?)2枚目はグループMで行った蚕糸公園のメタセコイアのある風景。メトロの東高円寺駅すぐのこの公園は大学生協連会館への通り道になっているので、私にはなじみの公園。虹遊会は毎年、大学生協会館のロビーで作品展を開催させてもらっていたが、コロナ禍となり開催できないでいる。来年は開催できることをいのっています。サンタとメタセコイアーー今年最後の2枚

  • 中野・もみじ山公園スケッチ

    ちょっと掲載が遅れたが、11月の虹遊会の仲間とのスケッチ。中央線沿線の住民に親しまれている中野ゼロホールがこの公園の北がわにあり、上京するとすぐに中野の兄の下宿に居候した私はそれが中野区公会堂といわれたころから、この公園と一緒に存在は知っていた。虹遊会は東京都生協連の会館がコロナで使えなかった昨年はゼロホールに併設の絵画工作室を使ったので、昨秋のスケッチもこの公園だった。今回は公園の入口でゼロホールと併設の区立図書館の一部を入れて描いた。区の広報の方が私たちのスケッチ姿を写真に撮り、区報に載せるかもしれないと言っていたが、区民でない私はその区報は見ていない。中野・もみじ山公園スケッチ

  • スケッチー御岳渓谷2

    青梅線の御岳駅を出て御岳渓谷の途中でスケッチを始めたのが10時半、スケッチを1枚描いておにぎりを食べ、写真を撮りながら歩いて2枚目を描いて13時半に集合場所の澤乃井園ガーデンに到着。小沢酒造の澤乃井を一杯いただくのが楽しみだったが、今回はそんな元気はなかった。御岳駅から近い紅葉の多いところはライトアップもしているようだが、途中の散策路は狭く、写真撮影も場所を譲り合っていた。対岸は若者でないと降りられない箇所が多く、キャンプ姿も見られた。我々の終点の澤乃井園はほぼ満席。”紅葉狩り”の宴会の人たちもいた。スケッチー御岳渓谷2

  • スケッチー御嶽渓谷

    昨日、グループMの皆さんと奥多摩の御岳渓谷でスケッチをした。青梅線の御岳駅から沢井駅までの多摩川沿いの約2キロの散策路。スケッチには何回か来ており、御岳橋の上流や玉堂美術館の周辺は描いたことがあるので、今回は沢井駅のちかくの下流で描くことにした。写真のように横だと紅葉が多かったが河の流れを入れて縦の絵にした。渓谷の両岸は紅葉の盛りで、スマホとカメラを手にする人が多かった。対岸の玉堂美術館まえの銀杏の黄色は輝いていた。写真スケッチー御嶽渓谷

  • 初秋の入間川

    先月下旬に埼玉の入間川にスケッチに行った。入間川はバーベキューなどで賑わう飯能河原が人気だが、その川下の西武池袋線の仏子駅に近い中橋から描いた。左手の土手の桜は花時はさぞ素晴らしいと思われたが、来春の花時にしきに来られるかかどうか。元加治駅から仏子駅まで河川敷に降りたり上がったりして歩き、脚に歳を覚える一日だった。写真に電車の姿がないのが寂しい。下は、先に紹介した熱海スケッチ旅行の折の作品の3枚目。初秋の入間川

  • 熱海港のヨットハーバー

    スケッチ旅行での熱海港のヨットハーバー。ヨットは昔ちゃちなもので遊んだことがあるだけで、立派なヨットの構造はわからないので、きちんと描こうとすると時間が予想以上にかかる。前に葉山の海岸で帆を張って走るヨットを描いたときは楽しかったが、今回は沖に帆は見えなかった。帰宅して現像した写真を見ると絵とはかなり違う。位置も違うが、気に入らないもの描きづらいものは描いてない。熱海港のヨットハーバー

  • 熱海城からのスケッチ

    虹遊会メンバーの久しぶりのスケッチ旅行で熱海にいった。「遠いところはちょっと」という私のような高齢者が増えたので近い温泉場になったが、近くのヨットハーバーもケーブルで行く熱海城もスケッチにはよい題材が沢山あった。たまたま翌日から旅行支援策が始まり、翌日も泊まり絵を描いたメンバーには特典もあった。もちろん、一泊で帰った仲間にも特典は後でわけることにしました。この絵はケーブルであがった熱海城の広場から西の錦ヶ浦を描いたもの。あとはスケッチしている仲間、熱海城、熱海港です。翌日はホテルからすぐ近い熱海港でヨットハーバーのヨットを描きました。熱海城からのスケッチ

  • 朝顔ー虹遊会で

    生協仲間の虹遊会の例会は6月から中野の東京都生協連でおこなわれるようになった。7月例会は朝顔やほうずきなどを画材にして楽しんだ。生協会館は1,2階がコープみらい中野店で、3階にある都連事務所の入口ロビーと廊下には虹遊会メンバーの作品を飾ってもらっている。コロナ禍で1年あまり会議室が使えなかったので、久しぶりにメンバーの展示作品の入れ替えをした。私も同じフェレンツェの油彩だが、ドゥオーモ(大聖堂)に替えた。ロビーの絵は左から藤岡武義さん、斎藤、板倉洋子さん。朝顔ー虹遊会で

  • 今こそ平和と暮らしを守る政治を

    今こそ平和と暮らしを守る政治を―参議院選挙にあたって生協だれでも9条ネットワーク世話人会斎藤嘉璋ロシアのウクライナ侵攻は国連憲章に違反する理不尽な侵略戦争であるだけでなく、子供を含む市民への無差別攻撃など国際人道法に反する戦争犯罪として世界の人々から抗議、非難がされています。私達を含め日本の国民はこの戦争の一刻も早い停止を願い、多くの犠牲者、戦争避難民などへの支援の取り組みを進めています。この戦争では核兵器使用の威嚇まで出ており、そのような脅威から人類を守るため、世界の多くの人々は「国連憲章をまもり戦争はしない=平和」の大切さを痛感しています。私たちが誇りにし、守ろうとしている日本の憲法は、武力行使を原則禁止している国連憲章と理念を同じくするものです。しかし、日本ではロシアの国連憲章違反を非難しながら、一...今こそ平和と暮らしを守る政治を

  • グループM作品展のご案内

    グループMの作品展が国分寺の司画廊で開催されます。この絵は昨年秋にグループで出かけた相模湖で描いたもの。他1点を出展します。コロナの影響で昨年は10月開催でしたが、今年は例年通りの6月開催に戻りました。幹事として会員募集のチラシをつくったので、これも私の作品として紹介します。生協仲間の虹遊会もそうですが、いい歳なので世話役は降りたいのですが、若いメンバーがなかなか増えません。いろいろな組織、グループ共通の悩みのようです。グループM作品展のご案内

  • スケッチ・北山公園と菖蒲

    東村山市の北山公園にグループMの皆さんとスケッチに行った。狭山丘陵の端にある北山公園の秋の風景は好きで、何回かスケッチしているが、菖蒲まつりのある初夏は込み合うのでスケッチは遠慮していた。この日は菖蒲の開花は少なく、小雨の予報で人でも少なかった。雨を気にして屋根のあるあずまやで描いたので菖蒲の花は近くになかった。公園の田んぼでは子供の「田植え体験会」が楽しそうに行われていた。高校生のころまで田植えを手伝っていたころの腰の痛さを思い出し、懐かしかった。た。スケッチ・北山公園と菖蒲

  • 新宿御苑でスケッチ

    毎月第2水曜日が虹遊会の絵の会だが、まだコロナ禍が収まらず東京都生協連の会場が使えないので新宿御苑での野外スケッチとなった。連休も終わり、わりに人でも少なくて新緑の風景を楽しめた。広い新宿御苑には和風の庭もバラ園も子供の広場もテーマ豊富だが、今回は皆さんはこのNTTビルや台湾邸が映る池のそばでスケッチした。その作品は次回持ち寄ることになっているので、このブログでも紹介したいと思っています。新宿御苑でスケッチ

  • 新緑の和田堀公園

    久しぶりにグループMの皆さんと野外スケッチに出かけた。場所は杉並区の和田堀公園で、桜はほぼ満開の3月末だったが、桜のない池の周りの新緑を描いた。桜は家の近くの散歩コースで楽しんだが、その後の悪天候で、桜街道になっている多摩湖サイクリングロードで散り際の花吹雪を見ることはできないでいる。新緑の和田堀公園

  • 思い出スケッチ・パリーセーヌ河畔、モンマルトル

    ピレネー・南仏の旅の最終日はパリ。夕刻まで自由行動で、ご一行は福田さん、大友さんを含め定番の観光コースへ。私は安藤君とルーブル美術館へ。ところが入場券売り場には長い列、何か特別企画らしいが言葉が不自由でわかない。時間がもったいないと考え、モンマルトルの丘に向かう。サクレ・クール寺院からパリの街をながめ、テルトル広場でスケッチ。午後、地下鉄でルーブル美術館の近くの駅に降りたが、セーヌ河畔を歩くうちに立派な絵を見るよりも自分でスケッチがしたくなった。テルトル広場の絵かきたちの雰囲気が大きく影響していた。(下)モンマルトルのテルトル広場は土産物屋のテントや自分の絵を売るあるいは似顔絵を描く絵描きなどで賑わっていた。その様子を絵にできそうな喫茶店の店先に席を見つけ、恥ずかしそうにスケッチを始めた。が、誰も気にする人はい...思い出スケッチ・パリーセーヌ河畔、モンマルトル

  • 思い出スケッチ・南仏-カルカソンヌ、アルル、アビニヨン

    ピレネーのガバルニー渓谷ハイキングのあと城壁都市カルカソンヌへ。広大な城壁都市を見学し、その出入口になっているコンタル城を出て皆さんがお土産を買ったりしている間にスケッチ(下)。外からのカルカソンヌの全景はラフスケッチはしたが、後で写真を見て描き直した。続いてプロバンス地方のアルルとアビニヨンに行った。アルルではホテルの窓から様子が分からないままスケッチした(下)。ゴッホゆかりの跳ね橋やレストラン、病院をバスで回ったが、スケッチの暇はなかった。絵にしたいと思った円形闘技場もあれこれ写真を撮ったが、時間がなく絵はあとで描いた。このスケッチとカルカソンヌの城壁は帰国後に油彩にした。水彩も勉強し直さなくてはと思ったが、石造りの古城やレンガ造りの街は油彩で描きたくなった。アビニヨンではローヌ河の対岸から歌で有名なアビニ...思い出スケッチ・南仏-カルカソンヌ、アルル、アビニヨン

  • 思い出スケッチーピレネー南仏の旅

    前回、加藤先生の絵の紹介で自分もピレネー・南仏の旅でスケッチしたと書いたら、それを紹介せよと言われた。そこで、十数年まえの思い出のスケッチを紹介することにした。その第1回目は2007年に行った[ピレネー・南仏の旅]で、メンバーは埼玉の大友弘已夫妻の山好き仲間だった。招待参加は私と元日本生協連専務の福田さんと元東京都生協連の安藤さん。パリから南仏西北部のピレネーの山麓の街コトウレに入り、ピレネー国立公園の最高峰ビニュマール山(3300m)を望む峠(2200m)までのハイキング。80歳の福田さんとスケッチが目的の私はその途中のコープ湖まで。そこでのスケッチはボールペンと水彩。上)ビニュマール山のスケッチ下)左から福田、安藤、斎藤。コープ湖にてその翌日はガルバ二―大渓谷のハイキング。円形劇場型の巨大な谷に滝が落ちる。...思い出スケッチーピレネー南仏の旅

  • 先生の絵ーサンセバスチャンの橋の袂で

    高校時代の絵画の先生のあとは現在、水彩スケッチの指導をいただいている先生の絵です。高校の伊藤先生からは木炭での石膏像のデッサンから水彩、油彩と3年間学んだが、先生が得意の油彩の時間が最も多かった。そのため東京に出てきてからも学生時代に時々描くのは油絵だった。ただ、生協の仕事が忙しくなると水彩スケッチが多くなり、年金生活に入ると「野外で、グループで」という条件から水彩が中心になった。しかし、絵具をゴテゴテ塗る油彩に馴染んだ私は水彩は最初から学び直す必要があった。朝日カルチャーで網干啓四郎先生からダーマ―ト・淡水画を学び、現在はこの絵を描かれた加藤正三郎先生のサークルに入り学んでいる。この加藤先生の絵はスペインのサンセバスチャンの橋の袂でのスケッチで、昨年秋の個展で展示された作品を妻が気に入り購入した。サンセバスチ...先生の絵ーサンセバスチャンの橋の袂で

  • 先生の絵ー佐渡・金北山

    寒さとコロナ禍のため野外スケッチは2か月ほど休んでいる。数年前に描いた油彩の気になっていた部分の手入れなどが最近の作業。その作業中に初めて油彩を教えていただいた高校美術部の伊藤政二先生の絵をあらためて見つめ直した。この油彩画は金銀が出た佐渡が島のシンボル・金北山を私の実家がある国仲平野から描いたもの(金北山は1200余Mだが海抜ゼロの平野部からはそれ以上に高く見える)。この絵の山脈の左端の相川町に今、世界文化遺産の登録をめぐって話題になっている佐渡金山がある。佐渡金山には過酷な労働現場を維持するため江戸時代には罪人だけでなく「無罪の無宿者」が百年間に1900人ちかく送り込まれたという。その理不尽な人狩りと地底の労働と暮らしは歴史書にも小説にも書かれている。しかし、朝鮮を植民地にしてからの半島の人々に対する過酷な...先生の絵ー佐渡・金北山

  • 50年前の学生運動ー暴力のもたらしたもの

    学生時代から親しくさせていただいている先輩の稲川和夫さん(元ならコープ理事長。元早大生協幹部職員)から手紙をいただいた。メールやフェースブックを覗くより手紙の手書きの文章はうれしい。ただ、今回の手紙は、50年前に大学生協関西地連事務局長であった稲川さんを手こずらせた過激派学生のその後のことを「抵抗と絶望の狭間」という本で知り驚いたということで、長文だった。それは稲川さんたちの論争相手であった彼ら=塩見孝也(京大)や森恒夫(大阪市大)が上京し、赤軍派や連合赤軍のリーダーとして過激な行動を繰り返し、内ゲバで多くの仲間を殺し、あさま山荘事件などを起こしたことを嘆き、批判するものでした。関西地連傘下の大学生協が彼ら過激派の暴力のもとで混迷、困難下にあったころ、東京の大学生協は彼らの直接介入は許さなかったが、全共闘運動の...50年前の学生運動ー暴力のもたらしたもの

  • 3つの生協組織の70年誌

    昨年は私がお世話になった早大生協、日本生協連、東京都生協連がそろって創立70周年を迎えた。3組織ともコロナ禍のため先輩などを集めての記念集会やパティーなどは控えられたが、周年記念としての70周年史誌は発刊された。コロナ禍で存亡の危機といった状況に直面した早大生協からも年明けに70周年記念誌が送られてきたのでホッとし、うれしかった。早大生協は学生理事として法人化などにかかわり、10年後の70年代には大学紛争の続く中で常勤役員を務め、その役職員の協力で地域での生協運動の拡大に注力できた私の生協人生の母体である。2020年、コロナ禍で学生の登校などがなくなり、食堂や食品部の利用は9割、全体で6割の供給減少で4億円の赤字で存亡の危機と聞かされた。コロナに関する営業補償などもあり20年度の赤字は1.6億円となったが、21...3つの生協組織の70年誌

  • スケッチ・国立駅の旧駅舎

    今年もこのブログに新しい絵を載せ続けるつもりですので、よろしく。年賀状の佐渡・真野湾の絵は秋のグループM展に出したものですが、描いたのは4年前です。コロナ禍もあり長らく帰省できない想いを込めて賀状に使った。JR国立駅舎の絵は昨年最後のスケッチ。現JR中央線となる路線が西武鉄道の創業者・堤康次郎の手で開発がすすめられたころ、国分寺駅と立川駅の中間に学園都市をつくこととなり「国立駅」が生まれたという。大正末に造られた旧駅舎は三角屋根にロマネスク風の半円窓を持つモダンな建物で多くの都民に親しまれたが、2006年中央線の高架化に伴い解体された。高度成長期に多くの建物がそうであったように、都市としての美観も住民の気持ちも無視された。その後、住民の声と募金が実り、駅前に旧駅舎の一部が再建されたのは2020年。この駅舎の前の...スケッチ・国立駅の旧駅舎

  • 大銀杏のある山門ー広徳寺

    大銀杏で有名なあきる野市の広徳寺。グループMのスケッチで11月末に行った。JR五日市線の終点・武蔵五日市駅から秋川の上流に向かい、小和田橋を渡った山懐にある。2本の大銀杏は黄金色に輝いていたが、この絵は山門が主となった。実家の佐渡の本光寺の大銀杏は多くの銀杏をまき散らし、もう裸木になっているだろうなと思い出しながらのスケッチだった。大銀杏のある山門ー広徳寺

  • 青梅・釜ヶ淵の秋ー2

    青梅・釜ヶ淵でのスケッチの続き。2日目は鮎美橋の上から上流の景色を描いた。妻と娘は前日のスケッチで疲れたと言って、河原で焚火を始めた家族とおしゃべりするなどしてスケッチはやめた。久しぶりのスケッチでうまくいかないため疲れたのだと思う。2枚目の絵は20年前の妻・美知子の釜ヶ淵上流での作品。「元気で明るいいい絵だ」とほめたが、今回は帰宅後もスケッチは投げ出したまま未完だ。上は鮎美橋からのスケッチ。下は釜ヶ淵上流での美知子の旧作青梅・釜ヶ淵の秋ー2

  • 青梅・釜ヶ淵の秋

    11月末、青梅・釜ヶ淵で絵を描いた。20年も前に妻と娘でスケッチに来たことを思い出し、今回は同じ3人で1泊どまりで来た。小平から青梅は電車で1時間もかからないので、絵にある「かんぽの宿・青梅」にチェックインするまでに十分スケッチを楽しめた。奥多摩の山と多摩川の渓流は秋の盛り。コロナ禍のもと宿の最上階にある大浴場は「黙浴」だったが、朝風呂の景色はよかった。かってはバーベキューを楽しむ人々で賑わっていたが、最近はバーべキューのルール規制が厳しいためか、コロナのためか人影は少なかった。宿は高台にあり、橋は上っているように見えたが写真は違う。自分でも?」青梅・釜ヶ淵の秋

  • 小平中央公園の秋

    昨日、秋の小平中央公園で仲間と一緒にスケッチをした。公園のイチョウ並木に地元の武蔵野美術大学の学生のテントがあり、開催中の「KODAIRAART]の宣伝をしていた。公園内の林の中や広場と鷹の台駅周辺に約50の作品が展示中で、芸術の秋。写真の彫刻などはその一部。私達も芸術の秋の一端を担って絵筆をとった気分だったがーー。夏は子供が遊ぶ水場だが、モミジが舞っていた。芸術に関心のない子供たちは大道芸のお兄さんに楽しい曲芸を習っていた。小平中央公園の秋

  • 風景・水彩スケッチ会の作品展

    風景水彩スケッチ会の作品展が国分寺の司画廊で開催されています。同画廊では10月にグループM展が開催され、コロナ下にもかかわらず多くの方に来ていただきありがとうございました。引き続いてのこの会の作品展はご案内を出していないので、ここに出展の3点を紹介いたします。コロナ禍で1年あまり作品展が開催されず、今秋は二つの作品展が続きましたが、来年からはいつも通り6月開催の予定です。秋の松原湖(上)狭山公園のたつちゃん池(下)百草園にて風景・水彩スケッチ会の作品展

  • 曼殊沙華の咲く池ー昭和記念公園

    昭和記念公園でのスケッチの2枚目は”こもれびの里”の先、砂川口の近くにある”こもれびの池”で描いた。黄色と白の曼殊沙華が咲き、柳の揺れる風情に秋を感じた。スケッチの仕上げは帰宅してからと腰を上げ、砂川口の休憩所でコーヒーを飲みながらが学生時代にテレビで見た砂川闘争の映像を思い出していた。それはこの穏やかな風景から想像できない荒らしいものだった。昭和記念公園はJR西立川駅からの西立川口から西武線の武蔵砂川駅にちかいこの砂川口まで直線で約2キロ、公園の広さは180ヘクタールだがそれが米軍立川飛行場であったころはさらに一回り広かった。しかし、それでは狭いと米軍から拡張要求が出され、そのため周辺の農地への立ち入り測量が始まり、反対する農民と支援する労組員、学生との”砂川闘争”となった。1956年、早大に入学し東伏見寮に...曼殊沙華の咲く池ー昭和記念公園

  • コスモスのある広場(昭和記念公園)

    久しぶりの野外スケッチ。昭和記念公園で水彩スケッチの会の皆さんと「みんなの広場」でまだ咲き始めたばかりのコスモスと広場を描いた。この公園は180ヘクタールもあり、何度も来ているがまだ行かないところがあるので、あちこち歩き回って見ることにした。「日本庭園」の先の「花の丘」はキンポウゲの黄色で埋まっていた。「こもれびの里」には古い民家と田んぼなどもあり、その丘の上の眺めは故郷を思い出させた。途中でディスクゴルフ場に迷い込んだり、甘酒と団子の小屋に立ち寄ることや汽車の形のバスにのりたいのを我慢して、公園の北の端・砂川口に向かった。そこで白と黄色の曼殊沙華の咲く池のほとりでスケッチ。朝はJR西立川駅で降りたが、かえりは西武拝島線の武蔵砂川駅まで歩いた。スマホの万歩計は9700歩になっていた。学生時代の「砂川闘争」のころ...コスモスのある広場(昭和記念公園)

  • 国民学校3年生の8月15日

    76年前の8月15日、私は国民学校3年生だった。熱い夏のその日、ラジオのある我が家には近所の大人たちも集まり、「天皇陛下のお言葉」を固い顔をして聞いていた。聞こえてきた言葉は一言も理解できなかったが、母親が日本はアメリカに負け、戦争が終わったらしいと教えてくれた。不機嫌な大人たちから逃れるように子供たちは「泳ぎにいこう」と5人ほどで海に向かった。家からから海辺までは、坂道を転がるように走って行くと20分くらいで着いた。防風林の松の木の根元にシャツとズボンを脱ぎ捨てると熱い白砂を踏んで海に駆け込む。しばらく経って松の木の下に集まる。皆な「戦争に負けた」ということが気になり、神妙な顔つきだった。1年生が「戦争に負けたらどうなるの」と聞く。5年生が「アメリカが飛行機や軍艦で押し寄せてくるんだろう」という。アメリカ人は...国民学校3年生の8月15日

  • 残暑お見舞い申し上げます

    残暑お見舞い申し上げますコロナ禍がおさまらず、今年も故郷・佐渡には帰れないので懐かしい尖閣湾の絵を写真を見ながら描いた(上)。スケッチに出かけることがほとんどなく、代わりにZOOMなどonline生活に慣れた。子供や孫とはlineで楽しみ、硬い仕事はZOOMなどで。この夏は「生協の歴史から戦争と平和を学ぶ」の学習会の講師をZOOMで、同じテーマでの情報誌の取材もZOOMを使って話し、生協総研での公開研究会もonlineだった。この公開研究会には200人を超える全国からの参加者があり、60人もの方から感想文もいただいた。コロナのお陰でonlineのすごいところを学んだ。しかし、今進行中の作業はこの秋出版予定の「日本の生協運動の歩み」の監修。紙と活字との長い付き合いが続いている。近況報告です。残暑お見舞い申し上げます

  • 国分寺・お鷹の道の農家

    久しぶりに先週の梅雨の晴れ間に国分寺のお鷹の道でスッケッチをした。グループMの皆さんと一緒で、それぞれお鷹の道湧水や国分寺楼門などを描いたが、私は湧水の近くの赤い屋根のある農家を描いた。藁ぶき屋根を赤いトタン屋根で覆った家屋と白壁の蔵がいい。一休みのつもりで「武蔵国分寺跡資料館」を覗いたら、「朱鷺のはく製」にお目にかかった。しばらく故郷の佐渡の帰れず、放鳥されている朱鷺にも会えなかったのでうれしかった。生まれた真野町に佐渡国分寺があり、町が国分寺市と姉妹提携にあることは知っていたが、このはく製は国分寺市の市制50周年を記念して2016年から「貸与」されているという。朱鷺にお目にかかり、資料館で時間をかけたので、この絵の仕上げは自宅でやる結果になった。国分寺跡資料館でなつかしい朱鷺に会えた。奥にお鷹の道の湧き水が...国分寺・お鷹の道の農家

  • 虹遊会・仲間の絵ー5

    虹遊会の仲間の絵はこれ以上は集まらないので、ブログ掲載はこれで一休みします。コロナの勢いは収まらないので、中野での例会も当分再開は無理のようです。私の作品を載せられるよう頑張ります。九里健一「博多人形ー山笠」パステル九里さんはパステル画のベテラン。会のパステル画初心者にはパステル画の技法を教えています。技法はわかってもこのように緻密にきれいな絵に仕上げるのは大変で、私は音を上げます。(かしょう)虹遊会・仲間の絵ー5

  • 虹遊会の仲間の絵ー5

    静物画3点ー例年だと大学生協友の会総会が杉並の大学生協会館で開催され、それに合わせ虹遊会の作品展が会館ロビーで開催されるのだが、今年の総会はオンライン開催。ということで虹遊会展も中止でさみしい。石田せつさんー「枇杷」水彩石田せつさんーチュリップ水彩中井浩子さんー柿ー油彩中井さんが初めて油彩に挑戦した作品。いろいろな画材に挑戦している腕まえなので、初めてとは思えないできばえです。虹遊会の仲間の絵ー5

  • 虹遊会の仲間の絵ー4

    中井浩子さんの人物画中井さんは虹遊会とは別にクロッキーの会に所属し、裸婦を木炭だけでなく水墨でも描く。喫茶店などでおしゃべりしているときも小型のスケッチブックにサインペンなどでサラサラと人物を描く。前回紹介の石田さんは早大生協と最後は日本生協連でご一緒し、中井さんとは日本生協連の古い仲間ですが、残念ながら人物画をご一緒することはなく、私は人物画が描けない。①自転車の人ーペンと水彩②クロッキーペンと水彩虹遊会の仲間の絵ー4

  • 虹遊会の仲間の絵ー3

    コロナ禍で休会中の虹遊会の仲間の絵をこのブログで紹介しようと企画したが、絵を写真に撮ってメールで送付することがうまくいかない方から作品が集まらなかった。幹事長の柳ケ瀬直人さんがその作業を手助けし、お二人から作品が寄せられたので紹介します。石田せつさんの人物画石田さんはふだん虹遊会では水彩で静物画を描いていますが、人物画が得意で、最初の2枚はパステルで、芸妓さんは水彩です。人物画が苦手なかしょうは3枚とも感心するばかりです。人物①パステル人物②パステル人物③水彩虹遊会の仲間の絵ー3

  • 百草園の牡丹

    虹遊会の仲間の絵の掲載を続けるつもりが、応募が途切れたので自分の絵にします。4月に行った多摩丘陵にある百草園でのスケッチ。梅ノ木と牡丹と茅葺の風情が百草園らしいと思った。(ダーマ―トと水彩)百草園の牡丹

  • 虹遊会の仲間の絵2

    かしょうの紹介ー虹遊会はメンバーが大学生協友の会会員が多く、年1回の作品展が大学生協会館でおこなわれています。大久保厚さんはその大学生協友の会の事務局を長年務められており、虹遊会では作品展やスケッチ旅行などの世話をしている。柳ケ瀬さんは入会するとすぐに会の幹事長を引き受け、忙しい。二人とも大学生協で専務というサービス業務をやり、この会でも新人扱いにされ特に女性会員へのサービスで忙しく、絵の練習時間は少ないようです。大久保厚(水彩)合肥三河(中国)「これは、2017年3月に訪問した安徽省省都「合肥」の観光地として紹介されていた古くからある郷鎮の一つである「三河鎮」で出会った橋。この線形美が忘れられない。」柳ケ瀬直人(水彩画)別府温泉・竹瓦共同温泉「明治12年創設の別府温泉を代表する竹瓦共同浴場。現在の建物は昭和1...虹遊会の仲間の絵2

  • 虹遊会の仲間の絵ー1

    かしょうの元職場・生協の仲間たちの絵の会「虹遊会」も、コロナ禍で毎月の例会も春の作品展も中止になっています。そこで皆さんの作品をこのブログで紹介することになりました。<かしょうの紹介=藤岡さんは油彩では仲間内のトップです。板倉さんは抽象画ですが、パステルの色彩表現はプロです。九里さんもパステルのベテランです。3人とも公募展などに入賞しているので、かしょうは評論できません。絵にあるコメントは本人からいただきました。>藤岡武義<ブルージュの水辺2>(油彩)「8年前の4月にベネルックス3国への旅行の際に撮影したベルギーのブルージュでの風景です。2とあるのは別の絵を描いているためです。真ん中の木製格子の光のコントラストが魅力的でした。」板倉洋子<河辺の風景>(パステル)だしながら「ふるさとの春の風景を思いだしながら描き...虹遊会の仲間の絵ー1

  • 多摩丘陵の絵ー百桑園

    多摩丘陵にある百桑園でスケッチした。初めてなので見晴台まで登ったら富士が見えた。多摩モノレールで玉川上水駅から高幡不動駅にむかう途中からも富士は見えたが、これはチャンスと描きはじめた。1時間ほどで彩色を終え、写真を撮ろうとしたらご覧のように富士は霞がかかっていた。同じ見晴台で反対がわの多摩丘陵を描いたのが2枚目。この絵の左方面の遠方には新宿のビル群が見えた。昨日は天気も良かったので、お握りの昼食のあともう一枚描いた。ご一緒した風景水彩の会の皆さんも口ぐちに早くコロナを忘れて絵を描きたいと語っていた。多摩丘陵の絵ー百桑園

  • 新緑の池ー小金井公園

    久しぶりの野外スケッチ。グループMの皆さんと小金井公園で描いた。新緑の風景は、バードサンクチュアリ地区の雑木林にある池。いくつもある広場は子連れの家族で賑わっていたが、新宿御苑や井之頭公園にくらべると数倍の広さなのでコロナの心配はなかった。我が家からは多摩湖サイクリングロードを自転車で走って行けるところなので、また行こう。雑木林の他にも絵にしたい風景がいくつもあり、写真に収めた。新緑の池ー小金井公園

  • 原風景ー佐渡・真野湾

    コロナ禍のもと外に出てスケッチすることをやめ、古い写真や資料の整理をしているうちに”自分史”的なものを書き始め、絵を描くことからしばらく離れた。だが、亡くなった安野光雅の「原風景のなかへ」を読んでるうちに、絵で自分史が綴られたらいいなと考えた。この絵は5年ほど前に佐渡に帰った時の写真から描いた”私の原風景”の一つ。真野湾と金北山。絵はもちろんだが文章でも安野光雅にはとてもかなわないので、絵本での自分史は無理のようだが、ときどき「私の原風景」を描きたいと思う。原風景ー佐渡・真野湾

  • 新年おめでとうございます

    ご挨拶が遅れました。昨年の作品を「フォトアルバム」として載せましたが、コロナ禍のもと野外スケッチの作品が少ないです。今年はもっと外で描きたいと思っています。新年おめでとうございます

  • かしょうの絵―ブログに載せた作品2020年ー斎藤嘉璋かしょう

    かしょうの絵―ブログに載せた作品2020年ー斎藤嘉璋かしょうかしょうの絵―ブログに載せた作品2020年ー斎藤嘉璋かしょう

  • 昭和記念公園の秋

    先週末にグループMの皆さんと昭和記念公園に行った。いつもJR西立川駅からだが、今回は立川駅から向かった。多摩モノレール立川北口駅を過ぎると間もなく昭和記念公園の秋の風景が広がって見えたが、公園の外にもスケッチを始めているグループがいた。この絵は噴水のあるイチョウ並木の先のひろばで描いた。名物のイチョウ並木。残念ながらイチョウは落葉していた。立川口の入り口近くのイチョウ。噴水が見える。昭和記念公園の秋

  • 狭山公園・宅部池の秋

    都民の水がめの一つ多摩湖(村山貯水池)の堤防から広がっている狭山公園は秋の盛りだった。ススキの丘陵も描きたかったが、子供たちと遊んだ思い出のある宅部池(かっては太郎池と呼ばれていた)で一枚描いた。かっては自由だった(?)釣りは禁止、岸辺に降りることも禁止になっていたが、バックの「野鳥の森」は昔より豊かになった感じがした。多摩湖の取水塔。多摩湖の奥に狭山湖がある。太陽ひろばのススキ右手が野鳥の森狭山公園・宅部池の秋

  • 日比谷公園ー秋の雲形池

    先週、プレスセンターでの会合に参加のおりに日比谷公園を通り、秋模様を写真に撮った。雲形池の紅葉も盛りで、松本楼のイチョウも良かったがスケッチの時間はなかった。国会前行動の前はよく集会が開かれていた音楽堂は花に囲まれて静かだった。この絵は写真から描いたが、写真はうまく撮れすぎて絵がかわいそうだ。日比谷公園ー秋の雲形池

  • 立川・根川緑地

    この絵の根川緑地の根川は上流が残堀川で、500m下流で多摩川に流れ込む。近くにはもっと赤い紅葉も見えたが、川沿いにはなかった。多摩モノレールで玉川上水駅と柴崎体育館駅を往復したので遠景の富士もふくめ秋の風景は良かったが、写真は上手く撮れなかった。立川・根川緑地

  • スケッチ・紅葉山公園

    コロナ禍のもと虹遊会の会場が中野の生協会館から同じ中野にあるゼロホールに移った。中野区の運営する区民のための施設を月1回借りることとなり3回目だが、11月は天気がいいので外でのスケッチにした。といってもゼロホールと敷地続きの紅葉山公園のスケッチ。初めて上京して転がり込んだのがこの近くの橋場町の兄貴の下宿だった。その後も今のゼロホールのまえの区民会館には何回も来たことがあるので、公園の様子は変わっているが、懐かしい感じで描いた。紅葉山なのに肝心の紅葉はまだ赤くはなりきっていなかった。そこで昨年の紅葉の絵です。これは国分寺の殿ヶ谷公園で描いたもの。スケッチ・紅葉山公園

  • スケッチー秋の秋川渓谷2

    白いススキの穂がゆれて秋を呼んでいた。山も周りもまだ紅葉は少ないが、すぐ秋は深まるだろう。しばしコロナを忘れて描いていたが、寒さとともにコロナが強くなるというのが困る。武蔵五日市駅から15分くらいの渓谷とも言えない秋川の川原で。スケッチー秋の秋川渓谷2

  • 初秋の秋川渓谷

    多摩川の支流・秋川でスケッチした。五日市線の終点・武蔵五日市駅から秋川橋の先の河原・バーベキューランドを通ッテ上流の小和田橋へ。河原では朝からテントがならびバーベキューの準備が始まっていた。人だけが通れる「歩み橋」を渡ると刈り入れ作業中の田んぼとマスク姿の案山子に出会った(写真)。スケッチはグループMの皆さんと一緒に小和田橋の先で描いた(写真)。まだ、紅葉は少なかったが久しぶりの野外スケッチが楽しめた。初秋の秋川渓谷

  • レンヌの街ー2

    レンヌの街の魅力は木組みの建物。このような木組みの建物はドイツのロマンス街道の写真でみて「いいな」と思っていたので、フランスにもあって「いいな」と思った。レンヌの街ー2

  • レンヌの街

    フランスのブルターニュ地方はモン・サン・ミッシェルは観光で行き、スケッチを試みたことがあるが、レンヌには行かなかった。「風景水彩スケッチの会」で先生の写真を借りて描いた。先生は短時間にスケッチらしい動きのある線で描くよう指導するが、おもしろくない固い絵になってしまう。レンヌの街

  • スケッチ・四谷見附

    この間、コロナと猛暑で野外スケッチに行けないが時間はあるので、かって描いたラフスケッチをペン画にして、スケッチと言えないスケッチ画を描いている。この絵はJR四谷駅のある四谷見附橋から麹町方面を見たもの。四谷見附橋は外堀の上の新宿通りにあり、右に外堀の石垣と桜の木があり、聖イグナチオ協会の丸い建物と上智大の校舎が並ぶ。左端の見えないところに日本生協連のフロアもあるエフプラザのビルがある。エフプラザが主婦会館であった半世紀まえからこの地はよく来る、懐かしいところで何回かスケッチも描いた。だが、納得できる絵がまだない。スケッチ・四谷見附

  • 残暑お見舞い申し上げます

    残暑お見舞い申し上げます

  • <被爆75年ーヒロシマ・ナガサキ>

    6日の広島につづき9日には写真のように長崎の平和祈念式典などの一連の行事が行われた。日本生協連のピースアクションINヒロシマ・ナガサキはオンラインで実行され、8日は長崎で「虹のひろば」が開催された。zoomを使ってオンラインでおこなわれている「虹のひろば」の様子はyuotubeでみた。田上長崎市長の挨拶や藤井日本生協連専務の挨拶、被爆者の田中重光さんの被爆体験と被爆者団体代表としての訴えなどのほか、2日間にわたって行われた諸企画の報告があった。会員生協の写真を使っての活動報告が東京の東都生協、福岡のエフコープ、コープおきなわからあった。NPOピースデポ事務局長の中村桂子さんは核兵器の現状と問題点を分かりやすく話された。今年の広島と長崎の平和行事をTVやオンラインで見聞きしての感想。核をめぐる情勢の悪化=核兵器禁...<被爆75年ーヒロシマ・ナガサキ>

  • 「友愛協同論」の紹介

    「友愛協同論-くらしの地平から」について7月はじめにコープあいちの関わる「くらしと平和・憲法を守る実行委員会」の「生協と平和」の学習会に参加した。その企画の中心になった「地域と協同の研究センター」から表記の冊子を贈っていただいた。全体を読んだわけではないが、私なりに「いいな」と思ったので紹介します。この本は「友愛・協同研究会」の編集発刊となっているが、同研究会は前記研究センターの中心メンバーの野原敏雄先生(中京大名誉教授)の問題提起を受けて「『友愛協同』を近未来社会の基底におくべきものとして多角的に考え、それを協同・協同組合のあり方にどういかすかについて」15人のメンバーが8年間、40回を超える研究会で報告論議を重ねたものを10人のメンバーが分担執筆したものです。メンバーには田辺準也さん(めいきん生協)や八木憲...「友愛協同論」の紹介

  • スケッチ・サイクリングロード

    梅雨の晴れ間に久しぶりの野外スケッチ。狭山湖からのサイクリングロードの途中、小平の竹の子公園の近くで一枚。蚊が出たので雑な線が出てしまったが、自転車の人も散策の人も楽しそうだったので皆な描いた。サイクリングロードには小平市ゆかりの彫刻家・斎藤素巖の彫刻が多数展示されており、竹の子公園にも老人の像と笛吹の像がある。帰路、小平駅近くのあじさい公園では池のハスの花を楽しみ、私の好きな素巖の2つの女性像にも会った。スケッチ・サイクリングロード

  • 建物のある風景ー北フランスの住宅

    久しぶりに「風景スケッチ会」の室内講座に参加して「建物スケッチ」に挑戦した。画材は先生が北フランスの旅で撮った写真の一枚、ダ―マートと水彩で。コロナ騒ぎに入ってから野外スケッチに出ていないので、水彩画を描くこと自体が久しぶりだった。梅雨があけて、人混みでなければ外出ができるようになることを祈る毎日。建物のある風景ー北フランスの住宅

  • 60年安保闘争の記憶=「薔薇雨」を読む

    「薔薇雨ー1960年6月」手塚英男を読んだ。60年前の安保闘争については、このブログで5月19日と23日に自分の思い出を書いた。この本は6月15日の全学連の警官たいとの衝突で亡くなった樺美智子について東大の学生仲間であった筆者が書いた小説風のドキュメントである。勤評、警職法、安保と続く学生運動の高揚期に筆者と樺は共産党に入党するが、樺は党の路線に満足できず全学連主流派として筆者とは別行動をとる。当時の党や自治会や寮、セツルメントなどでの運動路線をめぐる論争や幹部の動向を書いたためか樺を「彼女」とし、自らも仮名にしているので実録記とは言えないが、同じ時期に学生運動の一翼にいたものとしては生々しいドキュメントに読めた。この本の筆者とは59年11月の国会構内への雪崩込みの時や羽田空港でのハガチー来日抗議の行動などで一...60年安保闘争の記憶=「薔薇雨」を読む

  • 賀川豊彦につぐ生協の3人のリーダー ③高村勣

    (この小文は昨年、ロバアト・オウエン協会で行った報告を編集したもの)③高村勣(日本生協連第5代会長)―事業経営に強いリーダーとして1、生協の近代化、発展をめざして学徒動員、生協の再建へ石黒武重が戦前の上級官吏、終戦時の政界の経験を経て生協に関わるようになったのは49歳の時であり、同様に中林貞男が新聞記者と産業報国会の経験をへて生協に転身したのは38歳の時で、その後それぞれその経験を活かして生協運動でリーダーシップを発揮した。中林のあとを継いで日本生協連の第5代会長となった高村勣ははじめから生協一筋の“生協人間”であり、終戦直後の混乱期から80年代の発展期まで生協の第一線で活躍した実践者であり、リーダーだった。高村勣は1923(大正12)年に大阪で生まれ、神戸商科大(現神戸大)に入学、途中陸軍に入隊、宮崎で終戦、...賀川豊彦につぐ生協の3人のリーダー③高村勣

  • 賀川豊彦につぐ生協の3人のリーダー② 中林貞男

    ②中林貞男―「平和とよりよい生活のために」を体現―1、学生時代、新聞記者、産業報国会石黒武重についで日本生協連会長となる中林貞男は1907(明治40)年富山県生まれで、早稲田大学を出て報知新聞の記者となり、戦時中は産業報国会につとめ、終戦とともに日本協同組合の設立に参加、以後、生協運動に生涯をささげナカバヤシは中林は中林は1926年、賀川の指導のもと東京学生消費組合が発足した年に早稲田学院に入学した。その年、早大では大山郁夫教授が大学から追放されるという事件が起きたが、雄弁会幹事だった中林は雄弁会会長だった大山追放に抗議し「暴圧反対学生雄弁大会」を28,29年と続けて開催するなど学生運動に挺身した。1928年には共産党党員が一斉に投獄される事件(3・15事件)が起き、また悪名高い特高警察ができた年であり、反戦思...賀川豊彦につぐ生協の3人のリーダー②中林貞男

  • 賀川豊彦につぐ生協の3人のリーダー<石黒武重、中林貞男、高村勣>

    <この記事は2019年のロバート・オウエン協会での報告を編集したものです。>賀川豊彦につぐ生協の3人のリーダー/石黒武重、中林貞男、高村勣①石黒武重(第3代日本生協連会長)<はじめに>この報告は日本生協連資料室の土曜講座「生協運動の先駆者に学ぶ」で2017年10月から3回に分けて行った報告を基礎にしたものである。石黒武重、中林貞男、高村勣の3氏はそれぞれ日本生協連の第3代、4代、5代の会長であるが、たまたま私が日本生協連勤務時代をふくめ関係があってその人柄、業績などにつき私なりの評価が可能と考えた人であり、狭義の日本生協連会長としてだけでなく日本の生協運動の優れたリーダーだったと考えられる人である。私が日本生協連の職員になった1960年は日本生協連会長が賀川豊彦から田中俊介に交代した年であり、田中は私の知った最...賀川豊彦につぐ生協の3人のリーダー<石黒武重、中林貞男、高村勣>

  • 60年前の国会周辺=生協の2・26

    写真=59年2月26日、商調法に反対し国会まえに雪の中座り込む生協の代表(「現代日本生協運動史」から)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー60年前の“60年安保”のことをこのブログに書いたが、もうひとつの60年前の国会周辺の出来事として生協の“2・26行動”のことを書いておきたい。正確には61年前の1959年2月26日であるが、日本生協連は生協の規制強化をうたう小売商業調整特措置法(商調法)の成立を阻止するため、国会構内の旧参謀本部跡地にテントを張り、早朝から座り込みのデモンストレーションを行った。当時、学生で大学生協東京地連の理事だった私は数人の仲間とこの活動に参加したが、戦前の2・26事件の時のように雪が降り、日本生協連の理事を中心に全国の代表たちは寒さに耐えながら、交代で国会内の各政党、議員に陳...60年前の国会周辺=生協の2・26

  • 60年前の5月19日(続)=岸は退陣、安倍は?

    60年前の5月19日、500人の警官を国会内に導入しての強行採決で新安保条約は批准されたが、その日をもって焦点は「民主主義を守れ、平和・民主の憲法を守れ」に移り、生協関係でも取り組みが広がった。当時は労働組合との関係が強い地域勤労者生協が多く、安保闘争でも群馬労生協や鶴岡生協などが地域の共闘組織のなかで大きな役割を果たしていた。6月3、4日に開催された日本生協連の総会では大学生協連と東京、群馬、山形、福島の各県生協連から共同で「安保条約改定反対・岸内閣退陣・アイク訪日反対・ゼネスト支持の決議と国会請願」が提案され、4日の総会終了後、総会参加者は国会に向けての請願デモに参加した(写真)。この日は統一行動として総評、中立労連が「6・4ゼネスト」を行い、時限ストなどに460万人が、中小企業、商業、学生や市民の諸団体の...60年前の5月19日(続)=岸は退陣、安倍は?

  • 60年前の5・19-岸首相と安保闘争

    昨日の18日の朝日新聞の「天声人語」に60年前の5月19日の深夜のことが「日米安保条約改定法案をめぐり、警官数百人が議場を固める中、岸信介首相率いる自民が採決を強行する。」と書かれていた。安倍首相の祖父である岸は階層年齢にかかわりなく多くの国民に広がった安保反対の声ではなく「声なき声に耳を傾けたい」と述べ、それに反発、さらに高まった非難の声に退陣させられた。「天声人語」は岸を「堂々たる愚直さ」を持っていたとし、安倍は「ウイルス禍のさなか、検察庁を手なずけるかのような法案を通そうとする姑息さ」を持つと書いている。岸はA級戦犯容疑者であり、憲法改正を政治信条としたナショナリストであるが、人柄はまだ安倍よりましだと言っていると理解した。岸が自分は安保反対の声を聞こうとせず「声なき声」に支持されていると言ったと同様に、...60年前の5・19-岸首相と安保闘争

  • 油彩ーフィレンツェの花の大聖堂

    新型コロナ騒ぎのもと仲間と野外スケッチに行くことがなくなり、10年近く前に訪ねた折の写真とスケッチからフィレンツェのドゥオーモを油彩で描くことにした。描いている途中でイタリアではミラノと古都ベルガモでコロナが発生した情報があり、一度行ったことのあるベルガモを思い出していい写真があれば描きたいなと思った。ベネチアの絵は水彩と油彩で何枚か描いたが、NHKで数日前にベネチアが仮面カーニバルの最中にコロナに襲われ、途中で中止した映像を見た。皮肉なことにかってペストが大流行したときに医者が被ったという嘴の長い仮面ー土産店でみてときは不思議に思ったーも登場していた。カーニバルで賑わったサンマルコ広場は人影一つない広場に急変した。フィレンツェはミラノやベネチアほどひどくないのか情報がないが、コロナ被害は東京より大きいのではな...油彩ーフィレンツェの花の大聖堂

  • モクレン、コブシ、梅花と月

    我が家の庭のモクレンが咲いた。コブシ、モクレンが咲くと間もなく桜の春となる。。近くの農家の庭にもモクレンやコブシがあるのでカメラを手につれあいと散策に。家から2分でケヤキ並木が残る東京街道(旧江戸街道)に出るが、その角の農家Aさんの入り口に背の高いモクレンが咲き誇っていた。そこから田無方面に向かい新小金井街道を渡るとBさんの庭にもモクレンが咲いている。さらに数軒先のCさんの庭の見事なモクレンは道路にはみ出していた。その隣の泉蔵院の境内にはモクレン、コブシ、梅、椿とそろっている。コブシは咲き始めで、まだちょっと寂しかった。我が家から泉蔵院までは20分の散歩コースだが、帰路は小平六中の近くの梅園をまわり、つれあいの希望で昼の月をテーマに何枚か撮った。なかなかいい構図で「花と月」が撮れた。。モクレン、コブシ、梅花と月

  • 渋谷ストリームー渋谷川

    グループMのメンバーのスケッチで渋谷ストリームに行った。スクランブルスクエアが完成し、それ以前に比べると行きやすくなったが、メンバーの多くはスクランブルスクエアも地下鉄銀座線の新駅も初めてで戸惑っていた。大改造後の渋谷川は噴水が流れ、夜は動くライトで散策する人を楽しませている。噴水が川の壁面を流れるさまを描いたつもりだが上手くいかなかった。下の絵はかっての渋谷川で2012年に描いたもの。この絵の右側の建物群と東横線の駅と路線が姿を消し、誕生したのが渋谷ストリーム。上の絵の右の渋谷ストリームの高層ビルにはホテルや企業のほか飲食店等が入り、その反対側にかっての職場のビル・COOPプラザがある。渋谷川の上流、NHKホールから近いところに「春の小川」の歌碑があるという。この川のすぐ上流に菫が咲いて、流れのサラサラが聞こ...渋谷ストリームー渋谷川

  • 野菜、花、ワイン

    生協のOB/OGの絵の会「虹遊会」は毎月1回、中野の東京都生協連の部屋を借りて絵を描いている。1月は「七草を」と1階のコープみらいの店で題材を探したが、10数人で描くので少し大きめの大根やブロコリーなどになった。3時間余で2枚めを描く余裕のある人はチューリップも描いた。昨年の12月はワインなどを題材にし、終わってからは忘年会だった。野菜、花、ワイン

  • 真鶴・琴ケ浜でのスケッチ

    今年のスケッチ第1号は真鶴の琴ケ浜で描いた。期待した初日の出は雲で遮られ、写真は2日の朝に真鶴港の高台に登って撮った。日の出前の漁船の姿も撮れた。ケープ真鶴の3ッ石(写真)は数年前に描いたので、真鶴ははじめての妻と中川一政美術館まで歩き、帰路のバスを琴ケ浜で降りてスケッチした。真鶴の琴が浜からの相模湾。小田原の町と遠くの大山。舞鶴湾の「鯖大師」堂のある岬から観た日の出。初日の出の名所・3つ石。真鶴・琴ケ浜でのスケッチ

  • 国分寺ー殿ヶ谷戸庭園

    国分寺駅南口からすぐの殿ヶ谷戸庭園は紅葉の今がいい。国分寺崖線の段差がそのまま残っており、一番低いところに湧き水の池がある。散策路は狭いので立ってのスケッチとなり、彩色はあとで写真に頼って描いた。庭園を出ると坂道の途中に写真のように蔦のおおわれたカフェがあり、古風なつくりの店内でのコーヒーが旨かった。国分寺ー殿ヶ谷戸庭園

  • 秋の昭和記念公園ー3

    昭和記念公園で描いた3枚目の秋の風景。この沼には夏は水草や睡蓮の花も見られたようであるがさだかでない。紅葉を楽しむ人たちが散策していた。散策路には満開の山茶花も人気だった。秋の昭和記念公園ー3

  • 秋の昭和記念公園ー2

    昭和記念公園でのスケッチの2枚めです。水鳥の池ーこの右にバードウォッチングの場所があります。上の絵はこの写真の向い側東端から描きました。秋の昭和記念公園ー2

  • 秋の昭和記念公園①

    「水彩風景スケッチの会」の皆さんと19日、昭和記念公園に行った。紅葉を楽しむため人出も多かったが、じゃまにならない場所に腰を下ろしスケッチを楽しんだ。この日は欲張って3枚のラフスケッチを描き、帰宅してすぐ手を入れるつもりが風邪をひき手間取った。この絵は西立川口からちかい「水鳥の池」の奥の方の風景。「日本庭園の紅葉が素晴らしい」と聞いたが、遠いので3枚とも「水鳥の池」周辺だった。(あと2枚は次回掲載)このプラタナスの紅葉は前に描いたことがあるが、素晴らしかった。秋の昭和記念公園①

  • シチリアの浜辺の町

    11月の「風景・水彩スケッチの会」の作品展に野外スケッチの作品とあわせ、写真を見て描いたこの水彩ペン画を出す。イタリアはローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアは現地でスケッチしたことがあるが、この絵のシチリアの町チェファルーは行ったことがない。が、写真を提供してくれた先生が認めてくれたので、雰囲気は出ていると思っている。シチリアの浜辺の町

  • 国立の矢川緑地公園

    中央線立川駅から南武線に乗り換え、西国立駅から矢川緑地公園へ。近くの谷保にもきれいな湧き水の川があるが、矢川も湧き水がすてきだった。矢川が流れる湿地、草叢と雑木が混在する風景は、ここが東京だということを忘れさせてくれた。国立の矢川緑地公園

  • 夏の善福寺公園

    善福寺公園は昨年2月に枯れた葦が映える池の様子をスケッチした。今回はその反対側の池の弁天堂の屋根がちょっと覗いているところでこの絵を描いた。まだ暑いからかボートに乗る人もほとんどいない、静かな公園だった。夏の善福寺公園

  • 丸の内・三菱1号館の中庭

    東京・丸の内のビル街は明治27年、イギリスのJ・コンドルによる赤レンガの三菱1号館の建築から始まったといわれる。老朽化のため1968年に解体されたものが2010年に復元され、以降美術館として親しまれている。美術館の企画展を見に行き、建物や中庭など絵にしたいとおもったがスケッチの準備がなかった。この絵は(暑くて丸の内まで出かける気力がなく)数年前の写真をもとに描いた。丸の内・三菱1号館の中庭

  • 61年前のヒロシマ、ナガサキのこと

    (このスケッチは2008年8月6日)昨日、長崎の平和祈念式典をテレビで見て田上市長の訴えに共鳴し安倍首相の態度に怒りながら、初めて長崎の爆心地を訪ねた当時のことを思い出した。定かでない記憶を確かめるため古いアルバム帳から数枚の写真を見つけた。大学生だった1958年の秋、大学生協連の全国理事会が宮崎大学で開催され、それに参加した帰途に長崎と広島に立ち寄った。私と北大の河村、東北大の小室など同連合会常任理事5人で、「どうせ各駅停車の夜行列車乗り継ぎの旅だから」と企画したものだった。写真は長崎、爆心地公園の浦上天主堂の被爆遺壁の脇で。現在の平和公園はこの爆心地の先に整備が進められ、シンボルの平和祈念像も3年前には製作されていたはずだが、記憶も写真もない。被爆した浦上天主堂を広島の原爆ドームのように遺産として平和公園に...61年前のヒロシマ、ナガサキのこと

  • 井之頭公園にて

    7月末の土曜スケッチの会は井之頭公園だった。井之頭池から旧神田上水の流れが始まるが、この絵は公園から離れて最初の夕焼け橋のちかくで描いた。百日紅の赤が良かった。吉祥寺駅のある市街地からは公園や神田川はかなり低いところにあり、この絵のように坂道も多い。2枚目のスケッチとして井之頭池も描いたが、蚊にやられて「ここまで」になった。井之頭公園にて

  • 第14回虹遊会展

    ー水彩画「伊東漁港」-東京・杉並の大学生協会館で第14回虹遊会展が開かれている(7月3日~10日)。毎年、同会館で開催される大学生協友の会総会に合わせて開催されており、今回も6日開催の友の会の皆さんに鑑賞していただいた。15人のメンバーが23点出展。かしょうも「伊東漁港」と「中国杭州・龍門古鎮」(水彩・ペン)を出展した。かしょうの「伊東漁港」展示会場の大学生協会館のロビー今回の注目作品は藤岡武義さんの油彩画「中国広村の古民家群」、練馬区美術展で館長賞を受賞した作品。藤岡さんは「次は区長賞を」とがんばっており、他のメンバーの励みになっている。第14回虹遊会展

  • 小平あじさい公園

    <睡蓮とあじさいと>6月末の土曜スケッチの会は小平のあじさい公園だった。案内役を兼ねてのスケッチだったが、途中からの雨で中断。駅前のレストランで残念会をやって解散したが、その時の絵に手を入れ、何とか絵にしました。小平あじさい公園

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