chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 箸墓古墳は卑弥呼の墓?

    先頃、奈良県桜井市の箸墓古墳の周りで発見された土器の炭素の年代測定で、西暦240年~260年頃という結果が出ました。箸墓古墳は皇族の墓ということから宮内庁が管理をしており、古墳の発掘調査は行われておらず、周囲の住宅地の造成時に出土した土器を測定したようです。年

  • 欠史8代の謎

    欠史8代とは、「記紀」に記述された天皇の系譜で第2代天皇~第9代天皇までの、実態がなく歴史を古く見せるために作られた架空の天皇とされています。それはその通りだと思うのですが、よく見ると何かを暗示させるような記述が見られます。具体的な業績などはほとんど書かれて

  • 藤原京から平城京へ

    西暦710年、藤原京が16年で廃止され平城京に遷都されました。決して短い期間ではありませんが遷都が必要であったかは疑問です。そのときの天皇、持統天皇の妹の元明天皇も遷都をあまり望んではいなかったようです。かつては藤原京が手狭になったからではないかと考えられてい

  • さかのぼる歴史

    近年まで708年に発行された和同開珎という銅銭が日本最古のお金と考えられていましたが、1999年に飛鳥池遺跡で発見された富本銭が687年の木簡と共に発見されたことで日本最古の銅銭は20年以上さかのぼることになりました。日本書紀に683年「銅銭を用い銀銭を禁ずる」という記

  • 歴史と隕石衝突説

    少し趣向を変えて隕石衝突説の話をしてみましょう。6500万年前に恐竜を絶滅させたといわれる説ですが、現在は通説として考えられている隕石衝突説は人工衛星の調査利用によって1990年代になってアメリカとメキシコの間のユカタン半島に時代の一致するクレーターの痕跡が発見

  • 聖武天皇の謎

    西暦791年、日本書紀の続編というべき「続日本紀」が完成しました。続日本紀は持統天皇の後を受けた文武天皇(697年)から桓武天皇(791年)までを記した書です。藤原氏政権と律令制の確立で完全な藤原氏寄りの歴史書ですが、当時の情勢が比較的しっかりと残されているようで

  • 埼玉古墳群の意味と地方豪族

    埼玉古墳(サキタマコフン)群は埼玉県の行田市にある5世紀末~6世紀末頃の古墳だといわれています。大小さまざまな円墳、方墳、前方後円墳など30基以上もある古墳群です。もっとも現在は昭和初期の造成などで破壊されてしまっており、すべてが残っているわけではありませ

  • 邪馬台国の所在地

    邪馬台国が発見される可能性はあるのでしょうか?もし邪馬台国がその地域をまとめていた都市ならば、邪馬台国遺跡がそのままの形で発見される可能性はとても低いと思われます。理由は単純です。優れた立地にあったであろう邪馬台国は、当然その後も形を変え現代まで人々が住

  • 邪馬台国、四国徳島説

    邪馬台国の場所に四国徳島説というものがあるようです。個人的に四国はあり得ないと考えているのですが、面白そうなのでちょっと見てみましょう。根拠は次の通りです。2007年3月徳島県鳴門市に日本最古の前方後円墳が発見されました。石積式の前方後円墳です。年代測定による

  • 中臣鎌足の正体

    中臣鎌足も古代史において謎の多い人物です。その出自もハッキリせず、悪党蘇我入鹿を殺害した英雄の顔としてしか特出するところがないといっていいでしょう。中臣鎌足は中大兄皇子の側近として活躍していましたが、中大兄皇子は反蘇我派、百済派の皇族で当時政権を掌握して

  • 7世紀の天皇

    日本書紀によると7世紀の天皇は、推古天皇→舒明天皇→皇極天皇→孝徳天皇→斉明天皇→天智天皇→天武天皇→持統天皇となっています。しかし実際は聖徳太子→皇極天皇→天武天皇→孝徳天皇→持統天皇だったのではと推理しました。そのため生年、没年、在位期間は大きく変わっ

  • 古代史の始まり、蘇我入鹿

    蘇我入鹿はある意味において日本の古代史の発端といっていい人物です。歴史的にというより、藤原氏の作った古代史といった方が正しいかもしれませんが。藤原氏の勃興は蘇我氏の滅亡と密接に関わっています。そのため日本書紀では蘇我氏は悪者とされています。そして日本書紀

  • 聖徳太子の謎

    聖徳太子には多くの謎があります。謎の原因は日本書紀の記述によるところが大きいのですが、なぜこのようなことになっているのでしょう。聖徳太子は西暦574年、用明天皇と穴穂部間人皇女(アナホベノハシヒトノヒメミコ)の間に生まれた皇子で、622年まで推古天皇の摂政とし

  • 天皇紀の始まり

    日本書紀の記述により、天皇は神武天皇から始まっていることになっています。しかし初期の騒乱を見る限り現実には継体天皇からの流れが現在まで続く天皇紀の始まりだと考えています。日本書紀は初期の騒乱を天皇というひとつの一族の物語としてまとめ上げているのです。その

  • 蘇我氏と物部氏

    蘇我氏と物部氏の祖は古代出雲の豪族だと考えています。西暦150年頃、中国後漢の難民の流入により出雲の人々は難民との融合していきます。そして難民と融合した蘇我氏と物部氏が中心となり大和朝廷建国に動くわけです。畿内大和に拠点を移した蘇我氏と物部氏は本州各地の豪族

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、蘇我入鹿さんをフォローしませんか?

ハンドル名
蘇我入鹿さん
ブログタイトル
推理で解く 「日本の歴史」
フォロー
推理で解く 「日本の歴史」

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用