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夫目線の不妊治療

なかなか子供に恵まれないけど、夫目線でつらつらと思ったことつづっていこうというブログ。

シュウ
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2008/12/23

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  • 進路

    昨年は過去の話題ばかり書いてきたが、今年は現状を交えながら綴っていきたいと思う。 まず、現状をいうと、人工授精を7回行ったにもかかわらず未だ赤ちゃんとは出会えていない。 一旦薬もやめて何もしていない状態。 不妊治療をしていた時期に比べると、妻の笑顔は増え、ポジティブに考えられるようになったように思う。 ただやはり何もしていないので何も変わらない状況が続いた。 年も越し、次はどうするか考えなくてはならない時期になった。 今なら薬も抜けて次のステップである体外授精には移りやすくはある。 ただまだ踏み切れないでいる。 ふたりとも仕事を持っており人工授精より..

  • あけましておめでとうございます

    新年あけましておめでとうございます。 いつも訪問していただきありがとうございます。 今年もマイペースにつづっていく予定ですので、よろしくお願いします。 まだまだ回想している話ばかりですみません。 流産は2年前の話になります。 思ったより長い道のりになってきたので同じ様な境遇の人に旦那は何も言わないけどもしかしたらこんな気持ちなのかもしれないと、少しでも気休めになればと開いています。 もしかしたら気持ちを逆なでするような表現もあるかもしれません。 それでもお付き合い頂ければ幸いです。 それでは、ご覧頂いている皆様にも幸せな一年でありますように

  • 涙の日々

    朝からテレビも音楽もかけることなく、ただ泣く嫁さん。 そのそばで寄り添うことしかできない僕。 泣いてばかりいても先には進まない。 ただ、今は徹底的に悲しみの感情を絞り出せばいい。 そう思い、ただただふたりで時間を過ごした。 もちろん僕も悲しかった。ただ、涙が出るのはまだ先の話になる。 嫁さんが次に進めるようになるまでは僕が守らなければならないと思っていた。 この時期、嫁さんからしたら僕は悲しくないように映っていたかもしれない。冷たい人間に見えていたかもしれない。 嫁さんは端からみていても自分だけが不幸だと思い込んでいる状態。 男はやはり産まれるまではなかなか実..

  • 流産

    病院で妊娠が確定し、エコーの画像なんかをみては産まれくる子を楽しみにしていた。 これが頭でこれが体でと少しだけ判別がつくようになった頃、嫁さんが急にお腹が痛いといいだした。 病院に行くと、心音が止まっていると言われた。 名前はなにがいいかなぁ。とまだまだ考えている途中。 僕は失望感というのか虚無感というのかなんか突然で呆然としていた。 嫁さんはただ泣き続けた。 正直、僕は子どもができたからといって体調が変わるわけでもないし、写真を見せられても実感はあまりなかった。 嫁さんは痛い思いもし、決まった時間に薬をのみ、やっとのことで宿った命。 やはり大きな差だ..

  • 報告

    嫁さんはこれまでなかなか子どもができなかったことで僕が長男であるため、両親に申し訳ないと感じていたらしい。 もちろん、僕も両親もそんなことは気にしていない。 嫁さんの勝手な思い込みなのだが、やっと笑顔で僕の実家に行くことができるようになったとホッとした様子だった。 もちろん嫁さんの両親にとっても初孫ができたことを喜んでくれた。 これまでも別れる別れないと色々あった夫婦関係はさておき、ふたりで無条件に喜んだ。 ただ、残念ながらこの喜びも長くは続かなかった。

  • 悪阻

    話は少しさかのぼる。 術後、嫁さんは精神的にも身体的にもかなり疲れていた。ちょっとふたりで楽しもうと、1泊の神戸旅行を計画した。 元町の中華街で中華バーガーを食べ、ハーバーランドへ。 ポートタワーに登り、コンチェルトでディナー。 よくあるコースだった。 嫁さんの様子がおかしくなったのは2日目だった。 スイーツハーバーでケーキでも食べる予定だったのに店に入る前に気持ちが悪いと言い出した。 その時は体調不良かなと思って店に入るのは諦めた。 旅行から帰ってから数週間後、生理が来ないといいだした。嫁さんは妊娠検査薬というのか、チェッカーを買ってきていた。 はやく調べたかっただろうけに、僕が..

  • 術後

    病院を変えたのが良かったのか、希望が見えた僕たちはウキウキで手術に臨んだ。 術後、嫁さんはかなり痛そうにしていた。 これだけは代わっあげることはできない。「これだけ痛い思いをしたんだから、きっといいことあるやろ。」 楽観的なふたりに意外にもはやく幸運は訪れた。 術後、数ヶ月して嫁さんが妊娠したのだ。

  • セカンドオピニオン

    困惑のなか、別の病院でもう一度調べてもらうことにする。 今度は総合病院の中の婦人科。 総合受付を通ってから各科の受付にいく。 待合いの壁には「当病院では中絶手術は一切しない。」旨の注意書き。 中絶なんて僕たちにとっては考えられないことだ。 最近はニュースでも母親が子どもを殺したり、棄てたりと、腹立たしいことばかり。 産まれてくること自体が奇跡なのに。 さて、診察。 これまでの経緯を説明し、内診を受けた嫁さん。 その結果は、子宮内膜症というほどのものではないが、腫瘍が見つかった。 医者曰わく、腹を切るようなものではなく、耳掻きのようなもので掻き出すような手術を..

  • 困惑からポジティブに

    家に帰り、ふたりで「子宮内膜症」について調べた。 不安が募るなか、深刻さは違えど「子宮内膜症らしきものには女性の10人に1人は経験する」という情報や、術後に妊娠したというケースもあり、逆に考えてこれが治療できれば妊娠するんじゃないか?とポジティブにさえなれた。 ただやはり心配なのは治療に伴う負担。 身体的なものもそうだし経済的なものもそうだ。 親戚に子宮内膜症の手術をした親戚がいた。 相談すると、彼女はたまたまいい先生を紹介してもらい腹腔鏡下手術なるもので治療したと聞いた。 腹を切る長さも短く、術跡も目立たないらしい。 ただ、まだ技術ある医者が少ないらしく費用もかかる..

  • 原因判明

    内心、病院に男は行きづらいかな。と思った節はあった。 僕が嫌だと思っているのではなく、そこに通院している女性が嫌がるんじゃないかな。と思っていたからだ。 しかし、意外と男性もまばらにいた。 そのときは結構ついてきてる人多いなあ。ぐらいに感じていただけだった。 婦人科に用があるのは女性だけだと思っていたからだ。 産婦人科は産科と婦人科に分かれてはいるものの、ロビーではどちらに用事があるにしてもみんな一緒に待っていた。 一方では子どもが欲しくてたまらない人が、一方ではこれから産まれてくる命に終始笑顔の妊婦が。 誰が悪い訳でもないがこの雰囲気は男ながらも耐え難い。 妻も妊..

  • 不安感から

    結婚してから2年を過ぎた頃、妻が焦りだした。 弟に子どもができたこともあったが彼女が言うにはこういう理屈だ。 「結婚して2年経っても子どもができなかったら不妊症の可能性があるらしい。」 どこかの本で読んでできたんだろうが 「そんなの人それぞれやろ?」 と答えた。 僕は子どもができないことはそんなに気にならなかったし、2人でもいいと思ってた。 それに、時間が経てばいつかできるだろうと楽観的だった。 そういったことで不安感を植えつけ、怪しげなサプリや宗教を勧めるような輩に対して腹立たしく感じていたのもあり、かなり素っ気ない返事したかもしれない。 もちろんそんな..

  • 思いもしなかった

    結婚すれば、みんな子どもができるものだと思っていた。 子どものいない夫婦は作っていないだけだと思っていた。 子どもができなくてもいいと思ってはいたけど、まあまあいろんなことが起こるもんだ。 不妊治療を受けることになってから気づいたことを夫の目線でつらつらと綴っていこうと思ってます。

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