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  • 「自分でやること」の理解

    14.動かないことが何をもたらす さて、その人間の運動不足です。この本では、現代の人々がどんどん運動不足になっているということが記されています。 現代の平均的な大人は、人生70%を座っているか全く動かずに横になった状態で過ごす。 1960年代の大人に比べると運

  • 「自分でやること」の理解

    13.動きが心に与える影響 この本が、最初に取り上げているのは、「動きが心に与える影響」です。「心が体を動かす」のではなく、「無意識に体が動く」、それが自分の「心に影響を与える」、そういうことを言っているわけです。 例えば、音楽を聴いて無意識に体が

  • 「自分でやること」の理解

    12.やっていることの理解 さて「限界国家」について色々取り上げましたが、ここでいったんそれから離れて、もう一つの、「この自然な動きが脳と体に効く」にふれることにします。 こちらは、副題が「最新科学が明かす『人間本来の動き』の力」となっているように、我

  • 「自分でやること」の理解

    11.一人でやれることの限界 「全てを自分でやることはできない」という自覚がなぜ大切かということで、そういう自覚がない人について考えてみます。そうすると、それには、自身が「全て自分ができる」という人と、そういう全てできる人がいることを前提に、「自分がそ

  • 「自分でやること」の理解

    10.人は全部やることができない「思考」や「行動」の過程が多くは、意識されない「深層」で経過しているという話をしました。そして、その経過の中でどれが本当に自分がやっていて、どれがそうではないかということを理解する必要があるということを言ったわけです。そ

  • 「自分でやること」の理解

    9.「自分が本当にやっていることと、そう錯覚していること」 そこで、このブログの「自分でやることの理解」というタイトルについて少し触れます。その「自分でやることの理解」で一番言いたいことは、我々が「自分でやっていると思っていること」について、本当に自分が

  • 「自分でやること」の理解

    8.教育を受け止める自分のやること 「限界国家」の中で若者が日本の教育について述べた言葉があります。それを抜き出してみます。 1つは「いい成績を取るためには教えられたこと、教科書に書かれていることにいちいち 疑問を持っちゃダメなんです。誰が見たかとか

  • 「自分でやること」の理解

    7.自由と連帯 「限界国家」で若者による現在の「教育」への批判には、『個』の自由を追い求めた「朱子学」が「科挙」にとりこまれることで、為政者による洗脳の手段と化したこととを思い出せます。 人と社会との関わりについて考えてみると、当初は身近な人々が結び

  • 「自分でやること」の理解

    6.外の社会と個の中の社会 我々は、同時に様々な社会に属しています。身近な方から言えば「家族」「会社」「市町村」 そして「国家」、さらに「地球」、もっと言えば、「大宇宙」ということになるのでしょう。ただ、 宇宙の方は、あまり、社会という感じはしませんが。

  • 「自分でやること」の理解

    5.「国家」への囚われから さて「限界国家」の後半は、今後の日本について行き詰まりを感じている70代の経営者が、20代の経営者の話を聞くことで、その対応策を考えようとする、つまり、70代の経営者には解決策がない、20代は経営者にはそれがある、簡単に言うと、そ

  • 「自分でやること」の理解

    4.「脱藩」と「脱国」 今、国家観を問題にしていますが、 そもそも国家というのは社会の単位の1つであって、今は国家の重要性が増していますが、人々にとって常にそうだったわけではありません。 そもそも人は当初は、我々が言う村の中で生活をしていて、当然その当時は

  • 「自分でやること」の理解

    3.国家から自由 この70代の経営者というのは、憂国の士、つまり国の将来を憂えている人なのです。ところが、その人の国というのは何なのかというとその言葉を借りると文化である、伝統である、そういうことを言っているわけです。国の中の重要な要素である人についてど

  • 「自分でやること」の理解

    2.「限界国家」について そこでまず、前回触れた「限界国家」の簡単な紹介から入ります。 あるコンサルタント企業に、引退を前にした「国士、憂国の士」といわれる70代の経営者が、日本の30年後の将来像についての提言を依頼します。そこで、担当することになった女

  • 「自分でやること」の理解

    1. 再び「自分でやると」を取り上げるきっかけ このブログで数ヶ月前に「自分でやることの意味」というタイトルの文章を記しました。 「自分であることの意味」を理解するということは「自主学習」について考える上で重要だからです。ところが世の中で行われている自

  • 「姿勢と能力」

    100.「姿勢」と「能力」 ここで、「姿勢」と「能力」について色々取り上げてきました。この関係を端的に表しているとしてとりあげたのが、中国の古典「中庸」の「未発の中・已発の和」という言葉です。「已発」といのは、「已に発する」、つまり、考

  • 「姿勢と能力」

    99.「変える」のではなく「調える」よう導く さて「体癖」にどう対処するべきかについて、野口師は「変化させるというのではなく整える」ということを言っています。 つまり、目指す「姿勢」、目指す「動き」があってそれに向けて、ここを変えさせよう、あそこを変

  • 「姿勢と能力」

    98.学習障害とのつきあい 「からだ」の運動は、上下・左右・前後、それに ねじりと開閉の4つの運動の組み合わせです。それをもとに、様々な複雑な動きがするわけです。ですから、その5つの運動の基が狂っていると、当然、運動そのものが歪みます。そこで、その基になっ

  • 「姿勢と能力」

    97.見えない効果と持続すること 「立腰」の効果はすぐには解りません。その内部の変化は、外からは見えません。それはただ、本人がそれを持続するなかで体験して知る以外はありません。 ただ一つ言えることは子供は大人より体が柔らかいために非常に効果が早く出ると

  • 「姿勢と能力」

    96.「立腰」と「学習能力」 さて、膝が全体の姿勢に影響を与えるように、腰の5つの椎骨、これが歪む、例えば、一つの骨が前に突き出したり、横にずれたり、そうなると、我々が行動する時に腰から動き出しますから、その動きそのものが歪むということが起きるわけです。

  • 「姿勢と能力」

    95.体とバランス 膝が悪いとします 。そうすると 体を動かす時にバランスが崩れます 。それをもとに体を動かすとその動きが歪んだものになります。 ですから 元の動きを取り戻すには膝を治す必要があります 。 すぐに膝を治すと

  • 「姿勢と能力」

    94.「面構え」と「表情」 我々は、毎日、洗面の際、鏡で自分の顔を見ます。 その顔については、「面構え」という言葉があるように、骨と筋肉で形成された「構え」があり、それを基に様々な「表情」が生まれます。 つまり、人の「表情」は、その「面構え」を基に生ま

  • 「姿勢と能力」

    93.未発の中・已発の和 「構え」と「動作」の関係を理解することの大切さを考える際、役立つと思われるのは、<10>と<34>でふれた「未発の中・已発の和」という「中庸」(儒教の経典)の言葉です。 <34>では、この言葉を紹介し、「こころやからだの準備状態

  • 「姿勢と能力」

    92.「こころ」と「からだ」の土台「姿勢」ということばの定義を調べてみると、まず、次のようになっています。身体が静止している状態、運動している状態のいかんにかかわらず、身体の保つようすをさして姿勢という。古くは「構え」とか「格」という表現が用いられた。

  • 「姿勢と能力」

    91.「からだ」と「こころ」の壁を超える 「意識」が拡がる、「こころ」が自在に活動する、そうすると、「心身二元論」を超えて物事をとらえられるようになります。 それは、「物事を分けてみる」ことと、「つながりでみること」が、いわば併存するということです。世

  • 「姿勢と能力」

    90.「あたま」の奥から「からだ」の奥へ 自分の内部に注意を向けます。そうすると、まず、自分の意識が浮かぶ場が頭の中を占めている、そんな感じがしませんか。そして、その意識に浮かぶものをたどると、その空間がそれをもたらす奥につながっていて、意識を拡げると

  • 「姿勢と能力」

    89.「自主学習」は「自己理解」を深める 「瞑想」と「自主学習」が結びつくと、「自己理解」がすすむことになります。 「学習」の際、自分の中で起きることを考えると、「あたま」に浮かぶことを意識してそれを処理する過程もあります。しかし、その基となるものの多

  • 「姿勢と能力」

    88.「自己の理解を深める」ということ 生徒が立腰の際、目を瞑る、それは「瞑想」に通じるわけです。 そこで、その「瞑想」の効果として様々なことが言われていますが、まとめると次のようなことです。 俯瞰の視点を手に入れることで、雑念をスルーできるように

  • 「姿勢と能力」

    87.「境界」が消える 内を「見る」ことを続けると、その内からみた「からだ」と、「あたまの」の中と感じられる「意識」と、その奥にあると感じられる「深層」がリアルなものと受け止められ、それらの境界が無いというか、夫々が伸び縮みするというか、そんなふうに「み

  • 「姿勢と能力」

    86.「からだ」と「深層」 目を瞑って腰を立てる、それを続けると、「意識」が「からだ」の内に向かいます。筋肉で言うと、それまで「筋肉」というと「表層筋」を対象としていた「意識」が、「深層筋」に向かい、神経で言うと「筋紡錘」についての感覚が鋭敏になります

  • 「姿勢と能力」

    85.「ことば」と「深層」 学習に関わる内的経験として、「ことば」に関わることを取り上げてみます。無論、個々に違うでしょうから、例えば、次のようなことです。 まず、目を瞑っていると、外からの音や声が聴こえます。外からの「音声」は、最初は「耳」から聞こえ

  • 「姿勢と能力」

    84.自らの「深層」に触れる経験 瞑想の効果については、いろいろ言われていますが、大切なのはそれを継続することです。SSAの教室での「立腰」は、毎回10分、これを大体習3回実践します。その間、瞑目することで、内に意識がいきます。それが通塾している間、続き

  • 「姿勢と能力」

    83.自身の「意識」を拡げる 目を閉じてじっと「立腰」をするのに、最初は慣れません。(早く時間がこないかなあ)と焦る生徒もいるでしょう。しかし、そのうち、否応なしに自分の内部に意識を向けることになります。 内言を使用していろいろ考えている自分、その「コト

  • 「姿勢と能力」

    82.「こころ」を柔軟に 子供が下痢をすると、母親が子供に苦い薬を飲ませる、冬に子供がはだしでいると、母親が無理やり靴下をはかせる、それは、西洋医学的には、それが正しいとされてきましたが、下痢は体の毒になるものを出す、はだしは体温調節能力を高める、そうい

  • 「姿勢と能力」

    80.「からだ」と「こころ」の分断 「近代科学」の基にあるのが、「心身二元論」や「全体は部分の総和である」という分断の知であるとすれば、それで物事を「みる」ことには限界があります。無論、「現代の科学」はそれを超えて発展しつつありますが、現実の教育に反映さ

  • 「姿勢と能力」

    79.自在にはたらく「こころ」を 「こころ」の「意味」をどうとらえるかは、人それぞれでしょうし、ましてそれを「ことば」で表現することは、難しいことです。 そこで、それをとしてとらえると、その「意識」と「深層」が一方的なものではなく、その両者を隔てる壁

  • 「姿勢と能力」

    78.ものごとが多元的だとすると 我々は、自身を「からだ」とか「あたま」とかに分けて「見る」のには慣れていますが、それを様々な次元で「みる」ということはあまりしません。分かりやすく言うと、「肉体」のレベル「細胞」のレベル、「原子」のレベル、「波動」のレベ

  • 「姿勢と能力」

    77.「姿勢」が「みえる」 何かを学ぶ、まず「真似」をします。それを繰り返すと「習う」、身につくものがあります。例えば、「姿」を「見る」ことでは「見えない」「勢い」が「みえてくる」ということがあります。それを「気」を例にたどるとします。 「気」が「み

  • 「姿勢と能力」

    76.実践を基に学習して「みえる」ようになるもの 「深層」で、境界が無い、はたらきを共にする場を、(a・b・c)で表しました。それが「みえる」ようになるために、どうすればよいのでしょうか。 そこで、話が跳びますが、依然、NHKで「古武術に学ぶからだの

  • 「姿勢と能力」

    75.「みえない」ことを「みえる」ようにする 前回、例に挙げたのが、整体院である個所が不調なのに、別の箇所にはたらきかけられた、ということでした。では、同じ症状について、他のところでも同じ個所に働きかけるかというと、いろいろ、違いがあるわけです。手であっ

  • 「姿勢と能力」

    74.つながりが「みえる(何らかの「識別」「認識」ができる)」か「みえない」か さて、ある人が、自分の体のある個所が不調だというので整体医を訪れるとします。 その不調の箇所ではなく、別の箇所に働きかけます。すると元の箇所の不調が治ってしまう。そういうこと

  • 「姿勢と能力」

    73. 情報伝達の譬え 体の表層とか解剖によって目に見える次元で起きることと、深層の目に見えない次元で起きることのつながりを、情報の伝達に譬えてみます。 情報の「一方的伝達」には、例えば、手紙によるA→Bとでもいう伝達があります。これが、電話となると

  • 「姿勢と能力」

    72.共鳴と一方的伝達の違い 「立腰」の例にあるように、体の奥のはたらきを正すやり方について、いろんな方法があり、それぞれが「このやり方が正しい、他は間違いだ」という言い方をします。それにもかかわらず、夫々がそれなりに結果を出していて、続いているのをみる

  • 「姿勢と能力」

    71.様々なやり方があること 前回、「立腰」に関して、それが五行間のバランスを回復するやり方で、「ほかにもいろんなやり方がある」と述べましたが、そもそも、「立腰」という言葉についてもいろいろな解釈があり、それによって、その「やり方」にも微妙な違いがありま

  • 「姿勢と能力」

    70.バランスの取れた運動を身に付ける 我々が動く時、前後左右上下捩れ開閉、様々に動く、その時々に運動の中心が変わる、しかし、それがスムーズに動くと、バランスが取れた動きになります。しかし、その中心どれかに固定されると、バランスが崩れます。 ですから、

  • 「姿勢と能力」

    69.「体癖」と「学習能力」をつなぐもの さて、人が行動する、思考する、それは深い次元の「操作」である、というのが67の「操作は、様々な次元へのはたらきかけ」で取り上げたことです。 そこで、「深層」での「知識」の「操作」は、様々な境界を超えてはたらくも

  • 「姿勢と能力」

    68.「体癖」と「能力」の歪み そこで、44で取り上げた「体癖論」です。先の「体癖論」とその経絡のはたらきを結び付けたものとして、整理すると「五行類型論」といわれるものがあります。 「体癖」の一種・二種が五行の「木」で陽の胆経、陰の肝経となります。以

  • 「姿勢と能力」

    67.「操作」は、様々な次元へのはたらきかけ さて、物事の「操作」を考えるうえで、次元を変えて「(広義の)みる」ということが必要なのは、それがその「操作」の理解に必要なことだからです。 「物」を実際に動かすような「操作」は、普段見聞きすることですから、理

  • 「姿勢と能力」

    66.外と内を超える操作 さて、「操作」と「知識」を考える際、超えなければならないのが、物に働きかけることと、ものを考えることを隔てる「壁」です。 例えば、紙が風に吹かれて飛ぶということがあります。それを次元を変えてみてみるとします。紙を分子の次元、更

  • 「姿勢と能力」

    65.「操作」がうみだすもの 「数」が「意味」を持つものであり、計算は、それを「操作」することになります。「数」の場合、それを使って計算するのは、あまりにも当たり前のことで、何をいまさらと思われるかもしれません。 「知識」が「操作」の対象になり、そのこ

  • 「姿勢と能力」

    64.「能力」をめぐる「ことば」の使い分け 我々は、「ことば」を使用、時に、その「ことば」そのものを「知識」として扱ったり、「知識」の媒体として扱ったりします。また、その「知識」について、前回で紹介した定義では、「知識」は「能力」でもあるとしているわけで

  • 「姿勢と能力」

    63.「知識」ということばの意味 「ことば」と言えば、「理解」とか「記憶」とかという言葉を使用する際、普通には、その対象として「知識」という言葉を使います。しかし、「自主学習」の指導について話し合う際は、「知識」は「(広義の)能力」の一つであるといったり

  • 「姿勢と能力」

    62.学習過程を表すことばの意味 実際の学習の過程を考えてみます。 例えば、ある文章について、指導者が、「今日は、この内容を読んで理解する学習です。」こんな言い方をします。簡単にいうと、その時の「学習目標」は、その文章を「理解」ることだというわけです。

  • 「姿勢と能力」

    61.学習過程を分断するもの 学習過程を説明する際、一般に使われる「理解」「記憶」「思考」「表現」という言葉を用いていますが、ここ数回それぞれについて取り上げるなかで、そういうふうに分けたのは、いわば便宜的なもので、それらは、本来つながっているものだとい

  • 「姿勢と能力」

    60.「表現」の変化 自分の「思考過程」を書き出すことは、自身の深層でのはたらきが生み出したものを、自らの目を通して「意識」に上げ、それを確かめ、場合によっては修正することにつながります。その修正も深層のはたらきを動員してのもので、それは、新たな思考が

  • 「姿勢と能力」

    59.「思考」の変化 誤答の修正学習は、その問題の解決のための正しい学習過程をたどることになります。それは、誤答をもたらした思考過程の反省にもなります。それは、次に新しく学習をやる際の思考過程を生み出すのに役立ちます。 さて、その「修正学習」ではなく、

  • 「姿勢と能力」

    58.「記憶」の変化 多くの生徒は、「教えられたこと」を受け入れて「憶えた気」になって次へ進み、試験の前にあらためて覚えなおすというようなことをしているのではないでしょうか。ですから、教師は良く、「これは試験に出るからよく覚えておくこと」と言ったりする

  • 「姿勢と能力」

    57.「理解」の変化 多くの生徒が、「教えられたこと」をただ受け入れることを、「学習」だと思い込みがちです。食べ物で言えば、「食べれば終わり」で後の消化とか排泄とかについて考えないように、「問題」と取り組んだ後、その解き方と答えを教えられる、それを聞いて

  • 「姿勢と能力」

    56.「修正」を身に付けるためのテスト 「修正」を身に付けるための「学習法」として、それを具体化したのが、「レポートテスト」です。 通常のテストも、本人の「知識」を確認することを目指すものですが、それが人を選抜に使われるテストと混同され、ひいては人を比

  • 「姿勢と能力」

    55.過ちを再びせず 修正が当たり前になれば、まず、過ちを即座に気付き、即座に直すようになる、そうするとそれは当たり前の学習になります。そうなるまでの学習が「修正学習」です。そして、それは「理解」などの能力の強化につながります。 そして、それは生き方の

  • 「姿勢と能力」

    54.修正すべきは修正するのが「学習」 新たな「知識」と取り組む中で、その基になる先に学んだはずの「知識」が使えない、それをそのままにしておくことについて、本人があまり気にしないということは、それ自体、問題です。その使えない、というのは、いろいろなケース

  • 「姿勢と能力」

    53.目標を決める その時々の「学習目標」は、個々に違います。その人の「(広義の)能力」が違うから当然です。ただ、その「目標」は、本来は、本人が決めるべきですが、それまで、学校教育で、「教えられること」をそのまま受け入れることしか知らない生徒には、いきな

  • 「姿勢と能力」

    52.自主学習のレールに乗せる場の設定 「教える」塾では、教室は教師が引っ張る場になりがちです。そこで、生徒全員が教師の方をむいて座る、教師が黒板を背にしてそれと対する、それが典型的な教室です。 では、「自主学習」の場は、どうでしょうか。そこで、まず考

  • 「姿勢と能力」

    51.目の前の「目標」と続けることで身につくもの 「自主学習能力」を身に付けることを目指す塾での「学習時間」の設定が、生徒のペースによることになるのは、「目的」が違うからです。生徒に数学の文章題の学習を取り上げてみましょう。その時の「学習目標」は、それ

  • 「姿勢と能力」

    50.「解るまで」の時間を さて、「自主学習能力の育成」を目指す塾と、「知識」を「教える」教室では、「目的」が違います。そうすると、いろんなこと違ってきます。例えば、生徒の時間の使い方です。「教える」教室では、生徒の学習に与えられる時間は、教師が予定す

  • 「姿勢と能力」

    49.「自主学習能力」は「学校」をも「塾」や「予備校」をも生かす 教えたからと言って、それがそのまま、教えられた側が学ぶことにはならないというのは、教える側、学ぶ側の、内部で起きることを少し分析するとわかることです。 そこで、「学校」とか、「予備校」で

  • 「姿勢と能力」

    48.学習過程の空白は自分で埋めるべき 学習過程が代行によって寸断され知識に穴が開くとしても、それを本人が自覚して、自らその穴を埋めることができればよいわけですが、問題は、その能力があるかどうかです。 教師が「教える」、その際、生徒がそれを「学んでいる

  • 「姿勢と能力」

    47.能力の使用の代行は「学習過程」に空白をもたらす 何かの「知識」を「記憶」する、それは使うためであり、使える状態にしておく、それを「整理」と言っているわけです。 外の宇宙を分割し、「コトバ」と結び付けて、運び込み、それを内の宇宙の修正に結び付ける、

  • 「姿勢と能力」

    46.記憶の過程と記憶力 学習能力の偏りが学習過程の乱れをもたらすということについて、「記憶力」と「記憶」を取り上げてみます。 外からの「情報」を「記憶」する過程をたどってみます。 まず、その「情報」に「接触」します。そして、それを他の知識の一端と

  • 「姿勢と能力」

    45.はたらきの分類と学習能力 波動の科学によると、結びついた波動の波形から事物が生ずる、「気」の運動から宇宙が形成されるということです。 時空間の広がりと様々なはたらきは、その運動の現われということになります。そこで、その運動というのが、「上下」「左

  • 「姿勢と能力」

    44.経絡の測定と陰陽五行と科学 本山氏の著書には、機器を使用して、エネルギーの流れを測定したことをもとに、経絡のはたらきを解き明かし、陰陽五行説をもとにした中国の経絡医学との結びつきを整理して表にしたものが載っています。 そこで、先の「体癖論」とそ

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    43.宗教と科学の壁を超える さて、例えば、手・足のどこかに歪みがあると、それが何らかの疾患をもたらすとして、その歪みを防ぐ正しい使い方があるとします。そういうことを、例えば、礼とか作法とか言われて、それを子供たちに伝える、それが科学的に説明できない、伝

  • 「姿勢と能力」

    42.手・足と神経を介してのつながり 「からだ」のつながりを科学的に説明するものとして、「リフレクソロジー」があります。「リフレクソロジー」というのは、「リフレックス(反射)」と「ロジー(学問)」をつなげた「反射学」のことで、例えば、手足とカラダのある

  • 「姿勢と能力」

    41.整体やヨガなどの科学的根拠「からだ」と「こころ」と言われるものの間のつながりについて、それが全て科学で明らかになっているものではありませんが、しかし、それを科学的に説明しようという努力を否定するものではありません。そういう試みがいろいろあるようです

  • 「姿勢と能力」

    40.「自ら」による、「理法」による「学び」 その「学び方」というのは、その人が自身の「からだ」を通して、それと自分の「こころ」とどうつながっているかを確かめ、自分なりにそこに潜んでいる「理」を知ることではないか、ということです。 仏教の「自灯明」と「

  • 「姿勢と能力」

    39.からだの修正と能力 磯谷先生とは、一度、話したことがあります。電話で一回だけです。亡くなられて30数年たちますから、ずいぶん前の話で、細かいことは忘れてしまいましたが、そのとき、「股関節の重要性が理解されていないこと」への憤懣を漏らされた、その語

  • 「姿勢と能力」

    38.磯谷療法―股関節の歪みと矯正の理解 股関節の重要性というと、思い浮かぶのは、1958年礒谷公良氏によって創始された磯谷礒谷療法です。その説明の一部を紹介しておきます。股関節の重要性の理解の参考にしてください。 礒谷療法は、股関節を矯正することにより両

  • 「姿勢と能力」

    37.「真向法」の「行法」と股関節の使い方と呼吸 「座法」がきまれば、次は、「行法」です。 一種から三種までは、前に倒します。四種の体操し、後ろに倒します。 その際、「股関節」を中心に倒すことと、息を吐きながらゆっくりやることです。そして、体を起こす、

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    36.「立腰」を組み込んだ「真向法」 腰と直接関係するのは、骨盤です。そして、その骨盤とつながっているのが下肢です。 そこで、そのつながりを理解するのに役立つのが「真向法」です。 塾で「立腰」を指導していて、骨盤周りに難がある生徒がいると、場合によっ

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    35.「体癖」を正すこと そこで、正しい姿勢に考えるうえで、参考にしたいのが、「体癖論」です。それのいきつくのは、重心としての腰椎ですが、一応簡単に触れておきます。 「体癖」については、いろんな人が述べています。野口氏は、12に分けていますが、その中の

  • 「姿勢と能力」

    34.正しい姿勢が蔵す「中庸」 そこで、ここでいう「中庸」とはどういうことか、この言葉はどこからきているかですが、アリストテレスの言葉としても有名ですが、普通に考えれば、経典の一つに「庸」がある儒教でしょう。 そこで、「中」は「偏らない」、「庸」は「庸

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    33.「見当違いの対応」 さて、前回の「見当違いの対応」についてです。 前回紹介した「脳機能学」に基づく、ADHD(注意欠陥多動性障害)や自閉症などへの対応に目を通すと、その原因となる脳機能に対する本人の意識や行動の用い方の指導が主で、薬とか言語を用いての治

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    32.「情動」の理解の参考に―「整体」と「脳機能学」から 整体協会の創始者・野口晴哉の書いたものに目を通すと、「こんなことが解るのか」ということがいくつも出てきます。体を見て、普通にいう「こころ」の問題をみてとるのです。それが、間違っていないから、操法の

  • 「姿勢と能力」

    31.「情動」の偏りの現われ 情動が偏るとはどういうことか、食べ物の消化吸収を例に取り上げてみます。 その過程の最初の「摂取」に偏ると、どうなるか、病気で言えば、「過食症」のようなことが起きます。そうすると、それは次の「消化」に過大な負担をかけることに

  • 「姿勢と能力」

    30.「怒りを遷さず」とは「怒り」というと、「論語」にでている孔子の言葉を思い浮かびました。こんな内容です。哀公(あいこう)問ふ、「弟子(ていし)孰(たれ)か学を好むと為(な)す」と。孔子対(こた)へて曰く、「顔回(がんかい)といふ者有り。学を好み、

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    29.「構え」は「勢い」を溜め込んだ「姿」 「姿」というのが、「勢い」の現われとすると、その「勢い」があるところでそのまま居座ると、それが「姿」に反映するということになります。 この関係を川の「形」と水流の持つ「勢い」の関係に擬してみるとします。川の

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    28.「姿」と「勢」 今月号の「月刊全生」(「整体協会」の会報)の、野口晴哉師による巻頭言が、「姿と勢」となっていました。ここで取り上げている「姿勢」のことなので、それを紹介してみます。 整体は姿勢を正すことだと言う人がいる。行為を外側からみればもっとも

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    27.情動と脳のはたらき 「情動」をどう分けるかについては、いろんな分け方かあるでしょうが、その中でよく使われるのが、大きく「五つ」に分けての説明です。そこで、ある脳科学者が、五つの調節ホルモンと結び付けて説明していますが、それを基に、「自主学習とやる気

  • 「姿勢と能力」

    26.こころは脳のはたらきを超えるか? 「学習能力」と「情動」の関りが、「脳科学」の対象となっているということにふれる前に、「こころ」と「脳のはたらき」の関りについて触れておきます。 「こころ」という言葉が何を指すかということで、「こころは脳のはたらき

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    25. 「感情」と「情動」 例として取り上げた女生徒は、学習を始める前の「立腰」で、姿勢を直そうとして肩に触れるとガチガチで、その後の母親との面談で、父親がこの子にすごく厳しく、本人が反発していて、それが原因ではないか、というようなことでした。 「感情

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    24.「つながり」のもたらす効果 さて、ここまで読んで、「手」で書くことがでてきたところで、「怒り肩」の女生徒の例を再び取り上げてみるとします。 この中2の女生徒は、「頑張るけれど、成績が上がらない」、父親と関係がよくなくに反発している、肩が上がり首が

  • 「姿勢と能力」

    23.「手」が引き出す「はたらき」 前回、「姿勢」が「能力」の「引き出し」の一つだということに触れました。「学習能力」を引き出す指導に当たって、そういうふうに「みえる」ようになれば、という思いだということです。無論、それは、そう簡単ではないでしょう。ただ

  • 「姿勢と能力」

    22.「姿勢」という「能力」の「引き出し」 「からだ」の持つはたらきについて、いろんな「引き出し」があるということでした。それは、言葉をかえて言うと、「個」の「能力」を身に付けるには、いろいろなアプローチがあるということです。 「姿勢と能力」で言いたい

  • 「姿勢と能力」

    21.個の中の「はたらき」の「引き出し」はいろいろある 「整体」治療の紹介で、背骨を読むことから入る、ということがよくあるということにふれました。では、直接、背骨を扱うかというと、むしろ、足とか骨盤の調整からはいることが多いということでした。それは、その

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    20.「足」の反射区と「手」の反射区 「足裏」のところで出てきた「反射区」というのは、リフレクソロジーの用語です。次は、その説明の引用です。 リフレクソロジーとは、訳すると「反射学(はんしゃがく)」。足裏や手のひら、耳など身体の一部分に全身の「反射区(

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    19.「足」と姿勢 「足」の歪みと「姿勢」の歪みのつながりは、他の箇所の歪みと姿勢のつながりよりは、解りやすいのではないでしょうか。 例えば、片方の足の内くるぶしと外くるぶしの位置の歪みは、内くるぶしが脛骨、外くるぶしが腓骨の先端ですから、その脛骨と腓

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    18.「足」と「はだしの教育」 さて、主に小学校・幼稚園・保育園で、体を鍛えるために児童・幼児をなるべく裸足で生活させるという「はだしの教育」というのがあります。 そこで、「足」を取り上げてみます。 体全体の「反射区」を映した足裏の図を見ると、例えば

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    17.「からだ」の全体と部分のつながりを示す図 そこで、その「個」の中での「見えない」つながりです。 実践を基に、これらのつながりを理解することは、解剖学や神経科学・運動科学などの近代科学理論を乗り越えることになるでしょう。 まず、よく知られている、

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    16.専門家のそれぞれの対応 さて、先のような例で、一応三つの対応を取り上げました。そして、「どれでもうまくいく可能性がある」と述べました。 例えば、こういうケースで心理療法家であれば、家族関係に注目して、本人や父親について、カウンセリングを行

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    15.「書く力」を阻むもの 「書く力」が、どういうはたらきのつながりによって支えられているか、以前、取り上げた中2の女子生徒の例を取り上げてみます。 中2の女生徒が入塾してきました。母親の話だと、「頑張るけれど、成績が上がらない」とのこと。 数学の「理

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    14.「書く力」とつながるはたらき さて、「からだ」のはたらきと学習能力というと、普通には、「読み」「書き」「聴く」「話す」に関わる、「目」「口」「耳」「手」が思い浮かびます。 例えば、「手」であれば、単に「書く」能力としてとらえることになり、その「

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