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うさんく斎
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釧路市
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2008/11/07

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  • 第73話 急展開すぎる

    モヤシの公孫讃はモヤシのままだった。 少し安心した。 盧植のジジィから逃げ出した俺と 無事卒業したモヤシ。 パッとみた感じでは頼りなさそうな風貌だ。 持って生まれた物だから仕方ないな。 まぁ今は命の恩人だし敬おうかのう。 さてモヤシは今一体何をしているのだ? ほほう北平の太守とな。 見かけによらず立派になったじゃあないか。 俺? 俺の事はあまり深く聞かない方がよい。 今は…

  • 第72話 這い上がる

    いかにも山賊ですって集団に取り囲まれた。 多分黄巾賊の残党であろう。 命が惜しけりゃ金目の物と食糧を置いてきな と、決まり文句をほざいてきやがった。 それはこっちの台詞じゃわい。 俺達もここ数日満足に食い物にありつけてない。 飢えと寒さで苛々してる時に来るなよ。 俺達の姿なりを見れば分かるだろ馬鹿ども。 話し合いで解決できればよいのだが、 こっちは単細胞揃いだ。 気がつけばヒ…

  • 第71話 根無し草

    不思議と心は落ち着いていた。 役人殺しは大罪なのにもかかわらずだ。 殺される運命だったんだよな督郵は。 自分の屋敷に戻るとヒゲ豚図々しい奴が駆け寄ってきた。 三人は俺の様子をみて察したらしい。 最初は驚き戸惑っていたが 督郵を殺したと確認すると拍手喝采してくれた。 豚はさすが長兄と誉めたたえ、 図々しい奴はこんな度胸があったのかと驚かれ、 あのヒゲは目こそ合わさないが 偉そう…

  • 第70話 やっちゃった

    すいませんすいませんすいません。 俺は故郷以来の特技である土下座作戦に出た。 こういう時は下手な言い訳はぜず へりくだって謝り倒すのが一番だ。 しかし督郵は一筋縄ではいかなかった。 督郵であるこの私をこんな目に合わせるなんて ただではおかないからな。 と捨て台詞を吐き、 ふらつきながら屋敷へ帰って行った。 こいつぁまずい。 張本人である豚の首でも差し出さないと 許してもらえ…

  • 第69話 すべて台無し

    ヒゲと豚は俺が督郵に賄賂を贈るのが なんとも気に入らないらしい。 二人とも説明を受けると憮然とした態度で さっさと村の居酒屋に繰り出してしまった。 まぁ単細胞のお前たちには この俺の思慮深い行動は理解できないかもな。 そりゃあ俺だってこんなことはしたくない。 もったいないもの。 だが出世の為の投資と思えば何とも思わない。 これが今の世の流れだからな。 そこんとこは図々しい奴も…

  • 第68話 これが常識

    ひ、暇だ。 毎日がのんびり過ぎて辛い。 平和な事は良い事だが こう何もないとやる気が無くなる。 俺達は安喜県に着いて早速村の治安を守ってるのだが、 守るも何もこんな田舎じゃ事件は起こらない。 逆に考えれば俺が赴任したからかもしれんけどな。 俺様の御威光によって民達は幸せそうだ。 張鈞の言う十常侍の「じ」のかけらもないしな。 ヒゲ豚共は民に交じって農作業や家畜の世話をしておる。 …

  • 第67話 捨て置けい

    出立の前に張鈞から気になる言葉を掛けられた。 十常侍には気をつけなされい、と。 十常侍?知らんな。 人か組織かもわからんのに 何を気をつければよいのだ。 張鈞から直接聞いても良かったが、 世間知らずと心配されるのが目に見える。 ヒゲも知ってるだろうが こいつにだけは頼りたくない。 というかなんで付いて来てんだ? 義軍は解散したんだぞ。 他の義兵達はとっくに帰ってしまったぞ。…

  • 第66話 喜べ庶民共

    張鈞になぜ孫堅が俺の事を 恨んでいるか詳しく聞いてみた。 張鈞も直接本人から聞いたわけでは無いので 定かではないらしいが、 俺の配下の簡雍の無礼のせいだと。 たいそう失礼な言葉を孫堅にぶつけたらしい。 張鈞はそう肩を落としながら言い、 そういう迷惑な家臣は俺にとって有益ではないから さっさと追放して関わらないほうがいいとまで 助言してくれた。 また図々し奴のせいか。 まぁ心…

  • 李儒(りじゅ)

    本作での呼び名= 董卓が入朝した頃に官界にあった。後漢書皇后紀には、弘農王の郎中令に就いており、董卓に廃された弘農王劉弁に毒薬を飲ませて殺したことが書かれている。董卓の死後、李傕から侍中に推薦された際、弑逆の罪で献帝によって殺害されそうになるも、李傕のとりなしを得ている(『後漢紀』)。 三国志演義では董卓の娘婿として登場する。董卓が洛陽を支配した後に、弁皇子の殺害及び献帝の擁立や…

  • 陳宮 公台(ちんきゅう)

    本作での呼び名= 「剛直烈壮、少(わか)くして海内(かいだい)知名の士と皆相連結す」と記述の通り、地元の顔役として、勇敢で信念を曲げない人で、若くして多くの名士達と交友を結んだ。 天下が動乱の時代に入ると、陳宮は、まず曹操に仕えた。初平3年(192年)、兗州刺史劉岱が黄巾軍に敗れて戦死すると、陳宮は、「覇王の業」のために兗州を傘下に治める事を曹操に進言する。曹操の同意を得た陳宮は、先…

  • 袁術 公路(えんじゅつ)

    本作での呼び名= 青年期は侠人として知られ、仲間達と放蕩な生活を行っていたが、後に改心、孝廉に挙げられると官は河南尹、虎賁中郎将に至った。 189年、霊帝崩御後、袁紹と共に政権を掌握していた宦官数千名を誅殺した。董卓が入京後に後将軍に任じられたが、害が及ぶのを怖れて荊州の南陽へ逃れた。長沙太守の孫堅により南陽太守が殺害されると、袁術はその後任として就任、南陽郡を支配し孫堅を豫州刺史に任じ董卓を攻…

  • 呂布 奉先(りょふ)

    本作での呼び名= 『三国志』によると、はじめ河内に并州刺史として駐屯していた丁原に騎都尉・主簿として仕え、重用された。189年、霊帝死後の混乱の中で丁原とともに首都洛陽に入るが、中央の権力獲得を図る董卓とやがて衝突した。董卓は丁原殺害を目論むと、その下にいる呂布に謀反をもちかけた。誘いをかけられた呂布は丁原を斬り、そのまま董卓に仕えて信愛を得た。董卓は呂布を非常に重用し、養子とした。さらに董卓に…

  • 丁原 建陽(ていげん)

    本作での呼び名= 并州の貧家を出身とする説が有力。武芸に秀でるも学問は無かった。南県の役人を経て、并州刺史や騎都尉を務め、この頃に呂布を家臣に取り立てている。 霊帝の死後、何進から洛陽へ招かれて宦官排斥に参加、執金吾となる。その後、何進が宦官に殺害されると董卓が実権を握り、献帝の擁立を図る。丁原はこれに反対したが、董卓に通じた呂布に殺され、彼の配下の兵は呂布に従って董卓軍に吸収された。 『…

  • 王允 子師(おういん)

    本作での呼び名= 王允は太原郡祁県(現山西省太谷県)の人で、若い頃に「王允は一日に千里を走り、王佐の才(王を佐(たす)ける才。主君に仕えてその人を偉大足らしめる才能)である。」と評されていた。 19歳にして郡の役人となる。当地では趙津と言う者が悪行を繰り返しており、問題となっていた。王允はこれを捕らえて処刑した。趙津の兄弟が怒って中央の宦官に賄賂を持って王允への復讐を行おうとした。宦官は時の皇…

  • 新年のごあいさつ

    新年あけましておめでとうございます。 今年も三国志裏劉備伝を何卒よろしくお願い致します。 2009年が皆様にとって良い一年でありますように。。。 裏劉備伝は1月3日より再開いたします。

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