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  • 六〇年安保世代のその後(21)

    つづき 今は啓介が可愛い。友子が主に面倒を見ているとはいえ、可愛さには変わりなかった。資本論入門のことも次第に気にならなくなった。友子に従おう。そうすれば家庭は万々才だ。  友子の父が検事である故、左翼思想は禁物だった。家庭を重視するなら、左翼思想は捨

  • 六〇年安保世代のその後(20)

    つづき いよいよ啓介が小学校に入る。入学式には友子と僕の二人で出席した。啓介は講堂の前かから十番目位にちょこんと神妙に座っていた。校長先生が、みんな楽しく仲良く勉強したり遊んだりしてください・・・・・と話しかけた。啓介等は訳は分からぬまま校長先生の話を

  • 六〇年安保世代のその後(19)

    つづき いや、それはいけない。じっと我慢しよう。今の生活を失いたくない。暫くの辛抱だ。僕はやはり友子を愛しているのだ。友子と子供と三 人で楽しく今のままの生活を続けよう。資本論より今の生活の方が大切だ。じっと我慢しよう。そうすれば今の生活は続くのだ。そ

  • 六〇年安保世代のその後(18)

    つづき 何時までもこの平和な生活が続くだろうか。僕は今の生活で充分満足しいていた。この静かな池に誰か石ころでも投げて、波紋を広げるだろうか。今のところそういうことは思いつかない。 強いて云えば問題になりそうなのは会田京子である。資本論のことで何か云って

  • 六十年安保世代のその後(17)

    つづき 子供は肩車できるほど、大きくなった。子供の名前は「啓介」とつけた。近所を散歩家族で散歩するとき、啓介肩車するかといって屈むと、啓介は喜んで肩の上に乗ってくる。三十分程度歩いてから、いいかと降ろす。啓介は素直に降りる。三人で家路につく。幸福な家族

  • 60年安保世代のその後(16)

    つづき 会田京子に親しい思想を持っているとはいえ、やはり僕は友子を愛していた。それ故に友子との日常は楽しいものであり、重要でもあった。それに子供もできる。そうなれば今までの生活が変わるだろう。赤ん坊の世話をするのは大変らしい。僕も赤ん坊の世話を手伝

  • 六〇年安保世代のその後(15)

    つづき 分かった、とはいったものの心の中では、やはりマルクス主義に拘っていた。そんなに簡単に心が変わりはしない。密かに「マルクス主義入門」という本を持っていた。この本は友子の目には絶対つかないようにしまっておいた。 この本に目を通して、朧気なが

  • 六〇年安保世代のその後(14)

    つづき 妻も僕に三度の旨いめしを食わせてくれるのは、僕を愛しているからだろう。これもお互いの趣味、思考が一致しているからだろう。何かで一致しないところができたらどうなるか分からない。今のところそういうところが見られないのが幸いだ。 まだ何も妻には言っ

  • 六〇年代安保世代のその後(13)

    大分御無沙汰しました。つづき 友人の話によると、妊娠初期は注意しなければならないとのこと。そのことに全く注意しなかったことに愕然とした。友子も医者から聴いているはずだ。妻は知っていたという。それを無視したというのだ。全くどうしようもない。暫くは僕が自粛し

  • 六〇年安保世代のその後(12)

    つづき 「どうだった?仕事うまくいったんでしょう。顔で分かるわ!」 「うん、課長のお陰さ。早く課長のレベルまでなりたいよ。課長はすごい」 「早く課長さん位になってよ。あと五年位かな?」 「そうだな。あと五年で課長位になる」 「そうね、ご飯まですこし寛い

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