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  • 博物館明治村へまた行った。その1(帝国ホテル中央玄関)

    昨年12月に浜松市楽器博物館に行きヤマハイノベーションロードを見学したあと、博物館明治村に行った。その9まであります。2019年に行った話はこちら。博物館明治村へ行った。帝国ホテル中央玄関編その1から始まり、全部で10本ある。今回の帝国ホテル中央玄関についての記事はこれ1本のみだ。前回アップした方が熱いな。★←明治村HP帝国ホテル中央玄関↑玄関から入り、左に折れて2階に上がる途中の踊り場。2023年12月に行ったのだが、正月を意識してか着物姿で箏の生演奏が見れた。大きな窓からの光や隅のテラコッタの隙間からの光が美しい。↓こちらは玄関から入って右に折れた方の踊り場。白い天井に入る茶色いラインが目を惹く。2回から吹き抜けを見下ろしたところ。モールの飾りやクリスマスツリーが華やかだ。往時もきっとこのように華やか...博物館明治村へまた行った。その1(帝国ホテル中央玄関)

  • 博物館明治村へまた行った。その2(SL名古屋駅)

    博物館明治村へまた行った。その1(帝国ホテル中央玄関)よりつづく帝国ホテル中央玄関のある明治村5丁目のSL東京駅で蒸気機関車に乗って、明治村4丁目のSL名古屋駅で降りた。★←明治村HPSL乗車体験古いSLをちゃんと運行させるのはたいへん苦労があるだろう。偉いな。かわいらしい駅から入鹿池を臨む。博物館明治村へまた行った。その3(鉄道寮新橋工場(機械館))へつづく博物館明治村へまた行った。その2(SL名古屋駅)

  • 博物館明治村へまた行った。その3(鉄道寮新橋工場(機械館))

    博物館明治村へまた行った。その2(SL名古屋駅)よりつづく見晴らしのよいSL名古屋駅から出て下りてすぐのところは鉄道寮新橋工場(機械館)だ。外観は撮り忘れた、すみません。ちゃんと建物にも注目するんだった。★←明治村HP鉄道寮新橋工場(機械館)もともとは鉄道整備工場だったが、今は明治期の機械が展示されている。鋳物の重厚な雰囲気がたまらない。トヨタ産業技術記念館で見たG型自動織機を思い出した。↑↓活版印刷機。キャプション。製造年:明治42(1909)年製造者:株式会社東京築地活版製造所寄贈者:日本国有鉄道札幌印刷場型式:四六半裁段車式、能力:30枚/分乗車券印刷機。乗車券用なだけあって、通し番号をふるために1枚1枚違う数字を印刷できるらしい。ちなみにさっきから背景にちらちら写っているごついのは蒸気槌(1881...博物館明治村へまた行った。その3(鉄道寮新橋工場(機械館))

  • 博物館明治村へまた行った。その4(宇治山田郵便局舎)

    博物館明治村へまた行った。その3(鉄道寮新橋工場(機械館))よりつづくまえに明治村を訪れたときは修理中で見ることが出来なかったので、期待が高まる。約4年にわたる修理工事を終えて2022年11月3日より一般公開だそうだ。オープンしてまだひと月くらいで見ることが出来た。シンメトリーな姿が印象的だ。★←明治村HP宇治山田郵便局舎明治42(1909)年に伊勢神宮外宮前に建てられたそうだ。右手前のアカマツがなんとなく伊勢神宮っぽい。伊勢神宮なら数カ月前に行ったぞ!伊勢市駅から外宮にまっすぐつづく参道を歩いて外宮手前まで来ると、おしゃれな建物とその隣に郵便局があるのが見えた。そのおしゃれな建物はコの字型に配され、フランス料理レストランとチョコレート専門店と旅行会社が入っているようだ。敷地入口には背の高いアイアンの門扉...博物館明治村へまた行った。その4(宇治山田郵便局舎)

  • 博物館明治村へまた行った。その5(六郷川鉄橋、他)

    博物館明治村へまた行った。その4(宇治山田郵便局舎)よりつづくなんかちょっと茂りすぎている気もしなくもない。★←明治村HP六郷川鉄橋向こうにかすんで見える白い壁に赤い三角屋根はハワイ移民集会所だ。★←明治村HPハワイ移民集会所アップ。もともとは日本初の複線用鉄橋で、明治10(1877)年に多摩川下流の六郷川に掛けられたが、明治45年に東海道線の複々線化に際して外され、単線用に改造されて御殿場線の酒匂川に架けられたらしい。複線→複々線→単線→本橋部のトラス1連のみ移築、という経緯だ。列車用の鉄橋を歩いて渡る、って『スタンド・バイ・ミー』みたいだな。鉄橋を渡った先には蒸気機関車。★←明治村HP尾西鉄道蒸気機関車1号明治村にはSL乗車体験で走らせている蒸気機関車2台のほかに、動かさないSLもあるんだな。そして、...博物館明治村へまた行った。その5(六郷川鉄橋、他)

  • 博物館明治村へまた行った。その6(札幌電話交換局)

    博物館明治村へまた行った。その5(六郷川鉄橋、他)よりつづく前回はスルーしていた明治村の2丁目をチェックする。まずはとっつきの石造りの四角い建物だ。★←明治村HP(札幌電話交換局)入口の庇の緑青の色がアクセントになっている。花型のレリーフ(花紋)が素敵だ。1階と2階の境に帯状に突出した飾りを胴蛇腹というらしい。花紋の上のちょっと突き出している部分とセットなのか。キャプション。高価な交換機を火災から守るために地元産のを石材を用いて建てられたのだそうだ。そういえば、宇治山田郵便局舎の切手倉庫も防火対策がしっかりしていたなあ。中の展示。電話交換局らしく古い電話交換機や電話機が展示されている。これがかかってきた通話を電話交換手が手動で繋ぐ交換機。これはまだかわいいタイプで、もっと大きくなった。その後、自動になる。...博物館明治村へまた行った。その6(札幌電話交換局)

  • 博物館明治村へまた行った。その7(東松家住宅)

    博物館明治村へまた行った。その6(札幌電話交換局)よりつづく明治村の2丁目、入口の札幌電話交換局から2軒奥の和風の黒い3階建てが東松家住宅だ。★←明治村HP東松家住宅キャプション、左側。創建以来、何度も増改築を繰り返したらしいです。もともと江戸末期には平屋だった建物を、明治28(1895)年に後方へ曳いて移動させたうえ、2階の前半分を増築して現在の店構えにし、さらに明治34(1901)年に3階より上の部分を増築したとされている。HPの説明を読みつつ見取り図を読み解くと面白い。じつは鰻の寝床のように間口より奥行きの長い建物なのだ。見取り図アップ。上階に行くにしたがって奥の面積が狭まっている。キャプション、右側。左の戸から中に入ると奥行きの長い土間があり、少し先では3階までの吹き抜けが高い。入って進み、一枚戸...博物館明治村へまた行った。その7(東松家住宅)

  • 博物館明治村へまた行った。その8(聖ヨハネ教会堂)

    博物館明治村へまた行った。その7(東松家住宅)よりつづくこんどは1丁目の奥へ。明治村へバスで行くと1丁目から入村するが自家用車用の駐車場は5丁目側にあり、今回はそちらから入村したので聖ヨハネ教会堂は最も遠い建物かもしれない。★←明治村HP聖ヨハネ教会堂靴を脱いで入り、左右の階段から2階へ上がる。両階段の上は塔になっていて、壁に梯子が掛かっているのが気になるが、写真は撮らなかった。ちなみに1階は「つみきひろばGabe」といって、「子どもの可能性を豊かに育み、大人に気づきの喜びをお届けする「共育」空間」なんだそうだ。★見学する建物に直接関係あるわけではなさそう。明治村の見学に飽きた小さい子向け、という感じか。階段を上って扉の向こうが礼拝堂。奥の扉は反対側の階段に通じている。屋根の内側に竹のすだれが使われていて...博物館明治村へまた行った。その8(聖ヨハネ教会堂)

  • 博物館明治村へまた行った。その9(大明寺聖パウロ教会堂)

    博物館明治村へまた行った。その8(聖ヨハネ教会堂)よりつづく天井のアーチのラインに目が惹きつけられる。★←明治村HP大明寺聖パウロ教会堂祭壇の右側には、黒いゴツゴツした壁に手を合わせたマリア像。ルルドの洞窟なんだそうだ。ルルドはピレネー山脈のふもとにあるフランス南西部の町で、世界的に有名なカトリックの巡礼地。1858年に地元の少女がここで薪拾いをしているとき聖母マリアが出現したといわれる。巡礼地を系列のあちこちの教会に作っちゃうのか。近寄りすぎないように柵がある。柵も素敵。アップ。下からの光でちょっと不気味な演出というか神秘的というか。祭壇アップ。まるで天から星が降ってきているかのようなラインの天井だ。窓は麻の葉模様。窓と上方のアーチ。祭壇近くから振り返り入口を見る。入口の上の段。ロフトっぽい。外観。内と...博物館明治村へまた行った。その9(大明寺聖パウロ教会堂)

  • 4月11日 朝の山

    だいぶん葉が伸びてきた。パッチワークのようだ。4月11日朝の山

  • 4月3日 朝の山

    日に日に芽が伸びて、梢の色が変わる。いろいろな色がある。3月26日の写真と同じ場所です。てっぺん付近の岩陰のピンクはアカヤシオつつじかな?この時期の山がいちばん好き4月3日朝の山

  • 3月26日 朝の山

    山桜が咲きだした。曇天のもやの中カラスが飛んでいた3月26日朝の山

  • ヤマハ イノベーションロードに行った。その1

    浜松市楽器博物館へまた行ったあと、ヤマハイノベーションロードを見学した。HPに企業ミュージアムとある通り、本社にある。コロナ禍のあおりで、区切られた時間ごとの入場制限があり、予約した者しか入れない。扉が開くのを待っている間に撮った写真。イノベーションロードはサイト上でバーチャル見学が出来る。要所要所では音声解説も聞ける。もしかしてそちらを見てもらえばこんな記事を書くこともなかったかも....、と思ったりするが、まあ、書く。入口入ってすぐのところの目立つ場所にバイオリンが3本さげられている。エレクトリックバイオリンYEV1052016ステージ上で映える斬新なデザインと高い演奏性を兼ね備えたエレクトリックバイオリンとキャプション。★←ヤマハHPイノベーションロード展示コレクションより5弦だ。横から見ると、ぐっ...ヤマハイノベーションロードに行った。その1

  • ヤマハ イノベーションロードに行った。その2

    ヤマハイノベーションロードに行った。その1よりつづくグランドピアノのカットモデル。ヤマハ掛川工場のハーモニープラザにもあったなあ。アクション部分をアップ。キーを押す動作をハンマーに伝え弦を打つ動作にする。微妙なタッチの差も弾き分けられるようにする為にこんなにたくさんの部品が必要なのだなあ。響板部分をアップ。弦の響きを増幅させるとても大事なパーツが響板だ。その振動を止めないように、響板の下側は支柱に触れていない。響板の下側をアップ。響板の裏に何本か貼られている桟のような部品は響棒という。ヤマハイノベーションロードに行った。その3へつづくヤマハイノベーションロードに行った。その2

  • ヤマハ イノベーションロードに行った。その3

    ヤマハイノベーションロードに行った。その2よりつづくものづくりウォークという展示のなかのピアノコーナー。響棒の貼り付けられた響板↑キャプション↓響板はとても重要なパーツです。響板の表側に、弦のとまる駒が貼られている。低音の弦は長くなるので、省スペースと共鳴をねらって交差させて張るため、駒が部分的に2列になる。アップ。駒はブリッジともいう。キャプション。支柱と側板。がっちり作られている。キャプション。フレームと弦。これぞピアノ、っていう。低音の弦が上に交差している。キー(鍵)の一揃いを鍵盤という。白黒はのちに貼られるけれど、貼られる木材は一枚から切り出される。ポルタティーフオルガンを作ったときにはじめて知ったが、これは重要なポイント。キーの中ほどの孔をピンに通し、支点で支え、正しい位置に留めるパーツを筬(お...ヤマハイノベーションロードに行った。その3

  • ヤマハ イノベーションロードに行った。その4

    ヤマハイノベーションロードに行った。その3よりつづくものづくりウォークという展示のなかのギターコーナー。バズ・ライトイヤーのあごみたいだが、そこをマレットでコンと鳴らしてみる展示。響棒の改良を体験させてくれる。キャプション。楽器というものは感性にうったえるものなので、感性の違いによって善し悪しは変わってしまう、とても主観的なものだ。微妙な差が分かる人とそうでない人もいるし。それで得てしてオカルトが跋扈するのだが、科学的に、客観的に差を見つけるヤマハの手法はよいと思う。塗装も大事。キャプション。工程を経ることによる変化。ヤマハイノベーションロードに行った。その5へつづくヤマハイノベーションロードに行った。その4

  • ヤマハ イノベーションロードに行った。その5

    ヤマハイノベーションロードに行った。その4よりつづくものづくりウォークという展示のなかのバイオリンコーナー。バイオリンは見るからに木から出来ているな。ピアノに比べるとパーツが少ないなあ。その1でアップしたエレクトリックバイオリン。あれは5弦だったが、これは4弦。色々な楽器に使われる木の種類。軽くてよく響く響板用とか、硬くて緻密な指板やキーの表面用とか、文字通り適材適所です。その例。ピアノなどの響板にはアカエゾマツ。クラリネットにはグラナディラ。ものづくりウォークという展示のなかのマリンバコーナー。木を削ると音が低くなる。にわかには信じられない。弦や管は太く長くなるほど低くなるからね。叩くと分かる。キャプション。まず基音を削り出し、それから倍音を加える。YM-5100A★これはものづくりウォークコーナーじゃ...ヤマハイノベーションロードに行った。その5

  • ヤマハ イノベーションロードに行った。その6

    ヤマハイノベーションロードに行った。その5よりつづくものづくりウォークという展示のなかの金管楽器コーナー。トランペットのベル製造工程(1枚取り)↑、トランペットのベル製造工程(2枚取り)↓サックス。キャプション。ただ叩くだけの一見シンプルな道具に見えるが、こういうものこそ技術の奥が深い。キャプション。ヘラ絞り。ろくろで回してヘラを当てると絞れる。魔法のようだ。キャプション。管を曲げるのに、いちど潰してから、っていうのにびっくりした。ヤマハイノベーションロードに行った。その7へつづくヤマハイノベーションロードに行った。その6

  • ヤマハイノベーションロードに行った。その7

    ヤマハイノベーションロードに行った。その6よりつづくエレクトーンE-701977PASSystem(パルス・アナログ・シンセサイザーシステム)を搭載したエレクトーンとキャプション。★その6では目についた楽器をアップする。サイレントブラスSB11995楽器音を会話程度の音量にまで抑え、いつでもチューバの演奏が楽しめるサイレントブラスとキャプション。★コンサートグランドピアノCFⅢS製造番号5021000199420世紀最大のピアニスト、リヒテルはヤマハピアノを愛用した。本機は1994年最後の来日公演の際に使用したピアノとキャプション。★譜面台が優雅。キャプション。掛川工場のハーモニープラザにもリヒテルピアノがあったが、あれは製造番号が違う個体なのかしら?コンボオルガンYC-101969★デザインに心惹かれる...ヤマハイノベーションロードに行った。その7

  • 浜松市楽器博物館へまた行った。その1(チェンバロその1)

    2021年12月に浜松市楽器博物館に行って大いに刺激を受けたのだが、1年経ってまた行く機会が出来た。今回は鍵盤楽器の中でも特に興味のあるものだけに絞って写真を撮ってきた。ちなみに前回行ったときのチェンバロ等の記事→★このチェンバロ↑↓は、アブラハム&ジョセフ(Ⅰ世)・カークマンAbraham&Joseph(1)Kirckman1791ロンドン★←浜松市楽器博物館のHP内の所蔵資料データベースペダルがついているのがちょっと変わっているチェンバロだ。↓チェンバロのジャック。わたしが勝手に博物館のチェンバロのジャックを抜いたわけではない。浜松市楽器博物館は毎日ギャラリートークという時間が3、4回設けられていて、学芸員が博物館にある色々な楽器を実際に演奏して説明してくれるのである。すごく気軽な感じでわたしが見た限...浜松市楽器博物館へまた行った。その1(チェンバロその1)

  • 浜松市楽器博物館へまた行った。その2(チェンバロその2)

    浜松市楽器博物館へまた行った。その1(チェンバロその1)よりつづくなんとも華やかだ。まえに見たときは蓋が開いていなかったらよけいに華やかに見えるのかな。フランソワ・エティエンヌ・ブランシェ2世François-ÉtienneBlanchetII1765パリ★とある。各国によるチェンバロの違いのキャプション。見た目のわたしの好みでいえばイギリス風だなあ。華やかなのもよいけれど、身の回りに置いて使うとなると、わたしは装飾がはずかしい。ヴァージナルフェランテ・ロッシFerranteRossi1597ミラノ★鍵盤に対して弦の張られる方向がチェンバロと違うけれど音の出る仕組みはチェンバロと同じ。彫刻がすてき。これなら許せるのか、わたし。上の国別比較キャプションにイタリアの特徴として「ひかえめな飾りと品のある形」とあ...浜松市楽器博物館へまた行った。その2(チェンバロその2)

  • 浜松市楽器博物館へまた行った。その3(クラヴィコード)

    浜松市楽器博物館へまた行った。その2(チェンバロその2)よりつづくこれは浜松市楽器博物館では唯一のクラヴィコードだ。ペール・リンドホルムPehrLindholm1788ストックホルム★蓋が開いた状態。アップ。クラヴィコードは音の小ささを少しでもカバーしようとしてか複弦だ。一つのキーで同じ音程の2本の弦を鳴らす。だがこのクラヴィコードは低音2オクターブ弱がユニゾンではなくて1本の弦が1オクターブ上になっているのが特徴だ。響板の鍵盤に近いところに細いブリッジがあるのが見える。低音の太い弦が上を通り過ぎている。そこのキーをひとつ押すと2つの音に聞こえても曲の中で鳴らせば上の倍音が多めの音色に聞こえるんだと思う。そういう発想はパイプオルガンに親しんでいれば普通に出てくると思う。黒いナチュラルキーの手前側が少し見え...浜松市楽器博物館へまた行った。その3(クラヴィコード)

  • 浜松市楽器博物館へまた行った。その4(ピアノその1)

    浜松市楽器博物館へまた行った。その3(クラヴィコード)よりつづくチェンバロ、クラヴィコードのつぎは初期のピアノ。クリストフォリのピアノから歴史は始まるのだ。1年前の見学の記事でアップしたので詳しくは述べない。クリストフォリ・ピアノ河合楽器製作所1995浜松現存する3台のクリストフォリ製ピアノをもとに復元したもの★浜松市楽器博物館にはクリストフォリの復元ピアノの音の出る仕組みが分かる模型もある。ハンマーが現在のピアノと全然違うというのが分かった。影踏丸さんという音楽史などの物知りさんがネットにたくさん記事をアップしていてひじょうに勉強になる。海外の当時の文献を翻訳して読み解ける方なのだ。凄い、一体何者!?最近のアップにちょうどピアノの誕生についての記事があって、黎明期のピアノとしてクリストフォリのもの以外に...浜松市楽器博物館へまた行った。その4(ピアノその1)

  • 浜松市楽器博物館へまた行った。その5(ピアノその2)

    浜松市楽器博物館へまた行った。その4(ピアノその1)よりつづく伝アンドレアス・シュトライヒャーAttributedtoAndreasStreicher1815頃ウィーン★キャプションにははね上げ式シングルエスケープメントとある。白いジャックレール?の上のちょうど弦の位置に楕円形のフェルト?が載っている。孔が突き抜けているのだろうか?シュトライヒャー一族についてのキャプション。ブロードウッドがイギリスならシュトライヒャーはドイツ、ウィーン。このキャプションに書かれているアングロ=ジャーマン式アクションとは一体どういうものなんでしょう?軽く検索したけれど分からなかった。ヨーゼフ・ベームJosephBöhm1820頃ウィーン★キャプションにははね上げ式シングルエスケープメントとある。円弧を生かしたデザインと派手...浜松市楽器博物館へまた行った。その5(ピアノその2)

  • 浜松市楽器博物館へまた行った。その6(ピアノその3)

    浜松市楽器博物館へまた行った。その5(ピアノその2)よりつづくプレイエルPleyel1869パリ★キャプションには突き上げ式シングルエスケープメントとある。この写真だととても分かりづらいが、第二響板が蓋に揃えて上げられていると思う。第二響板についてはその5の最後の写真のキャプションに説明されている。鋳物のフレームだ。いまのグランドピアノのように見える。アップ。グランドピアノのダンパーといえばこういう黒いやつだよね。まあまだちょっと形が違うけれど。ダンパーペダルの仕組みは足で踏んで引っ張る式だったが、エラールが1810年に突き上げ式を発明してペダルボックス型になったらしい。このピアノもペダルボックスのある方だよな。西野智也ピアノ講座第5回【ピアノ界の3大発明家】こちらは突き上げ式ダブルエスケープメント(フラ...浜松市楽器博物館へまた行った。その6(ピアノその3)

  • 浜松市楽器博物館へまた行った。その7(オンド・マルトノ、ハモンドオルガン)

    浜松市楽器博物館へまた行った。その6(ピアノその3)よりつづくその6までは弦を張った鍵盤楽器にアップしたが、その7以降は電子鍵盤楽器についてアップする。オンド・マルトノ写真をちゃんと撮らなかったせいでこれしかキャプションを読み取れなかった。浜松市楽器博物館の所蔵資料データベースにも見当たらないんだよな。でもまあ黎明期の電子楽器として有名なので検索すればすぐに出てくる。私家版楽器事典オンドマルトノオンド・マルトノはフランスのモーリス・マルトノによって1928年頃にテルミンを真似て作られたそうだ。リボンの中ほどの輪に右手の指を入れて左右に動かすことで音程を決め、左側の引き出しのスイッチで音を鳴らしその押し込み加減で強弱をつけるらしい。分かりやすい説明が浜松市楽器博物館のツイッターにあった。動画もあるよ★音程を...浜松市楽器博物館へまた行った。その7(オンド・マルトノ、ハモンドオルガン)

  • 浜松市楽器博物館へまた行った。その8(ウーリッツァー、クロダトーン)

    浜松市楽器博物館へまた行った。その7よりつづく電気オルガン"モデル4602"ウーリッツァー(ニューヨーク、アメリカ)昭和29年頃ペダルが上のGまである。キャプションと音色スイッチ。ウーリッツァーといえばフェンダーローズと双璧の金属棒を鳴らして増幅させる鍵盤楽器のイメージがあるから誤解を招くタイトルをつけちゃったかもしれない。こういうパイプオルガンに類似したものも作っていたんだなあ。そして、ジュークボックスで一世を風靡したワーリッツァーと同じ会社だ。今度は本邦。電子オルガン"クロダトーン2C-3T"東洋楽器研究所(クロダオルガン)昭和44年頃クロダトーンが日本の電子オルガンの始まりだ。クロダトーンアーカイブスによると、最初はハーモニカ等のようなフリーリードを鳴らして増幅させていたようだ。昭和40年代からは電...浜松市楽器博物館へまた行った。その8(ウーリッツァー、クロダトーン)

  • 浜松市楽器博物館へまた行った。その9(フェンダーローズ、オプティガン)

    浜松市楽器博物館へまた行った。その8(ウーリッツァー、クロダトーン)よりつづく電気ピアノ"フェンダー・ローズMarkI"フェンダー社(CBS時代)(アリゾナ、アメリカ)昭和47年アナログな機構に由来する鋭い衝撃音と長く伸びる減衰音が特徴。70年代にジャズやロック、フュージョンなどで多用された。とキャプション。その7、その8ではパイプオルガンを模した電子オルガンをアップした(オンド・マルトノを除く)。ハモンドオルガンは元々教会で使われていたがどんどんポピュラー音楽に使われるようになったけれど、フェンダーローズはもう最初からパイプオルガンを模していない。キャプション。金属の棒を鳴らしてピックアップでひろって増幅させる。その8で述べた通り、今ではウーリッツァーといえばエレピだ。フェンダーローズと似ているが、叩か...浜松市楽器博物館へまた行った。その9(フェンダーローズ、オプティガン)

  • 浜松市楽器博物館へまた行った。その10(コルグシンセサイザー、エレクトーン)

    浜松市楽器博物館へまた行った。その9(フェンダーローズ、オプティガン)よりつづく電子オルガン"試作1号機"京王技術研究所(現コルグ)昭和44年日本で作られた初のシンセサイザーといえる電子オルガン。上段は単音、下段はポリフォニックで発音。試作機のため市販はされず。とキャプションにある。新しいものを作ろう、という情熱を感じる逸話。電子オルガン"エレクトーンD-1"日本楽器製造(現ヤマハ)昭和34年熱意と矜持を感じる。音楽教室で月賦販売して、一世を風靡したなあ。カシオトーン201の写真は撮りそびれてしまった。また宿題だ。カシオ計算機株式会社1980年カシオトーン201は、昭和55(1980)年にカシオ計算機株式会社によって発売されたカシオトーン市販第一号モデル。97,000円という低価格にもかかわらず29種類の...浜松市楽器博物館へまた行った。その10(コルグシンセサイザー、エレクトーン)

  • 1月16日朝の山

    1週間ほどまえの写真なのだが、4カ月まえに比べたら誤差だろう。朝もやが綺麗だった。落葉した木々の間に松が右上に写っている。寒さに当たって杉が赤くなっている。1月16日朝の山

  • 浅草寺へ行った。

    水上バスに乗って隅田川を上った。よりつづく昨夏のおわりに奈良、明日香、伊勢神宮、犬山城、トヨタ産業技術記念館、と巡りつつ東進し東京までたどり着いて、久しぶりに会った友人たちと水上バスで隅田川を上って、浅草・二天門船着場でおかに上がる。↑道の向こうは東武伊勢崎線の浅草駅。仲見世を歩く。宝蔵門が見える。本堂が見える。本堂の右手前にあるお水舎(おみずや)。凛々しいぞ。たしか高村光雲作だったよな、と近寄って見れば、ビンゴ!沙竭羅龍王像だ。かつては本堂裏にあった噴水に安置されていたらしい。★公式サイトのお水舎ページ龍の口に管が据えられているのは新型コロナ対策なんだろう。左側面。右斜め後ろ。天井画もちゃんと見ればよかったよ。なかなか派手な本堂。友人たちとはここで別れる。みな元気でね。くるりと方向転換し、こんどは仲見世...浅草寺へ行った。

  • 水上バスに乗って隅田川を上った。

    トヨタ産業技術記念館に行った。その2(糸紡ぎ、その他)よりつづく奈良、明日香、伊勢神宮、犬山城、トヨタ産業技術記念館、と巡りつつ東進し、東京までたどり着いた。友人に会う予定があったのだ。東京見物をする予定はなかったのだが、なりゆきでウォーターズ竹芝から水上バスにのった。どうやら同じ路線を通る東京都観光汽船株式会社と東京都公園協会の東京水辺ラインがあるらしい。写真一番手前のカッコイイ船はヒミコ。隅田川をのぼる。高層マンションが見える。水門に信号がついている。振り返る。レインボーブリッジだと思う。橋をたくさんくぐった。水上バスの通常運行ルートマップには17本橋が描かれている。これは勝鬨橋(かちどきばし)だと思う。橋の裏側をたくさん見ることが出来た。中央大橋だと思う。危険なのでしゃがめ、という橋もあった。思いの...水上バスに乗って隅田川を上った。

  • トヨタ産業技術記念館に行った。その1(紋織り用の機)

    犬山城へ行った。よりつづく奈良、明日香、伊勢神宮、犬山城のつぎはトヨタ産業技術記念館だ。自動車館と繊維機械館の両方を見たが、繊維館のみアップする。トヨタ産業技術記念館には何度も行ったことがあって、2012年と2018年に行ったことはアップしてある。そちらに挙げていないネタをアップする。↑↓空引機(そらびきばた)。紋織り用の機だ。上にいる紋引き手が下の織り手のタイミングに合わせて通糸を手前に引っぱるようにして綜絖(そうこう)を上げ、綜絖の孔に通っている経糸(たていと)が上がる。踏み木も何本もあり、織り手が上下させる綜絖も6枚あると思う。筬のうしろにも筬のようなものが何枚も下がっていて、その使い方がわたしには分からない。通糸を間違えずに引き上げるのも難しそうだし緯糸(よこいと)を間違えずに通すのも難しそうだが...トヨタ産業技術記念館に行った。その1(紋織り用の機)

  • トヨタ産業技術記念館に行った。その2(糸紡ぎ、その他)

    トヨタ産業技術記念館に行った。その1(紋織り用の機)よりつづく展示の順番と逆だが、お次は糸紡ぎ。14世紀ヨーロッパのグレートホイール。現代のものよりずいぶんシンプル。キャプション。15世紀のサクソニー紡車。今のものと同じ仕組みだ。手によってではなく足踏みで車を回し、撚りかけと巻き取りを同時に行えるんです。伝統的な日本式やインド式には車を回すためのハンドルがついているものの、基本的にはグレートホイールと同じままなので、ヨーロッパでの発明はすごいな。キャプション。トヨタ産業技術記念館といえばロビーの環状織機。のこぎり屋根から入る光が床に映っている。そのパターンがおもしろい。トヨタ産業技術記念館には何度か来ているけれど、自動車館のほうは展示が少しずつ変えられている。差動歯車をさわれなくなったのはちょっと残念かな...トヨタ産業技術記念館に行った。その2(糸紡ぎ、その他)

  • 犬山城へ行った。

    伊勢神宮へ行った。その6(内宮その2)よりつづく奈良、伊勢神宮のつぎは犬山城だ。白い壁と黒い屋根瓦と黄色味がかった石垣のコントラストが気持ちよい。天守閣の火灯窓がいいなあ。4年前にも犬山城に行った。そのときも暑かった。でもサクラはだいぶん落葉している。サクラは早いからな。天守閣の廻縁(まわりえん)から木曽川にかかる犬山頭首工ライン大橋が見える。橋の手前の黒い屋根は灯屋迎帆楼という旅館だそうだ。その下の川岸は犬山城港で、遊覧船に乗ることが出来る。鵜飼遊覧もあるらしい。橋の向こうのみごとな円錐形の山は伊木山(いぎやま)で伊木城跡があるらしい。犬山城へ行った。

  • 伊勢神宮へ行った。その1(外宮その1)

    明日香村の石造物その4(高松塚壁画館)よりつづく奈良を巡った後は伊勢だ。伊勢神宮には外宮(げくう)と内宮(ないくう)、あとその他があるらしい。★伊勢神宮HP伊勢市駅すぐの外宮から行った。駅から参道を通り、大通りの横断歩道の向こうが伊勢神宮外宮。灯篭がやたらと大きい。火除橋を渡り、鬱蒼とした木々への入り口が第一鳥居。雑草一本生えていない玉砂利と木々のコントラストが非日常を感じさせる。鳥居をくぐるまえから期待が高まる。鳥居をくぐって後ろを振り返ったの図。どこの鳥居か思い出せない。すみません。どうして思い出せないかはその2で述べる。写真では伝わらないと思うのだが、普段なかなか目にしないレベルの巨木がぼんぼん立っている。そして、枯れかけた枝が木から出ていなければ雑草も生えていない。巨木に圧倒されるし、緑が多いから...伊勢神宮へ行った。その1(外宮その1)

  • 伊勢神宮へ行った。その2(外宮その2)

    伊勢神宮へ行った。その1(外宮その1)よりつづく屋根の千木が印象的な正宮豊受大神宮(しょうぐうとようけだいじんぐう)が見えてきた。手前に広場があり小さな祠?小屋?が見える。高札に、これより内の撮影はご遠慮下さい、とある。それで正宮の写真はなし。HPにはあるよ。写真に写っている建物の奥にもっと大きい正殿があるらしい。でもってこれが手前の入れない広場。一体なにかというと、これこそが伊勢神宮。式年遷宮のための敷地、古殿地(こでんち)なのだ。真横に建て替えるんだね。式年遷宮について★伊勢神宮HP斜めに張っている紐は木の邪魔になりそうな枝を引っ張っている。外宮では作業している人たちを何人も見かけたよ。道理で粗朶がぜんぜん見当たらないわけだ。この空間を維持するのにとても手間がかかっている。別のお宮。小さいけれど正宮に...伊勢神宮へ行った。その2(外宮その2)

  • 伊勢神宮へ行った。その3(外宮その3)

    伊勢神宮へ行った。その2(外宮その2)よりつづくほとんど誰にも会わずに小径を歩く。度会国御神社(わたらいくにみじんじゃ)。高札じゃないんだな。大津神社とある。伊勢神宮へ行った。その4(おかげ横丁)へつづく伊勢神宮へ行った。その3(外宮その3)

  • 伊勢神宮へ行った。その4(おかげ横丁)

    伊勢神宮へ行った。その3(外宮その3)よりつづく伊勢神宮外宮からバスに乗っておかげ横丁/内宮へ移動する。バス代が高くてびっくりする。名物伊勢うどんなるものを食した。本店で赤福を食べた。座敷か縁側にスペースが区切ってある。五十鈴川を眺めながらちょっと休憩。時代がかった気分を存分に味わえた。竈。景観に配慮されたスタバ。横丁棋院というらしい。提灯がかわいい。お伊勢参りが盛んだった頃からつづく歴史ある観光地というのを味わった。伊勢神宮へ行った。その5(内宮その1)へつづく伊勢神宮へ行った。その4(おかげ横丁)

  • 伊勢神宮へ行った。その5(内宮その1)

    伊勢神宮へ行った。その4(おかげ横丁)よりつづくおかげ横丁からバス停のあるロータリーに戻り、宇治橋の方へ歩く。鳥居が立派だ。五十鈴川を渡るのだ。木除杭が見える。杭のてっぺんにいちいち小さな屋根がのっている。橋を渡って右に曲がり道なりに歩いてゆくと、五十鈴川に下りてゆく。御手洗場(みたらし)というらしい。風日祈宮橋。向こうに風日祈宮(かざひのみのみや)がある。内宮の木も大きい。風日祈宮橋で振り返る。木陰が濃い。伊勢神宮へ行った。その6(内宮その2)へつづく伊勢神宮へ行った。その5(内宮その1)

  • 伊勢神宮へ行った。その6(内宮その2)

    伊勢神宮へ行った。その5(内宮その1)よりつづく風日祈宮。千木の上端の斜めに切られた向きが内宮は外宮と違ってよこ向きで、鰹木も6本の偶数だ。古殿地と小屋。風日祈宮橋にも木除杭があるんだな。内宮神楽殿。内宮のメイン、正宮皇⼤神宮(しょうぐうこうたいじんぐう)。石段を上る。石が大きい。青くて立派なのがいくつもいくつも並んでいて、巨木に負けない迫力。大きさと数、量が普通じゃない。これらは群馬県鬼石町(現藤岡市)のものらしい。★ふじしげまあまあ近所に住んでいる者としては舞い上がってしまう。「三波石と共に名高い冬桜」、うっかり口から出てくる上毛かるた。御稲御倉(みしねのみくら)。千木と鰹木をチェック。うむ、横向きで偶数。外幣殿(げへいでん)。はて、これはどの建物の外構か?伊勢神宮には初めて行ったけれど、これは聞きし...伊勢神宮へ行った。その6(内宮その2)

  • 明日香村の石造物その1(鬼の雪隠、鬼の俎、亀石)

    平城宮跡歴史公園に行った。その6(公園内の踏切)よりつづく平城宮跡歴史公園のつぎは明日香村だ。飛鳥駅でまた自転車を借りて、観光マップ片手に石巡りだ。まずは鬼の雪隠(せっちん)。田んぼの脇にある。キャプション。鬼の俎とセットなようだ。田んぼより高いところの竹藪の中に鬼の俎(まないた)はある。キャプション。亀石。亀といわれれば甲羅を背負っているから亀だけれど、顔は蛙っぽいと思う。キャプション。自転車で回りながら感じたが、普通の住宅地や田んぼに石造物がある。ここに住む人たちはこれを当たりまえの景色として育つんだろうな。わざわざ見に来るわたしには当たりまえでない。明日香村の石造物その2(二面石、坂船石)へつづく明日香村の石造物その1(鬼の雪隠、鬼の俎、亀石)

  • 明日香村の石造物その2(二面石、坂船石)

    明日香村の石造物その1(鬼の雪隠、鬼の俎、亀石)よりつづく橘寺の二面石(にめんせき)。右善面↓左悪面↓そんなに悪人面でもないと思う。キャプション。橘寺は聖徳太子ゆかりの古い寺。建物がいくつもあった。でもそれは撮らず、池のスイレン。タチバナも生っていた。坂船石。この岩も竹藪の中だ。人が側にいると大きさが分かるなあ。キャプション。明日香村の石造物その3(石舞台古墳)へつづく明日香村の石造物その2(二面石、坂船石)

  • 明日香村の石造物その3(石舞台古墳)

    明日香村の石造物その2(二面石、坂船石)よりつづく石舞台古墳はなかなかの傾斜地にあった。自転車にはきつい上り坂だった。というわけで帰りの下り坂はこわかったよ。石舞台古墳を目の当たりにすると感動する。子供のころの教科書で見ていたものの本物なのだ。行ったとき、ちょうど草刈りをしていた。反対側↓別角度。下の方の岩も見える。下りたところが入口。中に入る。岩のすき間から光が漏れる。入口を振り返る。岩を割るための楔の跡だろうか?光りの漏れていたすき間から中を覗く。さすが教科書級。修学旅行生がわらわら。キャプション。キャプションの図。重機もない時代にこんなに重い岩を持ってきたなあ。明日香村の石造物その4(高松塚古墳)へつづく明日香村の石造物その3(石舞台古墳)

  • 明日香村の石造物その4(高松塚壁画館)

    明日香村の石造物その3(石舞台古墳)よりつづく高松塚古墳も教科書級だ。電車の時間が迫っていたので、本体の古墳は見ず、壁画館だけ観てきた。上の写真の模写のキャプション↓壁画館に展示してある模写は、3種ある。一枚目の写真は「再現模造模写」。これから8枚は「現状模写」の写真。現状といっても1973年壁画発見当時の現状だ。東壁南側男子群像。東壁中央青龍。東壁北側女子群像。北壁玄武。欠落が悲しい。西壁北側女子群像。これが教科書級なんだな。西壁中央白虎。西壁南側男子群像。天井星宿。キャプション。東壁と西壁で描かれているものの顔の向きがだいたい逆向きだ。どちらも北を向いている。四神のうち南の朱雀がいない。鎌倉時代ごろの盗掘時に損壊したのだろう。ああ悲しい。これから3枚は「一部復元模写」。西壁中央の月像。白虎の上に月が描...明日香村の石造物その4(高松塚壁画館)

  • 平城宮跡歴史公園に行った。その1(遣唐使船)

    夏の終わりに旅行に行った。まずは国営平城宮跡歴史公園。やたらと広いが、見るところが点在している。バス停や駐車場やお土産を売っている店やレストランなどのあるエリアに、復原された遣唐使船ある。せんとくんが呼んでいるようだ。キャプションにあるように、最後の遣唐使船から400年ほど後の「吉備大臣入唐絵詞」の姿の復元だそうだ。本当にこんな船だったかは定かではない、ということか。一番上の写真に見える船の裏側から乗り込む。帆柱の下の方に縛りつけられている竹製のマット?が帆なんだそうだ。帆って布製だとばかり思っていた。ずいぶん頑丈そうだ。船の両脇に狭いデッキ?がある。艪棚(ろだな)というらしい。船の上に部屋?が3つある。これは真ん中のもの。緑の格子の隙間から中を覗く。床は開けられるようだ。賄い部屋だそうだ。船尾。主舵。棒...平城宮跡歴史公園に行った。その1(遣唐使船)

  • 平城宮跡歴史公園に行った。その2(朱雀門)

    平城宮跡歴史公園に行った。その1(遣唐使船)よりつづく朱雀門(すざくもん)だ。なんと大きな門なのだろう。脇に立っている衛士の小さいこと!丹と漆喰のコントラストがパリッとしていて、そこに金と緑のアクセントが美しい。軒丸瓦、黄色く塗られた垂木の四角と丸い断面が等間隔で並んでリズムが気持ちよい。なんと太い柱!後ろの衛士の小さく見えること。扉のついている柱のもと。この部分を何というのだろう?隅木から下がっているのは瓔珞でよいのか?用語が分からない。朱雀門の右側。塀の上辺はカーブを描いている。塀の上の屋根も揃いの意匠だ。通用門?の手前に木。向こうが少し見える。いざなわれる景色。しかしはっきりいって中国風にしか見えない。キャプション。羅城門は復元しないようだ。これもキャプション。平城宮跡歴史公園に行った。その3(兵部...平城宮跡歴史公園に行った。その2(朱雀門)

  • 平城宮跡歴史公園に行った。その3(兵部省跡、東楼復元)

    平城宮跡歴史公園に行った。その2(朱雀門)よりつづくレンタル自転車をこいで広い平城宮内を移動する。葦原というか草原というかそんな感じだが、自転車/徒歩道路があるのでそこを通る。国営平城宮跡公園HPマップページ写真↑は兵部省跡(ひょうぶしょうあと)だと思う。うっかり踏み込むと靴が濡れる。向こうに見える屋根は朱雀門ひろばの平城宮いざない館だろう。そういえば、平城京じゃなくて平城宮なんだな、と思ったが、範囲が違うんだそうだ。平城宮は平城京に含まれるんだそうだ。平城ツーリズム.COM平城京と平城宮意味は?草原の中のまっすぐな道を北上する。建物を作っていますという絵のついた囲いと、その向こうに見える絵と同じような建物。建物は大極門(だいごくもん)だ。大極門のすぐ横に東楼(ひがしろう)を復元するのだ。当然、大極門の反...平城宮跡歴史公園に行った。その3(兵部省跡、東楼復元)

  • 平城宮跡歴史公園に行った。その4(東院庭園)

    平城宮跡歴史公園に行った。その3(兵部省跡、東楼復元)よりつづく平城宮跡歴史公園の東に張り出したところに庭園がある。★←平城宮跡資料館HP1965年の国道24号線バイパスの計画に伴う調査により平城宮の東側に張り出し部が発見されて、国道24号線はぐねっと東に迂回することになったらしい。絵巻物に出てくるような池に朱の小さな橋がかかった建物。中州には松が植えられている。簀子縁に高欄があって、宴のさいには貴族男性が下襲を掛けたりしたのかしら、とか想像しまう。周囲は塀で囲まれ、隔絶された小世界だ。世界観を表しているのかしら?とか思うも知りません。塀の内側、池の周囲を巡る小径を行く。植栽は古文に出てくるものばかりだった。ウメ、モモ、サクラに紅白のハギ。まめに通って草もチェックしたいくらいだ。敷地の角に隅楼(ぐうろう)...平城宮跡歴史公園に行った。その4(東院庭園)

  • 平城宮跡歴史公園に行った。その5(第一次大極殿)

    平城宮跡歴史公園に行った。その4(東院庭園)よりつづく平城宮跡歴史公園のいちばん北側にあるのが第一次大極殿(だいいちじだいごくでん)だ。東院庭園を出たあと北上して遺構展示館を見学して、それから西の第一次大極殿に向かったので横向きの写真↑なんである。正面からは撮り忘れた。ぐるりと回り込むと北側の背面から壇上にあがる階段が設置してあって中が見学できる。高欄には玉が飾ってある。うん、5色。五行説。鴟尾(しび)。なぶんけん(奈良文化財研究所)のブログにこの鴟尾についての興味深い記事がある。★天井画。ハスの花がモチーフらしい。壁画。ハスだらけ。お寺でなくてもハスなんだなあ。壁画。青い犬かと思いきや、青龍だそうだ。東方だ。青龍があるなら当然残りの三神も描かれている。亀に蛇がからまるのが玄武だ。北方。残りの二神(白虎と...平城宮跡歴史公園に行った。その5(第一次大極殿)

  • 平城宮跡歴史公園に行った。その6(公園内の踏切)

    平城宮跡歴史公園に行った。その5(第一次大極殿)よりつづく朱雀門ひろばで自転車を借りて、要所要所を見学しながら半時計まわりにぐるりと平城宮跡歴史公園を巡った。★←平城宮跡歴史公園散策マップアップしなかったが遺構展示館や資料館も充実していた。資料館では、平城京から長岡京へ引っ越すとき建物を分解してみな持って行った、という展示に驚いた。礎石まで持っていったそうだ。第一次大極殿の東に、基壇しか復元されていないけれど第二次大極殿があるのは自転車で通り過ぎて分かった。一次、二次、って一体どうして?と疑問に思うと、ちょうどよい解説があった。なぶんけんブログ「(102)大極殿なぜ二つある?」740年から745年のあいだに聖武天皇が平城京から恭仁宮(くにきょう)、難波宮(なにわきょう)、紫香楽宮(しがらきのみや)とつぎつ...平城宮跡歴史公園に行った。その6(公園内の踏切)

  • 金柑のバターケーキ

    久しぶりにお菓子を焼いた。最もベーシックな4等割のベーキングパウダー入りのレシピだ。金柑のシロップ煮を生地に混ぜ、100均のミニシフォンケーキ型を使ったらけっこうイイ感じになったと思う。焼き上がりにシロップもたっぷり浸み込ませたし。そうそう、小麦粉は中力粉を使った。ちょうどうちにあったので。うん、バターケーキは中力粉でなんら問題はない。もしかして薄力粉より美味しいかも、わたし的にはね。噂は聞いていたが、実際に焼いてみて納得しました。しかし、ホントにバターが高くなった。卵も小麦粉も金柑のバターケーキ

  • ミシェル・ブヴァール オルガンリサイタルに行った。

    5月末に松本市音楽文化ホールで催された桒形亜樹子チェンバロリサイタルを観たときにステージ奥のパイプオルガンを見て、ぜひ聴きたいと思っていたのだ。ブヴァール氏が何者かも知らずに聴いたのだが、素晴らしかった。ブヴァール氏はベルサイユ宮殿王室礼拝堂専属オルガニストのうちのひとりだ。★←LesorganistesdelaChapelleRoyaledeVersailles/TheorganistsoftheRoyalChapel動画高名な方だった!第1部と第2部ではずいぶん違った。1曲目、華々しくも壮麗なL.マルシャン:オルガン曲集第3巻より「グラン・ディアローグ」だ。ルイ14世の入場曲だ、というようなことをブヴァール氏は言っていた(アシスタント翻訳)。ベルサイユ宮殿とはこういうところなのか、と思いをはせる。次は...ミシェル・ブヴァールオルガンリサイタルに行った。

  • 11月14日朝の山

    この秋は紅葉が長いとおもう。11月14日朝の山

  • 11月8日朝の山

    だいぶん葉が落ちた。葉の色が緑からこんなに色が変わるなんて、不思議だ。ずいぶん秋も深まった。しばらくすれば冬になる。分かっていても不思議だ。11月8日朝の山

  • 10月25日朝の山

    肌寒いという言葉では物足りなくなってきて、山も色づき始めた。今朝は向こうの山のてっぺんがうっすら白くなっていたよ10月25日朝の山

  • 『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』ガイ・ドイッチャー

    原著は2010年に書かれ、2012年に日本語訳が出版されて、2022年に文庫化されたされた。わたしが読んだのは↑文庫版。「言語は思考に影響を及ぼすか」というテーマは古典だと思う。○○語が母語だと論理的な思考をする、みたいな雑談のネタなら聞いたことはあると思う。だが、学術的にそれなりに信頼のおける話なのか?というと急に難しくなる。虹は何色あるのか?っていうのもトリビアだな。国/言語によって差があるのは有名だ。言語による色の範囲の違いに注目して「言語は思考に影響を及ぼすか」を解いていこう、という本だ。著者は頭のいい人なんだなあ、と思った。引き合いに出される事柄が幅広くてわたしには難しいと思えるから。この分野に不案内なわたしにとって結論は予想されるものではなく、一体どこに行きたいのやら、と読みながら訝しく思った...『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』ガイ・ドイッチャー

  • 手術後2年

    「手術後1年半」という記事を書きそびれて忘れているうちに2年経ってしまった。飲用する抗がん剤のユ―エフティは手術後2年続けましょう、と言われていたのだが、いちおうその期限を過ぎたわけだ。2カ月ごとの血液検査やもうちょっと間隔の空いたCT検査で異常は見つからないままここに至ったわけだから、順調と思っていいんじゃないか。ムダに心配する気力も根性もないし、子供たちもまあまあ大きくなってわたしが子供たちにしてあげなきゃいけないこともあんまりないし、どうせいつか必ず死ぬんだし、異常がないならキリキリ働けと言いうような夫じゃないし、わたしは相変わらずのんびり暮らしている。しかし実はちょっと困っていた。原因不明なのだが、今年のあたまくらいから目と鼻を中心に顔が赤く腫れていたのだ。ほとんど痒くないし、額にも首にも赤みも腫...手術後2年

  • 『みんなの椅子 ムサビのデザインⅦ』を観た。その1

    ムサビこと武蔵野美術大学の美術館で椅子展をやっているというので夫と行ってきた。『みんなの椅子ムサビのデザインⅦ』武蔵野美術大学美術館所蔵の椅子がたくさん展示され、しかも座れるものも多い、というウリ。近代、現代の有名な椅子がずらりと並ぶ。門前の小僧ならぬ妻で木工家の夫の椅子にいつも座っているわたしも興奮だ。展示されている椅子の横に数字がふってあって、それをその場でスマホで調べると解説ページを読める、という仕様。キャプションがごちゃつかない展示はよい。スマホを使わない来館者は情報から切り離されるけれど。たとえばこの椅子↑↓の脇には3-23とあるので、この椅子はアルヴァ・アールトの66チェア/ヴィープリー図書館の小椅子(No.66)で、材やサイズ、初出年やこの作品の制作年等が分かる。こういう椅子が座りやすいんだ...『みんなの椅子ムサビのデザインⅦ』を観た。その1

  • 『みんなの椅子 ムサビのデザインⅦ』を観た。その2

    『みんなの椅子ムサビのデザインⅦ』を観た。その1よりつづく2章「トーネットとデザイン運動」です。2-06アドルフ・ロースのムゼアムチェア。順番通りではないけれど、出展されている曲木椅子のなかではこれが一番気に入ったのでトップ。曲木のしなやかな曲線と籐の座面が軽やかだ。トーネットの特許が切れた頃に作られたものだそうで、トーネットで一番売れたNo.14の背もたれの上縁を少し窪ませたデザイン。座面の前と後ろも同様に窪ませ背もたれの材の太さに緩急をつけたことで、量産品っぽいNo.14よりもずいぶん優美に見える。実家ではNo.209とNo.18を使っていたのでトーネットの曲木椅子にわたしはとても親しみがある。No.209(ウィーンチェア)は子どもの頃だと思いっきり深く座ると腰から後ろに転げ落ちる代物だった。No.1...『みんなの椅子ムサビのデザインⅦ』を観た。その2

  • 『みんなの椅子 ムサビのデザインⅦ』を観た。その3

    『みんなの椅子ムサビのデザインⅦ』を観た。その2よりつづく3章「国際様式と家具デザイン」。3-18ジャン・プルーヴェのフーバーラウンジチェア(TECTAD36)1930年の初号はジャン・プルーヴェ製造。モダンになってまいりました。座面の下のやけに大きいコイルばねに惹かれた。椅子が前後にスイングするのであろう。と思ったが、どうもキャプションによるとリクライニングする機能だそうだ。3-07ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエのバルセロナチェア(No.250)1929年の初号はベルリナー・メタルゲヴェルべ・ヨーゼフ・ミューラー製造。Yチェアに勝るとも劣らない、有名な椅子だ。座面の下はこうなっている。革ベルトが張ってあってクッション性を高めてある。名作椅子を手に入れようとすると決して安くはない。それでリプロ...『みんなの椅子ムサビのデザインⅦ』を観た。その3

  • 『みんなの椅子 ムサビのデザインⅦ』を観た。その4

    『みんなの椅子ムサビのデザインⅦ』を観た。その3よりつづくボーエ・モーエンセンのポートレート。その1でシェーカーチェアをアップした。左隣の椅子が気になる。ハンス・ウェグナーのポートレート。その1で3点アップした。5章「スカンジナビアンモダン:手仕事と機能性の共存」5-41ハンス・ウェグナーのヴァレットチェア(PP250)1953年の初号はヨハネス・ハンセン製造。背もたれに上着を、バタンと座面を上げればズボンを掛けられ、開いた座面にはカフスボタン等を置ける椅子。アイディア賞ものだが、帰宅してから服を脱いで掛けたらこの椅子に座れなくなってしまうというのはどうなんだろう?5-36フィン・ユールのNo.451945年の初号はニールス・ヴォッター製造。優美なひじ掛けで有名な椅子だが、そのひじ掛けはいかにもぶつけそう...『みんなの椅子ムサビのデザインⅦ』を観た。その4

  • 『みんなの椅子 ムサビのデザインⅦ』を観た。その5

    『みんなの椅子ムサビのデザインⅦ』を観た。その4よりつづく8章「日本の椅子」。8章は前期のみの展示だ。この部屋を覗くと急に小さい。イッツァスモールワールド。イケヤからニトリに移動したようだ、と夫談。これが、日本人と日本家屋にマッチしたサイズなんだよなあ。8-18長大作のダイニングチェア1953年の初号は天童木工製造。座りやすく可愛らしい。木と黒革の色や質感のコントラストが思いの外ポップだ。赤とか他の色だともっと可愛いだろうなあ。夏場や長時間だとお尻が蒸れそうなのはイヤだな。8-03城所右文次のバンブーチェア1937年の初号は竹興社製造。8-05坂倉準三建築研究所の肘付き竹座椅子1948年の初号は坂倉準三建築研究所製造。8-01渡辺力のひも椅子1950年の初号は創建社製造。座布団なしで座るのは、紐がお尻に食...『みんなの椅子ムサビのデザインⅦ』を観た。その5

  • 『みんなの椅子 ムサビのデザインⅦ』を観た。その6

    『みんなの椅子ムサビのデザインⅦ』を観た。その5よりつづく9章「フォールディングとロッキング」9-06ジャンカルロ・ピレッティーのプリア(No.H060AZ)1970年の初号はアノニマ・カステリ製造。影がきれいだな。まあ、透明な樹脂って早い者勝ちって気もする。9-09コーレ・クリントのウッド・プロペラ・スツール(No.8783)1933年の初号はルド・ラスムッセン・スネカリア製造。アフリカの民芸品が元ネタだそうだが、椅子を畳んだときにプロペラのように捩じれた脚がぴったり重なるのだ。プロペラスツールはほかのデザイナーの創造力もかきたてたようで、金属の脚のもの9-10やその輪郭だけをワイヤーで作られたもの9-11も展示された。じつはこういうふうに座面の沈む折り畳み椅子って、座ると腰が落ちて疲れる。ディレクター...『みんなの椅子ムサビのデザインⅦ』を観た。その6

  • 朝のクモの巣

    9月18日の朝。朝のクモの巣

  • 水餃子をした。

    お盆に帰ってきた子供といっしょに水餃子を作って食べた。皮は強力粉と水を捏ねて作った。餡はキャベツとニラと長ネギとショウガ。タレは各自中国黒酢と醤油とゴマ油と一味唐辛子。美味しく出来た。水餃子をした。

  • 桒形亜樹子チェンバロリサイタルに行った。

    チェンバロを手に入れて、今までピアノで練習していたバッハなどを弾いてみたが、これがどうにも上手くおさまらない。チェンバロ演奏の流儀というのがまるで分かっていない。教本も買いレッスン動画を見て少し分かったような気はしたが、やはりこれは生演奏を観てみねばならぬ。と思ったところ、松本市音楽文化ホールでチェンバロコンサートがあるというので行ってきた。チラシ。中全音律とわざわざ銘打ってあるところや、東京ではなく松本というところに惹かれた。松本市音楽文化ホール、別名ザ・ハーモニーホール。大ホールには素敵なパイプオルガンがある。これもぜひ聴いてみたい。舞台の上には2台のチェンバロ。パンフレットによると、島口孝仁製作イタリア様式1段鍵盤1/4sc分割による中全音律チェンバロ。こちらの方をメインに弾いていたな。松本市音楽文...桒形亜樹子チェンバロリサイタルに行った。

  • チェンバロを手に入れた。

    昨年12月に浜松市楽器博物館に行って鍵盤楽器の歴史を知り、俄然興味が湧いたところでチェンバロの出物があったので、エイヤと手に入れてしまった。今はヒストリカルなチェンバロの方がメインだが、40年ほどまえはモダンな構造の東海楽器のスピネットやこのアトラスのチェンバロが出回っていたようだ。今はなきアトラスピアノ社製の1978年頃のチェンバロC-140だ。楽器の下はすぐさま物置きになるなあ。譜面やチューニングハンマー等を収めた小さい棚と、トロンボーンと大正琴と埃よけに布で包んで紐で縛った小さいアコーディオンです。蓋を開ければ響板のローズが見える。木工家の夫によると、このチェンバロの外側はみなチークの突板(つきいた)が貼ってあるらしい。このチェンバロを譲ってもらったときには蓋はくすんだ感じだったのだが、夫が蓋を外し...チェンバロを手に入れた。

  • ベイクドチーズケーキ

    オレオがうちになかったのだがルヴァン全粒粉クラッカーがあったので、これを砕いて余り物のコーヒーフレッシュでまとめたものを台にした。先だって作ったオレオ台のベイクドチーズケーキのような尖った味にはならず、ほっとする味になった。こちらのほうが普段のおやつにはいいかな?ベイクドチーズケーキ

  • カワイのトイピアノに手を入れた。

    ブックオフのジャンクコーナーに脚紛失のトイピアノがあったので、格安で手に入れた。カワイミニピアノの旧モデルである。★←現行モデルのカワイのサイト音が鳴るのは弦ではなくアルミパイプで音程が正確なのがウリである。じっさいなかなかよい音がするのだ。動画でもよく使われているし。チェレスタっぽい。かわいい音色だし音程はさほど問題がないし格安だし膝の上に乗るし、と気に入って手に入れたが、キーを押したときに手前が下側に当たる音とキーを戻したときにキーの向こう側が下側に当たる音が気になったので、何とかならないかと開けてみた。↓これはいろいろ貼り付けた後ですまずきれいにする。ジュースをこぼしたような跡があったので、洗ったり拭いたりした。乾いてからダイソーのフェルトシールを貼りまくる。右の白くて細長い不織布がもともとキーの軸...カワイのトイピアノに手を入れた。

  • 川端裕人『「色のふしぎ」と不思議な社会 ― 2020年代の「色覚」原論』

    川端裕人『「色のふしぎ」と不思議な社会―2020年代の「色覚」原論』←筑摩書房ページヒトの視覚は非常に多様だ。ほかの人が自分と同じように見えているとは限らない。まず網膜上の錐体細胞の組み合わせがヒトによって異なるということが挙げられる。また、視覚により物を認識するとき、網膜上の刺激が幾重にも処理されることもある。処理のパターンが各人同様とはいえない。こういう違いによる生存上の明らかな不利というのを証明するのはとても難しく、正常/異常と分けるには多様すぎる。Webナショジオ研究室に行ってみた。色覚の進化河村正二第6回「正常色覚」が本当に有利なのかこのような新しい科学的知見を知るのは知的好奇心を刺激しおもしろい。100年以上つづく石原表のみを用いた学校現場における色覚検査と、それによる職業制限を社会が許容して...川端裕人『「色のふしぎ」と不思議な社会―2020年代の「色覚」原論』

  • 笹久保伸ライブに行った。

    秩父のギタリスト笹久保伸氏のニューアルバム『VENUSPENGUIN』リリースツアーが寄居である★、というので行った。コロナ禍になって以降ライブに行くのは初めてだ!場所は埼玉県寄居町のアトリエリカ。昭和の香りの建物を素敵に使っている。服のオーダーメイドやリメイクのお店でのライブはこじんまりしている。ワークショップも出来るちょっとした広さの板の間に椅子を並べ板の間に上る数段の階段を客席にして、土間がステージだ。聴衆は30人程度、生(なま)音が十分行き渡る。ああなんか旅芸人っぽい。PA(音響システム)なんて要らない。楽器を携えて来ればすぐステージを始められる。これぞ原点。笹久保氏はギターを3本使った。クラシックギターってストラップがつかないんだね。左足を足台にのせ左腿に滑り止めをのせてその上にギターを構えるの...笹久保伸ライブに行った。

  • 静岡名物 炭焼きハンバーグさわやか でハンバーグを食べた。

    ヤマハ掛川工場へ行って、ピアノ製作見学とプレミアム試弾をした。よりつづく静岡県に行ったら一度は食べてみたいと思っていたさわやかのハンバーグ。レアな焼き加減のハンバーグを安全に食べるために配達区域を静岡県に限定しているのだ、と聞いたことがある。それじゃあ食べに行くしかないよね!ハンバーグを手作りするとき焼くと縮んでぷっくり膨らんで中まで火が通りにくいのでそれを防ぐために成形時に真ん中をへこませる、という工程があるのだけれど、むしろ逆にそれを狙ったかのような丸い形でサーブされる。それを目のまえで切って、まだ赤い内側を熱い鉄板に押し付けて焼いてくれるのだ。美味しかった!ポトフ風温野菜がつけあわせなのは、食べに行ったのが昨年12月だったから。家庭的でホッとする味にお値段に内装だった。サーブしてくれたおばさんホール...静岡名物炭焼きハンバーグさわやかでハンバーグを食べた。

  • 浜松市楽器博物館へ行った。その1(イントロ、管楽器)

    日本が世界に誇る楽器メーカーといえばヤマハ。楽器以外にエンジンなんかも作っていたりするすごいメーカーなんだが、ポルタティーフオルガンをなんとかひとつこしらえた身としてはやはり楽器に大いに興味がある。そのヤマハのお膝元の浜松市楽器博物館には何年かまえに夫が子供一人と行ったことがあって、ぜひわたしを連れて行きたいとかねがね言っておった。コロナ禍で出歩くことはままならなかったが、昨年12月、第6波がまだ始まるかどうかだった頃に夫と二人、浜松市を訪れた。浜松駅北口から地下通路をくぐると円形のバスターミナルがある。そこからサンクンプラザという広場とその向こうの中ホール・大ホールを見たの図↑サンクンプラザと大中ホールのロビーを仕切る壁はガラスなのに扉だけ木製なのが印象的。ガラスの壁はカーブを描いているし、扉の上辺はま...浜松市楽器博物館へ行った。その1(イントロ、管楽器)

  • 浜松市楽器博物館へ行った。その2(弦楽器1)

    浜松市楽器博物館へ行った。その1(イントロ、管楽器)よりつづくお次は18世紀のヨーロッパの弦楽器です。そのなかの擦弦楽器のなかの弓奏楽器から。↓ヴィオラ・ダモーレ。愛のバイオリン、ってすごい名前だよ。長いヘッドにずらりと並ぶペグ(糸巻)を見ると分かりやすいが、やたらと弦がある。黒い指板の上に弦があるのは普通だけれども、同数の細い弦(ドローン弦)が指板の下にもあるのが特徴だ。その弦は直接操作して鳴らされることはなく、上の弦を鳴らすことで共鳴させる。その響きが甘い★(短い動画)のでアモーレだとかなんとか。ドローン弦(共鳴弦)はボディの一番下に留められて(この写真では見えない)、黒いテールピースの下をくぐり、次に駒をくぐり指板の下を通りヘッドの裏側から出てきて上方のペグに巻かれる。2層構造の弦の間に浮いている指...浜松市楽器博物館へ行った。その2(弦楽器1)

  • 浜松市楽器博物館へ行った。その3(弦楽器2など)

    浜松市楽器博物館へ行った。その2(弦楽器1)よりつづく↓ラベリート(メキシコ)可愛い小さな楽器だ。背景のマス目の数をまえの記事のバイオリンとかと比較するといかに小さいかが分かる。ここで話はヨーロッパから広がる。優雅な輪郭のバイオリンとか凝った形のバリトンとかを見たあとだととても素朴に見える。とはいっても3Dの曲線がうねうねしていないだけで、よく見れば丁寧に作られている。ラベリートを軽く検索かけたがちっともヒットしない。スペイン語で語尾に-itoをつけると「小さい」という意味が加わるそうで、それなら、と-itoを外したRabelで検索したら見つかった★。膝の上に立てて構えて弓で鳴らしている。素朴なスペインの民俗楽器で、中世ヨーロッパのレベックが元となっていると考えられている。ちなみにレベックにも元ネタがあっ...浜松市楽器博物館へ行った。その3(弦楽器2など)

  • 浜松市楽器博物館へ行った。その4(アコーディオンのなかま)

    浜松市楽器博物館へ行った。その3(弦楽器2など)よりつづく次はアコーディオンのなかま。ふっふっふっ、アコーディオンにはそれなりに課金したからね、このジャンルにも興味あるよ。フリーリードの楽器ともいう。金属製のリードを蛇腹やふいごや息の気流で振動させて鳴らす楽器だ。それぞれの音に対応するリードが必要でリードの鳴る気流は一方向なので、吸ったり吐いたり/押したり引いたり等両方向どちらも同じ音の出るタイプは同じ音程のリードが2個必要になる(笙と口琴は両方向で鳴らすことができる)。片方向だけ鳴るリードの仕組みの分かりやすい例トンボ楽器製作所ハーモニカ・メンテナンス講座「基礎知識編2」息で鳴らす笙は起源が古いが、アコーディオンやリードオルガンやハーモニカは19世紀前半の発明。ふいご師がふいごを動かして気流を作りリード...浜松市楽器博物館へ行った。その4(アコーディオンのなかま)

  • 浜松市楽器博物館へ行った。その5(打楽器)

    浜松市楽器博物館へ行った。その4(アコーディオンのなかま)よりつづくアフリカコーナーにあった。水に浮かべた瓢箪を叩くウォーター・ドラム↑。これは初めて知った。こんな風に演奏するのかしら?動画★↓タンボール・デ・アグア。メキシコのものだそうだ。スペイン語で「水のドラム」という意味だからいっしょだね。軽く検索したけれどメキシコのこれ、といった動画は見つけられなかった。今度は中国。編磬(へんけい)というらしい。石片が下げられていて、それを叩いて鳴らす楽器。↓キャプション曾侯乙墓から出てきたんですって。↓脚部アップ曾侯乙墓は中国戦国時代前期(紀元前5世紀)という古さ。青銅器が素晴らしい時代です。それをうかがわせる脚。曾侯乙墓は1977年に発見されたらしい。いくつもの棺のほか大量の豪華な副葬品が出てきた。特筆すべき...浜松市楽器博物館へ行った。その5(打楽器)

  • 浜松市楽器博物館へ行った。その6(日本の楽器)

    浜松市楽器博物館へ行った。その5(打楽器)よりつづく今度は本邦です。三味線は分解/組み立て式の楽器である。弦楽器のうち有棹楽器はその棹/ネックに張られた弦を左の手指で押さえて音程等を調整するんで、ネックがキモなんである。ネックの精度がすごくすごく大事。ぐらぐらするとか問題外だ。それをバラバラにする三味線、頭おかしいんじゃないの!?ビックリだ。帰宅後しばらくして夫がブックオフで革の破れた三味線を安く手に入れたので、バラしたり組み立てたりしてみた。棹はピタッと組み合わさって全然ぐらぐらしない。おお!木工家の夫によると、手に入れた三味線のネックの材は紫檀だそうで、痩せたり反ったりしにくい材ではあるらしい。そうじゃないとムリだよねえ。棹が胴を貫通して下にも刺さっていることで、より棹ががっちり固定されている。バイオ...浜松市楽器博物館へ行った。その6(日本の楽器)

  • 浜松市楽器博物館へ行った。その7(ピアノ以前)

    浜松市楽器博物館へ行った。その6(日本の楽器)よりつづく浜松はヤマハのお膝元。ヤマハ以外にもカワイとかハーモニカの鈴木楽器とかギターの東海楽器とか東洋ピアノとかメーカーがいくつもいくつもある。でもやっぱり頂点はヤマハで楽器はピアノっていう空気をビシバシ感じた。浜松市楽器博物館でもピアノやそれに連なる楽器のコレクションにいちばん力が入っているように見えた。初期のピアノが現代のものになっていく過程の展示も素晴らしかったのだが、それ以前に出現したピアノに連なるものを紹介する。ピアノに連なる楽器の中でもシンプルなハンマーダルシマー↓ヴェネチア18世紀のもの。両手に棒をもって張られた弦を打つ弦楽器、打弦楽器だ。動画★複弦だね。浜松市楽器博物館へ行った。その3(弦楽器2など)でペルシャ起源の楽器が東西に伝播した例私家...浜松市楽器博物館へ行った。その7(ピアノ以前)

  • 浜松市楽器博物館へ行った。その8(ピアノその1)

    浜松市楽器博物館へ行った。その7(ピアノ以前)よりつづくついに本丸、ピアノです。最初のピアノの復元モデル↓鋳物のフレームが入っていなくて華奢で、チェンバロみたい。グランドピアノの蓋を開けたときに見えるにぶく光る鋳物のフレームがグランドピアノっぽく見せているんだなあ、とあらためて思ったよ。ペダルも下がってないしね。ピアノの誕生キャプション↓音の強弱がコントロール出来るのが画期的だったんですねえ。ピアノの元々の名前はピアノフォルテ/弱強だものね。ところで"ピアノフォルテ"、”フォルテピアノ”という言葉は現代の"モダンピアノ"に対して古い形態のピアノを指すらしい。”ハンマークラヴィーア”という語もある。ここ数十年で古楽の研究が進んだことにより用語の使い方にも変遷があるらしいが、わたしには厳密な用語の選び方は分か...浜松市楽器博物館へ行った。その8(ピアノその1)

  • 浜松市楽器博物館へ行った。その9(ピアノその2)

    浜松市楽器博物館へ行った。その8(ピアノその1)よりつづく↓ピアノJ.フィッツ(ウィーン)19世紀前半であろう。ああもう、キャプションがちゃんと写っていないのでこれ以上分からない。ぜったいまた浜松市楽器博物館に行ってもっとちゃんと見て写真を撮ってくる!ペダルとレバー↓足4つ、膝に2つ、ギミックだな。膝のレバーっていえば、昔の小学校の足踏みリードオルガンに音量調整用のがついてたよね。19世紀前半のウィーンのピアノのペダルの説明キャプション↓このピアノもたまにはレクチャーコンサートで演奏されたりするんだろうか?ベルとかドラムとか色々な音色を駆使した演奏を聴いてみたい!トルコ風が流行ったんですね。楽器の事典ピアノ第2章黄金期を迎えた19世紀・20世紀2ピアノの本質から外れた楽器より「トルコ音楽の影響18世紀の終...浜松市楽器博物館へ行った。その9(ピアノその2)

  • ヤマハ掛川工場へ行って、ピアノ製作見学とプレミアム試弾をした。

    浜松市楽器博物館へ行った。その10(ピアノその3)よりつづく浜松市楽器博物館を堪能した翌日はヤマハ掛川工場だ。夫とわたしの二人だけを相手に説明してくれる贅沢な見学だよ。ヤマハピアノ工場見学のご案内まずハーモニープラザのショールームに置いてある古びた小さい足踏みのリードオルガンでガイドによる短い演奏を聴く。ピアノではないのか?と思うが、創始者山葉寅楠がリードオルガンを修理しそのあとリードオルガンを製作するところからヤマハは始まるからね、最初はリードオルガンなんだね。演奏されたリードオルガンの音程がばっちり合っていたのに驚いた。今まで弾いたり聴いたりしたことのあるリードオルガンというとわたしが小学生や中学生の時分の音楽室のもので、みな調子っ外れだったものだ。もちろんショールームにはヤマハ製の見たことのないよう...ヤマハ掛川工場へ行って、ピアノ製作見学とプレミアム試弾をした。

  • 浜松市楽器博物館へ行った。その10(ピアノその3)

    浜松市楽器博物館へ行った。その9(ピアノその2)よりつづくエラールが出てきたところで、ピアノの進歩のまとめのキャプションをば3枚。ハンマーの変遷のキャプション↓大きくなった。素材も革からフェルトになった。弦の変遷のキャプション↓あれもこれも、変わった....。音域の変遷のキャプション↓広がった。まえの記事の最後にベートーヴェンはピアノの変革期に活躍しいくつものピアノを使ったというキャプションを載せたけれど、具体的に書かれた曲の音域とその年を調べた記事がある詠里庵ピアノの音域の話ハンマー、弦、音域と総合的に見て、大がかりになってきた、ということが分かった。どの階層の人々がどの場所でどういうときにどんな音楽を必要としたのか好まれたのか?ということが楽器の発展に大いに関係する。市民革命や産業革命によって、音楽が演奏さ...浜松市楽器博物館へ行った。その10(ピアノその3)

  • ピーナッツバタークッキーとレーズンサンド

    いつものなかしましほレシピ。今回使ったレーズンは袋を開けたら大粒で、煮て戻したつもりが水分を飛ばしすぎたのか、レーズンサンドを焼いたらぱさぱさになってしまった。焼き時間も長すぎたのかもしれない。切り分けたが、粉になってしまったのも多し。こんな失敗は初めてだ。粉をスプーンで食べたら美味しかったけれどねピーナッツバタークッキーとレーズンサンド

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