chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
仁四郎
フォロー
住所
岡垣町
出身
八幡西区
ブログ村参加

2008/10/05

arrow_drop_down
  • ブログ移転

    長い間、このシーサーブログを利用してきましたが、以降はこちらにて続けて参ります。 ⇒ 『歴史の旅社の家系調査日記』

  • 陸軍中野学校の名簿

    ご依頼人とお話をする中で、「親族の中に陸軍中野学校の出身者がいるらしい」とお聞きしました。 本来の調査の範囲ではありませんでしたが、私自身の興味も手伝って、調べてみることにしました。 ところが、いざ調べてみると、なかなか名簿のような文書が見つかりません。 本来、その全てが秘密になっている存在でしたので、そういうものかなと思っていたところ、国立国会図書館所蔵の中野学校に関する図書中に、名簿の記載…

  • 由利島

    愛媛の話が続きます。 弊社のある福岡から愛媛県は、直線距離はたいして離れていないのですが、間に海があるだけに、効率が悪くて困ります。 いろいろな手段を試した結果、現在は車で山口県の柳井港まで行き、そこから防予汽船のフェリーに乗って松山市の三津浜港に上陸するというルートを取っています。事務所出発から三津浜港上陸までなんと約5時間半。時間的には、新幹線で東京に行くより遠いことになります。 前回…

  • 畝順帳(せじゅんちょう)

    この5年ほど、なぜか愛媛県内での調査が途中絶えることなく続いています。 現在も2件の調査を進めているところで、直近5年間に限ると、地元福岡県を含め全国どこの都道府県より多い依頼件数となっています。 現地に行く度に、調査対象に直接関係するものだけではなく、その周辺の古文書や明治期の行政文書その他の撮影や複写を行っていますので、愛媛県内での情報の集積が膨大な量となってきています。 ところで、愛媛…

  • 恵美須神社(松山市)

    松山市三津二丁目に鎮座する恵美須神社です。 文政年間の古地図では「恵美須堂」と書かれていますが、その後「三穂神社」となり、さらに現在の恵美須神社と改称されたとか。 この神社の向かいには、大原其戎の居宅があったらしく、其戎の句…

  • 初詣

    私事ですが、毎月1日は早朝から17kmほど離れた宮地嶽神社への朔日詣りを長年続けています。(ちなみに、この宮地嶽神社は、アイドルグループ“嵐”のJALのCM「光の道」で全国的に有名になった神社。) ただ、正月だけは、参拝者が多過ぎて朔日詣りができていません。 正月だけしか来ない人たちと一緒に並びたくないという、誠に小さな根性からです。 このため、私が勝手に自分の氏神と決めている近くの神社に詣で…

  • 島流しになった者の食費について

    調査の過程で、福岡藩の流罪に処せられた者への対応について書かれた古文書があり、その内容が興味深かったので、ここでご紹介したいと思います。 福岡藩の流刑地は、玄界灘に浮かぶ大島や玄海島・姫島・小呂島で、この内では小呂島への流罪が一番重かったようです。 流罪に処せられた囚人は、刑の軽重によって、島での処遇が異なります。 重罪人は、遠島牢居が申付けられて牢屋入りとなり、軽罪者は配所の掘立小屋に収容…

  • 家中間善悪之帳

    福岡藩の黒田家の文書の中に、 『家中間善悪之帳』 というものがあります。 如水公自筆と書かれたこの文書は、江戸初期の黒田家臣団の人間関係を記したものです。 例えば、「中悪敷衆」として、次のような記述があります。 一、村田出羽 ニ悪敷衆 三好助兵衛 堀平右衛門 吉田七左衛門 これは、村田出羽と仲が悪い者として、三好助兵衛・堀平右…

  • 数百年前の埃

    終日、大学の研究室で江戸期の古文書の調査を行いました。 古文書を調べた方ならお分かりでしょうが、古文書を捲った時には結構な埃(ほこり)が舞い上がります。 特に今日は、マスクを忘れてしまった上に、長い間誰からも見られていなかった大量の古文書を一日中見ていたため、口や鼻にいっぱいの埃が吸い込んでしまったようで、喉がいがらっぽくて仕方がありません。 古文書調査にはマスクが必須です。

  • 三津の渡し

    松山市の三津〜港山の約80メートルの内港を2分ほどで繋ぐ小さな渡し船です。 正式な名称は「松山市道高浜2号線」という海の市道であり、船頭さんは松山市の職員であるとか。渡し船とはいえ、市道であるため、料金は必要ありません。年中無休で、…

  • 『水神』

    新たな調査を始める際には、よくその土地に関わる本を読みます。 歴史小説であったり、司馬遼太郎の『街道をゆく』シリーズであったりですが、別にそれでその土地の歴史知識を得ようということではなく、なんとなく気持ちの上でその時代のその土地の風を感じたいという想いからです。

  • 12年前の新聞記事

    12年前に朝日新聞社さんから取材を受けたことがありました。 今でこそ、マスコミからの取材依頼は原則としてお断りさせて頂いていますが、当時の家系調査という業務は、今以上にマイナーな存在でしたので、新聞に掲載されて少しでも周知されることが嬉しかったのを覚えています。 本日、その時の記事の切り抜きを持たれた来客がありました。 その記事を切り抜いて保管されておられたのは、昨年亡くなられたお父様だそ…

  • 開口神社(堺市堺区)

    200年間を辿る基本調査で堺市に来ています。 ここは、街の随所にレンタサイクルの貸出所があり、一日300円で借りることが出来ます。 今回は2泊3日の予定で、その内の一日を旧市街の寺社調査に当てていましたが、結構狭い地域に集中しているし、一方通行や狭い道路も多そうでしたので、レンタカーではなく自転車で回ることにしました。 自転車に乗るのは、4年ほど前に行った鹿児島県の甑島の調査以来のことでし…

  • 宝当神社(佐賀県唐津市)

    佐賀県での基本調査。 唐津市近代図書館で手当たり次第に文献を漁っていたところ、地域の旧家の系図集のような古い冊子があり、その中にご依頼人のご本家の系図を発見! 初代のご先祖が戦国期に安芸毛利家を出奔し、肥前の山奥に住みついたことが家の始まりであることが書かれていました。 200年間の調査が目標のところ、400年以上も遡ることが出来ました。 後は、この系図を精査するだけです。 予定以上に早く…

  • 手紙の成果

    宗派も分からないという旧菩提寺探しのため、明治初期の本籍地周辺の14軒の寺院に対し、1月7日に一斉に照会の手紙を出していましたが、今日までに1軒を除く13軒から返信を頂きました。 この内、4番目に届いた寺院の返信に、「過去帳にご先祖の記録があった」旨の記述がありました。 宗派も分からないし、周囲にはご本家どころか同姓の家さえないという状況でしたので、菩提寺探しは難航しそうだなと覚悟していまし…

  • 火災の記録から居住地を特定

    明治初期以前、どこに居住していたかご依頼人も分からない案件。 最も古い戸籍は転籍後のものだけで、それには転籍前の本籍地の記述がありません。 ただ、明治初期に広島県の東部地域周辺から関西に移ったのではないかという言い伝えがあるだけでした。これでは、どこから手を付けてよいかも分かりません。 唯一の手掛かりは、ご依頼人家に伝わる古い文書があり、それに「宝暦八年極月廿七日、隣家から発生した火災で家に…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、仁四郎さんをフォローしませんか?

ハンドル名
仁四郎さん
ブログタイトル
歴史を歩く
フォロー
歴史を歩く

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用