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甲子大黒天本山のブログ https://onogawa-daikokuten.jp/

ブログで仏教的な生き方を模索しています。日々、大切にしていきたいことを書いています。

副山主
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住所
米沢市
出身
米沢市
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2008/09/28

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  • 悲観的に考えて楽観的に

    当山の起源となる山岳信仰について学ぶため現地に足を運んでいますが、現在は跡地となっています。明治前後の廃仏毀釈によって、建物はすべて失われてしまい、難を逃れた仏像が当山に伝えられています。周辺の歴史を調べると同じように消失した寺院もあれば、建物はそのまま神社になったところもあります。今回参拝したところはいち早く神社になったことで、貴重なお堂や文化財が残されていました。 廃仏毀釈という日本における宗教弾圧のなかで、信仰を護るのか、本堂や文化財を護るのか。難しい判断だったと思います。何を大切にするのかという選択であり、正しい答えがある問題ではありません。どちらも失うものは大きく、苦渋の決断だったと…

  • 自分をアップデート

    サッカーワールドカップで強豪ドイツに勝った日本代表に日本中が歓喜したことでしょう。私の場合には熱烈ということはなく、勝ってほしいけれども、現実は厳しいかと思っていました。ですが、勝負というものは分からないものであり、先入観や固定観念に縛られてしまうと、正しい判断ができなくなってしまいます。相手を過剰評価しても、自分を過小評価してもいけないものです。 正しい評価というものは難しいものです。大切なことは「やってみなければ分からない」と考えることなのかもしれません。やる前からあきらめるよりも、勝負してみることです。経験してこそ、漠然とした思いを具体化するためにも経験が必要なのです。経験によって今の自…

  • コロナ禍の無常観

    なかなか終息しないまま第8波が到来しているようです。ある調査でコロナ禍における価値観の変化として無常観が増加もしくは定着したという結果がありました。現代の生活が意外と脆く儚いものであるという認識が強まったのではないかと思います。まさか未知のウイルスの流行が世界中で3年間も続くとは誰も思わなかったことです。 コロナ禍により今まで当たり前だったことが制限されるようになりました。不自由な生活を強いられ、生活や将来に対する不安も増大しました。無常感も増大するのは自然なことだと思うのですが、そもそもこの世界は無常なる世界なのです。人類は文明の発展によってそのことを忘れていただけなのです。 仏教は無常を根…

  • 探求型学習のその先へ

    あまり共感できませんが、小学校から探求型の学習が取り入れられています。私などはまず基礎学力をつけてからの探求であり、詰込みと非難する前に基礎を大切にするべきだと考えています。以前の論語の暗唱などは基礎だけではなく道徳にも通じ生涯の宝となる学習だったと思っています。ゆとり世代が非難され、新しい学習が取り入れられましたが、現在はまたゆとりに戻ってしまったような印象を受けます。 探求とは、自分なりの答えを導き出す能力だと思うのです。ところが、現代は安易な答えに安住している人が多いように思います。どうせ頑張ってもしかたない、もう私の居場所なんてどこにもない、何をやってもつまらない。これらの答えは安易す…

  • 熱意と準備

    私は何事も熱意と準備だと考えています。できる人ほど熱意があり陰ながらコツコツと準備をしています。そしてチャンスが巡ってきたならば、即座につかむことができるのです。できない人は普段から何もせず、チャンスが巡ってきても言い訳をして終わってしまいます。やりたいことがあり、そのための努力や準備ができ、チャンスに挑む勇気があり、結果を得られるのだと思うのです。 活躍している人ほど、見えないところで頑張っているものです。外野は勝手なことを言いますが、そういったものに左右されることなく、自分の信じる道をひたむきに歩んでいる人は強いものです。厳しい道を歩む人ほど、より大きくなっていきます。楽な道など選ばず、厳…

  • 信頼関係の基

    交通ルールを守らなければ事故になります。子供の頃は交通教室で、大人になれば教習所で交通ルールを学びます。大多数の人間が交通ルールを守ることで安全安心な通勤通学が実現します。人間関係においては、交通ルールの代わりに道徳があります。交通ルールと同じく、大多数の人が道徳を尊重すればトラブルなく安らかに生活することができます。 道徳は算数などとは違い自然と身につけていくものです。本を読んで学ぶということでもなく、年長者に怒られたり、失敗や反省から学んでいくものです。生活のなかで学び実践していくものです。道徳は言語のようなものでもあり、共通の道徳を持ち合わせていれば、暗黙のうちに理解共感できるものです。…

  • 無機質社会の輝き

    先日ある記念式典が無事に終わりました。1年以上前から会議を重ね準備を進めてきたわけですが、刻々とその日が近づいてきて、当日はあっという間でした。コロナ禍にあり規模縮小や祝賀会の中止ということもありますが、なんだか物足りない寂しさを感じました。ですが、終わってしまえばそういうものなのでしょう。旅行などでも、出発前のワクワク感のほうが楽しいのかもしれません。 本番を迎えれば淡々と終わってしまうとしたら、頑張っても頑張らなくても同じなのかもしれないと考えてしまいます。ですが、事前の様々な心配や苦悩がありトラブルがあり、それらも含めての本番なのだと思うのです。同じイベントでも立場によっても関わり方によ…

  • ミサイル発射

    不満が高まってくると、すべてを投げ出し絶縁したくなることがあります。とんでもない仕打ちを受けたわけではなく、個人的な被害妄想に近いような不満なのですが、自分のなかに渦巻く負の感情は道理も良識もすべて破棄させようとします。しかし、すべて断絶するような行動に出てしまえば、もはやそこに留まることはできなくなってしまいます。] どのよう時であっても愚かな行動を制御しなければなりません。すべてを投げ出したくなっても、行動につなげてはいけません。短気は損気といいますが、愚かな行動のつけは自分のところにやってきます。ほんの少しの忍耐が足りないことで大きな後悔を背負うこともあります。いかに心が荒れていようとも…

  • 儚くとも豊かに

    人生の歩み方はそれぞれで良いと思うのです。目標に向けて懸命に走り続ける人、急ぐことなくのんびり歩む人、遠回りしながら景色を楽しむ人など、人により年代により環境により様々です。大切なことは自分なりの信念や哲学を持つことだと思うのです。それは後悔しないためのものです。他者と比べて自分の人生を考えれば、優越感や劣等感や後悔が生まれてくるものです。 自分が納得できれば、それで良いのですが、周囲と比較することで自らを苦しめてしまうことがあります。「隣の芝生は青く見える」といわれるほど、周囲が気になり良く見えるものですが、自分を捨てることも、誰かと人生を交換することもできません。与えられた条件と環境のもと…

  • 批判社会からの脱却

    私はちょうど昭和と平成の狭間の世代です。昭和の価値観も平成の価値観もどちらも理解できるような気がします。昭和は良くも悪くも長く日本に根付いてきた価値観の終焉期といえるのかもしれません。戦争・敗戦・発展・崩壊と目まぐるしい時代にあり、人々の価値観も大きく変化していきました。 平成になると負の時代となり、不況を背景に社会の価値観も批判が主流になってきたように思います。メディアにより責められ変化を求められ、無言のプレッシャーが社会を覆いストレス社会は加速していきました。政治も労働も教育も価値観も批判され、どうして良いのかもわからず、迷走した30年といえるのかもしれません。 これからの日本社会を考えれ…

  • 亀のような歩みでも

    映画「線は、僕を描く」を観てきました。分野は違えど筆を持つ者として共感できるところが、たくさんあり感動しました。もう少し早ければ、もう少し時間があれば水墨画はじめてみたいとも思いました。「もう少し」というのが言い訳だとは思いながらも、現実は時間的余裕がありません。実は10数年前に水墨画のサークルに通ったことがありました。興味本位のためすぐに辞めてしまったのですが、いまさらながら続けていればと思いました。それなりに10年続けていれば、ご朱印の幅がさらに広がっていたことでしょう。日頃から尻に火がついたように頑張っていれば機を逃さず邁進できるのですが、本気になれなければ成就の機運は遠のいてしまいます…

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