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甲子大黒天本山のブログ https://onogawa-daikokuten.jp/

ブログで仏教的な生き方を模索しています。日々、大切にしていきたいことを書いています。

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米沢市
出身
米沢市
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2008/09/28

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  • 苦界を生きる

    できないことを頑張る苦しみ できないことを誤魔化そうとする苦しみ できないことを認めようとする苦しみ 結局、何をしても苦しいものです。あとはどの苦しみを選ぶのか。お釈迦様はこの世界は苦界であるといいます。それならば苦しいことを前提にすることで覚悟が決まります。温泉だと思って飛び込んだら水だったのと、最初から水だと分かった飛び込むのとでは大きく違います。苦労に飛び込み、苦労にもまれ成長し、いつしか苦労が報われ、さらに苦労に感謝できるようになりたいものです。

  • 本音に憧れても

    多くの人々が建前のなかで暮らしています。この建前と対になるのが本音なのですが、誰しも本音でありのままに暮らしたいと思うかもしれませんが、大人になれば立場や世間体などもあり、思っていてもなかなか言えないことが多いものです。思ったことが言えないのはストレスですが、孔子の「七十にして己の欲する所に従えども矩のりを踰こえず」の境地でなければ、本音の生活は人間関係を疎遠にしてしまうかもしれません。 無神経な言動にイライラしても、じっと堪えることで忍耐力を養うことができます。理性があるからこそ、本音を抑えて生活できるのです。理性と感情が格闘し、理性が負けてしまえば恥も外聞もない人間になってしまいます。言い…

  • 期日より即日

    私は何日までお願いしますという期限に対して、なるべく早く応えたいと考えています。簡単なことであれば即日対応しています。相手も期日は設けても、早く欲しいというのが本音です。相手への配慮で猶予期間を設けているだけなのです。まして5人に返信を依頼して4人は即日、1人だけ5日後ということになれば、たった1人のため4日間も無駄に待たなければならなくなります。 早い人はいつも早く、遅い人はいつも遅いものです。また、いつも督促しないと返信しない人もいます。それぞれの人の習慣となっていますが、迷惑をかけてしまうような習慣には気づかなければなりません。やればすぐできることを、いつまでもやらいのがいけません。周囲…

  • 人生の始まり

    「自分で考えろ」が子供達への口癖になっています。言われたことをやるのは楽なのですが、やらされているうちは責任が伴わず、また学ぶこともありません。たとえ同じことをやったとしても、自発的にやっているかどうかで、得られるものは大きく違います。試行錯誤と責任感がなければ、やっただけで終わってしまうのです。 社会では自分で考えることはせず、マニュアルに従うことを要求されることもあります。仕事であれば仕方ありませんが、自分の人生においては、誰かに委ねることなく、自分で考え選び行動していきたいものです。自分で考えることを放棄してはいけません。パスカルは「人間は考える葦である」と言っていますが、考えることから…

  • 感情の安定

    人間には様々な感情があり、その感情が私達を苦しめることがあります。もし感情がなければロボットと同じなのかもしれませんが、人間を人間たらしめている感情なのですが、取り扱いには注意が必要です。どうしても感情はマイナスのものが強く心を占拠してしまうものです。不安、不信、憎悪、嫉妬、自己嫌悪、悲しみ、後悔など様々な感情が次々に襲ってきます。 マイナスの感情をコントロールすることは難しいものです。夜も眠れず、食事も喉を通らず、何も手につかない状態が続くこともあります。イライラして周囲にあたっては人間関係が崩壊することもあります。どうすれば感情を安定させることができるのでしょうか。私は日常世界から離れて非…

  • 「何のために」

    人間の原動力となるものは想いであり、さらに追及するならば「何のために」ということが大切だと思うのです。絶望する多くの人々は「何のために生きているのか分からなくなった」とか「何のために頑張っているのか分からなくなった」と言います。自分の根底にしっかりとした想いがなければ、耐えることも続けることもできなくなってしまいます。 大切なのは「何のために」という想いなのですが、どれほどの想いなのかを試すかのように試練が与えられるものです。本来であれば苦難や困難によって、さらに自分の想いを強くしていかなければならないのですが、そのためには初心のところで確たる想いを持たなければなりません。「なんとなく」の想い…

  • 陰徳あれば陽報あり

    物事を損か得か、多いか少ないかを基準にして生きていると偏ってしまい、正しい道が歩めなくなってしまいます。昔話に登場する意地悪ジイさんは欲にまかせて、必ず悲劇に見舞われます。 損して得を取れといいますが、この得とは「徳」のことなのです。自分のことばかりではなく相手のことも考える。嫌な役割であっても、みんなのために引き受ける。こういったことが徳を磨く修行となり、やがてそれに相応しい得がやってくるのです。徳のないところに得はありません。自分さえ良ければと思う心に徳は育たないのです。 どうすればお金持ちになれますかという質問に、小さなコップはすぐに水があふれてしまいます。まずは大きなコップになることで…

  • もうダメだと思う前に

    この人はもうダメだと思うことがありますが、我慢してもう少し付き合ってみると、許せるようになることもあります。たまたま相手の機嫌が悪かったのか、こちらが相手の地雷を踏んだのか、悪魔のように思えることもあります。ですが、もう一度確認してみると悪魔というのは錯覚で、まあまあ普通の人ということもあります。相手にも自分にも「もう1回のチャンス」を心がけるようにしています。 切ってしまうのは楽なように思えても、狭い世の中では必ずつながり、かえって気まずい思いをすることもあります。それならば目の前にいる30分間と思い出してイライラする30分の合計1時間を我慢したほうが良いのかもしれません。人間関係は開き直っ…

  • 心の環境

    仏教に自浄其意(じじょうごい)という言葉があります。自らの心を清らかに保つことてす。溜めた水はだんだんと濁り腐ってきます。川のように流すか、新しい水と交換しなければなりません。私達の心もだんだんと飽きてくる、慣れてくる、侮ってくるものです。こういった心の濁りを浄化しなければなりません。中国の古典に「日に新たに、日々に新たなり」とありますが、いかに自分の心を新しくしていくかが問われます。 また、人間の最大の敵である不安、疑惑、憎悪も清めていかなければなりません。こういったものは長く居座るほど大きくなっていきます。仏教を知識として習得しても、自らの心をコントロールすることはできません。様々な苦悩の…

  • 親の価値観と子供の自立

    テレビで親による価値観の押し付けを特集していました。投稿されたエピソードなどが紹介されていましたが、基本的に親は子供の幸福を願って子育てをします。自分が幸せになるためには必要だと思うことを伝えるのです。幸福感もそれぞれですから、親によって子供に伝えることも十人十色になります。生きていくためには判断基準が必要ですから、子は親からそれを学んでいきます。 子供は親の言葉だけではなく、生活態度や人間関係を見ながら育ちます。それは価値観の押し付けというよりも、植物の根が土の中から養分や水分を吸収するように、子供は良くも悪くも親から吸収していくのです。しかも大事な部分ほど言葉よりも、親の姿から学んでいくの…

  • 負けない人

    物事に対する態度で人生がずいぶん違ってくると思っています。生きていれば多事多難であり、様々なことがあり自分の思い通りにいくことのほうが少ないものです。不本意や理不尽があたりまえなのですが、そういった時の考え方が大切なのです。望んでもいない残業を押し付けられた時、思ってもいない病を患った時、思わぬ大失敗をしてしまった時、どのように考えるかなのです。 すでに起きてしまった事実を変えることはできません。その事実をどのように受け入れるかなのです。残業のなかで新たなるスキルや人間関係を求めようと思えば有益な残業になるかもしれません。少なくとも嫌々やっていれば何の得にもなりません。治療を休養と考え、今まで…

  • 求められる人

    正論や持論に疑問を抱くことがあります。たしかに言っていることに間違いはないのですが、私の正論ではなく、みんなの正論でもありません。そして間違ってはいないがゆえに、かえって受け入れ難いところがあります。正論とは裏を返せば非難になります。「あなたは間違っています」と正すことなのです。間違いを指摘されている感覚が、素直になれない原因ではないかと思っています。 大人の世界では、特にプライベートでは正誤を論ずることには注意が必要です。個人の価値観やモチベーションはそれぞれであり、間違いということはありません。相手が間違っているのではなく、あくまで自分とは違うということだけなのです。人によってはアドバイス…

  • あなたの基準は

    人生の価値観はそれぞれですが、損得や金銭を中心に生活していると不満が多くなっていきます。損か得か、多いか少ないか、こういったことを基準にしていると偏ってしまいます。どうしても楽なほうを求めて、かえって苦しいほうにいってしまうのです。昔話では欲張り爺さんは大きいほうを求めて貧乏クジを引くのが定番です。かえって損をするくらいの正直者が最終的には得をするものなのです。損して得を取れといいますが、この得とは徳のことなのです。徳を備えてこそ得があり、徳なき者は損するしかないのです。 自分に必要なことなのか、楽しいかを基準している人もいます。必要だと思えれば苦しくても耐えることができ、その先には喜びが待っ…

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