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サムライスタイル|「やり方」や「成り方」より「在り方」を磨く https://samuraistyle.jp/

「在り方」を見つめれば「生き方」が見えてくる。心理学と武士道を通じて、なりたい自分になるための思考力、行動力、人間力について発信中。自分を変えたいと思ったなら「いつかその時」じゃなく「今がその時」です。

平野尚紀
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2008/06/17

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  • 人としての「在り方」が人生をレベルアップさせる

    大きくなったら何になりたいの? 恐らく誰もが、何度となく尋ねられたでしょう。 では… 大きくなったらどんな人になりたいの? と、尋ねられたことはありますか? 恐らく「ない」と答える方がほとんどではないでしょうか? 聞かれたこともないから、考えた事もありません。 どこかで自分が気付かなければ、もしかしたら一生考えないまま…という可能性もあるかもしれません。 自分はどういう人間で、これからどんな人間でいたいのか? 私たちは、将来やりたいことや成りたいもののことは常に思い描いていますが、その思いを描く張本人である自分という人間が「どう在りたいのか?」ということは、ほとんど考えることなく過ごしています

  • 武士道を知ることは日本人を知ること

    記事の概要

  • アダルトチルドレンという自覚

    記事の概要

  • 人間関係の極意!?【和して同ぜず】

    記事の概要

  • 武士のたしなみと男の身だしなみ

    記事の概要

  • 武士は食わねど・・・

    武士は食わねど高楊枝 武士は貧しくてロクに食事がとれない時でも、満腹のフリをしてゆうゆうと爪楊枝を使う。 在り方を貫く 聞いたことはあるけど、意味を知らない、意味を誤解してるという方が多い言葉かもしれません。 富よりも名誉を重んじた武士の気概を表す意味もありながら、ただただやせ我慢や見栄を張るという意味もあります。 武士道第一の【義】を重んじる武士たちは、富や財には興味を示さず、むしろ悪いもののように捉えていました。 しかし、平和な時代になるにつれ、お金こそが世の中を動かすようになっていきます。 段々と用無しのようになっていく中、それでも【義】や【名誉】を重んじたのが武士でした。 お金が力を持

  • 徳目って何だ?武士道の教えを知る

    記事の概要

  • 【楠木正成】足るを知る

    足ることを知って及ばぬことを思うな楠木正成 充足を知るか、不足を嘆くか とかく日本人は「減点主義」です。 100点満点のテストで60点だったとすると、獲得した点数よりも、届かなかった40点にばかり目がいきます。 テストに限らず、営業成績にしても会社の業績にしても同様で、ノルマに、目標に対して今どれだけ「足りてないのか!?」に注目してしまいます。 足りない部分を嘆くよりも、今手にあるものを見直してみろ! 正成の言葉はこういう意味でしょう。 武士たちは超現実主義的な考えが必要とされていました。 命のやり取りをする戦場に出るわけですから、希望的観測よりもむしろ、今の自分のレベルをしっかりと把握してお

  • 真田の六文銭

    損得勘定 真田幸村という名を聞いたことがないという人はまずいないと思いますが、その真田家の旗印と言えば「六文銭」。 これは三途の川の渡し賃を意味している…ということをご存知の方も多いでしょう。 戦場にお金を持っていくことなど本来無意味なことですが、だからこそこの「六文銭」は、より一層真田家の覚悟が伝わる「粋」な紋に感じられる気がします。 損得を考えないというのが武士道第一の【義】の心です。だからこそ武士たちは、お金にはあまり価値を見出そうとはしませんでした。 損得で考えれば「死ぬ=損」ということになり、臆病な気持ちが芽生えることを嫌う意味もあったのだと思います。 今は損得が大切な時代です。 得

  • 【稲森和夫】人の道

    私はすべての判断の基準を “人間として何が正しいか” ということに置いている。稲森和夫 京セラ、KDDIの創業者であり、JAL再建にも多大な成果を残している稲盛和夫氏。 「経営の神様」と呼ばれる経営者の一人です。 ネットで検索すればたくさんの名言が見つかりますが、稲盛氏に限らず、偉業を成す人物の言葉のそこかしこに「武士道」に出会うことがよくあります。 「人間として何が正しいか」というのは、武士道の【義】の教えであり、損得を考えず、正しいと信じる道を選ぶという意味があります。 企業が営利を求めるのは当然のことです。それがなければ存続できません。そこに損得勘定が働くことは、決して否定できないと思い

  • 【吉田松陰】武士の死生観

    死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。吉田松陰 死んで名を残すことができるならいつ死んでも構わない。生きて事を成す見込みがあればとことん生きる。 死見つめる事は生を見つめる事 「武士道とは死ぬことと見つけたり」 「武士道は死に狂いなり」 こういった言葉が、文字そのままに解釈されてか、しばしば武士道は「早死にの美学」のような誤解を受けることがあります。 決してそういう教えではありません。 ここで死ぬことは決して無駄死にではなく、自分の一生を生き切ったことになる… そう思えたときに命を投げ出すことができたのでしょう。 早いとか遅いとか、長さとかの問題で

  • 日本人としての誇り

    私がどうしても滅びてほしくない一つの民族があります。それは日本人です。あれほど古い文明をそのままに今に伝えている民族はありません。日本人は貧しい。しかし高貴である。ポール・クローデル 日本人としての自覚 アインシュタインやフランシスコ・ザビエルといった、名だたる人物がかつての日本を絶賛しました。 貧しいことを恥とは思っていない、貧しくとも心は高貴である… これは、富や財産を美徳とは考えないという武士道の【義】と、人に恥じない生き方こそが名誉ある人生であるという武士道の【名誉】の教えがあってこそのものでしょう。 今や日本人は豊かになりました。 しかし、それと引き換えに心は貧しくなっているように感

  • 【石田三成】大義に生きる

    大義を思うものは、首をはねられる前であろうとも命を大切にするものだ。石田三成 生き延びるという勇気 天下分け目の関ヶ原に敗れた光成が、処刑直前に残したと言われている言葉です。 死を恐れないことこそ、武士道の【勇】、つまり『勇気』です。 しかし、ただ恐れないだけならただの無謀にもなる… 真の『勇気』とは、生きるべき時にはどれだけ恥を忍んでも生き延びること… それは武士道における【名誉】とは相反するものでありながらも、「大義」を前にすれば、命とはどこまでも惜しむべきものだということでしょう。 今の日本では戦いで命を落とす人はほとんどいません。 しかし、戦いで死ぬのと同じくらいたくさんの人が、自殺と

  • 【小早川隆景】人に好かれる力

    人好きせざらんは、物事武骨に世事に疎し小早川隆景 どれだけ才能があろうとも、人に好かれなければ、何事もうまくいかず世の中の事にも疎くなってしまう。 1人の力は小さくても 人に好かれることの大切さを言っているのとともに、1人の力でできることなど限られている…という意味もあるように感じます。 どれだけの才能や知識があったとしても、1人は1人です。 2人分くらいの能力なら持っている人もいると思いますが、5人分、10人分となるとあり得ません。 大きなことを成そうを思うのならば、それなりに人の助けを借りる必要があります。 また、人が寄り付かなければ、人からの情報が入ってこないということでもあります。 今

  • 【新渡戸稲造】恐れを知る事

    斬首が公衆の面前で行なわれていた時代には、幼い少年たちはその恐ろしい光景を見に行かされた。またあるいは暗闇の中を一人でそこへ行き、その証拠にさらし首に自分のしるしをつけてくるように命じられた。新渡戸稲造「武士道」 悪いものがあるからこそ良いものを知る 武士の家では「肝を練る」ために、こういったことをやらせることがあったようです。 【勇】を重んじる武士にとって、臆病風に吹かれるなどもってのほか!という部分もあったとは思いますが、命のやり取りをする戦場では、縮み上がってしまった方が逆に危険だという部分が、親としては大きかったのではないでしょうか。 他にも、食べ物を与えられなかったり、寒い中、外にさ

  • 【新渡戸稲造】見えない掟

    武士道は、語られず、書かれてもいない掟でありながら、それだけにいっそう武士たちの内面に刻み込まれ、強い行動規範として彼らを拘束した。それは、有能な者の頭脳が作り出したものでもなければ、有名な人物の生涯にもとづくものでもない。数十年、数百年におよぶ武士たちの生き方から自然に発達してきたものである。新渡戸稲造 これからの武士道 「日本人には今こそ武士道が必要だ!」 武士道を学んでいくと、そういう気持になりますが、やはり時代は大きく変わりました。 そのままの武士道を今の時代に持ってきたとしても、それだけでいいことだとは思えない部分も多々あります。 損得を考えないことから、富や財産を得ることがむしろ害

  • 【葉隠】自分という刀

    意地は内にあると、外にあるとの二つなり。外にも内にもなきものは、役に立たず。たとへば刀の身の如く、切れ物を研ぎはしらかして鞘に納めて置き、自然には抜きて眉毛にかけ、拭ひて納むるがよし。外にばかりありて、白刃を常に振り回す者には人が寄り付かず、一味の者無きものなり。内にばかり納め置き候へば、錆もつき刃も鈍り、人が思ひこなすものなり。葉隠より 意地というものは内にあるものと、外にあるものと二種類ある。外にも内にもないのであれば役には立たない。たとえば刀の抜き身のようなもので、よく研いで鞘に納めておいて、たまには抜いて眉毛の高さまで掲げ、拭いて納めておくのがいいだろう。外に出して刀を振り回してばかり

  • 【葉隠】思い上がるべし

    同じ人間に生まれたのだ。誰に劣るなどあるはずがない。全て修行は大高慢に自分以上の者はいないのだと思いあがるほどでなければ、役には立たない。自分は一人でお家を守るぞとかからなければ、修行してもものにならないだろう。葉隠より 内なる炎を燃やす 奥ゆかしく控え目なのが日本人です。 それは昔も今も変わらない日本人らしさだと思いますが、この言葉にはそれとは真逆の“熱”のようなものを感じます。 人前では寡黙を貫きながらも、たった一人の修行においては、燃え上がるような意気込みで取り組んでいたのでしょう。 「自分以上の者などいない」という感覚は、人前に立つ人や、人の上に立つ人にとって、不可欠な「心構え」だと思

  • 【山県昌景】二度と訪れない「今」

    合戦も度重なって慣れてくると、つい前のことを思い出す。前に勝っていればあの時と同じやり方をすれば今日も勝てるだろうと思う。ところが、合戦は敵の状況が勝敗を決する。前とまったく同じということはあり得ない。そういう時に心構えとして何が必要かといえば、今日初めて合戦に出たのだ、今日の敵とは初めて槍を交える。油断するとやられると思え。山県昌景 経験が邪魔をする事もある 武田四天王(四名臣)と呼ばれた、山県昌景の言葉です。 「初心忘るるべからず」ということでしょう。 何事も経験があるに越したことはないと思いがちですが、その経験が邪魔をすることも多々あります。 それなりに経験を積むことにより、色んなことを

  • 【孟子】至誠

    至誠、天に通ず孟子 真心をもって接すれば、それは天まで通じ、必ずや人を動かす。 正直であるという事 【誠】という漢字は、「言うを成す」と書きます。 「言ったことは必ずやり遂げる」という意味です。 「武士に二言はない」という言葉通り、自らの一言に命までかけた武士にとって、この【誠】はその真髄とも言える徳です。 私たちは「嘘がない」ということを「正直である」と勘違いしがちですが、それはイコールではありません。 「やろうと思っていたけど、力及ばずにできなかった…」 やろうという意志がそこにあったから、結果は結果として仕方のないことです。 しかし、やると言ったことができなかったのは事実です。 騙そうと

  • 【葉隠】勝つという事

    勝ちといふは、味方に勝つ事なり。味方に勝つといふは、我に勝つ事なり。我に勝つといふは、気を以って体に勝つ事なり。かねて味方数万の士(さむらい)に、我に続く者なき様に、我が心身を仕なして置かねば、敵に勝つ事はならぬなり。葉隠より 勝つということは、まず味方に勝つ事である。味方に勝つということは、自分に勝つということである。自分に勝つということは、気をもって体に勝つということである。常々味方数万の武士の中で、自分に続く者はいないというところまで、心身を鍛えておかないと、敵に勝つ事などできないのである。 自分に勝つ 自分に勝たずして、敵に勝つ事などできない。 「葉隠」ではこう言っています。 そして、

  • 【武田信玄】人は城、人は石垣…

    人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり武田信玄 組織の在り方として メジャーな言葉ですが、後半部分を知らない人は意外にいるのかもしれませんね。 勝敗を決するのは城でも石垣でもなく、人である。 情をかければ人は集まり、恨みを抱けば人は去っていく… 要約すると、こんな意味になるかと思います。 「軍神」上杉謙信は、決して多くない軍勢で、大軍を打ち破り続けました。 目の行き届く範囲を心得、組織というものを熟知していたのだろうと思います。 そのライバルである武田信玄もまた、組織というものをよく理解していたということがこの言葉で分かる気がします。 つまるところは「人」。 戦における軍勢という組織

  • 【吉田松陰】本当に必要な人材を得るために

    古語にも“庸謹(ようきん)の士を得るは易く、奇傑の士を得るは難し”と云へり。小過を以って人を棄てては、大才は決して得べからず吉田松陰 昔の言葉で“平凡で実直な者を得ることは容易いが、大事の時に頼りになる傑物を得ることは難しい”というのがある。小さな欠点を見つけて人材を切っているようでは、大才の人物は決して得ることができないだろう。 人を見抜く目を持つ 今は簡単に人を切り捨てる時代です。 「リストラ」という言葉は、元々「リストラクチャリング(再構築)」の略語であり、企業の体制そのものの作り直しを意味していたはずが、いつのまにか「人材整理」という意味になってしまっています。 しかもその「整理」も、

  • 私たちの忠義

    忠臣は二君に仕えず 忠義ある家臣は一度主君を定めたのちは、他の人に仕えることはない。 本当の忠義とは 【忠義】という言葉は、今はあまり使われることがありません。 盲信や盲従、絶対的服従と言ったイメージが強いせいか、あまり肯定的に捉えている人自体が少ないようにも感じます。 しかし、武士道における【忠義】とは、絶対的服従や媚へつらいを恥とし、時には命を懸けてでも主君をお諫めするということにこそ、その本質があると考えるものです。 主君と言っても一人の人間。 更に血統を重んじる時代ですから、暴君や暗君だったとしても主君は主君です。 そんな奴に忠誠を誓えるはずがないのは今も昔も変わりません。 それでもな

  • 【山上宗二】自分を貫く

    汚さじと思ふ法度のともすれば世渡るはしとなるぞ悲しき慈鎮和尚 自分の美意識を汚すまいと思っているけれど、やはりどこかで世渡りしていることに気付く。とても悲しいことだ。 和して同ぜず 詠み人は慈鎮和尚ですが、千利休の弟子、山上宗二がそらんじていた歌と言われています。 旧来の型から逸脱していく利休に対し、あくまでも伝統に固執し続けた茶人、山上宗二。 頑固一徹を貫き、最後は秀吉とまで対立し打ち首にされてしまいますが、その宗二でさえ「どこかで世渡りしている」と嘆いていたようです。 美意識とか、自分なりの美学とかこだわりとか、誰しも少なからず持っていると思います。 それを「ただただ貫く」ということは決し

  • 【武田信玄】為せば成る

    為せば成る 為さねば成らぬ 成る業を 成らぬと捨つる 人の儚さ武田信玄 人生の有効期限の中で 「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」という上杉鷹山の歌は、この信玄の歌を変えて詠んだものと言われています。 何事もやればできる! できなかったのは、できるまでやらなかったからだ! 色んな表現があると思いますが、同じ意味の言葉を誰しも耳にしたことがあるでしょう。 これは真理だと思います。 子供の頃のある日、やっと自転車に乗れるようになったように、できるまでやれば、何事も必ずできるものです。 ただ、子供の頃と違い、大人には中々そうもいかない部分もあります。 例えば仕事においてな

  • 【葉隠】先人の教え

    巧者の咄等聞く時は、たとへ我が知りたる事にても、深く信仰して聞くべきなり。同じ事を十度も二十度も聞くに、不図胸に請け取る時節あり。その時は格別のものになるなり。老の繰言と云ふも巧者なることなりと。葉隠より 深く経験を積んだ人の話などを聞く時には、たとえ自分の知っていることでもありがたく聞くべきである。同じことを十度も二十度も聞くうちに、ふと腹に落ちるときがあるものである。その時は、格別の意味合いをもってくるだろう。老人の繰り言などと言って邪険にするが、深い経験を積んだ人と考えるべきである。 聞き飽きた言葉も受け止め方で変わることがある 親から何度も何度も口を酸っぱくして言われ続ける… 上司と酒

  • 人間五十年

    人間50年、下天のうちをくらぶれば夢幻の如くなり、ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか幸若舞「敦盛」 人の一生は50年、天の人と比べれば夢幻のようにわずかの出来事だ。ひとたびこの世に生を受けたら必ずや終わりがくるものだ。 人生において確かな物とは!? 知らない人はほとんどいないメジャーな一節です。 織田信長が愛し、桶狭間の出陣前に舞ったということから、信長の辞世の句だという誤解(?)見解(?)もあるようですが… 平家物語の「敦盛最期」に由来する物語です。 「敦盛最期」に関しては、このページでも以前に紹介していますが、武士道の【仁】や【名誉】が分かり易く伝わるものですので、興味のある方は見てみ

  • 【葉隠】武士道は死に狂い

    “武士道は死に狂ひなり。一人の殺害を数十人して仕かぬるもの。”と直茂公仰せられ候。本気にては大業ならず。気違ひになりて死に狂ひするまでなり。葉隠より 武士道とは死に狂いである。そうした人を倒すには数十人でかかっても倒せないことがある”と鍋島直茂公が仰った。正気でいては、大業を成すことはできない。気ちがいになって死に狂いするまでである。 腹を括った者には敵わない まともに考えてたらとてもじゃないがやってられない! そんな場面に直面したことがある人も少なくないのではないでしょうか。 常識はもちろん大切ですが、常識の範囲だけで語れないようなこともあります。 発想まで全て常識的になってしまうと、小さく

  • 【福沢諭吉】個の独立

    一身独立して一家独立し、一家独立して一国独立し、一国独立して天下も独立すべし。福沢諭吉 個人が独立すればその家が独立し、一家が独立すればその国が独立する、そして国が独立すれば天下も独立する。 確固たる自分を持つ 福沢諭吉と言えば「一万円札」。 「一万円」のことを「ユキチ」と呼ぶほど浸透していますから、その名を知らない人はいないでしょう。(笑) あまりイメージがないかもしれませんが、彼も元々は武士です。 天下国家の独立も、個人一人一人の独立から始まる。 「独立する」と言えば、勤めていた会社などから離れ、自分の力で生計を立てていくというような場合に使います。 とはいえ、誰もが会社勤めを辞めて起業す

  • 【葉隠】決断は早いほど良い

    古人の言葉に七息思案と云ふことあり。隆信公は「分別も久しくすればねまる」と仰せられ候。直茂公は「万事しだるきこと十に七つ悪し。武士は物毎手取早にするものぞ」と仰せられ候。葉隠より 昔の人の言葉に「七呼吸の間に思案せよ」というものがある。竜造寺隆信公は「思案も時間をかけすぎればなまくらになる」と仰せられた。鍋島直茂公は「万事だらだらしたものは十に七つは悪いことだ。武士は物事全て手っ取り早くしなければならない」と仰せられた 自らの決断に責任を持つ 物事をじっくりと考えることは大切なことです。 しかし、ただ考えているばかりでは意味がありませんし、時間が経過することでどうでもよくなってしまうこともあり

  • 【新渡戸稲造】富を得れば知恵を失う

    富めるは智に害あり新渡戸稲造 豊かさと引き換えに努力を失う 新渡戸稲造の言葉ではなく、武士たちが重んじた格言のようです。 日本人の中にある、お金を稼ぐということに対する一種の罪悪感のようなものは、間違いなく武士道の影響だと思います。 損得を考えない【義】を第一とする武士道において、お金とは正に損得の象徴です。 更に、質素倹約を重んじていたわけですから、お金を持ちたがらないのも当然と言えば当然でしょう。 持てば使いたくなるのが人間です。 質素な暮らしを送るということは、忍耐の修養でもあります。 今を生きる私たちにとって、お金は不可欠です。 しかし、お金がなければないなりに、頭をひねって知恵を働か

  • 【孔子】礼を磨く

    己に克ちて礼に復(かえ)るを仁と為す孔子 私欲を捨て【礼】を実践すればそれは【仁】となる。 仁はいずれ宿っていく 【礼】とは、相手に対する思いを目に見える形に表すこと。 つまり【仁】を形に表すということです。 どれだけ礼儀作法を学んだとして

  • 【葉隠】盛衰で人は測れない

    盛衰を以て、人の善悪は沙汰さらぬ事なり。盛衰は天然の事なり。葉隠より 盛衰によって、その人の善悪を判断することはできない。盛衰とは自然のなりゆきである。 全ては自然の成り行き 繁栄も衰退も自然のなりゆき… つまり運とも言えるわけです。 身も

  • 【葉隠】注意の仕方

    そもそも意見と云ふは、先づその人の請け容るるか、請け容れぬかの気をよく見分け、入魂(じっこん)になり、此方の言葉を平素信用せらるる様に仕なし候てより、さて次第に好きの道などより引き入れ、云ひ様種々に工夫し、時節を考へ、或は文通、或は雑談の末

  • 【新渡戸稲造】本当の勇気とは

    勇気の修養には進むほうの勇ばかりでなく、退いて守るほうの勇も養うように心がけなければならない。両者がそろって本当の勇気ができるのである。新渡戸稲造 「義」に基づくこと 「勇気ある行動」とはどういう行動でしょうか。 危険を冒して飛び込んでいく

  • 【孔子】仁は人なり

    巧言令色(こうげんれいしょく)、鮮(すく)なし仁孔子 言葉巧みでいい顔ばかりしている人に、仁のある人はほとんどいない。 真の優しさとは 武士道の第一の徳が【義】であれば、儒教の第一の徳は【仁】です。 「仁は人なり」 つまり、「仁がなければ人

  • 【一休宗純】花は桜木人は武士

    花は桜木、人は武士、柱は檜、小袖はもみじ、花はみよしの一休宗純 一休宗純の言葉とされています。 皆さんご存知の「一休さん」のことです。 花と言えば桜が一番、人ならば武士、柱は檜、小袖の柄はもみじで、花見をするなら吉野でしょう 武士に憧れた日本人の心 武士の生き様に一般大衆は大いに憧れを抱き、「武士のようになりたい!」と強く願いました。 その思いは子育てにも活かされ、武士のような生き方を躾けとして教育していったのです。 武士と言えば特権階級です。 特権階級の生き方にただ憧れるだけでなく、生き方だけでも真似ようとした。 それが今、日本人が世界で称賛されるほどの民度の高さにつながっているではないでし

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サムライスタイル|「やり方」や「成り方」より「在り方」を磨く
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