先日久しぶりに建築現場の公開があって、参観しておりました。北海道岩見沢・三笠の武部建設さんで【南幌町みどり野
北海道・東北で発行している住宅雑誌「リプラン」発行人です。新しい「暮らしデザイン」が興味分野。
家の関係ばかりではありません。 むしろ、歴史関係が好きなんで、そっちに集中してしまいそうで、ちょっと心配しております。
先日久しぶりに建築現場の公開があって、参観しておりました。北海道岩見沢・三笠の武部建設さんで【南幌町みどり野
昨日17日23時14分、愛媛県ー高知県などで最大震度6の地震発生。夜が明けて被害の状況が徐々にあきらかになっ
写真は愛知県犬山の「明治村」のなかの「西宮芝川邸」内部。 和のたたずまいの畳敷き込みの部屋のふすま戸を開け
さて出張から帰還後、その間に進展した「家の断捨離」作業のチェック。 そして溜まっていた大型ゴミ類を一気に市
昨日まで関西地方に出張取材。ある計画についてのフィールドワーク&取材だったのですが、これは土曜日のクライマッ
だんだんと日本語の起源ということに強く興味が「差し込んで」行く。本居宣長さんの古事記研究への情熱と子孫の,それ
この家は江戸期に「日本書紀」を徹底探究した本居宣長の家系が暮らしていた家。三重県松阪市の城郭公園のなかに移築
きのうの「仏像」ブログからの流れで、先日まで東京国立博物館で展示されていた中尊寺について。 日本社会の一般
加齢してくるとだんだん仏教などの世界に近づきたくなる(笑)。いま「家整」しているカミさんの実家には仏壇がある
義母の死後、なかなか着手できなかったセカンドハウスとしての家の整理整頓作業に取り組み始めて2週間以上経過。
先般東京でのある住宅イベント開催時に、旧知のオーガニックスタジオ新潟の相模社長から「三木さん、YouTuve
最近よく札幌市中心部をクルマで走っています。わたしがいま住んでいるのは札幌の最初期に近い「新興」住宅地。昭和
いろいろな場所に行って、そこで感じる、とくに建築や住宅への感覚についてこころが向かうようになっていった。職業
古事記という書物は、日本人と日本文化にとって基盤的な文献であるけれど、原文は漢文によって書かれているので、そ
人間だれでも、少年期からの「出自」に関わるような空気感、その感覚があるだろうと思います。1952年生まれのわ
年に一度は定期的に健康診断を継続してきています。毎年1月にやってきていたのですが、ことしも会社は変わったけれ
これからのライフスタイルを考えて見て、より自由度の高い生き方を考えておりまして、そうすると自分的には「複数拠
昨日でわたし自身の「環境変化」から半年が経過いたしました。 「引き継ぎ」的な業務はおおむね終わって、新会社
札幌で戸建て住宅に住んでいると、冬の間はずっと除雪作業が欠かせない日課になる。年間積雪量が6m近くにもなる巨
日本史を見渡していて、言語文化コミュニケーションという領域での進化・変容が果たしてきた役割というものは必ずし
【豪族支配下のものづくり経済 in 伊予松山「湯築城」-3】
さて1日、友人の葬儀の話題になりましたが、本日から中世の伊予松山城塞の話題に復帰。 この湯築城は豊臣政権成
人間70の坂を越えてくれば、お互いにいつなんどき消息が途絶えることは、この暗夜行路での自明のこととして受け入
きのうの続編であります。伊予という地域は古来から日本の支配構造の中でも重要な地域とされてきた。律令制の地域区
本日は正月の夫婦旅・松山歴史篇。わたしの家系伝承では、兵庫県姫路市の「英賀城」に存在した武家・三木家というの
洛中洛外図・岩佐又兵衛作品からの詳細画像から。 現代日本人の大人は街頭で踊ったりすることは稀でしょう。阿波
この図は、岩佐又兵衛作「洛中洛外図・舟木本」のひとこま。 高精細な画像解析で、そのディテールがクッキリと浮
きのう、出張からようやく帰還。この時期の移動では服装がまったく予測できませんね。札幌から関東へ行ったわけです
加齢してきて、自分自身をテーマにして少しは「いのち」というものと向き合うような気分に納得感が生まれ出てくるよ
ここ数日、日中に歩きまわるようになっています。 わたしはだいたい、1日7-8000歩程度を目安にして,主に
わたしは少年期の最後に政治少年化していた時期がありました。ちょうど70年安保闘争期だったので、そういう時代の
どうも最近、「やさしさ」パワーに弱くなっている(笑)。 街を歩いている子どもたちと会話する機会など、メロメ
わたしは自然の動物たちに無用にエサを与えることは自重しております。 以前、自宅兼用事務所を建てた時期、それ
関東以南地域ではもうサクラが開花している様子が伝わってくる。まことに愛でたい限り。 一方当地札幌でも、それ
わたしの立場の変更更新があってこれまでのReplan誌編集発行の(株)札促社からは退職して、いまわたしは「ミ
きのう太陽光発電の「壁面設置」についての北海道でのさまざまなチャレンジをご紹介したけれど、エネルギー危機対応
「北海道は課題の先進地」というやや自虐感のあるコトバを北海道の住宅研究機関である「北総研」からの情報発信でよ
北海道の住宅施策で温暖地域とのいちばんの「条件」の違いとは積雪という風土条件。 住宅のエネルギーについて最
コロナによる社会閉塞からの停滞を経験して、その間に水面下で動き続けてきていたさまざまな社会の動向を反映した「
写真は広島空港にほど近い先祖伝承の土地「入野」を探訪したときの様子。 北海道人というのは本州の「出身地域」
きのうのブログで「スッキリ雪山」と歓喜の記事を書きましたが、その記述中に不気味に積雪が進行しておりました(泣)
0960-4-2 さて3月も中旬に差し掛かる時期になってきましたが、ことしは積雪が例年よりも多めで推移してい
このやまと絵はきのうに引き続き、四国愛媛松山・湯築城資料館展示パネルより。 調べてみると原点資料は、16世
先日来「食卓テーブル」のことが気になっているのですが、歴史的には日本人の元々の食卓習慣は、「銘々膳」というの
気持ちと年齢の関係にはあまり相関関係はないのだろうか(笑)。 環境が変わってきて、本来であれば徐々にフェイ
どうもEVにとって決定的な一撃のような気がする。 あのAppleが自動運転車・EV開発から撤退する決定をし
どうもEVにとって決定的な一撃のような気がする。 あのAppleが自動運転車・EV開発から撤退する決定をし
3月にようやく入って数日。いまのところ大雪はしばらく遠ざかっている。不気味な沈黙だけれど、さてこのまま、冬将
先日、温泉山安楽寺の宿泊体験、それもエントランス空間に置かれていた「無垢材テーブル」のことを書いたのですが、
っていうことでおそるおそる(笑)ドアを開けたらごらんの室内。そこそこの広さのビジネスホテルと同様の雰囲気。ベ
さて、なし崩し的に温泉山安楽寺探訪篇であります(笑)。特段、四国八十八箇所めぐりを志向しているのではないのです
写真は、ことし1月の夫婦旅・四国で最初に宿泊した四国八十八箇所第6番札所、安楽寺の宿坊に置かれていた無垢テー
わたしの家系は、明治の末頃に広島県福山市の西側近郊、尾道との中間のような位置にある「今津」周辺から北海道に移
昨日紹介した正月休暇での四国行脚での1宿泊箇所・古民家であります。反応を見ていると本州地域の読者のみなさんが
いきなりなにこれの写真であります(笑)。 年末や年始時期にはわが家は本州地域を旅することが多い。たぶん北海
きのうは身内の誕生日祝いにお昼に手握り寿司パーティ。 前日夜までにネタを捌いて、容器に入れて水分を「飛ばし
連休直前からきのう土曜日まで一時中断をはさんで降り続いていた大雪。いま、2/25午前4時の時点でもまだ、断続
ここ2日ほどはわたしの「新建ハウジングDIGITAL」での新連載記事の紹介というニュースや、すっかり居座った
さていろいろ住宅業界関係の情報交流が盛り上がっていた週も終わって、本日から3連休ということですが、札幌は昨日
かねてから準備していた表題の連載執筆、きのう2/21に掲載開始されました。 https://www.s-h
【5-6千年前「縄文のランドマーク」 ムラと住みごこち-8】
人類と集住的共同体「ムラ」的生き方について考えて見ています。人口減少局面でこれまでのような新築住宅建設にどっ
世界での人間の集住「ムラ」初源期の痕跡はユダヤ、パレスチナといった中東地域の町・エリコの名が挙げられる。以下W
人間が「住む」ということは、第1に「どこに」であり、「どのように」ということはそれとの関係性において相対的に
【現代街区=ムラと公共空間・利便性① ムラと住みごこち-5】
住宅建築の内部的な「住みごこち」についてはかなり科学的なメスが入れられて、居住性能が可視化されてきていると思わ
現代ではひとが住む「都市」や「街区」選択は一応,自由選択であり実際にそのように「好きな場所に住む」という選択
図は皇統初源期の系図。古事記・日本書紀の編纂にあたって天武天皇の御子である舎人親王とその編纂チームが国家プロ
きのうの札幌の最高気温は10度くらいまで上昇していました。つい先日には30cmほどの大雪で、道路上には固い岩
ふとしたことから昭和40年に制作された「高校生向けの地図」と対面してしまっていた。知人からなにげに貸し出されて
みなさんはどうであるかよくわかりませんが、わたしの場合、常備的で毎日参照する書斎の本棚はおおむねの趣味傾向や
昨日ブログを午前6時前にアップさせて、気になっていた降雪具合を確認したら、マジでやばいレベルの降り方。2枚目の
写真は京都の先斗町を賀茂川越に見たものと、栃木県足利市の古建築景観。 江戸期までの日本社会は基本的には農業
写真は四国松山の高台からの「都市市街地」と東北津軽の古民家、そして古民家での家族の「だんらん」の様子です。
いろいろとプロジェクトが始動し始めてきています。環境変化の整理整頓段階から新環境での行動半径の様子が「見える
いま奈良県橿原市に広大な敷地をもって建てられている「橿原神宮」は、創建としては明治になってからで1890年4
熊野を出立して八咫烏に先導されながら、神武帝の軍は大和平野の南端の吉野にいたる。そこから軍はいったん「東遷」す
さて神武帝の「大和入り」についての上陸地・熊野からの道探訪篇の最後のルート。神話としては八咫烏に先導させると
先週は月曜日から土曜日の日程で東北出張。久しぶりの遠征出張でしたのでカラダは疲れているハズだけれど、心理的に
熊野地域という存在には北海道人であるわたしはほとんど知識がなかったのですが、実際に探訪してみてふとその「再生
わたしは仕事人生で新規開拓型の「営業」を主たる行動スタイルにしてきました。 いまは、そういう仕事的スタンス
日本史の中の経済的・軍事的勢力として「水軍」という存在は大きい。東アジアの漢字文化圏における伝統的な水上兵力
わたし自身の環境変化があってはじめて徐々に惹かれてきた流れがあったのですが、北海道に住む人間からすると「熊野」
日本の祭りでは、各地で「神奈備」のひとつとしてまことに勇壮な神事が執り行われる。そういったひとつとも思えるけ
【神倉神社とゴトビキ岩「火祭り」神事 皇統神話と熊野の旅-26】
さて熊野三山の最後は熊野速玉大社なのですが、実際に熊野川河口の社には特段の感慨を持つことはなかった。ごく一般
【神仏習合という宗教ジャパネスク 皇統神話と熊野の旅-25】
熊野那智大社の社域には隣接して「青岸渡寺」という天台の寺院がある。 それほど予備知識なく訪問したわたしは「
さて熊野三山のうちの熊野那智大社であります。現代とは違って、古代以来、人里のある熊野灘の海岸線道からながい山
熊野に残る精神文化空間のひとつの象徴がこの花の窟神社。やはり一番奇異を感じるのは、本殿建築のかわりに巨石、露
上の図は江戸期のものと思われる木版画。熊野の旅では熊野三山が象徴的なスポットとされているけれど、本宮の祭神は
【日本書紀に記述の「花の窟神社」 皇統神話と熊野の旅-21】
日本の神社信仰では必ず「注連縄」という習俗を持っている。この注連縄というものは稲作と非常に強い関連性を持って
歳を取ってくるとカラダのあちこちから「痛み」が盛り上がってくる(泣)。わたしの場合、50代くらいからときどき、
【50年超の「南紀白浜」との再会 皇統神話と熊野の旅-20】
みなさんどなたも「憧れの土地」みたいな感傷はあるでしょう。実際にそこに行った体験は徐々に風化したり、逆に美化
日本列島での人びとの「精神史」のなかで自然造形は、非常に大きいパーツを占めたに違いない。そういう「現場検証」
熊野探訪に復帰致します。 熊野詣といわれたような古代から中世、江戸期などの地域ブームはやはりカルデラが生み
本日、閑話休題。皇統神話シリーズは小休憩。 高齢者になって来たので休暇の取り方についてはある程度自由度が高
【古代のヤタガラス族との種的共存 皇統神話と熊野の旅-17】
熊野探訪篇から本筋の「神武東征」篇への岐路にはヤタガラスという重要キャラ。 わたしは率直に言って、カラスに対し
【明治の日本語創造と古語「記紀」 皇統神話と熊野の旅-16】
昨日、素戔嗚尊(スサノオ)のことを書きましたが読者の方からご意見もいただきました。その内容に触発されて「日本
【素戔嗚尊(スサノオ)主祭神の本宮 皇統神話と熊野の旅-15】
熊野を歩き始めたわたしの動機は、生来の歴史好きが高じて「皇統」について、その起源とされる初代の神武帝の「行軍
熊野三社という存在はそれを歴史などで学習する機会は現代ではほとんどないのではないだろう。 しかし自然神・山岳
【熊野本宮・大斎原と「蘇〜よみがえり」 皇統神話と熊野の旅-13】
熊野地域は三千六百峰という嶺嶺のさざめきが生み出す空気感が自然のベーシックトーン。奈良・京都からみて聖なる方
【熊野本宮大社と北海道「新十津川」 皇統神話と熊野の旅-12】
熊野と言えば日本史の精神的背景としての「熊野信仰」が基層であり、その象徴は「熊野三山」と言われる熊野本宮大社
昨日で今年度の実質第1週が終了。夜には新年会もあって、本日は連載テーマは一時休止。 今週はいろいろなスター
【徐福伝説を「活かして使う」ニッポン 皇統神話と熊野の旅-11】
さてきのうの続編。徐福伝説という物語自体はあらすじは理解できたのですが、わたし的には、有名な「史記」に記述が
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先日久しぶりに建築現場の公開があって、参観しておりました。北海道岩見沢・三笠の武部建設さんで【南幌町みどり野
昨日17日23時14分、愛媛県ー高知県などで最大震度6の地震発生。夜が明けて被害の状況が徐々にあきらかになっ
写真は愛知県犬山の「明治村」のなかの「西宮芝川邸」内部。 和のたたずまいの畳敷き込みの部屋のふすま戸を開け
さて出張から帰還後、その間に進展した「家の断捨離」作業のチェック。 そして溜まっていた大型ゴミ類を一気に市
昨日まで関西地方に出張取材。ある計画についてのフィールドワーク&取材だったのですが、これは土曜日のクライマッ
だんだんと日本語の起源ということに強く興味が「差し込んで」行く。本居宣長さんの古事記研究への情熱と子孫の,それ
この家は江戸期に「日本書紀」を徹底探究した本居宣長の家系が暮らしていた家。三重県松阪市の城郭公園のなかに移築
きのうの「仏像」ブログからの流れで、先日まで東京国立博物館で展示されていた中尊寺について。 日本社会の一般
加齢してくるとだんだん仏教などの世界に近づきたくなる(笑)。いま「家整」しているカミさんの実家には仏壇がある
義母の死後、なかなか着手できなかったセカンドハウスとしての家の整理整頓作業に取り組み始めて2週間以上経過。
先般東京でのある住宅イベント開催時に、旧知のオーガニックスタジオ新潟の相模社長から「三木さん、YouTuve
最近よく札幌市中心部をクルマで走っています。わたしがいま住んでいるのは札幌の最初期に近い「新興」住宅地。昭和
いろいろな場所に行って、そこで感じる、とくに建築や住宅への感覚についてこころが向かうようになっていった。職業
古事記という書物は、日本人と日本文化にとって基盤的な文献であるけれど、原文は漢文によって書かれているので、そ
人間だれでも、少年期からの「出自」に関わるような空気感、その感覚があるだろうと思います。1952年生まれのわ
年に一度は定期的に健康診断を継続してきています。毎年1月にやってきていたのですが、ことしも会社は変わったけれ
これからのライフスタイルを考えて見て、より自由度の高い生き方を考えておりまして、そうすると自分的には「複数拠
昨日でわたし自身の「環境変化」から半年が経過いたしました。 「引き継ぎ」的な業務はおおむね終わって、新会社
札幌で戸建て住宅に住んでいると、冬の間はずっと除雪作業が欠かせない日課になる。年間積雪量が6m近くにもなる巨
日本史を見渡していて、言語文化コミュニケーションという領域での進化・変容が果たしてきた役割というものは必ずし
鎌倉歴史文化交流館での展示「中世の祈り」展を参観しての雑感、書き足りなかったことその2です。きのうは鎌倉の永
先般の鎌倉探訪シリーズで書き忘れていたテーマがいくつかあります。その中でも以前から気になっていた「永福寺」の
4月も半ばを過ぎて来週末からはゴールデンウィークということで、北海道にもようやくサクラ開花の便りが各地から聞
昨日ようやくわが家に帰還しました。で、迎えに来てくれたカミさんの乗った愛車を見たら例の黄砂でちょっとかわいそ
たまたまわたしは本日まで外泊中ですが、昨日午前6:37の発表で、地図上の位置でヒグマの発見情報(!)。「札幌市
きのう書いた伊根の暮らしよう、その続篇です。丹波地域は古代史を深掘りしていると非常に重要な地域と言うことが知
写真は京丹後、海の京町家と呼ばれる伊根の舟屋と東南アジアの水上生活者の住まい。住宅についてのメディアの人間とし
本日から3泊4日で外泊の予定。ということでその前に事務多忙。出掛けてしまえば逆に時間も確保できると思うのでた
今週はあすから3泊4日で出掛けなければならないので、どうも慌ただしい。それまでに片付けたいこともあり、また来
オホーツク海は流氷が去って「海明け」すると毛ガニ漁のシーズン。流氷に豊富に含まれるアムール川流域地域由来のプ
昨日に引き続いて日本社会独特の「メディア」屏風絵表現について。わたしという人間はずっとメディアという産業につ
さて昨日まで3回にわたって鎌倉歴史文化交流館の建築について解剖しました。非常に興味深い建築ですが、その建築の
イギリスの建築家ノーマン・フォスターによる建築「鎌倉歴史文化交流館」をみているけれど、建築の重要な要素としての
紹介している建物は歴史文化交流館という使用途の建築ですが、外見的な印象としては大きな石材平面が複数、並列してい
Apple社新社屋を設計し、爵位を持つ貴族で大企業経営もするというイギリスを代表する建築家、ノーマン・フォスタ
どっぷりと四国・梼原の隈研吾建築に浸っておりましたが、一段落。ただ、全国で公共建築の木造化が進んでいて、その
隈研吾の梼原町での建築の最初は「雲の上のホテル」だったそうですが、現在まだ建て替え工事中。やむなく写真の町営
隈研吾の梼原町での建築の最初は「雲の上のホテル」だったそうですが、現在まだ建て替え工事中。やむなく写真の町営
隈研吾建築がまちのトレードマークにもなっている高知県・梼原町。正月休暇での夫婦旅で訪問させていただいた様子の
梼原と隈研吾建築の探究。本日は公共建築そのもの、梼原町総合庁舎。訪問出来たのは正月の休みだったので非公開時期