『毎田周一全集第四巻』より称名に於いて私達は自己を見る。名号といふ真理の鏡に映された自己の姿を見る。その時映された自己を見るものは、却って鏡自身であり、真実の自己が見るのである。称名によって起る内省・自覚は、そこに映された自己を見ることにょって、却って私達自身が真実の自己となることである。真実の自己とは常に見られた自己の側にはなくして、見る自己の側にある。今名号といふ真実の自己の鏡に映されて自己を見るとき、この見る自己が真実の自己であり、それは鏡自身である。そしてそれは私達自身である。これが称名によって起こる内省・自覚といふことであって、即ち私達が真実の自己となることである。このようなことが起こるのは、ひとへに名号が(自覚的真理として)私達の真実の自己の表現であるからである。そしてそれが称名されることに、...行為的直観