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先生が好きだから、彼とは別れた。 https://blog.goo.ne.jp/yoshi-pri/

塾で出会った先生との18年に渡る記録。そして今。

15歳の時塾で先生に出会い、恋をする。でも先生だから。 でもでも告白できず2年間片思い。 2年後告白、・・そして。

ひまわり
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2008/05/12

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  • 俺でもいいか?

    先生と2年ぶりに再会しデートをし、タクシーで先生の自宅へ。その後車で六甲山をドライブし、私の自宅へ送り届けてくれることになったその夜。口数はお互い少なかった。であったころなら、もっといろいろ話したよね。学生だったから元気もあったかなあ。要するに年を重ねたらいちいち言葉にしないでもいいことも増えていたかも。それでも言わないでも何か感じるものがあった。ドライブ中ずっと手をにぎってくれていた。明らかに手ごたえがあった。何かがかわる・・・・と。そして、何度も私と先生は唇を触れさせていた。そして俺でもいいか?と。聞いてきた。俺でもいいか?

  • 先生とデート

    先生も社会人になり私もバイトしながら半年後の出発を目指して手続きを進めていた。そんなある日の夜先生と私は神戸でデートした。先生は26.私は19になっていた。先生は私の彼ではなかったけど、先生はスーツにネクタイ。私は・・・ごくごく普通のカジュアルな感じ。不釣合いなカップルだなあと思ったけど神戸にある居酒屋でご飯を食べて『うちまで送ってくよ』と先生がいってきた。でも先生車通勤じゃないよね。『今から俺の家いって車とってからそこからドライブ』ってことだった。三宮からタクシーで先生の家までいった。20分くらいだったかなあ。私は先生によりかかり先生の手を握っていた。先生とデート

  • 2年ぶり。

    私と先生は2年ぶりに再会してしまった。偶然にも。『ちょっと遅くなるから。』家に電話をかけた。もう家はすぐそこなのに。久しぶりに見る先生何も変わっていなかった。『俺就職決まってな。神戸にあるP&Gで働くことになった』そっか・・・先生ついに社会人かあ。私は・・『彼とも別れて、時期は未定だけどオーストラリアいくよ』気がついたら私と先生は腕をくんで歩いていた。私の気持ちは・・・ふらふらしていた。やばい。先生といたら・・・また好きになってしまう。『今度ご飯でもいこうか』と先生から誘われた。2年ぶり。

  • まさか。出会ってしまう。

    短大を卒業してからというものの私は日本を離れる手続きやら資金稼ぎのためのバイトで忙しくしていた。オーストラリアで最低半年、長くて1年勉強しようと海外留学を決意した。そのバイトの帰りだった。バスを降りて歩いていたら妙に見たことのある人が前を歩いている。そう・・・先生だった。高校3年の時に別れた塾の先生。まさか。出会ってしまう。

  • 短大卒業式は。

    阪神大震災の影響で私の在学した短大も大きく被害を受けた。3月の卒業式は私服で何とか行われると学校から手紙が届いた。クラスメートに会ったのは成人式の翌日が最後だった。荷物も大半は学校にあった。もっと話しておくべきことはたくさんあったのに・・・卒業式の日友達と涙の再会だった。卒業式のあとみんなで梅田でお別れ会かねて夕食にいった。涙がとまらなかった。地方から出てきている友達はUターン就職のため地元へ戻っていった。元気でね・・・・・1995年春。短大卒業。二十歳の春。阪神大震災から3か月後、私は就職をせず海外で勉強することを決めた。短大卒業式は。

  • 男ってのはな。

    震災から2か月後私とk君は再会した。電車も動き始めなんとか・・会えた。久しぶりのk君。k君から『お誕生日だったよな。』とマフラーをもらった。私の誕生日は年末。とっくに年もあけてもう春。なぜ。k君と私が別れたのは私の誕生日の直前。『本当は渡すつもりだったけど・・別れてしまったから渡せなかった』3か月遅れのバースデープレゼントを複雑な思いで受け取った。そしてベッドで座って話していた。『え?k君』私は変な感触を感じた。k君は私を求めてきていた。私の体を触り始めていた。嬉しかったけど、でも私はそれ以上無理だった。セーターを脱がせようとしたk君に抵抗した。『男ってのは二人きりになると付き合ってなくてもそうなるんや。』これがk君との最後になった。私はもらった誕生日プレゼントをおいてマンションを出た。男ってのはな。

  • 大丈夫か?

    1995年神戸を襲った阪神大震災私はその中にいた。自宅は大きな損傷はなかったものの、家の中は大変なことになっていた。あと少しで倒れていたら・・・私は家具の下敷きに。命はなかったよね。怖くて朝k君に電話した。私たちは別れていたけど、思いついたのは彼は大丈夫なのか?彼のマンションは無事だった。ただそこから電話はつながらなくなった。『大丈夫か??』何度かつながる電話を手にk君は電話をくれた。『会いたい』これが私の気持ちだった。神戸は電車も半分は動いていない時もありk君に会いにいくにも行くことは出来なかった。それでも・・私たちは震災から2か月後再会した。大丈夫か?

  • 亀裂そして。

    結局K君とはk君の大学の女の子が常に家に出入りしたり電話があったり私は気の休まるところがなかった。それが原因で私とK君は結局1年で破局を迎えた。短大卒業はもう目の前。k君と別れてから数ヶ月後・・この日が人生を変えるとは思っていなかった。1995年の神戸阪神大震災。私は自宅で震災を目の前で・・・轟音と。轟音を聞いて私はK君に電話したのを今も覚えている。助けて・・・・と。早朝に。亀裂そして。

  • いいところ、わるいところ

    k君と付き合い始めて1年近くたっていた。もう間もなく私は短大も卒業。k君のいいところは紳士的で優しいところ悪いところは女の人がいて心配。また私の悪いところは嫉妬深い・・・だった。人にはそれぞれそうやってマイナーポイントもあるけどそこばかりみていては関係など続かないのだ。先生と一緒だった時はそういうこと感じたことなかった。k君とは考えることが多かった。たぶん女性関係かなあ。別に悪いことされてなどいないしいつもまめに何でもしてくれるk君。いいところ、わるいところ

  • 心配

    k君との付き合いは順調すぎていた。バイトが同じということで一緒にいる時間が結構多かった。別々でもk君が会いにきてくれたり。ごくごく普通の悩みのない関係に見えた。確かそうだった。幸せ一杯。でもk君の周りには女の子が常にいた。事も事実だった。大学にいる女の子でいつも電話がかかってきていたりグループで出かけていたり、私のいないところで女の子の存在があった。何もないという割りには私には気になっていたし私と会えないのに女の子達と泊まりで出かけてみたり。別に何もないんだろうけど嫉妬していた私。そういう問題とはいつも隣り合わせだった。それが喧嘩のもとだった。心配

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