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  • 【沖縄の偉人 part 4】

    沖縄が琉球と呼ばれていた頃、中国や朝鮮、東南アジア諸国との交易が盛んに行なわれていました。 そしてそこから知識や学問を持ち帰り、琉球の文化、産業発展に尽くした偉人達が居たのです。 張 献功 ↑↑ (cho kenkou) 生年不明〜1638 沖縄に帰化した朝鮮人陶工。一六ともいい、和名を仲地麗伸と名乗った。 王命を受けた張は御用品を製作するなど、沖縄の陶芸界に大きな足跡を残した。 ← e〜絵だな〜って思ったら♪CLICK♪ ← ブログ村 イラストランキングへご協力CLICKを♪

  • 【トロピカル island】

    梅雨前線が如々に北上し 沖縄から遠ざかっていきます。 しかし昨日は朝から降ったり止んだり。 なんか中途半端な感じでユーウツな一日でした。 どうせ降るんだったらドバーッと豪快に降って欲しかったです。 そしたらホコリや排気ガスも綺麗に洗い流してくれたでしょー。 もちろんその後はカラフルな“トロピカル アイランド”が微笑みます♪ ※ island を「アイスランド」と読んでいたのは私だけでしょーか? ← e〜絵だな〜って思ったら♪CLICK♪ ← ブログ村 イラストランキングへご協力CLICKを♪

  • 【沖縄の城 part_1】

    沖縄は小さな島国ではありますが それでも琉球国と呼ばれた時代には様々な勢力争いはありました。 時の地方指導者は自らの権力の誇示と、外敵の侵略に備え堅牢な城を築きました。 【座喜味城址】 西海岸を見渡せる標高125mの丘の上に築かれています。築城年代は15世紀前半で、座喜味の北東4kmに位置する山田城の城主・“護佐丸”(ごさまる)が北山監守の時、山田城を取り壊してその石材を運ばせてつくらせたと伝えられています。 城は主郭と二の郭からなり、外周365m、総面積7,385平方メートルで、沖縄の城としては中規模のものです。城壁は琉球石灰岩による“あいかた積み”を基調と..

  • 【沖縄の偉人 part 3】

    近世沖縄で、ウチナーンチュとしてのアイデンティティーを守り通した人々が居ました。 彼らは沖縄を愛していました。空と海と自然をメロディーにし、またある人は沖縄人の尊厳を守るために闘ったのです。 ↑↑宮良 長包 (miyara tyohou) 1883〜1939 沖縄の音楽家。 大正中期から昭和初期にかけて沖縄県師範学校で教鞭を執りながら作曲活動に取り組みました。 代表曲に「赤ゆらの花」「えんどうの花」「夕やけ」「なんた浜」「汗水節」などがあります。 ↑↑謝花 昇 (jahana noboru) 1865〜1908 沖縄の自由民権運..

  • 【OKINAWAN HERO】

    わした島ウチナーからもいろんな分野で頑張ってる人がいっぱい居ます。 芸能界でいえば あむろを初め、ビギン、ダ・ダンプ、仲間由紀恵、ガレッジセール、‥‥後ほど付け加えます‥‥ そしてスポーツ界でいえば 具志堅用高も凄かったけど、やっぱし今は宮里 藍ちゃんでしょー! ← e〜絵だな〜って思ったら♪CLICK♪ ← ブログ村 イラストランキングへご協力CLICKを♪

  • 【沖縄の偉人 part 2】

    沖縄が琉球と呼ばれていた頃、中国や朝鮮、東南アジア諸国との交易が盛んに行なわれていました。 そしてそこから知識や学問を持ち帰り、琉球の文化、産業発展に尽くした偉人達が居たのです。 大見武 憑武 ↑↑ (oomitake hyobu) 1642〜1713 薩摩では紙漉きを学び、中国の揚州からは琉球漆器の螺鈿に使う貝の煮方を学んで来て、その技術を琉球に導入しました。 玉城 朝薫 ↑↑ (tamagushuku chokun) 1684〜1734 琉球芸能“組踊”の創始者..

  • 【赤瓦屋根】

    沖縄は昔から“台風銀座”なんて有り難くない名前を頂いております。 でも何で銀座なんでしょう? やはり多くの人たちが行き交うように台風も行き交いたかったからなんでしょうかネ。(意味不明) 沖縄の人々は台風に備えて色々な工夫をしました。 家の廻りに石垣を組んだり、風に強いフクギを植えました。 そして極め付けはこれです。↓↓↓ 赤瓦を漆喰で塗り固めて飛ばされないようにしました。 その分 重くなりますから二重の効果があった訳です。 ちなみに屋根の上に鎮座している“シーサー” 屋根葺き職人さんが漆喰の残りと瓦の欠片で作ったのがルーツなんですヨ。知ってました?..

  • 【スポーツ】

    ゴールデンウィークも終わり 皆さん疲れの残った身体を引きずりながら仕事や勉学に頑張っていることでしょう。 私は歳のせいか最近あまりエキサイトすることがありません。 以前はテレビのスポーツ番組を観戦しながら独りだけ嬌声をあげて家族からひんしゅくをかったものです。 ←左の解説をします。 ま、デッドボールを喰らった選手がエキサイトのあまり持っていたバットで相手投手の頭を殴ってしまった‥‥ 絶対あってはいけない事です。 右の解説をします。→ フリーキックのチャンス! でも時としてあり得ない事が起こったりするものです。 ボール..

  • 【沖縄の偉人 part 1】

    沖縄が琉球と呼ばれていた頃、中国や朝鮮、東南アジア諸国との交易が盛んに行なわれていました。 そしてそこから知識や学問を持ち帰り、琉球の文化、産業発展に尽くした偉人が居たのです。 ← 野国 総管 (noguni soukan)生没年不詳 進貢船の総官として中国に渡り、そこからイモの苗木を琉球に持ち帰りました。 ある年、大飢饉にみまわれ五穀は実りませんでしたが人々は、そのイモによって救われました。 儀間 真常 → (gima shinjho) 1557〜1644 琉球最大の産業功労者。 野国総官が持ち帰ったイモの栽培..

  • 【わしたウチナ~】

    沖縄は“常夏の島♪”‥この世のパラダイス♪‥酒は旨いし女は綺麗だ♪‥‥‥‥‥ なんて〜のを信じて 沖縄へいらっしゃる方もいらっしゃると思います。‥が、でも半分は当たってます。 ゴルフでホールインワンしても一応 カップの中を覗いてからボールを取るようにしましょう。 ‥だってハブが昼寝してるかも知れないですヨ。 これからの沖縄は けっこう湿度が高くなってきます。 ですから何って言いますか‥‥‥ま、私が言いたいことは‥‥ あ、そうだ!天気予報と よく相談しながら お洗濯を始めたら良いんではないかな〜?‥っと思っただけです。 ..

  • 【マンタウェイ】

    沖縄の海を悠々と泳ぐオニイトマキエイ。 私たちは親しみを込めて“マンタ”と呼びます。 そして彼らの通る道を“マンタウェイ”といいます。 コジマヨシオでもミルキーウェイでもありません。 あ、空を飛ぶことは無いです。ましてや背中にお家も背負ってません。 ← e〜絵だな〜って思ったら♪CLICK♪ ← ブログ村 イラストランキングへご協力CLICKを♪

  • 【鳥の眼】

    先日“首里城”のことをウンチクしましたが 本日は捕捉的な日記です。 ←左は あの忌わしい大平洋戦争で 雨霰(あめあられ)と降り注ぐ砲弾の中で姿を消していった首里城本殿です。 当時も こんな真っ赤っかな壁だったかは、私は見てないのでさだかではありません。 右は 世界遺産に登録された建造物遺構群の城壁です。→ 琉球石灰岩で構築された みごとな曲線です。 外敵に備えた古人(いにしえびと)の知恵に感服です。 もちろん 植栽にも気を使ったと思われます。 そして私が空高く飛ぶ鳥の眼を持っていたなら“首里城”は こんな感じで見えたんではないかと..

  • 【休憩する門?】

    沖縄観光のメッカ“首里城” 世界遺産に登録されて久しいですが‥‥ ん!でもチョット待って下さいヨ! たしか“世界遺構群”ってことでの話です。 つまり昔から残っているのが対象なんですネ ってことは 首里城本殿(戦火で消失後に再建した)は世界遺産では無いってことです。 外構(石垣)は もちろん世界遺産ですけれども‥‥。 首里城の北側にある“久慶門”(きゅうけいもん)↓↓↓ ↑↑↑たまに歩き疲れて“休憩したいもん♪”って甘える言う人も居るらしいです。 ちなみに沖縄では休憩のことを“ナカユクイ”って言います。 ← e..

  • 【旅たち】

    遅くなりましたが 新年度に進学や就職と旅立った皆様 おめでとうございます。 “船出”って言葉があります。 ある意味、とても重たい言葉です。 むかしの人は船に乗って遥か彼方の水平線に向かう時に 思ったことは“希望と挫折”。 この相反することにチャレンジしたのです。 でも きっと皆様は いつか“ニライカナイ”に行き着くことでしょう。 ← e〜絵だな〜って思ったら♪CLICK♪ ← ブログ村 イラストランキングへご協力CLICKを♪

  • 【EYE】

    ひとの肖像を描くときに 最終的な“決め”は眼だと思います。 唇の描き方で笑ったりムッツリしたりはしますけど 眼は そのひとの人格と歴史を感じさせるからです。 ← e〜絵だな〜って思ったら♪CLICK♪ ← ブログ村 イラストランキングへご協力CLICKを♪

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