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  • 「こころの宇宙」 第23回 -「無」からの宇宙の誕生ーⅩⅣ

    現代の量子力学による宇宙の誕生ー無から誕生し、インフレーションを引き起こしてビッグバンに到る。この一連のプロセスを追っていくと、仏法や神話に描かれている宇宙の創生(虚空ー「無」からの宇宙の誕生)=生命観に近づいていることがわかりますね。仏法の思想というと「無常」の概念を思い出す人が多いのではないでしょうか。これは釈迦が「法華経」以前の諸教で説いた中心的な思想になります。爾前教(「法華経」を説く以前の諸教)を説き終えた釈尊は、時を知り、終に「法華経」を説き始めます。こうして説かれていった「法華経」の中では、生命の永遠性と徹底した生命の尊厳が説かれています。釈尊の出世の本懐ー現世に出現した目的は、この「法華経」を説き、生命の本質を明らかにすることでした。従って仏法は「法華経」を中心に考えていかなければその本質を見失...「こころの宇宙」第23回-「無」からの宇宙の誕生ーⅩⅣ

  • 「こころの宇宙」 第22回 -「無」からの宇宙の誕生ーⅩⅢ

    最初に「トンネル効果」によって誕生した原始の宇宙を、親宇宙(マザー・ユニヴァース)と呼ぶことにしましょう。このマザー・ユニヴァースから、無数の子宇宙(チャイルド・ユニヴァース)が生まれてきます。この課程は更に繰り返されて、孫宇宙、曾孫宇宙と続いて、宇宙が際限なく生まれていくことになります。こうした一連のプロセスの中で、宇宙エネルギーは一挙に開放されて火の塊になります。これが相対性理論の「ビッグバン」の始まりですね。ところで、宇宙が生まれるプロセスの中で、「トンネル効果」という言葉がでてきましたね。この「トンネル効果」について説明をしましょう。例えば、ここに一つの山があると考えて下さい。一方の山の裾から別の裾へ行くためには山頂に登って、下っていかなければいけませんね。ところがミクロの世界では粒子(これを一個のボー...「こころの宇宙」第22回-「無」からの宇宙の誕生ーⅩⅢ

  • 「こころの宇宙」 第21回 -「無」からの宇宙の誕生ーⅩⅡ

    ところで、現代の物理学では「無」をどのように捉えているのでしょうか。ここで物理学での宇宙の誕生を考えてみることにしましょう。1984年にウクライナ出身の理論物理学者が、「フィジックス・レターズ」という物理学論文誌に一つの論文を掲載しました。論文のタイトルは「無からの宇宙創生"CreationofUniversefromNothing"」で、物理学者の名前はアレキサンダー・ヴィレンキン(AlexanderVilenkin)です。ヴィレンキン博士のこの論文は、学会に大きな波紋を投げかけました。博士はこの論文の中で、宇宙は「無」から生まれたと主張したのです。物理学でいう無とは、時間、空間、エネルギーのそれぞれが全く存在しない状態を指します。時間、空間、そしてエネルギーのない状態から宇宙が生まれる。これは一般の常識では...「こころの宇宙」第21回-「無」からの宇宙の誕生ーⅩⅡ

  • 「こころの宇宙」 第20回 -「無」からの宇宙の誕生ーⅩⅠ

    実は仏法で言う五百塵点劫とは、特定の時期を指しているものではありません。仏法では生命は無始無終であり、永遠のものとされています。私たちの生命現象は宇宙そのものでり、限りある存在としての生命の中に無限を包含することによって、限りない生成発展の可能性を持っています。この生成発展の可能性ー根本にある清浄な生命を「仏性」といいます。五百塵点劫とは、釈迦が生命の本質を悟った時を表しているだけではなく、その奥底では生命が即(そのまま)宇宙であり(宇宙即生命)、無始無終であることを表しているのです。私たちの持っている有限という概念では推し量ることのできないものーそれが生命なのですね。釈迦はこのことを悟り、使命の道を歩き始めたわけです。久遠元初の原始宇宙の誕生ーこれは、宇宙に始まりがあったことを意味しています。つまり、宇宙は有...「こころの宇宙」第20回-「無」からの宇宙の誕生ーⅩⅠ

  • 「こころの宇宙」 第19回 -「無」からの宇宙の誕生ー Ⅹ

    三千塵点劫という遙かな昔に、釈尊が既に法華経を説いていたーこれは私たちの時間と空間の概念を打ち破るものですね。「法華経」は生命の本質ー実相を説いたものです。従って、その中で描かれる時間と空間の概念は途方もなく大きなものになっています。このことは、生命の本質ー生命の永遠性を攫んでいこうとする姿勢を持たなければ、理解をすることが難しいでしょう。しかし、一度この生命の永遠性ー生命の無限の可能性を理解することができれば、私たちは生命の価値ー生きていくことの意味を新たに認識していくことができます。ここで話を日蓮聖人の消息文に戻しましょう。消息文の始めには五百塵点劫という表現が出てきますね。これは、五百千万億那由多阿僧祗という膨大な数の三千大世界(阿僧祗は数えることのできない長い期間を表しています)をすり潰して得られた微塵...「こころの宇宙」第19回-「無」からの宇宙の誕生ーⅩ

  • 「こころの宇宙」 第18回 -「無」からの宇宙の誕生ー Ⅸ

    今日は、本日から「こころの宇宙」第二章、「無」からの宇宙の誕生の第二部、「法華経」の宇宙(生命)観と宇宙の創生に入ります。「法華経」の宇宙(生命)観と宇宙の創生釈迦如来五百塵点劫(じんてんごう)の当初(そのかみ)、凡夫にておわせし時、我が身は地水火風空としろしめして、即座に悟りを開き給ひき。これは、鎌倉時代に「法華経」に対して絶対帰依の道を歩んだ日蓮聖人の消息文です。ここでは、釈尊がまだ成仏する以前ー凡夫であった遠い昔に、自分の身=生命が、地水火風空=全宇宙であることを知って成仏したと書かれています。釈尊が成道することが出来たのは、自分の生命が宇宙と一体であることー生命が宇宙の根本法則の現象化であることを悟ったからだったのですね。ではここで、語句の解説を加えながら、消息文の内容を考えていくことにしましょう。まず...「こころの宇宙」第18回-「無」からの宇宙の誕生ーⅨ

  • 「こころの宇宙」 第17回 -「無」からの宇宙の誕生ー Ⅷ

    ウパニシャッドに歌われている宇宙の本体ーブラフマン(梵)と個人としての主体ーアートマン(我)は、このフラクタル性を表現したものと考えることができます。ウパニシャッドでは巨大な生命体である無限の宇宙ーブラフマンと、個人としての有限な存在であるアートマンの両者は一体のものであり、アートマンはブラフマンの個体としての表出でしたね。そしてこのブラフマンの現象化である私たちの中には、ブラフマンと同様に無限の可能性が含まれているわけです。この考え方はキリスト教での神と人間の関係にも当て嵌めることができます。神=宇宙の根本法則は、人間=個人の主体の中に存在する。巨大な宇宙法則の現象化としての人間の存在という考え方は、やはりフラクタル性を表しているということができますね。しかし、キリスト教においては、神が全能であるという一点だ...「こころの宇宙」第17回-「無」からの宇宙の誕生ーⅧ

  • 「こころの宇宙」 第16回 -「無」からの宇宙の誕生ー Ⅷ

    ところで、宇宙の星を構成している元素の成分ー水素、ヘリウム、酸素ー等と私たちの身体を作っている元素の成分ー水素、酸素ーは似ていますね。私たちは宇宙を構成している元素によって作られています。私たち人間も、星も宇宙の中では同族なのですね。宇宙はまさに、私たちという生命現象の拠り所であるわけです。宇宙という巨大な生命の源から私たちは生まれ、同時に、宇宙は私たちと環境の総てを包み込んでいます。このように考えていくと、私たちという存在は宇宙の中の小さな一部ではなく、宇宙そのものであることに気が付きますね。私たちの存在は、宇宙が存在していることを証明する現象にもなっているわけです。部分が全体の形を表し、全体は部分の形を映し出すーこのような考え方を「フラクタル"Fractal"」と呼びます。宇宙という全体像に私たちという存在...「こころの宇宙」第16回-「無」からの宇宙の誕生ーⅧ

  • 「こころの宇宙」 第15回 -「無」からの宇宙の誕生ー Ⅵ

    ところで、ウパニシャッドや仏法に描かれた「虚空」や、空から生み出される宇宙とはどのようなものなのでしょうか。宇宙という現象を捕らえていくためにここでまず、宇宙の語源について考えて見ましょう。「宇宙」という言葉は紀元前二世紀頃に書かれた、中国の「准南子(えなんし)」という書物に既に使われています。「准南子」の斉俗訓の中には「四方上下を『宇』といい、往古来今を『宙』という」と書かれています。「宇」-四方上下ーは空間の拡がりを表し、「宙」-往古来今ーは時間の経過を表していますね。「准南子」でいう「宇宙」とは総ての空間と、過去・現在・未来という時間の流れを含んだものということが出来ます。宇宙は時間と空間、そしてそこに生まれる一切の現象を包含しているものなのですね。このように古代の人々が宇宙を時間で捕らえようとしたことは...「こころの宇宙」第15回-「無」からの宇宙の誕生ーⅥ

  • 琵琶湖周航の歌 斉唱版

    今晩は、先日「知床旅情」を紹介した時に「琵琶湖周航の歌」も是非紹介して欲しいとの声を頂きましたので、今日は「琵琶湖周航の歌」をお届けします。この曲は第三高等学校(現京都大学)のボート部が学年末の琵琶湖周航に出た時に小口太郎が詩を作り、それに吉田千秋が作曲した「ひつじぐさ」のメロディーをつけて歌ったのが始まりとされ、その後三高の寮歌として定着していきました。70年代に加藤登紀子が歌って大ヒットを記録したのはまだ記憶に新しいところですね。(作詞、作曲した小口太郎と吉田千秋はともに20代の若さでこの世を去っています)三高では明治26年に初めて琵琶湖周航が行われ、以後学生たちによる学年末の恒例行事になっており、これは昭和15年ころまで行われていました。コースは三保ケ崎から西岸を北上する時計回りのもので、4泊5日、もしく...琵琶湖周航の歌斉唱版

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