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歴史感想 http://yoshino-rekishi.seesaa.net/

歴史は人間の智恵の集積であります。

歴史が人間が考えて悩んで行動した結果であります。 この歴史を学ぶ事は我々に取って大切な事であると想います。

勝海舟
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2008/04/04

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  • カミソリ大臣 陸奥宗光(最終回)

    新しき時代『明治』の御世に誕生した 新しき日本が 本格的に世界の舞台へ踊り出る時が迫ってきました。 明治二十七(一八九四)年五月 朝鮮半島において 内乱が起きます。 『東学党の乱』 (歴史の授業で習ったような気がします。) 日本は軍を派遣します。 当時の 朝鮮政府が 日本に要請したといわれています。 そして 朝鮮政府は 日本軍と 同時に 別の国にも 軍の派…

  • カミソリ大臣 陸奥宗光(第四回)

    学生時代 日本史の授業で 必ず出てきたのが 明治政府の『条約改正』問題 この問題が 日本という国の歴史にとって 如何に大きな問題だったかを物語っているように 想えます。 徳川幕府の結んだ不平等条約 それは 維新の動乱を起こす 原因の一つ 一大事件だったのです。 一、『治外法権』を認めさせる ⇒犯罪など犯しても 日本の法律が…

  • カミソリ大臣 陸奥宗光(第三回)

    立派な髭を蓄えた陸奥宗光の肖像画を見ると その表情には 『理屈っぽさ』を感じます。 そして その目をじっくり観ますと カミソリの異名に相応しい 怜悧なものを見受けられます。 それが肖像画から感じる自分の感想です。 自分にとって 冷たい印象の強い 大久保利通よりも怜悧に感じました。 そんな 陸奥が 我を忘れて 怒りに任せて行動した事件がありました。 陸奥が龍馬暗殺の黒…

  • カミソリ大臣 陸奥宗光(第二回)

    陸奥宗光 彼の奥方の肖像画を御覧になったことがありますか? 『・・・・・』 『なんて綺麗なんだろう!!』 『美しい』 心から そう想います。 陸奥亮子様 夫の宗光がアメリカ公使として渡米した時 アメリカ人も彼女の美しさに驚いたそうです。 『当然だと想いました!!』 しかも 大変賢い女性で 英語も完璧にマスターしていたようです。 『ワシントン社交界の華』 そんな評価…

  • カミソリ大臣 陸奥宗光(第一回)

    日本史上においても 優れた能力を持ち 素晴らしい成果を挙げた外務大臣 日本史上でも 五本の指に入る外務大臣ではないでしょうか? いや なかには 最高の外務大臣という評価もあると聞きます。 『陸奥宗光』 学生時代 教科書や資料に 掲載されている 彼の肖像画を見た時 『日本人なのか?』 そんな印象を持ちました。 更には 秋山好古 大久保利通など まるで 西洋…

  • 鬼武者三代目 結城秀康(最終回)

    越前を拝領しました 結城秀康 今 彼の像が 越前 福井城址に建っております。 その像は 馬に乗った甲冑姿の勇姿です。 この像を観るだけでも 彼が どのようなイメージを持たれた武将であったかという事を 創造出来ます。 関ヶ原の戦い後 父・徳川家康は征夷大将軍に就任致します。 そして 江戸に幕府を開きました。 越前に領地を持った秀康は この事をどのように想っ…

  • 鬼武者三代目 結城秀康(第九回)

    豊臣が織田から政権を奪取したように 今まさに 徳川が豊臣から政権を奪取しようとしています。 時代は遡れば 手法は違いますが 北条が源氏から政権を奪取する様子 足利家が北条 鎌倉幕府から政権を奪取した事も共通するものを感じます。 それは 『もともと臣下であった』 まさに『下克上』 『臣下が主君から政権奪取する』 というものでした。 それを…

  • 鬼武者三代目 結城秀康(第八回)

    慶長三年(一五九八) 戦国の世を駆け抜けた 稀代の英雄 太閤・豊臣秀吉が此の世を去りました。 『秀吉無き豊臣家』 皆様御存知だと想われますが その基盤は揺らいでしまいます。 秀吉の忘れ形見 『豊臣秀頼』を支えるべき 五大老・五奉行の体制も その機能は働いていたのでしょうか? ドラマなどでは 家康のやりたい放題が取り上げられますが 実際は 徳川家康と前田利家の …

  • 鬼武者三代目 結城秀康(第七回)

    結城秀康(ゆうきひでやす) 徳川家康の次男として誕生し その後 豊臣秀吉の養子となり そして 天正十八年(一五九〇) 関東の名族 結城家の養子となりました。 『養子』 当時としては珍しくない この『養子』という制度 戦国の世を生き抜くためには 必要な制度だったことでしょう。 いや 戦国だけでなく 昭和の世まで 御家を存続する為に必要だったようです。 …

  • 鬼武者三代目 結城秀康(第六回)

    戦国時代 関東の覇者として その武勇を大きく轟かせ 戦国の扉を開いたとも言われる 『北条早雲』 を祖に持つ 北条氏 鎌倉時代の北条氏と区別する為に 後世において 後北条氏とも言われてます その北条氏も 秀吉の手により滅ぼされてしまいます。 毛利や上杉 徳川が 秀吉に従ったように 北条も秀吉に従っていたら また違った豊臣政権になっていた…

  • 鬼武者三代目 結城秀康(第五回)

    天正十二年(一五八四) 『小牧長久手の戦い』が終わった後 徳川家康の次男 『於義丸(おぎまる)』 彼はこの頃 十歳くらいでしょうか? 『養子』という名の『人質』 どのような想いで大坂へ赴いたのでしょう 秀吉は 於義丸を 家康から 預かりました。 『二人の政争の道具』 どんな想いを抱いていたのでしょうか? 覚悟は出来ていたのでしょうか? 『覚悟』…

  • 鬼武者三代目 結城秀康(第四回)

    戦国時代も終盤に近づくと同時に 徳川家は 日本国の中で無視出来ない存在になっていきます。 かつては 今川義元の代名詞 『海道一の弓取り』 その呼び名に相応しいまでの 力をつけていました。 徳川家康 そんな実力を付けた 家康の前に ある武将が 家康の前に立ちはだかったのでした。 そのさる武将 いや ある武将は 恐らく 『信長の全てを継承したい男』であった…

  • 鬼武者三代目 結城秀康(第三回)

    家康の凄かったところは 自分の後継者をしっかりと しかも 的確に選んだ事だったと想います。 数多くいる候補の中で その時代に合致した後継者を選んだと言えるでしょう。 その選択が間違ってなかった事は 二五〇年という時の流れが証明しました。 それにしても 徳川家康にとって 『信康の死』は 痛恨の出来事であったでしょう。 三国志の英雄 魏の曹操(そうそう)は 優秀な…

  • 鬼武者三代目 結城秀康(第二回)

    結城秀康(ゆうきひでやす)の母は 父・家康の正妻である築山殿(つきやまどの)の 奥女中であったといわれています。 これが事実ならば 今川家の名門出身である正妻の築山殿の 心中が想像出来ます。 当然、家康も想像出来たようです。 重臣の『鬼作左(おにさくざ)』こと本田重次に 秀康の母を預けました。 重次に匿われながら 何とか無事に 後の結城秀康こと 於義丸(おぎまる)は誕生…

  • 鬼武者三代目 結城秀康(第一回)

    関ヶ原の戦いの前に 上杉討伐に赴いた徳川家康の 東征中に 『石田三成挙兵』 日本の運命を変える情報が飛び込んできました。 小山評定において 家康は上杉征伐に従って来た武将達に決断を促し 結局 大部分の将達が 家康と共に 『石田三成討伐』に向かいました。 その時 上杉景勝や直江兼続の備えとして 関東に残した総大将が 『結城秀康』その人でした。 この時の彼の心境はどのよ…

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