孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
田中角栄総理が、在職中 日本が戦争の巻き込まれる事に付いて質問した記者への応答が面白かった。『実際弾の下潜って生き延びた 実戦体験者が居る内は絶対日本が戦争に巻き込まれるような阿呆な事はしない 我々
10月14日から11月24日まで、京博(京都国立博物館)で、開催される『佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』展を愉しみに心待ちしている。既に観覧券の手配も出来ている。 元は 鴨の御祖に巻子として伝えられたも
他人の見る眼 見た目の衰えと、自分自身気持ち 心の持ち様にも衰えを感じるような事が多くなってきた。仕事が忙しかった日 すこし前までは、今日は売上が上がったから祝いに一寸寄り道と言う事がしばしばだった
医療の仕事と言うのは、人々を病苦から守り 命を長らえる事に尽力して頂くという 職業の特殊性から 人々の崇敬を集め先生と呼称する。其の職 業務内容に対する念の有る事は言うまでもないし 又医師も患者の言
最近は 見かけることが殆ど無くなったが、少し前まで 人が亡くなって死亡通知とか 葬式会葬の案内 新聞掲載にも、『諸薬石効無く・・・・』身罷ったと言う 前置きが必ず付いていた。 諸薬は 薬剤の事
左程親しくは無いのだが、同じ年、同じ町内に暫く住んで居た事もあり、又柳居子の息子と 其の人の息子さん「茂」君が高校で同級生と言う事も有り、お眼に掛ったら挨拶を交し 一度だけ町内に在った フレンドとい
『先日 読売新聞の一面を読んでいて知った事だが、今年はセントラルリーグ 巨人が優勝したそうだね。』と、言ったら 同席の人が、顔を見合わせ呆れ顔をして一言も反って来なかった。 興味が無いという
日本の伝世の文化財 後の世の発掘では無く伝わった物の多くは、紙とか木・糸・布と云うような非常に脆弱な材料で作られた物が残っている。何百年・物によっては千年を越えで伝わった物が有るが、何の手の施しもせず
昭和の戦前と戦後を、其々一世と分けて考えると、一世風靡どころか二世を風靡して 平成時代も活躍した歌手と言えば 淡谷のり子を挙げて異存の有る人は少ないと思う。歌唱のレパートリーは、流行り歌だけでは留ま
自分自信が顔役だなんて思った事も無いが、真面目にコツコツと場所を変えずに、人を迎えたり送ったりする仕事を長年続けていると、顔馴染みち云うのは数が増えてくる。 『顔役ですね。』と、思いも掛けぬ人
「殺してしまった。」「死ぬとは思わなかった。」今の時代如何に命を軽く捉えるか 考えているのかを象徴する言葉かと思う。 さいたま市で起こった小学四年生の殺害事件も、義父が、再婚相手の子供を首を絞
平成時代に開催されたと言っても、今年三月に 近所の診療所主催の『健康塾』という啓蒙の催しの参加者に配られた冊子「健康塾通信」の中に。京都大学名誉教授 海原徹氏が『歴史ドラマの功罪』という一文を寄せて
環境省前大臣の発言を巡り、色々と取沙汰されている。増え続ける汚染水の処理 今の人智に、海上投棄以外にどの様な手段が有るのだろうか。皆が其の事を薄々知っている。しかし誰も口にはしない。国の環境面の安全
昨日は年寄の日。正式には〖敬老の日〗と言うのだそうだが、若い人から敬われる年寄になっているか如何かは、自分自身には判らない。 柳居子は未だ現役の様な顔をして、毎日お客様をお迎えする身だから、色
仏教が 我が国に齎(もたら)されて、天皇を筆頭として貴顕の帰依を受け、寺・寺院と言うのは歴史の表舞台・裏舞台に隔てなく其の存在感を示し続けている。元号を寺名に冠した寺は、篤く国家から庇護され 又未だに
「甲斐性がある」と 云う言葉は、かいがいしい性格とか、頼りになる、生活能力が高いという意味で使われるケースが多いと思うのだが、昔は『気甲斐性』という言葉が頻繁に出ていた様に思うが、聞かなくなって久し
古典を紐解いて、日本語の深淵なる事を思う事がしばしばある。文語体と口語体 書き言葉と話し言葉 話し言葉はリアルタイム。後の世の人には一切残らない。書き言葉文語体と言うのは 歴史の続く限り残るもので有
社会規範とすべき法なり決め事が、厳格で微細に渡って張り巡らされると。正しい規律の整った社会が実現するのか、実現の道を辿るのか? と言うと必ずしもそうでは無いと思う。 規範・規律の強制と言うのは
毎日 何かを書かねばならないという 強迫観念と言うのは 持った事が無い。其れは責任の無い事を軽く書いている事でもある。 受けを狙って書く事も無ければ、物事を動かすと云うような ご大層事も考えた事も無
相変わらず、髪の毛の色や 目の色の様々な人がやって来る。特別客寄せの広告の様な事は何もしていない。 在洛ホテルのフロントから営業時間の問い合わせや予約が入る。キャッシュ・オンリーと伝えておく。有り難
八月末、本サイトの校名変更の記事中、京都造形大学 が校名を変更して。京都芸術大学を名乗るという一報に接して。碌々内容読まず考えもせずと断りながらも、そんなに芸大に拘るのなら 混乱避けるため市立芸大は
毎朝五十数年 休むことなく出掛ける珈琲屋は、常連客用の席を二ヵ所特別に準備して呉れている。観光客が表に列為す状態でも、店側は常連席へは案内しない。しかし観光シーズンで、特に日曜日等は 常連客の出足が遅
現役第一線という年代では無い事を充分過ぎる程理解している。見た目の年齢と言うのは、時々出掛ける銭湯の横長の鏡に写る 我が身を見る度、バスに乗っていて席を譲られる理由は、この体型・この歩き方だと自己確
朝の珈琲屋の卓に上がった話題。『お医者さんが下す病名。これも一般的な販売商品名と変わりなく 新病名 新商品が次々と、出来ている様に思いますなぁー。』から話しが始まった。 一過性・突発性・本態性
英国のマーガレット・サッチャー元首相が、アイアン・レディー 鉄の女 鉄の心臓を持つ女と揶揄された所以(ゆえん)を知る人は少ないと思う。彼女は、腎臓機能不全による人工透析療法を、国が補助する年限を65歳
自宅と仕事場との復路は、繁華街を通って途中 食材の買い物をしたりして、河原町三条下がるのバス停から市バスに乗る。三条や河原町・新京極を行き交う人は、本当に国際色豊かになっている。何となく何処からやっ
加齢とともに、食の好みが変ると言われる。確かに油濃い濃密な味付けより。淡泊 あっさりとした味付けが好ましくなるが、歯の状態によっては、堅い物は最初から敬遠と言う事も有るかと思う。 昨日も中学校
起承転結は、漢詩を読むときの決め事が、本来の意味だったと思うが、最近は物事の運びに例えられる事が多いようである。 一番最近と言ってももう10年程経つが、柳居子が制作にも携わった 京都の花街のドキュ
一昨日、八月晦日の土曜日の朝は、年に一度の贅沢朝ご飯。南禅寺瓢亭の高橋さんのお店で、名物の朝粥を頂く事が恒例になってもう十数年になる。 瓢亭さん出入りの錦の川魚屋『のとよ』の三田さんが、お得意
今日九月一日は、「防災の日」何故この日が防災の日と決まったのかを 今の若い人は知らない。大正十二年(1923)と言えば今から九十六年も前の事。 この日 正午前M(マグニチュード)7.9の大地震が関東地方を襲
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
相変わらず 遠来の客人の絶え間が無い。 月に一度は必ずお越しの御常連が、先日『毎月一回 散髪にお邪魔するけど、度々外人さんに出くわすね。』と仰った。 六月は53人外人客を数えたから 営業日数 単純に割
日本の歌謡曲が、最初に世界で認められた曲と云うのをご存知だろうか? 未だ戦後という色合いが若干残っていた昭和三十年代 『上を向いて、歩こう』 坂本九の歌唱の曲 アメリカに渡ってスキヤキソングと
戰や、大勢の人が住む故の度々の大火、諸々の事情で途切れた事も有ったと思われるが 祇園御霊会 祇園祭が続いている事に 特に山鉾巡行に直接関わる 鉾や山町の人々に 深甚なる敬意と、ご苦労様の気持ちを伝え
このところ オーバーワーク気味で、昨日 『海の日』とやらで、午後三時半頃には 雨にも降られず帰宅した。 家に帰ったら色々と用事が有るのだが、ひとまず一服と 常時腰に巻きつけているコルセットを外し ベ
常日頃 何気なく使う日本語を難しいと思う事がある。『敬語』である。 使う年代を限定される言葉かと思う。余り歳の端もいかない 子供が 大人が使う敬語を使うと 可愛げが無いし 柳居子の年代が、年若い
京に生まれ育って、変らぬ視点で見たり体験してきた事 眼で覚えている季節感覚と言うのが有る。 誰もが浮かれる気分になる祇園祭り 山鉾巡行の十七日 雨が降って傘をさして巡行を見たという記憶が無い
両親共 愛煙家だった。 中学校を卒業して直ぐに理容の仕事を始めた社会人と言う訳でも無いが、未成年の喫煙を咎めだてする事も無かったから 二十歳前には立派な喫煙家になっていた。二十歳の時に何か始めようと
昨日お越しの客人との会話は、祇園祭の事から派生して、京都の旧い話題で 盛り上がった。 『洛中洛外屏風』と言うのは 京都の昔の人の営みが 詳しく描かれていますが 京都の 中と外という意味だと思いま
共に白衣の作業衣を着用しているのだが、 客と患者の差異は歴然。 先日 月に一度の内服薬を貰いに行くだけの心算で 朝一番乗りなら直ぐに帰れると思い 八時の受け付け開始の一時間前 七時に並んで 九時の
都界住いだと 田舎 特に農作業の事等 殆ど何も知る事無く生涯を過ごす事になるのだが。昔はそうでも無かった様だ。未だ幼かった頃 肥え汲み屋さんというのが 時々やって来て それは肥料として使われていた様
オーバー ツーリズムの波は、京都の繁華街 祇園町花見小路界隈とか 錦小路 河原町辺りに限定される訳では無く、柳居子の住む北白川地区 哲学の道の少し北 (上流) 琵琶湖疏水を挟んで向かい側 北白川小倉
昨日は、現役で仕事をしているという 小学校時代の同級生二人に会った。ブログのプリント版を 発刊毎に届けているのだが、仕事をしている事は判っていても 第一線からは退いていると感じる事が有った。
兼好法師 徒然草 第百二十二段に 「人の才能は」という一文を載せておられる。 人の才能は、文明らかにして、聖のおしえを明らかにするを第一とする。次に字を書く事 上手に書けなくても学問には書ける事
母が昔使っていた言葉を、自分も使っていると気付いた時、切なく胸に迫る様な想いと 昔を懐かしむ気分になる。 「ありあわせ」で済ませとこか。 店に住込みの従業員が未だ何人か居た時だから 今から七十年
未だ日も経たないから お目に掛れない人が居る。一万円札「渋沢栄一」と千円札「北里柴三郎」の両名である。 その国を象徴する様な 札に登場する人の条件と言うのはどの様に 誰が決めるのか? 時代背景を感じ
柳居子の店には、時々 思いも掛けない客人がやって来る。ユーチューブの動画を見て、ニューヨークからやって来た理髪師 自分の目 自分の髭で確かめたくなってやって来た客人 又 先日やって来たのは 通信制
昨日は 折角やって来た遠来の客人を断るという 後から考えると残念な事をした。厳つい若者四人連れが入って来て 一人だけカットだけをしてくれと言う。其の髪型と言うのが 柳居子が苦手とする 今流行りの段カ
京都の地名・町名・通り筋名等については、度々色々な視点で記事を書いているが、職とか業が集まっていたとか、名の有る大店が有ったとかで 付けられた町名は、何百年を経ても変らずに残っているのは まさしく歴
一年の半分が終わった。月日の経つのが若い時と比べて早く感じると言うのは、 残余の年数を無意識だが 生理学的自覚をしているのか? 同年代の誰に聞いても早く日が経つは 異口同音 若い時は日の経つ事等
アメリカは、若い溌剌とした政治家が、国のリーダとして頑張る国と言うのは、ケネディ大統領の時代の事が、頭に強烈に焼き付いているからだろうか? テレビの国際中継 リアルに飛び込んできた最初の画面 ケネデ