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ブルガリア研究室 http://79909040.at.webry.info

ブルガリアに関する歴史、政治、生活の紹介。およびバルカン専門家の視点に立った国際情勢へのコメント。

 ブルガリアには、60年代後半、70年代後半、80年代後半の3回(社会主義時代)、および自由化後の02年から05年の合計4回在住した経験あり。ブルガリア語の新聞が読める。

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2008/03/16

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  • このブログの移転について

    読者の皆様、 このブログは、Biglobe社がブログ事業を来年1月に閉店するということなので、小生も早く移転したいと考えていました。 このたび、ITに詳しい家族の協力も得て、何とか引っ越し作業しました。 新しいブログサービスの会社は、Seesaa.netと言います。 新アドレスは、次の通り:https://bulgariansirene.seesaa.net/。 まだ、構築中の部分もありますが、何とか閲覧可能です。 …

  • ロシア人の視点:ゴルバチョフは偉人などではない!

    さて、最近ゴルバチョフが91歳で死去したことで、西側では東西冷戦を終結させた偉人として称賛する記事が出たが、他方で、ロシア国内では「社会主義、ソ連の双方を崩壊させた裏切り者、戦犯」と言う評価であるほか、旧ソ連圏、或は旧東欧圏諸国でも、ゴルバチョフを評価する声はまず出ない。 そして、小生のように、20年以上にわたり旧東欧圏の中の、ソ連べったり国であったブルガリアとブル語の専門家として、ソ連を呪い…

  • 韓国の「右派政権」に騙されるな!(自国の原発ビジネスのため、対日汚名作戦!)

    最近、産経紙系Zakzakの記事(下記3.に引用)で、福島のトリチウム関連の中国、韓国の穢い作戦を論じています。 1.狙いは、日本の原発技術に対する汚名作戦 同じものを放出していながら、日本のトリチウムだけは問題ありとする、狡い汚名作戦ですが、要するに日本の原発技術を潰すという狙い、少なくとも国際市場で自分たちの原発を売るための作戦<…

  • 特別な国・トルコの立ち位置

    小生のようなブルガリア・バルカン半島専門家にとっては、トルコと言う国は、特に現在のエルドアン大統領になってからの政権は、従来の世俗主義を捨てて、イスラム教への信仰も政権基盤に加えたし、益々分かりにくい存在となっている。 とはいえ、軍事技術で最近世界をあっと言わせている、ゲームチェンジャー的な「バイラクタルTB2」と言う相対的に安価な「ドローン兵器」でウクライナ軍を救った、と言うほどの活躍…

  • 中絶問題とアイリッシ気質

    最近同窓会の仲間たちとE-mailsを通じて、議論した中絶問題に関連して、またもや小生のアイリッシに関する論評、議論を追加したくなったので、下記にこのことを記します。まあ、小生自身は、米国そのものに関しては、必ずしも興味が薄く、カトリック気質とか、プロテスタント、或いは日本人との違いなどに関心が向くのです。その意味では、必ずしも二人の議論は噛み合っていないのですが、そこをある程度修正しながらまとめ…

  • ウクライナ情勢(6)

    最近小生は、ロシア軍のウクライナ侵略関連につき神経を集めているが、このたび産経新聞に掲載された下記論文(著者:桑原聡記者)をいたく(大変)気に入ったので、この記事に関して少し見解を述べたいと思います。 1.桑原聡氏の論文(4月15日(金)付産経新聞掲載:【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】(125)「死んだ知識」に操られたプーチン大統領 - 産経ニ…

  • ロシア軍のウクライナ侵略、など(5)

    小生の同窓生たちの間で交わされているE-mailsによる意見交換に基づいての、ウクライナ情勢などに関するチャットに基づくお話の続きです。 ロシア軍による人道に悖る(もとる)虐殺、市街地破壊が世界を驚かせています。非人道的な行為を糾弾すると同時に、国際社会に未だに蔓延る多くの問題などにつき、まず事実を学ぶ姿勢が必要だと思います。もっとも、大部分の人が知らなかったからこそ、驚きが生まれ、政治化への…

  • ロシア軍のウクライナ侵略(4)

    さて、昔の同窓生たちによる、E-mailを介しての、論評の続きです。 1.バイデン大統領がプーチンを戦犯だと名指しした(T発、03。23 (水) 20:42) (1)ゼレンスキー大統領・・・このまま話が纏まらなければ第三次世界大戦(WWIII)になると主張 これまでのウクライナでの戦争の流れを見ていると、NATOは軍は投入しないと早々と明言し(昨年12月)、武器…

  • ロシア軍のウクライナ侵略(3)

    ウクライナ情勢に関して、自分の大学の同期生間でのE-mailを介しての情報交換、議論などを利用して、このブログで再度発信しようと思いました。 自分の頭だけでは、もう充分良い文章を書けないので、まあ、老人としてできるぎりぎりの仕事と言うか。 ともかく、今の状況は、プーチン政権としては、大失敗を喫した。他方米国としては、オバマ時代を反省し、今回は賢明に動いているらしい、と言う点を確認したい。

  • ウクライナへの露軍の侵略(2)

    ウクライナ情勢に関して、追加の情報を試みます。 1.ウクライナ危機の中で、醜い動きが出る米国社会の分断を嘆く(T氏発、2月27日(日)) ウクライナは既に、当面の勝負はほぼついていると思います。ロシアは自国寄りの傀儡政権を樹立して、武装放棄、NATO加盟拒否を約束させるつもりではないかと報道されています。しかし、2014年に議会で承認されたEUとの連携協定の署…

  • ロシア軍のウクライナ侵略

    さて、小生も既に長年(07年以来約15年)日本に暮らしていて、海外在住時の感覚が鈍っているのと、更には、老齢化して頭の回転が鈍っているせいか、まさかプーチンが、ここまであからさまに他国を侵略するとは、想定できなかった。もちろん、プーチンの頭が「ソ連時代」のままであるから、ウクライナを「他国」などとは、考えないということでしょうが。 今回の露軍の、本格的な侵攻という件に関しては、既にTVでの解説…

  • 英仏海峡トンネルの開通と日本技術の貢献

    さて、小生自身としては、ウクライナ情勢が最も気になるものの、実際にドンパチが始まるのか否か、どうも予測がつかない。そのせいで、書くべき材料が不足している。 そこで、最近も同窓会のE-mailのやり取りで、面白い記事があったので、このT氏の投稿内容をご紹介したい。 1.英仏海峡トンネルの歴史(T氏投稿記事:1月29日(土)発信) さて、「1000 years of annoyin…

  • 新年のご挨拶

    みなさま、明けましておめでとうございます。 本年もこのブログのご愛読方、お願い申し上げます。 この『ブルガリア研究室」ブログは、2007年6月に、小生が現役を引退直後から書き始めたもので、すでに15年目に入ろうとしていることになります。初期から2019年初頭までは、何とか快調に執筆できていたようにも思うのですが、2019年4月頃から、心臓の病が重篤化し、夏に外科手術する羽目になりました。 外科手術を…

  • 総選挙での自民党の勝利と、マスコミへの苦情

    前回、日本のマスコミは本当に重要なことをスルーしていると指摘した。その理由は、結局自分たちの「偏向した頭(洗脳された頭)」の中で、理想としている「左翼革命に奉仕する」ことばかり考えて、戦前に「戦争へと世論を誘導した」のと同じように、今度は、中国型の「共産党独裁体制へと世論を誘導する」ために、日本国内では積極的に反政府感情、反愛国主義的感情を煽ろうとしているからだ。少なくともジャーナリズムは政府…

  • 最近のマスコミ報道への違和感

    最近小生が、岸田内閣誕生、総選挙という事情からか、或いは、中国の不動産バルブがはじけるという経済情勢の激動の故にか、かつて大きく世界を騒がせたような大事件の真相が、明らかとなったというのに、そういう報道が、余りにも小さく扱われていて、恐らくは多くの人々は気が付かないままだ、ということに気付いた。 これらの報道は、どうやら今の世界情勢の中では重視されないというか、左翼、或はリベラルが牛耳…

  • 昔話:舌を切られた雀(舌切り雀)

    さて、この昔話シリーズの最後、9番目のお話は、いわゆる「舌切り雀」です。ブルガリア語題名は、文法的にはより正確な言葉となっていて、「舌を切られた雀」です。 この話も、善人は「金銭的に得をする、結果的には金持ちとなり、幸福になる」が、悪人は「罰を受ける」という、商業道徳を説いた江戸時代の庶民倫理感覚に寄り添ったお話の一つです。とは言え、天邪鬼の小生に言わせれば、善人の夫が、根性の穢い妻と、よく…

  • 昔話:悪いイタチ(かちかち山)

    さて、今回の日本昔話は、恐らくは原型が「かちかち山」の話と思うのですが、相当大幅に、欧州型へと変形した模様で、日本人として読むと、結構新しいところが多くて、面白いと言う感じです。異文化間伝達における意図しない「変形」というよりは、恐らくはフランス人の翻訳家は、そろそろ大幅に日本の昔話を「改造」して、自分たちにとっても自然な形の童話としたかったのだ、と思います。なお、我々の常識からすれば、桃太郎…

  • 昔話:踊る茶瓶(文福茶釜)

    今回は、またもや「動物愛護」というテーマと、同時に、「善良な人間には、金銭的な恩返しがある」という、例の自虐的な戦後知識人(某大学教授)が「恥じ入っていた」、日本の童話は「最後はお金持ちになって、目出度し、めでたし」ばかりで、本当の意味での子供たちへの教育的、倫理的内容は希薄だ、というカテゴリーに属する、とも言える。 そういう意味では、少し残念なところもあるけど、そもそも昔話は、庶民が子供に…

  • 昔話:木々に花を咲かせた人(花咲かせ爺さん)

    今回の昔話は、ある意味現代的な動物愛護に関わる話で、そういう意味では、欧州人にとっても分りやすい話かも。 木々に花を咲かさせた人 ある日本の村に、昔一組の老夫婦が住んでいました。ある日、お爺さんは枯れ枝を求めて山に入りました。枝をまとめて束にすることに疲れて、一本の木の幹に座り、(おにぎりを)食べようとしました。その時、一匹の痩せた白犬が大人しくお…

  • 昔話:大きな帽子の姫(鉢担ぎ姫)

    今回は、鉢かつぎ姫のお話です。結構、元の話からは外れているようです。 大きな帽子の姫(鉢かつぎ姫) 昔々、日本という国に、サムライと呼ばれる武人たちの一人がいました。同人は、非情に裕福で、力が強くて、しかしとても不幸でした。長年結婚しているのに、家に喜びをもたらしてくれる子供が生まれないからです。 とは言え、この苦しみは終わりがないものではあり…

  • 昔話:姫のお話(かぐや姫)

    姫のお話(かぐや姫、竹取物語) (小生注:ブル語の題名は、より詳しく言うと「姫についてのお話」となっている。ブル語翻訳者は、どうやら「姫」という単語を、固有名詞と思い込んでいるらしく、従って、こう言う題名でいいと判断した模様。我々としては、「かぐや姫」という名称に慣れているし、話全体は、古くは「竹取物語」と呼ばれてきたはず。…

  • 昔話:浦島についての伝説(浦島太郎)

    今回の題名は、例の浦島太郎に関するお話です。やはり、異文化間伝達による元の日本的なお話との相違点などを楽しんでください。 浦島についての伝説(浦島太郎) ある時、浦島という名の、善人の漁師がいました。同人は大きく、力も強く、善良な心を持っていましたし、更には動物を愛する心をもっていました。 ある日海岸を歩いていると、少年たちが数名で集まり、何かの周り…

  • 日本昔話:魔法のヴェール(羽衣)

    魔法のヴェール(羽衣) 昔々あるとき、海辺の小屋に住んでいた正直者の漁師がいました。 ある日釣り針を海に放り込んでいたが、同人は思いました「何といい日なのだろう。海は青く澄み、鏡のように滑らかな水面だ。海辺の松の木は、緑がまぶしいほどだ!」。 このように美しい景色をめでていると、突如あまーい香りが漂ってきました。釣り具を降ろし、漁師はこの香しい匂いはど…

  • 日本昔話:一寸法師のお話

    さて、最近ある人から、昔ソフィア市内の書店で購入した日本関係のブル語書籍があるので、翻訳をお願いしたい、と依頼があった。もはやブル語などここ数年間読んだことも、しゃべったこともないし、できるとも思えなかったが、ともかく資料を見せてもらった。 中身は、どうやら、仏で売られていた日本の昔話を、ブル人の仏語知識人が留学して購入し、これを仏語からブルガリア語に翻訳したらしい書物だと判明した。 こ…

  • 自国民を信用できず、自分の国を心から誇れない国は哀れだ!

    最近、ヤフー・ニュースで良く取り上げられている韓国の保守派論調と称するネット配信記事(WoW!Korea)を読んでいて、若干違和感を感じた。要するに、このWoW!Korea記事は、韓国の保守派の論調として、日本人にも共感できるような記事が多いとこれまで思っていたのだが、それでもよく読んでいくと、小生にも違和感が残る記事の書きっぷりで、やはり韓国の常識と日本の常識の間には、相当越え難いような溝があると言わざるを…

  • 今から100年前、ギリシャ・トルコ戦争に際しての、日本貨物船による人道的救済行為

    さて、最近小生が続けている旧友たちとのe-mailによるチャットの中で知った話です。 今から100年前のギリシャ・トルコ戦争に際して、日本の貨物船船長たちが敢行した「人道的救済行為」が、最近豪州の学者などによって発掘され、称賛された、というお話です。 和歌山県でのトルコ軍人救済の話は、かなり良く知られた話ですが、ギリシャ人の戦争避難民たちを救済した事例があるとは、今回初めて知りました。 ブルガリ…

  • 朱子学の毒、歪曲史観の毒

    さて、小生はかつて、バルカン半島におけるセルビア人の「歪曲史観」が、夜郎自大の誇大妄想となり、1989年のベルリンの壁崩壊後、ソ連邦崩壊さえも起きてしまった歴史の変動の中で、ユーゴ連邦も自滅するという結末を誘引したことを強調した(http://79909040.at.webry.info/201110/article_4.html を参照)。 今回も、同様の事態が起こり得るという、そういう感じで最近の韓国情勢、或いは中国の暴走(戦狼外交)を見てい…

  • 「国」と国家と五輪、スポーツの関係(その2)

    前回の記事は、追記が多くて原稿が長すぎると思ったので、10.以下を今回の別記事にする、また、新しい情報も追加されたので、それも付加することとしました。 10.アイルランド問題:北アイ生まれは、英、アイ2カ国の国籍を取得できる T:7月9日:北アイルランドの住人は、1998年の所謂Good Friday Agreementによってイギリスとアイルランド双方の市民権が与…

  • 「国」と国家と五輪、スポーツの関係

    さて、またもや旧友たちとのE-MAILでのやり取りをまとめて記事にしてしまう、という姑息なやり方でブログ記事をまとめました。まあ、小生一人では、既に「老衰」のため、まともな記事が書けないので、有効な方法だと思います。 1.英国では、夏場の良き季節における「規制緩和」を断行すると決意 YG:7月5日(月):現在イギリスで一日の感染者数は一月末と同じ数まで増えたと…

  • 韓国・朝鮮系の歪曲史観に加担する日本人の正体

    最近ネットニュース紙(JBpress)を見ていて、あっと驚いた記事があったので、皆さまにも知っていただきたいと思いました。 まあ、小生もある程度は予想していたのですが、旧社会党系の左翼運動家たちが、朝鮮系パチンコ資本の支援(選挙時の応援人員の派遣、資金提供などらしい)を受けている上に、日本国政府、或いは戦前の日本国軍部に対する、隣国の歴史歪曲教育などに加担したりして…

  • 現代貨幣理論(MMT)とアリババ

    さて、小生の頭脳は、以前ほど活発に働いてくれないし、そもそも心臓が弱くなっている(医師からは普通の人の3割程度の活力と言われた)ので、唯一の前向きの活動とも言えるこのブログも、なかなか新しいネタが思い当たらないので、記事掲載が3か月以上も滞ってしまった。 このままではやはり情けないので、少しは新たなネタに挑戦してみよう。 1…

  • 共産圏の「法治主義」は偽物だ、共産党という政党(一種の私的団体)が、指導的役割・地位を保証されているから、自由も、民主主義も貫徹されえない!

    前回に続き、今回も、小生と同窓生の間における、E-mailでのやり取りを若干編集して、このブログ記事としています。最近小生は、記事を書く能力が減退していて、困っていましたが、まあ、普通の会話レベルとして書く分には、ある程度脳も活躍してくれるようです。 今回の主要テーマは、『共産圏の「法治主義」は偽物だ、共産党という政党(一種の私的団体)が、正義の体系(イデオロギー)の解釈権を握っていて、国家・…

  • 北アイルランドでは、銀行券が4種類もある!

    最近、コロナ禍の退屈の中、大学時代の同期・同窓の方とE-mailで一種のチャットをやっているのですが、その中から、興味深かった項目を選んで、このブログの記事としてみることにしました。発信者の名前は、イニシャルのみとさせていただきます。 1.日銀券の発祥(Oさん):2021.03.18 私自身にはあまり縁のないお金ですが、「日本銀行」の設立には「西南の役」(1877年)…

  • 国際情勢に関する観測(令和3年元旦)

    最近は、ブログ記事の更新が少なく申し訳ない。 ともかく、2019年夏以降は、小生自身の身体的な衰退の問題もあって、原稿を書く方に精力を傾けることができなくなってきています。年齢的にも頭脳の回転が鈍くなるころとも言えます。 とは言え、長年培ってきた勘とか、経験に基づく占い手法などから、また、国際情勢の推移に関して何らかの予想を書きたいと思います。年初に当たっての、単なる占い・・・予測にすぎませんが…

  • アイルランドの地理区分とUlster-Scots系の祖先を持つ米国大統領

    前回の記事で小生は、Scottish-Irish(Ulster-Scots)という、英国の主要構成民族として第5番目の「民族」が存在することに触れました。実は、彼らの強い意向で、北アイルランド地方が、1922年の英国からの独立、南アイルランドとの統合、併合(全島の独立)という道筋が閉ざされ、南アイルランド部分は、Catholic-Irish=Native-Irishの国家として分離独立を余儀なくされました。 これが、ある意味、20世紀を通じて…

  • 「風と共に去りぬ」とアイリッシュ気質(その2)

    前回、7月末に記事を書いてから2か月近くも経過してしまいました。 最近ある大学同期の人から、まだ生きています・・・というE-mailを戴いたように、小生自身も本当に一日一日が「まだ生きています」ということの確認のようなものです。 とはいえ、アイルランドに関しては、未だに関心があるので、前回の記事への補足として、書いておこうと思います。 なお、蛇足ですが、小生が関心を有するもう一つの小国「…

  • 「風と共に去りぬ」とアイリッシュ気質

    最近、ハビランドという女優の死亡記事が産経新聞に出ていて、再度自分たちの年代が青春期に熱狂した『風と共に去りぬ』のことを思い出したので、今一度小生のアイルランドに関する思い出を掘り起こして記事にしてみようと思う。 1.「 メラニー」役女優の死亡 今朝(7月28日)の産経新聞を見ていたら、最後のページにオリビア・デ・ハビランドの死亡記事が出ていました。 …

  • 「奇妙な果実」と秋の米国大統領選挙

    最近産経新聞の記事切り抜きをしていて、桑原聡という文化部記者が書いた記事に興味を抱きました。 記事は、次を参照:https://www.sankei.com/life/news/200705/lif2007050003-n1.html。 以下は、この記事に触発されて小生が書いてみる気になった、米国政治に関する論評です。 1.ジャズという米国黒人発の音楽と公民権運動の関係 また、この『奇妙な果実』で有名…

  • ブルガリアの現代史(5):第3次ボリーソフ政権(17年5月以降)

    1.ボリーソフ首相が、GERB候補の大統領戦敗北の責任を取り、内閣総辞職 2016年11月のブルガリアにおける大統領選挙で、政権与党のGERB党推薦候補が敗退し、その結果、事前にもし大統領選で敗退するようなら、自分は首相職を辞任すると公約していたBoyko Borisov首相が、敗戦がほぼ確定した11月14日、内閣総辞職を申請し、第2次ボリーソフ政権は、約2年と任期4年の半分しか全うせず…

  • ブルガリアの現代史(4):第2次ボリーソフ政権(14年11月--16年11月)

    1.第43次普通国会のための総選挙結果 2014年10月9日(木)午後のMediapool紙(ブル語web紙)で、中央選管の票計算最終結果が発表されているので、下記の通り10月5日(日)実施された第43次国会の総選挙結果を記録しておくこととする。 (1)各党の獲得議席数 GERB=84議席、BSP=39議席、DPS=38議席、 改革ブロック(RB)=23議席、愛国戦線(PF…

  • ブルガリア現代史(3):オレシャールスキ政権(13年5月--14年8月)

    1.第42次普通国会形成のための総選挙 さて、今回のブルガリアの総選挙結果に関しては、中央選管の最終集計結果さえもが、novinite.com紙の報道ぶりでは数字が一つに絞り込まれないなど、小生もいい加減ばからしくなってきたので、1千とか2千とかの数字は大して意味もないことだし、ともかく、一応の結果をお知らせしておこうと思う。一部の数字にきちんとした整合性がないことは、…

  • ブルガリア現代史(2):第1次Borisov政権(09年7月--13年2月)

    1.第41次普通国会選出のための総選挙結果 ブルガリアの電子新聞などによると、09年7月5日(日)に実施された第41次国会の総選挙について、選管からの発表があり、6日中に大勢が判明した。右に関し、幾つかの電子新聞情報をとりまとめて見ると、GERB党中心の新政権が誕生すること、新首相にはGERB党の指導者であるボイコ・ボリーソフ氏がなることが、ほぼ確実となった。これに関し、…

  • ブルガリアの現代史:01年以降(1)

    さて、先般まで、ブルガリア歴史に関し、通史を再録してきて、自由化後の歴史に関しては、NDSV政権時の04年頃までを見渡して終了しました。そこで、その後の推移に関して、小生の手元にある記録のみで少々追記しておきたい。 特に残念なのは、05--09年のStanishev政権に関して、小生の記録したメモがほとんど残っていないので、追記すべき中身がないこと。偶々小生が、その当時にブル内政に関し、十分関心をもって…

  • 自由化後のブルガリア(12)

    シメオン2世元国王が主導したNDSV政権は、01年――05年の4年間の任期を全うしたが、また、EU加盟と言いう自由化後のブルの政治課題を、何とか成功軌道に乗せていった(ブルのEU加盟実現は、07年1月)が、全体としてみれば、マフィア企業、汚職、組織犯罪と政治家の癒着・・・・などの欠点も目立ち、再度左派系のBSP政権の誕生を準備してしまった。 その辺の、スキャンダルだらけとも言うべき政局の動きを見ながら、今回…

  • 自由化後のブルガリア(11)

    Ivan Kostovが、経済学者という出自にもかかわらず、見事に自由化後のブルで初めて「成功的な政治」と言うものを実践して見せました。その手法は、「バルカンの独裁政治家」特有の、独断的、独裁的手法+「金」による与党政治家らの買収でした。政治資金は、ドイツの団体からの寄付金もありましたが、大部分は、ブルのタバコ密輸組織からの献金、ロシア・マフィアからの献金、SIK組系暴力団からの献金、などでした。コストフ…

  • 自由化後のブルガリア(10)

    今回は、コストフ政権が、ブルのEU加盟の条件などに関して欧州側と交渉する際の、厳しい条件(原発削減、司法改革、汚職退治とか)、或いは、マケドニア、ルーマニアなどの隣国との関係改善・交渉に関する「歴史的な争点」を乗り越えていく努力などを扱います。 ソ連圏の時代には、ソ連の共産党幹部たちにゴマをすり、賄賂を手渡す・・・・ある意味やり方は明解でした。しかし、EUの場合は、欧州委員会以外にも、うるさ…

  • 自由化後のブルガリア(9)

    BSPのVidenov政権が、マフィア企業による銀行資金、国営企業資産の徹底簒奪と、ブル貨幣価値の劇的低下(ハイパーインフレ)を招来し、経済運営面での無策を暴露したので、この危機を乗り越えるため、臨時の総選挙が実施され、Ivan Kostov・党首が率いる本格的なSDS政権が成立しました。 Ivan Kostovは、元来が単なる経済学者で、しかも共産党系学者のはずですが、どういう訳か「バルカン的・独裁的政治家」としての才…

  • 自由化後のブルガリア(8)

    社会主義系の教育を、しかもモスクワの「名門大学」で受けた、いわば左翼思想のエリート教育を受けたVidenovには、資本主義経済の運営、経営に関するまともな知識、見識が欠けていたし、「ソ連人・ロシア人」に対する警戒感も不足していました。 しかも、移行期で90年代初期~半ばにかけてのブルにおいては、未だ社会の指導者階層、政治エリートたちが育っておらず、旧共産党時代の現場を仕切っていた「下級・青年将校…

  • 自由化後のブルガリア(7)

    移行期の政権が、短期での交替を繰り返したり、経済改革において無策だったりと、ごたごた続きだったので、国民はやはり旧共産党系の政党BSPに「経済安定、生活安定」の期待をかけました。 ところが、若すぎるヴィデノフは、政権運営に関し手腕もないし、頼れる指南役もなく、全てが裏目に出て漂流してしまいました。 特に国内経済の運営では、国営企業が赤字を垂れ流し続け、更には、マフィア人脈などが銀行(未…

  • 自由化後のブルガリア(6)

    今回は、移行期初期の5化年間における経済改革の失敗と、マフィアが経済界を侵食していった過程につき概観します。 実は、マフィア企業の大部分は、社会主義体制下で「えらいさんの下っ端として、汗をかかされていた、内務省組織(DSを含む)の下級青年将校ら」が中心となって、自由化後の失業蔓延の中で生き残りを図るためにマフィア企業を創設したこと、或いは、闇商売を庇護していた頃の経験から、自らが闇の商売を…

  • 自由化後のブルガリア(5)

    前回は、Filip DimitrovのSDS政権が、旧体制時の悪政に対する報復・・・・洗濯作業にばかり精力を注ぎすぎ、前向きの改革には結びつかず、却って政局を暗くしてしまった、という経緯を見ました。 今回は、少数派のDPS(デペセ)が基盤となって、専門家内閣を組織するという方式が試されることとなりました。 4.Berov政権:1992.12--1994.09 (1)後継内閣の形成:DPSが専門家内…

  • 自由化後のブルガリア(4)

    今回は、非共産党系のSDS(セデセ)政権による、経済改革、政界への「洗濯作業」などを見ていきます。「移行期」における正しい経済政策とか、成すべき政治課題への対応策とか、そういう方面に関しセンスの良い政治家は、未だにSDS内部から登場していなかったので、ブルの政界、経済政策などは迷走します。 3.SDS政府:1991.10--1992.10 (1)Dimitrov首相、Zhelev大…

  • 自由化後のブルガリア(3)

    移行期の初期、全く新しい体制を構築していくためには、中立的で専門家たちによる、特殊な政権が必要でした。 そして、自由化し、資本主義と民主主義に立脚する、いわば「普通の」体制を構築するためには、きちんとした新憲法が必要となりました。 2.民主主義諸機関の構築:1990.12--1991.10 (1)Dimitqr Popov政権(1990.12--1991.11)の課題:国民の間で合意…

  • 自由化後のブルガリア(2)

    ソ連への隷属から解放された、国内の共産党独裁からも解放され始めた・・・・と言っても、政局を動かしていくべき新政党、その指導者らにも、民主主義体制下でどうやって本当の改革を実践していくべきかにつき、ノウハウがありません。 やはり当初は、色々後になってみれば馬鹿げた試行錯誤をしてしまうものです。とはいえ、今では指南役として、米国大使館、ドイツ大使館・・・・などが、積極的にアドバイスしたり、専…

  • 自由化後のブルガリア(1)

    オスマン帝国の統治を脱したブルガリアが、ロシアとの利害関係の相違を認識して、嫌露路線の第3次ブル王国として、かつ中・西欧の提携先としては、結局ドイツを選ぶ形で近代化を推進してきましたが、その親独政策が災いして、ソ連赤軍の占領という事態をもたらした。 赤軍が入って以来ブルガリアは、対ソ従属国家として1944--89年の期間、共産党政権による、人間性を無視した、とんでもない圧政を経験したのですが、と…

  • 共産党統治期のブルガリア(8)

    遂にソ連では、ゴルバチョフ(Mihail Gorbachov)という、ジフコフにとっては全く理解不可能な「新世代の共産党員=夢想主義的共産主義者」が政権を担当することとなりました。ゴルバチョフは、純粋すぎるほど「正しい共産主義、皆が希望を抱ける共産主義体制」などを信奉する、いわば共産主義体制が産み出した「純粋培養のお坊ちゃま」で、現実のソ連共産主義国家がいかなる「独裁体制・全体主義思想」で、「暴力を伴う権力…

  • 共産党統治期のブルガリア(7)

    1980年代になると、ソ連本国を含め、社会主義圏全体の「経済的な後進性・ハイテク技術面での遅れ・西側との軍事技術格差の拡大」など・・・・要するに全般的に「ソ連圏」が、米国、西欧、日本との競争に勝てないという方向が明白化し、他方では、ソ連国内でも80年代半ばになるとゴルバチョフという改革派政権が誕生するなど、とうとうブルのジフコフのような「古い共産党員」では、対応が難しい国際情勢となりました! …

  • 共産党統治期のブルガリア(6)

    ジフコフ独裁期におけるブル国内での言論の自由度、或いは西側に亡命したジャーナリストたちの運命など・・・・社会主義時代の、今となっては信じられないほどの言論統制(中国などでは今でもやっている)などが語られます。 他方で、独裁者の娘で、しかもインテリだったLyudmila Zhivkovaが文化政策を主導したおかげで、ブルの知識人、インテリたちは、ソ連の目を気にしながらも、一定の「ナショナリズム的高揚感」に…

  • 共産党統治期のブルガリア(5)

    いよいよジフコフの独裁体制が確立され、ソ連式社会主義制度の中での経済発展が模索されます・・・・結論を先に言えば、既に現代のわれわれが承知の通り、「ソ連式社会主義」などには何らのメリットもなく、経済政策としては愚策、下策としか言いようがありません。 共産党の「幹部要員」にしか権限、権力が与えられない社会で、経済の指導方針も上の計画機関である「ゴスプラン」が全てを指令する方式(

  • 共産党統治期のブルガリア(4)

    ソ連の独裁者スターリンが死亡し、ソ連本国でも一定の政治的不安定が生じ、ス体制と直結していたブルのチェルヴェンコフの地位も微妙となった。この隙をついて、新たなクレムリン指導部に食い込んで信頼を得ていったのがジフコフだった。 今回から、いよいよトードル・ジフコフがブルの最高指導者として、権力を掌握していく過程となります。 2.非スターリン化とジフコフの台頭:1…

  • 共産党統治期のブルガリア(3)

    ソ連式の、共産党による支配体制へとブル社会を改編していく上で、一番苦痛が多いのは、私企業などの従来の会社を「国有化」して、国家が全てのこれまでの私的所有権を否定し、奪ってしまう作業。やはり、資本家とか、私的資産を持っていた人々の心理的抵抗感は強かったはずです。 特に、ブルの場合は、小規模農地を私有する「小規模農家」が多かったのだが、彼らから農地、家畜、農機具を奪って「国営農場」、「集団農…

  • 共産党統治期のブルガリア(2)

    ボリス親政期のブルでは、基本的に経済的な自由があり、市民的自由度は、ファシズム系政権が続いたこともあって若干後退していたとはいえ、ソ連の赤軍が進駐しブルを支配下に置いて以来の「共産党独裁制度」は、対比してみればとんでもないものでした。 そういう不条理で、全体主義的で、非民主主義的な体制がどんどん整備され、国民の「声」を潰していきます。 (8)更なる軍部粛清 1946…

  • 共産党統治期のブルガリア(1)

    さて、前回まで、6回にわたり、ボリス王の統治期を中心に、欧州でファシズムの嵐が吹き荒れた頃のブルガリアの歴史を、「第二次大戦終結までのブルガリア」として見てきました。 オスマン統治期を終えて、独立を果たした近代初期には、スタンボローフが嫌露派政権で近代国家の基礎を固め、その後は、スがドイツから連れてきた「サックス・コブルク・ゴータ家」のPrinceフェルディナントが、成長し、国王…

  • 第二次大戦終結までのブルガリア(6)

    前回書いたように、1943.08.28にボリス王は死亡した。その頃ドイツ軍が東部戦線で既に劣勢に陥り、第二次大戦におけるドイツ側の敗戦がほぼ明白になり、ブルとしても何とか早く枢軸側から逃亡し、英米のお慈悲を乞い、ソ連軍の占領からは免れたかった。 しかし、米、英両国は、ブル側からの働きかけに極めて冷淡で、今更ブルに寛大な措置を約束してはくれなかった。結局、米英は、バルカン半島は後回しにして、仏の…

  • 第二次大戦終結までのブルガリア(5)

    今回は、第二次大戦中のブルにおける対ユダヤ人政策(独の同盟国として、対ユダヤ人差別待遇に同調)とか、ボリス王の最後の日々、などに関しての情報です。 (6)対ユダヤ人政策 コムニストの脅威を抑止するという側面で、ブル政府と独側の間に意見の相違はなかった。他方、ブルの国内政策で、ドイツ側と意見が衝突したのは、対ユダヤ人政策。 194…

  • 第二次大戦終結までのブルガリア(4)

    ボリス王の親政となって、更にはナチス・ドイツ軍が欧州情勢を席巻したなか、とうとうブルガリアも枢軸国として参戦してしまったのですが、国王はブル国民の「親露的心情」をヒトラーに説明し、バルカン半島を離れた地域へのブル軍の投入には断固反対・抵抗しました。 7.ブルガリアと第二次大戦:1941--44年 (1)バルカン半島を枢軸国が分割統治 ドイ…

  • 第二大戦終結までのブルガリア(3)

    いよいよボリス国王が直接統治を開始し、第二次大戦では、国民の期待を背負って「領土問題解決」に向けて最後の試みをするのですが、結論を先に言えば、ブルの「領土的野望」は、遂に見果てぬ夢に終わりました。 6.ボリス国王の直接統治:1935.01--43.08年=8年間(ただし、この6.では1941年までを扱う) (1)ボリス親政への…

  • 第二次大戦終結までのブルガリア(2)

    第一次大戦における敗北などにより、先代の国王フェルディナントは、退位、亡命を余儀なくされましたが、子息のボリス王が、父親同様に独裁体制を固めるまでには、かなり長い忍耐の時間が必要でした。 王室以外の「軍閥系内閣」、「右派系政治家」らが登場して、夫々が有効な政府の形成を競ったのですが、結局大物政治家は現れず、徐々に王党派への期待が高まっていきます。 3.「…

  • 第二次大戦終結までのブルガリア(1)

    これまで、フェルディナント国王の独裁時代のブルガリアを4回に分けて<(1)~(4)>見てきました。 いよいよ、第一次大戦後、フェルディナントが退位し、亡命した後のブルガリアの歴史です。ハイライトは、未だに国民の間で人気の高いボリス三世の独裁期ですが、それ以外にもスタンボリースキによる農民党政権時代、ブルの国粋主義者達が跋扈した時期、などもあります。…

  • フェルディナントの独裁時代(4)

    2度のバルカン戦争を通じて、主としてセルビアとギリシャ両国が、狡賢い戦略+外交でマケドニア地方の領土をそれぞれが4割と5割も奪取するという、とんでもない成功をおさめ、更には「火事場泥棒」として勝手に参戦したルーマニアまでが、ブルから南ドブルジャの土地を奪い取るという「戦果」を挙げ、他方でブルは本当はオスマン・トルコから得た領土なども若干はあるのですが、基本的にはブルが果たした戦争での貢献・犠牲…

  • フェルディナントの独裁時代(3)

    いよいよ今回は、近代のブル史における一番屈辱的な、軍事・外交面での失敗の経験となります。ブル史では、「第一回目の国家的破滅」と呼ばれる敗戦で、政府・王室に対する国民の信頼が揺らいでしまいます。 フェ国王には、バルカン半島における地政学を理解しつつ、諸隣国を操り、ブルの国益を貫徹できるほどの「外交的知恵」はありませんでした。 5.バルカン外交と2回のバルカン…

  • フェルディナントの独裁時代(2)

    フェルディナント公は、マケドニアに対するブル人達の「自決権」行使への「願望」、「国民統合への願望」を踏まえて、何とかブルガリア国家の独立を完璧化したい、そしてその上で自らの王朝を盤石の基盤に乗せたい、と考えました。 4.マケドニア危機と独立宣言:1900--1908年 (1)国際情勢が悪化 1897年、クレタ島における危機を契機にオスマン帝国…

  • フェルディナント独裁時代(1)

    ★★「フェルディナント公の独裁時代」:1896--1918年=22年間★★ さて、ブルガリア史の「近代編」を(1)~(5)まで連載してきましたが、今回からは、いよいよ第2代のブルガリア公フェルディナントが、スタンボローフ首相を追い出し、自らの直接指導体制を整え、国際的承認も得て、アレクサンダル公以来悲願だった、ドイツ系王族による「親政」を実現した時代を見ます。 …

  • 近代のブルガリア(5)

    今回は、ストイーロフ政権下、フェルディナント公が国際的にブル君主として承認を受け、ブル国家が本格的にキリスト教国家として確立していく過程を扱います。キリスト教国家として確立していくにつれ、ブル領内に残存していたムスリムたちは、やはり居心地の悪さを感じて出ていくし、産業構造もオスマン帝国期と近代欧州国家期とでは変わってきます。そういった変化の部分を見ていきましょう。

  • 近代のブルガリア(4)

    近代ブル王国の2代目君主としてドイツからやってきた、フェルディナント公も、アレクサンダル公同様に、現地のブル人の才能を理解しておらず、先進文明国人としてブル人を内心軽蔑していたようで、スタンボローフの才能にも頼ろうと考えず、徐々に勝手にブル政界を牛耳り始めて、最終的には失敗します。また、国政から排除されたスは、マケドニア系テロリストの手にかかり暗殺されてしまいます・・・・近代のブルガリアでも…

  • 近代のブルガリア(3)

    解放・独立後のブルガリアですが、国家目標として最初に皆が気にかけたのが、「国外」に残されたままの同胞たちを、早く「国内」に取りこみたい・・・という気持ちでした。 3.国家問題と東ルーメリアとの合併:1884--85年 (1)リベラル左派が政権を取り、露の干渉を退け、中銀、国…

  • 近代のブルガリア(2)

    一日1回という投稿ペースを守るつもりでしたが、どういう訳かいつもよりページ数が少なく、訂正したり、校正したり、といった作業もあっという間に終えて、暇なので、2回目の投稿をすることとしました。 2.憲法上の矛盾:1879--1883年 (1)アレクサンダル・バッテンベルク公 …

  • 近代のブルガリア(1)

    さて、いよいよ新型コロナ対策が本格始動して、外出自粛などが要請されています。小生は、リハビリのために、午前、午後と散歩に精を出す毎日ですから、外出自粛とはいきませんが、人込みにはいかないし、他人様との接触はほぼ無いし、その意味では大丈夫なはずです。ところで、このブル歴史シリーズは、今回から、オスマン帝国から解放された近代の、ドイツ系君主を推戴しての「ブルガリア公国」としての出発です。

  • オスマン統治下のブルガリア(7)

    新型コロナウイルス対策として、外出禁止、学校などの閉鎖措置など、いよいよ世の中は大変さを増しているようです。でも日本の場合は、やはり医療機関の信頼度が高い、政府への信用度も高い・・・から、我慢して頑張れば、何とかなりそうな気がします。結局、こういう非常時には、紙幣を刷りまくって、困っている企業、個人に流す工夫をするしかない。 ところで、このシリーズでは、今回で、オスマン統治時代は最後と…

  • オスマン統治下のブルガリア(6)

    欧州諸国では、仏革命の影響で、各国がナショナリズムに目覚め、「国民国家」樹立という方向での政治運動が起きますが、ブルの場合はオスマン帝国首都のイスタンブールと直接の地続き・・・・直轄領という環境もあり、スルタン支配からの解放運動、ブルガリア民族としての独立運動開始への機運は見られなかった。そこで、その代わりというか、宗教面での独立運動が先行した(宗教がギリシャ人…

  • オスマン統治下のブルガリア(5)

    前回も強調したように、オスマン帝国が「衰退期」を迎えつつも、色々「改革」を試みる中、ブルガリア人たちは、商人、或は職人として才能を発揮する時代となり、富裕化し、そしてその富を自国民のための教育振興、文化復興、宗教施設の再建などに投資していきます。 11.ブルガリア文化復興の背景 (1)イェニチェリ軍団の解体:ブルガリアにとっての二つの影響 (…

  • オスマン統治下のブルガリア(4)

    オスマン帝国支配下のブルでは、19世紀に入ると、手工業段階ながら産業が発展し、経済的な繁栄が顕著となって、民族復興運動を支えます。古い帝国としてオスマン帝国本体は「衰退期」に入ったのに、「占領下」のブルでは経済的な勃興期となっていたのです。 10.オスマン帝国における経済、社会、政治的変化 (1)国内市場の列強への開放 オスマン帝…

  • オスマン統治下のブルガリア(3)

    オスマン統治下のブル人達の間で、ようやく一部の人々が覚醒して、ナショナリズム運動の萌芽が出てきます。 8.民族復興、解放:総論 ヴァズラージュダネ(ブル語=vqzrazhdane)、即ち民族復興とは、ブル人達が今日誇りとしている現象である。最初は、文化復興の形をとり、これにおける先駆者達は、少数ながら18世紀~19世紀初頭に出現した。これら復興…

  • オスマン統治下のブルガリア(2)

    今回から、オスマン朝トルコの統治下にあったブルガリアに関する歴史の第2回目です。14世紀末に、オスマン軍に占領されたブルガリアが、その後約500年のオスマン統治下で、どのような運命をたどったのか?という風に、想像をめぐらしつつ読んでいくと、より楽しい読み方になるでしょう。 5.オスマン統治下のブルガリア教会 ブルガリアの小村落が維持した祭りとか祝日な…

  • オスマン統治下のブルガリア(1)

    今回からは、オスマン統治下のブルガリア(485年間)の連載第1回目となります。ブルの歴史としては、「近世」と言ってもよいでしょう。 ★「オスマン統治下のブルガリア」:1393年~1878年=485年間★ 1.ブルガリアの土地におけるオスマン帝国の統治:総論 オスマン帝国時代に関し、英国ヴィクトリア(Victoria)朝期のク…

  • 中世のブルガリア(3)

    さて、小生が2010年12月に開始したこのブログにおけるブル歴史シリーズを、少し改定して「新版」として再生しています。 今回は、中世の3回目です。 6.ビザンツ帝国統治下のブルガリア(1018--1185年=167年間) (1)宗教政策 バシレイオス2世(Vasil II)皇帝は、ブルガリア王国の支配においては、その戦闘の際における苛烈さとは対照的に、穏…

  • 中世のブルガリア(2)

    ブル歴史新版の連載開始から、3回目です。新型コロナの感染拡大で、外出まで自粛要請されています。自宅にこもって勉強するいい機会かもしれません。とはいえ、十分用心して人ごみの中へ行くのは避けましょう。 (5)ブルガリア教会の独立 「年表」(『Istoriya na Bqlgariya po dati=年月日によるブルガリア史』、Trud出版社、2003年、Sofia)によると、クリメント・オフリツキーが創設に成功…

  • 中世のブルガリア(1)

    昨日から、ブルガリアの歴史に関して、2010年12月からこのブログで連載していたシリーズを、再度手直ししつつ連載する・・・という作業を開始しました。後期高齢者としては、全く新しい原稿を書くのは、もはや簡単ではないが、過去記事の手直しなら、素早くできるということ。 小生がこの歴史もので書いている文章のネタの多くは、実はR.J.Cramptonという英国人研究者の書物『A Concise History of BULGARIA』(Cambridge …

  • 建国以前のブルガリア前史

    読者の皆様、小生は昨年8月に心臓外科手術をして、何とか一時再生しましたが、何分高齢者となるので、新しい記事を書くのはしんどいです。そこで、過去にすでに書いた記事に少し加筆するとか、訂正するとかして、再度ブログ記事として読んでいただければありがたいと思います。今回の記事は、07年11月に書いたものの焼き直しです。 さて、今日は、有史以前からブルガール人の到来までの、一番古い時代に関して、ブルガリ…

  • 筆者の近況報告:光陰矢の如し

    さて、小生は昨年9月に退院以来、自宅で暮らしながら、毎日散歩とか、カロリー制限などのリハビリを心掛ける毎日です。 毎日が、ほぼ同じスケジュールで繰り返される、実に健全な日課で満たされていて、禁煙、禁酒、ダイエット食・・・など、これまでの自分ではありえないほど聖人的な毎日となっています。 それでも、何とか、生命を保てているし、散歩先の公園の花をめでたり、東京湾の海の景色を楽しんだりと、ともか…

  • 環境欺瞞の黒幕

    小生は、ハワイに在住したころ、米国内における環境保護主義者たちの「環境宣教師」的な運動が、実は、ベトナム戦争時に現実逃避して自堕落な生活に陥った、不良青年たちが、将来の収入に関し心配となって、「職業としての環境宣教師」(NPO職員として給与を確保する)ということを発想した、との情報を得た。それ以来、環境問題に関する議論については、常に裏を感じ取り、眉唾で対応することとした。 そういう立場…

  • 筆者退院のお知らせ

    ブル研究室読者の皆様、 小生このほど、大病を患い、3カ月余の入院と、難しい外科手術を経て、ようやく最近退院できました。 まだ、新しいブログ記事を書き始める体力を回復するとか、リハビリ計画とか、いろいろある段階で、予測は難しいですが、徐々に新規の発信ができれば幸いです。

  • 令和元年を寿ぐ

    このブログの筆者です。 1月以来、新しい記事を更新できず、残念です。 2--3月は、実は、体の調子も良く、それなりに楽しく過ごしていたのですが、4月下旬になって急に体調が悪化し、心不全でかなりやばい状態でした。

  • 満洲事変と中国における偏向歴史教育の弊害

    さて、前回小生は二つの書籍を参考に、中国の反日偏向史観の起源を探ったのだが、最近他にも二冊の本を読み、再度中国、韓国における「歴史」と政治との関係性、或いは、捏造史観を盾として、欧米、近代日本国に挑戦すること、反日歴史教育することでしか、国民国家としての愛国心、民族主義などを確立できなかった両国の在り方について、より深く学べたように思う。

  • 中国の「反日偏向史観」と「正しい歴史認識」に関する著書

    年末から年始にかけて、小生は宮脇淳子(じゅんこ)と岡本隆司(たかし)の著書を読みふけっていた。

  • 「西欧の東」読書感想文

    最近(12月)小生の娘から、婿殿が図書館で借りたブルガリア人作家の本が面白かったよとE-mailで連絡があった。その後小生の妻も呼んだというので、小生も借りてみた。

  • 国際情勢俯瞰図:その2(18年12月)

    さて、私事で言えば、11月は小生にとって同窓会の月であり、今年は1日(木)の1970年代のブルガリア在留経験者の会合、12日(月)の大学同期の会合、25日(日)の1980年代ブルガリア在勤者たちの会合、28日(水)の高校同期の会合と、実に4件もの「同窓会」行事があった。 年齢を重ねると、こういった旧知の人々との一種の「同窓会」は、よくぞ皆様ご健在で、或いはよくぞ自分も何とか生きている・・・と言ったことで、昔を振り返り、更にはいまを回顧するよき機会となる。

  • シリコン・バレーを裏から支配する「マダムX」は、反日報道を陰で操る黒幕でもある

    前回の記事(https://79909040.at.webry.info/201808/article_1.html )で、慰安婦問題を裏から政治操作しているのも、中国系スパイだという産経紙の暴露記事をご紹介した。更にその前には、スターリン、毛沢東が操っていた大物スパイたちが未だに日本悪玉論の理論的根拠として生かされていることも指摘した(https://79909040.at.webry.info/201804/article_1.html)。

  • 慰安婦問題を政治操作する中国の陰謀

    さて、今夏の異常な暑さも、若干一休みしています。特に湿度が昨日は32%ほどと、思いがけないほど低くて、さわやかな風を感じることができました。ところで、昨日新聞切り抜きの整理をしていて、驚いた記事がありました。

  • 不拡大派の登用を嫌った、残念な昭和天皇の選択

    最近、『多田駿(ただ・はやお)伝』(岩井秀一郎著、小学館、2017年3月初版第1刷)を読み終えた。これまで、日本国を滅亡させたのは、帝国陸軍、海軍のどちらにより責任があるのか、などの視点でも若干の書籍を読んできたし、2回ほど記事も書いた【「昭和期陸軍は明治期に比べ、やはりだめだった(http://79909040.at.webry.info/201006/article_5.html)」、「大東亜戦争に関する新常識!?その二(http://79909040.at.webry.info/...

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