南国土佐・高知の魅力と見所を歴史や史跡等の観光地を含めて御紹介
記憶から忘れ去られ行く数々の史跡・遺跡・記念碑に偉人達の墓碑。全ては土佐を育んだ歴史の痕跡
大石甚吉邸跡 - 堺事件の責めを負わされ4番目に切腹、兄は大石正巳
[ 高知県高知市五台山 ]慶応4年(1868)2月15日に起きた泉州堺事件で切腹させられた土佐藩士11名は、外交政策にも無知で横暴極まりない幕府が下した理不尽な処罰の犠牲者とも言える。その一人が、大石甚吉さん。大石甚吉 - 堺事件・四番目に切腹 2015.02.06烈士殉難碑 - 堺事件関係者 2011.02.22 土佐のお墓は、以前ご紹介しちょりますが、今回は邸跡を探してみたがです。 『五臺山誌』 に、下記のような記述がある。大石甚...
荒尾幾久弥祐正 - 戊辰戦争鼠ヶ関戦で負傷し帰国も、土佐で亡くなる
[ 高知県高知市 ]墓碑にゃ、下記のようにある。明治元年會津役起取道於北陸至越後戦中濱中銃治療敷月創未癒同二年五月〇家同年九月廿七日終為落命享年二五今の山形県と新潟県の日本海に近い県境で、北国街道と羽州浜街道の境になる、鼠ヶ関の戦いで負傷したようです。慶応4年8月23日、長岡城が落ちると新政府軍は北上し、8月23日鼠ヶ関で庄内藩との攻防が始まるがです。そして、9月1日新政府軍は鼠ヶ関に総攻撃をかけちょります...
[ 高知県高知市五台山 ]土佐西国三十三観音霊場の第一番は、四国八十八ヶ所霊場・第三十一番札所になる五台山竹林寺にあるがです。本堂・文殊堂の東脇(向かって右側)から、奥に細い参道が続いちょり、鳥居を潜り参道を奥に進むと、聖天堂があるがです。御本尊は千手観音。千本の手と、その手のひらに目がある観音さんで、手のひらの千個の目を通して人々の苦難を見て救いの手を差し伸べてくれるという、ありがたい観音さんなが...
[ 高知県香南市野市町土居 ]香宗川右岸、香南市野市町土居の周囲に田畑や宅地が広がる一角にある平城で、当時の遺構と思われるものは殆ど無く、辛うじて石碑と城八幡が鎮座しているので、昔、此処に城があったと気付かされる。写真は、南側から撮影。町指定史跡 香宗城址建久四年(1193)宗我部、深淵両郷の地頭職に補され中原秋家の嗣子としてこの地に下った太郎秋通を初代として400年間栄えた土佐の名族・香宗我部氏居城の跡...
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