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南国土佐へ来てみいや http://nangokutosa.blog47.fc2.com/

南国土佐・高知の魅力と見所を歴史や史跡等の観光地を含めて御紹介

記憶から忘れ去られ行く数々の史跡・遺跡・記念碑に偉人達の墓碑。全ては土佐を育んだ歴史の痕跡

オンチャン
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2008/03/12

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  • 二川元助重遠 - 戊辰戦争・迅衝隊十番隊長、長女は寺田寅彦の妻

    [ 東京都港区南青山・青山霊園 ]二川元助重遠は、弘化3年(1847)高知城下中島町は土佐藩馬廻役300石・二川周五郎の長男に生まれ、維新後に改名し阪井重季と名乗っちょります。幕末、土佐藩兵小隊長となり上京し、乾退助(板垣退助)を助け討幕に奔走し、藩命に反し山田喜久馬(平左衛門)・山地忠七(元治)・吉松速之助(秀枝)等と伏見に土佐藩の小隊を率い倒幕に立ち上がるがです。山田平左衛門 - 土佐での始祖は山田去暦、その...

  • 三谷寺 弘法院 - 土佐西国三十三観音霊場第3番・千手観音菩薩

    [ 高知県高知市三谷 ]高知市街地の北に連なる北山の中腹、標高約250mの処に、古くから三谷の集落があるがですが、その集落の上の方にこの三谷寺はあるがです。以前ご紹介しちょりますが、お寺の参道入口傍にゃ、谷干城の別荘跡地が残る場所ながです。谷干城別荘跡 - 北山の三谷集落で晩年を過ごした別荘跡 2015.12.23 秦泉寺から三谷へは、谷川沿いに山道が続き道沿いにゃ西国三十三観音石像が並んじょりましたが、今は如何なっ...

  • 最御崎寺 - 足利尊氏が南北朝騒乱の戦没者菩提として土佐の安国寺に定める

    [ 高知県室戸市室戸岬町 ]室戸岬の南端の室戸岬灯台近くにある四国八十八箇所霊場・第二十四番札所の最御崎寺(ほつみさきじ)。徳島から始まって、高知県で最初の札所になるのが、此処、最御崎寺ながで、寺の名は「火(ほ)つ岬=火の岬の意」じゃそうです。 最御崎寺が開かれたのは大同2年(807)じゃそうですが、現在の場所に移ったのはそれから約200年後の寛徳年間(1044 - 1055)じゃそうです。今回は、暦応4年(1341)に、...

  • 大津天竺城址 - 城主は土佐守護・細川氏一族、天竺右近花氏

    [ 高知県高知市大津 ]写真は、とさでん交通御免線の清和学園前電停の直ぐ西側にある、大津天竺城址の石碑と登り口ながです。大津天竺城址は、直ぐ北を東西に流れる舟入川の南面の丘陵に築かれちょります。 大津天竺城址足利の世、土佐の守護代細川氏の一族、天竺右近花氏(てんじくうこんはなうじ)が居城したところで天竺城と呼ばれtあ。応仁の乱で細川氏の後だてを失いその姿を史上から没し去るが落城については諸説があり詳か...

  • へんろ標柱 - 禅師峰寺から西約1kmに建つ角柱の標柱

    [ 高知県南国市十市丸山 ]時代的にゃ、近年に建てられちゅう標柱じゃと思われます。へんろ道両方向に一本指差し三十三番 興福寺浜田きか建三十二番 峯寺三十二番 峯寺とは八葉山 求聞持院 禅師峰寺の事で、三十三番 興福寺は雪蹊寺の事で、正式にゃ高福山 高福院 雪蹊寺と言うがです。唯、雪蹊寺の事を興福寺と言うのを聞いた事がないけんど、考えられるのは、元々、空海(弘法大師)が開基した時は真言宗の少林山 高福寺...

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