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2008/03/01

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  • 「ロシア・ウクライナ・バルト3国」編 スズダリ1

    「黄金の環」の次の訪問地はスズダリでした。早朝ホテルか出てぶらぶらしているとお百姓さん(?)に出会いました。片言のロシア語ドブラウートラ(おはよう)と挨拶をして仲良くなりました(写真上)。非常に人懐こい人で最も印象深く忘れられない人物の一人でした。キョロキョロしていると写真中のような建物を見ました。あとで調べてみると14世紀創立の高さ8m、長さ1.5㎞の城壁に囲まれた「スパソ・エフフィミエフ修道院」でした。スズダリは人口約1万の町ですが、50もの教会、修道院があります。そこでもう一つ13世紀創建の府主教宮殿、現在は博物館です(写真下)「ロシア・ウクライナ・バルト3国」編スズダリ1

  • 「ロシア・ウクライナ・バルト3国」編 ヤロスラヴリ2

    12世紀に創設された男子修道院で要塞としての役割も持った現在は博物館になっているスパソ・プレオプラジェンスキー教会を訪れました。そこの中庭に10個の鐘楼がありロープで同時的に鳴らすことができるということなのでわたくしもそれに挑戦しました。旨く鳴ったかどうかは御想像に任します。(写真上)市場も訪れました。(写真中下)ここの美人は。「ロシア・ウクライナ・バルト3国」編ヤロスラヴリ2

  • 「ロシア・ウクライナ・バルト3国」編 ヤロスラヴリ 1

    セルギエフ・パッサートからコトロスル河とヴォルガ河の分岐点に位置する河港都市で、1000年の歴史を持つ古都であるヤロスラヴリに向かいました。途中ネクラーソフの像に出会いました。(写真右)ネクラーソフ(1821~1878)は詩人でナロードニキ(地主階級からの搾取を受ける農民開放の運動)から強い支持を受けていました。写真左上はヴォルガ河(左)とコトロスル(右)です。写真左中はイリヤ・プロロク教会です。17世紀建造で内部のフレスコが見事ですが、なぜか写真なし。ここでも土産物売りの美人たち。(写真左下)「ロシア・ウクライナ・バルト3国」編ヤロスラヴリ1

  • 「ロシア・ウクライナ・バルト3国」編 セルギエフ・パッサート

    モスクワの北東部一帯は「黄金の環」と呼ばれているロシア中世の面影を残す古都が展開しています。そのいくつかを訪問しました。最初はセルギエフ・パッサートでした。トロイツェ・セルギエフ大修道院とかウスペンスキー大聖堂などを訪れましたがそれらは今回一切省略して当地の昼食時の自由時間に出会った人たちを紹介します。「ロシア・ウクライナ・バルト3国」編セルギエフ・パッサート

  • 「ロシア・ウクライナ・バルト3国」編 モスクワ3

    クレムリン内にある建造物を二つ。写真上はウスペンスキー大聖堂です。ロシア帝国時代の国教大聖堂です。イタリアのアリストーテリ・フィオラバンティの設計・建築で1479年に完成しました。写真中は16世紀に造られた当時世界最大の大砲です。口径89cm重量40tで一度も発砲されたことがないそうです。TsarCannonと呼ばれています。クレムリンを出たところで日本でもよく知られているボリショイ劇場に出会いました(写真下)。「ロシア・ウクライナ・バルト3国」編モスクワ3

  • 「ロシア・ウクライナ・バルト3国」編 モスクワ2

    クレムリン観光です。クレムリンはロシア語で「城塞」という意味です。城壁は2.25㎞あり旧ロシア帝国時代の宮殿、ソ連時代はソ連共産党の中枢が置かれ現在のロシアでも大統領府が置かれています。(写真上は城壁)厳重な金属探知機をくぐってなかに入りました。ロシア美人とともに(写真中)子供たちも熱心に見学していました(写真下)クレムリン観光です。クレムリンはロシア語で「城塞」という意味です。城壁は2.25㎞あり旧ロシア帝国時代の宮殿、ソ連時代はソ連共産党の中枢が置かれ現在のロシアでも大統領府が置かれています。(写真上は城壁)厳重な金属探知機をくぐってなかに入りました。ロシア美人とともに(写真中)子供たちも熱心に見学していました(写真下)「ロシア・ウクライナ・バルト3国」編モスクワ2

  • 「ロシア・ウクライナ・バルト3国」編 モスクワ 1

    2006年6月25日〰7月9日「ロシア・ウクライナ・バルト3国」というツアーに参加しました。最初はモスクワです。最初の観光はモスクワ名物の地下鉄乗車でした。日本より速いスピードで深さ80mまで下りていきました。写真は不鮮明なので省略。「赤の広場」(写真上)に向かいました。右のちょっと格好の良い建物は国立歴史博物館です。写真では見えませんが左側にレーニン廟があります。「赤の広場」はロシア語でクラースナヤプローシャチで英語でもredsquareですがクラースナヤは古語では「美しい」という意味で「地球の歩き方」は「美しい広場」と訳されるべきなのだと記しています。(p37)この赤の広場に接してモスクワ最大の百貨店グム(店舗1000以上)があったので自由時間にちょっと覗いてみました。母子が寛いでいました(写真中)余談話こ...「ロシア・ウクライナ・バルト3国」編モスクワ1

  • 「トルコ」編 イスタンブール2

    トルコ最終日はイスタンブールでのブルーモスク(写真左上)、トプカプ宮殿(写真左中)、地下宮殿(写真左下、右)の観光でした。ブルーモスクの正式な名前はスルタンアフメット・ジャミで1609年〰1616年にかけて建設されました。6本のミナレットで有名ですがこの写真ではよくわかりません。なぜか内部の写真は一枚もありません。フィルム切れ間近だったからのようです。トプカプ宮殿は15世紀から20世紀初頭にかけてオスマントルコの支配者の居城です。内部には黒人宦官の部屋、500人ぐらいの女奴隷の部屋ハーレムなどたくさんの見どころがありましたがこれも1枚の写真もなし。地下宮殿は4世紀〰6世紀にかけて作られた高さ8mの柱が336本ある地下貯水池跡です。ここにあるギリシア神話に出てくるメドゥサの顔の石像が有名です。(写真右)メドゥサを...「トルコ」編イスタンブール2

  • 「トルコ」編 イスタンブール1 街頭風景

    首都イスタンブールに戻ってきました。水タバコですね。(写真左)出た煙をガラス瓶の中の水を通して吸うタバコです。トルコでは「ナルギレ」と呼ばれています。イランが発祥地とされていてアラブ世界では一般的のようです。したがってイランでは女性も普通の喫煙のようです。(2008年5月21日紹介)写真右上はグランドバザールです。トルコ語でカパル・チャルシユ屋根付き市場という意味です。中東最大で4400軒の店があります。イスラーム圏では一般的には女性は写真撮影を嫌いますが、トルコでは気楽に撮影に応じてくれました。(写真右下)「トルコ」編イスタンブール1街頭風景

  • 「トルコ」編 アンカラ2 アナトリア博物館、アタチュルク霊廟

    アンカラで訪ねたのは、アナトリア博物館(写真左上)とアタテュルク霊廟(写真左下)でした。アナトリア博物館の展示物は12月25日に紹介したヒッタイト王国妃とエジプト国王妃のfriendlycorrespondenceの強い印象以外は記憶にないので省略。アタテュルク霊廟は第一世界大戦で亡国の危機に瀕したトルコを救ったムスタファ・ケマル・アタテュルク(1881~1938)の霊廟です。アタテュルク=アター父、テュルクートルコです。彼の業績には政教分離、アラビア文字廃止、トルコ帽子禁止、一夫多妻制の禁止などがあります。霊廟には博物館も付属しています。写真右は1928年のトルコ語のアラビア文字表記を廃止しラテン文字(アルファベット)とする決定書です。「トルコ」編アンカラ2アナトリア博物館、アタチュルク霊廟

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