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2008/03/01

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  • 「フランス物語」 アヴィニョン2

    教皇宮殿に遊び(勉強?)に来ていた子供たちです。写真下はアヴィニョン近郊にある古代ローマ遺跡の定番水道橋です。建設BC19年(AD50年説あり)のポン・デュ・ガールで世界文化遺産です。「フランス物語」アヴィニョン2

  • 「フランス物語」 アヴィニョン1

    ローマ教皇のアヴィニョン捕囚(1309~77)で歴史上著名なアヴィニョンを訪れました。写真中はその教皇宮殿です。写真下は童謡「アヴィニョンの橋の上で」で知られるサン・ベネゼ橋です。「橋の上で輪になって踊ろう」と歌われているが(子供のころ歌った記憶がかすかにあります)、実際は道幅が狭く、上で踊れるほど安全な橋ではない。渡ることさえ危険なときもあり、橋から転落し命を落とした者さえいる。ローヌ川の度重なる氾濫により何度も橋が崩壊、そのたびに修復を強いられ財政を圧迫した。17世紀には遂に修復を断念、22あった橋脚のうち、現在は4つのみが残っている。(ウィキペディアより)「フランス物語」アヴィニョン1

  • 「フランス物語」 フォンヴィエイユとレ・ボー

    フォンヴィエイユにフランスの小説家アルフォンス・ドーデの30編からなる短編集に登場する「風車」がありました。(写真左)写真右は中世に栄え現在は人口500人の城塞村?レ・ボーです。「ボー」はプロヴァンス語で「岩だらけの屋根」という意味だそうです。写真右中、下はちょっとした広場ですが、写真右中は投石器ですね。下は?死刑台ですね。「フランス物語」フォンヴィエイユとレ・ボー

  • 「フランス物語」 ゴッホ

    オランダ生まれの世界的に著名な画家ゴッホ(1853~1890)のフランスでの足跡を3つ紹介します。写真上は「アルルの跳ね橋」のモデルになったラングロワ橋と思って撮影しましたが、実際の橋は現在は撤去され写真はこれを模して後に作られたものだということを後日知りました。彼が精神的のおかしくなり自分で左耳を切り落とすという事件がありました。写真中はそれの像です。その後アルルの近郷サン・ミレの精神病院に入院します。写真下がその病院です。「フランス物語」ゴッホ

  • 「フランス物語」 ニーム

    古代ローマ時代からの都市で当時の遺跡が数多く残るフランス南部にあるニームを訪れました。写真上はローマ遺跡定番の円形闘技場です。BC1世紀の建造で2万2千人収容できました。各地に残るローマ時代の円形闘技場としては保存状態が最もよく現在でも闘牛やコンサートの会場として現役です。写真中もローマ遺跡定番のBC1世紀建造の神殿です。写真下はこの地に観光(勉強)に来ていた高校生です。右の人は我々の同行者です。「フランス物語」ニーム

  • 「フランス物語」 カルカソンヌ

    中世ヨーロッパ最大級の城塞都市カルカソンヌを訪れました。「カルカソンヌを見て死ね」という言葉もあるそうです。写真上はその遠望。夜イルミネーションで浮かび上がる城塞は素晴らしかったのですが、わたくしのカメラの写真ではクリアでないので省略。写真上2はその内部。写真上3は城塞から見た城下町風景。写真下はここの子供たち。持っているスティックのようなものは何でしょうね。「フランス物語」カルカソンヌ

  • 「フランス物語」 トゥールーズ

    古い歴史を持つトゥールーズを訪れました。写真左上は18世紀建設のキャピトル広場と市役所です。歴史的に面白い謂れがあるようですが、よくわかりません。写真右は像ではなく生身の人間ですね。背景は薬屋さんですね。ヨーロッパではこのような光景によく出会います。写真左下は文房具屋さんで見たものです。ちょっと見にくいですが、「漢字練習帳」とあり横には筆、硯までありすね。フランスではちょいちょい日本に出会いました。(後日紹介)このころから○○大聖堂・修道院などに食傷気味で撮影中止。ここでも幾つか訪問しましたが。「フランス物語」トゥールーズ

  • 「フランス物語」 ボルドー2

    ボルドーといえばワインですね。昨晩のわたくしの晩酌のワインもBORDEAUXでした。というわけでワイン醸造所を訪れました。シャトー・ギスコールというワインでなぜかドイツ人の経営ということでした。写真左上は同行の方のこの地での風景スケッチです。写真がぼけていてごめんなさい。「フランス物語」ボルドー2

  • 「フランス物語」ボルドー1

    フランス南西部、大西洋近くでガロンヌ河が市街地を横切っている人口24万人のボルドーを訪れました。写真左上はこのガロンヌ河に初めてかけられた全長501mのピエール橋です。ナポレオンの命令によって7年の歳月をかけて作られました。写真右上はヨーロッパで一番広いカンコンス広場にあるジロンド塔です。この地はフランス革命当時ジロンド党の拠点であったことから1894年〰99年にかけて建設されました。写真左中はこのカンコンスで写生をしていた女子高校生?です。写真右下はちょっと見にくいですがサンタンドレ教会で見た聖母マリアが母アンナに抱かれている像です。わたくしにははじめてお目にかかる珍しいアンナでした。帰国後調べてみるとアンナは正典聖書にはなく外典「聖ヤコブ福音書」に記載されています。ついでに、マリアの父はヨハキムでした。写真...「フランス物語」ボルドー1

  • [「フランス物語」 ポワティエ

    教科書にも記載されているトゥール・ポワティエの戦い(732年)で有名な地ポワティエを訪れました。その時の痕跡は何もありませんが、写真上は街頭風景です。写真左下は12世紀創建のノートルダム・ラ・グランド教会です。写真右下はこの教会の内部の柱です。当時のわたくしのメモには「彩色された柱が珍しい?」とありましたが、後日ガイドブックを見ると「色彩鮮やかな幾何学模様の柱が見事」(JTBフランス自遊自在p317)と書かれていました。[「フランス物語」ポワティエ

  • 「フランス物語」 ロワール古城

    ルイ14世(1638~1715)がヴェルサイユ宮殿に移るまではフランス国王の居住地はロワール河下流地域でした。それゆえこの地には王侯貴族のゆかりの名城が多く残されています。300以上といわれています。その中のアンボワーズ城(写真上)、シュノンソー城、ジャンボール城(写真中)、ブロワ城(写真下)を訪れました。アンボワーズ城は11世紀に起源し現在の城塞になったのはシャルル8世(1470~1498)時代でした。たくさんの逸話がある城ですが、一つだけ紹介。レオナルドダヴィンチがここに招かれこの地で死、ここで埋葬されました。ジャンボール城はフランソア1世(1494~1547)の狩猟小屋に始まる城ですがこの地最大で、建設にはレオナルドダヴィンチの協力があったといわれています。美的感覚ゼロの私の当時メモには「ゴタゴタゴテゴテ...「フランス物語」ロワール古城

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