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2008/03/01

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  • 「ツアーコースにない所」 韓国2 景福宮キョンポックン 明成皇后殺害現場

    景福宮は朝鮮王朝をおこした李成桂(太宗)(在位1392年~1408年)が1394年に建てた王宮です。1592年の文禄の役(韓国では壬辰倭乱)で破壊、1865年再建されました。1895年国王の妃、明成皇后(閔妃)がこの宮殿で日本によって暗殺されました。当時日本とロシアは朝鮮への影響をめぐって互いに対立していました。(結果は日露戦争)その時日本は明成皇后を親ロシアとみなし日本の駐韓公使三浦梧楼の指示を受けた人たちがこの宮殿の坤寧閣に乱入し虐殺しました。「日韓交流の歴史」は「より深くするために」で以下のように記述しています。「明成皇后殺害事件の重要性を学んでほしい。日本の朝鮮侵略は、日露戦争から本格化するが、その前に高宗国王の后を王宮内で殺害するという重大事件を起こしている。この事件は、日本の公使が関与していた...「ツアーコースにない所」韓国2景福宮キョンポックン明成皇后殺害現場

  • 「ツアーコースにない所」韓国1 安重根義士記念館

    韓国旅行(2011年)は10日間という比較的長いパックツアーでしたが、韓国と日本との関係を示すところにはほとんど案内されませんでした。意図的にそのような歴史的な場所への観光は削除されているようでした。そこで旅行最終日の38度線の観光をキャンセルしてこうしたところを訪れました。そのいくつかを紹介します。まずは前回紹介した安重根のソウルにある記念館です。安重根義士記念館については現地手配会社の高さんは「今後とも日本人のツアーコースには絶対に入らないでしょう。なぜならば安重根は韓国では国民的英雄だが、日本ではと、ここで言い淀みました」。そこで私が続けて「日本ではテロリストですか?(私がそう考えているのではありません)と尋ねましたが、答えは返ってきませんでした。さてホテルでタクシーの手配を頼みました。ところが驚い...「ツアーコースにない所」韓国1安重根義士記念館

  • 「ツアーコースにない所」ハルピン 安重根

    安重根(朝鮮語読みアン・ジュングン1879~1910)は朝鮮の大韓帝国時代の朝鮮独立運動家で1909年朝鮮を日本の保護国にした責任者として伊藤博文をハルビン駅構内で射殺した人物です。その「安重根義士記念館」がハルビン駅構内にも隣接してありました。ツアーコースにはありません。事前ににもの存在を知りませんでした。それは「観光コースでない『満州』」(高文研2011年第3刷p165)の以下の文章によります。「**暗殺現場は、終戦まで***円形のガラスがはめられ***解放後も目印があると聞いていたが***我々が訪れた時は***駅員に聞いてもどのホームかさえもわからなかった。**考えてみれば、日本人がロシア人に会うために訪れ、朝鮮人に殺された場所など中国人には全く関係が無いのだから、なにも残ってなくても当然かもしれな...「ツアーコースにない所」ハルピン安重根

  • 「ツアーコースにない所」編 5 コリントス運河の前身ディオルコス

    ギリシアの地図を見ていただければ分かりますが、アテネからアドリア海に抜ける海路はペロポネソス半島を迂回しなければなりません。そこでコリントスの所で運河を通すことが考えられました。古くはBC6世紀コリントスの僭主ペリアンドロスが運河開鑿を計画しますが断念します。AD67年にはかのネロ皇帝が6000人のユダヤ人囚人を使って開鑿を始めましたが、ゴール人の侵入で頓挫します。結局(1883~1893年)スエズ運河の開削に刺激されフランスの会社によって開通されます。この運河は全長6436メートル、幅23メートル、高さは高い所で90メートル、水深8メートルです。第二次世界大戦中ドイツ軍が運河を利用するのを阻止するためには意図的に運河を破壊せざるを得ないこともありました。この復旧には5年あまりかかりました。現在は幅が狭い...「ツアーコースにない所」編5コリントス運河の前身ディオルコス

  • 「ツアーコースにない所」4 ポツダム風車

    写真は何の変哲もないドイツのポツダムある風車です。私はドイツ旅行を決めたとき、もしこの風車がまだ存在していればぜひ見たいものだと期待しました。勿論観光コースに入っていませんので、現地のガイドに尋ねると現在も存在しているとして場所を教えてくれました。見たかった理由は今から約140年前に岩倉使節団(注1)の一員としてここを訪れた久米邦武(注2)が書いた「米欧回覧実記」という本の以下のような一節です。「宮殿の西に1つの風車がある。フリードリッヒ・ウイルヘルム(大王)が宮殿の修築を行った際、このあたりの土地を買い増したところ、そこに風車があって庭園の風景の邪魔になるので、風車の持ち主に命じて取り壊させようとした。ところが風車の持ち主がこれを聞き、ベルリンには法律家は1人もいないのかと言って、返事をせず、取り壊そう...「ツアーコースにない所」4ポツダム風車

  • 「ツアーコースにない所」3 コークの原爆追悼碑

    アイルランド旅行に出かける前にガイドブック「LONELYPLANETIreland」を見ていたらコークの市内地図に“Hiroshima&NagasakiMonument“と書いてありました。説明はありませんでした。日本語のガイドブック「地球の歩き方ダイヤモンド社」にはありませんでした。このパックツアーの観光コースにも入っていません。そこで宿泊のホテルの近くだということを確認して早朝出かけることにしました。しかし私は稀代の方向音痴(この時ダブリンで集合場所を間違えて皆さんにご迷惑を掛けました)なのでホテルの受付で場所を尋ねました。係りの人は暫し首を傾げていましたがようやく分かったか説明してくれました。しかし方向音痴と英語力の不足のためよくわかりません。ままよ、と出かけ途中でたずねましたが殆どの人は知りません...「ツアーコースにない所」3コークの原爆追悼碑

  • 「ツアーコースにない所」2ポンペイ売春宿跡

    イタリアのポンペイ遺跡は有名でイタリア旅行では必ず行くところです。そこに売春宿跡があるのを皆さんご存じですか。ツアーコースにはありません。ガイドブックにもありません。偶然旅行前にその存在を知り、現地ガイドに話をしたところ紹介してくれるということになりました。ところがその後がいけません。添乗員が「女性の参加者はそのようなところに行くことを嫌います。困ります」と抗議をわたくしにしてきました。しかし本音はどうやら先に現地ガイドに話をして添乗員を無視したところに激怒したようです。写真がその売春宿跡です。上部にちょっと見にくいですが男根(ペニス)がありますね。「米欧回覧実記」は「一区ニハ花街アリ***戸ノ上頭ニ画ヲ存セルアリ、多ク淫褻(インセツ)ノ図ナリ」(岩波文庫p334)と記しています。ポンペイにはかなりの数の...「ツアーコースにない所」2ポンペイ売春宿跡

  • 「ツアーコースにない所」編 1 黒人ユダヤ教徒 ファラーシャ

    わたくしが利用した海外旅行はほとんど自由時間がありませんでした。したがってコースにない所の観光はほとんどできません。しかし、関心があるところに行きたいところがあったときには、添乗員または現地ガイドにお願い、少ない自由時間の利用、一同から外れて単独行動という方法があります。それらの方法で「ツアーコースにない所」を観光したところをいくつか紹介します。イスラエルに黒人のユダヤ教徒がいるのをご存じですか。その起源はエチオピアです。エチオピアには以前10万人を越す黒人のユダヤ教徒がいました。彼らはファラシャと呼ばれていましたがその意味が「よそ者」「流浪人」であることから当人たちはその言葉を忌避していてベター・イスラエルと呼ぶ場合があります。その起源には種々な説があり不明ですが1975年イスラエル政府がユダヤ教徒(人...「ツアーコースにない所」編1黒人ユダヤ教徒ファラーシャ

  • 「忘れられない」編 一言

    JapaneseJewモロッコのマラケシュでは自由時間があったのでシナゴーグ(ユダヤ教礼拝場)に出かけました。lonelyplanetにはシナゴーグに行くには現地ガイドが必要と書いてあったので路上にいた現地ガイドに案内を頼みました。その彼は私に”JapaneseJew?”(日系ユダヤ人か?)と尋ねました。多分シナゴーグを訪ねる日本人は珍しいのでしょう。。香港2007年に香港経由でナイロビに向かいました。その最初の香港までの機内で3人掛けの窓際に若夫婦(恋人?)がいて年寄りの私を気遣ってくれて手荷物の収納などを手伝ってくれました。日本人ではないようなので「チャイニーズ?」と尋ねてみました。答えはそれを否定する語調でホンコン(香港)でした。「!?なるほど」が私でした。最近の香港情勢を考え写真は紹介しません。c...「忘れられない」編一言

  • 「忘れられない」編 ロベン島とマンデラ

    ロベン島は南アフリカのケープタウンの沖合い12kmにある島です。アパルトヘイト(人種隔離差別政策)時代、主に政治犯黒人専用の刑務所島だったところです。1959年から1991年まで述べ約3000人が収容されていました。当時の写真です。一人ひとりかなりの間隔があけられて作業をしていますね。其の中には後にノーベル平和賞受けるネルソン・マンデラもいました。1999年島全体が世界遺産登録されました。広島の原爆慰霊碑とともに負の世界遺産です。ケープタウンから船に乗って20分くらいでした。ちょっと余談話このアパルトヘイト白人優位時代の日本人は「名誉白人」という不名誉な名前をもらい白人に準じた扱いを受けていました。ただ白人女性と結婚した日本人が「雑婚禁止法」で国外退去になったことがありました。それに対してプレトリアの日本...「忘れられない」編ロベン島とマンデラ

  • 「忘れられない」編 アウシュヴィッツ

    ポーランドに行くことを決めた時、ちょっと迷いました。「アウシュヴィッツには行きたくない、いや行くべきだ」と。この気持ちは私だけのものではないようで、聞くところによればアウシュヴィッツのときだけ欠席する人がたまにいるそうです。アウシュヴィッツはドイツ語名でポーランド語ではオシフィエンチムです。またアウシュヴィッツの名前が有名ですが、すぐ隣にはここより大きいビルケナウ強制収容所があります。二つ一緒にして考えることが多いようです。ここはあまりにも有名なので説明の用は無いと思いますが、少しだけ触れておきます。第二次世界大戦中ヒトラーナチスドイツがユダヤ人を中心として28民族(人種)の人たちを強制収用所に入れました。そのうちもっとも規模の大きいのがアウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所です。ここで殺された人は150万人...「忘れられない」編アウシュヴィッツ

  • 「忘れられない」編 雄奴隷収容所

    ガーナ共和国のケープコーストに奴隷一時保管所が残されていました。アメリカへ積み出され迄の一時保管場所です。Maleslave(雄奴隷)のdungeon(土牢)。一度に100に程度の奴隷が閉じこまれていました。内部は全く薄暗く陰気な感じでした。2009年7月にオバマ大統領がここを訪れています。オバマさんは奴隷の子孫ではありませんが、ミッシェル夫人はアフリカからの奴隷の子孫です。「忘れられない」編雄奴隷収容所

  • 「忘れられない」編 ヴィルヴィツア=奇想天外

    写真はアフリカナミビア共和国からアンゴラにかけての砂漠に自生する地上で最も過酷な環境で2000年も生きている植物ヴィルヴィッア、日本名「奇想天外」です。この葉の最長記録は8.8mだそうです幼少な?「ヴィルヴィツア=奇想天外」もいるので保護のため石で囲っていました。(写真下)「忘れられない」編ヴィルヴィツア=奇想天外

  • 「忘れられない」編 トゥースレン虐殺犯罪記念館(元刑務所)

    カンボジアのプノンペンではポル・ポト政権が作ったトゥースレン刑務所(現在虐殺犯罪記念館)を訪れました。そこでの写真です。ここに約2万人が収容され6人だけが生還しました。虐殺された人の写真です(写真上中)写真下は何だと思いますか。虐殺された人たちの頭蓋骨で形作られたカンボジアの地図です。あまりにも残酷なので2004年に撤去されました。1975年に成立したポル・ポト政権は1979年までの4年間に200万~300万人(国民の約三分の一)の自国民を虐殺しました。特にインテリ層が対象になりました。メガネをかけているだけでインテリとみなされ処刑されました。いままでナチスのユダヤ人虐殺、トルコによるアルメニア人虐殺を紹介してきましたが、カンボジアでは自国民虐殺です。アフリカのルアンダ、ダンフールの虐殺も他民族です。その...「忘れられない」編トゥースレン虐殺犯罪記念館(元刑務所)

  • 「忘れられない」編 スイスのライオン記念碑

    写真はスイスのルッチェルンにあるライオン記念碑です。フランス革命時の1792年衛兵としてフランス王家に仕えていたスイス傭兵が、革命派によって殺されたことを追悼する碑です。奇妙ですね。外国の傭兵なっていた人を追悼するとは。これには理由があります。スイス傭兵部隊とは(スイス)国家管理の輸出産業だったのです。「金のないところスイス兵なし」といわれるほど金と略奪品を求めてスイス兵はヨーロッパ各国の傭兵として活躍しました。余談ですがスイスの銀行の秘密性は有名ですがこれは傭兵から送られてくるお金の秘密保護に由来しています。スイスで外国軍隊への軍務が禁止されたのは第一次世界大戦が終了して10年後の1927年のことです。「古来戦争とは忠誠、祖国愛といった観念とは対極に位置していた傭兵たちによって担われていたのである。それ...「忘れられない」編スイスのライオン記念碑

  • 「忘れられない」編 フランス大使館の標識

    南アフリカのケープタウンのホテルの隣にフランス大使館がありました。ふと標識を見ると自由Liberte・平等Egalite・博愛Fraterniteと書いてありました。(写真)フランス大使館は東京にもあり珍しい存在ではありませんが、私は初めてでした。したがってこのような言葉が書かれていたとは知りませんでした。フランスは少し嫌いなところがありますがやはりすごい国だなー、と思うと同時にアパルトヘイトの時代にここを通りかかった南アフリカの人たち(黒人、白人を問わず)がこの標語を見て何を思ったであろうかと妄想していました。フランスのパスポートにもこの標語が書かれているのかなー、と思いながら、私のパスポートの表紙にある天皇家の家紋を思い、俺はいまだ「ナンジシンミン」かー。「忘れられない」編フランス大使館の標識

  • 「忘れられない」編 トレヴィア58 バスク料理

    わたくしはあまり食べ物の紹介をしないのですが、このバスク料理はなぜか印象深く記憶に残っています。2回目だったのでサグラダファミリア内部の観光をやめて、近くのカフェ的なところで添乗員の方に案内されていきました。そこでバスク(注)料理をいただきました。バスク料理の中で、最も人気のある料理の一つ「ピンチョス」です。小さく切ったパンに食材を載せて、串や楊枝で刺しているのが特徴です。(注)スペイン領に約75万人、フランス領に約10万人いるヨーロッパ最古の少数先住民族。スペインでは独立国家を目指す人たちも。「忘れられない」編トレヴィア58バスク料理

  • 「忘れられない」編 トレヴィア 57 エチオピアの物貰い

    エチオピアのセミエン公園で宿泊したコテージの部屋にこのような文章がありました。子供に物をあげないようにという趣旨のようです。エチオピアではむやみに物・お金をせがむ人が多かったように思います。前回のブータンではそのような人が一人もいなかったせいか特に印象深く感じました。大学生が授業料をくれと言ったのには驚きでした。普通の女性が胸を押さえ病気なのでお金をくれという状況は複数回ありました。教会を出たところで「ソック・ソック」という子がいました。何かというと教会では靴を脱いで入るので汚れた靴下をくれというこのようでした。私の旅行では物ねだりが最も多かった国です。しかし、ここセミエン公園では物を売ろうとする子はいましたが、お金をねだる子はいませんでした。「忘れられない」編トレヴィア57エチオピアの物貰い

  • 「忘れられない」編 トレヴィア 56 ブータンの王

    前回ブータンの王様について触れたのでついでにもうひとつ。写真はブータンの首都ティンプーにある伝統技芸院の教室にあった張り紙です。この英文を英語に堪能な同行者に訳してもらい、その後私がこの文章の下にあるメッセージの作者の名前を音読した時、この室内にいた生徒たちが一斉に立ち上がり何か叫びました。私は一瞬何が起きたのか分かりませんでした。どうやら私が音読した名前は王で、彼らは「王様だ、この壁にある王様の写真を撮れ」と言っているようでした。ブータン人の国王に対する敬愛の念については事前に書物では知っていましたが、ここで初めて肌で実感しました。写真下は生徒たち。「忘れられない」編トレヴィア56ブータンの王

  • 「忘れられない」編 トレヴィア55 ブータンの交通

    一見トレヴィアの様で深い意味のあるもの5つ目ブータンでは1960年までは車が通れる道路はありませんでした。したがって勿論車も一台もありませんでした。現在は車も通行しています。写真は首都ティンプのメインストリートです。車も見えますね。御堂のような建物がありますが、ここに警察官がいて交通整理をします。以前ここに信号機がありましたが国王の「景観上似合わない」との一言で廃止になり、現在ブータン国内には信号機はありません。ブータンの国民感情を象徴しているようです。「忘れられない」編トレヴィア55ブータンの交通

  • 「忘れられない」編 トレヴィア54 奴隷交易

    一見トレヴィアの様で深い意味のあるもの4つ目この写真はアフリカのベナン共和国(以前ダメホー王国)のギガ要塞博物館で見たものです。この文章の意味は「アフリカの王たちは奴隷交易を初めから積極的に行ったのではないが、結果的には莫大な利益を上げた」ということのようです。この弁解は事実と異なるものです。実際は当時のアフリカ諸国の王たちが積極的に奴隷狩りをしてヨーロッパ諸国の商人に売り鉄砲などの武器を手に入れていたのです。しかしこのような言いわけが書かれているところをみると一定の説得力を持っているのでしょうかね。そのためこの地のダホメー王の末裔が現在も一定の権力を持っているのかも。奴隷狩りの跡をベナンの人口2万人の湖上村ガンヴィエ(写真下)に見ることができます。このような湖上の不便なところに2万もの人が生活している理...「忘れられない」編トレヴィア54奴隷交易

  • 「忘れられない」編 トレヴィア53 オストラコン

    写真はギリシアのアテネの柱廊博物館で見たオストラキスモスに使われたオストラコンです。オストラコンとはギリシア語で陶片を意味します。オストラキスモスとは古代ギリシアの政治制度です。一般に古代ギリシアの各ポリスは王政→貴族制→民主制と進みました。その典型的な都市がアテネ(古代名はアテナイ)でした。その貴族制→民主制の過渡期に非合法の独裁支配者が現れます。これをギリシア語でtyrannosといい日本語で僭主と訳しています。このtyrannosは英語のtyrant(暴君、独裁者)の語源になっています。しかしギリシアでは暴君的な意味はなくむしろ以後の民主制の発展に寄与している側面があります。しかし、民主制下ではこのtyrannosの出現を警戒して市民は写真のようなオストラコンに危険と思われる人物名を書きアゴラ(市民...「忘れられない」編トレヴィア53オストラコン

  • 「忘れられない」編 トレヴィア52 トルコとギリシア

    一見トレヴィアの様で深い意味のある2つ目。ギリシア旅行時トルコ領内にあるギリシア古代遺跡エフェソスに船で向かいました。到着した港町はクシャダスです。港に下り立ったとき面白い物を見つけました。(写真)そうなんです”、WheninTurkey***DowhatmostTurkishpeopledo.”と書いてありました。直訳すれば「トルコに居るときは、多くのトルコ人がするようにしなさい」日本語では「郷に入ればば郷に従え」となるのでしょうか。普通ならば”WelcometoTurkey”「トルコへようこそ」だと思うのですが。そこで私流にこの謎解きをして見ます。この謎解きのキーワードは「ギリシアとトルコは犬猿の仲」と思います。添乗員の稲葉さんが面白い話しをしてくれました。煮出しのトルココーヒーは有名ですが、全く同じ...「忘れられない」編トレヴィア52トルコとギリシア

  • 「忘れられない」編 トレヴィア51 アレクサンダーちゃん

    一見、トレヴィアですが意外に深い意味のあることに出会うことがあります。2010年にマケドニアを訪れた時住宅街をぶらぶらしていた時、アレクサンダー!と呼ぶ声が聞こえました。その先には女の子がいました。(写真上)どうやらこの女の子の名前がアレクサンダーのようです。びっくりしました。女の子の名前がかの歴史的なアレクサンダー大王の名前と同じだとは。どうやらこれには深い意味があるようです。マケドニアは隣国ギリシアとの間に国名をめぐってトラブルがあります。ギリシアの言い分は、「マケドニア」という国名は、かの有名なアレクサンダー大王の古代マケドニアの名称の僭称というわけです。そして自分たちギリシアがマケドニアの正当な継承者と主張しています。そこで1991年にユーゴスラビア連邦より独立した時の国連加盟時の呼称は「マケドニ...「忘れられない」編トレヴィア51アレクサンダーちゃん

  • 「忘れられない」編 トレヴィア50 ツアツア

    ブータンでは死後遺体は僧侶によって魂が抜かれ(ポアといいます。オーム真理教を思い出しますね)故人の魂は休む間もなく次の生を受けて転生します。(輪廻転生)したがって、遺体はただの物体になり火葬されます。火葬後遺灰は川に流されます。(ヒンドゥー教とここまでは同じ)ただ遺骨の一部が遺され粉々に砕かれ粘土と混ぜあわされ、それを円錐形の鋳型で固めます。数十個から百個くらい作ります。これをツァツァといいます。これを天日干しにして21日目にチョルテン。寺の屋根や壁、または道端に奉納し、その後はそのまま放擲し数年で風化しあとかたもなくなります。お寺に置かれたり(写真上)、なにもない道端(写真下)にもありました。本林靖久氏はこのことについて以下のように述べています。「ブータンでは遺体や遺骨に対する執着はなく、遺骨を保存し、...「忘れられない」編トレヴィア50ツアツア

  • 「忘れられない」編 トレヴィア 49 イランの結婚式

    イランのホテルで結婚式(披露宴?)に出会いました。写真は男性席、仕切りの向こう側は女性席というわけです。男性席の前には果物だけ、勿論アルコールはありません。お互いに談笑している風もありません。この状態は最後まで続くそうで、現地ガイドのサラビさんはこれが普通でまるで葬式のようだと話してくれました。そういえば皆さん、さえない顔をしていますね。ついでにもう一つ彼らの胸元を見てください、ネクタイをしていませんね。以前ネクタイは禁止でしたが、今は自由にはなっていますがやはり、何故ですかね。日本のクールビズの元祖ですか。下の写真は女性席です。勿論男の私は入れないので、同行の女性に写してもらったものです。男性側と違ってなんとなく華やいで見えます。まだ会は始まっていないのですが、宴たけなわとなるとヴェールを脱ぎドンちゃん...「忘れられない」編トレヴィア49イランの結婚式

  • 「忘れられない」編 トレヴィア48 エイズ

    最近では伝染病として「コロナ」の話題も少し少なくなりましたが、それ以前は「エイズ」が最大の話題でした。2011年にブータンを訪れた時、写真のような掲示板に出会いました。ブータンではエイズの患者が沢山いるとは聞いていませんが、エイズ予防の掲示板です。なかなか面白いので紹介します。インド国境に近いサムドゥプ・ジョンカン(2011年8月23日地図)で見ました。国境の町ということに何か意味があると感じました。ゾンカ語と準公用語の英語で書かれていました。私の下手な日本語訳を付けておきます。「私はコンドームです。あなたの友達です。決してあなたを裏切りません。あなたは私を常に信頼できます。あなたをエイズから守ります。あなたの人生に幸せをもたらすことができます。あなたに役立ちます。セックスの時に私を使用することで後悔する...「忘れられない」編トレヴィア48エイズ

  • 「忘れられない」編 トレヴィア47 石風呂

    ブータンのパロで民家を訪れた時、石風呂に出会いました。ちょっと分かりにくいですが、手前が熱した石でその向こうが湯船というわけです。前国王の妃ドルジェ・ワンモ・ワンチュックがその著「幸福の大国ブータン」(p172)で次のように記述しています・「温泉に行かれない人は、家の近くの湯治としてブータン式石風呂があります。石風呂は木桶の中に熱い石を入れて浸かるものですが、ブータン国内の至る所、鉱物質の豊かな水が湧き出るところには、何十と設けてあります。あらかじめ水を張っておいた木桶を、板で二つに仕切って、片方に熱した石を入れて、もう片方に人が浸かります。熱せられた石が、湧き出た薬効の水を温めるので、ミネラル分の癒し効果が高まります。石風呂に浸かると、即座に痛みや苦しみから解放されます「忘れられない」編トレヴィア47石風呂

  • 「忘れられない」編 トレヴィア46 添乗員は通訳ではない

    ドイツ旅行の時でした。どこであったかは忘れましたが、ある建物の説明を現地ガイドがして、それを我々の添乗員が日本語に訳しました。ところがその説明が建物の実際と食い違っていました。そこで同行者の一人が「それは違うのではないですか」と疑問を呈しました。その時添乗員は急に怒り出しました。「添乗員は通訳ではありません。TVなどを見れば分かると通り通訳の仕事は大変神経をすり減らす仕事です。それが証拠に彼らはたびたび仕事を交代しているでしょう。添乗員は通訳ではないので間違いはあります」一同沈黙!「忘れられない」編トレヴィア46添乗員は通訳ではない

  • 「忘れられない」編 トレヴィア45 この世は誰が造ったのか

    私はラディカルな無神論者ですが、宗教(者)には強い関心があります。旅行では宗教や政治を話題にすることはタブーで特にキリスト教やイスラーム教圏では無神論であることの表明は絶対に避けるべきだと言われているようです。しかし私は自分が無神論者であるとよく言います。しかしそれで問題になったことは今までありませんでした。記憶がだいぶ薄れたのでどこの国だったかはよく覚えていませんが、キリスト教圏の国の街でぶらぶらしていた若者と出会い何かの拍子で自分は無神論者であると発言しました。その時若者は「それでは誰がこの世界を造ったのか?」と反論してきました。後から考えれば至極当然な普通の反論です。私は沈黙でした。しかし、この反論をいまだに鮮明に思い出します。それは多分日本では「誰が此の世界を造ったのか」と反論する人はあまりいない...「忘れられない」編トレヴィア45この世は誰が造ったのか

  • 「忘れられない」編 トレヴィア44 ハルピンでの婚活広場

    中国東北部の都市ハルピンで婚活広場に出会いました。この地にはロシアの影響でキリスト教会(ユダヤ教のシナゴーグを含む)が現在も残っています。(宗教活動が現在もなされているかどうかは私には不明)その一つハルビン天主教堂を訪れたときです。後方の周りの広場がかなり賑わっているので、屋台でも出ているのかなと思って近づいてみるとこの写真です。どうやら婚活ビラのようです。近づいてみるとはっきりしますね。真ん中のビラは男性からのものでわかりそうなところだけ拾い上げれば見れば「男性当方身長178センチ体重67kg仕事万能工(?)独立住居在り父母健在求む女性はハルビン居住父母健在性格良連絡先電話」ということのようです。右隣は女性から男性へ、のようですね。どちらも父母健在と明記されているところが面白いですね。このビラ張りは公的...「忘れられない」編トレヴィア44ハルピンでの婚活広場

  • 「忘れられない」編 トレヴィア43 歓喜仏

    ブータンでは原則としてお寺の内部は撮影禁止ですが、ここタシガンのクンザンヤブイム尼僧院では許されました。男女2体が合体した歓喜仏(ヤブユム)があるとは聞いていましたが、ここで初めて見ることができました。記憶が確かではありませんが多分ここだけで見たような気がします。「地球の歩き方」は「密教には性的エクスタシーを悟りの境地を高めるという思想があり、歓喜仏はそれを具体化したものである」(65~66)と説明しています。日本にもこの考えは伝わり真言宗立川流(現在は消滅したと考えられています)にそれを見ることができます。代表的な人物としては太平記にも登場する鎌倉幕府転覆を祈る「文観」がそうです。「関東調伏ノ為ニ、***加様ニ秘法ヲ修セラレルト也」(太平記巻一)立川流の教義は、陰陽の二道により真言密教の教理を発展させた...「忘れられない」編トレヴィア43歓喜仏

  • 「忘れられない」編 トレヴィア42 ブータンでポー(男根)

    写真はブータンのバロで見かけたものです。落書きではないようです。男根はブータンでは「ポー」と言います。「ポー」の絵以外につてはみなさんの妄想に任します。ナショナルジオグラフィック日本語版2008年3月号『岐路に立つブータン』p124にこの件に関連した記事が記載されていたので以下のように紹介します。「ブータンで信仰されているチベット仏教は密教で、俗っぽく、ユーモアや茶目っ気にあふれている。性的な表現が豊富なのは、性交渉もまた悟りにつながるという、密教の教えを反映しているのだろう。その思想を最も大胆に体現しているのが、『風狂の聖』として今もブータンで愛されている16世紀の高僧ドゥクパ・クンレだ。彼は田舎でどんちゃん騒ぎをし、悪魔を退治して自らの“燃えさかる稲妻”つまり男根で、娘たちを悟りに導いたという。今もブ...「忘れられない」編トレヴィア42ブータンでポー(男根)

  • 「忘れられない」編 トレヴィア41 阿里山森林鉄道車授乳室

    台湾の阿里山森林鉄道に授乳室がありました。ちょっと感激しました。「忘れられない」編トレヴィア41阿里山森林鉄道車授乳室

  • 「忘れられない」編 トレヴィア40 アメリカ合州国当初の国旗

    26回という世界でもっとも変更回数の多いアメリカ国旗の初代にコロニアル・ウィリアムズバーグで出会いました。私にはちょっとした感激でこのように老醜をさらしての写真となりました。1775年12月3日(独立戦争開始4月19日)~1777年6月14日までの国旗です。イギリス国旗に似ていますね。その後そこに州の数の星が描かれるようになります「忘れられない」編トレヴィア40アメリカ合州国当初の国旗

  • 「忘れられない」編 トレヴィア39 HALAL FOODと星条旗

    HALALFOODを提供する屋台ですね。ニューヨーク・マンハッタンで出会いました。HALALFOODとはイスラーム法上食べても良い食材、料理を言います。星条旗、アメリカ国旗がはためいているのが面白いですね。イスラーム教徒ですがアメリカ合州国に忠誠を誓っているということですかね。「忘れられない」編トレヴィア39HALALFOODと星条旗

  • 「忘れられない」編 トレヴィア38 赤道

    アフリカのウガンダで赤道(EQUATOR)を跨ぎました。N(右)が北半球でS(左)が南半球ですね。「忘れられない」編トレヴィア38赤道

  • 「忘れられない」編 トレヴィア37 モンテネグロの十戒

    2003年にスロヴェニア、クロアチアを旅行した時、ドブロヴニクから日帰りのオプションでモンテネグロを訪問しました。土産屋で絵ハガキを見つけました。写真がそれです。これは日本語ですが、英語、ドイツ語などもありました。何故このような自国民を揶揄するような絵ハガキが土産物として売られていのか、モンテネグロ人は自虐的なのか、はたまた超ユーモアの持ち主なのか。なおこの日本語は少し(かなり)不自然ですが熟読玩見してください。「忘れられない」編トレヴィア37モンテネグロの十戒

  • 「忘れられない」編 トレヴィア36 イスラーム圏での例外的な自然崇拝

    イスラーム教圏もキリスト教圏と同じですが例外的な光景をイスラーム教圏のトルコで見ていたので紹介します(トロイの遺跡の近く)。日本では神社などでよく見られる風景ですね。紙に願い事を書いています。現地ガイドのハーカンさんが珍しいもの見せると言って連れて行ってくれました。観光スポットではありません。ハーカンさんは何か秘密のものを見せるといった様子でした。イスラーム教徒にとっては許すことのできない異端の風習です。ハーカンさんはイスラームが来る以前の信仰だと説明していました。「忘れられない」編トレヴィア36イスラーム圏での例外的な自然崇拝

  • 「忘れられない」編 トレヴィア35 聖母子像

    クリスマスに因んで。写真はマケドニア共和国のオフリドで見た聖母子像です。このように自然の中に聖母(神)が祀られている風景は東南アジア、日本では珍しくないというよりは普通です。日本の神社仏閣は鬱蒼とした木々に包まれているし、ちょっとした林をよく見ると祠があり神仏が祭られている風景は今はだいぶ少なくなりましたが、かってはよく見られました。東南アジア、日本では自然と共に神仏があります。自然が神仏でもあります。しかし、キリスト教の教会やイスラーム教のモスクでは全く自然は排除されています。皆さん、木々に囲まれた教会、モスクを見られた方がいらっしゃいますか。無いですね。キリスト教、イスラーム教では「神」「人」「自然」は全く互いに隔絶した存在です。以前私はヨーロッパを旅行していて林に祠などが無いかとキョロキョロしてみま...「忘れられない」編トレヴィア35聖母子像

  • 「忘れられない」編 トレヴィア34 世界最小の帽子

    中国西域南道のニヤ(民豊)と和田(ホータン)の中間にあるケリヤの街で見かけたウイグル人女性です。この街独特の世界最小の帽子を被っています。許可をもらっての撮影です。同行の女性はこの人に撮影を断られたそうで、後でちょっぴりヤキモチを妬かれました。「忘れられない」編トレヴィア34世界最小の帽子

  • 「忘れられない」編 トレヴィア33 台所廃棄物口

    アンドラ公国にあるカサ・クリストル民俗博物館を訪れました。建物は18世紀から19世紀にかけて建てられた、この地では比較的下層の農民の家です。1947年にこの家の所有者がフランスに移住し空き家になっていたのを中の家具などを含めて町が購入して博物館にしたものです。本来民家ですから台所があります。問題は向こうに見える「穴」です。ここは2階ですが、この台所の廃棄物をこの穴から外の道路に流していたのです。19世紀フランスのパリでは家庭の廃物物(人糞も)を外の道路に廃棄していたことは有名です。(「パリの聖月曜日」喜安朗著、NHKTVのブラタモリのパリ編)。余談話ですが、20年近く前に私はパリで何回かイヌの糞を踏みました。私のパリの最大の想い出はこの路上のイヌの糞です。そのためにハイヒールが考案されたという話があります...「忘れられない」編トレヴィア33台所廃棄物口

  • 「忘れられない」編 トレヴィア32 語学音痴

    語学音痴のわたくしの恥かき話です。北欧のフィヨルド観光船で観光していた時の話です。同乗者にスペイン人がいました。そこでわたくしはガウディの国ですねと挨拶をしました。すると少し首をかしげてから、わたくしのガウディというフラットな発音を訂正してガウディと「ディ」にアクセントがあることを教えてくれました。もうひとつ。スウェーデンで同じく「ノーベル」とフラットな発音をして「ノーベル」と「ベ」にアクセントがあることを教えてくれた人がいました。「忘れられない」編トレヴィア32語学音痴

  • 「忘れられない」編 トレヴィア31 バルザック

    ウクライナのリヴィウのジョルジュホテルで指定された部屋に入ると写真のようなプレートが目につきました。フランスの小説家バルザック(1799~1850)がこのホテルに泊まりこの部屋を気に入ったと書いてあるのにビックリしました。私は小説をあまり読まない方ですが、なぜかバルザックが好きで東京創元社「バルザック全集26巻」を購入して夢中で読んだ青春後期がありました。今は手元にはありませんが確かピンク色のクロスの表紙だったように記憶しています。あわてて、レセプションに確認に行きました。最初に入った時気がつかなかったのですがフロアーにはバルザックゆかりの物が沢山陳列されていました。写真はその一つです。このホテルに泊まったのはバルザック一人だけではありません。彼の愛人ハンスカ夫人と一緒でした。ハンスカ夫人(1801~18...「忘れられない」編トレヴィア31バルザック

  • 「忘れられない」編 トレヴィア30 食肉ラクダ

    サハラ砂漠のアルジェリアのオアシス都市「ムサブの谷」の市場で出会った写真です。ギョットしました。そうラクダです。やはり出ました。アルジェリアのオアシス都市ティミムーンの民家での昼食で頂いた「ラクダ肉とヒヨコマメのスープ」です。味痴の私にはよくわかりませんが普通の肉と変わりないように感じました。オアシス都市ベニ・アベスで食肉用に飼育されているラクダに出会いました。どうやら、交通手段としてのラクダの役割が終わりになっているような気がしました。「忘れられない」編トレヴィア30食肉ラクダ

  • 「忘れられない」編 トレヴィア29 デコカー

    パキスタンの荷物運びの車はすべてこのスタイルです。このデコレーションには所有者は競ってかなりの費用をかけるそうです「忘れられない」編トレヴィア29デコカー

  • 「忘れられない」編 トレヴィア28 ドリアン事件

    強烈な悪臭でしかし美味で有名なドリアンには子供の時からの思い入れがありました。当時日本は太平洋戦争真っただ中で時流に乗った南方冒険物語の児童書に胸をとどろかして読んでいました。南田洋一郎という著者がいまだに記憶にあります。お話の内容を今はすっかり忘れていますが、南方にはドリアンという果物の王様があるということだけは今日至るまで覚えています。その憧れのドリアンに出会ったのは2001年カンボジア旅行の時でした。プノンペンの市場でドリアンを見つけ買い求めていてグループから逸れ添乗員からひどく叱られました。3ドルでした。この国の物価水準からいってかなり高価だったように思います。昼食時にみんなと一緒に食べようとしたところまたも添乗員の「なんていうことを」と、しかられました。そこでやむなく宿泊のホテルに持ち込みました...「忘れられない」編トレヴィア28ドリアン事件

  • 「忘れられない」編 トレヴィア27 下駄とそろばん

    イランで出会った下駄です。下駄を「昔懐かしい」というのは下駄に失礼かもしれません。10年ほど前までは私の愛用の履物は下駄で近所の子供たちからは「下駄のジジィ」呼ばれていました。しかし、今は下駄を売っている履物屋さんを見つけることは難しくなりました。これはどうやら中国産のようですが。同じくイランで出会ったそろばんです。10珠のそろばんです。そういえばそろばんの発明はイランの隣イラク地方だそうです。「忘れられない」編トレヴィア27下駄とそろばん

  • 「忘れられない」編 トレヴィア26 イランの赤ちゃん

    イランで出会った女の赤ちゃんです。よく見てください。金のイヤリングをしているでしょう。そうなんです。イランの女性は赤ちゃんの時から「金」が大好きなのです?昔から「金」は大切な女性の財産だったのですね。「忘れられない」編トレヴィア26イランの赤ちゃん

  • 「忘れられない」編 トレヴィア 25 飾り窓

    オランダのアムステルダムで同行の男性たちを誘って夕刻に「飾り窓」(注)の探訪を計画していたところ奥さんたちの妨害?にあって不首尾になりました。私1人悪者になりましたが、添乗員が気を利かして暗くなる直前にそこに全員を案内してくれました。彼女たちが盛んに窓から姿?を出してデモンストレーションしているので盗写(撮影禁止)を試みましたが失敗しました。ふと地面を見ると(写真)。(注)不案内の方のためちょっと。英語では“Red-LightDistrict”で「赤線地帯」。オランダでは2000年に合法化されました。「忘れられない」編トレヴィア25飾り窓

  • 「忘れられない」編 トレヴィア 24 小妖精

    アイルランド旅行中バスでこっくりこっくりしていてふと眼を開けたとき目に飛び込んできたのがこの写真の道路標識でした。思わず「バスストップ!」と声を上げました。同乗の人たちはビックリして私を見ました。お詫びを言いながらバスを臨時停車にしてもらい写真を撮りました。”Leprechauncrossing”「レプラコン(小妖精)横断歩道中」ということです。事前に読んでいた司馬遼太郎の「愛蘭土紀行」にこの道路標識の話が載っていたのを瞬間思い出したというわけです。現地ガイドの一人が、実在を信じているようで、真剣に真面目に妖精の話をしていたことを思い出しました。このアイルランド人の妖精好きはケルトの伝統だそうです。そういえばアイルランド人を父に持つラフカディオ・ハーン小泉八雲も妖怪、妖精が好きですね。「忘れられない」編トレヴィア24小妖精

  • 「忘れられない」編 トレヴィア23 alcohol free

    北アイルランドのベルファストで驚いたのはALCOHOLFREEAREAという看板があったことです。ここではアルコールがただで飲めるということかな?と一瞬思い喜びました。町中いたるところに市当局BelfastCouncilのこのような掲示がありました。しかしよく見ると「この地域の公共の場所での飲酒は法律違反である。罰金は500ポンド(約10万円)」と書いてありました。この街では路上で飲む人が多いということでしょうね。今日本でも問題になっている路上飲酒禁止ですね。alcoholfreeというのはアルコールはダメということの意味なんですね。英語音痴のお粗末笑い話でした。というわけで路上飲酒ではなくアイルランド名物のパブに出かけることにしました。ベルファストの1885年開業の“CrownLiquorSalon“と...「忘れられない」編トレヴィア23alcoholfree

  • 「臨時特別」編 イスラエル国家内のアラブ人(パレスチナ人)

    イスラエルのガザ侵攻が激化していますが、イスラエルには、ユダヤ人以外でイスラエル国籍を持つアラブ人も約20%程度います。彼らの存在についてはマスコミでもあまり報道されていません。彼らの意見、行動も伝えられていません。そこでイスラエルに旅行した際に体験した話を少し紹介します。私が見聞きしたはアラブ人ですがパレスチナ人とも呼ばれます。ここではアラブ人としておきます。イスラエルの国内をバスで移動をしていると、ところどころに周囲から孤立しているような集落に出会いします。現地のガイドの山崎さん(イスラエル国籍)があれはアラブ人の集落ですと教えてくれました。その時山崎さんとバスの運転手(ユダヤ人)が何か熱心に話し始めました。山崎さんの話によればこのユダヤ人運転手は「間もなく、あそこにいるアラブ人を追い出してユダヤ人の...「臨時特別」編イスラエル国家内のアラブ人(パレスチナ人)

  • 「忘れられない」編 トレヴィア22 マツタケ

    ブータンから日本はマツタケを輸入していることをご存じですか。ブータンのティンプのホテルで朝食をすませて出発のためロビーに行くと皆さんが何かを取り囲んで集っていました。そうです。このマツタケを取り囲んでいました。日本人観光客が宿泊しているということで売り込みに来たのでした。添乗員の安原さんのおごりということでこの昼の食事でいただきました。私には40数年ぶりの御馳走でした。その後も数回にわたっていただきました。これが私の生涯の終りのマツタケになるでしょう。2011年9月19日の朝日新聞に以下のような記事が掲載されていました。「ヒマラヤの小国ブータンでは雨期の終わりの8月から9月初めにマツタケがとれる。(中略)かおりも良い。ただブータンの人には合わないらしく、長い間、身向きもされなかった。現地語で「男性器のキノ...「忘れられない」編トレヴィア22マツタケ

  • 「忘れられない」編 トレヴィア21 ワンちゃん6 フン

    ポルトガルのポルトで写した写真ですが、皆さんなんだと思いますか。同行の人の話では散歩に連れていた犬のフンの後始末をするための道具が入っているのだそうです。なかなかいい試みですね。フランスでは野放しで?たびたびフンづけたことを思い出しました。「忘れられない」編トレヴィア21ワンちゃん6フン

  • 「忘れられない」編 トレヴィア20 ワンちゃん5 ダルメシアン

    ダルメシアンはダルマチア(クロアチアのアドリア沿岸地方)原産です。写真はそのダルマチア地方で見かけたダルメシアンです。写真がないのが残念ですが、オランダでは日本の秋田犬と散歩をしているオランダ人を見かけました。日本の犬ですか、と訊ねると、そうですと、うれしそうに返事が返ってきました。フランスでは犬の糞に悩まされました。たびたびフンをフン付けました。他の国ではそのような経験はありませんでした。ヨーロッパでは犬はよく躾けられています。犬同士が吼えあうこともなく、ましてや人に吼えるような光景も見ませんでした。日本では良く見かけるワンちゃんが飼い主を引っ張りまわすような場面にも出会ったこともありません。以前はこのヨーロッパ流が良いと思っていましたが、私は最近ではこのことについて少し疑問を感じています。もう少しワン...「忘れられない」編トレヴィア20ワンちゃん5ダルメシアン

  • 「忘れられない」編 トレヴィア19 ワンちゃん4 アテネ

    ギリシアもワンちゃん天国のようです。写真(上)はアテネの繁華街です。ワンちゃんが気持ちよく寝そべっています。この犬ノラなんです。アテネでは珍しい光景ではありません。オリンピックの時に野良犬をすべて捕獲して、不妊手術、予防注射をして一時収容しましたが、オリンピック終了後すべて釈放されたそうです。写真(下)はアテネのアゴラ跡でのワンちゃんです。犬たちは決して吼えたり噛み付いたりしません。のんびりと寝そべっています。遺跡では観光案内?をしてくれるワンちゃんもいます。餌は誰がやるのですかね。「忘れられない」編トレヴィア19ワンちゃん4アテネ

  • 「忘れられない」編 トレヴィア18 ワンちゃん3 ブータン

    ブータンはワンちゃん天国でした。写真のような風景は珍しくありません。毛並みもよく健康そうでほとんど寝転がっています。ほえもせず、餌をねだって近寄ってくることもありません。ブータンでは殺生を嫌います。それがワンちゃん天国になったようです。このように昼間は平和ですが、夜になると一変します。私たちは毎晩のように犬の鳴き声で安眠を妨害されました。そう毎晩でした。先代の国王の妃は「仏教の生きとし生けるものを敬うという教えは、ブータン人の信仰、風習に深く浸透し****問題が起こっていることも事実です。たとえば都市部での野良犬の増加***」(「幸福大国ブータン」p142)と述べています。「忘れられない」編トレヴィア18ワンちゃん3ブータン

  • 「忘れられない」編 トレヴィア17 ワンちゃん2 犬猿の仲?

    どうです、この光景。普通仲の悪いたとえとして「犬猿の仲」と言いますが。スリランカのシーギリヤ・ロックへの道筋で出会った光景です。この後は私の妄想。犬「新年おめでとう、今年は長年の犬猿の仲を解消してモコモコの仲になろうではないか」猿「賛成だね、今年はおれの年でもあるし、仏陀からの強烈な圧力もあるので”finalandirreversible”な恒久的平和条約を結ぶことにしよう」「忘れられない」編トレヴィア17ワンちゃん2犬猿の仲?

  • 「忘れられない」編 トレヴィア16 ワンちゃん1 ゴルノグラード展望台にて

    スイス、ゴルノグラード展望台からマッターホルンに向けての写真です。マッターホルンは霧で見えませんね。一緒に写ってくれた救助犬は寂しそうですね。「忘れられない」編トレヴィア16ワンちゃん1ゴルノグラード展望台にて

  • 「忘れられない」編 トレヴィア15 イスラエル人

    イスラエルとハマスの対立が激化していますが、そこでイスラエル人について旅行中に体験したことを一つ紹介。1997年のイギリス・ロンドン・ウインザー城観光の時でした。背の低い浅黒い肌をした中年男性に私の知る数少ない英会話表現“Whereareyoufrom?”(どちらのお国のお方ですか?)と尋ねました。”Israel!Israelissmallbutgreat“(イスラエルイスラエルは小さいが偉大な国家だ)と誇らしく、傲然とした答えが返ってきました。私は”Whereareyoufrom?”を旅行中馬鹿の一つ覚えで乱発します。このように誇らしく、傲然とした返事が返ってきたのは最初にして最後でした。余談話Israelはイスラエルではなくイズラエルということをこの時初めて知りました。無知暴露。「忘れられない」編トレヴィア15イスラエル人

  • 「忘れられない」編 トレヴィア14 エフェソス売春宿

    エフェソスの遺跡からもう一つ娼婦宿が残されていましたが、当時修復中で見ることはできませんでした。しかし「足跡の道しるべ」(写真右)がありました。足跡の方向が娼婦宿の方向を示しているのだそうです。娼婦宿跡から見つかった粘土像(ベス神)がここの博物館の日本語パンフレットに記載されていたので転載します。(写真左)「忘れられない」編トレヴィア14エフェソス売春宿

  • 「忘れられない」編 トレヴィア13 エフェソスのトイレ

    写真はトルコにある古代ギリシアのエフェソス遺跡の公衆トイレ跡で人物はトルコ人の現地ガイドです。この公衆トイレは大理石でできています。隣同士どんな会話があったのでしょうね。現地ガイドは日本語ペラペラ?の日本大好き人間でした。日本人と結婚し娘さんもひとり生まれましたが、奥さんはトルコに馴染めず娘さんを連れて日本に帰ったそうです。そこで彼はお金をためて娘さんに会うために日本に行く予定だそうです。「忘れられない」編トレヴィア13エフェソスのトイレ

  • 「忘れられない」編 トレヴィア12 イランのトイレ

    2008年4月3日〰4月24日の「大ペルシャ周遊」の時の話です。「所変われば品変わる」を見、感じるのが旅行の最大の楽しみであり、旅行記なるものはそれに尽きるといっても過言ではないと思われますが、今回最初にそれを感じたのはトイレでした。写真を見てください。しゃがむ形式はごく最近までの日本(まだ在る)と同じですが、ホースがあります。これから放水して局所を洗浄します。今は日本でも固定式の洗浄器のトイレも多くなっていますが、ここは手動で私はホテルで実験しましたが、水浸しになり慌てました。したがって?トイレットペイパーもありません。乾燥はどうするのですかね?かなりの高級ホテルでもペイパーを置く所がなく片隅に置いてあったり、なかったりします。今回ホテルでも腰掛トイレはごく一部でした。しかし、今から考えると私の聞き違い...「忘れられない」編トレヴィア12イランのトイレ

  • 「忘れられない」編 トレヴィア11 小便小僧の妹

    ベルギーの小便小僧(1619年作成)は有名ですが近所に1987年小便小僧の妹が出現しました。鍵の掛かった鉄格子に入れられていました。最初は鉄格子はなかったのですが道路から手が届く位置にあったため、像に触る人が後を絶たず、像の局部周辺がはげあがってきたために後日作られました。同行の女性からイヤラシイという声が聞こえてきました。レストランのオーナーが客寄せのために、彫刻家のドニ=アドリアン・デボヴリによって制作されました「忘れられない」編トレヴィア11小便小僧の妹

  • 「臨時特別」編 アルメニア人虐殺とクルド人

    アルメニア人虐殺とクルド人の関係について「トルコ」(岩波新書)の著者内藤正典氏に以下のようなメールをしました。内藤正典様前略貴著岩波新書「トルコ」を拝読しました。大変興味深く勉強になりました。ありがとうございました。拝読しながら以前から気にかかっていたことを思い出しました。それはアルメニア人虐殺についてです。2003年アルメニアの首都エレバンのジェノサイド博物館訪問した時での現地ガイドの以下のような説明でした。「アルメニア人を殺せばクルドの独立を認めるというトルコ政府の扇動に乗ってこの大虐殺にクルド人も一役買ったのです」この話は本当なんですか。ご教示いただけますと幸いです。なお貴著p165「多くのアルメニア人が住んでいたとされる東部地域から、彼らは出て行った。その後をクルド人が埋めていった地域も多い」はこ...「臨時特別」編アルメニア人虐殺とクルド人

  • 「忘れられない」編 トレヴィア 10 鎖猫

    韓国全州韓屋村で見た猫です。よく見てください。鎖につながれています。昼間はこのように鎖につながれ夜になるとネズミを取るため放されるそうです。韓国全土でこのような風習になっているのかどうかは確認しませんでしたが、この地方では一般的のようでした。日本でも平安時代、犬は放し飼いで、ネコは鎖につながれていたようです。(源氏物語、枕草子)「忘れられない」編トレヴィア10鎖猫

  • 「忘れられない」編 トレヴィア9 傾きワイングラス

    スイス氷河特急車内での昼食です。美女軍団に囲まれて「ヤニサガッテイル」わたくしの紹介ではなく、皆さんが手にしているワイングラスの紹介です。下の写真のワイングラスです。氷河特急名物「傾きワイングラス」です。わたくしはめったに土産物は買わないのですがこれは購入。余談話時々市電(路面電車)に乗ります。満席の時89歳のわたくしがもたもたしていると席を譲ってくれる人は大体50%くらいです。先日席を譲ってくれた人が連続して2名いました。いずれも中年の外国人でした。最初はドイツ人でした。ダンケシェーン(有難う)とお礼を言いました。もう一人はロシア人でした。「有難う」のロシア語が出てきません。ようやく約2分後に「スパシーボ」(有難う)を思い出しました。いずれも周辺の座席には日本人の若い男女がいました。これからは世界各国の...「忘れられない」編トレヴィア9傾きワイングラス

  • 「忘れられない」編 トレヴィア8 砂糖ビール

    ルワンダで出会ったビールには驚きました。写真を見てください。原料にsugar(砂糖)も驚きですが、CO2(炭酸ガス=二酸化炭素)には驚愕を通り越しました。発酵した炭酸ガスという意味でなく後に炭酸ガスを注入したということなんでしょうが。やはり不味かったですね。ルワンダで出会ったビールには驚きました。写真を見てください。原料にsugar(砂糖)も驚きですが、CO2(炭酸ガス=二酸化炭素)には驚愕を通り越しました。発酵した炭酸ガスという意味でなく後に炭酸ガスを注入したということなんでしょうが。やはり不味かったですね。「忘れられない」編トレヴィア8砂糖ビール

  • 「忘れられない」編 トレヴィア7 かっての我が家のビルマ(ミャンマー)文化

    私の父親はインパール作戦の生き残りです。インパール作戦とはアジア太平洋戦争時、ビルマ-インド間の要衝にあって、連合国から中国への主要な補給路(援蒋ルート)遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を日本軍が目指した作戦のことです。補給線を軽視した杜撰な作戦により、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫し、無謀な作戦の代名詞として現代でもしばしば引用されます。犠牲者数についてはいろんな説がありますが、一説では参加数8万6000人の内、戦死者(ほとんどは飢死)3万2000人、戦病死4万人とされています。「ビルマの竪琴」という児童文学書はこの戦争とその後の日本兵を描いた名著として有名です、私も子供の時読み感動したしたことを覚えています。旅行前に再読して感動を新たにしました。その生き残りの父親は多くの戦友を亡...「忘れられない」編トレヴィア7かっての我が家のビルマ(ミャンマー)文化

  • 「忘れられない」編 アフリカ諸国の公用語

    最近読書量が極度に減少していますが、ようやく数日前「岩波講座世界歴史22」を読了しました。以下のような箇所に出会いました。「住民の大多数が理解しない言語を公用語したのは、しばしば説明されるようにアフリカが多言語社会だからではない。セネガルではウォロフが***、ガーナでもアカン系が付録通用していた。***国民統合のためではなく、植民地統治のシステムを引き継ぐため」(「アフリカ諸国の『独立』とアフリカ人エリート」p207)この個所を読んでモザンビーク旅行での思い出を思い出しました。モザンビークは1498年のヴァスコ・ダ・ガマ以来ポルトガルの影響を受け17世紀にはほぼポルトガルの植民地になります。1964年から独立運動が始まり1975年に独立が達成されます。したがって今もポルトガル色が色濃く残っています。たとえ...「忘れられない」編アフリカ諸国の公用語

  • 「忘れられない」編 トレヴィア6 三猿

    モロッコのエッサウィラのメディナの木工品店で写真(上)のような三猿を見つけなした。「見ざる・聞かざる・言わざる」の語呂合わせから言って日本独特なものと思っていましたので、何でモロッコに?、と思いました。しかし念のためと思ってインターネット上の百科事典ウィキペディアを見ると私の無知が暴露されました。以下ウィキペディアの抜粋。「日本語の語呂合わせから日本が三猿発祥の地と思い込む人は多いが、実は『見ざる、聞かざる、言わざる』によく似た表現は古来世界各地にあり、同様の像も古くから存在する。そしてまた、それぞれの文化によって、意味するところは微妙に異なる。(たとえば)インドのマハトマ・ガンディーは常に三匹の猿の像を身につけ『悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな』と教えたとされており、教科書などに『ガンディーの3猿』が...「忘れられない」編トレヴィア6三猿

  • 「忘れられない」編 トレヴィア5 English と US English

    アメリカでホテルのテレビのスイッチを入れたら言語選択の表示が出ました。クリックすると“English”と“USEnglish”とありました。私でもアメリカ英語とイギリス英語に多少の違いがあることぐらいは知っていますが、このようにはっきりと区別されていることは知りませんでした。ついでに余談話2つ。20年ほど前、30代のイギリス人と話した時、Haveyou****?は父親も自分も言わないでDoyouhave****?だが、祖父はHaveyou****?だといっていたことを思い出しました。わたくしの中学時代の英語はHaveyou:***?表示にMagyarとありますね。ハンガリー語ですね。以前このブログにハンガリー人にマジャール言えば喜ばれるということを紹介したことを思い出しました。(2005年10月21日)「忘れられない」編トレヴィア5EnglishとUSEnglish

  • 「忘れられない」編 トレヴィア4 刺青

    アメリカ合州国旅行の第一印象は肥満と刺青でした。そこで今回はアメリカでの入れ墨について。日本では刺青=ヤクザというイメージがあるので撮影は恐々でした。写真のご婦人は水商売の方のようでしたが許可を得て撮影しました。ウィキペディアによれば2015年の統計でアメリカ人の29%の人が刺青をしていて今後増加の傾向だそうです。特別の人がしているのではないそうです。そこでアメリカ在住42年の日本人「退職女のアメリカ便り」というブログを書かれている「hobbesgracie911さん」にアメリカでの刺青についてご意見をお伺いしました。そして「退職女のアメリカ便り」のコメント欄に以下のような一文を頂きました。そこで筆者の許可を頂いてこの文書を以下のようにこのブログに転載させていただきました。非常に興味あるお話ですね。ありが...「忘れられない」編トレヴィア4刺青

  • 「忘れられない」編 トレヴィア3 no-smoking

    アメリカではかなり厳しく喫煙が禁止されていました。旅行中に利用したレストランでは喫煙者を見ることはありませんでした。宿泊したホテルの部屋は常に禁煙部屋でした。なかにはこの部屋で喫煙した場合、部屋をクリーンするため、250ドルの罰金を頂くという表示もありました。写真はニューヨークのホテル近くの建物です。この建物の前では喫煙禁止という表示ですね。ちょっとびっくりしました。ところがその写真が紛失。「忘れられない」編トレヴィア3no-smoking

  • 「忘れられない」編 トレヴィア2 necessary room

    写真はアメリカ合州国で見たものです。何を意味する表記だと思いますか。トイレの表示でした。トイレの表記は国、所によって様々ですが、アメリカではrestroomが一般的のようでした。以前にこれを紹介したところアメリカ在住の方からのわたくしも初めて見ましたとのコメントがありました。日本でもトイレの表記はたくさんありますね。ローマ字表記ではWCTOILETLAVATORY日本字表記では、便所、トイレ、トイレット、お手洗い、御不浄、かわや、はばかり、雪隠などたくさんありますね。なぜこんなに沢山あるのでしょうね。「忘れられない」編トレヴィア2necessaryroom

  • 「忘れられない」編 トレヴィア1 立ちション

    現地ガイドにも添乗員にも案内されないし、もちろんガイドブックにも記載されていないが、わたくしにはちょっと面白いと感じたトレヴィア的ではあるがなぜか忘れられないものを以下いくつか紹介します。もっともトレヴィア的ではあるが意外に意味のあることもあります。それらの体験を以下いくつか紹介します。中国トルファン盆地にある火焔山は孫悟空の活躍する「西遊記」で馴染み深いところです。燃え盛る火焔山に行く手をさえぎられた三蔵法師一行は孫悟空が奪い取った芭蕉扇でその火を消したことで有名です(写真)。ここには1998年と2006年に訪れています。1998年当時はここは全くの無人の野でオシッコをすればジュンと一瞬に蒸発するのではないかと思いやりました。2006年もそれを楽しみにしていました。ところが今回このビューポイントに建物が...「忘れられない」編トレヴィア1立ちション

  • 「忘れられない」編 現地ガイド31 エルサルバドルとホンジュラス

    エルサルバドルと次のホンジュラスでのガイドはマリオさんでした。(写真サン・アンドレアス遺跡にて)彼はグアテマラ人でメスティーソ(注)です。日本で働いていたこともあり、奥さんも日本人で日本語ペラペラでした。彼にゲバラをどう思うかを聞いてみました。ちょっと考えてコミュニスト(共産主義者)だから嫌いとの返事でした。(注)スペイン人と先住民との混血。ちなみにエルサルバドルの人口構成はメスティーソ90%先住民1%白人9%。今回で「現地ガイド」は終了しますが、改めて現地ガイドからの情報収集の大切さを感じました。もっと現地ガイドとの接触を濃密にしておけばと今となって反省をしています。「忘れられない」編現地ガイド31エルサルバドルとホンジュラス

  • 「忘れられない」編 現地ガイド30 ニカラグア

    アメリカ大陸には「サラダボール」か「るつぼ」のいずれかを問わず多民族、多人種が混住しています。ニカラグアのガイド、フランシスコ・ポラスはユダヤ人でした。(写真はニカラグアのマナグアで撮影したものです)彼の先祖は改宗カトリック教徒のユダヤ人でスペインのアンダルシアで法官をしていましたが迫害からのがれるため17世紀コスタリカへ移住→パナマ→ニカラグアにやってきました。彼はユダヤ人であることに非常に誇りを持っているようでした。イスラエルに強い共感を抱いているようでした。サンディニスタ民族解放戦線FSLN(現大統領の選出母体)は大嫌いのようでした。したがってゲバラ(注)も「余計なお節介者」として嫌っていました。(注)(1928年~1967年)アルゼンチン生まれ。医者で喘息持ち。1955年カストロと出会いともにキュ...「忘れられない」編現地ガイド30ニカラグア

  • 「忘れられない」編 現地ガイド 29 中国ホータン

    写真は中国西域南道の「玉」で有名なホータンでの現地ガイド・ウイグル人のジュレットさんです。写真では色がすこし黒いようですが白人的な日焼けの感じでした。本業はウイグル大学の医学部の先生でお医者さんです。日本の大学(日本医科大学?私の記憶があいまい)にも1年留学をしていたこともあり、流暢な日本語でした。西洋医学、中国医学、チベット医学のいずれですか、と尋ねると、ウイグル医学でチベット医学はウイグル医学から学んだ医学です、という返事が返ってきました。ウイグル語で講義している大学はここのウイグル大学だけです、と誇らしく話してくれました。彼は共産党員ですが、敬虔なイスラム教徒でラマダンも毎日の礼拝も欠かさないそうです。共産党とイスラム教との関係について少し話をしましたが、微妙なニュアンスを正確に伝える自信が私にはな...「忘れられない」編現地ガイド29中国ホータン

  • 「忘れられない」編 現地ガイド 28 南アフリカ

    写真は南アフリカのソエトでの現地ガイドです。ご覧のように白人なので「あなたはアフリカーナ(注)ですか」と尋ねました。彼は非常に喜んでそうだと答えたまでは良かったのですが、後がいけません。私に対して「あなたの英語は素晴らしい、ロンドンで勉強したのか」などのオベンチャラで恥ずかしくて身がすくむ思いをしました。私は英会話はほとんどできません。ただ「アフリカーナですか」と「いくつの言語を話しますか」の二つの質問をしただけです。なぜこのようなオベンチャラが出たのかと考えてみました。どうやら「アフリカーナ」という言葉が理由のようです。「アフリカーナ」と呼ばれることがうれしかったようです。レソトのマセル空港のチェックインカウンターに黒人の中で一人だけ白人の威張った感じの女性がいました。「アフリカーナ?」と尋ねた途端相好...「忘れられない」編現地ガイド28南アフリカ

  • 「忘れられない」編 現地ガイド27 ベナン共和国

    ベナンでのガイドがあまりにも頼りないので皆さんからブーイングが起き最終日には現地手配会社の社長さん自らのお出ましとなりました。写真は社長のラジンさんです。背景の海は勿論太平洋のギニア湾です。イスラーム教徒でメッカに巡礼したことのあるハッジ(注)です。彼はベナン大統領の英語通訳者でもあります。(ベナンの公用語はフランス語です)(注)メッカに巡礼した人はハッジと呼ばれ社会的に尊敬されています。この旅行は2002年2月でしたがラジンさんは前年アメリカ合州国で起きた9・11のテロについて触れテロそのものはよくないが、アメリカが憎まれるのは当然であるし、その報復戦争はするべきではないと批判的でした(その翌年2003年にアメリカのイラクへの侵略戦争がはじまりました)。今回の旅行ではイスラーム教徒にもキリスト教徒にも出...「忘れられない」編現地ガイド27ベナン共和国

  • 「忘れられない」編 現地ガイド26 マリ共和国2

    マリ共和国を通じてのガイドはアブドゥラさんでいた。名前でわかるようにイスラーム教徒です。ちなみにこの国の宗教はイスラーム教徒が85%、キリスト教徒が5%、伝統宗教が10%ぐらいです。彼は森本哲郎さんの著書「私のニジェール探検行」の時のガイドで森本さんの名刺を見せてくれました。彼は今マリは貧乏だが資源も豊富だし必ず豊かになると終始語ってくれました。その彼について後日添乗員の本橋さんが次のようなことを教えてくれました。本橋さんが彼に独立(1960年)以前の話を聞くと涙ぐんで語りかけたので途中で話をストップしたそうです。涙の理由はわかりませんが、今でもマリは世界10大最貧国の一つで生まれてくる赤ちゃんの24%が5歳までに死亡するそうです。(lonelyplanetWesternAfrica5thedition)...「忘れられない」編現地ガイド26マリ共和国2

  • 「忘れられない」編 現地ガイド25 マリ共和国1

    写真はマリ共和国のトンブクトゥでの誇り高く、威厳のある民族トゥアレグ人ガイドのモハメッドさんです。それに対して隣にいる日本人(私)の頼りなさ。背景の土のモスクに突き出た棒のようなものは修理の時の足場だそうです。この服装から彼らは「青い民、藍の民」とも呼ばれます。彼らの宗教は民族伝統の宗教色を遺しながらのスンニ派のイスラーム教徒ですが、面白いことに女性はヴェールを被りません。成年男子だけです。この服装は砂漠の風と砂から身を守るためと、悪霊から身を守る(ウイキペディア英語版説)、厳格な階層社会なので目上の人を直視しない(lonelyplanet説)ためなどの説があります。なお、トゥアレグ人については後日もう少し詳しく紹介の予定です。「忘れられない」編現地ガイド25マリ共和国1

  • 「忘れられない」編 現地ガイド24 スペイン

    1996年にスペインを訪れた時何かの弾みで現地ガイドに「あなたの国で現在、過去を通じて尊敬する人は誰ですか?」という質問をしました。このような質問は私自身に向けられても返事に困りますが、このときの現地ガイドはいとも簡単に「現国王ファン・カルロス」と答えてくれました。ビックリしました。27年前のことですから正確には覚えていませんが、その後7・8人に同じ質問をしたところ2人を除いてすべて同じ答え「現国王ファン・カルロス」でした。ますますビックリです。その理由を私なりに考えてみました。スペインでは1975年までフランコによる独裁ファッショ政治でした。彼の死後、彼の政治路線を引き継ぐ勢力と、社会党、共産党を中心とする民主勢力との対決が過去のスペイン内乱(1936~39)再来の危機になりました。そのとき今までフラン...「忘れられない」編現地ガイド24スペイン

  • 「原爆8.6・8,9」に寄せて

    (2019年8月9日の再録)私の103国の旅を通じて感じることの一つに、日本人が思う以上に、広島、長崎への原爆投下について外国人の関心度が高いように思います。日本から来たと話すとヒロシマ・ナガサキと返ってくることが度々です。セルビア人との会話で彼は「アメリカは帝国主義国で嫌いだ。あなたもヒロシマ・ナガサキに原爆を落とされたからアメリカは嫌いだろう」今だに記憶に残る会話でした。(2011年1月16日紹介)ところがアメリカ合衆州国だけは違いました。返ってくる言葉は「オキナワ」でした。写真はアイルランドのコーク市にある「原爆追悼碑」です。日本語のガイドブックにも記載されていませんし、日本の原爆禁止運動の関係団体にも知られざる「碑」です。いかにしてこの存在を知り写真を撮ることになったかは2005年11月11日に紹...「原爆8.6・8,9」に寄せて

  • 「忘れられない」編 現地ガイド23 アルジェリア

    左がスルーガイドの「カリム」さんです。独身の敬虔なイスラーム教徒です。私にイスラーム教について感想を求められたので、私は“アイリスペクト”と答えました。右が日程などの調整をするスルーガイドの「サリム」さんで再婚して1児の父親で写真を見せてもらいました。私が砂丘などでもたついているときなど手を取って助けてくれました。ありがとうございました。2人とも全行程のスルーガイドでした。「忘れられない」編現地ガイド23アルジェリア

  • 「忘れられない」編 現地ガイド22 トルクメニスタン

    トルクメニスタンの現地ガイドはマヤさんでした。推定年齢26歳?の独身女性でした。(写真)父親がトルクメニスタン人、母親がロシア人で日本語は出来なく添乗員の斉藤さんとの会話はロシア語と英語だったようでした。彼女の家庭での共通語はロシア語で、英語とフランス語が出来るそうです。トルクメニスタン語はあまり出来ないそうです。しかし弟はトルクメニスタン語も出来るそうです。多分彼はソ連崩壊後の新しいトルクメニスタンの教育を受けたためでしょう。ちなみにトルクメニスタンの民族構成はトルクメン人77%ウズベク人9%ロシア人7%カザフ人2%で総人口は430万人です。ロシア人は減少傾向のようです。「忘れられない」編現地ガイド22トルクメニスタン

  • 「忘れられない」編 現地ガイド21 中国カシュガル

    ウイグル人の言語はテュルク語系のウイグル語でイスラム(スンナ派)を信仰する人たちです。人種的にはモンゴロイドとコーカソイド(白人)の混血ですが、かなり地域差があるようでウルムチあたりの人たちとカシュガルのあたりの人たちとは見た目が違っていました。写真はカシュガルのウイグル人現地ガイドのパリダさんです。ご覧の通り色が白く顔立ちもヨーロッパ的です。カシュガルは一番西方なのでコーカソイドの血が濃いのでしょう。彼女は独身19歳の敬虔なイスラム教徒で4回の礼拝、ラマダン、服装もこのような仕事以外はイスラム風だそうです。結婚相手にイスラム教徒以外は考えられないそうです。もしイスラム教徒以外の男性が好きになったらとしつこく尋ねてみましたが、そんなことは考えられないときっぱりとした返事でした。「忘れられない」編現地ガイド21中国カシュガル

  • 「エンディングノート」89歳になりました

    7月25日に89歳になりました。たぶん「90歳になりました」は書けないでしょう。そこでわたくしの一生を少し数字を中心に振り返ってみます。わたくしは兄弟姉妹のない一人子です。結婚1回、離婚1回。子供は一人(30歳でチェコのプラハで自殺)というわけで今は全くの天涯孤独。病気に侵されていなかったのは15年間だけ。肋膜炎(小学1年生)、腎不全(小学2年)、18歳でリュウマチ発症現在に至る、その後盲腸炎(摘出)、胆嚢炎(摘出)、喘息、扁桃腺炎(摘出)ポリープ摘出、前立腺がん(薬服用)、脊椎管狭窄症(手術)、大腸がん(手術)、現在リュウマチ(食事に箸使用不能スプーン使用、PCのマウス使用不能)高血圧、肺がん(疑い、精密検査拒否)。計12の病気。職場3回(うち2回労働組合結成、そのうち1回はそのため解雇)住居変更15回...「エンディングノート」89歳になりました

  • 「忘れられない」編 現地ガイド20 モルドヴァ

    モルドヴァについては今回の旅行前まではワインが有名だということしか知りませんでした。1991年までソ連邦の一員であったことぐらい少しは知っていましたが恥ずかしながら隣国のルーマニアと言語もほとんど同じの同一民族の国であることは知りませんでした。したがって。両国の統一問題が常に政治問題になっているようです。そこで、現地ガイド(写真)にあなたはルーマニアとの合併を望みますかと尋ねてみました。彼女は長々とその間の事情を説明してくれているようですが、私にはほとんど理解不能です。そこでもう一度あなた自身は統合に賛成ですか、反対ですかと尋ねました、彼女の答えはガイドとしてはその質問には答えることができないという返事でした。政治的に微妙な問題のようです。「忘れられない」編現地ガイド20モルドヴァ

  • 「忘れられない」編 現地ガイド19 ベラルーシ2

    写真はベラルーシのブレストのガイド、ニーナさんです。彼女の日常会話はやはりロシア語だそうですが、両親はベラルーシ語だったそうです。彼女にあなたの母語はと尋ねた場合「ベラルーシ語」と答えたような気がします。ロシアとの統合は反対であるとの返事でした。そして若者は反対の傾向が強いと付け加えてくれました。「忘れられない」編現地ガイド19ベラルーシ2

  • 「忘れられない」編 現地ガイド18 ベラルーシ1

    ロシアのウクライナ侵攻でベラルーシの去就が注目されています。わたくしがベラルーを訪れたのは2012年でしたが、その時の2人の現地ガイドの話に問題のヒントがあるようです。まずはベラルーシの首都ミンクスのガイドはベロニカさんから。(写真)。あなたは家庭では何語で話しますかと尋ねました。もちろんロシア語で、98%の人がロシア語を話すという返答でした。この場合98%の人がロシア語を解するという意味か、98%の人の日常言語がロシア語であるという意味なのかはわかりませんでしたが、彼女のニュアンスでは後者の意味のようでした。服部倫卓氏は「不思議の国ベラルーシナショナリズムから遠く離れて」で次のように書かれています。「ベラルーシでは、ロシア語かベラルーシ語かという二者択一の枠に収まりきれない面がある。その最たる例は、『ト...「忘れられない」編現地ガイド18ベラルーシ1

  • 「忘れられない」編 現地ガイド17 レバノン

    レバノンの現地ガイドは女性のエリッサさんでした。(写真=背景はキリスト教徒が住むカディシャ峡谷)ヒジャブをつけていませんね。同行の方の一人が非イスラームの客に遠慮してつけていないのだろう話されました。違いました。彼女はイスラーム教徒ではなくマロン派のキリスト教徒でした。(注1)外貌は全くヨーロッパ人でした。目もブルーで、髪の毛はブロンドと黒のまだらでしたが、子供のときは完全にブロンドだったそうです。毎日曜日ではないが教会に時々行くそうです。フェニキア人(注2)の末裔かとの質問にフェニキア人の遺伝子を持っていると答えてくれました。十字軍の遺伝子もあるのではないか、という質問をすべきであったと今になっては思っています。カルロス・ゴーン日産自動車社長(2006年当時、ブラジル、フランス、レバノンの国籍を持つ)の...「忘れられない」編現地ガイド17レバノン

  • 「忘れられない」編 現地ガイド16 シリア

    シリアの現地ガイドはニダールさんでした。(写真)ヨルダンのジャミールさんとは違って肌色は白人と同じで白色でした。写真は少し黒く写っていますが白人特有の赤色の日焼けです。肌の色といえば、ペトラ遺跡の売店で働くかなり肌の色の黒い人にヨルダン人ですかと尋ねると、そうだと答えた後、エジプト人ではないと付け加えました。元に戻り、ムスリムですか、との質問にニダールさんは、ハーフ(半分)と答えてくれました。その意味するところは二つあったようです。ひとつは仕事の関係もあってきちんとしたお祈りなどができないことでした。そして”moderate”なムスリムだということでした。彼が本当に言いたかったのは”moderate”(穏健な)というコトバに象徴されることだったようです。彼の説明に”moderate”という言葉が盛んに出て...「忘れられない」編現地ガイド16シリア

  • 「忘れられない」編 現地ガイド15 ヨルダン

    「ヨルダン、シリア、レバノン物語」(2006年4月18日~5月2日)の旅でのヨルダンの現地ガイドジャミールさんは浅黒い肌の典型的な?中東の人でした。写真の後ろの旗はヨルダン国旗です。彼は豚肉を食べないし、ラマダンも行う敬虔なムスリム(イスラム教徒)でした。奥さんは1人だそうです。彼にローレンス(アラビアのローレンス)を尊敬しているかと尋ねてみました。彼はスパイでcheater(ペテン師)だとの返事でした。サラディーン(注1)について同じ質問をしてみました。勿論尊敬しているとの返事なので次の質問をしてみました。バイバルス(注2)についてはどうかと。この質問は牟田口義郎の「バイバルスはサラディーン**より今でも庶民の間で人気があり」(物語中東の歴史p221)を確認したかったからです。ところが期待したような強い...「忘れられない」編現地ガイド15ヨルダン

  • 「忘れられない」編 現地ガイド14 ダブリン

    「アイルランド旅行」(2003年5月22日~7月15日)首都ダブリンでの現地ガイドはカトリック教徒の男性と結婚した日本人女性でした。残念ながら写真がありません。日本国籍を離脱するつもりはないそうです。日本国籍を離脱せずにアイルランド国籍をとるように勧められたがそれも断ったそうです。リヒテンシュタインの日本人ガイドと同じですね。やさしくて暖かい感じの人でした。共和国ではプロテスタントは少数派ですが何かお金持ちとかの特別の存在ですかと彼女に尋ねました。特別の存在ではないが、ケチだといわれることがあるとの答えでした。また彼女に結婚に際しての宗教の問題について質問しました。彼女の父親がカトリック教徒であったので歓迎されたということでした。アイルランドのカトリック教徒にとって相手がカトリック信者であるかどうかが最大...「忘れられない」編現地ガイド14ダブリン

  • 「忘れられない」編 現地ガイド13 ルーマニア

    ルーマニア現地ガイドは日本語ペラペラの美人コリーナさんでした。(写真はハンガリー人村の博物館での夕食時のハンガリーダンスを踊るコリーナさん)彼女は日本の飯坂温泉のホテルの若旦那と最近結婚したそうで結婚式の写真を見せてくれました。すこし気になったのは夫側の親族(両親も含め)の姿が全然見えなかったことでした。また彼女は夫がルーマニア正教会に改宗したことを非常に喜んでいました。後日離婚したと情報がありました。「忘れられない」編現地ガイド13ルーマニア

  • 「忘れられない」編 現地ガイド12 ミャンマー

    「ミャンマー」(2013年12月4日~16日)旅行の現地ガイドは日本語ペラペラのオウマさんでした。(正確な名前はオンマータイOhnMarHtaikさんです)彼女は日本の大学(京都)にも留学していて日本大好きのミャンマー人です。日本人と結婚したかったそうですが縁がなく当時ミャンマー人と婚約中でした。留学後もたびたび来日されております。彼女の将来の夢はアウンサンスチーさんのような政治家だそうです。(当時アウサンスーチは政界復帰直前でした。その後政界復帰、現在失脚)私が少し意外だったのは当時の大統領ティン・セインも尊敬していることでした。写真は「水かけ祭り」のオウマさんの踊りです。彼女の特技の一つです。パガンでの夕食時少女たちの踊りのショウがあり、そこでオウマさんが飛び入りの水かけ祭りの踊りを披露してくれました...「忘れられない」編現地ガイド12ミャンマー

  • 「忘れられない」編 現地ガイド11 リヒテンシュタイン

    リヒテンシュタイン(2018年10月)での現地ガイドは日本人の谷川さんでした。リヒテンシュタイン人と結婚して20年の2児の母親でした。国籍は日本のままで母子の会話は日本語だそうです。子供さんは成年に達したとき日本か、リヒテンシュタインかのどちらかを選ばなければなりません。大坂なおみさんもまもなく決断しなければなりません。なお、今回旅行で現地人と結婚しているその他の現地ガイドに聞いてみると全て日本国籍のままという人たちでした。日本は2重国籍を認めていませんが、多重国籍を認めている国はかなりのようです。「忘れられない」編現地ガイド11リヒテンシュタイン

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