40歳を過ぎた人生と健康を考える
痛風・高血圧を抱える身になって健康について、今後の人生の展開について考え、上手に病気と付き合って、残りの人生を有意義なものにするための考察
既に戸籍上の妻とは別居中。 私が家を出てもう10ヵ月が過ぎた。 今日、一人娘が小学校の卒業式だという。 私は今、自分のお店でランチ営業中。 今夜、娘と妻は故郷へ帰る。 住んでいたマンションは今月末で引き払う。 もう子供の顔を見ることは、残りの人生において諦めなければならないかもしれない。 でも、私は新しい人生をスタートすることを選んだ。 新しいパートナーを選んだ。 男と女の形はいろいろあると思う、私の選んだ道は誉められたものではないと思うが、選んだ道だ。 引き返すことは出来ない。 倒れるまで走るしかない。 雨が止んだようだ。 ..
彼女へのホワイトデーの贈り物は、イニシャルのペンダント。 誕生石がついたシンプルなものにしました。 実は困ったのが、彼女ではなく、彼女の娘を含めたお店のスタッフ3人娘へのお返し。 飲み友達の女性達に『なにあげたらいいかなぁ?』なんて相談したところ、 『パンツあげなよ、パンツ。』 パンツって言ってもいわゆるズボン系のパンツじゃなくて下着のパンツですよ(笑) まあ、この時期男性雑誌にはシルクのパンツなんかが贈り物として広告されてますがね。 それでもいいかと思ったのですが、なんか嫌で・・・ お菓子やケーキと言ったものもなんかお茶を濁したようデネェ・・・..
会社員を辞めて、飲食業に携わるようになると、その仕事のスタイルはものの見事に変わった。 まあ、当たり前って言えば当たり前なのだが・・・ 会社員当時は管理職。営業兼任と言っても、座っている時間が長かった。 しかも肘掛のあるけっこうゆったりした椅子。(笑) しかし現在、飲食店のカウンターに立つと、10時間以上立ちっぱなし。 まあ、日々は何とか平気でいるつもりだが、これが半年、1年と経てば腰や肩に披露が蓄積されるのだろう。 今日、仕事を終えて家に帰り、ちょっと熱めの風呂に入ろうと思い、湯温を46度に設定した。 多少冷ましてから入ったのだが、かなりビリビリ..
今週、以前勤めていた会社で私の後任でやってきた人と飲む約束をしていました。 しかし、昨日、時間が作れないという連絡が来ました。 理由は、唯一の営業マンが退職を言ってきたとのこと。 私と違って生真面目な後任の所長は、全部を自分でやらなきゃいけないと1日24時間働くつもりらしい。 この会社では、昨年末に社員に過労死を出している。 関西に本社がある建設設備関係の会社だ。 大資本の系列会社が多いこの業界で、どこのグループにも入らずに頑張ってきたのはたいしたもんだが、社員が育たないのは明白で、離職率は80%を超えると思う。 外面は良い。 さすが大阪のおばち..
昨年の11月、私は15年勤めた会社を退職した。 理由はいろいろあるが、40歳を過ぎてその会社には定年まで人生をささげる価値を見出せなかったということが主な理由だと思う。 40を過ぎれば、既に転職のタイムリミットは過ぎている。 ヘッドハンティングされたり、特殊な技能があれば別であろうが、基本的には平凡な会社員の範疇にいれば転職は難しいと考えた方が間違いないであろう。 私は昔から飲食店にチャレンジしたいと思って企画を温めていたこともあって、このタイミングで転職を決断しました。 もともと建設関係の設備会社にいたので、分野的には畑違いなのですがどうせ転職するなら会社員とし..
私は離婚を決意していました。 これは彼女と知り合う以前からのことです。 ただ、それをいつ切り出すかは揺れていました。 -------------------------------------- 原因は子供のことです。 私から離婚を言い出せば親権は妻に行くでしょう。 それは仕方がない。 仮に、その後の人生において子供と会うことが出来なくなったとしてもそれは自業自得。嫌なら離婚しないで妻との関係にストレスを溜め、子供の目の前で喧嘩ばかり、あげくDVなんていう最悪な展開も覚悟しなきゃならない。 ならば、ここで人生をリセットするのも一つの手でしょう。..
その後、何度か飲みに行って、まあ特にどうと言う事もないのですがなんとなくブログのコメントとかしていました。 でも、2ヶ月くらいお店には行ってなかったと思います。 しばらくぶりに飲みに行って、いわゆるアフターでほかのお店に飲みに行くようになりました。 まあ、サッパリした性格の人なので、変に意識しなくても良いのが良くて気の置けない女友達と言う感じになっていました。 ある日のメール。 『私はこのまま誰の女にもなれないのかな・・・あなたにも女と認めてもらえないのかな・・・』 彼女に言い寄る男は知っているだけで片手を超えています。 その相談も受けていました。 ..
私が彼女と知り合ったきっかけはブログでした。 水商売歴の長い彼女は、この町の繁華街ではけっこう古株で、知らない人はいない・・・とまでは行かないが、けっこう知られた顔。 その昔は、その筋の方々からも一目置かれていた様子。 年齢は私のちょっと上で、子供が二人います。 子供と言っても二人とも成人していて、仕事を持っています。 子供が幼稚園だった頃に旦那に愛想を尽かし追い出したそうです(笑)。 私はこのブログではないブログをもう一つやっています。もう3年になります。 そのブログにアクセスしてきたのが彼女。 彼女もブログをやっていました。 別に、会う..
幸い、まだ禿げていない。 母方の家系はものの見事になくなる。 父方の家系は真っ白になる。 私は、多少白髪が増えてきたものの、剥げてはいない。 しかし、一時期薄くなったように思った時期があった。 たしか、30台前半だったと思う。 当時はリンスインシャンプーを使っていました。 ある日、セットがうまくいかなくなって、良く良く見ると、前髪から頭頂にかけて地肌が以前よりも見えているように感じました。 『こりゃやばいか・・・』 いろいろとネットや本で調べて、育毛・養毛に取り組もうと思いましたが、なかなか良さそうなものは高いんですね。 そんななか、..
私がサラリーマン生活にピリオドを打ったのが昨年の11月。 理由はいろいろある。 勤めていた会社の仕事や環境に対してはやりがいを持っていたし、同僚や後輩からはあてにされていたと思う。 ただ唯一、経営者とそりが合わなかった。 40歳を迎えて、既に社内においては私より年上の上司がいない状態。 皆、社長と喧嘩別れ、もしくは疲弊して辞めていった。 必然、30歳台の他の企業でいえばせいぜい係長クラス、いや、主任クラスの人間が営業所長を務めることとなった。 その中でも私は最年長であった。40歳にしてである。 全国でも難しいとされる関東のとある営業所を預って7年..
ワインはお好きですか? 私は正直嫌いでした。 ただ酸っぱいか苦いだけで美味くもなんとも無い。 そう思っていました。 もともとお酒には強いんです。 若い頃からメインで飲むのは日本酒。 なにせ東北の生まれで、8年前に関東へ出てくるまでずっと田舎育ちでしたから。 転勤で今住んでいる街へ来て、とあるBARへ通うようになり、そこでワインを教えられました。 しかも、お店の人にではなく、別のお客さんから。 それまで、BARでは、バーボンに始まり、ウォッカ、ジン、そしてラム酒にはまったのです。 その後ワインに。 教えてくれた方は、基本的にハード..
体重が減ってきて、心も身体も軽くなってきました。 やはり、太っているのはなんとも思わないと思っていても、実はコンプレックスになっていたようです。 そうじゃありませんか? 以前から、病院やらネットで調べたりで算出される私の適正体重は、69.7kg。 今日現在76kgだからあと6.3kg減らさなきゃならないらしいです。 当時、78kgまで体重が落ちた私は、さすがに70kgを下回りたいとは思いませんでしたが、72kgを目標にダイエットを始めました。 しかし、もともと痛風になるくらい食いしん坊で呑み助な私です。 なかなか・・・ 実行したのは『肉絶ち』..
30代半ば、私は体重が最大87kgありました。 ちなみに身長は178cm。 やはり外見は『デブ』の部類に入っていたでしょうね。 これは、高校時代にラグビーをやっていて、その激しい運動をやめてからの体重増加でした。 かなりありがちですね。(笑) 5年前の夏、近年まれに見る猛暑だった7月。 暑さにその年初めてエアコンをつけて寝たのですが、足がつって目が覚めました。 そんなことが二三度続いた後、暑いのを覚悟でエアコンの無い部屋で一人で寝るようになりました。 まあ、これは、妻と同じ部屋で寝たくないという気持ちが強かったので良い理由になりましたが(笑)。 ..
私は仮性包茎だった。と思う。(笑) まだ高校生の頃、運動部であった私はそれが恥ずかしくて合宿で風呂に入るのが嫌だった。 で、ビガーパンツなるものを購入した記憶がある。 ブリーフに陰茎を固定する輪がついているだけのものだった。 その輪に亀頭を露出させてブリーフの中にぶら下げるようにして使用するものだったと思う。 効果は無かった。(笑) なにせ、そんな輪っかがついたものを親に洗ってもらうわけにはいかないし、自分で洗っても堂々と乾かせるものでもなかった。 ペニバンなんてのもあったがこれは買ったことが無かった。 最近の包茎関係グッズや治療法などを見てみる..
妻との関係が疎遠になった5年前。 単に疎遠になったというならもっと前だろうが、完全に夫婦関係を諦めたのが5年前だろう。 妻に女を求めることを諦めた時、まだ30代ど真ん中の男にとってそれから先の人生、女性がいないというのはたえられないことだと思った。 女性からすれば男の身勝手な言い分かもしれない。 しかし、既に子供もいて、子供のために離婚だけは避けようと言う気持ちが当時はあった。 幸い、私の住んでいる町には、そういった欲求をお金で満たしてくれる店が複数あった。 会社の部下がそっち方面が好きで飲み会のあと複数で遊びに行くということがあったのだが、私は交じらなかった。 ..
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