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棚からぼた餅 https://blog.goo.ne.jp/462981/

山郷の農家をアトリエとし、 季節の移り変わりを、愛犬とたわむれる。

愛犬さくらは、人に絶対服従ですが、獣に対しては闘争本能丸出し。 雑種犬なれど、猟犬としてすぐれ、専門家からも、おほめにあっている。 フリーな生活は、日々問題を起こしてくれる。 そんなことごとを、日記風に書いています。 「棚からぼた餅」は、伝統行事をネタにした、創作絵本ですが、そおあってほしいと言う、私の願望でもあります。

岩淵龍王丸
フォロー
住所
松本市
出身
神奈川県
ブログ村参加

2008/02/09

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  • 謹賀新年

    謹賀新年謹賀新年

  • 謹賀新年

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  • 朝 色の始まり 修正

    連日よく雨が降り続きます。毎年あることとはいえ「こんなに降り続いたっけ、頭が腐っちまう」と思うほど年々心身に応えてきます。各地で大雨による被害が発生していますが、我が谷は崩壊指定地域になっておりますが、今のところおかげさまで被害はありません。さて2017年6-7月に制作をした「朝色の始まりF50」がありす。朝日を受けキラキラと輝くいつもの散歩コースの一景ですが、色とは色彩ばかりではなく「色即是空」の哲学的意味を持っているのです。畑に野菜を取りに来たオバちゃんは光の中に溶け込み、混然一体としている静かな世界です。存在すら気が付かない。オバちゃんも私の存在など知らなかったでしょう。いつもの当たり前のことなのですが、「これは絵になる」と焼き付いた様なのです。先日の散歩時に全く同じ光景に出会いこの作品を引っ張り出しまし...朝色の始まり修正

  • 社会派作品ーー 海の叫び

    久し振りの投稿ですっかり忘れ去られていることと思いますが、目を通してくれる方に心から感謝いたします。しばらくぶりに訪れた居酒屋でしたら「コロナで来れなかったよ」と言い訳もできますが、ブログではだただ自分のこと。前置きはこのくらいで今年最初に完成をした作品を紹介します。「海の叫び」サイズF50(1160X910cm)地球温暖化が社会問題として話題になりつつあったのはまだ20年ほど前でした。正直私自身もCO2問題はビンときませんでしたが研究をし、問題提起をした作品「海の叫びF100」を発表。絵画作品としそれなりの評価を得ましたが、社会問題化してゆくほどのムーブメントにはなっていきませんでした。その作品を描いた意義を私自身忘れかけていました。地球温暖化のタイムリミットは2030年が分かれ道だ、というような番組を視聴し...社会派作品ーー海の叫び

  • 一年ぶりです

    一年ぶりの投稿となります。前年の最終投稿は新型コロナ騒ぎで「東日本大震災を描く」の展示会が自粛依頼で中止になってしまいました。今年は震災10周年。忘れないという思いでどうしても展示会をしたかった。松本も一時病院で集団感染があり開催はできないかもしれないという不安はありましたが、どうやらおさまっていきそうです。今年松本市美術館は改装になり私が最後の展示会となりました。この先一年間はお休みの美術館となりますのでご注意ください。一年ぶりです

  • 19 東日本大震災を描く

    昨夜からの雨はお昼近くなっ今、雨脚もはっきりと見えるかなり激しい降りとなっています。我が家の桜も五分ほどの開花になりましたが、ずぶ濡れで痛々しく感じます。幸いなことに花は散らすことがなく頑張っています。今夜あたりは花見でいっぱいを楽しむつもりで、投光器をセットしましたがこの分では外では無理かもしれない。例年でしたら誰となく酒を手に訪れてくれるのですが今年は当分無理でしょうか。昨日画材の仕入れのついでに蕎麦屋に入りました。セルフ形式の店は安くてその割にうまく、いつも列をなしていますがさすがに10人に満たなかった。その店で、始めてみるがらんとした店内であった。東日本大震災を描くを紹介してまいりました。3月の展示予定が新型コロナウイルスの騒ぎに巻き込まれ延期となり、最終的には今年は中止となってしまいました。案内状・パ...19東日本大震災を描く

  • 17-東日本大震災を描く 邦の宝・伝統文化・祭り

    新型コロナウイルスはますます脅威になってきました。私の今の生活は人とあまり接触することがありませんので一先ず安心ですが先の長い話。それにしても政府の対応は経済中心主義的で、どことなく不信感があります。なによりも、対策の大臣が財務関係出身者であるという点です。また日本医師会との力比べのような政治的な動きばかり。ある方の案でしたが、消費税の引き下げのほうがはるかに救援になるといいます。それもありかなと思います。17-東日本大震災を描く--邦の誇り伝統文化東日本には多彩な祭りがあるようですね。正直わたしは青森ねぶたしか見ていないので知ったようなことは言えませんが・・。現場に立つのがいいのですが、絵を描くものは雰囲気をつかめばそれなりに表現はできるものです。写真やTV映像などからの想像をめぐらしていきます。何枚もクロッ...17-東日本大震災を描く邦の宝・伝統文化・祭り

  • 16-東日本大震災を描く--文化-郷土

    新型コロナウイルス騒動我が国もようやく非常事態宣言がされました。午後3時に防災無線広報でそのことが響き渡りました。多分日本中でそのようなことがなされているのでしょう。その是非をのたまわるよりも素直に注意事項を守るようにしています。ホわーーとした春の暖かさになり、我が家の桜も例年よりかなり早く開花しそうです。昨夜の満月にはカメラを向けましたが、松本市内の桜公園まで出かける根性はありませんでした。自分に晩酌をしたので止めたのだと言い訳をしました。16-東日本大震災を描く文化・郷土9枚に及ぶ大作の注釈をしてきましたが、最後の9枚目の画面は、主に復興を成し遂げ人々が戻ってきた様子を想像したものです。災害があって9年たった今、私の想像よりも早く作画のような風景が見えだしています。遠く離れた者の感じ方だ、実態を知らないから...16-東日本大震災を描く--文化-郷土

  • 15 東日本大震災--文化の力

    15-東日本大震災を描く-文化の力被災者の苦しみ・悲しみそして頑張りなど、写真などを参考に描いたがどうしてもわからなかったのが空気なのである。そればかりはその場に身を置かなくては感じ取れない。いわば風景のエキスともいえるものである。9年前に東日本大震災があった津波被害地域を直接訪ねることはできなかったが、同年8月に復興事業に出向く会社の車に便乗させていただいた。何やら地震で傾いた送電鉄塔の修理とかであった。地名は思い出せないが津波被害地域とは山脈で隔てているところであったが、屋根瓦が落ちた家ばかりであった。移動はなんとかなるだろうと軽い気持であったが、バスの運行はなくヒッチになってしまった。何とか津波被害地域にいって見たかったので、なんとなく田舎の交番に入る。「暑い中ご苦労さん。」とばかり冷えた麦茶をご馳走にな...15東日本大震災--文化の力

  • 14-東日本大震災を描く-復興

    西部劇映画といえば大御所ジョンウエン。俺が法律だとばかり横暴で粗雑なカーボーイだ。リバイバル映画を観るたびに同一視してしまうトランプ大統領。その彼も当初のコロナウイルスの対応と大きく変わってきました。日本では「マスク二枚を全世帯に配る」と何とも奇妙な対応に我がお口がポカン。大金をもっと有効に使えないものかとストレートに協賛できない。東京都では仮設病院を建設しているのでしょうかね。オリンピック会場の利用もあるのではないかと。14世界中から送られた義援金や物資。それらを区分け届ける人々。人間愛の証だと思います。復興の力は直接的な義援や助力ばかりではなく、陰ながらの応援も大きなパワーを生み出しました。被災者の皆様もその力を感じ、わたくしたちに返してくれたのです。まさに人々の力だと感じます。14-東日本大震災を描く-復興

  • 17-東日本大震災を描く--復興の力

    幼稚園から始まる、希望に輝くピカピカ一年生が元気よく町を歩く春四月、のはずが今年は違ってしまいました。かといって人生に挫折をしたわけではありませんから、チトットしたハプニングだ、という程度に受け止めていきましょう。しかし、新型コロナに対する用心はお互いに心して生活をしましょう。東日本大震災を描く-復興の力9年前の春四月はこの絵のようなことが報じられました。復興の力こそ人々の思いやりであり協力し合う愛の力だと思います。17-東日本大震災を描く--復興の力

  • 13-東日本大震災を描く-復興の力

    コロナウイルスの発生源中国は情報未公開・隠ぺい体制の中、最近では押さえ込んだと勝利をうたう感じが目立つ報道。あいも変わらず共産党唯一というプロパガンダの口調でうんざりするが、今日のCMMの投稿記事に面白いのがあった。「新型コロナウイルス封じ込め対応独裁体制は民主主義にまさるか」というもの。とても要約できないのでぜひ一読することを進めます。単純な感想ですがなんとなく溜飲が下がる思いがしました。13-東日本大震災を描く-復興の力この絵は新聞かと思いますが写真を見たときピーーンときたもの。おばちゃんの前向きな姿、おっちぉんが精いっぱいの力を出している。被災者そして一般民全ての生き抜こうとする生命力だ。気に入っている作画です。13-東日本大震災を描く-復興の力

  • 12-東日本大震災を描く-7.8.9図 復興の力

    立春より一気に春めいてきました。我が家の花畑は雑草の中に水仙が元気よく咲き、散りかけた梅のほのかな香りが漂っています。しかし・・、体調が今一つで問題のコロナとは違うと思います。いつもこの時期には風を引いてしまうのです。だいたい娑婆に出ることもなく、気楽にいらしています。7-8-9図は東日本大震災を描くで必然的に制作しなければならないテーマとなっていったものです。報道等で知るだけの情報でしたが、被災された人々のすごいパワーに圧倒される思いでした。懸命に立ち上がってゆく人々に感動し、それを描くことが本来の仕事だと気が付いたのです。そこで浮かんだのが、密教で五大力明王という仏様がおいでになります。一般的には不動明王が知られていますが、五大力の力の一つです。その解説はさることながら、この五という数にヒントというか制作意...12-東日本大震災を描く-7.8.9図復興の力

  • 11-東日本大震災を描く-怒り・人災

    ぼわーーとした春風が流れ、オッちゃんもフラフラと遊び出たい陽気になりましたが、今年は人ごみに出ないことにしましょう。とはいっても何もせずにただ能天気にいるのも辛いものですね。本来でしたら今日は「東日本大震災を描く」展示会の最終日ですが、予定では8月22日--27日延期いたしました。予定というのは今の状況では全く分からず、美術館のほうでも決定できません。さて東日本大震災を描く6図は原発事故で人災として怒りをもって描いたもの。当時は映し出される白色の異様な防護服にはギョッとさせられたものです。くしくも現在中国コロナウイルス騒ぎで見慣れてしまいましたね。改めて慣れの恐ろしさを感じます。話を戻しますと、怒りに変じた人々の姿を表した。放射能汚染された地域ばかりでなく、帰還困難地域の一部が解除され一歩一歩と復興が進んでいま...11-東日本大震災を描く-怒り・人災

  • 10東日本大震災を描く--心の光

    真冬に戻ってしまったような、昨日今日です。一時吹雪のように雪がめちゃめちゃに吹き飛んでいましたが、積もることはありませんでした。午後3時ころには青空が広がってきましたが、顔を刺すような寒気が流れていました。確か9年前も被災者たちが焚火で暖を取っていた映像がありました。被災者の平和で秩序あるありように世界の人々が賛辞しました。しかし、平和で安心安全な日本の神話は原発事故で一変に吹き飛んでしまった感がありますが、このはげまし、助け合う日本人の心は決して拭きとんではいません。くしくもただ今コロナウイルス騒ぎで、終焉の先が見えませんが、今こそ被災者をお手本にすることかと思います。定かな記憶ではありませんでしたが、妃殿下が被災地を見舞われたとき皇居に咲いていた水仙を持っていかれた・・。そのようなことを思い出し心の灯・希望...10東日本大震災を描く--心の光

  • 9-東日本大震災を描く-原発爆発

    東日本大震災を描くの大作は2011-3-11日の発生より、本絵の制作には数か月後であったことは記してきました。それは「描いてよいテーマなのか」というジレンマがあったが、イメージはどんどんと膨らんでいった。そんな中で「この怒り」をどのように表現したらいいのか定まらなかったのが、3-12日から起きた福島原発の爆発であった。当日TY画面は遠望より撮影されたぼけた発電所の映像であった。現実にどんなことがなされていたのか全く分からない。そして12日午後3時半ごろ福島第一原発からもやもやと煙が上がる映像が・・。それからである。次々と爆発し、日本中ばかりか世界が震撼するメルトダウン起き、9年たった今も帰還不能な地域ができてしまった。天災である地震・津波は「備える」ことでしか対応ができないが、人災である原発事故は防げたはずだ。...9-東日本大震災を描く-原発爆発

  • 8-東日本大震災を描く--慈母観音

    平成天皇・現皇后ご夫妻が被災地を訪れ、疲弊しきった人々を見舞われました。テレビからの映像ですが人々は勇気づけられ希望が湧いてきたと、心から感謝をささげていました。私は「天皇陛下万歳」と身も心も捧げるものではありませんが、間違いなく日本人の心に宿っている敬愛・尊崇の念は否定ません。正直私も年を得て「日本人の心の柱」を感じるようになりました。亡くなられた人々の供養と心の柱を慈母観音として表しました。この絵こそ私だけが描ける「東日本大震災を描く」テーマと言えます。8-東日本大震災を描く--慈母観音

  • 7-東日本大震災を描く-救助

    e83.jpg"border="0">制作にあたっては新聞や写真などを参考にして描いた。現地を訪れ、直接見たものではなく全て想像だ。しかし、被害者の悲痛ともいえる言葉や文章が作図の根底となっている。テレビ映像は全体像を掴むのに役に立ったが、新聞報道は感情を読み取ることができた。いまも大切に保管をしている。制作中、描き入れたい一人一人の声が聞こえてきたり、まるで知り合いかのような奇妙な錯覚に陥ったりした。永い創作生活でこのようなことは初めてで、精神的に不安定になってしまった。延期にはなったが、久しぶりにこの作品を観れば芸術的にうんちく言うよりも、獲りつかれて描いたようなナニカがある。7-東日本大震災を描く-救助

  • 6-東日本大震災を描く-救助・救援

    9年前のこの日は今日のように暖かく、夕方の散歩は少し早めにスタートし、一時間ほどのフルコースだった。確か山際の田んぼ道で「オヤ・地震かな」と感じた。普段はテレビを視聴する時間帯ではないが気になりスイッチオン。もーーそれから画面に釘付けになってしまった。「東日本大震災」テーマに制作をする気持ちはなかったのであるが、その後の報道に触発されたのか、体内の奥から湧き上がってくるナニカに私自身がほんろうされた。湧き上がる感情のままにのクロッキーが何枚もたまった。そして描き上げたことは今までに何度も書きました。今回の画面は「助け合い・救助する人々」だ。説明は無用であろう。6-東日本大震災を描く-救助・救援

  • 4-東日本大震災を描く--逃げろ

    今朝は雪交じりの雨がしとしとと降る暗い始まり。お昼を過ぎても寒く、ワンチャンのオシッコを済ませただけの散歩です。東日本大震災を描くの展示会は予定では8月下旬に繰り越しになってしまいましたが、被災地への思いは変わっていません。先ほど改めてネット検索をして、死者は一万八千人を超えて居ます。胸詰まらせる報道が続きましたが、中でも大川小学校のことは忘れられません。その報道を知った時浮かんだ光景をクロキーをもとに本絵にしたものです。写真にもない、絵だけにできる記録かと思います。あらためて東日本大震災を描くの大作を見て絵画ゆえにできた想像光景絵です。顔も名前も知りませんが、なぜか具体的に観えた気がしたのです。蛇足ですが今見て子供たちの声が聞こえてくるような情景をよく描けたものだと自分で思います。4-東日本大震災を描く--逃げろ

  • 3-東日本大震災を描く

    テレビの映像はすざましい津波を映し出していました。巨大な船が陸地へと押し上げられていきます。家も車もあらゆるものがぐちゃぐちゃになり、一気に海へと引きずり込んでいきました。夜の映像では、コンビナートから流れ出た燃える原油の海でした。正直この映像にはびっくりさせられた。世界最大級の地震と津波で痛めつけられた人々に、さらに余震が襲いました。翌日(3-12)の朝刊には人も町も消えたの大見出しの新聞でした。子供を抱え逃げる家族を想定し、その家族の変化を描きこんだのです。前回のショーウインドを見るお祖母ちゃんとお母さん。上図にはこのお祖母ちゃんがいません・・。図の右上に描いた上弦の月は2011-3-11の夜です。日記にしっかりと記されています。3-東日本大震災を描く

  • 自粛の通知

    20-3-3コロナウイルスの余波世界のニュースはコロナウイルスのことから始まっています。残念ながら日本の対応は今一つだと評価されていますが、正直中国のように国家権力で抑え込むことは無理でしょう。中国の今までの封じ込め対応を見ると恐ろしさも感じます。ある解説で、危機管理能力は戦争追行能力と比例する、とあり一瞬??でしたが読むに従い、合点がいきました。要領よく説明できませんので面白い論理ですので調べてみることをお勧めいたします。その中国の人々から日本は何をしているんだ、といわれる昨今ですが、その中国の一部に「元々俺んとこじゃーなかった。よそから来たものだ。」と訳の分からない話が出ているとか。いかにも中国的だと感じています。さて、この騒ぎは他人事でなくなりました。3月17日から22日まで松本美術館で「東日本大震災を描...自粛の通知

  • 2-東日本大震災を描く-展示会

    コロナウイルスの感染予防で自粛せざるを得なくなり。展示を中止しなければならないかもしれないが、準備万端である。作品は高さ162センチ・幅820センチと大きなもので、様々な情景をびっしりと描きこんである。今回は説明をしたて来たことを、漫画のコマワリのような説明パンフを作ったので、ブログでも一部を展開させてみます。1-2パネル天災--津波2011年3月11日私はいつものように愛犬と散歩をしている時だった。「オヤ・地震かな・・。」とわずかな揺れを感じた。いつもはテレビを視聴する時間ではないがチョット気になりスイッチ・オン。飛び込んできた映像に信じがたい思いだった。新たな映像とともに繰り返される報道に、体内からこみ上げてくるナニカは日に日に大きくなり、それに左右される一年となった。三陸沖を震源としたM8.8は観測史上最...2-東日本大震災を描く-展示会

  • 東日本大震災を描く-展示会

    東日本大震災が起きてより早くも9年たたんとしております。日本中の人が強烈な光景に息をのみ、「何とかできないものか」と思ったことでしょう。思うばかりでなく、実際にボランティアにでかけていったり、何らかの形で支援をされた方も少なくないと思います。私も画人として何ができるのか迷いに迷った挙句、新聞・映像とうの報道資料を参考に津波被害などを表したが、災害の光景を描くのではなく人々が苦境から立ち上がる精神力を描いた。正直、現場に立ったわけでもなく人々の苦悩を芸術家的想像だけの制作に後ろめたさもあった。制作日記を読むと、制作時の湧き上がる悲しみ、いきどうりに自身当惑しながら、夢中にキャンバスに向かった日々であった。パンフ表紙翌年の2012年春に「東日本大震災を描く-天災・人災・人曼荼羅」を意図に絵巻風に展開した大作(920...東日本大震災を描く-展示会

  • アイリス

    暖かですねー。例年でしたら川岸に複雑な氷の造形が折り重なっているのですがマッタクそのけもない。大変楽な冬ですが、グレタさんの言うような地球環境危機からでしょうかねー。積雪がないと水不足の要因になりかねませんから心配ですね。昨年制作をした「極楽を描くとしたら・・・。」の話に戻りましょう。とは言っても、ヒマラヤの谷でのことでしたが、アイリスを描いているときに思いだした光景でした。「アイリス」は我が家の雑草花畑に数種類あったのですが、変わった立派な花をつける株は、雑草に負けたのかいつの間にか消えてしまった。花弁は色合いの関係からか見た目には厚く硬そうですが、虫がちかつくだけで震え、透き通った光が光粒となってきらめく。そのような様子を素直に描き出したかった。もちろん、極楽のイメージである。アイリス

  • チベットの空

    3創作の根底創作意図の根底をなしているヒマラヤの体験ですが、ヒマラヤのトレッキングは1970年後半の30代半ばだった。それまでは、お釈迦様の生まれ育ったインドでどうして仏教が衰退してしまったのか、という疑問解決の糸口を見出さんとインドの仏跡を中心に旅をつづけていた。論理的ではないがヒンドゥ教に飲み込まれてしまった要因として、仏教の寛容精神が彼の地の過酷な自然環境に適用できなかったのではないかとかんじた。つまり、人々は絶対神てきな強力性を求めているのではなかろうか。浅学な私がのたまわれる問題ではないが、現場を踏んで感じたことだ。そのインドの放浪からネパール・ヒマラヤに興味を持ったのはヒマラヤ山脈ではない。知人のヒマラヤ遠征の記録写真を見た折、何ともおどろおどろした仏教壁画をバックにした記念写真にビックリしてしまっ...チベットの空

  • りゅう王丸曼荼羅

    昨年珍しく本格的に花の絵を制作したのですが、その一つに我が家の花畑に雑然と咲くアイリスがありました。散歩コースにも田んぼのあぜ道に様々なアイリスが咲き、写真を撮ったり、スケッチをしているうちに、ヒマラヤで見た花の谷がよみがえってきたのです。年代的には30歳から50歳中ごろまでですが、20年前になってしまいました。そもそもこの投稿は「極楽をえがくとしたら・・・」のつもりが、いつの間にかヒマラヤで体感した「破壊と再生」の光景の話になってしまいました。「破壊と再生りゅう王丸曼荼羅」として表現してきたと書きましたが、作品を紹介しましょう。土石流450-180cm東日本大震災を描く820-180cm2012-2-42011-3-11の東日本大震災を涙を流しながら制作をしました。YouTube動画編集DtawtheTOUH...りゅう王丸曼荼羅

  • 破壊と再生--りゅう王丸曼荼羅

    私の創作の根底をなしているのがヒマラヤでの体験が影響している、と書きました。巨岩が砕け、水に押し流されて微粒子になり、土や石にかわり、動植物を生み育て全く異なるものへと変わってゆく。それは生命の循環ばかりではなく、宇宙全体の躍動ともいえます。ヒマラヤは激変する過酷な自然環境だけに、前記した宇宙的な変容を体感できる気がします。ヒンドゥー教の最高神であるシバ神は「破壊と再生の神」だといわれます。新たに生まれ出る時は天地雷鳴炸裂しナニカが・・。もし極楽世界だとしたら、ふわりと蝶々が生まれ、あざやかな花々が咲き誇る。写真の作品は数年前に制作をしたものですが、何か物足りなく、完成しきっていませんでした。アイリスの制作をしている最中にフッと思い出し修正をしたものです。ヒマラヤの雪解けを体験したことをベースにしたもので、現実...破壊と再生--りゅう王丸曼荼羅

  • 寒空の夕焼け

    暖冬といわれてもやっぱりさむく、顔がピリピリしてくる。我が家から見たつかの間の赤みを帯びた西空に、早くあったかくなーーれ。寒空の夕焼け

  • ねずみチョロチョローー鍔

    今日は本題のテーマから離れます。写真データーを整理しておりましたら「ねずみチョロチョロ」の鍔写真がありました。私の収蔵品ではいのですが面白い鍔だったので撮影をしたものです。確かネズミは銀の被せがされた精巧なものでした。改めて思うのですが、武器である刀剣に洒落を入れ込む日本人の粋な心意気を感じます。いまこのような遊び゜「すさび」をあまりかんじませんねーーー。ねずみチョロチョローー鍔

  • 1-破壊と再生

    1-破壊と再生ヒマラヤ遠征のことを書くのが目的ではないのですが、前置き長く目的地は遠いのです。厳寒が過ぎた2-4月あたりの乾期が登山シーズンで、当然であるが3千メートル以上は真冬である。花の谷と称される標高3千メートルの谷は、横殴りの雪と氷漬けで色失せたところだった。迫るV字の上部は7000メートル以上の高峰が覆いかぶさる。そんな斜面を一気に登り、4200メートルのBCに到着。飲み屋も何にもない谷に一か月以上滞在する。ドカ雪にテントがつぶされそうになったり、吹き飛ばされたりと大変だったがおもしろかった。蛇足ですが私は登山家ではありませんから、登山隊の好意と多少の記録のお手伝いでの参加であった。特に登山テクニックを要しないC1{5000Mくらい}まで登り、どでかてい氷壁には感動をした。4月末日、登頂成功をしたころ...1-破壊と再生

  • きれいではない花の絵制作

    目を見張るような花柄模様のことを投稿したついでに、今日は昨年描いた花の絵をご紹介いたします。私はあまり「きれいだ」という意図での花の絵を制作をしたことがなく、強いメッセージをたくせる画題だった。それはもっぱら「ひまわり」で、それも花瓶に生けられた室内の花ではなく、真夏の日差しに毅然と力ずよく咲く「ひまわり」が主だった。湧き上がる生命の表現として最大2M角の大作などから、小品までかなりの枚数を制作をした。中央画壇に出品したおりなど委員から「ゴッホを研究しろよ・・。」などと言われ、内心この人は咲き誇る野の「ひまわり」を知らねーとおもったり・・。折しもゴッホの「ひまわり」が購入されたころだった。写真の整理がついていないので掲示することはできなのは残念です。昔のことはこれくらいにしておきましょう。2000年の制作180...きれいではない花の絵制作

  • ビックリ 布団柄

    お天道様がピカピカで寝正月の布団が日光浴。布団干しは暖かさの象徴ともいえる日本的な光景。ボケーーと観ていると「アレ!!!ミュシャではないか。」と気が付いた。ご存じの通りミュシャは優れた装飾美術から絵画・彫刻等多彩な芸術家である。私の制作にも多大な影響を受けている。{ミュシャとはぜんぜん違うぞ}という声が聞こえそうですが、見た瞬間にそうひらめいたことで詰められてもこまってしまう。布団柄をよく見ると花の輪郭の色、赤と色の調子が実にいい感じだ。輪郭線が多彩な色どり、影を付けずに色の濃さで決めている。言い換えれば単純なプリント柄なのではあるが・・・。その布団はずっと以前からあったのであるが、シーツに隠れていたりしてわからなかった。幸い羽毛の布団カバーだったので剥がしとってしまった。まずは洗濯機に放り込み、物干にかけてさ...ビックリ布団柄

  • 令和--年賀状

    令和最初の投稿です。正月も終わり通常の動きになっていることでしょうが。年賀状と格闘をしている方も少なくはないとおもいます。各いう私は一年中お正月気分ですが、中でも一月いっぱいはお正月と決め込んでおります。とわ申してもそんな気分も薄れ、淡々とした日々になっています。当然年賀状の返信もこれからの仕事になりますが、年々おざなりになっていき、枚数も減りました。当然いただく年賀状も減ってしまいましたが、勝手なもので少し寂しい気分ですね。今年も長いながーーい交信の方からいただいておりますが、中で「ブログ心配していました」という書き込みの年賀がありました。ありがたいですねーー。心にとめている方がいると思うと、今少し気合を入れて投稿をしなくてはいけないと思いました。令和--年賀状

  • 明治の少女の絵--模写

    原画のアップこの絵を画像で見たときパッと浮かんだのはあのポスターだ。そうです、朝ドラで蘇った「赤玉ポートワイン」の写真である。さらに、大正ロマンの美少女絵の旗手ともいえる竹下夢二の作品。そのほか名前は出てこないが、少女雑誌の挿絵など数々浮かぶ。当たり前ですがそんな時代に育ったわけではないが、昭和半ばまではどことなく明治大正が漂っていたと思います。手に入れたこの油彩画の作者「すさび良一」も、資料としてみてきた中の一人ではないだろうか。描きなれた筆の運びに、今でいうイラストレーターではなかったのかと思うのです。本業の制作からチョットはなれ、遊び(すさび)で描いたかもしれません。模写をしていて「描きなれているナーー」と特に感じたのは背景の浮世絵です。塗重ねはあまりなく、さらりとした筆の運びはのびやかである。情景を想像...明治の少女の絵--模写

  • 3--模写・・明治の少女の絵

    3模写お絵描きの技術的なことを延々と記とても面白くはないのですが、今少し参考までにおつきあいください。仕上がった色(表面の色)に至るまで思わぬ色から始まっています。画家は最後の仕上げの色をイメージして重ね塗りをしてゆくのです。筆塗りの厚みは0.1-0.2ミクロンくらいだそうです。下の色が透けてゆくことにより、深い色合いになってゆくのですがこれが難しい。色付きセロファンを重ねると色が変わっていきます。これとおなじで、実際にセロファンを参考に使うこともあります。また、溶油との関係や絵の具の軟度などもあり、とても書ききれませんが、画家の技量が問われるものです。さてこの絵の場合ですが、顔の部分はかなりジンクホワイトを塗り重ねたと思われる。ヨーロッパの肖像画に見られるつややかな肌の技巧です。そして、水色系で影などを地塗り...3--模写・・明治の少女の絵

  • 2-模写

    2模写絵を描く者にとって模写は若いころばかりでなく、生涯続く勉強だ。私も20歳代から多くの名画を写し取ってきた。しかし、ヨーロッパの美術館でよく見られるように、天下の名画を目の当たりにして描いたことはない。40歳代の記憶の中で、ドイツの美術館でそんなチャンスがあったが、正直かの地の画家に気後れをしてしまい辞退したことがあった。美術書を参考に描いてきたのであるが、なんとしてもわからないのが地塗りの色やタッチである。それでも多くのことを学び取って来たのである。話を落札をした明治の少女の絵に戻ろう。経年の汚れを取らなくてはならないが、その本格的な技術は知らない。なんとなく全面に薄茶色がかっており、仕上げニスの黄変なのか汚れなのか定かではない。隅を綿棒にてアルコールや水でこすってみたが汚れらきものはない。ひび割れた箇所...2-模写

  • 長らくさぼっていました--模写

    先日3年ぶりに友と大酒を飲んだ。とりとめのない話の中でブログの投稿がないので心配をしていた、というのであった。その彼も、メールなどめったによこさない不精加減は私と同じこと。しかし、気を付けてくれている友がいると思うと嬉しくなってしまった。何もしていなかったわけでもなく、それなりに新作に取り組んでいたが、年賀状と同じでブログがめんどくさくなっていたのである。これは老化現象かもしれぬ。ということで、目新しい制作で、明治41年作明治の少女模写の取り組みをお話しいたします。暇つぶしにヤフオクを特に目的のものもなく検索していると、自然に絵画になってしまった。超有名な物故画家の作品が「本当かッ。」と思うような値段で落札されていたりする。真贋の確かめようもないのだが、明らかに偽物または研究のために模写をされたものなどがあった...長らくさぼっていました--模写

  • マムシ

    犬のハナがけたたましく吠え続けている。怪しき人間に対した吠え方と違う感じがしたので、覗き見るといつも出入りをしている縁側の土台に向かい飛び跳ねている。「もしかしたら」という予感があり、鍬を手にする。いました。でっかいマムシがとぐろを巻いて威嚇をしている。バシッと頭をめがけて鍬を打つ。首か吹っ飛ぶ。・・とはいかないのだが、ともかく首の辺りは切れた。マムシは逃げ隠れしないから、退治はしやすいのだと今までの経験でわかっているが、それでも怖いものだ。ハナが負けずと吠え立て、噛み付こうとするがまだまだ危険である。以前にYUOTube「マムシ退治」で投稿しているが、今回はカメラを持っていなかった。太い胴にもしかしたら子供が居るかもしれない。と言うのは以前に殺したマムシから7匹も子供が生まれ出た。さらに威嚇のポーズをしたのに...マムシ

  • ケッタイなキノコ

    1週間ほど前になりますが、外の宴会テーブルの下にケッタイなキノコがニョコリ。そのままで3-4日後のことですが、キノコがごっそりとした感じに増えている。けっして食ってみようという気にはならぬ風体ですが、何者か図鑑で調べてみた。抜粋してみますと、春から初夏にかけ、腐食質の多い庭地や空き地、あるいは林内に発生する。ヨーロッパでは春に取れる最高の食菌としてモレルの名で親しまれるが、日本ではかなりの茸通でも食用になると試していない。ということから始まっています。食えるものなら試してみようと思いたつ。茎の内は空洞で、全体にもろい感じだ。油いためによさそうなので、昼飯に野菜たっぷりの炒め物にする。香りも・味もたいしたことがなく、存在感がないので全部入れる。正直、多少不安があったので少なめにしておいたのだ。ヨーロッパでは春一番...ケッタイなキノコ

  • 令和元年

    始まりました。私も3代目の年号を迎えることになりました。「令和」と称する商品も賑わしていますが、中国でさっそく登録がされているとは・・。漢字の生みの国ですからしかたがないとしても、その商魂というかエグサには・・。さすがに、韓国では意地でも無さそうですね。お習字をしてみました。日本中でいっぱい書かれていることでしょう。令和元年

  • 白日夢 1945-広島 続き

    平成最後の日となりました。政治的には割合と穏やかでしたが、天変災害が続きました。なんといっても2011-3-11の東日本大震災でしょう。それに続き熊本大地震。いやいや、忘れたわけではありませんが、阪神淡路大地震が・・。その度に、両陛下が現地に赴き、被害者の方々と相対したお姿は、感動的でした。一部の右翼系の勢力が、「膝をつくなどと、あまりにも軽すぎる。もっと権威ある対応で」というような強力な意見があるとか。私は平成天皇さんは、類まれな人徳者であると思っています。次の令和天皇も父上をよくよく見習っていただきたいと切に願います。さて、昨日に続き「白日夢-1945広島」の制作について。18年の夏になると、この絵が気になりイーゼルにかける。眺めているうちに、私の作品に時々登場する分身ともいえる「後ろ向きの少女」が浮かび上...白日夢1945-広島続き

  • 四年越しの制作・・白日夢-広島

    サイズF50(110-90cm)の作品で、私にとってはあまり大きなものではないが、完成とさせるにはあしかけ4年もかかった。松本市郊外がアルプスを背景に、ざっくりと見える耕作地帯があります。現在の作物はナニか知りませんが、以前はトマト・ジュース用の畑が、ゆるい斜面に北海道的に一面に広がっている。始まりは2016年の夏。アルプス連山が黒雲に覆われ、入道雲がモクモクと立ち上る。郊外全域に雷雨が暴れ周る。観ていてゾクゾクしてくるダイナミックな光景だった。「これは絵になる」と感じ、しっかりと脳裏に焼き付けた。帰宅一番に制作に入ったわけではなかったが、光景はしだいに育っていき、雷雲ではなく原爆雲となった。其の時点で初めて制作をする気になり、クロッキーが始まる。キャンバスが手元になかったので、以前に生徒さんが置いていったまま...四年越しの制作・・白日夢-広島

  • 女盛りの美

    連休の初日、天気はパッとせず幾分肌寒い。北海道では積雪があったようですね。この時節珍しいことではありませんが、やはりお天道様ギラギラの方が楽しい。我が家の桜、昨日の小雨で引きちぎられるように散り、地面は花びらの模様が作られた。雪が積た白い地面と異なり、多彩な色彩が含まれていて楽しい。花びらの散った後、焼きレンガ色のウテナ(額のこと)に変身した、若葉に変わる短い期間の桜の美しさだ。このときの趣をあまり注目されないが、満開時は爛漫と形容できるが、ウテナの美しさは正に、年増の美である。いやいや、年増といってはかわいそうな気もし、女盛りの美としよう。わが花の谷の桜も、上部の750メートル以上の集落に移っていきます。標高10メートルのわずかな高さでも、花の開き方が違っています。なによりも、周りの花々の色がことなる。我が家...女盛りの美

  • 爛漫の窓

    カーテンを開くとバーーと爛漫の花の世界が広がります。我が家で最も華やかな時節。開花がなんとなく遅く感じましたが、咲き出したらもう花びらがヒラヒラと・・。「花の命は短くて・・・。」今年の花を見てください、写真集。ここ2-3日は25度を超す夏日のような陽気でしたが、今日は雨が降りそうな空模様。素足ではチョッと冷たく感じる。爛漫の窓

  • 開花宣言いたします

    ようやく開花したと言う感じですけれど、先に記したように17年と同じ開花日です。なにかすごく遅い開花と感じてしまうのは、4月の頭はかなり気温が上がり、全国各地で早い開花宣言が報じられたからでしょう。散歩をして行き会う人から「ことしゃおそいねーー。」と言われますが、記憶などあてにならないものです。そろそろ花見の段取りでも・・・。オッシャンでごんす開花宣言いたします

  • 娑婆は花見時

    我が家より国道254を車で5分も下れば、松本市内がパッと飛び込んできます。今日は好天気に誘われて、花見処にいってきました。いたる所桜の花が2分ほど開花しています。花の下では三々五々、昼飯パーティーが行われていました。私も遠足の定番食としているお稲荷さんを購入し、春を楽しむ。我が家の桜ももう少し。いっせいに開花すると、「すみません。拝見させてください」と、カメラを手にした方々がおいでになります。トップ写真は、冬山そのものの常念山乗鞍岳・・昔ほどではありませんがスキーーの本場娑婆は花見時

  • なんという種類の桜

    我が家のソメイヨシノ、定点観測の枝のハナは開花宣言寸前というところでしょうか。なにか遅いではないのかと、16-17年のブログを開くと、17年4月16日開花宣言。また16年は早くて4月11日。しかし、花冷えとある。この年は熊本地震がありました。こうして見るとブログはありがたいもので、日記帳となると探し出すのか一苦労です。今日は朝から暖かいので、桜もポツポツと開き始めてはいます。我が家でいち早く早く咲く桜が、ソメイヨシノのひこ生したものを移植した木です。ただし、ソメイヨシノではなく得体の知れない桜です。ソメイヨシノは江戸彼岸桜とオオシマ桜のミックスで一代種。それゆえに種から子供・・ソメイヨシノ・・はできません。根元から芽が伸びるひこ生ならば吉野ちゃんになるのかと思い、3本移植してみたのですが、全部不思議な桜です。花...なんという種類の桜

  • 遅い開花

    1-2月は割合と暖かな日が続き、大変楽な冬でしたが3月下旬あたりから、例年よりも寒い日になってしまった。4月に入り、時折上着を脱いでしまう日もありましたが、朝夕の散歩など顔かひきつるような寒風にひぇーーと・・。二日ほどほど前には、犬も私も白い息を吐きながらの散歩でした。いっこうに開花しない我が家の桜に、「花咲か爺さん、寒いのでコタツにもぐったままかねーー」などと。今日は夜明けから抜けるような晴天。各地で花見でにぎわっていることでしょう。玄関先の目の高さにある定点観測枝です。朝一に玄関を開け放ったとき、ボーーーンと桜のお姫様たちが話しかけてくれます。早く姫様にお会いしたい。・・人間姫様大歓迎。遅い開花

  • 長らくボケておりました

    画像を入れ忘れました・長らくボケておりました

  • 長らくボケておりました

    今年の冬は寒暖が激しくとまどうほどでした。朝夕の犬のハナの散歩では、防寒具を着てでかければ、帰りには背に受ける日差しの強さに脱いでしまうほど。風邪には十二分に注意をしていますが、喉が弱い小生の泣き所です。最近の晩酌は泡盛からスコッチになっております。というのは、近間の大方酒店が閉店をしてしまい、手にらは要りにくくなってしまったからです。名品を集めた、こだわりのある店が閉店をせざるをえない、世になっていくのでしょうか。昨日は思いがけない雪降りでした。湿った雪ですが数センチもありました。今冬は雪かきをせずにすんでいます。桜のつぼみの先がチョッと赤みがかかってきましたが、今日の陽射しで緩んでいくでしょう。小生は冬はまったく゛制作欲が低下してしまい情けない気持ちになってしまうこともありますが、それはそれとして受け入れる...長らくボケておりました

  • 秋祭り

    昨日の30度を超える夏日と打って変わり、高曇りでアルプス方面から流れる空気は涼しさを感じます。花の谷に広がっていた黄金色もすっかり刈り取られ、あちこちからのろしのように煙が上がっています。ポンポンと打ち上げ花火がまばらに聞こえてきます。この連休はあちらこちらで小さなお祭りがもようされていますが、往年の賑やかさは何処にもありません。この時期は収穫の感謝を氏神や地神に捧げ、地域独特な伝統行事がなされてきましたが今や過去のものとなりつつあります。私がこの花の谷に住み着いてから20数年になりますが、当初は寄付金を付き合いされお札いただきました。集落の中央部にある小さな神社では、演歌が馬鹿でかく流され、青年たちが自前の高店を作り、それなりの祭り気分を楽しみました。この谷にこんなに子供たちが居たのかとびっくりさせられました...秋祭り

  • 3-靖国神社を考える

    話を当初のプライムニースに戻ると、番組では遺族会会長を務めた政治家が戦犯を合祀されることに遺族会全体が強く反対をしてきたが、突然合祀の決定が報道されたらしい。まったく寝耳に水の思いであったと・・。その時の松平宮司の隠密裏ともいえる独断決済だったようだ。この松平宮司の本音は、太平洋戦争は米国による策略であった。わが国は決して悪くは無かった。それゆえに戦犯を合祀するのは当然である。昭和天皇が一度だけの参拝(正しい語彙は知りません)されたことがあるが、戦犯合祀以来お止めになったと言う。そのような流れに対し宮司は、天皇参拝などは特に望んでいない動きに出たと言う。想像だにしなかった解説に、正直びっくりしてしまった。それゆえに、自分の思い込みや誤解をこれはしっかりと思い、整理しなくてはならないと感じたのです。また、神道は成...3-靖国神社を考える

  • 靖国神社を考える-2

    靖国神社の問題にたいし感情論になってしまうのは、私ばかりではないことに、この問題の難しさがありそうだ。一つの要因と思うのは神道には、大宗教のような教典又は神学等がない。つまり教えに対して成否の判断ができないか、あいまいになってしまう。神社の構成が宮司に負かされ、それぞれに運営されている。統一された教え又は導き等がないゆえに、宮司の決定に賛否を問う基本的な綱領が無いらしい。神社は何がしの神様がおいでになる。または降臨される祈りの場であることには否定すべきではない。一神教の宗教体系にとって、神道の八百万の神々の感覚は不思議なことらしいが、私のささやかな辺境地への旅の経験から、豊かな自然環境にはぐくまれた日本国土ゆえに生まれ育った宗教観だとおもう。長野県護国神社境内の慰霊碑御来光に思わず合掌をし、非日常的なパワーを感...靖国神社を考える-2

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