chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
雪だるま
フォロー
住所
岐阜市
出身
未設定
ブログ村参加

2008/01/30

arrow_drop_down
  • 江戸東京たてもの園

    江戸時代から近世まで歴史的な建物を移築保存し展示東京都小金井市の都立小金井公園内に設置された野外博物館がそれだ元々は武蔵野郷土館であったものが平成5年に規模を拡大してリニューアルオープンたてもの園の銭湯や下町の商家建築のデザインは千と千尋の神隠しの参考になったという江戸東京たてもの園

  • 北野異人館街

    北野異人館街

  • 厳島神社

    古くは伊都岐島神社と称された式内社安芸国一宮ユネスコの世界文化遺産にも登録されている創建は推古天皇の時代に遡る御笠浜に市杵島姫命を祀る社殿を創建したことが始まりとされる厳島神社は海上に社殿が並ぶ干満が間近で見られる訪れるのなら道引きの時刻表を事前に参照しておくことをお勧めする厳島神社

  • 厳島

    古代より島そのものが自然崇拝の対象であった歴史の表舞台に登場するようになったのは平安時代厳島神社交通の要衝島へは観光船で渡る年間300万人以上の観光客を受け入れる厳島

  • 龍泉庵

    大本山妙心寺の塔頭寺院妙心寺四派のひとつ山内塔頭寺院の中で最大規模を誇る開祖は景川禅師禅は景川とまで言わしめる程の僧であった創建時は小さな庵であったそうであるが江戸時代にはいり現在の規模にまでになった冬の特別公開で時折公開されていた龍泉庵

  • 乙仲通り

    かつて海運貨物取扱業者が軒を並べた通り乙仲とは海運を当時の政府が乙種海運仲立業と括った長いので略称して乙種の乙と仲立の仲で乙仲と呼ばれた今では約270店前後の店がカフェ雑貨衣料品インテリアなどなど賑わいをみせ訪れる若者の多い通りである乙仲通り

  • 横浜異人館街

    横浜異人館街

  • 京都迎賓館

    平成17年に開館した日本を代表する施設海外からの賓客を迎える施設日本文化を具現した建物贅の限りを尽くした内装日本人すら知らない日本の美畳は全て中継ぎ表久しぶりに訪れ堪能した京都迎賓館

  • 大阪市中央公会堂

    財団法人公会堂建設事務所が設立されたのは明治44年のこと岡田信一郎のデザイン案を元に辰野金吾片岡安が実施設計を行った大正2年に着工し大正7年に完工鉄骨煉瓦造地上3階地下1階建ての構造ネオ・ルネッサンス様式を基調とした構造特別公開時には構内を自由散策できる公会堂の遠望は美しい大阪市中央公会堂

  • 伏見稲荷

    稲荷神社は全国に3万社ほど存在する稲荷神社の総本社がこちら伏見稲荷神社霊峰稲荷山の西麓山そのものが神域紅い帯のように鳥居が続く守るのは狐さま農耕の神訪れて参拝伏見稲荷

  • 高松城

    玉藻城とも呼ばれる高松城高松城周辺の海域が玉藻の浦と呼ばれていたことから別名がある城である築城は天正18年生駒親正が居城であった現存する城郭となったのは生駒家が転封となった後のこと高松城

  • 雪の清水寺

    音羽山清水寺言わずと知れた京都最大の観光名所降雪の風景は珍しい今回はモノクロの清水寺を紹介撮影は一年前のもので悪しからず雪の清水寺

  • 船場ビルディング

    鉄筋コンクリート地上4階塔屋1層地下1階建大正15年築店舗・事務所のほか住居も併設されていた吹き抜け構造のビルとして有名訪れる人が増え過ぎ平日以外は気軽に訪れられなくなった船場ビルディング

  • 大和ミュージアム

    呉市海事歴史科学館が正式名称戦前・戦後の呉市における船舶製造技術を展示と、記されているが展示の大半は旧日本海軍の超大型軍艦「大和」の建造と軍事活動が中心見所は1/10スケールの戦艦大和の模型呉市観光の起爆剤として今日でも大変な人気を博している大和ミュージアム

  • 日本郵船氷川丸

    昭和5年に日本郵船が就航させた貨客船同系船は計3船氷川丸日枝丸平安丸全てヘボン式ローマ字でHから始まる神社の名を戴いて船名が付けられている貨客船として建造されたものの時は戦中病院船として接収されている姉妹船の2船は太平洋戦争で沈没しているがこの船は魚雷が至近で爆発したものの生き延び今日、重要文化財として登録されている日本郵船氷川丸

  • 食道園 宗右衛門町本店

    宗右衛門町は難波の歓楽街道頓堀にかかる橋太左衛門橋と相生橋二つの橋の中間で道頓堀の北側鎮座する焼肉の老舗開店前の店内には長年の営業で染み付いた牛脂の香りが焼ける肉の匂いが想像できる食道園宗右衛門町本店

  • 大阪農林会館

    当初は三菱商事の社屋財閥解体で売りに出されたこのビルを買い取ったのが農林省のOB大阪農林会館のビル名はここから付けられた当初は農林省資材調整事務所食糧事務所など戦後の食糧統制を担う事務所などが入居戦後復興が済み次第に一般の入店が相次ぐ現在はアパレル美容院雑貨などなど、多種多様ビル内はまさにレトロ天井には建築当時は想定されていなかった配線が伝っている大阪農林会館

  • 芝川ビル

    花嫁学校「芝蘭社家政学園」現在は総合ビル洋菓子雑貨衣料そしてカフェ屋上にはイベントホールシンボル的存在のレトロビル巡り楽しむ芝川ビル

  • 光世ビル

    聖書マタイ地の塩世の光証券会社である仲介ではなくディーリングが主業務大阪本社ビル屋内を見学光世ビル

  • 自由学園明日館

    学校法人自由学園が所有する施設当初は5年制本科と2年制の専攻科(文学科・家庭科)からなる女学校として開校建物は一目見ただけでFrankLloydWrightの作と知れる当ブログでも兵庫県芦屋にあるヨドコウ迎賓館や愛知県の明治村に移築された旧帝国ホテル正面玄関を紹介その建築家がFrankLloydWrightである日本に現存する彼の作品は4作うち3作を紹介できた自由学園明日館

  • 鶴橋

    鶴橋は国内の異国特異の風景違う香り異国言文化さてここは何処だろう?迷い鶴橋だと気がつく鶴橋

  • 建仁寺

    山号は東山開山は栄西「けんにんじ」と読むのだが地元では「けんねんさん」の名で親しまれている秋の紅葉の時期だけでなく四季折々楽しめる建仁寺

  • 本竜野

    姫路から姫新線で分け入るすると醤油と素麺の町本竜野に至る播磨の小京都醤油メーカーヒガシマルのお膝元で揖保乃糸たつのの名産ふらりと巡ると半日程度町のそこかしこに秋の香りを感じる頃訪れた本竜野

  • 落柿舎

    嵯峨野の草庵俳諧の居である向井去来元は武士の身分にあったが若くして武士を捨て俳諧となった西国三十三ヶ国の俳諧奉行というあだ名が付いたのはそれが所以湖の水まさりけり五月雨落柿とはこの草庵の周囲にたわわに実っていた柿が一夜の嵐で全て落ちてしまったことに因む草庵で一句詠むのも一興落柿舎

  • 南禅寺

    太平興国南禅禅寺無関普門が開山南禅寺は別格本山別格本山とは臨済宗の寺院の序列で京都五山というのがある天龍寺相国寺建仁寺東福寺万寿寺五山を定めた後に南禅寺を序列に加えたため五山の上、別格と称したのだ春の桜夏の楓の緑秋の紅葉冬の雪景色境内自由散策のこの寺院は四季折々美しい景色を見せてくれる南禅寺

  • 天龍寺

    臨済宗天龍寺派の大本山霊亀山天龍資聖禅寺と称す足利尊氏を開基とす京都五山の第一幾度かの火災に見舞われ現存する伽藍の大部分は明治期以降のもの嵐山観光の基点として数多くの人の目を楽しませてきた庭園この日は静かだった天龍寺

  • 鴻池新田会所

    開墾されたのは江戸時代中期大阪の豪商鴻池善右衛門宗利がこの地を耕す開墾当初たった8軒が入植したのみ第二次の入植でようやく20軒を越えた程度の片田舎だった当代、入植から数えると13代前後この会所の北東側には現在も当時の子孫が暮らしているそうだこの地は元は蛇行する河川の通り道宝永元年に大和川付け替え工事が行なわれ旧河川・水位が減少した湖沼に広大な空き地が生じたそこを開拓したのがここの地名ともなった鴻池豪商の富豪ぶりは相当のものだったのだろう鴻池新田会所

  • 京の街角

    京の町は普通の都会だ町家の風景もあるのだが圧倒的に都会の風景が広がるそんな町を歩く碁盤の目の通り密集する都会寺院観光に飽きたらこんな場所を巡ってみるのも良いかもしれない京の街角

  • 圓光寺

    瑞巌山開基は徳川家康時は慶長6年伏見城城下に伏見学校円光寺として建立されたのに始まる現在地へと移転したのは寛文7年のことである秋は紅葉の名所圓光寺

  • 京都府立植物園

    日本発の公立植物園開園は大正13年敗戦時にはGHQに接収されたこともある敷地は24ha元は上賀茂神社の境外末社である半木神社の敷地だったため植物園内には半木神社も鎮座している広大な敷地を巡り森林浴をする暑くなる少し前訪れてみた京都府立植物園

  • 荒田廉売場 跡

    懐かしの風景を見たくて再び訪れたこの場所大正昭和の間ここは役目を果たしそして歴史に忘れ去られた後は生活空間となった今日では民家が立ち並ぶ風景が広がり商という言葉は途絶えている何が売られ誰が買い求めたのかそういうことを考えながら撮影を続けるこの廉売場は何時生まれ何時途絶えたのかそれすら判別できない空間が広がっていた荒田廉売場跡

  • 醒ヶ井養鱒場

    県立淡水魚養殖・研究施設この施設が造営されたのは明治12年のこと一時、民間に払い下げられるが再び県営施設となりニジマスアマゴイワナなど清流の淡水魚を育てる施設内は淡水魚の香りが広がり独特の生臭さが周囲を覆う数百万匹にもおよぶ淡水魚たちが織成す風景撒き餌が売っており群がってくるニジマスを見ることも出来る醒ヶ井養鱒場

  • 八幡堀

    この町を発展させたのは豊臣秀次堀の背後に控える鶴翼山、通称「八幡山」と呼ばれる標高280mほどの山頂に山城を造営する城下町は山麓南の平野部に形成その城下町に防衛(水郷)と物流のため全長6kmもの水運を設ける水運を商船が行き交うことで後に、近江商人と呼ばれる商人たちを生むことになる戦後、舟運は廃れ長年放置された結果、汚泥が溜まり異臭を放つようになるその後よみがえる近江八幡の会の発会により修繕が行われ今日、美しい風景が蘇る八幡堀

  • 佐川美術館

    佐川急便創立40周年を記念してこの美術館は造営された開館は平成10年主な所蔵は平山郁夫と佐藤忠良開館から9年後樂吉左衛門の陶芸作品を展示する「樂吉左衞門館」を敷地内に新館として併設展示室以外は撮影可能な美術館企画展と共に楽しめた佐川美術館

  • 栗林公園

    回遊式大名庭園生駒家家臣佐藤道益の居宅の作庭が元である生駒家は改易となり松平頼重が高松藩初代藩主としてこの地を治める松平頼重はこの地に御殿を建築し居宅とした第2代藩主頼常が飢饉対策として作庭を始め現在の庭園になったのは概ね第5代藩主頼恭の頃だろうか日本3名庭よりも美しいとされた栗林公園早春の頃の風景を紹介栗林公園

  • 宝泉院

    京の奥座敷開門前に到着一番乗りで山門をくぐる絶景はあったただしほんの数分やがて境内は喧騒に包まれたちまち広東語が標準語となるもう少し静かに眺めたまえよ寺院が泣いている宝泉院

  • 長岳寺

    山号を釜の口山と称す本尊は阿弥陀如来弘法大師空海が開山と伝えられている山の辺の道にあり花の寺として知られる盛時には塔頭寺院が48坊あったとされ広大な伽藍が連なっていた事だろう戦火で荒廃し徳川家康が復興したとか杜若の時期美しい風景が見られる長岳寺

  • 松尾大社

    旧社格は官幣大社現在は神社本庁の別表神社秦忌寸都理が勧請して社殿を設けた東の厳神西の猛霊境内が黄色く染まるのはGW少し前のこと初夏の始まりの少し前冷えた空気がなんとも心地よかった松尾大社

  • 原谷苑

    原谷の春絶景が広がるここの桜を見ずして京都の桜を語るなかれ入場料は時価1,500円が最高値訪れた日は最高値晴天と溢れんばかりのピンク原谷苑

  • 京の春

    淡い風景京の春そこには桃源郷があるさ迷い歩き景色に出会う京の春

  • 城南宮

    創立年代は不詳国常立尊を八千矛神と息長帯日売尊に合わせ祀って創建された離宮の鎮守社として代々の天皇や上皇の行幸がしばしばあったという春が始まる少し前神苑は賑わうここは京都御所の裏鬼門を守る神城南宮

  • ブラフ18番館

    この館は建築当時からこの地にある建築されたのは関東大震災の後のこと戦前は外国人向け住宅であったが戦後はカトリック山手教会の司祭館となった現在の地に移築されたのは平成3年のこと館内は大正末期から昭和初期に掛けての震災復興期の外国人住宅の暮らしを再現しているブラフ18番館

  • 外交官の家

    建築されたのは明治43年の事と伝えられているただし建築されたのは横浜ではなく渋谷区南平台町移築されたのは以外にも新しく平成9年の事喫茶棟も併設されている外交官の家

  • エリスマン邸

    スイス人貿易商の邸宅EhrismannResidenceAntoninRaymondが建築した建築されたのはこの館が建っている建物の南東約400mほど離れた地だった移築?実際はマンション建築のため解体されたその建材を現在の地へと持ち寄り再建したのだエリスマン邸

  • 山手234番館

    関東大震災は横浜にも大打撃を与えた山手の地の家屋も瓦礫と化す横浜に居住していた外国人たちは横浜に見切りをつけ神戸や上海へ移住していった復興のため市営の住宅の建築が始まり民間事業もその後を追うように開始されるこの屋敷は民間事業に依る集合住宅として建築されたこの屋敷関東大震災から5年後の築である山手234番館

  • 山手111番館

    J.E.Laffinが建てたと伝えられる建物アメリカ人両替商彼が乗っていた船が修繕のため横浜に停泊長期の逗留の折に日本人の娘と恋をするベタなドラマのような現実の末日本に留まることになるただしこの建物で暮らした訳ではないこの屋敷は結婚する長男のために建てたものである大正15年の築と云われる山手111番館

  • 横浜市イギリス館

    元はイギリス軍駐屯地の跡昭和12年築イギリス政府工務局上海事務所が設計したというしかし建物が完成した年日中戦争が勃発した不遇の戦時下を乗り越え周囲は港の見える丘公園になる横浜の洋館は全て無料公開されている横浜市イギリス館

  • 城南宮

    方除の大社春を告げる時期この社は賑やかになる原因は梅それはそれは見事な桃源郷が神苑に現れる城南宮

  • 積雪の清水寺

    音羽山清水寺数年に一度の降雪の風景訪れ留め置いた積雪の清水寺

  • 旧前田侯爵家本邸

    加賀百万石の前田家廃藩置県後明治17年7月7日華族令により華族が五爵制になると加賀本家は侯爵に叙せられる華族有数の大富豪千円で豪邸が建てられた時代に前田公爵家の年間所得は26万6442円だったという連日盛大な晩餐会が催されたこの邸宅これだけの施設ながら見学は無料目黒近辺を訪れたのならぜひ見学してもらいたい旧前田侯爵家本邸

  • 尼宝市場

    尼崎市武庫之荘8丁目付近に路線のない陸の孤島のような場所路線は無いと記したが実はこの市場のすぐ北を東海道新幹線が走っているしかし当然であるが駅はないそんな不思議な立地であるのにこんなにも巨大な廉売場が形成されている天井の化粧パネルは以前紹介した尼崎市大庄西町2丁目にある大庄新市場と同じ大庄新市場から真北へ約5km比較的近い立地から関連性がありそうである現在は南北に約100mほどであるが以前は南へもう少しあったらしくトタンで不自然に切られていたまた一つ昭和の風景が消えようとしていた尼宝市場

  • 勝林院

    魚山大原寺勝林院声明の中心地である声明とは仏典に節をつけた仏教音楽梵唄梵匿魚山ともいう法然と顕真などによる宗論大原問答が行われた地でもある勝林院

  • 宝泉院

    大原寺勝林院の塔頭寺院阿弥陀如来がご本尊拝観料は抹茶と隣の勝林院の共通券付きで1,000円降雪があれば訪れたくなる寺院あいにく、降雪はやや白いという程度であったが存分に景色を楽しんだ宝泉院

  • 呑んべ横丁

    京成立石駅の駅前昭和の香りが残る数少ない空間が広がる狭い路地密集するスナックやパブ小便とタバコと酒の匂いこれが昭和だと通りが声高に宣言しているような町角写真は一挙公開呑んべ横丁

  • 下町風俗資料館

    台東区立の博物館で上野の不忍池の河畔に建つ「庶民の歴史である下町の大切な記憶を次の世代へ伝える」がこの施設の目的展示されている風景は大正時代のもの急速な近代化と近代化から取り残された下町が交錯した時代ロマンチックとは言わずロマンチシズムと言った時代物は無く不清潔で質素な生活でも現代よりも夢はあった人情もあったかもしれない懐かしくも儚い風景がそこにはあった下町風俗資料館

  • 日本丸

    神戸市で進水式を行ったのは昭和5年設計はラメージ・エンド・ファーガソン社がおこない川崎造船所が建造した太平洋の白鳥と呼ばれた帆船昭和59年に退役するまで約半世紀に渡り帆船操船技術を多くの船乗りが学んだこの船が帆を張ることは無い船内を巡り往年の雄姿を思い浮かべた日本丸

  • 勝林院

    魚山大原寺勝林院声明の中心地である円仁が創建したと伝わる伝えたのは声明今風に言えば歌詞を経典とした歌そう言えばわかり易い独特のリズムで経典を謡う今日でも受け継がれている勝林院

  • 宝泉院

    大原寺勝林院の塔頭寺院阿弥陀入来を本尊とする創建は嘉禎年間宗快法印が初代と伝えられる額縁庭園雪の日に訪れられるは幸いである厳冬の折訪れた宝泉院

  • 新宿ゴールデン街

    新宿区歌舞伎町1丁目にある飲食店街長屋に約300件の飲食店が軒を連ねるかつては文壇バーなど個性豊かな店があり常連客として作家編集者映画監督俳優といった文化人が多く集まることで知られていたバブル景気の地上げなどで解体の危機もあったが乗り切り今日も個性的な店が並ぶ新宿ゴールデン街

  • 祇王寺

    白拍子の祇王白拍子とは今日でいう芸人のこと苔に覆われた境内祇王はこの寺で念仏三昧の余生を送ったと今日伝えられているがさてことの真実は如何様で遭ったのか今日の我らに知る由もなし祇王寺

  • 南極観測船 宗谷

    商船として建造されたが日中戦争激化を受け引渡しが拒否され大日本帝国海軍が買上げて運送艦として使用された沈むことなく敗戦を迎え復員兵引上げに従事戦後は巡視船として灯台補給船として活躍昭和31年この船は南極観測船の任務に就く南極観測船宗谷

  • 天龍寺

    臨済宗天龍寺派の大本山の寺院正式には霊亀山天龍資聖禅寺後醍醐天皇の菩提を弔うためだが政敵を弔ったのは夢窓疎石であったという落慶供養は後醍醐天皇七回忌に執り行われた天龍寺

  • 妙満寺

    顕本法華宗の総本山元は天王寺屋通妙の外護創建は日什創建されたのは六条坊門室町応仁の乱で伽藍は戦火に見舞われ綾小路東洞院へ移転その後堺、寺町二条を経て昭和43年に現在の地へと移転している妙満寺

  • 宝巌院

    臨済宗天龍寺派の寺院通常非公開なれど春と秋公開されていて常時公開と大差ない臨済宗天龍寺派の寺院時代劇の撮影でも何度かロケ地となった喧騒の中拝観宝巌院

  • 深川江戸資料館

    昭和61年に開館した資料館江戸時代の天保年間ごろの深川佐賀町の街並みを再現した展示施設改修工事で暫く休館していたが2022年、リニューアルされた江戸の下町を館内に再現照明は早朝から深夜までを再現当時の江戸っ子の暮らしぶり原寸大の模型の中をさ迷ういい体験をした深川江戸資料館

  • 一華院

    通常非公開の東福寺塔頭寺院永徳二年に東漸禅師が創建した寺院である記事は割愛一華院

  • 白龍園

    白髭大神と八大龍王何れも山の御祭神故青野正一氏が蘇らせたこの地特別公開された折喜び訪れた白龍園

  • 山本亭

    1920年代に建てられた近代和風建築の邸宅元々は庄屋の鈴木家の邸宅であったそうだが関東大震災ののち浅草でカメラの部品を製造する合資会社山本工場の経営者である山本栄之助氏がこの建物の所有者となり以後、山本一族が居宅として過ごすこととなる現在では伝統行事の披露会や琴の演奏会などが開催される施設となったが一般にも開放され見学できる葛飾柴又寅さん記念館を訪れた折こちらへも足を向けた山本亭

  • 葛飾柴又寅さん記念館

    寅さん車寅次郎元は昭和43年から44年にかけ放映されたテレビドラマが始まりその後映画化されるのだがこれは実に面白いエピソードがあるテレビドラマシリーズ最終話で奄美大島にハブを取りに行った寅さんが逆にハブに咬まれて死んでしまうこのストーリーに抗議が殺到慌てた製作陣が寅さんを復活させ映画化したというのだ山田洋次監督の原案と絶妙なコマ割り渥美清の演技力記念館を訪れもう一度男はつらいよを見たくなった葛飾柴又寅さん記念館

  • 柴又

    葛飾柴又といえば「男はつらいよ」フーテンの寅さんドラマの地元には帝釈天が鎮座正式には経栄山題経寺と称する帝釈堂内殿の外壁は彫刻アートで飾られている巡って、鑑賞して、食して柴又は下町風情が似合う柴又

  • 旭マーケット

    西脇市にある昭和の風景朽ちる前にと再訪してみた以前訪れたときと比べ荒廃は進んでいた旭マーケット

  • 旧邸御室

    築80年を超える旧邸旧邸御室御室とは地名宇多天皇が創建した門跡寺院仁和寺の雅称及び住職の雅称も御室と称するさてこの邸宅の御室は地名からなのか雅称からなのか通常非公開だが時折公開される初夏のころ訪れてみた旧邸御室

  • 琴ノ浦 温山荘園

    武者小路千家家元名代の木津宗泉により作庭された潮入式池泉回遊庭園ニッタ創業者である新田長次郎の別荘庭園個人庭園としては日本最大で広大な池に驚かさせられる池は淡水ではなく海水庭園最奥にはプライベートビーチも皇族も度々訪れたという格式高い庭園である琴ノ浦温山荘園

  • ポルトヨーロッパ2

    和歌山マリーナシティにある異国情緒規模も大きく撮影が楽しい立体的な空間が全て日本ではない市内からは少し離れておりマイカーか公共交通機関ならバスしかない併設された遊園地バーベキュー施設などもあり家族連れにはもってこいの場所だポルトヨーロッパ2

  • ポルトヨーロッパ

    県和歌山市毛見の人工島和歌山マリーナシティ内にあるテーマパーク地中海の街並を再現架空の街張りボテなのだろうがここの風景が妙に気に入った続くポルトヨーロッパ

  • KITTOからátoa

    三ノ宮からフラワーロードで南へ至ると旧生糸検査所を改修した神戸市の「デザイン都市・神戸」の拠点施設KITTOへ至るそこから西へátoaへ入場水族館を主体として動物園や美術館を融合させた施設場内は撮影スポットで溢れている昼食を経て乙仲通を散策したKITTOからátoa

  • 東京スカイツリーと東京タワー

    平成24年に竣工した東京スカイツリー高さ634mの電波塔異次元の高さに驚きつつ東京スカイツリーへと近づく展望デッキは第一展望デッキが350m第二展望デッキは450m遠望で高さを実感東京タワーは昭和33年竣工高さは333mということは頂点よりもスカイツリーの展望デッキは高いことになる東京スカイツリーと東京タワー

  • 日本郵船 氷川丸

    日本郵船が昭和5年に竣工させた日本の12,000t級貨客船北太平洋航路で運航を続け昭和35年に運行を終えた大戦中には病院船として活躍したともいう戦前より就航している船で現存している船としては最古日枝丸、平安丸と当船は姉妹船で戦時に際しては軽空母に改装されることを前提として設計されているどのような経緯があったのか姉妹船が潜水母艦に改装されたのに対して氷川丸は前述のとおり病院船となった紆余曲折を経て今日横浜の港で公開されている日本郵船氷川丸

  • GUNDAM FACTORY YOKOHAMA

    アニメーションは日本文化2次元の世界で魅力的な光景を魅せてくれた時は進みアニメーションが3次元へ機動戦士ガンダム国内のみならず海外にも熱狂的なファンがいるガンダムが立ちそして動いたここまで来たのかと感無量GUNDAMFACTORYYOKOHAMA

  • 高野山

    佐伯眞魚は讃岐国多度郡屏風浦で出生したらしい平城京へ上京したのは14歳の頃18歳の頃には京の大学寮で明経道を専攻した無名の留学僧として遣唐使に便乗し唐へ渡ったのは30歳の頃中国語はもちろん梵語においても母国語のように理解したらしい師事したのは唐長安青龍寺の恵果和尚一子相伝の真言密教を得た以後密教は日本でのみ伝えられることとなる弘法大師空海高野山奥之院に今も居る高野山

  • 妙満寺

    妙満寺を創建した日什はもと天台宗の学頭で名を玄妙と云ったそうだ遅咲きの僧上洛は68歳の時だという六条坊門室町に建立された法華堂がこの寺の前身ここは冬の寺庭園は冬の庭と呼ばれているあえて夏のある日に訪れてみた妙満寺

  • 大田神社

    賀茂別雷神社の境外摂社大田神社普段は町の片隅の神社として地元の方々以外が訪れることがあまりないひっそりとした情景が味わい深い神社だが参道の脇大田ノ沢に杜若が咲く頃普段にない賑わいをみせる大田神社

  • 大岩神社

    京都は霊場山中の大岩を御祭神とする神社京都トレイルの道すがら疫病封じにご利益があるそうだ野を分け進むと見えてくるのは異形の鳥居日本画家堂本印象の作本堂まではまだ距離があるのだかこの日やぶ蚊を失念し装備を怠ったためこの場所から退去大岩神社

  • 長岡天満宮

    都が平城京から平安京へ移行するその間の時期桓武天皇が造営したのが長岡京都としては短命で約10年で平安京へと移行する今では信じられないが長岡のすぐ南山崎の地には港が作られていた当時はかなり内陸まで海だったのだ造営時から不吉だった長岡京藤原種継暗殺事件などは最たる事件で大方の予想通り短命で終わった都だったが現在は長岡天満宮の地として知られている長岡天満宮

  • 松尾大社

    松尾山に残る磐座での祭祀に始まるとされる秦氏により氏神として奉斎され平安京時代には賀茂神社とともに「東の厳神、西の猛霊」と並び称された酒の神として信奉を集め現在も醸造家からの信仰を受けているこの神社を訪れるのなら春先がお勧めである松尾大社

  • 原谷苑

    京の奥座敷とはいっても近隣には観光名所、金閣寺がありそれほど奥ではないただ、原谷は高台結構な標高差の坂道を登った先にあるその原谷に農園が存在する4,000坪の敷地には頭上まで覆わんばかりの桜が咲き誇る桃源郷が存在すると今では人々に知れ渡り桜の時期、多くの見物客が訪れるようになった原谷の桜晴天で拝めるのが何よりだった原谷苑

  • 京の桜

    いまさらながら京都の桜の風景京都観光は桜と紅葉が主ここ数年観光地は閑散としていた2022年観光客の姿が戻り始めた京都あちこち巡ってみた京の桜

  • 狸谷山不動院

    真言宗修験道大本山の寺院一乗寺から叡山の山中に分け入るおよそ300百段の石段たどり着いた先に見えてくる狸と本堂京都の秘境である狸谷山不動院

  • 愛宕念仏寺

    山号を等覚山本尊を厄除千手観音とする寺院千二百羅漢の寺としても知られる創建当時は東山松原通の地六波羅蜜寺の近くであったとされるが程なく荒廃し鴨川の氾濫で廃寺となる時代は大きく下り昭和30年当地にて復興を遂げる羅漢は昭和の羅漢彫りに依る愛宕念仏寺

  • 小林一三記念館

    明治期から昭和期にかけ活躍した実業家小林一三阪急東宝グループの創始者というよりも宝塚歌劇団の創設者であるといったほうが伝わるだろう大阪府池田市には彼の旧居が記念館として残されている小林一三記念館

  • 竹林の小径

    その年日本で世界で病が荒ぶれた観光地から人が消え普段は人で溢れる竹林の小径もこの日、ひっそりとしていた貴重なこの風景を留める竹林の小径

  • 京都府立植物園

    京都府立植物園の歴史は古い開園は大正13年面積224haの広大な敷地にテーマ別に約12,000種類約12万本の植物が植えられている緊急事態宣言解除をうけ訪れたのがここだった京都府立植物園

  • átoa

    神戸港ウォーターフロントの大規模再開発として建設された施設「劇場型アクアリウム」それがこの施設のコンセプト水族館動物園美術館幾つもの要素を含んだテーマパーク展示は奇抜陸亀は展示室内を自由散策アート要素が色濃くインスタ映えすると、人気になり若者や子育て世代に人気撮影でも楽しい施設だátoa

  • 瑠璃光院

    浄土真宗無量寿山光明寺の支院元は別荘寺院らしからぬ造営はそれが所以とある初夏の雨の日瑠璃を求めて迷い込む強烈な日差しが濃厚な緑の傘から差し込んだとき瑠璃が彩られたというが時折豪雨のこの日も溢れんばかりの緑の先に瑠璃があった瑠璃光院

  • 三ノ宮

    三ノ宮の街を散策古くからの港街街並もどこか異国情緒湾口を経て乙仲通りを散策三ノ宮

  • 江戸東京博物館

    江戸と東京の歴史や文化を伝える博物館江戸の町並みを時には実物大で時には縮小して展示してある展示は庶民の暮らしが中心夏の夕涼みと花火賑やかだった事だろう施設反対側は明治期以降西洋文化が流入しモダンという言葉が生まれた時代戦争を経て高度経済成長期に至るこちらの博物館開館から四半世紀経ち施設の老朽化から、約3年間の改修工事をおこなっており現在は休館中である江戸東京博物館

  • 汐見橋線

    南海電鉄主線は南海線と高野線昭和60年の路線工事で岸里玉出駅から汐見橋駅までの区間は孤立し他の路線とは物理的につながっていない盲腸線となったダイヤは1時間に二本各駅停車の2200系が同時刻に岸里玉手駅と汐見橋駅から発車路線は下町と木津川沿いの工業区であり利用客の大半は大阪市立西成高校の生徒という最も利用客が少ない路線である廃線のような風景をたどりながら路線の大半を歩いてみた汐見橋線

  • 旧芝離宮 恩賜庭園

    元は大久保忠朝上屋敷庭園楽寿園作庭当時は海岸線にあり汐入の庭であったが海岸線の埋め立てで海辺は去りビル郡により遠望は失われたそれでも今日も尚美しい庭園が望める旧芝離宮恩賜庭園

  • 伏見

    戦国時代末期幕末伏見の町は歴史の中心地になる太閤秀吉が逝去したのは伏見天下分け目の関が原凄惨な前哨戦はここ伏見幕末寺田屋騒動は此処で竜馬も襲撃されたしかし伝えたいのは其処ではなく酒英勲黄桜月桂冠松竹梅キンシ正宗花洛玉乃光月の桂富翁桃の滴神聖良質な地下水がこの地で日本酒を生んだ伏見

  • 阿賀神社

    通称「太郎坊宮」滋賀県東近江市小脇町にある神社である元々は夫婦岩をはじめとする巨岩を磐座として祭祀が行われた場所であった社が建立されたのは推古天皇の時代この山の神徳に感じ入った最澄が薬師如来を本尊とする成願寺を神宮寺として麓に建立したのが始まりである別名の太郎坊とは修験道として有名な役行者の兄弟子天狗の太郎坊が山の守護神として建立を手助けしたという伝承に因む前出の件の「夫婦岩」とはこれ参拝時には周囲を巡るのだがそのルートに夫婦岩があり二つの岩の間をくぐりぬけることになる山麓から石段で742段体力自慢の方は山麓からどうぞ阿賀神社

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、雪だるまさんをフォローしませんか?

ハンドル名
雪だるまさん
ブログタイトル
雪だるま倶楽部
フォロー
雪だるま倶楽部

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用