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論駄な日々 http://hatanaka.txt-nifty.com/ronda/

ロンダリングと無駄な議論の社会人院生の日常風景

 原則的に、新聞を中心としたジャーナリズムやマスメディアなどに関する少しアカデミックな話を綴ります。  たまにグルメの話や映画、小説、関西ネタなどについても書きますが。

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2008/01/18

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  • 大学の序列と書き手の属性

    共同通信社を退職し、龍谷大学に赴任して10年が過ぎようとしている。この間、ずっと不満に思ってきたことを述べたい。不満のひとつは、大学の序列表現。もうひとつはジャーナリストの属性が見えにくいことである。 いわゆる「名門」「一流」と形容される大学がある。日本では「東大」を頂点とする旧帝大があり、私学の“上位校”では「早慶」と「GMARCH(JMARCHとも)」があり、関西では「関関同立」という呼称がある。それらは入試難易度、つまり受験偏差値を物差しとする序列であり、その序列が日本社会全般の序列と結びついている。 巷では「一流企業に入るため、一流大学を卒業しておく必要がある」といった言葉が当...

  • 2020年に観た映画とドラマ(備忘録)

    備忘録としてメモしておきたい。●映画『ちむぐりさ』雪国生まれの少女の眼差しを通して本土と沖縄との関係見つめる。観て良かった。『プリズンサークル』更生とは何か。罪と向き合うとはどういうことか。観ておくべき作品だった。『はりぼて』議会制民主主義の形骸化を喜劇ふうに暴露して終わり、ではない。テレビドキュメンタリーの快作。『なぜ君は総理大臣になれないのか』小川淳也議員に長期間密着。こんな国会議員もいる。対象との向き合い方が絶妙。『ランブル』黒人音楽と考えられている作品のなかに先住民の楽曲や演奏が多いことを教えてくれる。目から鱗。『パブリック』日本語にないパブリックの意味を公共図書館をめぐるドタバタ劇...

  • 卒論審査の基準公開

    数年前に「卒論審査の新方針(剽窃は一発アウト)」というエントリーを書いた。このときに強調したのは、平然とコピペする学生に対する私の考え方である。「添削してください」とメールで送られてきた卒論に朱を入れたりアドバイスをしたりしているとき、悪質なコピペを見つけることが過去に幾度かあったためだ。このとき私は「他人が書いた文章を、あたかも自分が書いたかのように偽装する行為(剽窃や盗用の類い)が発覚した段階で一発アウト」という方針を立てた。この方針は揺るがないが、私がどのように論文を審査しているかについて明らかにしておきたいと思う。  ...

  • 議論を誘発する『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』

    わたしは仕事柄ジャーナリズムに関する映画は見逃さないようにしていて、授業でも学生に映画を紹介することがあるが、この作品は現役ジャーナリストにはおすすめできる。映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』公式サイト http://www.akaiyami.com/若いジャーナリストを主人公にした『赤い闇:スターリンの冷たい大地』(原題:Mr. Jones)は、ポーランド人の監督のアニエスカ・ホランドが撮った作品で、実在の人物ガレス・ジョーンズの史実に基づいている。ホランドもジョーンズも、日本ではさほど知られていないと思う。わたしも知らなかった。映画で描かれる世界は、1930年代のスターリン時代...

  • 捜査幹部から賭けマージャンの誘いを受けたら 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第23回

    この問題は、朝日新聞社と産経新聞社の対応は市民の信頼を裏切るものでした。ネットでは「記者も実名さらせ」「クビにしろ」などの書き込みも散見されました。しかし、競合する新聞社や放送局も朝日や産経の対応を淡々と伝えるだけですし、おなじみの識者たちも歯切れが悪い印象です。産経や朝日の記者たちの「食い込み」ぶりについて、池上彰氏は朝日新聞の連載コラムで「感服」したと書きましたが、同じ思いを抱いた記者も多かったのではないでしょうか。わたしも正直「すごいなー」と思いましたから。〈case 23〉捜査幹部から賭けマージャンの誘いを受けたら https://keisobiblio.com/2020/06/1...

  • 取材源の秘匿について-産経新聞「主張」を批判する

    5月22日の産経新聞「主張」は「賭けマージャン 自覚を欠いた行動だった」と題して、東京高検の黒川弘務検事長を厳しく批判した。批判のひとつは、黒川氏が「3密」の要請を無視して遊んでいたことだ。しかも、自らの定年延長にからんで国会が揉めている最中であった。それが「あまりに軽率な行為で、弁明の余地はなかった」と黒川氏を批判した。もうひとつは、検察官の職業倫理の問題だ。黒川氏の行動は、2011年に最高検が定めた「検察の理念」に記された規範について「自覚を全く欠いていた」と述べた。そこまでは理解できる。問題はその先の記述だ。「主張」は、新聞記者も「新聞倫理綱領」を守らなければならず、「本紙記者2人...

  • 新聞書評『沖縄で新聞記者になる』

    沖縄タイムス社と琉球新報社が、わが人生2冊目の新書『沖縄で新聞記者になる』(ボーダー新書)を書評で採りあげてくれました。本の内容が、両新聞社に勤める/勤めていた本土出身記者のため、もしかしたら採りあげづらいかなあという懸念もありましたが、両紙とも好意的に紹介していただき感謝しています。沖縄タイムスで評者になってくださったのは普久原朝日さん。普久原さんは元「辺野古」県民投票の会で活動されていた若い沖縄人(ウチナーンチュ)の方です。お目にかかったことがありませんが、写真家としてライターとして多方面で活躍されている姿は本土からも注目を集めています。普久原さんは「沖縄のジャーナリズムだけでなく、沖縄...

  • 記者たちの省察~『沖縄で新聞記者になる』を書いて

    新聞記者はいったい何を基準に取材対象を選んでいるのでしょう。研究者たちは「ニュース・バリュー」や「ゲートキーパー」などの概念を使って説明するでしょう。「犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛めばニュースだ」という言葉のように、記者が飛びつく事象と、見むきもしない事象があり、そこにはある種のルールがあります。そんなニュース報道をめぐるメカニズムについて、わたしも大学の授業で採りあげていますが、それだけでは説明がつかないケースもあります。端的にいうと、ニュースになりにくい/ならないテーマを熱心に追いかける記者たちが少数ながらいるということです。そして、彼ら彼女ら行動原理を説明する理論...

  • 『沖縄で新聞記者になる』トークライブ@那覇

    3月19日、『沖縄で新聞記者になる:本土出身者が語る沖縄とジャーナリズム』の新刊トークイベントを那覇で開いてもらいました。担当編集者・新城和博さんの司会で、琉球新報記者の玉城江梨子さんと沖縄タイムス記者の阿部岳さんをゲストに、本土と沖縄とメディアについて、熱く楽しく語り合いました。会場は那覇のライブスペースPunga Ponga(プンガポンガ)で、このイベント自体も経営者・翁長巳酉さんからいただいた提案を、わたしが版元のボーダーインクに相談して開催の運びとなりました。わたしは詳しく存じ上げなかったのですが、翁長巳酉さんはパーカッショニストで、ブラジル在住時には邦字紙記者もしていたというパワフ...

  • 『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』ワークショップ@新聞労連JTC

    3月14日、東京・文京区シビックホールで開かれた新聞労連の若手記者研修会でワークショップを実施する機会をいただきました。研修会の名称はJTC(ジャーナリスト・トレーニング・センター)で、この日が48回目だそうです。これまでに著名な方々が講師を務めているので、とても晴れがましい気持ちになりました(機会をくだっさった執行部の皆様にあらためて感謝します)。JTCは1泊2日で複数の講座企画がプログラムされ、わたしが担当したパートでは『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』を用いたグループディスカッションを実施。ワークショップ名を「報道現場のモラルジレンマ」として、本の第2章に収録した『CASE:006 被...

  • 3・14 新聞労連の研修会でワークショップ

    3月14日、東京で開かれる「新聞労連・第48回 JTC 記者研修会」の講師を引き受けました。新聞労連というのは日本新聞労働組合連合の略称で、全国紙や地方紙、通信社などの労組の全国組織。その組織内のJTC(ジャーナリスト・トレーニング・センター)がおもに若手記者向けの研修会がおこなっていて、講師役を依頼されました。わたし自身、毎日新聞労組や共同通信労組にいましたが、端っこの組合員だったため、そういう研修会があることも知りませんでした。3・14の当日は、講演・講義よりも参加型ワークショップをやろうと考えています。私は龍谷大学の授業や社会人向け公開講座(龍谷大学RECコミュニティカレッジ)で、勁草...

  • 3・19 那覇で新刊トークイベント

    『沖縄で新聞記者になる』の新刊トークイベントで開催することになりました。那覇のブラジル料理&イベントスペース Punga Ponga さんから提案をいただき、大阪人らしく「ワイもいっちょうやったろかぃ!」みたいな気分で挑戦することにしました。琉球新報の玉城江梨子さん、沖縄タイムスの阿部岳さんにご登壇いただき、進行は版元ボーダーインクの新城和博さんにお願いします。ただ正直なところ、じぶんが見られる側に回るのは得意ではありません。話の流れを読みながら、当意即妙に気の利いた台詞を繰り出したり、会場を沸かせるようなジョークを挟むような経験値は低いです。もちろん、大学教員になってからは、講義で90...

  • 『沖縄で新聞記者になる:本土出身者たちが語る沖縄とジャーナリズム』出版しました

    沖縄のボーダーインクから新書『沖縄で新聞記者になる:本土出身者たちが語る沖縄とジャーナリズム』を出版しました。この本は、故郷をあとにして沖縄で新聞記者になった人たちの、あまり知られていない経験を検討しています。彼ら彼女らは、なぜ沖縄の新聞社を目指したのか。何を求め、何を思い、何を胸に秘めてきたのか――。

  • 重版出来(じゅうはん・しゅったい)

    『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』(勁草書房)が重版出来。論文形式の本ではなく、現役記者や記者志望の若者に読んでもらいたいと思い作った。道徳的ジレンマには絶対無二の「正解」はなく、結論に至る筋道を考えることが大切。筆者は大学で教科書に指定してワークショップ形式の授業をおこなっている。

  • ゼミ学生の推薦状

    就活のシーズンになると、大学生たちは授業を休みがちになり、教員としては怒り心頭の連続なのですが、ことしは心に残った珍事がありました。ゼミ生の1人が神妙な顔をして「先生、わたしの推薦状書いてください」と頼んできたのです。その会社では、かならず提出させている書類のひとつだそうです。ちょっと頭にきましたが、さすがに断れません。会社側の思惑か容易に分かりました。就活の現場は、いわば「キツネとタヌキの化かし合い」です。学生たちにしてみれば、自分がいかに優れた人材であるかをアピールしなければなりません。平然と嘘をつく応募者もいるでしょう。企業側も学生が話を“盛って”いるのを分かっていると思いますが、嘘を...

  • 被害者の実名報道について

    京都アニメーションの放火事件で犠牲になった人の報道のあり方をめぐり、メディア各社は激しい批判にさらされた。ジャーナリズムを掲げるマスメディアの多くは「実名報道」の原則を掲げてきたし、読者・視聴者も(積極的か消極的かを別にして)実名原則に疑義を唱えることはなかった。ただし、この問題はかねてから一部で批判されてきた。それが今回の京アニ事件では、新聞社や放送局に対して、それまでにない規模で批判の声がわき上がった。おもな報道メディアでつくるマスコミ倫理懇談会は、2019年9月の全国大会で、京アニの実名報道について議論をした。その内容を詳しく伝えた新聞社もあった(毎日・朝日)。地元紙・京都新聞社も編集...

  • 調査者の属性についての備忘録

    ある集団を調査するには、同じ属性を持つ者のほうがやりやすい。たとえば、性暴力の被害を受けた女性たちから聞き取りをするには、やはり女性研究者のほうがハードルは低いだろう。エスニシティやジェンダーをめぐる差別や人権をめぐる問題は、やはりマイノリティの研究者のほうが敏感である。実際のところ、マイノリティ集団の調査は、マイノリティの属性をもつ研究者によって担われることが多いのではないいか。 けれど、同じ属性やアイデンティティをもつからといって〝本音〟 に迫れるとは限らない。調査者と被調査者の関係が近すぎて、もはや聞くまでもない話題もあるだろうし、「これは聞いてはいけない」と規制してし...

  • 授業で『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』を使う方法 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第22回

    全国の大学で、メディアやジャーナリズムに関する講義がおこなわれています。授業の名前は大学によって「マスコミ論」「メディア論」「取材学」「新聞論」「出版論」「放送論」など異なっています。私は本務校の龍谷大学社会学部で「現代ニュース論」「メディアと倫理」を、大学院では「地域メディア研究」などの授業を担当しています。

  • 教授になりましたが

    2019年4月1日に准教授から教授になりました。共同通信社に辞表を提出し、2013年度に龍谷大学に准教授として拾ってもらい丸6年目がすぎました。運が良かったと思っています。同時に、後ろめたさも感じています。有能な研究者たちが大学教員の仕事を得られず、なかには将来に絶望して命を絶つ人もいる。そんな状況のなかで、じぶんが専任教員でいられることを素直に喜んでいいのかどうか。。。報道を掲げるメディア企業にも非正規雇用のスタッフが増えています。番組ディレクターや取材記者を派遣する会社もあります。業務委託記者の募集広告もよく見かけます。「同一労働」をしている正社員と非正規雇用スタッフは「同一賃金」では...

  • 戦没新聞人の碑とカメジロー

    これまで仕事のため沖縄を数回訪れていますが、今春ようやく「戦没新聞人の碑」の前に立ちました。この碑はわたしが生まれた1961年9月の末に建立されています。除幕式のようすについて、毎日新聞はベタ記事で次のように伝えています。【那覇三十日三原特派員】沖縄で戦死した新聞人十四人の功をたたえる「戦没新聞人の碑」の除幕式が新聞週間を前に(1961年9月)三十日午後、遺族をはじめ瀬長琉球政府副主席、新聞、放送関係者ら約百人が列席那覇市波上、旭加丘で行われた。戦没者のうち十二氏は、当時の沖縄新聞社の関係者で、そのほとんどは輪転機を最後まで守り砲爆撃に倒れた。他の二氏は宗貞利登朝日新聞那覇市局長、下瀬豊毎...

  • 階層社会と勉学の向上心

    清水義範のエッセー『目からウロコの教育を考えるヒント』の中に、ハっとする記述を見つけました。清水は、名古屋出身のSFエンターティンメント作家で、教員免許を持つことから、その方面のエッセーも多数手がけています。『目からウロコの~~』もそんな作品のひとつで、初版は2001年です(このころ生まれた子供たちを、わたしが大学で教えています)。清水義範『目からウロコの教育を考えるヒント』講談社 2001年(文庫版 2004年)...

  • 「華氏119」が描く大手メディアの欠陥

    映画「華氏119」で感心したのは、マイケル・ムーア監督がドナルド・トランプの個人的資質だけを問題にしているのではなく、むしろメディアの構造的な欠陥をわかりやすく示していたことです。日本在住の私たちも他人事ではありません。他山の石として学んでおく価値があると思いました。マイケル・ムーア『華氏119』公式サイト...

  • 「朝日ぎらい」を変える

    「もう、『マスコミが悪い』と突っ込まなくなりましたよ」。先日、ある市民講座のあとで受講生からそんなコメントをもらい嬉しくなりました。その方は、学生時代に『朝日ジャーナル』や『世界』の読者だった団塊世代で、いつしかすっかり「朝日ぎらい」に。わたしの授業が変化の契機になったとすればうれしいですね。龍谷大学の公開講座「RECコミュニティカレッジ」わたしは、龍谷エクステンションセンターが運営する市民講座で「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ~報道現場の難問を考えるワークショップ」という授業を担当しています。この授業は、報道倫理の難問をさまざまな角度から考える一種の哲学カフェです。わたしの主な役目は...

  • 『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』を出版しました

    『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』が2018年8月31日、発売されました。この本は学術出版・勁草書房の編集部が運営する「けいそうビブリオフィル」で連載していたものを単行本化したものです。必要に応じて加筆修正を施し、新たに書き下ろした章も盛り込まれています。宣伝めいて恐縮ですが、構想10年、執筆2年余です。よろしくお願いします。以下は、版元サイトに掲載されていた本のデータです。書 名: 『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』著 者: 畑仲 哲雄発 行: 勁草書房判 型: A5判頁 数: 256ページ定 価: 2,300円+税ISBN: 978-4-326-60307-7...

  • 『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』届きました

    昨夜遅く『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』10冊が自宅に届きました(本屋さんに並ぶ前に著者に届けられるんです)。ブックデザインや色合いは書影(画像データ)の通りですが、256頁はそれなりの質感ですが、ソフトカバーのA5判なので、カバン内でも邪魔にならないでしょう。勁草書房編集部サイトの連載記事の誤字脱字を修正し、必要に応じて加筆修正し、新しい記事も追記してあります。アマゾンなどのネット書店では予約注文を受付中です。どうぞよろしくお願いします。畑仲哲雄『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』勁草書房, 256頁, 本体2300円, ISBN 978-4-326-60307-7...

  • 『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』の書影公開

    版元の勁草書房サイトで、本のデザイン画像(書影)が公開されました。数日内にアマゾンや楽天などのネット書店にも登場すると思います。羅針盤のNEWSの上で good bad right wrong の矢印が散らばっている絵柄は、本の中身をみごとに表してくれています。デザイナーさんありがとう。『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』 勁草書房, 256頁, 2300円, ISBN 978-4-326-60307-7勁草書房のサイトではAmazon以外の書店がリンクされています。アンチAmazon派は版元サイトからごらんください。...

  • 報道倫理の新しいケースブック

    2018年度後期から、別の教員が受け持っていた「メディアと倫理」という講義を担当することになりました。授業内容は、ジャーナリズムの現場で実際に起こった悩ましいできごとを、グループディスカッションを通じて考えていくというものです。前任の教員とさほど変わりはありません。ただし教科書を使います。『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』 勁草書房, 256頁, 2300円, ISBN 978-4-326-60307-7版元サイトではAmazon以外の書店がリンクされています。アンチAmazon派は版元サイトからごらんください。...

  • 2018年前期おわる

    2018年前期の授業が終わりました。あとは追試のレポートを読むだけ。ここにきて痛感するのは、担当している「現代ニュース論」の内容を大幅に刷新しなければならないことです。この授業では、前半3分の1を時事問題のディスカッション(教員による解説)にあて、残り3分の2で講義していました。報道関係の映画の予告編を使いうなど、工夫を凝らしてきたつもりですが、来年度からは、ジャーナリスト志望の学生やメディア関係の仕事に就きたいと考えている学生を強く意識しようと思います。記者志望者は受講してほしいものです。...

  • 合同ゼミ

    ことしは合同ゼミを複数回やる予定です。ひとつは学内のお隣さんMゼミ。元気な学生がそろっているらしい。もうひとつは大阪のマンモス私大のFゼミ。3年生がざっと10人くらいいるようです。梅田キャンパスが使えるといいな。さらに、11月には東京の名門私大のMゼミとの他流試合。Mゼミは約10人の4年生が京都にきて卒論発表会を開催します。そこで、うちのゼミ生もポスター発表させてもらおうと思っています。いつも道場仲間と討議しても刺激が少ないので、積極的に他流試合をする必要性を感じています。...

  • 後輩の女性記者が取材先でセクハラ被害に遭ったら 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第20回

    テレビ朝日の記者が財務次官からセクハラ行為に悩んでいた事例は、メディア関係者に波紋を広げています。オレがセクハラの加害者になるはずがない、と自信満々の人もいると思いますが、そんな人も「傍観者」と指摘される可能性があります。同僚や後輩がセクハラ被害者に遭ったことを知ったときのことをシミュレーションして考えたことがある人は、意外と少ないのではないでしょうか。ハラスメントについての内規や相談窓口を完備しているメディア企業もあります。「わが社は専門家がいるので安心だ」という人もいるでしょう。でも、制度を作れば万事OKでしょうか。ルールブックは作る人や作られ方によっては妙なバイアスがかかるものですし...

  • 同僚記者がセクハラ被害を受けたら

    2018年4月12日、『週刊新潮』が財務省事務次官のセクハラを報じました。気になったので、わたしも新潮を買って、記事を読みました。記事の中で発言を引用されていたのは次の6人。①大手紙記者、②テレビ局記者、③別のテレビ局記者、④別の大手紙記者、⑤テレビ局デスク、⑥財務省を担当する30歳のある女性記者。⑥は①~④と重複している可能性がありますし、取材協力者がほかにいるかもしれません。被害者は、大手紙や在京キー局の取材記者たちで、財務省担当者がターゲットになったことが分かります。財務次官にセクハラ発言報道 2018/4/11(水) 17:43 - Yahoo!ニュース...

  • 学者を目指さない学生にとって良い論文とは

    わが本務校、龍谷大学社会学部コミュニティマネジメント学科では、卒業研究が必修です。卒業制作で映像作品を作る学生もいますが、多くは卒業論文を提出します。どんな論文が良い論文なのかについて、あれこれ考え続けてきましたが、きょうのゼミで暫定的な結論を4年生に伝えました。大学院に進学して、研究職を目指したいという学生には、やっぱり学術世界のモノサシで判断したいところです。つまり、着眼点や、問いと方法がカッチリしていることが重要です。しかし、将来学者になりたいとは思っていない学生に、それと同じモノサシを当てて評価するのは間違っていると思います。...

  • ジャーナリズムに地域主義を

    きょうから2018年度の授業が始まります。龍谷大学社会学部の教員になったのが2013年春なので、この4月から6年目に突入です。共同通信社を辞め、博士論文の執筆に2年を費やした日々が、徐々に遠ざかっていることを実感します。2年間の間に東日本大震災があり、学術書と論文に埋もれている自分を、運が悪いと呪ったものです。でも、きょうまでやってこられたのは、編集者の同居人と東大の恩師に支えてもらったおかげでだと感謝しています。また、今日までの間に、各方面の先生方から執筆のお誘いをいただき、いくつかの共著者の仲間入りをさせていただきました。まもなく、論創社から『危機の時代と「知」の挑戦』(照屋寛之・...

  • 入学式の翌日/歴史を背負って

    きのう、龍谷大学社会学部がある瀬田キャンパス(滋賀県大津市)で入学式が行われました。わたしがこの大学の入学式に参加するのはこれで6回目です。どこか物悲しい卒業式に比べると、入学式は楽な気持ちで臨めます。ひとつ気になることがありました。式が始まる直前、式典会場のスクリーンに映し出された映像です。自宅でそれらしい動画を検索したら、Youtubeに以下の動画が公開されていました。BGMがFusion系ジャズやん、と思っていたら、Discovery Channelの制作でした。龍谷大学の歴史 -Discovery Channel制作-...

  • 卒業式の翌日/祭りのあと

    毎年のことですが、卒業式の翌日というは、なんだか寂しい感じがします。式当日はハレの日だし、着飾った教え子たちに「君ら卒業できて、ほんま良かったのー」とか「社会人になったら、もう遅刻はあかんで」などと軽口をたたいて、こちらもチョッピリ浮いた気持ちになりますが、その翌日は、心に穴が開いたような感じがします。まだ教員という仕事に慣れていないからなのでしょうか。祭りのあと 唄:渥美清https://www.youtube.com/watch?v=S3ltnB_1Rek他方、ちっとも卒業してくれない学生もいて、それはそれでヤキモキさせられます。人生80年時代なので、30歳くらいまでなら、遊びほう...

  • 映画『否定と肯定』にみる大衆のメディア

    ヘイトスピーチが飛び交う日本で、この映画が上映される意義は大きいと思います。ただ、メディアの観点から見ると、沈鬱な気持ちにならざるを得ません。なぜか。ホロコーストを否定する「歴史学者」は、自ら起こした裁判で敗れ、差別者の烙印を押されても、タブロイド紙やトーク番組が彼を声を取り上げ続けているからです。弁護士や学者は法廷で勝つことを優先しますが、大衆メディアにとって重要なのは「部数が稼げる」「視聴率が取れる」ことなのでしょう。ジャーナリストたちにはそういうところも意識して見てほしい作品です。ミック・ジャクソン監督『否定と肯定』2016年イギリス・アメリカ合作、デボラ・リプシュタット原作...

  • ジャーナリズムとアカデミズム、月刊Journalism連載第4回

    2018年3月9日発売の『Journalism』に、連載の4本目「記者講座 ジャーナリズムとアカデミズム」が掲載されました。私は約25年の記者生活を経て大学教員に転職しました。大学院に入学したのはちょうど中間管理職にさしかかった42歳の春。そこで痛感したのは、ジャーナリズムとアカデミズムの住人が、なんだか仲の悪い双子のようだ、ということでした。「記者講座 道徳的な難問を考える(4) ジャーナリズムとアカデミズム」『Journalism』 (334):2018.3...

  • 記者が立場を自覚するとき、月刊Journalism連載第3回

    2018年2月10日発売の『Journalism』に、連載の3本目「記者講座 記者が立場を自覚するとき」が掲載されています。ストレートニュースを報じる記者は、事実を客観的に把握し、偏向(バイアス)のない第三者の立場から原稿を書くよう訓練されています。しかし、それは「努力目標」というか、一種の「理想状態」です。どんな記者にも、国籍、民族、ジェンダー、出生地・生育地、社会階層、病気や障害の有無などの変更できない属性があります。この回では記者のアイデンティティとポジショナリティをめぐる議論を検討してみました。「記者講座 道徳的な難問を考える(3) 記者が立場を自覚するとき」『Journalism...

  • 記者が泣くとき怒るとき、月刊Journalism連載第2回

    朝日新聞社ジャーナリスト学校が発行する月刊誌『Journalism』の連載2回目は、「記者講座 記者が泣くとき怒るとき」です。2018年1月号に掲載されています。ジャーナリストは強靱な体力と冷徹な意志の持ち主だと思われがちですが、優柔不断で気が小さくて、お悩み上手な人も少なくありません。この回では記者の内的体験という語られることの少なかったテーマについて検討してます。「記者講座 道徳的な難問を考える(2) 記者が泣くとき怒るとき」『Journalism』 (332):2018.1...

  • 4年生ゼミで読むかもしれない本

    大学4年生のゼミでは、少し難しいかもしれないけれど、松村圭一郎さんの『うしろめたさの人類学』を読もうかなと思っています。多くの学生は3年の終わりから就活に振り回されて、ゼミに顔を出さなくなります。ある意味、必死です。彼ら彼女らはこれまで偏差値の格差のなかで嫌な思いを強いられてきました。大学を出たら、そのあとは収入や社会的ステータスという格差のなかに放り込まれます。ゼミどころではなくなる学生もいます。松村圭一郎『うしろめたさの人類学』(ミシマ社,2017)...

  • 記者が〈ルール〉を破るとき、月刊Journalism連載第1回

    朝日新聞社ジャーナリスト学校が発行する月刊誌『Journalism』で連載する機会をいただきました。わたしが担当しているのは「記者講座」というコーナーです。これまで何人ものベテラン記者たちが筆を執ってこられた定番のページです。第1回の記事は2017年12月号に掲載されました。タイトルは「記者が〈ルール〉を破るとき」です。「記者講座 道徳的な難問を考える(1) 記者が〈ルール〉を破るとき」『Journalism』 (331):2017.12 p.84-91...

  • 卒論審査の新方針(剽窃は一発アウト)

    「卒論が完成したので添削をしてください」と頼まれるたびに朱をいれて返してきましたが、同じ学生から3度4度と要求されると、教員の身が持ちません。ゼミ生15人の論文を平均3回添削するということは、45回も目を通してチェックしていくことになります。1人あたり1万2000~1万5000文字の分量なので、眼が死にます。(おまけに、大学院生の修士論文もあり、これが1人あたり3万~5万文字が当たり前ですからね)朱を入れて返しても「言われた通りに修正したので確認を」というメールがやってきて、十分に直っていないところに再び朱を入れると、またまた「言われた通りに修正したので確認して」とメールがやってくる。表記...

  • 院生と読むかもしれない本

    大学院ではジャーナリズム演習(ゼミ)と、地域メディア研究という授業を担当しています。ゼミではマスメディアやジャーナリズムをテーマにした修士論文を執筆するうえで必要と思える本や論文を選ぶ必要があり、これが悩ましいのです。他方、「地域メディア研究」という授業では比較的自由に、かつ、臨機応変にやっています。ぼつぼつ来年度の課題図書を考えるシーズンで悩んでいます。候補は以下です。■新しい本たち■林香里(2017)『メディア不信――何が問われているのか』岩波新書章蓉(2017)『コレクティヴ・ジャーナリズム-中国に見るネットメディアの新たなる可能性』新聞通信調査会阿部岳(2017)『ルポ 沖縄...

  • 3年生ゼミで読むかもしれない本

    ほんとうは勉強したいと思って大学に入学していても、初回ゼミの自己紹介でそんなことを口にする学生は1人もいません。20歳前後の若者といえば、大人社会に対する興味と反発がないまぜになっていることも多く、だいたい素直じゃないです。わたしの助言や忠告に耳を傾けるようになるには、就活を終えたくらいの時期まで待たなければなりません。大学1~2年生からみれば、大学の先生は高校教員みたいに厳しくないので、ふつうはナメてかかっています。背伸びして反抗的に突っかかってくるならまだいいのですが、学ぶチャンスを逸してしまった学生を見るのは、正直つらく悲しいものです。読書習慣につけさせるのは、ほんらい大学教員の仕事...

  • 龍谷大学の公開講座もジャーナリズム活動

    龍谷大学では、社会人向けの公開講座を開講していて、この秋、私も微力ながら講師を務めました。講座タイトルは「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」です。勁草書房編集部ウェブサイト・けいそうビブリオフィルで連載させてもらったのと同じタイトルと同じで、私が取り組んでいる研究内容そのものです。社会人向け講座の受講者の多くが60歳以上です。私からすれば人生の先輩といえる方々で、ふだんは20歳前後の学生を相手にしている感覚とは異なり、目から鱗の連続でした。5回の講義をやり終えたいま、引き受けて良かったと思っています。受講してくださった方々と事務方のみなさんには感謝の気持ちを伝えたいです。https://...

  • 始動 全国地域紙ネット

    地域紙のジャーナリストたちの“よろず相談所”をfacebook上に開設しました。名目上、わたしが世話役を務めていますが、わたし一人ではあまりに非力なので、丹波新聞社の足立智和記者の力を借りています。まだ生まれたばかりの「ひよっこ」で「あまちゃん」のような存在ですが、地域紙のみなさんの参加を募ります。全国地域紙ネット https://www.facebook.com/zenchishi/●なぜ地域紙なのか 全国紙や県紙(地方紙)よりも小さな「地域紙」は、全国に約200あります。そうした地域紙は、ながらく「ジャーナリズムの実践者」とは見なされてきませんでした。 理由のひとつに、地...

  • 新聞の「編集権」はだれのものか 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第18回

    上越タイムス社が地元くびき野NPOサポートセンターに紙面づくりを委ねる協働をはじめたとき、「編集権を放棄した」「新聞の魂を失った」などと陰口がささやかれまいた。しかし、陰口していた人たちは、「編集権」問題を十分に理解していたでしょうか。日本新聞協会が1948年に公表した「編集権声明」は厳しく批判されてきました。というのも、この時期、新聞経営者たちが「編集権」を必要とした理由に疑義がもたれているからです。当時、米ソの緊張が高まるなかGHQや時の吉田政権が日本の“左傾化”を危惧し始めていました。そして、新聞経営者たちは労働運動を抑え込みたがっていたのです。〈CASE 18〉新聞の「編集権」...

  • 犯人の主張を報道すれば犯罪の手助けになるか 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第17回

    2011年11月、千葉市で発生したバスジャック事件では、犯人が「マスコミを呼べ」と要求しましたが、記者はバスに入ってインタビューすることはありませんでした。しかし、1960年代に静岡で発生した旅館立てこもり事件では、犯人の要求通り、報道記者たちが多数旅館を訪れて取材しました。男の主張は、在日朝鮮人に対する不当な差別の告発であり、一部の文化人や知識人は彼の主張のなかには聞くべき内容があると考え、支援に乗り出しました。マスメディアは不特定多数の人を対象に情報提供しているため、ともすれば多数者の側からものを見ることに慣らされがちです。30年ほど前に、新聞業界に飛び込んだわたしは「権力から距離を置...

  • 経営破綻を報じる時宜と大義 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第16回

    わたしが『日経トレンディ』編集部から共同通信社金融証券部に転職した1991年、野村證券の損失補填問題が明るみになり、田淵義久社長が引責辞任しました。駆け出しの経済記者だったわたしには、ここからバブル崩壊にともなう金融市場の大混乱が始まることなど想像もできませんでした。じっさい、90年代中盤以降、中小の金融機関が相次いで経営破綻し、97年には山一証券が自主廃業しました。破綻報道が難しいのは、「この会社は倒産寸前だ」と書けば、本当に倒産してしまうリスクがあることです。金融機関の経営破綻を報じれば、預金者が店頭に押し寄せる「取り付け騒ぎ」のパニックを招きかねません。〈CASE 16〉経営破綻...

  • 「忘れられる権利」か、ネット上での記事公開か 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第15回

    全国の地方紙と共同通信の合同サイト「47NEWS(よんななニュース)」の初代デスクを仰せつかっていたとき、「私の逮捕記事を削除してください」というメールを幾度ももらいました。「刑期を終えた」という人や、「不起訴だった」という人もいましたし、商売や就職活動に差し障っているというものもありました。ひとことで言えば、「忘れられる権利」の主張です。後発のニュースサイトを立ち上げにあたり、かなりの過去記事を検索対象にしたため、社会的に忘れられていたはずの「元逮捕者」の実名が晒されることになったのです。わたしは、その都度、データ担当者に削除を要請しました。罪悪感も感じていました。〈CASE 15〉...

  • 世間に制裁される加害者家族をどう報じる 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第14回

    マスメディアの犯罪報道は、どちらかというと、被害者に同情的で、加害者に厳しい目をむけがちでした。被害者の立場からすれば、加害者の人権が守られているのに被害者は放置されたままだ、という気持ちになります。しかし、加害者本人は逃げ回っていたり、警察に逮捕されていたりして、バッシングの矢面に立たされているのは、その家族です。加害者家族に石をぶつけるのは「世間」です。少年犯罪をめぐり、かつて閣僚の1人が、「親は市中引き回しの上、打ち首にすればいい」とおぞましい発言をしましたが、これが世間の処罰感情でしょう。こうした世間の劣情はマスメディアの報道と確実響き合っているように思います。〈CASE 14...

  • 被害者の実名・匿名の判断は誰がする? 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第13回

    事故事件の被害者を実名で報じるか、匿名にするかの判断は悩ましいものです。マスメディアで主流の考え方は、国民の知る権利に応えるため原則的に実名報道すべし――5W1Hの “Who(だれ)”という情報は記録性や検証性に加えて権力監視のためにも必要だ――という立場です。ただ、被害者のなかには「名前を出したくない」という人もいます。名前が広く知られれば、支援しようという人が現れるかも知れませんが、逆に、被害者や犠牲者を食いものにしたり、心ない中傷をしたりする人が現れるのではないか。そんな危険性を排除できません。〈CASE 13〉被害者の実名・匿名の判断は誰がする? keisobiblio.c...

  • 取材先からゲラのチェックを求められたら 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第12回

    取材に協力してくれた人から「原稿の内容を確認させてください」と求められた経験があるジャーナリストは少なくないでしょう。新聞社やテレビ局などの組織ジャーナリストたちは、社内でガイドラインが作られたりしていることが多く、あまり悩まない人が多いかもしれません。他方、フリーのジャーナリストや雑誌編集部、テレビ局でも報道以外の部門では、考え方が異なっていると思います。組織ジャーナリストは「求められても見せない」と突っ張り気味ですが、それは一種の思考停止。一度は取材協力者や取材対象の側に立って悩んでみてはどうでしょう。〈CASE 12〉取材先からゲラのチェックを求められたら keisobiblio...

  • メディアスクラムという名の人災 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第11回

    大事件や大事故、大災害のたびに「メディアスクラム」を発生させていれば、じぶんたちが社会から信頼を失うことを、現場の記者たち自身が実感しています。「見世物じゃない」「邪魔だ、帰れ」「マスゴミはいらない」……そんな言葉をたびたびぶつけられていれば、だれだって、これじゃダメだと気付くはずです。取材陣が連日大挙してやくる地域の住民にしてみれば、「スクラム」になっているメディア関係者を排除したいはず。「報道の自由」は大切かもしれないが、だからといって、自分たちがメディアスクラムの被害を押しつけられてはたまったものではありません。警察に依頼して、取材陣を強制排除してもらいたいと思っても不思議ではありま...

  • 取材謝礼のグレーゾーン 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第10回

    「わたしは取材謝礼の類いを一切しません」――そんな方針を貫くジャーナリストがいます。ネタをお金で買うようになってしまったら「小切手ジャーナリズム」と区別がつかなるし、欲得抜きで取材に応じてくれる人に現金を差し出すのは失礼なことかもしれません。週刊誌や民放ではケースバイケースのようですが、一般紙では、謝礼を支払わない原則はほぼ守られているのではないでしょうか。ただ、ジャーナリストも切れば血の出る人間です。取材相手に多大な負担や犠牲を強いてしまう場合には、言葉だけでは済まないと思えることもあるはずです。謝礼金を支払わない代わりに、その人に有利になるよう事実を曲げて報道するわけにいきません。すな...

  • 小切手ジャーナリズムとニュースの値段 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第9回

    「小切手ジャーナリズム」という言葉があります。一般に、お金を支払って得た情報を報道ることを意味します。金に物を言わせてネタを買うこと、ジャーナリズムの世界では「恥ずべき行為」とされています。理由は簡単。ジャーナリストは「知る権利」を体現する役目を担っていて、情報の加工流通業者ではないからです。でも、それは規範論であって、競争状態にあるジャーナリストたちにとって、できればネタ元を独り占めしたいもの。特ダネのためなら大金を支払うケースも起こりうる、というのが実態です。ネタ元が要求する場合だってあります。じっさい「有料記者会見」は幾度も行われてきました。「知る権利」を振り回すわりに毒にも薬に...

  • 原発事故、メディア経営者の覚悟と責任 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第8回

    東京電力福島第一原子力発電所が爆発事故を起こした際、大手マスメディアは待避指示を出し、原発から半径数十キロ内の地域を取材する記者がいなくなり、“情報空白地帯”が生まれした。原発から20~30キロ圏内の住民が、われ先に逃げていったマスメディアに不信感を抱いたのはいうまでもありません。在京メディアは東京に逃げ帰る場所がありますが、災害が発生した地域のメディアに逃げ場はありません。たとえば放射能事故が起こったとき、その近くに位置するメディアの指揮官は、どのような決断を下せるでしょうか。記者の立場から離れて考えてみませんか。〈CASE 08〉原発事故、メディア経営者の覚悟と責任 http://...

  • 報道の定義、説明してくれませんか? 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第7回

    橋下徹氏は大阪市長時代、みずからが率いていた政党の映像取材班を会見場に参加させました。政党メディアが「報道機関」が主催する記者会見に、「報道」の主体として参加した例は、日本のジャーナリズム史上異例の事態だったのではないでしょうか(悪しき前例を作りました)。記者クラブ側は当初、維新のカメラが取材する側に陣取ることを「報道目的ではない」と断りました。しかし「報道の定義」をめぐる橋下氏の問いに対抗できず、結局、維新のカメラが入りました。結果、報道記者が橋下氏から叱責・面罵される光景まで含めてYouTubeなどで閲覧されるようになりました。本当にこれでよかったのでしょうか。〈CASE 07〉報...

  • 組織ジャーナリストに「表現の自由」はあるか 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第6回

    「おーい、共同さん、共同さん!」――いまだに共同通信記者として仕事をしていたころの夢を見ることがあります。夢の中では「畑仲さん」ではなく「共同さん」と呼びかけられたり、「おい、共同!」と怒鳴られたりもします。そんなとき、わたしは共同通信社という組織の一部(寄生虫?)として認識されていたことを思い知るわけです。そういえば、大学を卒業して毎日新聞社に就職したときも、教育係の先輩記者からこんなふうに諭されました。大学出たての若造でも、毎日新聞社の名刺があれば誰でも会えるんだ。だけど、取材相手からすればお前みたいなチンピラなんてどーでもよくて、日本でもっとも輝かしい歴史と伝統をもつ言論機関と向き合...

  • 戦場ジャーナリスト、君死にたまふことなかれ 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第5回

    大手マスメディアが撤退した紛争地域を取材するジャーナリストたちがいます。彼ら彼女らの存在を、わたしたちはどのように受け止めればいいのでしょう。自衛隊がサマワに派遣されて以降、日本人は第三者ではなく当事者になったといえます。IS(イスラム国)は日本のジャーナリストを標的としていて、ジャーナリストの仕事は困難を極めています。〈CASE 05〉 戦場ジャーナリスト、君死にたまふことなかれ http://keisobiblio.com/2016/07/12/hatanaka05/わたし自身、新聞記者になりたてのころ、旅行先の東南アジアでたまたまクーデター未遂事件に遭遇したことがあります。戦車も...

  • ジャーナリストと社会運動の距離感 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第4回

    ジャーナリズムとは、ジャーナルとイズムの合成語です。共同性と公開性が支える公共性…… ジャーナリズムとは、わたしたちの暮らし関する重要な情報をみなで分かち合おうとする思想と実践だろうと思います。それが前提としているのは、表現の自由やデモクラシーに価値を置く社会の存在です。しかし、わたしたちの社会が大切なものを手放しそうになっているのを、たまたまジャーナリストの側が気づいたとき、「ねぇ、みんな聞いてくれ」と呼びかけることはある。でも、それだけでなく「みんなで集まれ、一緒にやろう!」とアクションを起こすことはどこまで許されるのか。今回のジレンマは、社会科学に関わっている研究者たちにも、公務...

  • その「オフレコ」は守るべきか、破るべきか 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第3回

    取材の原則はオンレコです。ただオフレコでなければ入手できない情報もあります。記者たちはその都度、オンとオフを使い分けて取材をしています。ただ、今回も主人公はかなり悩ましい事態に直面しています。あとで「どうしてそのような決断をしたのか」と問われたとき、「総合的に判断しました」では説明になりません。やはり、多くの人に理解してもらえるよう、理論や概念を用いて具体的に説明することが求められると思います。メディアと倫理の問題を考えるうえで重要な事例や、取り上げてほしいテーマがあれば、ぜひご連絡ください。一緒に悩みましょう。こちらが新しい記事〈CASE 03〉その「オフレコ」は守るべきか、...

  • 人質解放のため報道腕章を警察に貸すべきか 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第2回

    勁草書房編集部サイトで「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」の新しい記事がアップロードされました。ぜひお読みいただき、反論やご批判をいただければと思います。ところで、「連載はじめました」と豪語して、ざっと1ヶ月が経過していました。「1本だけやったら連載ちゃうで、単載やんか」と皮肉られそうな状態でしたが、2本目が公開されて、名実ともに「連載」になりました。ホっ。こちらが新しい記事〈CASE 02〉人質解放のため報道腕章を警察に貸すべきかhttp://keisobiblio.com/2016/05/10/hatanaka02/こちらが先月の記事〈CASE 01〉 最高の写真? 最低の...

  • 新連載 ジャーナリズムの道徳的ジレンマ

    「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」と題する連載をけいそうビブリオフィル(勁草書房編集部ウェブサイト)で始めました。「道徳的ジレンマ」といえば、マイケル・サンデル教授によるハーバード白熱教室の「暴走する路面電車」などを思い出しますね。ジャーナリズムの住人も、抜き差しならない場面で苦渋の選択を迫られることがあります。そんなとき判断基準になるのは、業界団体や所属企業、あるいは職能団体が作ったルールや経験則です。しかし……畑仲哲雄 「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」 けいそうビブリオフィル勁草書房編集部ウェブサイト...

  • ブログ再考

    ながらくブログを更新していませんでした。忙しかったからというのと、研究モドキもしていなかったからです。それはそうと、わが身を振り返れば、身辺雑記のほとんどをfacebookやらtwitterで記していて、ブログ更新がおっくうになっています。facebookにはメッセンジャー、twitterにもDMがあり、それらはスマホからも気軽に使えます。日常生活に忍び込んでいます。それらで近況をつづるのに比べると、ブログに書くのは気合いが要ります。来年度、すこし余裕が出てきたら、ある程度まとまった思考をブログにまとめていきたいと思います。なぜなら、facebookやらtwitterではまとまったこと...

  • 戦後70年に読む手塚作品

    8・6(ヒロシマ)、8・9(ナガサキ)、安倍談話、閣僚の靖国参拝、そして終戦の日。8月16日以降は、戦後70年企画の特別番組もなくなりました。こんなのでいいのかな。それはさておき、疎遠になっていた手塚治虫の作品をこの夏にいくつか読みました。印象深かったのは『奇子』と『アドルフに告ぐ』です。Wikipediaによると『奇子』は1972~1973年に『ビッグコミック』に連載され、NDL-OPACでみると1976に大都社から単行本が出ていました。『アドルフに次ぐ』は1983~1985年に『週刊文春』に連載されています。ともに戦争の狂気が史実をまじえて描かれ、戦後70年の節目の年に読むには良い内容だ...

  • 「愛の手」運動の岩崎さんを表敬訪問

    家庭養護促進協会大阪事務所と毎日新聞大阪本社が、児童相談所などと連携して里親を探すキャンペーンを50年以上にわたって継続しているのをご存じでしょうか。「あなたの愛の手を」と題した記事は、マスメディアのキャンペーン報道としては異例の長期企画です。これまで乳児院や児童養護施設を訪れて取材をした「愛の手記者」も相当な数にのぼります。かくいうわたしも過去に担当したことがあり、取材を通じて親とはなにか、親子とはなにかという問題について教えられました。関西に引っ越して2年もたつのに、事務所訪問がはたせずにいたのですが、ようやく今日、愛の手運動のアイコンともいえる岩崎美枝子さんと25年ぶりの再開をはたしま...

  • HAL、鴨川で水遊び

    うちのワンコ(名前はHAL9000)は、水を怖がり、シャンプーも大嫌いですが、先日、炎天下の鴨川河川敷を散歩しているとき、なぜか川面にたわむれるという行動をみせてくれました。9歳にしてはじめての水遊び。水遊びといっても、浅瀬をすこし歩いただけですが。...

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