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鎌倉幕府の成立後も平安時代は続く。平安時代の終わりは承久の乱。 ドラッカー講座 日曜18時 / 平安時代講座 土曜18時
<フィクション> ・わかりあえるはず ・あおひとくさ ・ほしがき ・せむかた -restart- ・ほむらみさき ・苦悶の捕虜 ・ほむらみさき、そして… <ノンフィクション> ・獅子光臨〜三原修の足跡 ・朴正煕の野望 ・共喰 トモグイ〜連合赤軍事件の全貌。 ・蟹工船の時代 ・平安時代叢書
平徳子が出家したと同日の元暦二(一一八五)年五月一日、源頼朝が二人の人物に対する処遇を発表した。と言っても、一人は源頼朝自身にどうにかできても、もう一人は源…
話を四月二八日に戻すと、この日、近江国に在住し、かつては出羽守を務めるまでになっていた源重遠が出羽国から鎌倉まで赴いて、京都における鎌倉方の武士達の乱暴狼藉…
源義経はたしかに京都で大スターとなっていた。戦場においても活躍した。そして、現在進行形で貴族達と対等に渡り合えるだけの文人としての能力のあることを示し続けて…
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それに、従二位の位階を得た源頼朝が一人の上流貴族であり続けるためには、源頼朝本人がいかに鎌倉に居続けるにしても、誰かしらが京都に滞在して鎌倉と京都との窓口の…
院御厩司という役職を付与したのも何とも絶妙である。 御厩(みやま)は、名目上は牛馬の管理をする職務であり、御厩司(みやまのつかさ)となるとその役職のトップ、…
その手練手管とは何か? 源義経である。 源義経は、京都を一歩離れると怨嗟の対象であるが、京都市中では英雄である。 木曾義仲から京都を取り戻し、西国に赴いて平…
こうなると荘園の所有権が意味を成さなくなる。荘園を所有していた院や貴族や寺社からすれば、年貢、すなわち毎年入ってきたはずの収入が途絶えるだけでなく、荘園に対…
さらに厄介なのが、武士の保有する「所領」と、院や貴族、あるいは寺院や神社の所有する「荘園」との関連性である。源頼朝は自身とともに戦ってくれている武士達に対し…
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前述の通り、政所の設置が許されているのは、親王か、あるいは三位以上の貴族である。では、四位以下の貴族は政所を設置して荘園の管理監督ができないのか? そのよう…
位階を見ても、奥州藤原氏の藤原秀衡が従五位上、すなわち数多くの下級貴族の一人であるのに対し、源頼朝は公卿補任に名を残す上級貴族になった。その上級貴族が京都に…
敗者として見世物となり、敗者として出家へと誘われる者が現れた一方で、それとは真逆の栄誉を得た者もいる。 源頼朝だ。 元暦二(一一八五)年四月二七日、源頼朝が…
平宗盛や平時忠が京都市民の見せ物となって市中引き回しとなっている間、壇ノ浦の戦いにおいて鎌倉方によって救出された一人の女性に対する処遇が決まった。 元暦二(…
この大盛況に輪を掛けたのが、敗者の姿であった。ただし、敗者の帰洛は源義経が受けたような栄誉に満ちたものではなく、日を改めた上で展開された見せしめでもあった。…
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その想定が完全に壊れた。後鳥羽天皇は永遠に正当な皇位継承を経ずに帝位に就いた天皇となることが決まってしまったのだ。せめてもの救いは平家が滅亡したことであるが…
元暦二(一一八五)年四月二五日、この日の京都は朝から熱狂に巻き込まれていた。源義経が京都に凱旋してくるというのだ。ただし、熱狂していたのは京都に住む多くの人…
また、これは学識の高さを誇る人によくあることであるが、源義経は他者の意見を聞き入れることなく自分の考えは正しいと信じきってしまい、自らの考えだけで行動してし…
元暦二(一一八五)年四月二一日、梶原景時からの書状が鎌倉に届いた。書状の前半部は、吉夢を見たとか、平家方が鎌倉方の軍勢を過大評価して怖じ気づいたとか、めでた…
源平合戦として源氏と平家が争い、源氏内部でも木曾方と鎌倉方とで争っている状況であったら、源頼朝と袂を分かって木曾方に、あるいは平家方に身を寄せるという選択肢…
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多くは武士はこれまで、何らかの形で官職を持つ人と接してきた。本人が官職を持つのではなく、官職を持つ人の家臣として仕える人生を過ごしてきた武士がかなり多いので…
平子馬允有長、この人についても源頼朝は何も記していない。平子有長は現在の横浜市磯子区にあたる地域の武士で、この後も鎌倉方の武士として登場する。 平山右衛門尉…
小河馬允については、「ようやく勘当を許してやって、こちらとしても仕方ないやつだと思っていたら、身分に合ってない任官の報せ。任官したところで意味があるのか」。…
元暦二(一一八五)年三月二四日の壇ノ浦の戦いの結末が鎌倉に届いたのが四月一一日であり、その三日後の四月一四日に朝廷からの使者が関東に到着した。第一報からは三…
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いかに一八名もの御家人を園城寺に派遣したとはいえ、中原広元らが園城寺を見捨てたのはその通りである。ただ、理由として掲げた財政問題については全くの言いがかりで…
源実朝が園城寺と手を結ぼうと考えたこと、中原広元ら鎌倉幕府の文人官僚が園城寺と距離を置こうと考えたこと、その双方とも理解できる話である。 まずは後者であるが…
近江国大津の神人たちは、黙っていたならば延暦寺からノルマ未達を責められることになるとわかっていた。だが、どうやってもノルマは達成できない。そこで、前もって園…
もしかしたら、この一連の流れは最初から仕組まれていたのかもしれない。 吾妻鏡によると、高僧を招くか否かの検討が行なわれたのは建保二(一二一四)年四月一八日の…
前年の和田合戦の影響で大倉御所が焼け落ちたために再建したこと、再建の後、一時避難していた中原広元の邸宅から戻る際の行列がまさに京都の貴族を思わせる壮麗さであ…
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鎌倉新仏教の開祖のうち、浄土宗を開いた法然は弾圧を受けたのに対し、臨済宗を開いた栄西は鎌倉幕府の庇護を受けたことは既に記した。 栄西といえば南宋に留学して禅…
本作ではこれまで何度か藤原定家を取り上げている。ただし、古典の教科書に登場する著名な歌人としての藤原定家ではなく、同時代を生きた貴族としての藤原定家である。…
時代は鎌倉幕府の時代となっている。 しかし、三〇年も遡れば時代はまだ平家の時代であり、この時代の人達にとっての源平合戦はついこの前のことである。源平合戦で実…
鎌倉幕府の情報網は想定以上に広がっていることを痛感したのは後鳥羽上皇や朝廷だけではない。京都における鎌倉幕府の勢力衰退を考えていた寺社勢力もまた、鎌倉幕府は…
この仕組みが存在していたところで鎌倉幕府が誕生し、国家財政が乏しい状態のまま、荘園領主や知行国主がかつての豊かさを失って、鎌倉幕府が豊かになっていったという…
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和田合戦は鎌倉で発生した事件であるが日本中を震撼させた事件でもある。 特に、源実朝が後鳥羽上皇に対し、鎌倉幕府として院や朝廷に背く意思がないと示さなければな…
そんなタイミングでやってきた名を残す絶好のチャンスである。 長沼宗政はいったん自宅に戻って支度をする時間も惜しいと、大倉御所から直接下野国へ向かったのである…
ただ、源実朝とその周辺の御家人達からなる豪奢な構図は、同じ鎌倉幕府の御家人であっても、源実朝に親しい一部の御家人と、そうでない大部分の御家人という格差を生み…
建暦三(一二一三)年八月二〇日、大倉御所の再建が完了し、源実朝が大倉御所へと戻ることとなった。吾妻鏡によると牛車を引く牛は用意できたものの肝心の牛車が用意で…
バリケードが築かれたならば、そのまま攻撃しようものなら簡単に打ち負かされてしまうことぐらいわかる。攻撃するならば状況を分析した上で計画的に行動しなければなら…
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土御門通親がこのことを理解していないわけではない。 とは言え、土御門通親の権威の源泉を辿ると、養女が土御門天皇の生母であるという一点に行き着く。 仮に後鳥羽…
後鳥羽上皇が和歌の世界にのめり込んでいることは既に記した通りであり、正治二(一二〇〇)年七月一五日に百首歌を企画したのも既に記した通りである。そして、このと…
それにしてもなぜ、後鳥羽上皇がいきなりクレームを入れてきたのか。 結論から言えば鎌倉幕府に対する反発であろう。後鳥羽上皇は院政を構築すること過去の院政と同様…
後鳥羽上皇の怒りを伝える六波羅からの書状が鎌倉に届いたのが七月二七日のことである。この知らせを受けた源頼家は佐々木経高の守護職を三ヶ国全てで罷免し、領地没収…
正治二(一二〇〇)年七月九日、京都で騒動が起こった。 佐々木兄弟の次男である佐々木経高が、淡路、阿波、土佐の三ヶ国の軍隊を京都に集めたことが後鳥羽上皇の怒り…
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宋銭を利用して比叡山延暦寺に対して圧力をかけることに成功した後鳥羽上皇は、和歌の世界への傾倒をさらに深めていった。史料の出典が藤原定家の日記なので和歌に関す…
後鳥羽上皇の正妻は、後鳥羽上皇の元から離れて暮らしている中宮任子、すなわち、九条兼実の娘である。 ただし、後鳥羽上皇は人生でただ一人の女性しか愛さなかったわ…
宋銭利用禁止は九条兼実が承諾した経済政策であり、九条兼実が失脚した後も継続する必要はない。しかし、後鳥羽院政が成立しても宋銭禁止は有効のままであり続けており…
源頼家の政治判断で最悪なものとして著名な出来事が起きたとされているのが、正治二(一二〇〇)年五月二八日の裁決である。所領をめぐる争いにおいて、係争中の地図の…
ただ、忘れてはならないのは、この出来事が吾妻鏡の記事であるという点である。吾妻鏡は鎌倉幕府の正式な歴史書である一方、編纂時の権力者である北条家を称揚するため…
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一三人の合議制が早々に九名へと減ったこと、そして人員の入れ替えをしていないこと、すなわち、永続的な組織体ではなく一時凌ぎ牽制の末の妥協でしかないことは、一三…
一三人の合議制のうち既に二名が命を落としており、かつ、誰かが後を埋めたわけではないので最大で一一名ということになる、はずであった。 この人数がさらに減る出来…
また、朝廷からの視点で捉えると、正治二(一二〇〇)年四月一日の人事は複数の意味が重なったものであることが読み取れる。 鎌倉では北条時政の国司就任が話題になっ…
しかし、正治二(一二〇〇)年四月一日の発表は今後の趨勢を大きく変更する内容であった。北条時政が従五位下の位階を獲得した上で遠江守に補任されたのである。北条時…
一三人の合議制が誕生した鎌倉幕府であるが、まず梶原景時が命を落とし、次いで三浦義澄もこの世の人ではなくなっていた。 一三人の合議制は明瞭な政治機構ではなく、…