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鎌倉幕府の成立後も平安時代は続く。平安時代の終わりは承久の乱。 ドラッカー講座 日曜18時 / 平安時代講座 土曜18時
<フィクション> ・わかりあえるはず ・あおひとくさ ・ほしがき ・せむかた -restart- ・ほむらみさき ・苦悶の捕虜 ・ほむらみさき、そして… <ノンフィクション> ・獅子光臨〜三原修の足跡 ・朴正煕の野望 ・共喰 トモグイ〜連合赤軍事件の全貌。 ・蟹工船の時代 ・平安時代叢書
平家滅亡後に源氏がその軍事力を見せつける、いや、鎌倉方の持つ軍事力に期待する動きが見られた最初の記録は、元暦二(一一八五)年四月一三日に登場する。壇ノ浦の戦…
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ここに源範頼と共に戦ってきた武士達の思いが重なる。本来は源範頼が指揮官であり、鎌倉方の武士達も源範頼に従って行軍していた。兵糧不足のせいで行軍がうまくいかな…
源義経は源平合戦において最大級の賛辞を浴びるヒーローである。近年の研究では平家物語などに記されている源義経の活躍の多くはフィクションではないかとされているが…
しかも、政権交代や革命のように民衆が直接参加しての悪の討伐ではなく、軍事衝突の結果での平家滅亡である。軍事衝突と言おうと、あるいは内戦と言おうと、勝者には責…
生きるという根源的な問題であるだけに、庶民は執政者にその全てを委ねるなどという楽観的なことはしない。一人一人の日本国民がそれぞれいかにして生きていくかを考え…
源頼朝の意思はどうあれ、平家は滅んだ。すなわち、日本国の軍事は源頼朝の手に委ねられることとなった。この後で源頼朝の身に待っているのは、日本国内の治安維持を一…
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源頼朝にとっての平家はたしかに倒すべき敵であったが、平家打倒の成就は目標の前の通過点であってゴールではない。完全に破壊された日本国を立て直すのが源頼朝の目指…
鎌倉に平家滅亡の知らせが届いたのは元暦二(一一八五)年四月一一日のことである。この時代の交通通信事情を考えると、異例のスピードとするしかない早さでの鎌倉への…
元暦二(一一八五)年三月二四日、壇ノ浦の戦いは平家の敗北に終わった。平家方は、ある者は自ら死を選び、ある者は死を選んだものの源氏方に救い出され、ある者は戦場…
この時代における「関東」、現代で述べるところの「鎌倉幕府」を現代に生きる人の視点で捉えるとするならば、政党がそれであろう。平安時代叢書では何度か藤原氏を現代…
かつては鎌倉幕府の成立年を源頼朝が征夷大将軍に就任した建久三(一一九二)年とするのが一般的であった。征夷大将軍就任年から「イイクニ作ろう鎌倉幕府」と鎌倉幕府…
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最後の抵抗をしようとした者として平家物語が取り上げているのが平教盛である。平知盛から無駄な殺生をするなと言われた平教盛は、ならばせめて源義経を道連れにしてく…
水手(かこ)を失った平家の艦船は動きを止められてしまった。 動きを失った船は源氏からの攻撃を受けるだけの存在になってしまったのだ。 源義経の作戦を卑怯千万と…
平家は関門海峡の潮の流れを熟知していた。また、平家の作戦は源氏の艦隊を突破して瀬戸内海に出ることなので、平家の攻撃にとって重要なのは源氏を倒すことではない。…
陸海双方での関門海峡封鎖を狙う源氏の動きは平家の側にも読み取れていた。そして、平家の側がそこまで自軍にとって不利になる状況を唯々諾々と受け入れるわけはない。…
讃岐国屋島を陥落させた後で源義経は平家の最後の根拠地である関門海峡に向かった航海をスタートさせている。ただし、源義経のいつものことであるが、この人は途中で行…
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屋島の戦いの結末が京都に届いたのは九条兼実の日記によると元暦二(一一八五)年二月二七日のこと、鎌倉まで届いたのは吾妻鏡によると三月八日のことである。なお、源…
源義経の四国上陸からの行動を考えると、ここまでまともに眠っていないことが読み取れる。そのためか、この日の戦闘が終わり、日が暮れた後で多くの兵士たちが眠りにつ…
このとき、屋島の戦いでもっとも有名なエピソードとして那須与一が登場する。 平家から女性を載せた船がやってきて、船には赤地金丸の平家の日の丸があしらわれた扇が…
先に田口良遠が逃走するに際し、源氏の軍勢がやってきたと喧伝しながら逃走したと記したが、逃走した先々にはもう源義経がやってきていた。しかも、屋島まで到着したと…
平家物語にも吾妻鏡にも四国に渡った源義経の軍勢は一五〇騎であったと記している。普通に考えると少なすぎる数字であるし、平家物語も吾妻鏡も数字の誇張はいつものこ…
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いかに一八名もの御家人を園城寺に派遣したとはいえ、中原広元らが園城寺を見捨てたのはその通りである。ただ、理由として掲げた財政問題については全くの言いがかりで…
源実朝が園城寺と手を結ぼうと考えたこと、中原広元ら鎌倉幕府の文人官僚が園城寺と距離を置こうと考えたこと、その双方とも理解できる話である。 まずは後者であるが…
近江国大津の神人たちは、黙っていたならば延暦寺からノルマ未達を責められることになるとわかっていた。だが、どうやってもノルマは達成できない。そこで、前もって園…
もしかしたら、この一連の流れは最初から仕組まれていたのかもしれない。 吾妻鏡によると、高僧を招くか否かの検討が行なわれたのは建保二(一二一四)年四月一八日の…
前年の和田合戦の影響で大倉御所が焼け落ちたために再建したこと、再建の後、一時避難していた中原広元の邸宅から戻る際の行列がまさに京都の貴族を思わせる壮麗さであ…
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鎌倉新仏教の開祖のうち、浄土宗を開いた法然は弾圧を受けたのに対し、臨済宗を開いた栄西は鎌倉幕府の庇護を受けたことは既に記した。 栄西といえば南宋に留学して禅…
本作ではこれまで何度か藤原定家を取り上げている。ただし、古典の教科書に登場する著名な歌人としての藤原定家ではなく、同時代を生きた貴族としての藤原定家である。…
時代は鎌倉幕府の時代となっている。 しかし、三〇年も遡れば時代はまだ平家の時代であり、この時代の人達にとっての源平合戦はついこの前のことである。源平合戦で実…
鎌倉幕府の情報網は想定以上に広がっていることを痛感したのは後鳥羽上皇や朝廷だけではない。京都における鎌倉幕府の勢力衰退を考えていた寺社勢力もまた、鎌倉幕府は…
この仕組みが存在していたところで鎌倉幕府が誕生し、国家財政が乏しい状態のまま、荘園領主や知行国主がかつての豊かさを失って、鎌倉幕府が豊かになっていったという…
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和田合戦は鎌倉で発生した事件であるが日本中を震撼させた事件でもある。 特に、源実朝が後鳥羽上皇に対し、鎌倉幕府として院や朝廷に背く意思がないと示さなければな…
そんなタイミングでやってきた名を残す絶好のチャンスである。 長沼宗政はいったん自宅に戻って支度をする時間も惜しいと、大倉御所から直接下野国へ向かったのである…
ただ、源実朝とその周辺の御家人達からなる豪奢な構図は、同じ鎌倉幕府の御家人であっても、源実朝に親しい一部の御家人と、そうでない大部分の御家人という格差を生み…
建暦三(一二一三)年八月二〇日、大倉御所の再建が完了し、源実朝が大倉御所へと戻ることとなった。吾妻鏡によると牛車を引く牛は用意できたものの肝心の牛車が用意で…
バリケードが築かれたならば、そのまま攻撃しようものなら簡単に打ち負かされてしまうことぐらいわかる。攻撃するならば状況を分析した上で計画的に行動しなければなら…
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土御門通親がこのことを理解していないわけではない。 とは言え、土御門通親の権威の源泉を辿ると、養女が土御門天皇の生母であるという一点に行き着く。 仮に後鳥羽…
後鳥羽上皇が和歌の世界にのめり込んでいることは既に記した通りであり、正治二(一二〇〇)年七月一五日に百首歌を企画したのも既に記した通りである。そして、このと…
それにしてもなぜ、後鳥羽上皇がいきなりクレームを入れてきたのか。 結論から言えば鎌倉幕府に対する反発であろう。後鳥羽上皇は院政を構築すること過去の院政と同様…
後鳥羽上皇の怒りを伝える六波羅からの書状が鎌倉に届いたのが七月二七日のことである。この知らせを受けた源頼家は佐々木経高の守護職を三ヶ国全てで罷免し、領地没収…
正治二(一二〇〇)年七月九日、京都で騒動が起こった。 佐々木兄弟の次男である佐々木経高が、淡路、阿波、土佐の三ヶ国の軍隊を京都に集めたことが後鳥羽上皇の怒り…
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宋銭を利用して比叡山延暦寺に対して圧力をかけることに成功した後鳥羽上皇は、和歌の世界への傾倒をさらに深めていった。史料の出典が藤原定家の日記なので和歌に関す…
後鳥羽上皇の正妻は、後鳥羽上皇の元から離れて暮らしている中宮任子、すなわち、九条兼実の娘である。 ただし、後鳥羽上皇は人生でただ一人の女性しか愛さなかったわ…
宋銭利用禁止は九条兼実が承諾した経済政策であり、九条兼実が失脚した後も継続する必要はない。しかし、後鳥羽院政が成立しても宋銭禁止は有効のままであり続けており…
源頼家の政治判断で最悪なものとして著名な出来事が起きたとされているのが、正治二(一二〇〇)年五月二八日の裁決である。所領をめぐる争いにおいて、係争中の地図の…
ただ、忘れてはならないのは、この出来事が吾妻鏡の記事であるという点である。吾妻鏡は鎌倉幕府の正式な歴史書である一方、編纂時の権力者である北条家を称揚するため…
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一三人の合議制が早々に九名へと減ったこと、そして人員の入れ替えをしていないこと、すなわち、永続的な組織体ではなく一時凌ぎ牽制の末の妥協でしかないことは、一三…
一三人の合議制のうち既に二名が命を落としており、かつ、誰かが後を埋めたわけではないので最大で一一名ということになる、はずであった。 この人数がさらに減る出来…
また、朝廷からの視点で捉えると、正治二(一二〇〇)年四月一日の人事は複数の意味が重なったものであることが読み取れる。 鎌倉では北条時政の国司就任が話題になっ…
しかし、正治二(一二〇〇)年四月一日の発表は今後の趨勢を大きく変更する内容であった。北条時政が従五位下の位階を獲得した上で遠江守に補任されたのである。北条時…
一三人の合議制が誕生した鎌倉幕府であるが、まず梶原景時が命を落とし、次いで三浦義澄もこの世の人ではなくなっていた。 一三人の合議制は明瞭な政治機構ではなく、…