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  • ブログ移転のお知らせ

    ブログを正式に移転します。新しいブログはこちらhttp://wildblue.hatenablog.jp/ しばらく使ってみましたが、現在よりは自分の使い方にあっているので移すことにしました。違いは、古墳の備忘を入れる場合にgooの場合はキーワードが1つしか入れられず、そうすると前方後円墳として登録したいし、所在地としても登録したい場合に難しくなってしまってました。 今回は、複数のキーワードが登録できるので、古墳見てRunしてというような旅の場合にも迷わなくてすみそうです。あとはリンク記事の見え方も3パターンあるので、その時々のリンク表示も便利。 ということで以降は現在のブログは更新しないことにします。そして新しいブログでの新記事に関連するところから必要な過去記事は移していくことにしたいと思います。 移しておき...ブログ移転のお知らせ

  • 宮崎遠征再び

    再び西都原古墳群へ! 昨年8月に宮崎県の古墳チェックに行きましたが、今年12月に再び宮崎県へ古墳を観に行ってきました。どうせなら違う古墳を観に行けば?と思うのが普通でしょうけど、なぜ宮崎か? 去年の訪問が消化不良でした。訪問先のメインとした西都原古墳群。この古墳群は300基以上の古墳があります。そして密集して膨大な古墳が存在します。 自分が通常古墳を観る場合は、あるメインの古墳1基を観ることがほとんどです。この場合の古墳の観かたはおおよそ決まっていて、・ぐるっと回る・周溝の存在で古墳のエリアを把握する・のぼって上から眺める(盗掘跡があるかを確認)・葺石の存在を確認・横から段築の残り具合など保存状態を確認するこんな具合です。 ただこの古墳への接し方では西都原古墳群はとても追い付かないし、そもそもの群が巨大すぎて全...宮崎遠征再び

  • 総社古墳群/群馬県前橋市(2017.04.03)~その3~

    総社古墳群/群馬県前橋市(2017.04.03)~その3~総社古墳群の備忘はこれで最後です。●宝塔山古墳(方墳/規模:54m/時期:7世紀末)総社にある天台宗光厳寺を目指していくと宝塔山古墳があります。方墳としては非常に巨大な古墳です。時期は7世紀末と言われていますが、この時期は奈良で言えば藤原京の遷都したりと古墳時代どころか飛鳥時代の末期です。群馬ではこの巨大古墳が時期がずれて勢いをつけてたんですね。石室には自由に入ることができます。奥へは約12m。愛宕山古墳に比べると、石室の精巧さが段違いですね。時期にすると100年弱の間で技術の進化がここまで進むんですね。石室が自由に見ることができるのはありがたいんですが、方墳が鉄柵で囲まれたり、石垣で崩れを防止してあったりすると、ちょっと興ざめな感じはあります。●蛇穴山...総社古墳群/群馬県前橋市(2017.04.03)~その3~

  • 総社古墳群/群馬県前橋市(2017.04.03)~その2:愛宕山古墳~

    ●愛宕山古墳(方墳/規模:56m/時期:7世紀前半)愛宕山古墳(あたごやまこふん)は、前に現代の墓地があり、草木も生えているので全体像があまりわかりません。立看板には、方墳で一辺56mとありますから、巨大古墳ですね。墓地の前を通りながら石室開口部に到着。狭い。。。これは見学者を選ぶ狭さです。ランニングしてなかったら入れなかったかも。ともかく狭い開口部から中にはいることにしました。狭い開口部から想像できないくらいの広さです。56mの方墳ですからこの規模でもおかしくはありませんが。愛宕山古墳の築造時期は7世紀前半と言われています。ちなみに同年代の畿内の古墳で言うと、蘇我馬子の古墳と言われる石舞台古墳(7世紀初頭)が51mの方墳と言われていますから、規模感が分かりますでしょうか。石室の石材の規模・量は比較にならないに...総社古墳群/群馬県前橋市(2017.04.03)~その2:愛宕山古墳~

  • 総社古墳群/群馬県前橋市(2017.04.03)~その1~

    大室古墳群をチェックした後は、レンタルチャリで逆戻り。さらにもともと宿泊していたホテルを通り過ぎて総社の方に向かったので結構な距離でした。これはRunじゃ無理だったと思いつつ総社古墳群のチェックです。なお前橋市総社歴史資料館のサイト記事によれば、総社古墳群は5世紀後半から7世紀後半にかけての古墳群で築造の順番としては、遠見山古墳→●王山古墳→(王河原山古墳:消滅)→●総社二子山古墳→●愛宕山古墳→●宝塔山古墳→●蛇穴山古墳の順番で築かれたということです。今回のチェックでは遠見山古墳が時間の関係でチェックできませんでしたが、5基の古墳を見ることができました。築造の順で見ていきます。●王山古墳(前方後円墳/規模:90m/時期:6世紀前半)この古墳は完全に公園になってました。古墳が滑り台になってます(笑い)。復元想定...総社古墳群/群馬県前橋市(2017.04.03)~その1~

  • 大室古墳群/群馬県前橋市(2017.04.03)~その4~

    大室古墳群その1はこちら大室古墳群その2はこちら大室古墳群その3はこちら大室古墳群レポートの最後となります。●前二子古墳(前方後円墳/規模:94m/時期:6世紀初頭)大室古墳群にある前方後円墳は、古い順番に前二子→中二子→後二子・小二子と変遷するとのこと。よって前二子古墳は群の中では一番古い前方後円墳となります。全景を眺めるとまさに二子と言える小山な感じ。整備がしっかりされているので古墳の形状がよくわかります。この古墳の特徴としては長い羨道。後二子古墳の羨道の長さとの比較で違いがよくわかります。いつものように石室から外を眺めようとしたんですが、中に柵が設置されていて石室奥までは入ることができませんでした。仕方がないので途中までの地点から外を眺めてみました。なお石室には当時の副葬品のイメージが再現されていました。...大室古墳群/群馬県前橋市(2017.04.03)~その4~

  • 大室古墳群/群馬県前橋市(2017.04.03)~その3~

    大室古墳群その1はこちら大室古墳群その2はこちらいよいよ大室古墳群最大規模を誇る中二子古墳レポートです。位置関係でいうと、後二子古墳と前二子に囲まれて堂々とした威容を誇っています。●中二子古墳(前方後円墳/規模:111m/時期:6世紀後半)この古墳も公園内の史跡として整備されてり形状がよくわかります。古墳群最大の規模(全長110m)であり2重に巡らされた堀の存在もよくわかるように整備されています。ちなみに堀を含めた墓域で捉えると全長は170mになるそうです。主要な3つの古墳の中では一番古い古墳です。二重の堀前方部から後円部から後円部を眺めます少し下がって全景を再度公園内でも特に埴輪列の復元がしっかり行われています。盾持ち人の形象埴輪があるのは、考古学の勉強の興味をひいてよい感じ!写真撮影のスポットとしても良い感...大室古墳群/群馬県前橋市(2017.04.03)~その3~

  • Tyrannochromis maculiceps(ティラノクロミス マクリケプス)

    Tyrannochromismaculiceps発色前発色後MYLIFEWITHAFLICANCICHLIDSURLhttp://wild-blue.jp/Tyrannochromismaculiceps(ティラノクロミスマクリケプス)

  • Tyrannochromis nigriventer(ティラノクロミス ニグリヴェンター)

    永らく引っ越しで散在していたストックPHOTOが見つかりましたので徐々にアップしていきます。Tyrannochromisnigriventerこの個体は特に体高が低かったです。Tyrannochromisnigriventer(southern)サウザン(南部型)という識別はこだわりなので現在はもう区別はないのか情報から縁遠くわからないですが、産地の違いは明確にありました。MYLIFEWITHAFLICANCICHLIDSURLhttp://wild-blue.jp/Tyrannochromisnigriventer(ティラノクロミスニグリヴェンター)

  • 宮崎一人旅-3-

    宮崎一人旅-1-宮崎一人旅-2-日頃手元にPCが無いことを理由にすっかり更新が途絶えていました。宮崎の旅の備忘を。今回は古墳や史跡以外をまとめました。気ままな一人旅は好きなことをして過ごす時間がたっぷり持てます。主目的は西都原古墳群を見ることでしたが、それ以外の時間も愉しんできました。古墳以外はRun!西都原古墳群の中を走ることは実現できたとして、さらに地元のランナーが走っているところを走って見たいと思いまして、宿の近くの河川敷に向かいました。それも夕練と朝練の2回(笑)。ホテルは宮崎市内の宮崎グリーンホテル。素泊まりでリーズナブルなお値段でした!そこから300mで大淀川という宮崎市内を流れる河川に到着。初日はチェックインしてすぐランニングウェアに着替え軽く河川の様子見。この日は結構ハードな1日だったので感触確...宮崎一人旅-3-

  • 群馬で古墳Run!

    金沢マラソン終わってから膝の回復ということを良いことに怠けております(苦笑)。練習は全くできていないのですが、お天気が良かったので12月5日、古墳チェックに行ってきました。行先は群馬県!実は関東は近畿に比べて古墳が長く作られた関係もあり、非常に多く残っています。今回は練習不足で重くなった身体のリハビリを兼ねて、旅Runしてきました。まずは電車で高崎方面へ。とはいうものの電車に乗ってからエリアを決めるという適当な旅(笑)!高崎まで行こうかと思いつつも、検索していると群馬県観光物産国際協会のおススメ古墳めぐりという推奨コースがあったのでそれに乗っかることにしました。推奨コースの移動手段は車なので自分の脚とは時間配分が違ってきますけど。。。出発点とした高崎の1つ手前倉賀野に到着!ここからモデルコースに沿って七輿山古墳...群馬で古墳Run!

  • 20140316-17奈良遠征総括

    個別で記録しておきたいことが本当にたくさんありました。っということで総括を先に。■過酷なスケジュール!3月13日(木)から3月15日(土)まで仕事で金沢滞在。15日の夕方戻り少し休んで浦安から車で奈良へ。新幹線も考えたんですが、現地での機動力を考えると車が必要になるので夜間の高速が安い時間帯移動で向かうことにしました。目指す箸墓再考シンポジウムの会場は奈良県桜井市民会館。浦安市から桜井市まで約500kmなので実際はそんなに遠くないんですね。ということで朝早々には桜井市に到着。■朝飯前に近場の古墳チェック一気に奈良の空気に身体が染まっていくのがわかります(笑)。まずは昨年見忘れた赤坂天王山古墳の2号墳と3号墳をチェック。さらにそのすぐ近くにある越塚古墳へ。改めて桜井市にある古墳の面白さを体感しました。■箸墓再考シ...20140316-17奈良遠征総括

  • 2013奈良遠征~墓碑石を見つけ出せ編(総括)~

    今年ぎりぎりのタイミングとなりましたが無事奈良遠征を実行できました。内容が充実しているので先に総括を備忘として記載し、古墳1つ1つを丁寧に記録していきたいと思っています。ということで総括として今回巡った古墳の備忘。・ホケノ山古墳(内田康夫の『箸墓幻想』読んで行きたくなった)・箸墓古墳(必ず足を運ぶ)・赤坂天王山古墳(今回衝撃度№1で初)・中尾山古墳(20数年ぶり)・文武天皇陵(20数年ぶり)・石舞台古墳(久しぶりお金払った)・都塚古墳(石舞台の上にこんな魅力的な古墳が!今更ながら初見学)・キトラ古墳(特に変化なく)・真弓鑵子塚古墳(以前のようには見られない状態)・牽牛子塚古墳(八角墳判明後は初めて)・築山古墳(なかなかいけない場所で今回ようやく初)・舒明天皇陵(今まで行っていなかったエリアで初)残念だったのは、...2013奈良遠征~墓碑石を見つけ出せ編(総括)~

  • 2013奈良遠征~墓碑石を見つけ出せ編~

    年の始めに奈良計画をイメージしておきながらもう11月!残すところ2か月の間に、レースは2つ予定、出張あるし、そろそろ忘年会も・・・。っとうことで天候あやしいですが、奈良路へ旅立つことにしました。行き当たりばったりではなく絞り込んで目的は2つ。1.赤坂天王山古墳の中に入るこちらははっきりしているのでランニングでシェイプした身体でおそらく大丈夫(笑)入口が非常に狭いらしいですが、超レア古墳チェックを!2.箸墓古墳の墓碑石探し※墓碑石に関してはこちらを参照これは難問!箸墓古墳に限らず古墳墓碑は実在しないと定説では言われているが故池田仁三氏によって箸墓古墳の墓碑は発見されているただし場所がはっきりせず、氏の記述から推測しながら場所を特定していく作業となるため時間がかかりそう氏は今年の5月に古墳墓碑の画像解析に関する書籍...2013奈良遠征~墓碑石を見つけ出せ編~

  • 『画像解析によって判明した古墳墓碑』 詳細

    今年の目標の1つとして墓碑の解析にトライしてみたいというのは前に書きましたが、詳細に墓碑サンプル解説がされた本書が発刊されたというのは何というタイミングの良さでしょう。秋にかけていつもの奈良遠征時に、解析用の写真を撮ってこようと思っているのですが何といってもいつも短時間の強硬スケジュールであって、墓碑候補を散策しながら探す愉しみを満喫する時間はありません。できる限りあたりを付ける必要があるのでその際の参考資料としては大変役に経ちました。そうするとやっぱり次回も明日香村にこもる必要があるようです。●中尾山古墳(墓碑解析からは草壁皇子)「・・・碑石保存状態が極めてよく・・・」に期待●文武天皇陵古墳(墓碑解析からは倭姫)石垣に使われている石ということで見つけやすそう●鬼の雪隠(蘇我馬子銘)明日香村内の散策名所の1つで...『画像解析によって判明した古墳墓碑』詳細

  • 『画像解析によって判明した古墳墓碑 上・下』

    以前に古墳の墓碑について画像解析されている方のサイトを紹介しましたが、なんと先月書籍が出てました!さっそく上巻を注文!!『画像解析によって判明した古墳墓碑上・下』

  • 2012奈良遠征~残り~

    今回は持統天皇の行幸ルートに関連する旅と決めたので時代の異なる史跡に関しては、駆け足での訪問となりました。まとめで自分の備忘録として。●吉野神宮●金峯山寺(役小角が創立した修験道の聖地)●吉野朝宮址(後醍醐天皇の南朝の皇居跡)奈良時代までが守備範疇の自分には、駆け足な場所となりましたが、桜の時期に来たい場所でした。とにかく桜が大事!山から降りてからは、帰路の中で遺跡チェックを。●藤原宮跡(去年も来たけど早朝で資料館に入ってなかったので再チェック)纒向遺跡時代はさらに遡り古墳時代前期へ●纒向勝山古墳(前方後円墳)●纒向矢塚古墳(前方後円墳)●纒向石塚古墳(前方後円墳)(写真はあるけど同じ山にしか見えないので割愛)これらの古墳は、箸墓古墳より古く前方後円墳としてもっとも古いと言われています。古墳の案内板には、弥生時...2012奈良遠征~残り~

  • 2012奈良遠征~いざ吉野へ~

    今年は明日香では請安先生墓のみとし、いざ吉野へ。吉野って、歴史的の変化点ごとに重要な地域だけど学校の歴史の中では大きな登場の仕方はしないんですよね。でも古代から中世にかけて頻繁に吉野が登場します。まず応神天皇の時代に吉野に宮があったと日本書紀に記述。これは本当かどうかはわかりませんが、その後時代は下って斉明天皇(天智・天武の母)は吉野に宮を設置したし、以降何か危ないことがあると、吉野に身を隠す歴史的な記述が見られます。有名な壬申の乱(672年)の前に大海人皇子が出家と称して吉野に隠遁して、準備を整えた地であったりと、幅広い年代で登場してきます。限られた時間の中で、チェックしようとするとこの年代の幅が結構難しいものです。古代だけならまだしも、その後の鎌倉末期、建武の新政後南北朝時代に突入した際、南朝(吉野朝廷)を...2012奈良遠征~いざ吉野へ~

  • 2012奈良遠征~吉野編~

    年に1年は奈良に赴くのがここ数年習慣化しました。しかし1年経つのは早いですね。昨年、南淵請安先生の墓と墓の入口を示す道標を間違えてお参りするという失態から早1年。今年の奈良路の旅はまず、昨年を取り戻すところから始まりました。しかしそこまでの旅路がまた強行なスケジュール!9月14日(金)夜の会議を終え、千葉浦安より金沢へ。9月15日(土)は朝から会社で所用があり夕方まで出勤。その後金沢から奈良に移動し、奈良についたと感じさせる場所、平城京跡についたのは夜8時を回った頃でした。平城京跡では、ライトアップされた大極殿を眺めてまずは奈良に着いたことを実感。その後、奈良公園に鹿がいないかと夜の道を移動するも鹿は発見できず。まずは今日の宿にと決めていたネットカフェに向かいました。ここは昨年もお世話になったところで、国道24...2012奈良遠征~吉野編~

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