ブログも17年。長々と休み勝ちですが続いております。年々行動範囲が狭くなってきました。歴史妄想モードに入る事もありました。夏は海が無性に見たくなり冬はコタツで丸くなる( ̄▽ ̄)。o0○。
どうせなら、楽しい気分で。晴れ気分で。 最近、言霊を気にして、マイナーな気分の書入れは、しないようにしています。 『晴れ気分』http://plaza.rakuten.co.jp/nene777/
愛西市森川町にある「立田ふれあいの里」道の駅で一休み。もう閉まりそうな道の駅で休憩。犬を連れて涼みに来た様な人もいました。野菜や花の販売。愛西市と言えばレンコン。愛西市の特産品レンコンを使った食べ物。
黄金の織田信長銅像 JR岐阜駅前で光り輝いています。なぜに信長像が岐阜駅に? 美濃のまむしと呼ばれた斉藤道三入道の稲葉山城を『岐阜城』にしたんだからね~。 バックの岐阜新聞と同系色。右上にある『中日』
海津市歴史民族資料館 「貝塚と古墳」「輪中と低地の農業」「高須藩」を主要テーマとした資料館。 海津の高須藩は、尾張藩主・徳川光友の次男、松平義行が高須を領地とし、高須松平家は13代続きました。能舞台 十
さぼう遊学館・羽根谷だんだん公園 薩摩義士とデ・レイケ銅像(岐阜)
さぼう遊学館 川遊びやキャンプを通じて砂防の大切さを学べるところです。薩摩義士 『治山治水』 川を治むるにはまず山をJ・デ・レイケ 明治6年(1873)オランダから招かれた若き土木技術者。 日本古来の伝統技術
薩摩義士役館址・史蹟大巻薩摩工事役館址 むかし濃尾平野は木曽・長良・揖斐の三大川が乱流していた。幕府は薩摩藩に治水工事を依頼しました。幕府の厳しい検分の元、完成しましたが、多数の薩摩義士犠牲者を出し、工
岐阜県海津市海津町油島 木曽三川公園 揖斐川・長良川・木曽川に挟まれている。治水神社 宝暦3年1753年九代将軍家重の御代、薩摩守島津重年に、木曽三川治水工事普請の御手伝いの幕命が下る。幕垂れに、右は薩摩藩
平田靭負(ひらたゆきえ)が治水工事現場に向かった堤8キロを『平田靭負ロード』 堤に植えられた千本桜を『平田靭負桜』と命名して、宝暦治水の遺徳を偲ぶ地となっています。 毎年7月第1土曜日に、宝暦治水に感謝
岐阜羽島駅前にある大野伴睦(オオノバンボク)夫妻銅像、大きいです。 現在の岐阜県山県市生まれの政治家・大野伴睦氏が地元岐阜に新幹線駅を誘致したとかで、『政治駅』と呼称されているそうです。地元では勿論ヒー
木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が一夜にして築いたと伝わる墨俣一夜城墨俣一夜城 当時の砦的な城ではなく地域住民の夢で城郭天守を建設したそうです。木下藤吉郎像と瓢箪 稲葉山城(のちの岐阜城)の戦いで、藤吉郎
岐阜環状線を南下中に見つけたお店。 そろそろ軽くランチにしようと、出来たら進行方向の左側の店なら入りやすいし。 オシャレな店を発見。 店内は昭和の古き良き雰囲気。 『市橋2』の交差点角にあり、ショッピング
黒田小学校グラウンドの外側に、黒田城跡がある。画像右側には野府川の「いちやなぎばし」。天文14年(1545)に、山内一豊がこの城に生まれる。黒田城址碑銅像と言えるかどうか、台座は大きいけど一豊がちっちゃい。お
Gifu Bus 岐阜市歴史博物館前に織田信長が! 暑さにやられそうになりながらダラダラ歩いていたからドキッとした。連日35度超えの猛暑猛暑、、、異常すぎる。 大仏様を先に見るか? 先にコメダのクーラーの効いた店
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