にほんブログ村山・森林写真20100421『神社の入り口』
昔からこんな奇妙な物体が手厚く守られている理由って、それなりに重要だったりする。なんとなく気がついた。日中より真夜中に行ってみるとわかりやすいです。にほんブログ村山・森林写真200100420『結界』
20091028『街』
20091028『宇都宮二荒山神社』
20100328『交差点』
The ape doesn't think about love. 地獄谷野猿公苑
Vison:与えられたイメージ、記憶と思考が創り出す希望と妄想、或いは顕現した世界。否、振動でしかない生。遮断された寂静とは何がため。否、遮断にあらず。彼女は言った。「生きるため」・・・理由がわからないもののために。理由に囚われるがために、生きるのか。否、光。分離したパーソナリティは時に深刻なダメージを与える。重力に引き裂かれ一滴の水となり、離れ地に落ち、空へともどる。恐怖とは、はたして地が存在するのかということだ。大丈夫、自然を見渡す限り「地」は確かにある。自然、迷いなき証。にほんブログ村山・森林写真Theapedoesn'tthinkaboutlove.地獄谷野猿公苑
この宇宙からはどうしても逃げ切れやしない。圧倒的な生の流れは途絶えることなくやってくる。たとえここで死んだとしても次の生に満たされる。なぜ逃げる?なぜ逃げる?理由なんかないんだ。理由なんかないんだ。情緒が見せるまやかしだと知れ。思考よ奴隷になるな。圧倒的な宇宙の生は決して止んだりしない。情緒はそれを否定する。恐怖と不安を従えて。グラマー光を遮るグラマーなぜそこがグラマーとなる?闇物語は常に争いから始まる。そして最後に平和が訪れる。グラマー帰りたいあなたのもとへ。20100224『生と死』
日の出6:37気温-3.6度天気晴れにほんブログ村山・森林写真古賀志山御来光20100207(雪)
私たちがどのような動機で職業を選び、仕事をしているのか検討してみてください。そうすればそれが単に生計を立てる手段ではなく、実は羨望に基づいていることに気づかされることでしょう。そもそも社会がこのようにできているので、それは絶えざる闘争の場であり、その中で私たちは常に何かになろうとしているのです。この社会は貪欲と羨望――優越者に対するあなたの羨望――を根底としています。たとえば、ある店員がマネージャーになることを望んでいます。ということは、その人物は生活の手段として仕事をしているというだけではなく、地位や名誉を得ることに関心があるということを物語っています。こういう私たちの心のあり方から社会や人間関係の中に荒廃が生まれてくるのは自然の成り行きです。しかし、もし、「あなた」と「私」の関心事が日々の生活だけならば、羨...20102023『羨望と政治』
あるがままのものを見ようとすれど、私は今だ判断基準を情報に求めている。私は情報を手放してはたして存在することができるのか。こんな思考が生じているじたい、混乱の証。私は何を求めているのか?私が求めているものは満足なのか幸福なのか。満足とは望むものを捜し求めたその後で、満たされた充実感を味わいたい。それだけのことだ。では幸福とは何か?・・・幸福・・・『不自由や不満もなく、心が満ち足りている・こと(さま)。しあわせ。』これが幸福といわれる心的状態なのか。確かに私が今幸福でないことはわかる。もし心が満ち足りているなら何も求めることはしないだろう、まして幸福という概念など。ではどうすれば幸福・何も求めない満ち足りた状態になれるのだろ。そしてそれはいかなる手段で生涯にわたって持続させられるのだろう。こんな思考が生じるじたい...20100203『求む』
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