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戦国〜戦国時代と戦国武将の物語〜 http://sengoku1582.seesaa.net/

戦国時代に興味のある方、ごらんあれ!

 ときは戦国、幕府の権力が著しく衰退し、守護大名や自力でのし上がった戦国大名によって群雄割拠された時代であった。  大名が己の野望のため、己の理想の実現のため、約100年もの間、激しいあらそいを続けてきた。  戦国時代は我々にとって浪漫と言っても過言ではないのではないか。そんな彼らたちの物語をみなさんに知ってもらえたら、共感してもらえたらと思う。  

信長
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福井市
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福井県
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2007/11/20

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  • 直江兼続~直江状~

    「直江状」・・・! この「直江」とは直江兼続のことで、 彼は上杉家の家臣であった。 彼は景勝の軍師で、大変重宝されており、 秀吉からの直臣の誘いも断っている。 上杉家に「義」を尽くしていたのだ。 (このときの上杉家の主君、上杉景勝は 豊臣氏五大老の一人に列せられている。 徳川家康も同じく五大老の一人。) 関が原前…

  • 成り上がりの戦国大名、斉藤道三

    「美濃の蝮」とも呼ばれた成り上がりの戦国大名、斉藤道三。彼は下克上によって戦国大名までなりがった。 幼少のころ京都妙覚寺で得度を受け、法蓮房の名で僧侶となった。そののち油商人をなり、山崎屋を称していたが、油売りの行商をしていた際に、日運という僧侶時代の知人と出会い、その縁故で美濃守護土岐氏小守護代の長井長弘が家臣となることに成功した。 道三はその武芸を…

  • 戦国の風雲児、織田信長(第3号)

    桶狭間で「海道一の弓取り」「天下へもっとも近い戦国大名」と称された今川義元も、あっけなく戦国の風雲児・織田信長の前に倒れた。 「義元死す」に全国の諸大名驚愕したことだろう。それほど信長の登場は鮮烈だった。 この後、信長は1562年、家康と清洲同盟を結び、東への憂いを防ぐ。 そして信長の次なる目標は美濃の奪取。織田…

  • 忍耐の戦国武将、徳川家康(第2<br />号)<br />

    1562年、今川家から独立し、ようやく戦国大名として歩み始めた家康は義元のあとを継いだ今川氏真と断交し、織田信長と手を結んだ(清洲同盟。) その翌年には今川義元から一字とった「元康」という名前から「家康」と名を改める。今川家からの完全なる決別をしたのだ。 その後に三河一向一揆が起こる。浄土真宗に帰依している家臣の一部でさえもこの一揆に…

  • 戦国最強の武将、上杉謙信(第2号)

    関東管領・上杉憲政は北条氏康に敗れて越後に逃れ、景虎に上杉の家督と関東管領職の譲渡を申し入れていた。 景虎は関東管領職に就くべく、足利義輝に拝謁し、関東管領就任を正式に許された。このとき幕府を重んじる景虎としては恐悦至極であっただろう。 景虎は大義名分を得たため関東へ出陣する。多くの諸大名が景虎に味方し、その数およそ10万をいう大軍に…

  • mixiの足跡ツール

    mixiの足跡を自動でつけれるツールがあります☆これは大変便利ですね!みなさんを活用されたらどうですか? http://mixijidouasiato.web.fc2.com/

  • 戦国最強の軍団を率いた甲斐の虎・武田信玄

    1553年、村上義清の要請を受けた戦国無敗の武将・長尾景虎(上杉謙信)が5千の軍勢を率いて信濃川中島に進出してくる(第1次川中島の戦い)。しかし晴信も景虎も軍を積極的に動かすことなく、両軍ともにわずか一月ほどで撤退した。 1554年、長尾景虎に対抗するため、晴信は長男の義信の正室に今川義元の娘を迎え、また娘を北条氏康の嫡男・北条氏政に嫁がせて、後北条氏とも同盟を結んだ。今川…

  • 戦国最強の武将、上杉謙信(第1号)

    戦国最強とまで謳われた上杉謙信。軍神である「毘沙門天」を旗印に掲げていたことはあまりにも有名だろう。その強さゆえ「越後の龍」まで呼ばれた。 幼いころ長尾景虎(のちの上杉謙信)は父・為景と仲が悪かったらしく、避けられるようて寺に入れられた。 しかし、家督を継いだ兄・晴景は病弱であったため、1548年、19歳にして家督を継いだ。 1551年、北条氏康に…

  • 戦国最強の軍団を率いた甲斐の虎・武田信玄(第1号)

    戦国の随一の大名、武田晴信(のちの信玄)は1521年、武田信虎の嫡男として戦国の世に生を受けた。 1525年、弟の武田信繁が生まれると、父・信虎は信繁をかわいがるようになり、次第に晴信を疎んじるようになった。 そのため1541年、晴信は宿老である板垣信方や甘利虎泰、飯富虎昌らとともに父・信虎を追放し、武田家を相続する。その理由は信虎の政治があまりにも過…

  • 忍耐の戦国武将、徳川家康(第1号)

    ご存知の通り、堪えに堪えて天下をものにした戦国武将、徳川家康。そんな彼をこう評価する詩がある。 「織田がつき羽柴がこねた天下もち 座りしままに食らう徳川」 彼は幼少のころから忍耐をせねばならない生活を強いられた。 徳川家康はもとは松平、三河に根付いていた小大名であった。徳川という苗字はのちにつけてものである。 父、広忠は尾張の

  • 戦国の風雲児、織田信長(第2号)

    念願の尾張統一を果たし一息ついたと思いきや、戦国の風雲児・信長に人生最大の危機が訪れる。 今川義元の上洛である。 足利将軍家の庶流であり、「海道一の弓とり」とまで称され、三河・遠江・駿河の三国を領する今川義元が上洛のため、尾張に侵攻するのであった。その大軍は2万とも4万ともいわれている。 それに対して織田軍の総兵力はわずか5千。今…

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