「セルフポートレート」 あっという間の1週間でした。 Roonee 247 Fine Arts ギャラリーの展示は終了。 想像以上に多くの来場者でびっくりしました。 宮里英克さんとのギャラ
写真展もいよいよ今日が最終日。写真集購入希望の方への対応も考えました。
「今日が見納め」 想像以上にたくさんの方が来場されています。 本当に感謝です。 コロナもあって迷いましたが、 本土復帰50年の節目でしたので開催して良かった。 また、「写真集が欲
「みんなでパチリ」 沖縄の唄者、宮里秀克さんをゲストに迎えて ギャラリートーク終了後に記念撮影をしました。 一番で会場にいらした方は鎌倉から来たご夫婦でした。 感謝です。 仕事で
「写真展ポストカード」写真集から抜粋した20点余りのデジタルプリントをギャラリーのウォールに並べて準備は完了です。ギャラリーのオーナー、スタッフみんなで作業するとあっという間に空間は沖縄に。「黙々と作業中」今回の写真は場所が重要なので、キャ
自主制作版の写真集「琉球古道」が完成し届いた。8/30日の写真展に間に合った。
「写真集・琉球古道」 琉球古道って何?と思われる方もいるだろう。 地図上に載っている道ではない。 私が琉球王朝時代の遺跡や史跡を巡り歩き、 撮影して行った道のこと。 撮影テーマを分かりやすく
写真展「琉球古道」日本橋小伝馬町のRoo nee 247 Fine artsで開催
「写真展フライヤー」 琉球古道は2010年、那覇市リュウボウホールでの写真展以来になるのかな。 数年前に熊谷聖司さんとコラボした8×10ポラロイド写真集&写真展をやりましたが、 ここのところ
多くの方からツアーをやって欲しいとお願いされていましたが、ナゴラブ、ジャパン・エンターテインメント・ツアーズなどの協力で超マニアックな沖縄名護・琉球の旅が開催されることになりました。 名護湾の浜辺で地元の若者たちと「毛
ハイサイ!ウチナータイム! 5月号「沖縄ビーチ巡礼」第二回になります。
「表紙は下地イサムさんと新良幸人さん」 「琉球古道を歩く」の連載をちょっとお休みして 沖縄のビーチ紹介を初めて第二回目になりました。 沖縄の有人島や無人島のビーチを探し歩いてきた体験から 沖縄で本当に
ハイサイ! ウチナータイム! 12月号の「琉球古道を歩く」は西表島を紹介しています。
「表紙はやなわらばー」 もう30年以上経ってしまったが、 西表島で出会った「西表島のターザン」こと 砂川恵勇オジィについて書いています。
ハイサイ! ウチナータイム! 11月号の「琉球古道を歩く」は竹富島を歩いています。
「11月号の表紙はシーサー玉城さん」 「琉球古道を歩く」は八重山の竹富島を歩いています。 自然豊かな島を守れているのにはあるキーワードがありました。 とはいえ美しい海に気を取られリゾート気分のレポー
ウチナータイム! 10月号の琉球古道を歩くは「久高島」です。
「BEGINの表紙は2回目」 「琉球古道を歩く」の連載も2年になり 沖縄本島から周辺の島々 そして八重山諸島などの離島へと続いていきます。 今月は聖地、久高島をそっと歩いています。&nbs
最後の一枚、琉球古道web写真展 50枚目は「45年前の本部町の光景」です。
「45年前の本部町の光景」 web写真展は今日が最後の一枚になりました。 二ヶ月半に渡り1日一枚ずつ 月〜金にかけてブログにアップしてとうとう最後の50枚目です。 ということ
琉球古道web写真展 49枚目は浜比嘉島「浜の東御嶽(シヌグ堂)」です。
「浜の東御嶽(シヌグ堂)」 海中道路を渡り始めると 右手に島が見える。 それが浜比嘉島です。 シルミチューの墓や住居跡があり 各地から信仰者が参拝に来る信
琉球古道web写真展 48枚目は名護市久志の「久志若按司お位牌安置所」です。
「久志若按司お位牌安置所」 久志若按司と言ってもなんのことやらわかりませんでした。 同行してくれた知人の説明だと 組踊に久志の若按司という題目があり 主君の仇討ちを成功させた物語として人気
琉球古道web写真展 47枚目は本部町瀬底島「瀬底土帝君」です。
「土帝君近くに咲いていた枯花」 綺麗なビーチが人気になっている瀬底島にも 琉球王国時代の遺跡が残っていました。 それが「瀬底土帝君」です。 セソコトーティークンと読みます。&n
いよいよラストウィーク! 琉球古道web写真展46枚目は糸満市大里「南山グスク趾」です。
「南山グスク趾」 7月から三ヶ月にわたり、 毎週月曜〜金曜にかけて一枚ずつ写真をアップする 琉球古道web写真展を続けてきましたが、 いよいよ今週が最後になりました。&nbs
琉球古道web写真展 45枚目は恩納村山田の「護佐丸父祖の墓」です。
「護佐丸祖の墓」 58号線沿いにある「恩納の駅」から 那覇に向かってドライブしていくと 約二キロ、五分ほどで山田グスク趾の標識が左手に現れます。 歴史の道とも表記されているので車から降りて
琉球古道web写真展44枚目は南城市南風原の「食栄森御嶽」です。
「食栄森御嶽」 初めてこの漢字を見たときに なんと読んでいいのか解りませんでした。 「いいむいうたき」と読むのだそうです。 沖縄には読めない漢字表記が多々あります。
琉球古道web写真展43枚目は今帰仁村運天の「源為朝公上陸地点?」です。
「源為朝公上陸地点?」 沖縄・今帰仁村に不思議な伝説があります。 源為朝が運天港に上陸したのち 妻子を残して伊豆に旅立ち その子がのちの舜天王になったという話があるのです。 真偽
琉球古道web写真展42枚目は国頭村「ヤンバルの森の家」です。
「ヤンバルの森の家」 沖縄本島の自然を代表するエリア と言ったら誰しもヤンバルを思い描くに違いないでしょう。 手付かずの広大な自然林に 県や国の天然記念物に指定されている数多く
琉球古道web写真展41枚目は勝連グスク「一の曲輪城門から見た朝焼け」です。
「一の曲輪城門から見た朝焼け」 勝連グスクの一の曲輪城門から 朝日が登るところから夕日が沈むところまで見える、 と以前書いていましたが、 金武湾に広がる朝焼けの写真がこれです。
「浜川御嶽」 ご存知の方も多いとも思いますが、 南城市は琉球王朝以前は政治、経済の中心だったことから 数多くの遺跡や史跡があります。 その中の一つが浜川御嶽です。 こ
「伊波グスク跡へ」 伊波グスク跡に行くには うるま市を走る国道329号線の伊波交差点を目印にすると良いのですが、 しかしながら到着して迎えてくれたのは 写真の鳥居と崩れた城壁、
琉球古道web写真展38枚目は南城市「仲村渠樋川の石畳」です。
「仲村渠樋川の石畳」 先日も樋川の話をしましたが、 仲村渠樋川も昔から集落の共同用水として大切にされてきました。 当時は木製の桶が置かれた粗末な湧水地だったらしいのですが、 ある日、石工た
「百按司墓」 今帰仁村の運天港近くにある崖の一角に この珊瑚石灰岩で囲まれた「墓」はありました。 同行者の説明によると 子供の頃ここに遊びに来ると まだ中に骨がたくさ
琉球古道web写真展36枚目は金武町屋嘉の「ヨリブサノ御嶽」です。
「ヨリブサノ御嶽」 この御嶽には赤瓦の拝所が設けられているので、 写真はそれを掲載した方が伝わりやすいかもしれない。 しかし鳥居をくぐって坂道を登っていくと&
「継世門の城壁」 昨年の首里城焼失には大きな衝撃がありました。 幸いなことに多くの方から心を寄せていただき 寄付金も集まって再建もスムーズに行きそうです。 首里城には各方向にいろいろな門が
琉球古道web写真展34枚目は名護市の「辺野古御嶽の拝所」です。
「辺野古御嶽の拝所」 海の埋め立て問題で係争中の辺野古にも 御嶽がありました。 辺野古の一里塚を目指していて 近くにこんもりとした小さな森が見えたので なんだろうと聞いてみたら&
琉球古道web写真展33枚目は本部町「伊野波の石くびり」です。
「伊野波の石くびり道」 初めて本部町に行った時 「石くびり」の看板を見て何か恐ろしい場所と勘違いしてしまった。 「石くびり」と「首くくり」が似ていたからです。 後日、細くて曲が
琉球古道web写真展32枚目は糸満市「阿波根グスク跡」です。
「阿波根グスク跡の石垣」 糸満市の阿波根交差点近くにあるグスクです。 拝所と石垣の一部が残されていました。 畑の中のこんもりとした森の中にありました。 ほとんどの人には知られていないグスク
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