水井

10tトラックはやはり城とは違うな。最近そう思うようになってきた。この仕事を始めたばかりの頃はあまりに大きなこの車をまるで城のようだと思っていた。運転席はさしずめ天守閣だと。元来、俺は人と接するのが苦手だった。対人恐怖症とか、そういう類ではなく純

田中さんの目

田中さんの人生はつまらなかった。けど、悪くはなかった。ずいぶん後になってやっとそう思えた。戦争孤児の田中さん。園長先生以外の親の顔はもう燃えてしまった。よって物心付いたときには世界にただ一人の田中さんとして生きることができた。戦後の孤児院はそ

モア

気付いたときには物乞いをしていた。モアは吃音という障害を持っていて、長い言葉を発する際、必ずといっていいほど、つっかえてしまうのだ。緊張しているときほどそれはよく顕われた。物乞いといってもいくつか種類がある。グループを作り、組織的に動くもの、単

ある魚

私の場合、生まれつき魚としては生きられないことが決まっていたようだ。人間の人生ばかり送っていたら、急に魚になっていた。それも奇形の。奇形というのも、左側のエラが潰れているのだ。海水を取り入れるのは専ら右のエラから。どうしても左回りで泳がないと

吉川

吉川は孤独だった。元来自分の容姿は大きなコンプレックスだったが、35年という年月は今の孤独の原因がそれだけではないことをすでに気付かせていた。同年代の友達は皆知り合いに成り下がって久しく、話相手といえば専ら、とあるアイドルグループの掲示板位である。

ジェシー

気が付いた頃には人生を何度も繰り返していた。生まれ変わりとも少し違う。予期せぬところで急に全く別の人生にチャンネルが変わってしまうような、そんな感じ。割とはっきり憶えている、といった意味で最初の記憶と言えるであろうものは、ある黒人の少年の人生だ。