このところずっと集中してエッセイ本を執筆していた。ボツワナで敬愛するベッシー・ヘッドのお墓参りをしてから一年になるが、ボツワナのセロウェでのアーカイブ調査と、出会った人々の話など、ボツワナとジンバブエ旅全般についてのエッセイ本だ。既刊の『雨風の村で手紙を
南アフリカ作家ベッシー・ヘッド研究/Rupurara Moonアフリカンビーズ&クラフト/開発コンサル/ベリーダンサーAmelia
『あふりかくじらの自由時間』 https://africanwhale.wixsite.com/africanwhale ショップ「Rupurara Moonアフリカン・ビーズ&クラフト」 http://rupurara-moon.com ベリーダンサーAmelia https://www.facebook.com/ameliaorientaldance/
2021年は、翻訳出版をしたいと20年来奔走している作家ベッシー・ヘッド作品の、実に何度目かの(本当に)翻訳全文やり直しをしていました。まだ、ようやく半分が見えてきたというところで、どうも今日中に終わらせるというのは不可能なのですが、今後少しギアをあげてやって
いかがお過ごしでしょう。今日でコンサル仕事は一応の仕事納めですが、年明けの締め切りと新しい案件の準備でお休みというわけにはいかないお休みです。(?)実は、以前のこの記事に書いた件なのですが…一度は回復した腰の痛みなのですが、実は今週月曜日に急激にひどくな
マザーハウスさんの初期からの長いファンとして、若干の今さら感はあるのですが、ようやくこの「ヨゾラ」を入手いたしました。12月がお誕生日というのもあって、新しい出張用バッグとして。数年前から人気が高いこのバッグを、実はこれまであまり買う予定はなかったのです。
土曜日に、久しぶりの浜松町マンディールのショーがありました。(ショーなどに関して詳しくは、Amelia Oriental DanceのFacebookページにて)満員御礼で、久しぶりの仲間や色んな方が見に来てくださるなど、とても印象的な夜でした。踊ることができるって幸せですね。感謝で
仕事であるイスラム教の国に関する資料を読んでいて、思い出したことがある。数年前、ある中東の国からの研修生を日本に迎え、プラント視察に同行したことがあった。ODAの仕事では、途上国からの研修生を受け入れ、講義や関連施設の視察などをすることがあるのだが、これにコ
個人史によって、歴史は作られる (渋谷「ロス・バルバドス」にてアフリカごはん)
土曜日、渋谷のアフリカ料理店「ロス・バルバドス」にて、昔からお世話になっている皆様とお食事をした。アフリカ研究界隈の人なら誰もが知っているアフリカ研究の大御所であるY先生とK先生、そして十数年前のTICAD市民社会フォーラムというNGOでご一緒して以来のつながりの
先月末、両親とともに仙台の祖母に会いに行き、そのあたりから昔のことを思い出して丁寧に書きとめたくなったのか、何となく新しいインクが欲しくなってしまった。もともとジャーナリングをするので、インクもペンもノートも大好きなのだが、「インク沼」とはよく言ったもの
最近しばらく顔を出していなかった馴染みのカフェに、朝からずっと行きたい気がしていたので、昨日は太陽の光が夜に滲んで溶け切る直前の時分に訪ねた。他のお客さんもいなくなってから閉店まで、いつもの二人の店主と他愛もない会話をする静かな時間なのだ。オープンして二
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このところずっと集中してエッセイ本を執筆していた。ボツワナで敬愛するベッシー・ヘッドのお墓参りをしてから一年になるが、ボツワナのセロウェでのアーカイブ調査と、出会った人々の話など、ボツワナとジンバブエ旅全般についてのエッセイ本だ。既刊の『雨風の村で手紙を
今年もこの日がきました。敬愛する南アフリカ/ボツワナの作家ベッシー・ヘッドの命日です。1986年4月17日ボツワナのセロウェにて48歳で亡くなりました。南アフリカで白人の母親と黒人の父親のあいだに生まれ、孤児のように育ち、アパルトヘイト時代に出国許可証を持ってボツ
昨年末、婦人科系の治療経験者(子宮筋腫、卵巣嚢腫等)のアンケートご回答と、わたし自身の治療・手術経験をお伝えしておりました通りKindleにまとめ、ようやく公開いたしました!より良く生きるために決めました: わたしたちの子宮と卵巣の治療ストーリー (雨雲出版)横山
ずいぶんリアルな夢を見た。昨年まで7年ほど勤めていた開発コンサル会社の同僚に単発の仕事を頼まれる。ブラジルで2週間ばかり研修アテンドの仕事を手伝ってくれないか。スケジュールとカリキュラムはこれこれこうだ、云々。その仕事は実際に過去の様々な案件でやってきたも
■雨雲出版をスタートしました~「雨雲」の由来2023年 雨雲出版 という出版レーベルをスタートいたしました。雨雲という名前は、わたしがライフワークとしている作家ベッシー・ヘッド(Bessie Head 1937-1986 南アフリカ/ボツワナ)が大切にした言葉から拝借しました。北部
南アフリカ生まれでボツワナに亡命した作家ベッシー・ヘッドというひとを知ってから四半世紀以上。彼女の長編小説の一冊を日本語に翻訳して出版したいと具体的に考え始めたのは、それから少し後だったかもしれない。2004年には、ある翻訳スクールで文芸翻訳基礎コースを受け
引っ越し荷物も片付かないままに、雨雲出版の二度目のイベント出店を終えた。一度目は昨年末の文学フリマ、今回はZINEフェス埼玉というZINEを売るひとたちが集まるイベントだ。ZINEフェス自体は複数個所で行われているそうだが、そのうち浦和で2月3日に行われた回に初参加し
現代人は一生のうちでどれくらい引っ越しをするのだろう。少ないひとはゼロかもしれない。多いひとは、数か月に一度、なんていうひともいる。もっとも多い「引っ越し」をする部類の人々は、伝統的には季節移動生活をしている遊牧民だろう。昨今では、そのような遊牧民の伝統
病院に図書館があるのをご存知だろうか。その多くは図書館とは呼べない小学校の図書室のような小さなものと思われるが、案外少なくない数の病院に入院患者や通院患者向けに本を集めた部屋があるのを、昨年初めて知った。昨年11月中旬に、手術のため一週間ほど入院した。都心
大きな仕事を成し遂げるひとは偉大だ。例えば、800ページにもなるような大作を書き上げること。ボリューミーでかつ内容の素晴らしい本を書ける作家は、類い稀な才能に恵まれている。多くのひとはそう思うだろう。わたしもそう思っていた。きっと、とびぬけた才能を持ち合わせ
昔からインテリアは好きで、いつも洗練された雑誌やインスタ、ブログなどを眺めてはワクワクしている。ひとり暮らしをはじめたのは大学のころ。小さなアパートだったし経済的な余裕もないので、憧れるような家具を買うことはできなかったが、小物だけは好きなものを集めてい
子どものころ、父は使い込んだ自分の辞書をよく自慢げに見せてくれた。小さな英和辞書だったが、ページは開いてすっかり分厚く柔らかくなり、小口部分には手垢がくっきりと黒い帯のようになっている。父は仕事で英語を使っていたので、日ごろからよく勉強をしていた。小学校
昨年末から、いつもの喫茶店や雑貨店などでちらほら見かけるようになった。2024年の干支、辰のモチーフを。そして、はっと気づいた。そうわたしは辰年生まれなのだ。つまり、年末にはいよいよ作家ベッシー・ヘッドが亡くなった年齢に追いつくということだ。(作家ベッシー・
心の奥深くにいつもひっそりと生きている本がある。何度でも読み返し、そっとカバンに忍ばせ、ふとした瞬間にその本の言葉を思い出す。長い年月のあいだ、ずっと一緒に生きているような本。わたしにとってその一冊とは間違いなくJ.ノジポ・マライレ氏著の『ゼンゼレへの手紙
子どものころ、JALの訓練所を見学させてもらったことがある。パイロットが訓練するフライトシミュレーターでコクピットに座ったのだ。また、機体と機内を再現してある訓練施設では、サービスだけでなく緊急時の対応や緊急脱出の訓練ができるようになっている。脱出用のスライ
手術からもう少しでひと月を迎える。日常生活ではほとんど支障がないが、体が戻るにはあと数ヶ月かかりそう。アイディアだけが先走って、マインドも体もついてこない日々が続いているので、すべてがスローペースで、まぁ申し訳ない気持ちもありつつゆっくり過ごすことにして
無事に退院して一週間以上経ちまして、体力は少しずつ回復に向かっているところでございます。遅ればせながら、11月11日(土)は「雨雲出版」としての初のイベント文学フリマ東京37でございました。まだレポ書いておりませんでした。急いで本を2冊とフリーでお渡しするサンプ
文学フリマに「雨雲出版」として初出店いたしました。お買い上げくださった皆さま、温かくご支援くださった皆さま、心より感謝申し上げます。また、翌日に高円寺Punditにて開催されました「軽出版」のイベントにもご参加くださった皆さま、ありがとうございます。(こちらの
編集者・文筆家の 中俣暁生 様が編集・発行されている「マガジン航」に寄稿させていただきました。自己紹介的な内容で、「なぜ出版するのか」について思うことを書かせていただきました。単に本が好きでベッシー・ヘッドをライフワークとしながら、国際協力の世界で開発コン
雨雲出版という出版レーベルを立ち上げることにいたしました。来年2024年には、作家ベッシー・ヘッドの小説When Rain Clouds Gatherの日本語訳(『雨雲のあつまるとき』(仮))を出したいと考えています。それに向けて多くのプロフェショナルな方が力を貸してくださり、少し
4月17日の命日にベッシーのお墓参りとお家突撃を決行した次の日。夕方にミュージアムから戻るとベッシーの古い友人トム・ホルツィンガーが来てくれました。なんと、ハワード・ヘッドの息子アーロン・ヘッドも一緒でした。つまりベッシーの孫です。ベッシーは1986年に亡くなっ
前記事の続き4月17日の命日にお墓参りをして、そのあとセロウェの中心地から少し離れたところにあるベッシー・ヘッドの暮らした家に行った。1969年にベッシーが建てた家で、1986年に彼女が亡くなった後は息子のハワード・ヘッドが暮らしていた。そのハワードも2010年に若く
1986年4月17日はベッシー・ヘッドがセロウェの病院に運ばれてそのまま亡くなった日だ。48歳だった。その日から37年になる。どうしてもボツワナに行きたいと願って、諸々の出来事を経てからようやく16年ぶりのボツワナ行きが実現し、4月17日にセロウェにいる。これはまったく
今回のボツワナ訪問でどうしても会いたかった人がもうひとりいる。ベッシー・ヘッドの親しい友人トム・ホルツィンガーだ。1960年代の終わりにボツワナにやってきた彼は、ベッシーよりも十歳ほど年若だが、彼女のとても近い存在だった。ベッシー・ヘッド研究者やファンで彼を
ボツワナにわざわざやってきたもっとも重要な目的のひとつが、セロウェのカーマ三世メモリアルミュージアムに保管されているベッシー・ヘッドのアーカイブの調査を行うことだ。貴重な資料がここに保管されている。この場所は、大学生のときの1998年、そしてベッシー・ヘッド
必要になったら使うための国際免許を持参しているものの、特にレンタカーは借りていない。なのでセロウェへの移動もバスだ。南部に位置する首都ハボロネから幹線道路を北へ約300キロのところにある。セロウェは伝統的首長のカーマの一族の拠点であり、田舎町ではあるがそれな
ハボロネには予定より少し長く4泊ほど滞在した。ボツワナ在住のベッシー・ヘッド研究者メアリと彼女の夫氏ブルースは二人とも大学で教えてきたアカデミックなひとで、とくにブルースは一度話し出したら止まらないほど博識で、まるでこちらが大学の授業を受けているかのようだ
実は、ボツワナに来て会いたいひとはベッシー・ヘッド関係者だけでなくもうお一方いらっしゃった。少し前にその方が偶然にもハボロネにおられるのを知ったので、連絡を取っていた。十数年前にお仕事でお世話になった方でその後長い間お会いする機会もなかったのだが、このボ
明け方4時ごろの雷雨で目が覚めた。ボツワナは雨季の終わりか、夕べから分厚い雨雲に覆われている。昼過ぎに到着したとき、ボツワナは晴れていてまぶしかった。アフリカの空気は5年ぶりくらい。ボツワナは16年ぶりだ。ベッシー・ヘッド研究者のメアリが迎えに来てくれて、久
ただいま久しぶりの成田空港です。これから、ボツワナに向かいます。2007年にベッシー・ヘッド・フェストの開催で訪れて以来、約16年ぶりになります。あのときはジンバブエの仕事の休みを取っていったので日数も限られていました。現地で予定しているのは、セロウェのカーマ
数日前にとうとう新しい子を導入しました。DJI Pocket2さん。2021年ごろにこれを購入するかどうか迷って、結局insta 360go2を導入したのだけれど、結局その子と併用するかたちで役立てたくこのたび入手いたしました。3が出ようが出まいが関係ないわねここしばらく動画づくり
作家ベッシー・ヘッド(南アフリカ出身/ボツワナに亡命)の長編小説を出版したく出版社を探し続けております。が、再び一社がNGになりました。その会社は、今まででいちばん熱心な編集者の方々が深いところまで検討くださったところで、心からありがたいなと思っておりまし
数年前からささやかながらYouTube動画をアップするようになった。いちばん最初は単に仲間内でリハ動画などをシェアするためにしか使っていなかったのだが、やがて少しずつ旅動画をあげるようになったのが十年前くらいか。でも、動画作りにハマったのはここ数年だ。物音、空気
5年日記をつけている。2020年の正月から始めたので、2023年は4週目に突入しているところ。この5年日記には、ふだんのジャーナリングとは異なり、基本的には極力シンプルにその日の出来事を書くことにしている。一日あたり5行程度なので、多くを書くこともできないし、むしろ5
音声配信『雨雲ラジオ』をはじめて60回を超えましたようやく設定をいたしましたので、以下のアプリでも聞くことができます。使いやすいアプリでお聞きいただけたら嬉しいです。喋るのは苦手だと昔から思い込んでいたけれど、いつも「熱弁スイッチ」が入ったらずっと喋り続け
大事にしまい込みすぎて長年行方不明だった昔の写真を先日ようやく発掘した。フィルムの写真で、ネガはもうどこだかわからないけれど、とりあえずプリントされている現存の写真をスマホアプリでスキャンしてみた。25年もほったらかしていました。当時はたくさんフィルムを持
わたしの手元には、ベッシー・ヘッドのアーカイブ資料が山ほどある。その多くは、1998年大学4年生のころにボツワナのセロウェ村のカーマ・メモリアルミュージアムで入手してきたものだ。内容としては、■ベッシー・ヘッドの書簡(ベッシーが実に多くの人に送ったものと受け取
子どもの頃から、何度も引っ越してきた。小学校は3つ、中学校は2つ。小6から中2まではアラスカ州アンカレジだ。そんな引っ越しの多い生活の中で、減らしていったものもあるのだけれど、全然減らしていないんじゃない?というものも実はたくさんある。以前、書類や本の山につ
わたしにはいわゆる「生まれ育った」故郷というものがない。その分、土地に対する感覚は敏感なのではないかなといつもこっそり思っている。わたしが14歳の頃、アメリカはアラスカ州アンカレジから帰国して家族で引っ越してきたのがこの浦安市だった。以来、家は移っているの
今、一冊の本にまとめるために文章を書いている。南アフリカとの関わりの中で、曽祖父についての記述があるのだが、その件についてわたしが持っている情報は非常に限られている。わたしの母方の曽祖父は明治生まれ。銀行員から繊維関係の貿易業を手掛けるなどビジネスマンで