いつも仲良くしたいるお友達で、私よりも4歳年上の人がいる。彼女とは、会っているときも、お互い子どもの話には触れたことがなかった。毎年家族ぐるみで一緒に旅行をしていて、その計画をたて始めるころに私の妊娠がわかり、やむなく彼女には不妊治療で妊娠
一週間がアッという間に過ぎた。最後の日は、夫に迎えに来てもらって甥っこと外で食事をした。育ち盛りの男の子だからビックリするほどよく食べる。夫と私が頼んだものも少し食べてみたいと言い出し、全部平らげた。ポロボロとこぼすし、目が離せ
実家で甥っことの生活が始まった。子育ての経験がない私には、わからないことがいっぱいあった。義妹の入院前に、一週間のスケジュールや食べ物の好き嫌い、アレルギーの有無、かかりつけの病院などを聞いておいた。一緒に生活をすると、たまに会っただけでは
弟夫婦に二人目の子供が生まれた。一人目の時は、連絡をもらっても会いに行けなかった。新生児室で眠っている赤ちゃんたちと、ガラス越しに見ている私たちを想像するだけで涙が溢れた。でも、今回初めて病院へ行ってみると、私が想像していたのとは全く違った
両親と弟一家が新居に遊びにきた。帰りがけ、車に乗り込んだ義妹が、言いにくそうに「じつは二人目が出来たんです」と言ってきた。おめでたい事なのに、ずっと言い出せずにいたんだと思うとかわいそうになった。2月末には出産だという。一人目の妊娠を弟から
近所の子供たちに接する機会が多くなってきたけど、治療中のときのような複雑な気持にはならなくなった。この街は子供が多く、いつも家の周りでは遊ぶ声が聞こえてくる。街全体が妊娠・出産ラッシュかのような勢いで、7軒あるうちの並びだけでも、今年4人の
無事に引越しも済んで、少しずつ新しい街にも慣れてきた。念願の子犬もお迎えして、忙しいけど楽しい毎日を送っている。前に住んでいた所では、ご近所さんとは挨拶をする程度だったのに、こちらでは犬を通して色んな人と話をするようになった。近所に住む子供
秋のテニス教室が終わってからも、毎週集まってママさん達とテニスの練習をしていた。せっかく仲良くなれたのに・・・と思うと残念だけど、引越しをするのでやめることになった。お隣さんには引越しの挨拶をしに行った。「子供たちがやっと手が離れたから、こ
引越しの日が近づいてきたのに、まだM美にも知らせていなかった。会うのを先延ばしにしているうちに赤ちゃんは1歳になり、久しぶりに会うM美はもうすっかり「ママ」になっていた。この街に住んでいる間のほとんどを不妊治療に費やし、私にとっては、つらく
忘年会のとき、妊娠中だった友達が出産した。時々、携帯に赤ちゃんの写真が送られてくる。以前なら、無神経だと思って頭に来たと思うけど、今は何とも思わなくなった。JUGEMテーマ:日記・一般
以前、夫に「もし子供ができなかったら犬の飼える所に引っ越しする?」と聞かれたことがあった。マンションのローンも残っているから、子供ができなくても私が落ち込まないように、その後の生活にも希望がもてるようにと夫が言ってくれているだけなのだと思っ
春に出産予定だったM美からの報告はとうとう来なかった。年賀状で妊娠を知らせてくれた頃は、私も治療をやめたばかりだったから複雑な思いだったけど、それでも、知らせてくれて嬉しかった。でも、たまたま年賀状の時期に妊娠中だったから知らせてくれただけ
先日、仲間との忘年会に出席した。いつも、誰かしら妊娠・出産の報告があるから、治療を始めてからは行かなくなっていた。たぶん6〜7年ぶりぐらいになる。一緒に遊んでいた頃に比べると、結婚したり子供ができたりして環境が変わった人が多いけど、久しぶり
先月から近所でテニスを習い始めた。平日の昼間だからなんとなく予想はしていたけど、ママばかりだった。必ず聞かれるのは「お子さんは?」ではなくて、「お子さんは幼稚園?小学校?」とか「どこの学区?」「どこの幼稚園?」とか。子供がいるかいないかでは
Kさん夫妻からキャンプに誘われた。その数日前、「S岡さんも来るんだって。もう二人目らしいよ」「ふ〜ん」というやりとりが夫とあった。今までだったら、突然子供が来ることになって動揺したかもしれない。赤ちゃんだったらどうしよう、平静でいられるか自
我が家に新しい家族が増えた。と言っても、私たちの赤ちゃんではなく、うさぎの赤ちゃん。去年まであれだけ治療中心だったのが、今ではうさぎ中心の生活になった。子供のいる夫婦の会話が子供の事ばかりになるように、私達の会話も変わってきた。毎日ごはんを
20代前半のころ、私は家で仕事をするのが夢だった。当時はまだパソコンは普及していなくて、在宅ワークといえばワープロが多かったと思う。いつかはと思っているうちに数十年がたち、最近、パソコンとソフトを買い換えて、やっと私も家で仕事ができる環境に
「来月はあそこのペンションに泊まって釣りに行こうか」と夫に言われて、ずっと楽しみにしていた。お料理もおいしく、オーナーに釣りのガイドをしてもらったりして、私たちのお気に入りのペンションだった。でも、旅行の日が近づくにつれて、時々気持ちが塞ぐ
毎日ドキドキしながら待った4月が過ぎ、5月になってもM美からの出産報告はこなかった。盲腸で入院したときも、風邪をこじらせて入院したときも、怪我をして入院したときも、お父様が倒れたときも、亡くなったときも、すぐに知らせてくれた。でも、とうとう
M美の家の近くにあるスーパーへ行く途中で、M美が歩いているのを見た。私はM美に見つからないように距離をおいていた。なぜか浴衣を着て歩いていて、なんとなく様子がおかしかった。今月、M美は出産予定のはず。病院から抜け出してきたのかな。M美が携帯
友達からミクシィに招待されて、実家の犬の写真を載せようと、昔の写真をひっぱりだした。学生の頃はマメにアルバムに貼っていたげど、社会人になってからは無造作に空き箱に詰め込んであるだけだった。しばらく見てない箱のなかから懐かしい写真がいっぱい出
M美の出産が近づくにつれ、M美の家の近くには行かなくなっていたけど、今日はどうしても用があって出かけた。どこかでM美に会うんじゃないかと思うとドキドキした。こんなに近くに住んでるのだから、お祝いを送るわけにはいかないだろうなと思うと最近は気
お正月明けに会ったとき、K君は私のことを「ひなねーちゃん!」と呼ぶようになっていた。本当は伯母ちゃんなんだけどな・・・。でも、こんなふうに呼ばれるようになると、ますますかわいいなーと思う。その日はとても懐いてくれて、一緒にテレビゲームをして
少し遅い年始の挨拶に、私の実家へ行った。私たちはまだ、結婚して一度も私の祖父母のお墓参りをしたことがない。だから今日、両親と一緒にお墓参りに行くことした。思っていたとおり、車内では私たちのお墓の話になった。「お前たちも、うちと同じところに墓
M美の言葉が頭から離れず、今だに「おめでとう」の一言すら言えずにいた。友達として薄情だとはわかっていても連絡するのがこわかった。ひなはまだ妊娠していないの?と思われるのもイヤだったし、哀れまれるのはもっとイヤだった。私の知らない妊娠生活の話
今年のお正月は、結婚して初めて、近所の神社に夫と初詣に出かけた。帰りに新しくできたショッピングセンターまで足を伸ばし、甥っ子へのプレゼントに靴を買った。毎日の通勤以外はほとんど車で移動する夫は、近所の散歩が新鮮だったらしく、それからは時間が
年賀状を受け取ってから、M美の言葉がずっと頭から離れなかった。朝、目が覚めてベッドの中でまっさきに頭に浮かぶのも「今年、出産予定です」というM美の言葉だった。一日中その言葉が私の頭の中を離れず、気持が沈んだ。私が体外受精を受けるかもしれない
マンションの集合ポストに年賀状を取りに行った。家の玄関をあける前にその中の一枚が目に入り、その場でボーゼンと立ち尽くした。「今年、出産予定です」差出人を見なくてもすぐに誰からかわかった。M美からだった。家の中に入り、「M美、今年出産なんだっ
途中でお休みしたこともあったけど、約5年もの間、ずっと不妊治療を頑張ってきた。生活のなかでも、私の心のなかでも、いつでも、まだ見ぬ赤ちゃんのことが中心にあった。でも、その中心にあったものが無くなってしまった。ずっと妊娠できなかった私にとって
病院へ行く支度をしていると、「自己判定はしたの?」と夫に聞かれた。「えっ!?してないけど…。したほうが良かったの?」前回のこともあって、今回は自己判定のことは全く考えていなかった。自己判定をしていればCクリニックへ行く必要があるかどうかもわ
「ブログリーダー」を活用して、ひなさんをフォローしませんか?