生涯で一番辛い別れ。。
去年まで”ふたりごと”の管理人でした。 ブログを変更しました* あれからいろいろあった事をつづります。
久しぶりの更新になりました。8月20日はあの子とさよならしてから10ヶ月でした。いつものようにお寺に行きお参りをしてきました。先月はゆーちゃんと一緒にお参りにいったんですが帰りにご飯を食べ様って偶然立ち寄ったお店に彼がいました。
手術がおわり目が覚めてすこしづつ会話ができるようになっておなかの痛みに赤ちゃんがいないことを実感したもぅ。絶望なんてもんじゃなく。なにもなくなった。ただ涙だけがつーつーとほほを伝って無表情のままゆーちゃんが握ってくれてた手ばかり
手術しつに入ると先生が待って。”大丈夫、赤ちゃんにもあなたにも痛い思いはさせないから。”とゆってわたしは手術台に横になりました。嫌だという気持ちがつよすぎてわかってるんだけど状況を理解できずにおお泣きしてしまって”嫌だ。嫌だよ。
手術当日ゆーちゃんが一日中側にいてくれた。朝、ゆーちゃんと電車にのって病院に向かった。病院について名前をよばれて診察室に入った。先生が”今からエコーで赤ちゃんを見るけど、見る?やめておく?”と聞いてくれて私は”見たい”と答えまし
彼との話し合いの後何度か病院に行き先生と話して手術する日にちがきまった。私と赤ちゃんの間に残されたじかんは後一週間。お腹にいる間は全てをこの子のために笑ってすごそう。そんなこと考えてたけど現実は泣きっぱなしの日々頭がおかしくなり
テラスにでると冷たい風がこぼれそうな涙を乾かしてくれた。ゆーちゃんは笑顔で彼にお辞儀をする。彼も軽い会釈をした。彼は基本無口なので少し3人とも黙ってしまい。変な空気がながれはじめたので、私から話だした。私 ”実はね、ずっと生理が
”仕事終わったよ〜何処に迎え行けばいい?”久しぶりに聞く彼の声に胸が苦しくなった。彼がこのこのパパなんだ。改めて実感した。私は彼をゆーちゃんと一緒にスタバで待つ事にした。彼はゆーちゃんがいることをしらない。ゆーちゃんは私が心配で
妊娠がわかって血液検査をしました。性病やエイズ、肝炎ウィルス、子宮ガン結果は1週間後に出ました。”子宮ガンの疑いがあります。”そう言われました。でも、今の状態ならもし見つかっても検診で治せるそうなので安心しました。赤ちゃんが教え
赤ちゃんとさよならをしてから私は昼の仕事を続けながら週に2回だけ夜も働いています。私が赤ちゃんを一人で育てていこうと思ったときに一番必要だとおもったのがお金でした。私にたくさん貯金があったらとおもいました。結局背負うのはみんな女
赤ちゃんがお腹にいるってわかったときすごく嬉しかった。エコー写真をもらったときまだただの小さい点なのにすごく愛しく思えた。でも産めない事は理解してたけどどうしても産みたかったから手術ができなくなるまで誰にも言わないようにしようとしてた。つわ
20日*20年間生きてきて一番辛い別れをした日2ヶ月前私はママになったのに。産んであげることができなかった。昨日は月命日仕事が終わって急いでお寺に向かいました。哺乳瓶。粉ミルク。おむつ。肌着。手紙。車で1時間かかってお寺につきま
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