咽喉の渇きを覚えつつ、気を取り直して碑林博物館へ 元孔子廟だったという碑林博物館の入り口付近には、 なるほど孔廟と書かれた壁?があった。 この壁状のものをなんと呼ぶのか知らないが、中国の重要な建物の門前に よく見かける。 中の建物が見えないように、門の前にど〜んと とおせんぼのように建っていることが多いので、 防衛上必要な工作物だったのだろう。 碑林博物館は孔子廟のあったところに、 宋時代の1087年、唐時代の「十三経」を保存するために建造。 陝西省の博物館となったのは1950年。 ..
西安の鐘楼から南大街を歩いていくと、南門に向かって東側に 書院門という門がある。 門の先が、書院門古文化街で、5,600m歩いていくと 名高い碑林(石碑の林という意味)博物館にぶつかる。 書院門古文化街は書画骨董品街で、 硯、筆、書画の店がずらりと軒を連ねる。 さすが漢字の国、小学校以来毛筆を握ったことのない ぐうたらーには無縁の世界ではあるが、 書道、書画に関わる道具なら、なんでも揃っている。 車の入らない歩行者専用道路で、通りの真ん中には 観光客向けのおみやげ物やさ..
悠久の西安そぞろ歩き その6 西安城壁サイクリングはしんどいの巻
鐘楼に近い宿泊先から南大街を南に下る。 一番近い南門までは500m足らずだ。 西安の城壁は、唐の時代の長安城を元に 明代1370年〜1378年に造られた。 現在の中国で完全に残る唯一の城壁だそうで、東西に二つずつ、 北に四つ、南に七つと全部で十五の城門が設けられている。 十五の城門のうち、登れるのは南門と聞いていたので、 お散歩の手始めは南門へ。 「○○の歩き方」には入場料10元と書いてあったのに、実際には40元! 2007年〜2008年度版なのに、資料が古いのか、 はたまた中国が値上げラッシュなの..
地下鉄建設中の西安では、 公共交通機関はバスしかないが、 今回のたびの移動手段はもっぱら徒歩。 城壁は一周12km。 だから城内は歩いたって距離は知れている。 城外・・・遠距離の場合にはバス(公共汽車)を利用した。 鐘楼は街の中心地。 鐘楼ならどこ行きのバスもたいていはみつかる。 目的地からの帰りもしかり。 1区間伍角〜1元(7.5円〜15円)という激安値段で、 たいていの観光スポットに連れて行ってくれるのだ。 伍角という札がある。 夏に四川省を訪れたときには トイレにしか..
引き続き西安北院門街。 北院門のそばにあるお菓子屋さん 徳富園。 何十種類もあるお菓子は全て量り売り。 買い方がよくわからなかったが、 どうやら1斤というのが、500gくらいの分量らしい。 甘いものに目がないぐうたらー カステラや パイ・クッキーを しこたま買いこんだ帰りに、 お店の人が食べていた ひもかわのような汁なし麺に目が釘付けになる。 思わずなんという麺かと尋ねたところ、 教えてもらった名前がヨウパオミェン 北院門街にたくさんあ..
西安の鼓楼の北に延びる北院門街は イスラム教徒回族が多く住んでいて 回民街と呼ばれている。 北院門街を進むと、あちこちで羊肉を焼く 良い香りが漂ってくる。 なんだかわからないものも多いけれど、うう〜ん、おいしそう!! 適当に指差せば、その場で炭火で焼いてくれる。 残念ながらぐうたらー、羊はあまり得意じゃない。 ちぎったナンをボウルにいれ、その上から 春雨入りの羊肉スープを注ぐ西安名物 ヤンロウパオモーも 挑戦してみたい気はしたが、今回はお預け。 ここは西安では有名な包子店 三灌..
はるか唐の時代からあったと思っていたのだが、 実際には西安に鐘楼が建てられたのは1384年。 現在の場所に移されたのが1582年。 鐘楼の周りはロータリーになっていて、 ここから東西南北にそれぞれ大通り(東大街、西大街、南大街、北大街)が 延びている。 地下道を通って西大街を越えると、 大きな広場 鐘鼓楼広場になっていて、 西安の名物料理、ヤンローパオモー(羊肉泡[食莫])専門店 同盛祥や 餃子宴で有名なレストラン 徳発長 などが ずらりと並んでいる。 どの建物も高さが同じで、赤い..
時間に制限されずに ゆっくり古都を歩いてみたいという ぐうたらーの願いが叶い、 中国西安に飛んだのは11月末。 すでに最低気温は氷点下まで下がり、 東京の真冬の寒さになっていた。 今回は年老いた母をつれての旅。 おまけに飛行機と宿以外は予約しておらず、 頼りは片言の中国語と長年の旅の勘のみ。 まあ都市の移動を伴わない旅なので、 なんとかなるでしょう、Que sera sera〜 彷徨うのが趣味なのでちょうど良いかと・・・ で上記の上海浦東空港で飛行機を乗り継ぎ、 ..
Dila三鷹ついでに というわけではないが、 最近三鷹で気に入ったお店の紹介 家族の誕生祝いに利用した三鷹駅南口徒歩5分のところにある馳走屋。 駅前通りを南に進んで、東急ストアの角を 斜めに折れたところにある小さなお店。 間口1.5mくらいしかない建物は、中に入ってもとても狭く、 お客さんですでに満員。 我々の入るスペースがどこにあるのだろうかと心配していたら 2Fに席が用意されてあった。 隣の大き目の部屋では、どなた様か存ぜぬが、 齢九十うん歳の方の誕生パーティがとり..
三鷹駅にエキナカDila三鷹が誕生。 駅構内の工事が2年以上も続いていて、 階段や通路等が極端に狭く、 乗り換えの際に往生していたが、 ようやくきれいな駅ビルが完成した。 乗り換えついでにちょっと見物。 エキナカ Dila三鷹は、改札口のある階の3Fと エスカレーターで上った4Fにある。 3FのQueen's 伊勢丹は、生鮮食料品はわずかでちとがっかり。 お惣菜、パンもちょぼちょぼだが、なんといっても凄いのは ワインコーナー! ずらり一列ワインが並ぶ。 さすが..
冬らしい日曜日、久しぶりに小金井公園まで歩いた。 北風がやや強く、凧揚げにはもってこいの日和なのか、 いくつか凧が上がっていた。 こちらのおじさまは、凧の調整中? 茶色い地面に、宝物の凧が点々と並んでいる。 小金井公園と小金井カントリーを隔てるこの道は、 自動車が入ってこないとても静かな散歩道。 お気に入りの道だったのだけれど、 今日はお日様が弱弱しくて、木々の多いこの道は薄暗くて冷え冷え。 とても散歩日和とはとても言いがたい。 あんまりちゃっぷいので、急ぎ足でホームバウンド。 ..
江古田に、もう一つ見たいものがあって、 哲学堂公園から更に新青梅街道を渡った。 バスの中から見かけたことのある、この古い水道塔。 ドーム型の屋根のデザインがとても美しい。 無駄が許された頃?の優雅な水道塔だ。 周りの民家が建て込んでいるので、 この角度からしか、全景が拝めない。 正式名称は、野方配水塔という。 東京市に隣接する地域の急速な都市化に伴う需要増に応えるために 1930年に完成。 以来、多摩川から引いた水を蓄え、1966年まで使用されてきた。 60万人の2時間分の配水が可能..
もう少々、哲学堂公園を彷徨おう。 前回書いたように、哲学堂公園は、妙正寺川沿いの低地と 時空岡と呼ばれる丘陵部に分かれている。 当然、その間には階段があるのだが、 階段の脇に説明書を読むと、 登るのがためらわれるような文句が・・・ 例えば、直覚径という階段。 唯心庭より丘上の論理域に達する近道を 選ぶとするならば、この直覚径を行けばよい。 ??? それならこっちと経験坂。 こちらは理解できますように!! 階段は経験を表し、唯物論の立論には理化博物等の実験を その考証..
いつものこととは言え、道草が度を越しているために、 一応の目的地である哲学堂公園についたのは、 夕方になってからのことだった。 哲学者で東洋大学の創立者である井上円了博士により、 「哲学や社会教育の場」として創設された哲学堂公園。 園内には、摩訶不思議なネーミングの建物等が40余りもある。 説明書きを読んでもさっぱりわからないので、 やや緊張の面持ちで園内に入ったが、 中野区の公園として一般に解放されているためか、 哲学を語らんとするような輩はいないようだ。 ほっ!! もしかしたら、こ..
新井薬師の境内を抜けて道路を渡ると、小さな公園になっていた。 昔は新井薬師の境内だったという新井薬師公園。 真ん中に池があって、 のんびり釣り糸をたれている人たちが数人いた。 何か釣れるのかな?? こういう風景はしょっちゅう見かけるけれど、 収穫物を目にしたためしがない。 釣りをするというよりも語らう場というのが正解なのかな。 のどかで平和であることは素晴らしい!! 池の南側には、新井(文字通り新しい井戸を掘ったそうな)の 鎮守様である北野神社があった。 鳥居には北野天神と書かれて..
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