カリカリした潤いのないこの頃の世相- ---小さい事に拘らず、生きていきませんか-----鈍感力で---
昭和23年4月、私はT銀行に採用され余市支店に勤務。 敗戦の混乱が漸く治まりつつあった頃でした。 預金は封鎖預金と自由預金に分かれていました。 封鎖預金は家族の人数により毎月の払い出…
銀行員現役時代なぜか気があって、
ゴム長--------ゴムの長靴のこと。 今から65年ほど前の話。 戦時中で、食べるものも、着る物も、皆配給で自由に物も買えない頃の話。 間もなく冬にならうとしている頃、学校にゴム長の配給…
いまさら驚くこともないのだが、あらためてス-パ-の米の売り場を見てその種類の多いのに驚いた。 白い米のご飯を食べるのが夢だった時代か゜あったのだ。 あの頃は、米の種類がどうこうな…
昭和23年の春先、所用あって函館に行った。 函館駅の待合室は、闇物資を売買する人たちでごった返していた。 巷には出回っていない、羊羹や白米の握り飯が飛ぶように売れていた。 値段は私…
8月15日を終戦(敗戦)記念日とすぐ言える人は、今の日本の国で半分もいるんだろうか? 徹底した軍国主義教育に洗脳され、国のため、天皇陛下のため死ぬんだと、張り切っていた愛国少年の私に…
8月15日を終戦(敗戦)記念日とすぐ言える人は、今の日本の国で半分もいるんだろうか? 徹底した軍国主義教育に洗脳され、国のため、天皇陛下のため死ぬんだと、張り切っていた愛国少年の私に…
早いものでもう半年が過ぎた。そして7月----- 7月といえば、生きてきた78年間を振り返ってみて、強烈に私の脳味噌に刻み込まれているのは、 昭和20年の7月だ。 14,15日、北海道の各地が始…
62年前の6月は----京極村でグライダ-訓練に励んでいた。----特攻隊になるために-------- 今考えると馬鹿みたい----。 20日に余市の山奥の登で軍の火薬庫が爆発し、兵隊一人、学生一人が死…
何十回となく、繰り返してきた5月、夫々にいろいろなおもいでがあるものだ. 極く子供の頃の思い出は、「鯉幟」だ. 私は、弟二人の男三人兄弟だったので「鯉幟」の鯉は三匹だった.
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