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  • 芝居小屋・劇場-内子座

    旅のつれづれで訪れた芝居小屋・劇場を紹介しよう。愛媛県内子町にある内子座で国の重要文化財に指定されている。内子町の重要伝統的建造物群保存地区「八日市護国」から続く街並みの中にある芝居小屋で大正5年(1916))に内子町の有志によって建設されたようである。内子町内には当市と同じ地名で以前にも紹介した廿日市地名がみられるのである。(平成19年(2007)撮影)※当方「はつかいちぶらり」と放浪が出来ませんので、しばらくの間老化防止のためストック画像から更新しますので宜敷くお願い致します。芝居小屋・劇場-内子座

  • 西洋式城郭-龍岡城

    長野県佐久市にある西洋式城郭の龍岡城で、城内には当時の御殿の一部御台所が移転現存しているのみで他の部分は田口小学校の用地となっている。龍岡城は元治元年(1864)に着工して慶応3年(1867)に竣工したようであるが、周囲を廻ってみると石垣の簡略化や堀などの未完成部分もあるようである。(平成23年(2011)撮影)(下画像-GoogleEarth画像より)西洋式城郭-龍岡城

  • 西洋式城郭-五稜郭

    旅のつれづれで訪れた西洋式城郭を紹介しよう。北海道函館市にある西洋式城郭の五稜郭で、郭内には築造当時の兵糧庫が現存しており、かつての函館奉行所建物が部分復元されている。幕末に函館開港が決定し幕府は函館に函館奉行を設置して安政4年(1856)から奉行所(五稜郭)の工事が開始され元治元年(1864)に完成した。明治元年(1868)に江戸幕府が崩壊して奉行所の機能は終わったようである。(平成27年(2015)撮影)(下画像-函館博物館五稜郭分館図録より)西洋式城郭-五稜郭

  • 現存天守閣-宇和島城

    愛媛県宇和島市にある宇和島城天守閣で、現存天守閣12城の一つであり、国の重要文化財に指定されている。別名は鶴島城といわれているようである。現在の天守閣は、創建当時の天守閣が寛文2年(1662)から寛文11年(1671)に修築されたもののようである。(平成27年(2015)撮影)現存天守閣-宇和島城

  • 田んぼにカモが!

    早朝、田んぼを見るとカモのつがいであろうか2羽がいた。盛んに首を水中に突っ込んで餌を食んでいた。しばらくするともう一羽やってきてトラブルとなって三羽とも逃げ去ってしまった。田んぼにカモが!

  • 現存天守閣-松山城

    愛媛県松山市にある松山城天守閣で、現存天守閣12城の一つであり、国の重要文化財に指定されている。別名は金亀城、勝山城といわれているようである。創建当時の天守閣は宝永19年(1642)に改修され、天明4年(1784)に焼失後、安政元年(1854)に再建された三代目の天守閣のようである。(平成19年(2007)撮影)現存天守閣-松山城

  • 高知城内神社-厳島神社

    昨日紹介した高知城内には城内の守護神として厳島神社などの四社が勧請され祀られていたようである。厳島神社は明治4年(1871)に吸江弘化台の山中に遷座されたようであり、現在城内社跡には小祠が祀られている。高知城内神社-厳島神社

  • 現存天守閣-高知城

    高知県高知市にある高知城天守閣で、現存天守閣12城の一つであり、国の重要文化財に指定されている。別名は鷹城といわれているようである。創建時の天守閣は享保12年(1727)に焼失し、延享4年(1747)に焼失以前のものと同じように再建されたようであり、小規模な本丸御殿も残されている。(平成28年(2016)撮影)現存天守閣-高知城

  • 現存天守閣-丸亀城

    香川県丸亀市にある丸亀城天守閣で、現存天守閣12城の一つであり、国の重要文化財に指定されている。別名は亀山城、蓬莱城といわれており、現存天守閣のうち最小の規模のようである。天守閣は江戸初期に山崎氏により再築されたものとみられている。(平成23年(1900)撮影)現存天守閣-丸亀城

  • 現存天守閣-松江城

    松江市にある松江城天守閣で、現存天守閣12城の一つであり、国宝天守閣5城の一つでもある。別名は千鳥城といわれている。天守閣内の柱に複製祈祷札2枚が取り付けられており、この祈祷札の墨書から天守閣の完成が慶長16年(1611)以前とみられ国宝指定の要因の一つとされたようである。(平成30年(2018)撮影)現存天守閣-松江城

  • 現存天守閣-備中松山城

    岡山県高梁市にある備中松山城天守閣で、現存天守閣12城の一つであり、国の重要文化財に指定されている。別名は高梁城といわれており、現存天守閣12城のうち唯一高い山上にある天守閣である。天和元年(1681)から天和3年(1683)にかけての大修築での天守閣のようである。(平成28年(2016)撮影・下画像の上側は昭和後期撮影)現存天守閣-備中松山城

  • 現存天守閣-姫路城

    旅のつれづれで訪れた現存天守閣を紹介しよう。姫路市にある姫路城天守閣で、現存天守閣12城の一つであり、国宝天守閣5城の一つでもある。大天守、東小天守、西小天守、乾小天守などが国宝のようである。別名は白鷺城といわれており、現存五層天守閣は姫路城と松本城のみである。慶長13年(1608)に天守閣の上棟しており翌年に大天守、小天守などの工事が終わっているようである。(平成29年(2017)撮影)現存天守閣-姫路城

  • 現存天守閣-彦根城

    滋賀県彦根市にある彦根城天守閣で、現存天守閣12城の一つであり、国宝天守閣5城の一つでもある。別名は金亀城といわれているようである。彦根城の築城時期については慶長8年(1603に着手して、元和8年(1622)にすべてが完成したようである。(平成29年(2017)撮影)現存天守閣-彦根城

  • 広電宮島口駅整備工事の今

    広電の宮島口駅の移設工事の進捗状況を時折り紹介しているが、現在何の工事が行われているのか定かでない。一部のケ所にレールが敷設されているようである。看板表示によると工期は2023年3月31日までとなっているが、下画像のような従来の駅舎には見られないような斬新な駅舎が出来るようである。(下画像-広島電鉄サービス向上計画より)広電宮島口駅整備工事の今

  • 「この木 なんの木 気になる木/日立の樹」

    昨日、「この木なんの木気になる木/日立の樹」を作曲した小林亜星さんの訃報が報道され、数日前に作詞をした伊藤アキラさんの訃報が報道されていた。平成26年(2014)に子・孫達とハワイ、オワフ島のモアナルア・ガーデンのモンキーポットの大樹を見に訪れたことが思い出された。公園内にはハワイ王国時代のカメハメハ5世の建てた別荘跡が残されていたが当時修復中であった。「この木なんの木気になる木/日立の樹」

  • 遊びの菜園-陸稲

    田んぼの田植えも終わって陸稲の苗も畑植えした。陸稲の苗を貰ってから種籾を採って二度目の栽培であるが何の知識もなく我流でのまさに遊びの菜園である。遊びの菜園-陸稲

  • 田植えの大取り

    今年の田植えは助っ人頼みで昨日やっと二便の田植えを済ませることが出来た。本日三便の田植え中であり、平良地区での田植えの大取りを勤めることになった。やっと代みて(泥落とし)となりそうだ。以前紹介した玄米から苗を育てた黒米と赤米の苗も片隅に植えてみた。田植えの大取り

  • 現存天守閣-丸岡城

    福井県坂井市にある丸岡城天守閣で、現存天守閣12城の一つであり、国の重要文化財に指定されている。別名は霞ケ城といわれている。丸岡城天守閣の築造についての確定的な資料はないようで、寛永年間(1624~1644)頃とみられている。天守閣の屋根瓦は以前にも紹介した笏谷石で作られた石瓦で葺かれている。(平成23年(2011)撮影)現存天守閣-丸岡城

  • 現存天守閣-松本城

    長野県松本市にある松本城天守閣で、現存天守閣12城の一つであり、国宝天守閣5城の一つでもある。別名は深志城といわれている。松本城は五層の天守閣で築造についての確定的な資料はないようで、竣工は文録4年(1595)説、慶長2年(1597)説、慶長5・6年(1600・01)説などがあるようである。(平成19年(2007)撮影)現存天守閣-松本城

  • 現存天守閣-弘前城

    旅のつれづれで訪れた現存天守閣を紹介しよう。青森県弘前市にある弘前城天守閣で、現存天守閣12城の一つであり国の重要文化財に指定されている。別名は高岡城といわれている。現在の天守閣は文化7年(1810)に棟上げをしているようであり、天守閣は現在石垣の修復工事のために別の場所に曳き移転されている。令和7年度(2025)に天守閣を曳き戻し、令和8~10年度(2026~2028)に天守閣の耐震補強・保存修理がされるようである。(平成27年(2015)撮影)※当方「はつかいちぶらり」と放浪が出来ませんので、しばらくの間老化防止のためストック画像から更新しますので宜敷くお願い致します。現存天守閣-弘前城

  • 近代学校建築-旧八幡東学校(白雲館)

    滋賀県近江八幡市にある旧八幡東学校(現白雲館)で、明治初期に建築された擬洋風建築の校舎で国の登録文化財に指定されている。正面玄関のポーチや2階バルコニー、六角塔屋、軒裏蛇腹など従来の日本建築にはみられない擬洋風建築である。(平成26年(2014)撮影)近代学校建築-旧八幡東学校(白雲館)

  • 近代学校建築-旧開明学校

    愛媛県西予市にある旧開明学校で、明治初期に建築された擬洋風建築の校舎で国の重要文化財に指定されている。伝統的な木造建築に洋風の半円型の窓を取り入れたもので和風色の濃い擬洋風建築である。(平成27年(2015)撮影)近代学校建築-旧開明学校

  • 近代学校建築-旧開知学校

    滋賀県長浜市にある旧開知学校で、明治初期に建築された擬洋風建築の校舎で国の登録文化財に指定されている。木造の3階建て玄関出入口の丸柱、扇型欄間の出入り口、上げ下げ窓と上下の花形レリーフ、屋根には八角塔屋など従来の日本建築にはみられない擬洋風建築である。(平成30年(2018)撮影)近代学校建築-旧開知学校

  • 近代学校建築-旧中込学校

    旅のつれづれで訪れた近代学校建築を紹介しよう。長野県佐久市にある旧中込学校で、明治初期に建築された擬洋風建築の校舎で国の重要文化財に指定されている。正面玄関ポーチやベランダ、2階バルコニー、八角塔、円柱で柱頭の繰型、繰型礎石、半円の窓上部な、丸窓など従来の日本建築にはみられない擬洋風建築である。(平成23年(2011)撮影)近代学校建築-旧中込学校

  • 近代学校建築-旧開智学校

    旅のつれづれで訪れた近代学校建築を紹介しよう。長野県松本市にある旧開智学校で明治初期に建築された擬洋風建築の校舎で国宝に指定されている。正面玄関部分のバルコニー上部の唐破風の屋根や雲文の手摺、龍の彫刻など和風とバルコニーや八角塔、天使像などの洋風が混在した従来の日本建築にはみられない擬洋風建築である。(平成19年(2007)・平成23年(2011)撮影)近代学校建築-旧開智学校

  • 移築された石葺き屋根の倉庫

    以前に紹介した熊本県和水町のトンカラリン方面に向かう道路の反対方面にある肥後民家村に対馬の石葺き屋根の倉庫が移築されている。(上画像-平成19年(2007)撮影)園内には数棟の民家や水車小屋などが移築保存されている。福岡県福津市にある宮地嶽神社民家村自然苑内にも対馬の石葺き屋根の倉庫が移築されている。(下画像-令和元年(2019)撮影)苑内には合掌造りや二棟造り、くど造り、鉤屋造りなどの民家が移築されているが維持管理がされてないようであり、ネット情報によると合掌造りの一棟が取り壊されたようである。移築された石葺き屋根の倉庫

  • 石葺き屋根の倉庫

    石葺き屋根の倉庫平成30年(2018)に対馬を訪れ、佐須瀬・久根浜・久根田舎・上槻・椎根地区などに残されていた25棟の石葺き屋根の倉庫をみることができた。屋根材はかつて島内産出の砂岩を挟む地層(対州層群)の石材を使用したようで、小船越地区で下画像のような地層がみられた。※「はつかいちぶらり」と放浪が出来ませんので、しばらくの間老化防止のためストック画像から更新しますので宜敷くお願い致します。石葺き屋根の倉庫

  • 板葺き石置き屋根の民家 ④

    平成23年(2011)に飛騨高山方面を旅行した時に飛騨民俗村(飛騨の里)を訪れた。園内にはかつて飛騨地方にあった榑(クレ)葺き屋根の民家が数棟移築保存されていた。当地では榑葺き屋根といわれているようである。ネズ、サクラ、カラマツ、ナラ、クリ材などを木の目にそって均等の厚さに裂いたものが榑板のようでこれを屋根に葺いているものである。板葺き石置き屋根の民家④

  • 板葺き石置き屋根の民家 ③

    2015年(平成27年)に佐渡島観光で訪れ宿根木集落の路地を散策していたら2棟の板葺き石置き屋根の建物をみかけた。当地では石置木羽葺屋根というようである。現在、主屋や納屋の屋根約40棟が石置木羽葺屋根に復原されているようで、特徴的な景観のひとつとなっているようである。板葺き石置き屋根の民家③

  • 板葺き石置き屋根の町屋 ②

    2010年(平成22年)に中山道宿場跡の妻籠宿の町並みを訪れた時に2棟の板葺き石置き屋根の町屋がみられた。長い町並みを歩いてみたが高い位置に屋根があるのでこの2棟しか目につかなかった。宿場内には板葺きの屋根が数ヶ所残っているようで、建物の保存と葺き替え作業の伝承を目的に順番に屋根の葺き替え作業を行っているようである。板葺き石置き屋根の町屋②

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