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  • やまのてせん

    新年度になってから、10日ほどが経ちました。みなさまの周りでは、どのような変化が起きたでしょうか?今年の4月は、朝の電車が混むなぁ…という印象をもっております。去年や一昨年に比べて、それが著しいような。いっぽう、列車の本数は完全には元通りになっていませんから、ちょっと辛いのです。山手線外回り電車の朝間4分毎とか、むちゃくちゃ待たされる印象です。さてさて。うちに、むかしからあった山手線の模型です。冷房が載る前の時代、1970年代の103系非冷房車が手元にありました。このたび、それに中間車を足しまして。KATO製の103系です。ご存知のかたも多いでしょうが、非冷房の「一般形」は発売から半世紀以上が経つロングセラー。これに対し、冷房付きで量産され運転台が高くなった「新103系」も、いつしか30余年が経っています...やまのてせん

  • 室内灯を組み込む KATO「サロンエクスプレス東京」の色差し(その5)

    3月10日といえば、東京大空襲のあった日です。空襲に遭ったのはこの日だけではありませんし、東京だけでもありません。それでも、忘れるわけにはいかない日付です。それにしても、ひと晩の民間人の死者が万単位になるのですから、あの時代は、やはり、狂っていたのだと思います。でありながら、未だに戦乱はあちこちで起きているのです。それが人類の本質の一部だと思うと、やるせなくなります。さて。室内灯を組み込みました。KATO製の純正パーツを、使っています。コンパートメントの色差しが、映えました。この製品が出た当時の光源は電球だけでしたから、隔世の感があります。両端の展望室は室内灯を7色に変えられると、登場時の雑誌紹介記事にあります。赤、青、白の3色の蛍光灯を並べ、その組み合わせにより切り替えたそうです。キャバレーみたいなピン...室内灯を組み込むKATO「サロンエクスプレス東京」の色差し(その5)

  • 台車を塗ったり KATOサロンエクスプレス東京の色差し(その4)

    ここのところ、模型工作から遠ざかっております。わりと帰りが遅い日々が続きまして…。言い訳ですがね。さて。台車と車輪の塗装です。ちょっと画像が小さいですが、左側が製品状態、右が車輪の側面を塗ったものです。集電板がわりと目立つので、油性マジックで黒く塗りました。これだけでも大きく違います。もっとも、最近の製品では上手く隠されていますので、不要となりつつある工夫です。ところで。年期物のモデルです。テールライトの光源は、緑色のLED。白色LEDは技術的に不可能とされていた時代の製品です。交換しても構わないのですが、敢えてそのままに。回路構成が、なかなか面白くて記念撮影。ウェイトが、回路の一部を構成しています。床下機器を成形した窪みを活かして、抵抗を挿入しています。しかも、組立工程での半田付けを避けるためでしょう、...台車を塗ったりKATOサロンエクスプレス東京の色差し(その4)

  • 仲ノ町

    調子まで行ってきたときの話しの続きです。間が空いてしまいましたが。銚子電鉄の仲ノ町駅で降りたのは、初めてでした。銚子駅からひとつめ、充分に歩ける距離です。知人で、この駅の見事なジオラマを作ったひとがおりました。銚子電鉄の本社や車両基地がある駅です。プラットホームは狭いですが。折しも留置中の車輌は、伊予鉄を経由してきた元京王5100系。撮れるときに撮っておきましょう。駅を出ますと、公道から車両基地が見えます。南海がいますね。これは、京王時代から変わらぬ台車。もちろん、輪軸は交換されています。南海と京王の並びだ~などと喜んできました。銚子方には、元営団地下鉄銀座線の車輌が。車籍は無いはずですが、入換用に活用されているようです。京王と南海と営団と。このように眺めると、銀座線の車輌は小さいですね。京王時代を彷彿と...仲ノ町

  • 銚子駅の線路の話し

    銚子電鉄に乗りに行ったときのこと。列車を待つ間、なんとなく線路を見下ろすことがありますよね。そのときに思ったのです。これだけ使われていない線路に出会うのも、久しぶりだなぁ。枕木が、かさかさです。プレートを挟まず、犬釘だけで直にレールを固定している例も、久しぶり。さて、レールの継ぎ目部分は強度的に弱くなるというのは、想像しやすいところ。ここを枕木でどのように支えるか、よく見かけるのは幅の広い枕木を使う手法ですね。このほかに、2本の枕木を近づけて、半々で支えるのような手法もあります。2つの手法がほぼ同じ地点から見ることができます。教科書みたいで面白いですね。こちらは、銚子電鉄の電車が入る線路の車止め直前。太さの違うレールをつないでいる部分です。金具を切り継いでいるのは、初めて見ました。ふだんは車両が通らない区...銚子駅の線路の話し

  • お出かけ 銚子電鉄まで

    お出かけしてきました。暖かい一日でした。総武本線の終着駅、銚子です。ご存じの方も多いであろう銚子電鉄に乗ってきました。年度内に引退が決まっている2001編成が、今日は運用に入っていました。元の京王帝都2010系、再会までに30有余年の月日が経っていました。連結面のあたり、こんなに丸みがあったっけ?記憶とは当てにならないものです。上段窓は、引っ掛け式で開けられました。サッシに小穴があります。今では固定されているようですけど、これは記憶どおり。小学校に上がるころ、ステンレス磨きだし無塗装処理の網棚が、とても新しく見えました。色褪せたな。製造以来60年以上、よく頑張ってきました。もういちど乗る機会があって、なにより。がらがら開くドアも、また佳し。春キャベツを眺めつつ。終点の外川まで。春だよりと保存車801。この...お出かけ銚子電鉄まで

  • 座席を塗り分ける KATO「サロンエクスプレス東京」の色差し(その3)

    20日間ほど、更新の間が空きました。その間にも、世の中はいろいろなコトが起きていますね。被災地への視察は渋滞の原因になるから行かないと申し合わせていた連中は、裏帳簿のもみ消しに躍起になる時間を稼ぎたかっただけ、というのは、さすがに下種の勘繰りだと思いたいところです。さて。座席を塗り分けました。室内灯を入れれば、映えるはずです。奇数号車は、暖色系です。こちらは、偶数号車。テーブルは大理石調のようなので、上面だけ。サロンルームのソファーを塗り分けます。カウンター席。後生大事に使っている廃番塗料です。カウンターは、木目調としました。ざっとしか塗り分けていませんが、走らせれば目を楽しませてくれるはずです。座席を塗り分けるKATO「サロンエクスプレス東京」の色差し(その3)

  • クリヤーを塗り損なって KATO「サロンエクスプレス東京」の色差し(その2)

    30年くらい前になりますが、能登半島をぐるりと回ろうと思って出かけたことがあります。自家用車でひとりですから、行き当たりばったり。かんたんに一巡り…と思っていたら、甘かったです。辟易するくらいに、広い。予定を立てていなかったから、よけいに広く感じました。未だに道路網が寸断されていると聞くと、気が気でありません。さて。車体に傷が散見されるので、クリヤーを吹いてごまかそうと思いました。甘かったです。車体色の調色することになるのかなぁ…、とりあえず、思い切って諦めます。迷い始めたら、そこで手が止まってしまいます。分解したままの仕掛品が増えるのは、一年の計として幸先が良くない。インテリアパーツを塗ることにしました。一体成型の座席と床面を塗り分けます。実車登場時の雑誌を見つけられず、きちんと調べられませんでした。雰...クリヤーを塗り損なってKATO「サロンエクスプレス東京」の色差し(その2)

  • 本年もよろしくお願いします KATO「サロンエクスプレス東京」を(その1)

    三が日、いかがお過ごしだったでしょうか?まさか、連日のように、暗闇に燃え上がる炎の画像を見ることになるとは思いませんでした。世の中が平穏を取り戻せるようになってほしいと、切に願います。さて。部屋の奥のほうから、出てきました。KATO製の14系700番台客車「サロンエクスプレス東京」編成です。じつは、高校時代に仲間内で走らせていたもの。縁あって、今はワタシの手元にあります。傷だらけではあります。再初期ロットです。伸縮カプラーを装備した、画期的な製品でした。昭和のおわりのころの話しです。この連結面間隔の狭さに、当時感激したものです。台車を分解すると、こんな部品構成になっています。ちょっと、パーツ点数が多めですね。摺動部分が多いことがこの製品の泣き所でした。伸縮カプラーの動きが悪くなることがあり、脱線しやすいの...本年もよろしくお願いしますKATO「サロンエクスプレス東京」を(その1)

  • 一年のおわりに

    気がつけば、大晦日です。去年も今年も、いろいろな事情があって、模型に打ち込めない日も多かった一年間でした。だからこそ「気がつけば…」という思いがするのです。仕上がった模型は、そう多くありません。それでも、一年の納めに振り返っておきます。1月。昨年からの続きで、グリーンマックス製キット組みの客車が増えました。阪急は、今年は仕上がりませんでした。塗り直してばかりです。3月、サロ75形が仕上がりました。元々は、新潟色の70系編成を作るつもりで組んでいたものです。2等車もいいなぁ…などと思いまして。帯色は自家調合ですが、なんとなく違うような気もします。4月。新潟色のクハ76形が仕上がりました。編成仲間は、まだいません。5月。高校時代に作った古い模型を、塗り直しました。当時、書籍で見た横須賀線時代の再現ができそうで...一年のおわりに

  • 旧型国電の箱サボ

    勤務先では管理職の端くれを拝命しているのですが、今年の冬は、管理職の賞与は全額カットという事態となりました。手当なぞ僅かなものですから、わりと影響が大きいです。仕事の進め方が…ということになるんだろうなぁ…。とりあえず、手元のものを手放すことになりますね。ま、模型は食えません。ええと。気分転換。こんなパーツを手に入れました。を、これは前サボの入れ替えができるやつ。ちょうど、立体感が乏しいので物足りなく感じていた車輛がありました。削ります。元はウグイス色だった車輌ですよ。100均で買ってきたスポンジやすりが、大活躍。車体色を吹いてから磨き直すつもりで、マスキング。前面だけを、塗るつもりです。2000番の耐水ペーパーで仕上げてから、もういちど塗りました。パーツは、カッターで切り出しました。曲げは、ピンセットで...旧型国電の箱サボ

  • 快速「みすず」

    先日のことですが、今年度末で松本~長野間の高速バスが廃止されるそうです。ワタシは学生時代を長野県内で過ごしたのですが、ちょうど長野道が延長されつつあった時期でした。都市間バスが国道経由から高速道経由となり、増便を重ねた時代です。引き換えのように、県内を南北に結んでいた快速列車「みすず」は、ダイヤ改正ごとに停車駅を増やし、運転区間を短縮していきます。松本や伊那で4年間を過ごし、飯田を拠点にするサークル活動に首を突っ込んでいたこともあり、なんども利用した愛着のある列車でした。それだけに、歯がゆく…。そんなわけで、Tomix製品です。10年くらい前に入手したものですから、目新しくはありません。室内灯を組み込み、ウェザリングも施しましたが、イマイチのめり込めないモデルでした。びみょーに、違うのです。どこかイメージ...快速「みすず」

  • 車体の断面を塗り潰したり キハ55系初期急行色で遊ぶ(その7)

    自宅のPCが壊れたみたいです。ふだん、このブログの投稿などはそれを使っていますので、ちょっと痛手。とりあえず、スマホで入力します。使いづらいのは、慣れの問題でしょうか?車体の断面を塗り潰したり、ドア取っ手に銀色を差してみました。右手が、色を差したもの。車体の朱色は、印刷などで仕上げられています。スッキリ仕上がっているのは申し分ないのです。しかし、ちょっと奥まった部分には、クリーム色が見え隠れ。例えば、窓柱の隅ですとか、雨樋の際ですとか。これを塗り潰すと、見た目が落ち着きます。煩雑さ、といったモノが無くなるとでも言うか。こんな感じで塗っています。車体下部も。なんとなく重量感が違うように思うのです。車体の断面を塗り潰したりキハ55系初期急行色で遊ぶ(その7)

  • 遮光として銀を吹く ホビダス京王5000系を組む(その9)

    3連休は、あっという間に過ぎました。無為に過ごしたわけではないと思うのですが、気がついたら、いつもの月曜日。ふだんの平日には、なかなか時間の余裕がとれないので、休みの日でも気忙しいまま過ぎていくような気がしています。通勤に時間がかかるのは、長い目で見ると、よくありません。さておき。京王5000系プラキットの続きです。お天気に恵まれた連休でしたので、外に出て塗装を。暖かかったしね。車体の裏側に、銀色を吹きました。車体の成形色が、アイボリー色のキットです。どうしても、光が透けます。室内灯などを組み込んだらそれが顕著になるわけで、キットの説明書にも、あらかじめ銀色や黒色を塗っておくよう指示があります。塗ってみて、天井の灯りにかざしてみました。一目瞭然ですね。実際には、かざしながら吹きました。とくに、床留めリブの...遮光として銀を吹くホビダス京王5000系を組む(その9)

  • 名古屋行き キハ55系初期急行色で遊ぶ(その6)

    日曜日。夕日がきれいだったのですよ。古いステッカーを探し出してきました。40年近く前のモノです。行先表示サボはかろうじて読めますが、列車種別サボの解像度はこれくらいで。キロハ25形初期車の配置が多かったのは、名古屋区です。それに因みまして、「名古屋行」としました。列車名は読めますか?「はと」です。感じが出ているので、これでいいや、と。名古屋行きキハ55系初期急行色で遊ぶ(その6)

  • 床板を塗る キハ55系初期急行色で遊ぶ(その5)

    満月です。つい先日が満月だったような気がしますし、新月だったような気もします。三日月を見上げて「上弦だっけ」と思いながら仕事から帰ってきたのも、つい先日。月の満ち欠けは、おもしろいです。日々、出る時刻も違いますからね。さて。いつものように、床板と台車を塗りました。質感を、整えるためです。とくに記すほどのことは無いのですが、モーター車では、いちばん外側寄りの機器だけを塗り分けています。GMカラー「ねずみ色1号」と、クレオス「ジャーマングレー」の組み合わせ。模型として、このくらいの角度から見下ろすと、だいたい同じような見え隠れとなりました。右が、モーター車です。客窓が1枚ガラスになったキハ26形100番台が、仲間入り。4輌編成になりました。中桟が無いので、車内インテリアがよく見えます。実車でも、それだけ窓が大...床板を塗るキハ55系初期急行色で遊ぶ(その5)

  • 塗り分けを続ける キハ55系初期急行色で遊ぶ(その4)

    定期的なメンテナンスの一環として、いま住んでいるマンションに、塗装工事が入っています。玄関のドア枠も、塗ります。ペイントが乾くまでドアは閉じられませんので、わずかに開けておきます。この季節だから、なんとかなりますね。さて。模型の筆塗りです。キロハ25の1等室のインテリアですが、座席と床面が同じ色でした。床面を、明るめのグレーで塗ります。筆塗りで、ムラを残さないために2回塗り重ねました。こんな感じですね。全体的に明るくなったようです。室内灯を支える壁が、やや目立つ気もします。まぁ、これは、いずれの日にか。そうそう、車番も入れました。名古屋区に配置されて10年近く活躍し、格下げ後は小海線に移動した車番です。塗り分けを続けるキハ55系初期急行色で遊ぶ(その4)

  • 座席を塗り分ける キハ55系初期急行色で遊ぶ(その3)

    ひと雨ごとに、秋が来ますね。身体がついていかない気がします。睡眠時間を確保するのが大事だとは、聞きますね。さて。承前。白々しい車内など、興ざめなのです。塗ります。筆塗りです。最低でも2回は重ね塗りします。1等室のほうは着色してありましたので、枕カバーだけ塗りました。窓越しに白いアクセントとなれば、と考えました。床面と同色なので、どこまで映えるかは判りません。室内灯支えが成形されています。本来は無いものですが、高さを揃えて塗り分けました。モーター車のほうは、座面の範囲もマスキングして、塗り分けてあります。こんな感じで仕上げました。組み戻して、室内灯を点けると、こんな感じです。キハ26M車を比較になるよう、塗り分ける前と並べました。キハ26T車は、こんな感じ。キロハ25は、1等室と2等室の差は出せました。もっ...座席を塗り分けるキハ55系初期急行色で遊ぶ(その3)

  • 室内灯を組み込む キハ55系初期急行色で遊ぶ(その2)

    3連休です。ありがたいなぁ。でも、夏は終わっちゃいましたね。さて。気楽に遊んでいます。純正オプションの室内灯を組み込んだだけです。室内灯についてはいろいろ好みがあると思いますが、ワタシは、できれば組み込んで点灯させたい方です。窓が明るいほうが、模型車輌の表情が明るいような気がするのです。とはいえ、これでは白々しい感じもしますね。半室1等のキロハ25形に室内灯を組み込むと、こんな感じになります。1等室と2等室で、ちょっと変化があります。製品のインテリアパーツを、このように塗り分けてあるからですね。量産品としては、一定の効果を上げていると思います。まぁ、えんじ色単色もどうかとは思うのですが。というわけで、次回室内を塗り分けます。室内灯を組み込むキハ55系初期急行色で遊ぶ(その2)

  • 初期急行色

    ご無沙汰しております。半月ほど前に、あるお買い物をしてからずっと、調べものをしておりました。ある中古屋さんで、見つけました。2両セットのほうは、箱違いでしたので格安品。のちの塗り分けに比べると、鈍重さを感じる「初期急行色」です。キロハ25形とキハ26形による、3輌編成が手元に来ました。いずれも「バス窓」と呼ばれる上段固定式の2段窓仕様の、若番車です。キロハ25形は、半室1等半室2等の合造車です。窓の形が大きく異なるところに、興味津々。運転室の直後に便洗面所が位置するのも、キロハ25形特有です。実車を見たことは無いのですが、どこかで写真を見てから印象に残っていました。キハ26は、エンジンを1基載せた形式です。2基搭載した姉妹形式は、キハ55。よくできているな。TOMIX製のキハ55系を手にしたのは、初めてで...初期急行色

  • 箱にする ホビダス1/80京王5000系を組む(その8)

    呆れたことに、この夏2回目の風邪をひきました。先月のときと違って、ちょっと喉に痛みがあります。今まで、ひと夏に2回も風邪をひいたことなどなかったので、身体の抵抗力が落ちているのでしょうね。記録的な暑さもありましょうが、それに加えて齢をとったのかなぁ。そんなわけで。箱組みまではできました。各部品の位置合わせが正確に決まるので、組みやすかったですね。パーツの合わせ目には、サーフェィサーを筆塗りしておきました。乾燥待ちです。前面の印象把握は良いキットだと思います。箱にするホビダス1/80京王5000系を組む(その8)

  • 号車札差し ホビダス1/80京王5000系を組む(その7)

    関東地方の大地震は60年周期で起きるという説があります。ワタシが中学生のころ、関東大震災からちょうど60年経ちました。ですから、いつか起こる…と待ち構えたまま、気がついたら、あれから40年。もっとも、水の備蓄と本棚の補強くらいしか、していませんねぇ。さて。片づけていたら、正体不明ですがエッチングパーツが出てきました。号車札差しです。実車は、1982(昭和57)年ごろに撤去されました。このころから編成の組み換えが多くなり、修正が追いつかなかったからではないかと思っています。5000系4連を2本つないだ8連ですと、1~4・1~4号車などと、実態を表さないものになっていました。なお、車内の表示までは手を付けなかったようです。ともあれ。立派な号車札がついていると、なんとなく格上な感じがします。パーツを取り付ける部...号車札差しホビダス1/80京王5000系を組む(その7)

  • 屋根板の下ごしらえが終わった ホビダス1/80京王5000系を組む(その6)

    土曜、日曜と自宅で過ごしました。天気がころころ変わる二日間。雨雲レーダーばかり、見ておりました。あれ、おもしろいです。さて。ランボードの脚は、余分な部分を切り落として整形しました。ヒューズ箱の固定は、屋根板の裏側からパンタのビスと碍子を通します。このあと、先日加工したヒューズ箱の裏側に、ネジで留めました。引き出し線は、少し長さが足りなかったので作り直す羽目に。焼きなましておいてから、形を整えます。最後に、瞬間接着剤で固定しました。前面も、手すりを加工します。成型された元の手すりを削り取ると、のっぺりしますね。屋根板の手すりと同じように、取り付けました。こっちは、ちょっと精度が怪しいです。ようやく、車体の箱組みができるはずです。屋根板の下ごしらえが終わったホビダス1/80京王5000系を組む(その6)

  • 接着剤を乾かしながら ホビダス1/80京王5000系を組む(その5)

    夏風邪はだいたい治りましたが、咳だけが続いています。エアコンが効いた室内に入ったりすると、咳が出ます。軽くお酒を飲んでも、咳が出ます。たぶん、塗料のシンナーを扱っても、咳が出ます。咳止めを飲みながら、おとなしくしています。さて。組立途中のランボードです。屋根のRに合わせて、脚の片側に下駄をはかせています。接着剤が乾いたら成形するつもりで、1~2日くらい、時間を稼いでいます。まだ一部ですが、屋根端部の手すりの接着を始めました。思ったよりも、自分の工作精度が良いので、驚いているところ。接着剤を乾かしながらホビダス1/80京王5000系を組む(その5)

  • 床板を組立てた ホビダス1/80京王5000系を組む(その4)

    台風の影響もあり、晴れたり降ったりの15日でした。この日に雨が降るのは珍しい気もするのですが、ただの思い込みかもしれません。さて。パンタグラフ脇のランボードは、作りかけです。なぜ、脚が等間隔でないのかが不思議です。接着剤を乾かしたいので、もうしばらくかかります。二重構造になっている床板は、上板を塗りました。先日、台車と一緒に塗ればよかったのですが、見落としていました。プライマーを吹いたのち、クレオス#44「タン」を吹いています。下板は、よく見ると配線のエッチングパターンが読み取れます。余分そうに見えるのもありますが、果たして。汎用性に乏しそうな製品だなぁ…という感想を持ちました。材質はガラスエポキシだそうで、ワタシには未知の素材ですから面白いです。組立は、説明書に従うだけです。車輪の側面を塗ってありました...床板を組立てたホビダス1/80京王5000系を組む(その4)

  • パンタ台を加工する ホビダス1/80京王5000系を組む(その3)

    日が暮れると、虫の声が聞こえるようになりました。先週の木曜日あたりは、まだでした。暗くなってセミが鳴き止むとすっかり静かだったのです。数日で、様変わりしました。台風が過ぎたら、秋の気配がもっと濃くなるのでしょうね。さて。手すりを植え替えるつもりでいました。パンタグラフ脇のランボードも、表現が残念な気がしてきます。脚が欲しいな。削りました。あとで、作ります。ヒューズ箱はそのまま活かすつもりでいたのですが、高さが足りないことが見えてきました。育った家が、京王線の屋根が見下ろせる高台にありました。だからか、気になります。1mmくらい、かさ上げしたい。引き出し線とともに、ユーズ箱の台座も、削ります。パンタ台は、ダミーのパンタを載せる前提で成形されています。碍子を取付ネジで共締めするHOゲージでは一般的な方法で使え...パンタ台を加工するホビダス1/80京王5000系を組む(その3)

  • 手すりを作る ホビダス1/80京王5000系を作る(その2)

    夏休み、残りの日々はお天気が悪そうです。お出かけ日和ではありませんね。では模型工作向き化というと、塗装はしづらいですなぁ…。ときおり降る大粒の雨に、バルコニーの鉢植えが喜んでいるような気がします。さて。車輪は、いつものように筆塗りで塗っておきました。裏側は、省略していますが。軸受けに油を差しておいてから、台車を組み立てました。ネジが鉄ネジではなかったので、やや組みにくいです。このキット、細かいところでケチったなぁ。前面と連結面の妻板です。わりとよく印象を掴んでいると思います。手すりは、一体成型です。せっかくの1/80スケールですから、きちんと手すりの形をしたモノにしたくなってきました。φ0.3真鍮線を探し出しまして、曲げます。揃った形のものを量産することに一抹の不安があったのですが、ひとつひとつ形を整えて...手すりを作るホビダス1/80京王5000系を作る(その2)

  • 下回りから始めよう ホビダス1/80京王5000系を組む(その1)

    1週間ほど、熱を出して休んでおりました。医者に行って検査を受け、コロナでもインフルエンザでもないと判定されたのですが、かといってすぐに軽くもならず…。結局、数日仕事を休むことになりました。治ったころに、勤務先な夏休みに突入。図らずしも、長めの連休となりました。ようやく熱が納まりましたよ。さて。飯田線の旧型国電のつぎのネタは、諸々収集中。事情あって、新しいものに手を付けることにしました。数年前に、抱え込んだものです。乗客ドアーの窓の大きさが印象と違うんだよなぁ…などと言って、後回しにしてありました。別売パーツも揃っているのにね。四の五の言っていると、永遠に放置することになります。素組で構わないと割り切る気になりました。きちんと塗装すれば、それだけでも十分な気がしてきたのです。最後まで、先を急がずに、組んでみ...下回りから始めようホビダス1/80京王5000系を組む(その1)

  • 掘り出してきた仕掛品 GM#156クハユニ56形を組む(後篇)

    勤務先で、久しぶりに強い大雨が降りました。おかげで、窓ガラスがすっかりきれいになりました。年末に降ってくれればいいのにね、と。さて。クハユニ56形です。ベンチレーターは、更新後ですからグロベンです。きちんと精度の出た良いパーツを使いたいと思っていました。ストック品を発掘。レタリングを入れました。郵便マークが映えます。30年ほど前、学生時代を伊那谷で過ごしました。1990年代、すでに鉄道は伊那谷の交通の主役ではありません。ここで作っている模型は、それより前の1960年ごろを意識しています。伊那谷を縦貫する国道153の完全舗装化がなされるよりも、10年くらい前です。こんな小さな郵便室が、よその地域とのつながりを支えていたのですね。荷物室も、雑誌や新聞などを積んでいたかもしれません。文化や通信インフラを鉄道が担...掘り出してきた仕掛品GM#156クハユニ56形を組む(後篇)

  • 掘り出してきた仕掛品 GM#156クハユニ56を組む(前篇)

    この時期の黄昏時は、ついつい空を見上げたくなります。昼間の暑さを忘れさせてくれるひとときが、好きなのです。もっとも、ことしはそんな呑気なことを言ってられませんね。さて。このキットをひとつ、組みました。1輌づつ作れる気楽さが、旧型国電のいいところです。じつは、そうとう前に組んだものの、塗装に失敗してお蔵入りしていたモノ。さいごまで組む気になったのです。実車は、飯田線専用の形式です。飯田線の旧型国電との出会いは、この本でした。1977(昭和52)年、日本交通公社からの刊行です。このあたりの写真が、子ども心にとても格好良く見えたのでした。半流線形の雨樋の曲線美に、魅了されたのだと思います。しかしながら、とうとう飯田線には乗りに行くことは叶いませんでした。西浜松に留置されている車輌群を、新幹線の車窓から辛うじて遠...掘り出してきた仕掛品GM#156クハユニ56を組む(前篇)

  • むかしのキット組みを再生する サハ48029(その14)竣工させました

    夏の夕焼けは、見ていていいモノです。今日は撮りませんでしたが、見ていて、飽きません。空の色、忘れ難し。さて。サハ48029を仕上げます。床板も、再生品です。一部の機器を並べ直しましたが、概ねでたらめです。いちどすべてを削り去った妻板には、貫通幌を接着しました。客車用を流用していますが、ちょっと形状に不満があります。画像は……ピンぼけですね。レタリングを済ませまして、竣工としました。インテリアなどは、作っていません。それでも、「レイル1982年秋号」に載っていたこの車輌を、手元に置くことができました。横須賀線編成に組み込むつもりです。クモハ53形と連結してみました。同じキットが出自ですが、違いが出せ同時進行たようです。次回はたぶん、ほぼ同時進行のクハユニ56形です。むかしのキット組みを再生するサハ48029(その14)竣工させました

  • むかしのキット組みを再生する サハ48029(その13) 塗る!

    梅雨明けしたのだそうです。ウチのあたりは、空梅雨でした。半月くらい、降っていません。まんべんなく降ってくれれば楽なのですが、どうしようもありません。さて。塗りました。車体と屋根との塗り分け、なかでも妻板のキャンバス留めの部分で、どう確実にマスキングできるかを考えました。そして、屋根色を最後に吹くことにしました。車体色のクリーム色から、吹き始めます。つづいて、紺色。横須賀線の車体色は、1962(昭和37)年までは「青2号」と「クリーム2号」が指定色です。旧スカ色などと言いますね。サハ48029や先日作ったクモハ53003は、新色が制定されて間もなく3ドア改造されています。ですから、旧色で塗ったほうが正しいのだとは思います。とはいえ、塗料の入手しやすさを考えました。グリーンマックス製の「青15号」と「クリーム...むかしのキット組みを再生するサハ48029(その13)塗る!

  • キットの台紙のこと

    小林信夫氏の訃報を聞きました。わくわくするイラストを手掛けられた方でした。ワタシは、あまりジオラマやストラクチャーキットを作ることがないので、どちらかというと、車両キットの説明書イラストで、わくわくさせてもらいました。中学校に上がった4月に発売されたキットです。これを見ているだけで、スマートな私鉄電車が目の前を駆け抜けてゆくのです。まぁ、当然のように地元の京王2000系を作りましたね。おこずかいは多くはなかったので、ほとんどのキットは、店頭で眺めるだけでした。食い入るように見ていたのだと思います。なんとなく、イラストの雰囲気や文言は覚えていますね。買って、組むことができたキットは、ごくわずかでした。今でも、欲しくなるときがあります。旧型国電は、1輌づつ買えるので、ありがたかったのでした。嬉しくて、ちゃんと...キットの台紙のこと

  • むかしのキット組みを再生する サハ48029(その12)キャンバス押えを作りたい

    無茶苦茶暑い、休日でした。家にクーラーがあって、助かります。あとあとの電気代の支払いが、怖いですが。さて。妻板のキャンバス押えは省略してしまおうかとも、思っていました。妻板の上部にある、半円形の帯板ですね。作り方が、見当つかなかったのです。でも、これでは間が抜けています。とりあえず、t0.3プラ板を、屋根のカーブに沿わせるように接着してみます。あとで、薄く削ることで、それらしく見せようという魂胆。細く切り出したプラ板の断面を、キャンバス押えの厚みに見立てます。ひと晩以上乾かして、削ります。なんとなく、それらしくなりそうです。縦樋の位置もおかしいので、直しておきました。むかしのキット組みを再生するサハ48029(その12)キャンバス押えを作りたい

  • むかしのキット組みを再生する 雨樋どうする? サハ48029(その11)

    遅々として進みませんが、基本的には、元気です。ただ、気忙しいだけ。平面性が足りなかった妻板を、削り直しました。こんなに削れるとは、思わなかったな。反対側の車端面も、もういちど削ります。いくぶんなりと云えども、車体の形が整ってきたような気がします。妻板に回り込む雨樋を、どうするかねぇ…?雨樋を作り直すことにしました。今さらながら、ですね。サーフェイサーを吹いたら、つんつるてんになりました。狭窓流電ですから、原形では雨樋はありませんでした。そのスタイルも捨てがたいのですが、肩Rにルーバーがあるのですよね。あれは、きれいに作れそうにない。プラ板を細く切り出して、雨樋を作り直しました。まだつづきます。むかしのキット組みを再生する雨樋どうする?サハ48029(その11)

  • むかしのキット組みを再生する(その10)サハ48029にサーフェイサーを吹く

    気がついたら、夏至を過ぎていました。毎年のことですが、これから日が短くなるなぁ…と思うと残念な気がするのです。夏の本番は、これからですけどね。さて。サハ48029です。車体全体に、サーフェーサーを吹きました。必ずしも吹くとは限らないのですが、今回は、車体が古いキットの再生です。傷だらけです。それを、きちんとしておきたいのです。とはいえ。直せそうもないかな?自分のモノですから、妥協はできますけどね。塗って、編成に組み込んでしまえば…。妻板の形状も、仕上がっていませんでした。修正したいポイントが見えてきました。むかしのキット組みを再生する(その10)サハ48029にサーフェイサーを吹く

  • 2023/06/21 むかしのキット組みを再生する(その9)サハ48029

    今まで試したことがなかったのですが、スマホアプリから記事を入力してみようと思い立ちました。画像が何枚載せられるか、そのレイアウトはどうなるか。使いこなせるまで、ちょっとかかりそうです。で。狭窓流電のサハ48。車体を組み、屋根板を接着してありました。これをペーパーがけしまして、こんな按配。こんど、サーフェイサーを吹くつもりでいます。2023/06/21むかしのキット組みを再生する(その9)サハ48029

  • むかしのキット組みを再生する(その8)サハ48029

    きれいな夕焼けに出会えると、得をした気分になります。とくに、雲が照らされているときなどには。遠くの低い雲が山並みにも見えて、ちょっと印象的でした。さて。流電を出自とするサハ48029は、切妻屋根です。切り継いで、接着して、乾かしてありました。おおよそで、形を整えます。妻板は、旧車からの流用です。雨樋などはあとで作るつもりで、削り去りました。細かいディテールが違うのですが、これは種車に起因します。まぁ、むかしのキットですから。で、上部を作り直すのです。屋根板は、長めに作ってありました。側板と妻板を接着しまして、それから屋根板を現物合わせで調整します。裏返すと、中学生のころに書き込んだ表記があったりします。屋根板を接着し終えました。充分に接着剤を流してから、乾かします。つづきます。むかしのキット組みを再生する(その8)サハ48029

  • むかしのキット組みを再生する モハ43系のサハを作る(その7)

    プロ野球の交流戦が始まりました。もう、そんな季節なのですね。未だに賛否両論を聞く交流戦ですが、ワタシはお祭り気分が感じられて好きです。さて。承前。ノーシル・ノーヘッダーに磨いた側板です。このように、切断。組み合わせて継ぎますと、旧型国電ファンの方ならご存知のあの車両ができるはずです。狭窓流電のサハ48029ですね。実車は切妻車体ですから、端部の屋根もかまぼこ形です。そこで、屋根板も切り継ぎます。種車の都合で、ひとつは低屋根車のもの。ベンチレーターの配列を調べると、クハ47用で開けてあった元の孔が、そのまま活かせそうです。クハ47用の端部を切り取り、クモハ43800用の屋根板の中央部を継ぎ足すことにします。つづきます。むかしのキット組みを再生するモハ43系のサハを作る(その7)

  • むかしのキット組みを再生する(その6) クモハ43とクハ47から…

    日曜日のお昼は、冷や麦にしました。今年初めてです。ちょっとだけ、季節を先取り気分。さて。横須賀線6輌編成の先頭に立つクモハ53形を、中学生のときに組んだキットから再生したわけですが、同じように剥離した車体が、まだ残っています。同じころに組んだ、身延線用クモハ43800+クハ47100です。技術も小遣いもないころで、接着剤もいろいろ試した跡があります。黄色いゴム系接着剤は、これ以来使わなくなったかな。ともかく、裏側の惨状を何とかしないと、車体は再生できません。ガラスをきれいに接着できると、最終的な見栄えが違ってきます。平刃の彫刻刀やペーパーを駆使しまして、片面につき30分くらい費やします。中学~高校生のころに自分が組んだ車体です。長い付き合いがあるから、再生しようという気力が保てるのです。正気なら、新しいキ...むかしのキット組みを再生する(その6)クモハ43とクハ47から…

  • むかしのキット組みを再生する(その5) 60余年前の横須賀線編成ができた

    毎朝、「逗子」や「大船」を行先表示に掲げた電車に乗って通勤しているのですが、そのわりには、横須賀線に乗る機会はないものです。現代の横須賀線は15輌あるいは11輌編成という電車が走っています。模型で手元に揃ったのは、朝晩が12輌、日中閑散時間帯が6輌編成だったころの横須賀線電車。1959(昭和34)年からの4年間、2扉車の3扉化工事が行われるまでの姿です。35年前の学生時代に買った本がありまして。このイメージは、強烈でした。キハ10系気動車が知りたくて、当時の自分としては大枚をはたいた1冊です。ここに、横須賀線のお話しも載っていまして、それが興味を持ったきっかけでした。久里浜方の先頭は、2扉車のクモハ53003。奇数向き車を方向転換した車輌です。キットで成形されている配管を活かしましたが、ドア窓の形などが異...むかしのキット組みを再生する(その5)60余年前の横須賀線編成ができた

  • むかしのキット組みを再生する GMクモハ53・モハ70(その4)

    あっという間に、1週間が経つのです。マメにブログを更新したいと思っているのだけどなぁ。さて。横須賀色のクモハ53形です。元々は、1982年に作ったもの。塗装はすべて剥離して塗り直したわけですが、パンタグラフなども再生しました。ヘッドライトは、銀河モデルのパーツです。このパーツを取り付けたときには、嬉しかったな。パンタグラフは、KATO製PS14。いまなら、PS11形も発売されていますが、当時はこれがいちばんでした。ヘッドライトは、車体中心線上に取り付けます。前後から確認しましたが、なかなか難しいものです。避雷器の向きを間違った気がするな。床板は、ダイカスト製床下機器仕様だったこともあり、イチから作り直します。仕切板は、再利用。もしかしたら、ここには窓が無いのかもしれませんが、当時は調べきれませんでした。せ...むかしのキット組みを再生するGMクモハ53・モハ70(その4)

  • むかしのキット組みを再生する GMクモハ53・モハ70(その3)

    連休も終わりです。じつは、ある内職を抱えていたので、それに追われていました。ずっと手を動かしていたので、やや筋肉痛ですよ。筋肉痛を抱えたまま、また日々の仕事が始まりそうです。それはさておき。モハ70形を、先行して仕上げました。DT20台車を履いたタイプとしたかったので、戸袋窓はHゴム支持になります。工作精度が悪くて、あまりそれらしくはなりませんでした。ちょっと大きめだったかな。回送運転台もついていたというので、テールライトをそれらしく。あとで調べたら、妻板の窓は両側ともHゴム支持の固定窓だったようです。パンタ回りに配管は、キットの成型をそのまま活かして色差ししてあります。高さが妙に低い避雷器も、そのまま。遠目に見れば、ドア窓2段でDT16台車を履いた初期型とは別物に見えます。粗は多いのですけどね。むかし作...むかしのキット組みを再生するGMクモハ53・モハ70(その3)

  • むかしのキット組みを再生する GMクモハ53・モハ70(その2)

    2日続けて、風が強い日となりました。四六時中、びゅうびゅう風が鳴っています。毎年、こんなときが何日かあります。さて。風がないときに、塗れました。屋根板をマスキングしてから、車体色を塗ります。今回は、迷ったのですが紺色を先に塗りました。窓周りのクリーム色は、この上から塗り重ねることになります。旧型車輌は、車体に凹凸が多いものです。塗装のまわり込みを防ぐため、マスキングには時間をかけました。連休だからこそ、できることのような気がします。クリームは、やや厚塗りになります。とはいえ、塗料が本来持っている質感を考慮すると、厚塗りは悪いことではないように思います。修正箇所は、最小限で済みそうです。自分でも丁寧なマスキングはできるんだな、と思ったひとコマでした。つづきます。むかしのキット組みを再生するGMクモハ53・モハ70(その2)

  • むかしのキット組みを再生する GMクモハ53・モハ70(その1)

    5連休です。ありがたや。遠出する余裕はなくとも、時間や仕事に追われずに済むのは助かります。これで生活が楽だといいんだけどな。で。以前に塗装を落とした車体を持ち出してきました。もとはといえば、高校生のころに作ったキットです。3年ほど前に、塗装を落としていたのでした。2019年11月14日のブログ記事一覧-鉄道模型・色差し三昧筆塗りですよ。自分にとっては記念碑的なモデルですが、最近では仕舞いっぱなしでした。こちらは、戸袋窓をHゴム化して、関西風に仕立てようとしたモハ70。先だって、サロ75形を仕上げました。そこで、この中からモハ43形とモハ70形を再生すれば、横須賀線の編成が仕立てられそうです。ということで。モハ70形の戸袋窓は、あらためて開け直すことにしました。一度埋めます。1週間くらい接着剤を乾かしてから...むかしのキット組みを再生するGMクモハ53・モハ70(その1)

  • 新潟色のクハ76が仕上がりました GM#164クハ76形を組む(その7)

    勤務先近くの保育所が、今月に入ってから移転したようです。毎日、おさんぽに出るおしゃべりが聞こえていたのですが、回数が減りました。定番のコースからは外されたようです。道幅狭いわりに車が通り抜けるからなぁ…。さて。ひと月くらい間が空きましたが、仕上がりました。基本的に、キットの素組ですからね。ヘッドライトのレンズは、木工用ボンドを盛りました。乾くと半透明になるという、旧い技法です。あんがい、いい感じになります。キット付属の仕切り板は、細かく色差しして遊べます。赤く塗った成形は、消火器。実車の写真を調べていくと、確かにこのあたりに設置している車輌もあるようです。乗務員室内だけですが、内壁を淡緑色で塗っておきました。仕上がれば、嬉しいものです。消火器も、それらしく見えます。もっとも、運転士用の座席が無いので、ディ...新潟色のクハ76が仕上がりましたGM#164クハ76形を組む(その7)

  • 新潟色を塗る GM#164クハ76形を組む(その6)

    勤務先の近所で、年末にガソリンスタンドがひとつ廃業しました。春になって、解体工事が始まっております。ガソリンスタンドの建築は、安全性を確保するために非常に丈夫に作ってあるそうです。都市部ですから、さすがに地響きはしません。それでも、とくに先週1週間は、ときどき揺れました。今週は、どうでしょうね。さて。これも仕掛品です。3年半、工作が停まっていました。https://blog.goo.ne.jp/torinosanpo/d/20191007サロ75形に続いて、これを片づけましょう。まず屋根色を塗りまして、これをマスキングして車体の赤色を。好みで、クレオス#81「あずき色」を使っています。ひと晩乾かしてから、マスキングを続けます。カッターナイフで切れ込みを入れて、密着させます。貼り重ねます。前面は、ステップを...新潟色を塗るGM#164クハ76形を組む(その6)

  • できあがりました GM#181サハ75形を組む(その4?)

    菜種梅雨です。季節が感じられて、いい言葉だねなどとかみさんと話しております。肌寒いですけど。さて。サロ75形が完成しました。60年くらい前の横須賀線の2等車です。組み始めたのは2019年の秋https://blog.goo.ne.jp/torinosanpo/d/20191010でした。こんな世の中になると、まったく想像できませんでしたね。組み始めたときは、長岡区に転出したあとの晩年スタイルで組むつもりでした。車体中央部の切り継ぎの仕上げが気に入らなかったので、帯入りの塗装というすこし面倒な横須賀線時代を選び直し。塗り分けが単純だと、それだけで粗が目立ちやすくなりますから、という不純な動機です。2等表記は、40年くらい前のグリーンマックス製ステッカーに収録されていたもの。じっさいの文字色は、車体色の紺色の...できあがりましたGM#181サハ75形を組む(その4?)

  • 唐突ですが、塗り終えました GM#181サハ75形を組む(その3?)

    野球の国際大会、WBCが終わりました。決勝戦の日は仕事でしたので、中継を見ることは叶いませんでしたが、予選のリーグ戦から始まって、また日本戦に限らずいろいろと愉しみました。折しも、プロ野球のオープン戦もたけなわですが各国の代表チームによる試合中継を見たあとでは、どこかの地方大会を見ているような気がしてきます。さて。準決勝戦を見たあとのこと。お天気でしたので、前々から仕掛かりだったものをひとつ、塗り終えました。前回の記事は、たぶんこれです。2019年11月10日のブログ記事一覧-鉄道模型・色差し三昧屋根色を塗ったところで、終わっています。このあと…気になった歪を修正しようとして悪戦苦闘し…面倒くさくなってきて放置し…新潟色で組むつもりだったのが目移りし…2等車の等級帯を自家調合したあとで、クリーム、青色の順...唐突ですが、塗り終えましたGM#181サハ75形を組む(その3?)

  • 車体を塗る GM#407阪急通勤電車(その14)

    今年の花粉症は、例年になく激しいと聞きます。幸いなことに、ワタシは発症していないので助かります。とはいえ、気がつくと目がかゆかったりします。対岸の火事ではありませんね。さて。2か月前に塗装を落とした、阪急電車です。車体のヒケを消したかったのですが、道半ば。こうも手がかかってばかりだと、永久に完成できないような感じです。どこかでキリをつけて、塗ることにしました。ワタシのばあい、エアーブラシを使うときは屋外で塗るしかないので、真冬の間は、なかなか取り掛かる気になれません。ようやく、取り掛かる気になれたという事情もあります。前回同様、「西武ラズベリー」を下塗りにしました。ホコリの除去ができていなかったので、塗装面の研ぎ直し。下塗りは、3回ほど重ねました。さぞ丁寧に、と聞こえるかもしれません。実態は、ちりやほこり...車体を塗るGM#407阪急通勤電車(その14)

  • パンタは銀色 マイクロエース#A7070京王6000系増結2両の色差し(その3)

    このところ、朝の通勤で2回ほど振り替え輸送のお世話になることがありました。いろいろとたいへんなことではあるのですが、ふだん乗らない路線ですと、ちょっと新鮮です。おまけに、有難いことに2回とも途中駅から座ることができました。会社までは10分くらい、よけいに時間がかかっています。さて。京王電車です。パンタグラフを塗りました。銀色で全体を塗って…。あまり、珍しいことはしていません。それでも、塗ることで見栄えが違ってくるものですね。パンタは銀色マイクロエース#A7070京王6000系増結2両の色差し(その3)

  • 前幌の軽加工 マイクロエース#A7070京王6000系新塗装増結2輌(その2)

    給湯器が壊れてお風呂が使えないので、仕事帰りに銭湯に寄ります。会社から歩いて20分ちょい。ネットで調べてたどり着いたその銭湯は、ときどき社用車で通り過ぎる道沿いにありました。運転していると、気がつかないものですねぇ。さて。京王6000系の2輌編成です。増結車は、京王本線系統では新宿方、相模原線系統では橋本方に連結されていました。製品は乗入仕様車、すなわち相模原線系統ですから、橋本方に立つべくカプラーがセットされています。デハ6400形にアーノルド型、クハ6850形にダミーカプラーです。ワタシになじみ深いのは、本線系統です。新宿方に連結したい。そこで、デハ6400形にダミーカプラーをセットしました。前幌凛々しい、増結車です。本線系統と相模原線系統で共通の予備車がありまして、その車輌が本線系統に充当されたとき...前幌の軽加工マイクロエース#A7070京王6000系新塗装増結2輌(その2)

  • 増結車 マイクロエース#7070京王6000系乗入仕様車新塗装増結2輌の色差し(その1)

    10日ほど前から、自宅の給湯機が故障しております。なかなか厳しい日々でして。学生時代も、湯沸かし器の無い下宿で過ごしていました。しかも、部屋の中で氷が張るような寒冷地です。ストーブの上に載せたやかんのお湯だけが頼りでしたね。それでも、そのときは独り暮らしですし、何より若かったのだなと思います。手配中です。半導体不足の影響だそうで、日取りが読めないのですけどね。さて。阪急は、ひと休みです。まだ仕上げが終わっていない。しばらく前に入手したものです。京王6000系の増結車です。2輌編成ですから、なんとなくかわいいですね。製品のプロトタイプは地下鉄新宿線乗入仕様の晩年だそうです。デハ6400形には幌が取り付けられ、8輌編成の橋本方に増結されます。晩年のスタイルですので、パンタグラフはシングルアーム形。列車無線アン...増結車マイクロエース#7070京王6000系乗入仕様車新塗装増結2輌の色差し(その1)

  • 車体をのヒケを消したい GM#407阪急通勤電車(その13)

    日中のひだまりは、いいモノです。ガラス窓越しだと、なおさらいいモノです。おひさま、ありがとう。晴れて嬉しい日曜日でした。さて。塗装を落とした阪急電車。車体の成型時に生じた引けを消すべく、スポンジやすりをかけました。百均で買ってきたものです。800番から2000番をかけました。このように撮って、判りますかねぇ…?右側が仕上げたものです。これで、塗って効果があるといいのだけど。窓枠だけを残し、表示幕の枠や車側灯、靴ズリなどはすべて削り落としたほうが、おそらく仕上げやすいと思います。雨樋も、削ってしまってもいいかも知れない。貧乏性で度胸がないので、存置していますが。そんなこんなで、オハフ61形が先にでき上りました。今年最初の竣工です。台車は、手持ちがなかったので代用品です。車体をのヒケを消したいGM#407阪急通勤電車(その13)

  • 塗装は落としました GM#407阪急通勤電車(その12)

    何の気なしに、窓から外を眺めておりました。青空をバックに、バルコニーの柵。そこにとまる、一羽のカラス。そういえば、昨日も同じような時間にとまっておりました。居心地がいい場所なのかもしれません。見晴らしが効くからかな?さて。阪急電車です。穏やかな日でしたので、塗装を落としました。外に出て、シンナープールに漬けながら洗い落とすのは、楽ではないですから。サーフェーサーも、あらかた落とせました。せっかく仕上げた屋根の加工ミス跡を、ふたたび目の当たりにするのはがっかりですが。まあ、これで出直すことができるというものです。昨夏に上手く塗れなかった客車を1輌、仕上げなおすことができましたので、きょうは、それで、よし。塗装は落としましたGM#407阪急通勤電車(その12)

  • 塗り直すかね? GM#407阪急通勤電車(その11)

    住んでいる市の情報メールを登録しています。そこでは、新型コロナウィルスに関連して、市内の感染者数などが毎日配信されてきます。年末あたりから、「市内で〇人の方が亡くなりました」という文面が目立ちようになりました。それまでは、せいぜい月に1人くらいでしたので、その急増ぶりには驚きます。今までにない感じですね。気をつけましょう。さて。阪急電車の下塗り。下地が荒れてしまって、どうにもならないようです。いちど、塗装を落としたほうがよさそうです。今日は、放置。塗り直すかね?GM#407阪急通勤電車(その11)

  • なんとか下地を整えたい GM#407阪急通勤電車(その10)

    あけましておめでとうございます。毎年のことながら、寝正月であります。年末から咳がときどき出るので、なるべく養生することを心がけたのでした。年末など、気分的にも体力的にも、ろくに休めなかったですからね。仕事始めは5日です。4日からの方も、多いようですね。ワタシのばあい、年末は29日まででしたから、特別長いわけではありません。それでも、連休です。ありがたいことです。で、せっかくの連休だから工作が進むかというと…寝正月だったり、その前は大掃除だったり、言い訳は山のようにありまして。少しだけ、手を動かしました。阪急電車の続きです。下塗りしたところで、車体の成型時の引けなどが気になたのでした。サーフェーサーを吹いたときには気にならなかったのです。艶のある塗料で塗ると、違うのだな。100円ショップで買ってきたスティッ...なんとか下地を整えたいGM#407阪急通勤電車(その10)

  • 良い年をお迎えください

    今年も押し詰まってきました。例年のことながら、早いものです。この2~3年くらい、日々の暮らしから余裕がまったくなくなって、なかなか模型を作って遊ぶことができずにいます。それは来年も変わらないかな…?とはいえ。それでも振り返ればいろいろと作っているものです。1月。頂きモノの73形電車を仕上げておりました。南武線や総武線あたりに見立てるのも愉しいのですが、とりあえず子どものころの記憶に残る青梅線のサボを取り付けてあります。床下機器を並べ替えて遊ぶ、ということもしました。このあと、グリーンマックスから新しい仕様の床下機器が発売されました。でも、調べるのは愉しかったですよ。2月。頂きモノの旧型国電から、サハ48形を仕上げました。特に変わったことはしていません。KATO製103系の旧製品には、色差しを。この工作、何...良い年をお迎えください

  • 下塗りまで GM#407阪急通勤電車(その9)

    先週、親父とお袋が相次いで誕生日を迎えました。それぞれ86と80になります。お袋も、傘寿かぁ。聞いたら、未知の領域に踏み入れる気分だそうです。70を迎えたときとは、体調に差があるからだとのことでした。調べたら、「天寿」は250歳だそうです。80の3倍もの時を生きなければなりませんね。さて。板キットの阪急電車。非冷房のモニター屋根は、車体中心線を出してから、前後均等になるように位置決めして接着。基本的には、目見当です。パンタの位置は、現物合わせでずらすことにしました。試しに、手元にあったKATOの古くて大柄なPS16形を載せたら、あんがい似合うような気がします。グリーンマックス#20「西武ラズベリー」を下塗りとして吹きました。サーフェイサーを吹いていたはずなのですが、見落としていた傷があちこち出てきてびっく...下塗りまでGM#407阪急通勤電車(その9)

  • 掘り出してきた仕掛品 GM#407阪急通勤電車(その8)

    12月ですね。毎年のことながら、時が経つ速さを感じる季節です。さて。片づけていまして。サーフェーサーを吹いた車体が7輌分。放置状態だった阪急通勤型電車のキットです。京都線5300系とすることを考えていて、https://blog.goo.ne.jp/torinosanpo/d/20160923パンタ台の形状がちょっと異なることを教えられ、https://blog.goo.ne.jp/torinosanpo/d/20160926改造を試みたものの上手くいかず、https://blog.goo.ne.jp/torinosanpo/d/20161001とりあえず屋根上をまっさらに,https://blog.goo.ne.jp/torinosanpo/d/20161013したのでした。https://blog.g...掘り出してきた仕掛品GM#407阪急通勤電車(その8)

  • 電車をひとつ

    この秋は、わりと紅葉がきれいな気がします。うちの近所、住宅地での感想ですが、この数年の中では発色が良いように思うのです。なかなか出かけることができないのですが、ちょっと嬉しいです。さて。手元で半端な車輌をひとつ、適当に塗ってみました。現実には存在しない、自由形です。初期の鉄コレで、琴電73号として製品化されていたモノ。もとの塗装が良くないので、剥離したまま放置していたのでした。塗り替えただけです。自由形ですので、車番は適当に付けました。やや高めに記したら地方私鉄っぽくなるかなぁ…と思ったのですが、なんとなく奇異です。社紋とサボは欲しいな。元の製品のプロトタイプとなった琴電73号は、片運転台化されているのですね。幌を付けておきました。今のところ、相棒はいません。屋根上にゲート処理の跡があって、これが消せてい...電車をひとつ

  • 鉄コレ 近鉄820系の色差し(付け足し)

    今月に入ってから、仕事場にパートさんがひとり増えました。緊張感がひしひしと伝わってきます。仕事の要領がつかめるまで、もうしばらくはそんな日々が続きそうです。さて。色差しを終えたつもりだった近鉄電車。いろいろ雑誌などを見ているうちに、付け足したくなってきました。前面の床下にあるATS車上子です。t0.5のプラ板から作ってあります。厚めの材料ですが、ここは丈夫にしようと考えた次第。エアーホースも追加。HOゲージ用の荷物室窓保護棒から切り出し折り曲げたものです。ゴム系接着剤で取り付けました。パンタグラフの周りには、軽くウェザリングを。ベンチレーターの通風孔には、墨入れをしました。ふむ。台車や床下の抵抗器にも墨入れをしています。製品のままよりは良くなったでしょう、と自賛中。ATS車上子が、あんがいそれらしくなりま...鉄コレ近鉄820系の色差し(付け足し)

  • あるセットのこと

    11月3日も、晴れの特異日です。きれいな夕焼けでした。夜になって、叔父の訃報が入ってきまして。母方の長兄です。20年くらいは賀状のやり取りだけになっていたのですが、寂しいことです。1980年の夏だったと思いますが、その叔父が買ってくれたセットがあります。何かの用事でおじが上京した折のこと、帰りの飛行機の直前だっけ。Nゲージを手にして半年経たないころ。6輌で整った編成は、いちばん長い編成でした。ものすごく格好良く見えて、走らせない日でもケースを開けて眺めていたことを思い出します。まだ、手元にあります。もちろん、走ります。純一おじさんの冥福を祈りながら。あるセットのこと

  • 鉄コレ 近鉄820系の色差し(後篇)

    今週の週末の休みは、日曜日だけでした。勤務先は週休二日制ではないのです。ちょっと、疲れるときもあります。で。その貴重な日曜日、晴れてよかったなぁ。さて。近鉄電車です。手元のストックから、旧いキットのステッカーを取り出してきました。白抜き文字がきれいに抜けないためか、銀色で代用していたりするステッカーです。銀文字のものは、さすがに使う気になれません。さて、どこ行きにしようかなぁ。田原本線にしました。乗ったことも、見たこともないので、申し訳ない気もします。ずっとむかしは「たわらほんせん」と読んでいたことも白状しておきます。t0.3プラ板にで裏打ちしています。裏側には両面テープも貼っておきました。モ820形には、前面に幌を付けておきました。手元のパーツを使って、それらしく塗り分け。連結面の幌も、同じように塗り分...鉄コレ近鉄820系の色差し(後篇)

  • 鉄コレ 近鉄820系の色差し(中篇)

    暖かかったり、肌寒かったり。季節の変わり目で、調子が狂います。みなさまも、ご無理なさらないように。さて。小柄な近鉄電車820系。鉄コレの屋根は、ベンチレーターが一体成型です。色を塗り分けて、メリハリをつけようと思いました。ヒレのように前後に伸びる脚の形状も独特なので、マスキングして吹き付けることにします。なお、実車はの屋根板とベンチレーターはほぼ同じ色のように見えます。屋根板全体をマスキングして、ベンチレーターを吹き付けます。数多く同じ形のものをマスキングするときは、同じ個所を同じように貼り進めていくと、リズムがいいように思います。頭がいちいち考えなくて済むからでしょうね。小さな部分から、大きな範囲へ。貼り終えました。パンタグラフがあろうと無かろうと、ベンチレーターの間隔は同じだということが、判ります。車...鉄コレ近鉄820系の色差し(中篇)

  • 鉄コレ 近鉄820系の色差し(前編?)

    季節の変わり目ですね。体調を崩しやすい時期です。この週末は、よく身体を休めたいと思っているところです。さて。久しぶりに、既製品の色差し。数年前に発売された近鉄820系。縁あって、今ごろ手元に来ました。20m級4ドアという車体は、この国の通勤用電車のひとつのスタンダードであることは、ご存知のとおりでしょう。もちろん当てはまらない鉄道も多いのですが、それはともかく、20m級4ドア車体が定着する以前の車両は、さまざまな車体があって興味尽きないところです。近鉄の820系も、そんな車両のひとつ。ちょっと小柄な車体が、魅力的です。そんな魅力的な車輌が手元に来ました。鉄コレです。屋根が一体成型だったり、インテリアパーツが座席色で仕上げられていたりします。それは、気にいらない。分解します。ガラスが外れれば、ひと段落。とり...鉄コレ近鉄820系の色差し(前編?)

  • 鉄道記念日に

    ご存知のとおり、この10月14日で、この国の鉄道は150年を迎えました。その間、途切れることなく人々や物資を運び続けたのですから、大したものです。めでたい。とはいえ、個人的なことですが、ちょっと鉄道にわくわくできない日々が続いています。ひとつには、自分の環境から道楽を楽しむ余裕が消えてしまったこともあるのですが、それよりも…。最近の鉄道に幻滅するいちばんの理由は、混雑が収まらないこと。コロナ禍明けで利用者数が戻らないから経営が厳しくなったという事情は、いちおう理解できます。とはいえ。この国の鉄道は、輸送力の確保と増強に向けて、日々を重ねてきたのではなかったかな、と。いつか混雑が解消できる日を目指して、投資を続けてきたのではなかったのかな、と。25年くらい、通勤で電車を利用しています。25年前に比べると、朝...鉄道記念日に

  • いただきモノを仕上げる(その13 ぶどう1号塗りのマニ31)

    ずいぶんと、涼しくなりました。金木犀が、香っています。みなさまのところは、いかがでしょうか。さて。先生から頂いた車輛の中に、ダブルルーフの荷物車がありました。1931~1932(昭和5~6)年度に18輌が作られたマニ31形です。ワタシが生まれるころまでに、ほぼ全車が引退しました。重厚なスタイルが気に入ったので、車体を「ぶどう1号」で塗り直しました。おおむね1959(昭和34)年以前の塗装となります。黒光りするような客車になりました。当時は尾灯の周りに赤色の反射板を付けて運用されていたようなので、それらしく塗ってあります。「ぶどう2号」塗りの客車と並べてみました。奥のマニ60形はグリーンマックス#2「ぶどう色2号」で塗ったもの、手前のマニ31形がガイアカラー#1010「ぶどう色1号」で塗ったものです。色味の...いただきモノを仕上げる(その13ぶどう1号塗りのマニ31)

  • 旧型客車を何輌か組む(その10 10年目のGMオユ14が出来上がる)

    ワタシの両親は、ともに高知県の出身です。台風の多いところですね。子どものころ、祖母に聞いたら、やはり室戸台風は怖かったそうです。今回の台風14号の気象情報を聞きながら、思い出しました。みなさま、ご無事だったでしょうか?さて。2012年11月に着工したらしい郵便車が、ようやく完成しました。10年近い期間のうち、ほとんどは放置していたのですが。カタチになれば、嬉しいですよね。粗があったにせよ。今回は、クーラーのルーバーの墨入れが、濃すぎました。いずれ、直そう。実車どおりに窓を埋めた郵便室側の貫通ドアですが、跡が残りました。画像では判らないですが。こんど作るときには、ドア全体を新製したほうがよさそうです。雨樋の高さを変えたのは、悪くなかったかなと思います。採光窓も、くり抜きました。下半分が曇りになっている区分室...旧型客車を何輌か組む(その1010年目のGMオユ14が出来上がる)

  • いただきモノを仕上げる(その12 スハ32とオハ35)

    ブドウですとか、梨ですとか、美味しい季節です。これが過ぎると、寒い冬が来るのですが…。今のうちに、味わっておきましょう。さて。板キット組みの旧型客車。1~2輌くらいづつ、仕上げております。1年くらい前にいただいた車輛も、ようやく少し。戦後型のオハ35は、グリーンマックス製のキット組み。青いほうは直江津の2793番、茶色いほうは福島の2834番としましたが、どちらも、とくに意味はありません。屋根は鋼板張りですので、明るいグレーとしました。小窓のスハ32は、中村精密製のキット組み。飯田町の2494番としました。床下に電気暖房関連の機器を足すべきですが、まだです。グリーンマックス製と中村精密製の床板を並べてみました。何やらパイピングの表現があるだけで、精密感が違いますね。いただきモノを仕上げる(その12スハ32とオハ35)

  • できあがりました(モデル8製ED31形を仕上げる その5)

    お天気に恵まれた土曜日。お誘いを受けまして、路線バスに乗ってきました。渋谷駅発新宿経由新橋行きの京王バスです。日に3便運行されています。スクランブル交差点を直進し、代々木公園の森を見て、新宿西口の高層ビル群を見上げ、新宿御苑をかすめ、半蔵門に突き当たり、北の丸公園を通り抜け、行幸道路越しに東京駅を見通し、銀座を横切り、汐留停車場を通り過ぎ、1時間20分ほどの旅路でした。来週からは、東京駅八重洲口行きに変わるそうで、その記念です。おもしろいバス路線だったので、写真は撮っていません。機会があれば、ぜひどうぞ。さて。その集まりの席上で、引き渡してきました。実車は5輌いましたが、手すりの形状にいくつかバリエーションがあったそうです。わりと近いものから2号機としましたが、それでもやや細部が異なります。前面窓が、小さ...できあがりました(モデル8製ED31形を仕上げるその5)

  • 旧型客車を何輌か組む(その9 続・紙工作)

    ひと雨ごとに秋が来る…そんな季節ですね。まだ、降れば蒸し暑くなるだけですが。手元の携帯で、雨雲のようすを一目で見ることができます。愉しいです。電車に乗っているときなど、どこに雨と曇りの境界があるのか、気になったりします。路地ひとつの違いで道が濡れていたりしますから、おもしろいです。さて。紙工作の仕切り板の話し。どのくらい差が出るのか、撮り比べてみようと思い立ちました。車掌室付きのオハフ61形で、比べてみます。キットのままですと、仕切り板はこれだけです。キットの説明書では(室内装置を作る人以外あまり意味がありません)なんて書かれています。紙工作で、仕切り板を追加したものが、こちら。便所と車掌室を囲みまして、向こう側が透けないようにしてあります。車掌室側です。キットの仕様のままのもの。仕切板を足したもの。貫通...旧型客車を何輌か組む(その9続・紙工作)

  • 旧型客車を何輌か組む(その8 紙工作)

    土日で二日間の休みです。先週は日曜日だけでしたから、余裕があってありがたいです。こんこんと、昼寝をしておりました。疲れが少し取れたようです。さて。手元のボール紙です。クレオス#28「ダッグエッググリーン」を筆塗り。2回重ねています。裏側は、こんな感じで化粧が無い、ごく普通のボール紙です。どこで手に入れたかも覚えていないような。仕切板を作ろうと思ったのでした。ボール紙ですから、切るのは簡単。現物合わせの調整も、ラクラク。プラ板で作るよりも、ストレスがありません。内装の仕切り板だから、ですが。車掌室の仕切り板は、L字型に曲がります。ここで曲げやすいということが、紙を選んだいちばんの理由です。曲げるだけ。ゴム系接着剤「Gクリヤー」で留めています。直角や並行には、やや無頓着な気楽な工作。便所側の仕切板は、アレンジ...旧型客車を何輌か組む(その8紙工作)

  • 旧型客車を何輌か組む(その7 キット組みと完成品加工と)

    連日のように、傘を片手に通勤しています。ちょっと、荷物な気がします。まぁ、日照りで暑いのも大変ですから…。さて。車体の塗装が終わったものは、窓のHゴムなどを塗り分けていきます。郵便車などは、Hゴム支持の窓が多いので軽く1時間以上かかりますね。2~3回くらいは塗り重ねて、太さと色ムラを整えていきます。スハフ42形は、窓ガラスを入れました。いちおう、完成したということになります。室内の仕切りや座席を作ればもっと充実するでしょうけど、仕掛品が多く溜まっているので、いちおうのところで区切りとしました。とはいえ、大きなアーノルドカプラーが目立ったりしています。まだまだ手を入れる余地はたくさん。ところで。色差ししてある完成品を8両ほど、手放すことにしました。置き場所に困りつつありますから。市販の完成品はスマートです。...旧型客車を何輌か組む(その7キット組みと完成品加工と)

  • 旧型客車を何輌か組む (その6 車番を何輌か決める)

    「ツクツクホウシは嫌いなんだよね」ワタシが小学生のころ、お袋が言ったことばです。ツクツクホウシが鳴くのは8月の後半に入ってからだから。夏休みが終わってしまうから、というのがその理由でした。以来40年以上、毎年この季節になると思い出します。さて。インレタで車番を入れました。とくに特定の列車として仕上げようということではありません。ですから、車番は何でもいいのです。だからこそ、何番にしようか迷うのです。いろいろ調べまして。いただきもののナハフ11形は2018番。長らく尾久の配置だった車輌です。スハフ42形は2271番。長野の配置です。いや、学生時代に信州にいたからね。ぶどう1号に塗ったオハフ61形は435番。1958(昭和33)年当時は松本の配置です。中央東線で活躍したかもしれない。同じくぶどう21号に塗った...旧型客車を何輌か組む(その6車番を何輌か決める)

  • 旧型客車を何輌か組む(その5 マスキングのずれを修正する)

    一日の仕事を終えようというころ、窓の外がとっぷり暮れていることも増えてきました。日が短くなってきましたね。つるべ落としの季節です。つるべ井戸で汲んだことは、ないなぁ…。さて。承前。マスキングの線がずれた1輌です。もういちどマスキングをしてから、修正しました。仕事でも似たようなことをするときがあるので、いまいち気晴らしになりません。雨樋に当て付けでマスキングテープを貼ったので、ずれたのです。そこで、やり方を変えました。まず、マスキングテープを、雨樋を包み込むように貼ります。そして、雨樋の段差をガイドに、カッターの刃を入れて切り出します。こんな感じですね。このあと、吹き付けて修正しました。撮ってはいませんが、直せましたよ。旧型客車を何輌か組む(その5マスキングのずれを修正する)

  • 旧型客車を何輌か組む(その4 オユ14形の貫通ドア)

    近所の薬局で、抗原検査キットを買ってきました。製薬会社の作った動画も参考にしまして、いざ検査。陽性反応が出たらちょっと大変ですので、結果が出るまでの15分余りがもどかしい。ちょこちょこ試薬を覗き込んだりして、落ち着かなかったですね。さて。承前。雨樋の位置を直した、グリーンマックス製のオユ14形。明かり窓の数が実車と違うと教わりました。なるほど。ここで1個、足りないのですね。左側に1個足せば、実車どおりになります。どうしようかな、と迷いました。迷った結果、そのままにすることにしました。教えていただくまで気がつかないということは、自分としては実車のイメージからはさほどかけ離れていないわけです。だから、気にするのはやめました。下手にこだわると、いつ完成できるかわからなくなってしまう、というのも理由です。そのかわ...旧型客車を何輌か組む(その4オユ14形の貫通ドア)

  • 旧型客車を何輌か組む(その3 塗る)

    先日、夕方にヒグラシの声を聞きました。夏も終わりですねぇ…。この風情、好きです。いささか、寂しくもあり。さて。グリーンマックスの客車キットを何輌か組んでいるところです。車体は、屋根板を先に塗っておきました。乾燥待ちの間に、床板を塗ります。床上側と床下側で塗り分けました。床上側ですが、スハ43系以前の形式は木床ですので、ブラウンに塗っています。屋根板が乾いたところで、車体を塗るためにマスキングを始めました。わりと、手間です。5輌くらいあると、あっというまに1~2時間経っているような気がします。今回は、「ぶどう1号」で塗りました。手元にナカセイ製のD50やC54があるので、それに似合いの客車を用意したいのです。また、ワタシが知ったころには淘汰が進んでいたオハ61系も、現役真っただ中の時代があったはずで、それを...旧型客車を何輌か組む(その3塗る)

  • いただきモノを仕上げる(その11 GMキット組みの郵便車)

    家族でひとり、39℃台の熱が出ました。抗原検査を受けて、陽性反応。ということで、おとなしく閉じこもる週末でした。ワタシ本人は、ぴんぴんしております。換気と、マメな消毒を心がけますから、ご心配なく。さて。昨年、恩師から譲り受けたhttps://blog.goo.ne.jp/torinosanpo/d/20210924うちの一部です。グリーンマックス製のキットを組んだ郵便車。もともとは青色で塗られていたモデルですが、「ぶどう色1号」で塗り重ねました。現行の茶色よりもやや暗めの色合いが特徴です。1959(昭和34)年6月より前の時期の仕様になります。まぁ、細かい粗はいっぱいあるのですが、眼を瞑って。窓下の〒マークは、車輛によって位置に差があるようです。所属表記が車番の上に来るのが、この時期のレタリング。手持ちの...いただきモノを仕上げる(その11GMキット組みの郵便車)

  • 旧型客車を何輌か組む (その2 10年目のGMオユ14)

    夏休み中に、眼鏡を新調しました。今年に入ってから視力が落ちていたので、気になっていたのです。年齢ゆえに、とうとう遠近両用レンズを導入しました。で、新しい眼鏡をかけての通勤も2日め。階段を降りるときなど、ちょっと高低感が掴みにくいときがありまして、20年以上通いなれたはずの駅で、妙に慎重になっているときがあります。慣れるでしょうけどね。さて。数輌の客車を組んでいるうちに、仕掛かり途中の郵便車を1輌、見つけました。過去の投稿を検索したら…https://blog.goo.ne.jp/torinosanpo/d/20121102ほぼ10年前のことのようです。雨樋の高さが気になるので削り取り、区分室の明かり窓をくり抜いていたのでした。車体を箱に組み、乾燥待ちのまま10年近くが過ぎていた模様です。ようやく、雨樋を接...旧型客車を何輌か組む(その210年目のGMオユ14)

  • 旧型客車を何輌か GM#115 スハ32形などを組む(その1)

    夏休みです。5日間の連休です。久しぶりに、夜更かしをしております。残り、あと1日だけですが。夏の夕暮れ時の空を見上げる時間が取れます。いいなぁ。少しづつ、秋めいてきましたね。お盆休みが終わると、夏が終わる気配が迫ってくるような気がします。さて。またぞろ、キットを引っ張り出してきました。グリーンマックス製の旧型客車です。画像はスハ32形ですが、ほかにも在庫から少々。この手のキットの宿命として、ベンチレーターの取り付け位置を自分で決める必要があります。で、ワタシのばあいの、いい加減な方法。まず、中心線を出します。定規の任意の点を中心として、左右が均等になるように屋根板に乗せると、簡易的ですが中心線が出せます。それを何カ所か、描き込みます。もちろん、鉛筆ですよ。ひとつひとつの精度が低かろうという前提で、何カ所か...旧型客車を何輌かGM#115スハ32形などを組む(その1)

  • 飯田線を乗り通して(その26 さらば213系)

    16時12分、天竜峡発の225M列車は、無事に終着の茅野に着きました。いつもかどうかは判りませんが、ワタシが乗ったときには豊橋からの511M列車も同じ編成でした。途中の天竜峡で一時引き上げたとはいえ、この車輌に8時間くらいお世話になったのです。振り返ればあっという間ですが、名残惜しいですね。豊橋で朝日を浴びていた電車が、茅野で夕日を浴びています。JR東海の大垣区に所属する車輌です。車体の車番表記の撮っておこう。また乗れる機会があるとは、限りませんから。折り返しは、平岡行きになるようです。終着の平岡には21時47分に着く222M列車ですね。11時33分に通ったところに戻るころには、そんな時間です。飯田線は長いなぁ。跨線橋を渡るとき、この電車の屋根が見えました。待ち合わせ時間が半時間ほどありますので、途中下車...飯田線を乗り通して(その26さらば213系)

  • 飯田線を乗り通して…(その25 さらば天竜川)

    天竜峡発茅野行き225M列車は、辰野15時42分発です。2分停車している間に、乗務員がJR東日本の社員さんに替わります。発車して、間もなく天竜川を渡ります。千代~天竜峡間以来、だいたい3時間半ぶりですな。このあと岡谷駅に着く手前でもういちど、天竜川は渡ります。ですが、そちらでは車窓から川面はほとんど見えません。川岸~岡谷間です。谷間が広がりつつありますね。列車は諏訪平に入ってきました。天竜川の水源は、岡谷駅にほど近い諏訪湖の釜口水門です。間もなく、お別れです。朝方、浜松駅手前で渡ったな。昼前には佐久間あたりでも渡ったなぁ。15時55分、岡谷到着。このまま列車は、中央東線を茅野まで直通します。岡谷~下諏訪間の横河川が、フォッサマグナが通っているところでなかったかな。この画僧は、その近辺。下諏訪~上諏訪間では...飯田線を乗り通して…(その25さらば天竜川)

  • レタリングなどなど (モデル8製ED31を仕上げる その4)

    空を見上げながらの夕涼み。夏という季節を感じて、好きです。これは先の日曜日の撮影ですが。ええ。まだ週半ばですね。さて。お預かりのキット。こんなオプションパーツがありました。社紋などのインレタです。薄々予想はしていたのですが、やはり、なかなか転写できませんでした。何年前のものだろう?なんとか社紋だけは転写し、すぐさまクリヤーを吹いて表面保護。なお、検査表記は手元にあったエンドウ製のインレタです。よく見れば、まったく実機と違うけど。ライトグレーを吹いてあったキャブインテリアは、細々と色差し。なんとなく、こんな感じかな、と。いくつかのサイトが、いい参考となりました。感謝。台枠の連結器台座なども、塗り分けておきました。テールライトは、車体色ですね。レタリングなどなど(モデル8製ED31を仕上げるその4)

  • 飯田線を乗り通す(その24 とうとう辰野へ)

    4か月前の旅行記です。15時17分、伊那松島に到着です。豊橋起点187.1km。辰野まであと残り8.6kmですが、ここで8分停車。せっかくですから、途中下車します。駅前通りに出ましたが、こんなに坂があったっけ?人の記憶というのは、曖昧なものです。少し行けば、三州街道に出ます。まだ古い建物が残っていかなと気になりましたが、ちょっと時間がありません。駅に戻りました。駅本屋はワタシが学生のときに建て替えられたものです。あれから30年経っていますね。ご存知のとおり、伊那松島には機関区がありました。機関区という組織は国鉄時代になくなりましたが、その後も車両基地としての機能は活きています。とはいえ、貨物列車が廃止されて機関車の常駐もなくなり、寂しくなりました。定点撮影ではありませんが、1991年と比べると建造物が減っ...飯田線を乗り通す(その24とうとう辰野へ)

  • 伊那電の機関車を塗る(モデル8製のED31 その3)

    この1週間で、ワタシの身の回りでも、発熱したりコロナ陽性の診断を受けたひとが続々と出てきました。とりあえず、自分としては熱は出したくないので、手洗いには気を遣おうと思うところです。さて。お預かりの元伊那電ED31形。下塗りをして、しばらく乾燥させました。やや不揃いなボンネット裾部の穴が気になりましたが、これ以上整えようはないですね。いちおう、ピンバイスで掘り直しておきました。施主の希望は、近江鉄道仕様です。それも、やや使い込まれた色調にしたいのだとか。伊那電仕様じゃないのね…とぼやいても始まりません。屋根と室内をマスキングしました。車体色は、自家調合です。クレオス#34「スカイブルー」とグリーンマックス#14「灰色9号」がベースです。クリヤーブルーとクリヤレッドを微量足して調整しました。こういうときの常で...伊那電の機関車を塗る(モデル8製のED31その3)

  • 飯田線を乗り通す(その23)

    仕事先で、今年初めてセミの声を聞きました。猛暑と戻り梅雨という今年の気象のせいなのかもしれませんが、かなり遅く感じます。地球上における昆虫類の絶対数が急減しているという話しも聞きますので、気がかりでもあります。さて。4か月前の飯田線乗車記。伊那北を出ましたので、あと少しです。田畑駅です。東京の田端と表記は違いますが、読みは同じですね。車窓に見える浸水危険区域。標高が3.2mということでは、もちろんありません。近くを流れる天竜川の平水位と比べた値でしょう。季節は3月です。今の時期なら、まったく違った色彩のはず。北殿駅。そういえば、乗り降りしたことなかったな。木ノ下駅。こんもりした木陰は、木下神社の社叢です。三州街道、のちの国道153号に面したお社です。15時を過ぎ、3月の陽は傾き始めています。振り返りながら...飯田線を乗り通す(その23)

  • 飯田線を乗り通したついでに 伊那電の機関車(その2)

    3連休でした。ありがたや。後半は、お天気にも恵まれました。プランターのミニトマトも、収穫期です。さて。伊那電から近江鉄道に渡ったED31形機関車です。エポキシ接着剤でがっちり止められていたヒューズ箱は、取り外します。磨いておきました。ヘッドライトも、接着剤でがっちり。丈夫なことはいいことです。ですが、さすがにこのまま塗ったら、山盛りの接着剤が目立つはず。小型のノミを使って、取り去りました。傷は、できるだけ消したいのだけれども。2時間ほどかかって、いちおう下地が整いました。サンポールで洗っておきます。塗装前の記念撮影。下塗りも兼ねて、明るいグレーで塗っておきます。飯田線を乗り通したついでに伊那電の機関車(その2)

  • 飯田線を乗り通す(その22 伊那市、伊那北)

    ほぼ、ひと月の間、ブログが停まりました。お久しぶりです。いろいろありまして間が空いたわけですが、あまりに空きすぎると、再会するまでがおっくうになってきます。そうこうしている間に、梅雨が明け、猛暑が続き、そして台風崩れ。再掲です。伊那市駅。駅前は、こんな感じでした。1997年2月の撮影です。駅前のバスは、JRバス高遠線。現在も運行している路線ですが、この春からは駅前には乗り入れなくなったようです。雰囲気は変わったのかな?降りる間もなく、列車は発車します。30年の学生時代と比べて、駅前はあまり建て替わっていないように感じました。どうなのでしょう?上の画像と比べようにも、ちょっと画角が違うようです。何度となく通った踏切です。それだけで、嬉しい。小沢川を渡ります。滝のような急流とはこのような川のことを云うのだ、と...飯田線を乗り通す(その22伊那市、伊那北)

  • 伊那電の機関車

    えかきうたに「6月6日に雨ざぁざぁ降ってきて」というフレーズがあります。毎年、この6日を迎えると、それが頭に浮かびます。今年は、雨でした。さて。塗ってほしいという依頼を受けました。近江鉄道ED31形、モデル8の製品です。なんでも、ハンダ付け完成品を手に入れたそうで。前面窓が小さな、凸型電気機関車です。実車は1923(大正12)年に、伊那電気鉄道のデキ1形として6輌が作られました。国鉄への買収によりED31形となり、そののち近江鉄道に払い下げられています。国産黎明期の電気機関車として知られ、近年まで全車が生き残っていました。3号機が、生まれ故郷の東芝に引き取られたということです。塗ればいいので、まずは分解します。これが飯田線を走っていたんだよなぁ…などと言いつつ。よく見ると、接着剤がはみ出したりしています。...伊那電の機関車

  • 飯田線を乗り通す(その21 伊那市まで)

    自宅のバルコニーで、ヒマワリなどを育てています。だいぶ大きくなってきました。5月の天気が良くなかったせいか、アサガオの生育は遅れ気味です。さて。飯田線茅野行き225M列車は、駒ヶ根を14時40分に出ました。駒ヶ根の市街地にある、おそらくNTTの電波塔です。とくだん、ご紹介するようなモノではありませんが、学生時代いつも見慣れていたもののひとつ。なんとなく、再会が嬉しくて。14時47分、宮田。反対側の車窓も、無理して撮ろうとしてます。きょろきょろ、落ち着かない客ですな。見慣れた風景が嬉しいだけです。14時49分、赤木。行政区域は、伊那市に入りました。心の中は、ぱたぱたしてます。学生時代に、このあたりで撮ったものをひとつ。1991年5月です。14時56分、下島。線路に沿って、旧道が。車でも何度も走ったし、路線バ...飯田線を乗り通す(その21伊那市まで)

  • 飯田線を乗り通す(その20 中田切川)

    自宅のPCの調子が悪くなってきました。寿命かなぁ。さて。飯島、田切と北上してきまして、中田切川を渡ります。田切のオメガカーブとして知られる撮影地ですね。中田切川が刻んだ深い谷を越えるために、上流側にぐるっと迂回します。速度制限が40キロくらいかと思われる急カーブの線路です。こんな感じですね。これは1991年5月の撮影。南アルプスを背景に中田切川を渡るという構図が、飯田線写真の定番のひとつです。ワタシでも、このくらいは撮れました。お天気に恵まれたっけな。2022年3月に戻りまして、車窓から白い河原の中田切川。それだけ、土砂の移動が激しいということでもあります。ぐるっと谷を迂回するところを上流側から眺めると、こんな光景です。こちらは1991年10月。西から東を望み、背景に中央あるプルの山々。いまこの構図で撮る...飯田線を乗り通す(その20中田切川)

  • 飯田線を乗り通しながら(その19 伊那本線)

    寄り道的なお話し。30年くらい前に発売されたキットです。ご存知のかたも、多いでしょう。箱の裏面が、ジオラマの台紙としても使えるようにデザインされています。これを見るだけでも、わくわくしてきますね。バスの営業所のキットですが、路線バスのキットも1台付属しています。当時のミニカーモデルにあわせて1/144スケールで制作されたキットです。最近のバスコレクションと比べると、ひと回り大きくなります。で。キット説明書のうち、バスの部分。伊那バスです。飯島駅行きです。学生時代に見覚えのあるバスですよ。キット付属のデカールです。説明書のイラストにある「旧道経由」の文字は、●●。印刷の限界だったのでしょうね。さて、飯島駅行きの伊那バスです。30年以上前のことですが、飯田線に並行するバス路線がありました。辰野~伊那松島~伊那市~宮...飯田線を乗り通しながら(その19伊那本線)

  • 飯田線を乗り通す(その18 飯島町)

    七久保から10分あまりで飯島に着きます。列車は、上伊那郡に入っています。同じ伊那谷でも、下伊那と上伊那の境界辺りは、わりとお客さんが少なめです。駅名でいうなら、伊那大島と飯島の間くらいでしょうか。七久保の手前、高遠原から飯島町の町域に入ってはいるのですが、お客さんが増えてくる気がするのは、たいがい飯島からです。飯島駅あたりの、どうということのない車窓です。それでも、見慣れた山々に出会えて、心地よい。停車時間は、僅かでした。せっかくですので、1991年当時の写真を出します。こんな風情の駅でした。辰野行きの貨物列車です。撮っている地点は、むかしの貨物ホームだったところで、列車は入ってきません。天竜峡行きの115系。さきほどの元貨物側線には、工事用車両が停まっています。線路脇には農協の保冷倉庫。今もあったかどうかは、...飯田線を乗り通す(その18飯島町)

  • 飯田線を乗り通す(その17)上片桐と七久保

    ちょっとうかうかしているうちに、月日はどんどん経って行きます。あな、おそろしや。さて。飯田線の乗車記。今回は、むかし話です。ワタシが伊那で学生時代を送ったのは、1990年代の前半でした。当時、飯田線の北部では貨物営業をしている駅が4駅ありました。元善光寺、上片桐、七久保、沢渡です。元善光寺は石油とLPガス、七久保は石油、上片桐と沢渡はセメントが主な扱い品目でした。上片桐と七久保の貨物側線は、1991年の3月に見に行っております。雨の日でしたから、あまりよく撮れてはいませんが。まず、上片桐。辰野方にある踏切から、上片桐の駅構内と豊橋方を望んだところです。画面右側に側線があり、タキ1900形が留置中です。同じ踏切から、辰野方を望んだところです。右側に曲がっていく線路が、本線です。上り勾配になっているのがわかります。...飯田線を乗り通す(その17)上片桐と七久保

  • 飯田線を乗り通す(その16 下伊那から上伊那へ)

    飯田線乗車記、まだ終わりません。あんがい長くなりました。伊那大島まで来ました。豊橋から143.1km、辰野まではあと52.6Kmですから、3/4くらいまでは来たことになります。天竜川の段丘に駅があります。ですから、眺めが効きます。爽快ですよ。伊那大島駅は、下伊那郡松川町の中心部です。松川町は天竜川の両岸に広がっています。学生時代には、縁があって左岸側の山村に足繫く通いました。谷沿いではなく尾根伝いに道があり、尾根の際に民家があるというような地域です。今までそんな地域があることを知らなかったので、当時は驚いたものでした。尾根に住むということは、水は不便ですが、崩れる心配がないそうです。無人駅ではないのですが、この駅も閑散としていました。30年前は、もう少しお客さんがいたと思うのです。伊那大島では7分の停車。出まし...飯田線を乗り通す(その16下伊那から上伊那へ)

  • 飯田線を乗り通す(その15)

    天竜峡発茅野行き225M列車です。飯田駅13時3分到着。なじみ深い町ですが、停車時間はわずかに1分。大人しく、座席で過ごしました。半分くらいのお客さんが入れ替わったかな。反対側のホームには、JR東日本の211系が停まっていました。長野6時31分発、飯田11時14分着の210M列車として運用されてきたようです。よく見たら、クモハ211形は前パンタ撤去車でした。一時期、千葉県内を走り回っていたことがある編成ですね。長野からの直通列車、むかしは快速列車、もっとさかのぼれば急行列車でした。1995年10月では長野7時ちょうど→飯田10時30分快速「みすず」1979年3月では長野8時2分→飯田11時33分急行「天竜2号」という列車のなれの果てです。3時間半で走破していた区間を、4時間40分余りかけるようになりました。いや...飯田線を乗り通す(その15)

  • 飯田線を乗り通す(その14 茅野行き225M列車)

    天竜峡で26分の接続です。茅野行き225M列車も、213系で運用されるということを聞いていたので、狙っていました。213系が茅野まで乗り入れるのは、この列車だけです。茅野行きとして入ってきた車輌は、先ほどまで乗ってきた編成でした。いちど留置線に引き上げていますが、豊橋から茅野まで通す運用なのですね。ワタシが学生のときも、伊那を夕方に通る茅野行きがありまして、それは豊橋からの直通でした。1995年10月号ですが、そのころの時刻表を調べたら、2721M豊橋10時34分→茅野16時54分という列車がありました。現在は511M豊橋8時11分→天竜峡12時7分225M天竜峡12時33分→茅野16時12分となっています。茅野到着が40分ほど繰り上がりましたが、豊橋の発車は2時間半くらいも繰り上がっています。新城で10分、三...飯田線を乗り通す(その14茅野行き225M列車)

  • 飯田線を乗り通す(その13 てんりゅうきょう)

    12時7分、豊橋から乗ってきた511M列車は、終着の天竜峡に着きました。豊橋から116.2km、3時間56分の旅路でした。乗り換える予定の茅野行きは12時33分発です。20分余りありますので、途中下車して改札口を抜けることにします。今までたどってきたレールが見えます。あのカーブの先が、遥か豊橋へのレール。駅舎は1927(昭和2)年の開業時からの洋風建築です。リニュアルはしているそうですが。さほど広くはない駅前広場には、観光案内の地図があります。左手に行くとすぐに、先ほどの駅舎の建っているところがあります。画面左奥手にトラスが見えますが、これが天竜川にかかる橋。すなわち、改札口を抜けてものの1~2分で、天竜川を見下ろすところまで歩けます。トラス橋は現在車道として使われており、隣りに歩行者用の橋があります。これは、...飯田線を乗り通す(その13てんりゅうきょう)

  • 飯田線を乗り通す(その12)

    平岡駅を出ます。狭い山間地を工夫して人々が暮らしている景観は、好きです。いろいろと制約は大きいのですけど。下伊那に入りまして。学生時代にお世話になった方々や知り合いの顔が、いくつも浮かびます。今回の飯田線乗車は急に決まった話しでしたし、同行者もいました。とはいえ、あちこち不義理で申し訳ないなぁ…などと思いつつ。さて。このあたりは、トンネルの連続です。なかなか車窓を撮る機会が得られません。天竜川の流れを見下ろしたり、河岸の木立を見上げたり。もっとも、近くの座席で始終連続でシャッターを切っていらっしゃる方がいて、喧しかったなぁ。温田駅は、泰阜村の中心地です。阿南町から売木村への路線バスも発着しています。信南交通のバスがいつも待機している思い出があるのですが、すでに撤退していますね。調べましたら、平日でしたら数分後に...飯田線を乗り通す(その12)

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